はてなキーワード: ビジネスチャンスとは
これってもしかして新しいビジネスチャンス?
http://d.hatena.ne.jp/amamako/20090813/1250152130
私が学生の頃は、
みんなでお金出してホテルのスイートや(キッチンの付いた)大き目の部屋を借りるとかがあった。
ちょっと遠出なら、
カラオケとかが一般的でなかった遠い昔だけど。
今でも、パーティー会場屋とかあるんじゃないの?
あるいは、持ち込み自由のカラオケとかでも。
あとねー、
場所だけ提供しても、
調理したものが欲しくなると思いますよ。
そうすると、
調理の手間をどうしようか。
設備も、貸すスペース毎にキッチンが欲しくなるかも。
そのあとかたづけ清掃。
余ったら捨てるか持ってかえる、
足りなければ買いに走る。
場所だけ借りてそれ以外を自分たちでまかなうのって、
ちょっと遠出したときはとても楽しいんだけど、
普段の自分の生活圏の中でやると、
ちょっとわびしい(ビンボーくさい)感じになるかもしんない。
その感じをどうやって押さえ込むか。
面白いかもしんないけど、
この問題さぁ。
改正賛成派は、ロリコン表現に対して日本もグローバルスタンダードに立たなければいけない。
って論を立てているわけだけど。
グローバルな観点で言わせてもらうなら、
日本人が考える「ロリータ」と、欧米が考える「ロリータ」が、まず完全に価値判断が違う事を認識すべきなんだよ。
欧米人が見かけだけで幼いかどうかを判断したら、アジアの女性はおしなべて年下に見える筈。
貴方の大好きな 蒼井そらや、麻美ゆまや、小川あさ美のAVも、向こうさんから見た立派なロリータ物。
ぶっちゃけ40過ぎの『嗚呼、母さん!ボクはもう……』みたいな人妻物AVですら、向こうさんから見りゃロリータ物になりうる。
って事を、今のロリコン表現の規制に賛成している面々は、認識してるのかなぁ?って思うよね。
これを、外圧を拠り所にして“ロリータ「的に見えるもの」”を全て規制してしまったら……
次に海外(っていうか欧米)からは、日本人やアジア系の女優が出ているポルノは、全部ダメ!ってっていう規制の要請になる。
だからこそ、今“「児童のように見えるもの」はマンガやアニメ・イラストなどの創作物であろうとNG”
な~んて表現規制を加えてしまうと、今後、日本人にとって理不尽な外圧からの要求を次々に応じなきゃいけなくなる。
だって当然だよね。
これは欧米諸国のポルノ産業にとっては、自分たちが日本に進出する為の、願っても無いビジネスチャンスなんだから。
ここを折れたら、向こうさんのロビー活動は益々激しくなっていくよ。
って事を、みんなわかってんのかなぁ~?
大好きなエロ漫画が読めなくなってしまうだけでも、絶望的なのに。
初音みのりや、みひろや、RioのAVすら観る事も出来なくなって、挙句
ケバい欧米人PLAY GIRLが「Oh!Yes!ComeOn!」とか喚き散らすだけの洋ピンしか、日本で見られなくなったら?
……と考えるだけでゾっとしますわ。
昼夜構わず授業の変則的な学校行きながら、職を転々としつつ、派遣契約からわりと良い企業の社員契約に漕ぎ着けた自分が通りますよ
あのさ、私も相当長く派遣やってるから言えるんだけど、実際すげー注文&文句ばっか付けてるやつもいるのよ
私は今の会社以外でも途中から契約に切り替えてもらったり、社員のお誘い何度も頂いたよ
ぶっちゃけ要領はよくない人間だけど、バイト時代から仕事に役立ちそうな事、色々コツコツ勉強したり蓄えて来たよ
そういうのが普通だと思う
首切られて即お金がないってのは元々自分の生活水準と手取りが見合わないところで働き続けてたか、
生活水準を落とせなかったか、余程頻繁に仕事を変えすぎてて、就職活動中にお金が削られて行くかのどれかだと思うんだよね
ただ、家庭環境なんかの事もあるし、本当に困ってる人も多いと思う
十把一絡げに本当に困ってる人だとか堕落してる人だとか決めつけられないよね
だから私は叩く気も起きないし、あなたみたいに同情する気にもなれないよ
同情って、確かに自分をある程度相手より上に見てないと出ないかもね
自分の身に降り掛かる事はないからある意味そういう無神経な事が言えるんだと思うよ
でも、叩いてる人が全て下流だとは思わないかな
苦労して這い上がった人から見ても「自分より苦労してない」と思ったら
「甘えてる」とか言うのは叩きでもなんでもなく率直な感想だと思うし
あなたはお母さんの苦労をないがしろにはしてないと思うよ
親子にも意見の相違は有る
ただ、苦労をないがしろにはしてなくても、苦労に対して無知すぎるんだよ
親が大変なの分かってたんならバイトして自活しようとか思わなかったの?
親の命を自分が削ってるかもとか考えない?
負担を少しでも減らそうとか思わない?
あと
でも、そんなおとんに、別の仕事探せとか、資格取れとか、東京いけばビジネスチャンスいくらでもあったじゃんなんて言えるか?
とあったけれど、言えるよ。
少なくとも私なら言う。というか言った。
親に対してとか関係ない。生きる為に必要な事だったもの。
本当に切羽詰まって、身体悪くする様な事になっても自尊心優先するの?
頑張るのは良いことだよ、確かにね。
でも頑張っても報われない事があるのは確かなんだから、妥協点を探りつつ、確実に「生きる道」を模索するべきでしょ。
あなたがそんな風に発言出来るまで育ててくれた親に対し、あなたは何か返してあげたの?
あーあ、またやっちゃったよ。
雄弁は銀、沈黙は金。いつか実行出来るようになれば良いけど……。
ネットを見てると農業の企業参入をすれば、旧来の縛りから自由になってビジネスチャンスが生まれるんだーという意見が多くて、農家の多い集落で育ったのでなんか違うなーと思ったりする。
農業一本で食ってる家なんてあまり見ないし、大抵が兼業でやってる。三ちゃん農業なんて言われて久しいけどそんな感じ。
じいさんばあさんが主に畑仕事をやって、父ちゃん母ちゃんが外に働きに出て土日やら農繁期やら手伝ってる。時にはせがれとか親戚も駆り出されてる。
近所で一番農地を持ってると言われてる家でさえもそういう兼業農家でした。
農地が道路やお店の土地として売れると羨ましいと聞いたことがあるね。まあ、偶々その土地に決まっただけで大抵の場合売ろうにも使い勝手が悪くて売れないみたいだけど。
うちの地元は減反対策か何かで果樹やハウス栽培をそれなりにやってるうちが多かったんだけど、ここ10年くらいの印象だとハウスを畳んだり、果樹を伐ってる家が増えたなぁと思う。大抵育てやすい田んぼか自家用の野菜畑に変わるけど、中には荒らしたり、樹を植えてたりするところもあったりする。担い手が高齢者だからさもありなんといった感じ。入院やら葬式やらがあったら特にね。あと、手入れも大変だし。さっき書いた大きめの畑持ちも10棟あったハウスが3棟くらいにいつの間にか減ってたなぁ。
と言っても悪いことばかりでもなくて、老人が畑仕事をしてる所為か、腰が痛いと言ったり乳母車を押してたりしてても死ななそうなくらいピンピンしてる。逆に入院したりすると目も当てられないことになるけど。
あと、三世帯居住で年金とか複数収入があるからか危急存亡の危機のような逼迫はしてないみたい。この前、とある農村に行ったら子供らが集まってPSPのモンハンやら遊戯王やらで遊んでたなぁ。まあ、集落の近場に働き口やお店が少ないのがネックかな。
超ライトオタクが誕生したのかあらかじめ存在していたのかはどうでもよい
超ライトオタクなる言葉が認知されはじめたということだけが意味を持つ
- -
浮遊層はバズワードを食べて生きてるからね。
彼らがそう認識すれば、そうなってしまうよ。実際のところがどうあったとしてもね。
これまであなたが一生懸命消費してきたコンテンツの奥行きは永久に失われ
毒気を抜かれたまがい物をファーストフードのように消費する超ライトオタクを横目で眺めることしか許されません。
そのときは彼らの食い残しをあさることくらいはできるかもだよ。
少なくともしばらくは、かつて好きだったものを見るだけで気分が害されたとしても
がんばって生きて行ってください。
ところで、この先どうやってしのぐかについてなんだけど
彼らのうちの一人になってしまうのが一番楽だと思う。クラブで東方コスプレだってさ。楽しそうじゃないですか。
たぶんしばらくは生産されるコンテンツも彼らに向けたものになっていくのだと思う。
そりゃ生産者だってお金稼がなきゃいけないからさ。ビジネスチャンスを逃すわけにはいかないでしょ
あるいはどうしても彼らのことが嫌で許せないんだとしたら
とてもじゃないけどライトとは言えないようなジャンルまでもぐっていくしかないと思うよ
文化的、倫理的、能力的な障壁が彼らの侵入を阻んでくれるはずだ。
たとえばschemaが超ライトになる局面ってのはあまり想像がつかない。
違法性のギャンブルやエログロなんかもライトとは言いがたいけどこれらについてはノーコメント
まあ、実際のところ言うほど残念なことになるとは思っていないんだけどね。
のまねこ騒動とかいろいろあったけど、結局のところ一過性のものだったわけじゃん。
そう遠くない将来、彼らは別のところに行ってくれるのだろうから
しばらくは教養を得るために別のものを消費してみてもいいんじゃないかな
ひょっとしたら新しい境地が見えてくるかもよ
「登校拒否」でもなんでもいいけど、もう少し言いたいことがどうしたら
海外の事情は知りませんが、少なくとも日本の学内でやらかすあの手のいざこざの大半は逮捕者救済を名目にした寄付が目的です。逮捕された当人も「警察に逮捕された」という「ハク」が付いて、本を書いたり講演会に出席したりとそれなりのビジネスチャンスを獲得出来ます。
なので、彼らにとって自分の主張が社会的に浸透するかどうかはどうでも良いですし、浸透すると本気で考えてる人は殆ど居ません。万が一浸透したら、それはそれで儲け物、程度には考えてるでしょうけれどね。
警察や公安も、逮捕してやる事で彼らは口に糊する事が出来、それゆえに彼らは暴走せずに済んでいるという考えで、定期的に彼らを逮捕してやってる状態です。警察は彼らを逮捕する事で市民に「仕事してますよー」とアピール出来、彼らは逮捕される事で「○○事件で不当逮捕された××君の訴訟費用のカンパを!」と、小銭を稼げて当人にもハクが付く。そういう利権構造が既に生まれてしまっているわけです。
マジでかわいそう。
ほんとDQNはむかつくなー、体力的に大人と一緒だから余計たち悪い。
コレってなんでもイチャモン付けて、最初から金取るためのターゲットにしただけなんだろうな。
なんか、こういったクソガキが逃げられない方法って無いんだろうか?
いや、携帯から個人の位置を特定する?いやいや、これはプライバシー違反だ。
いやまてよ、警察なら元々車のナンバー補足する機械使ってるし、警察限定なら良いんじゃないか?
いや、でも警察にも汚い奴いるからこれを悪用されるとやばい・・・なんて思考をぐるぐるぐる。
コレを見て思ったのがカメラ設置で犯罪が減ったように、「技術」でDQNのやる犯罪を徹底的に叩いていきたいと思った今日この頃。
・・・実はこれってビジネスチャンスじゃね?セコムかALSOK(綜合警備保障)あたりでよいサービスやらないかなー
あとで調べてみよーっと。
「ダウンロード違法化」で報告書まとまる iPod課金は「合意できず」
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0812/16/news052.html
ダウンロード違法化らしいけど、正直、誰も得しない気がする。
権利者側だって、別に今更売り上げが上がるわけでもあるまい。
実際、金出してCDどころか、
金出して「音楽」を買おうって人間は周りを見渡しても本当に少なくなった。
誰も音楽に魅力を持っていないし、買いたいと思う曲もない。
法案自体、時代に合わせようと改正の動きが出たようだけども、時代に合ってない。
それどころか、今後のビジネスチャンスに枷をかけるようなもんだとやはり思ってしまう。
梅田発言問題で揺れているはてな(はてブ)界だけど、肝心なことがなされていないので僕が立ち上がるしかない。
物事を見るときに重要なのは、その発言で誰が得をしたかということである。これを常に忘れないでほしい。
今回の梅田発言問題で一番得したのは誰か?それは明らかに「水村美苗」という作家だ。
梅田氏によると、水村美苗という作家は寡作な作家のようである。しかし、出す作品の濃度は非常に高く発表する作品全てが賞
を取っているそうだ。数多くはない文学賞という枠組みの中で受賞し続けるのは並大抵のことでない。
ただ、数多くはないがゆえに近頃は水村美苗に文学賞を取らせるべきではないという出版業界有力筋からの声も上がっていると聞く。
ここから導かれる帰結とは何か?
「賞を取らなければいけないというプレッシャーから、水村美苗(あるいはその関係者)サイドから梅田氏に話題づくりのための
なんらかの働きかけをしたのではないか?」
ということである。たしかに話題となった作品にはなんらかの箔をつけたいというのは人の心情である。ネット業界で知らぬものは
いない梅田氏が書評という形で水村の作品を絶賛すれば、必ず(内容が内容だけに)話題となり、
本は売れ、かつ連続受賞の可能性が広がる。
今回の騒動の発端はこうした思惑を持った水村サイドからの働きによるものであることが推測される。
しかし、水村サイドの思惑は半ば当たり、半ば外れた。梅田氏による書評はネット界隈を賑わせ本の認知度は高まったのだが、
「日本語が亡びるとき」というタイトルのため、感情的な反発が強く、本を読むこと自体への拒否反応を起こしてしまったのだ。
これに一番慌てたのが梅田望夫である。本の売上の促進=話題づくりという梅田の思惑は外れ、あろうことに、作品ないし水村
に対するネガティブなイメージを与え、本を手に取ること自体恥ずかしいという状況が生まれそうになったのである。
このままでは、水村サイドとの約束が履行されない。焦った梅田が出した結論というのが、今回の「バカ」発言であった。
つまり、読もうとしないものをバカ呼びすることで、梅田への反発から本を手に取らせるという古典的策略である。
この効果がどれほど期待できるかはさておき、梅田をそこまで追い詰めたものはなんだろうか?梅田の義理堅さ、仕事を一つ一つ
真剣に行うという美質だけでは説明がつくまい。やはり、上げられる理由としては梅田の経済的困窮ではないか?
梅田は2000年7月、シリコンバレーにベンチャー・キャピタル、パシフィカファンド設立したのだが、今回の金融危機でこの
ファンドの運営がうまくいっていない、多大な損失があったのではないだろうか?梅田の文筆業からの収入は全盛期には程遠く、
取締役としてはてなから得る収入もそれほど多くはないだろう。今回の水村サイドからの宣伝の働きかけは梅田にとって
新しいビジネスチャンスだったに違いない。だからこそ、はてなの取締役としての地位を投げ出すに等しいような発言も
可能だったのに違いない。今回の騒動はそうした視点から見る必要があるだろう。物事の裏をみることこそ重要である。
はてな民は自分が踊らされている可能性について考えるべきである。
いわゆるインターネッツ好きが大好きな陰謀説。やっぱ、これを書かないとネットの騒動としてはすっきりしないよね。
梅田望夫氏、水村美苗氏本当にすいませんでした。「本格小説」見てみたいなと思ってずっと見なかったので今回の作品も
含めて買おうと思います。(こう書けば何でも許されると思っているあたりがネットの悪いところだけど)
「売れなかったら売れるまで売れ」とか、そこら中の電化製品屋で言われてるよ。
「お客様には常に笑顔で! 真心サービスを心がけて」とか、そこら中のファミレスで言われてるよ。
あと「少しだけ見せる」ってどう見せるの?
「あなた達が大人になればこんなに暗くてジメジメした未来が待ってますよ」ってなVTRでも作るの?
それとも「ところがどっこい、ビジネスチャンスはどこにでもあります。ひとつの発見がビッグビジネスに」みたいなビジネス啓蒙ビデオ?
結末をどっちにするか知らんけど、社会に絶望して死ぬやつ増えそう。
不特定多数に同じ物を見せて、教育するには、社会ってのは複雑すぎるんですよ。
それを教育しやすく一本化したのが「がんばればなんとかなる!」の精神論で、これが戦前教育とつながるわけです。
全然飛躍じゃないですよ。
だから、本当に社会の怖さや難しさを言葉で伝わるように教えたいなら、個別指導しかない。
でも、学校じゃ個別指導は難しいから「親御さんがんばれ」と言ってる。OK?
例えば、JavaとかRubyとかVBとかPHPとか、そういう種類の言語一種類しか使えないプログラマがいたらどう思う?あまり難しい仕事任せられないって思わない?
古典が読めるってことはまったく評価にならんだろ。プログラマとしては。
無論、最低限の英語力は必須だし、英語力は高ければ高いほどいいが。
最低限、Cとかアセンブラとかできるだけ低レベルに近い言語はある程度使えてほしいし、できればLispみたいな関数型言語とかOSやコンパイラの理論とか、そういうのを知識としてだけでもいいから知っておいてほしいと思うよね?
そんなの情報系の基礎教養だ。微積分学や古典を勉強するよりははるかに楽だし。
だったらどうして、古文や漢文の勉強が自分には意味ないって思うかなあ?日本語で文章を書くのは、仕事上の重要なスキルでしょ。まずその前提がよくわからない。
ビジネス定型文書くのにはもちろん、企画書や仕様書や技術書を書くのにも、古典や漢文の知識なんぞ必要ないだろ。
別に古典教育がどうなろうが観光ビジネスの改革にはならんだろうに。
日本文学についてはそうかもな。でも、当の近代文学もろくに読んでない奴が、下敷きにだけ手出しても意味ないだろ。まずそっちが先じゃないかな。
それとさー、どうしてあれを教えたらこれを教えるのやめろって話になるわけ?両方教えたらいいだけじゃないの。ただでさえゆとり教育なんだからさ。
教育を強化するなら数学優先にすべきだな。あと英語の強化かな。古典なんか最後でいいよ。
それは単なる君の不勉強でしょ。高校までで役に立つこと勉強したいんだったら高専とか工業高校に行くべきなんだし。普通高校ってのはジェネラリストを育成するところなんだからね。
それに、君はたまたま高校で習った行列計算だけで用が足りてるのかもしれないけど、行列の計算だけできても普通は何の役にも立たない。
足りてるわけねーだろ。仕事やりながら勉強してるような状態だよ。これが、高校でやってなきゃ偏微分とかと同レベルの理解度でしかなかったんだと思うとゾッとするね。基礎だけでも仕込まれててよかった。
というか、固有値やベクトル空間を理解せずにどうやって大学を卒業できたんだ?力学も振動論も微分方程式も統計学も信号処理も量子力学も、何一つ理解できないでしょ、それじゃ。
数学系でも電子工学系でもねーもん。適当に試験前の一夜漬けで切り抜けてた。終わったら速攻忘れた。あと量子力学なんか何に使うんだよプログラマが。
信号処理は真面目にやっときゃよかったなとちょっと思うね。今んとこクリティカルにそういうもんが必要になる仕事はやってないが。
俺が思ってるものと比べてるんじゃない。「古典と」比べてんだよ。ちゃんと答えろ。
状況には自分の能力も運も含まれる。
たとえば製品開発が遅れると、
「営業は俺たちの状況も知らないで」
と、開発から言われ、
「君のところは納期も守れないのか」
と客から言われる。で、馬鹿な開発からは「嫌なら開発をやればいい」と言われる。これが理不尽。
こんな状況からできる営業とだめな営業の差が出てくる。できる営業は問題をすぐに理解し、次のサイクルでは回避策を持ってくる。あるいは問題そのものをビジネスチャンスに変える方法を探る。人脈を広げ、あるときは助けてもらい、あるときは助ける。
そういうこと。映画館では金を払って怖い目にあうが、会社ではつらい目にあって金をもらう。だが、たいていの冒険映画や漫画やゲームがそうであるように、できる奴は大トラブルにあうと次のサイクルでは大車輪で活躍したりする。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20071026_anime_nicovideo/
心情としては理解できるけどさ、
少なくとも、1stガンダムまでさかのぼらなくても、だ。
おもちゃ屋の宣伝アニメだとしてもさ、テレビ放映で何とかペイするモデルだったと類推できるのよ。
大体僕らが子供だったとき(30年前)にはゴールデンで子供向けの特撮とかアニメはバンバンやってたし、戦隊ものだって、少なくともジャッカー電撃隊ぐらいまでは土曜の夕方やってたよね。(塾の時間とかぶっていたので記憶がある)
いまさ、ゴールデンでやってるというか、数字を期待されてる、広告でペイできるアニメって「サザエさん」とかぐらいなんじゃね?
まずさ、ソフトを買う人間はさ「すきもの」なんだから少数なわけじゃん。
DVDになって買う障壁が低くなっても、アニメのDVDは映画より割高だしさ、しかも全巻セットだと軽く4万とか以上するじゃん。
あのさ、このビジネスモデルが少し異常なんじゃね?
あとね、ぼりすぎ。GUNSLINGER GIRL DVD-BOXを例に挙げると
日本:¥ 12,600
アメリカ: $44.99
3倍っすよ。専用じゃないんだからさ。
権利者が権利を主張するなとはいわないが、時代が変わったんだからさ気づけよ。
大体この深夜枠でアニメを宣伝として放映して、DVDをうるビジネスモデル自体、歴史としては10年くらいしかないわけですが、モデルとして終わりに来てるのよ。
映像プラットフォームとしてケータイの市場が来るのがあと3年後ぐらいなんで、そのときは1クリックでダウンロードして課金する仕組みができるよね、それまで、ケータイ向けのコンテンツ案を考えたほうが建設的よ。
それにさ、現状勝ち組の角川は逆にYOUTUBEとかニコニコとかでDVDの売り上げ上げてるじゃん。
いいこともあるじゃない。
そうそう、ハルヒのダンスとか外人とかも踊ってるじゃん、それって、ビジネスチャンスって考えなよ。
ピータガブリエルがさ昔に海賊盤がでまわってた、アフリカ諸国でライブをやって大成功した例もあるのよ。
時代の流れはさ、逆らわないで、利用しなよ。
それでだめなら、時代から必要とされてないということなんで、規模縮小すれば?
映像とかやってる人間が時代から必要とされないなんてさ.........
まーいいや、本物は残るし、去年だって、「グレンラガン」や「電脳コイル」があったもの、
だから、YOUTUBEで満足する人間はもともとDVDなんか買わないの、レンタルで十分、なんでDISCASとかは攻撃しないのかね?あれ、ってセルDVD売り上げ落とすのにすごく貢献してるよ?
ちゃんと消費者してないと、買う人の気持ちわかんないぜ。
いや、本人同士がそれでいいならいいんですけどね、どっちかが長文うぜーなーとか思ってたりする場合も多いわけじゃないですか。ただの野次馬である傍観者にとっては特にそうだと思うんですけど。
はてブに「長い」とかコメントされてるエントリとかを想起していただけるとありがたいんですけど。
どうもそういうのを見るとついついフォード・ピント事件なんかを思い出してしまうわけですよ。
知らない人はググって下さいね。一応映画にもなってたりするんでお暇なら観てみるのもいいんじゃないかとオススメしますですよ、ハイ。(邦題『訴訟』原題『The Class Action』)そんなのめんどくせーよーという人の為には解説してるアドレス貼っときますね。(http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~cyberian/Ford_Pinto.html) んでリンク踏むのさえめんどくせーとかacドメインとか読んでもわかんねーよという先入観をお持ちのあなたの為に適当に解説しちゃいますと、フォードが日本車に押され始めた時代にこれじゃいかんってわけでコンパクト・カーを売り出したの、ピントっていう。しかしまぁリーズナブルなだけあって結構売れちゃったりしたんだけども安全設計もリーズナブルだったのが問題になって訴訟起こされちゃいました。
ちなみにアメリカの訴訟制度ってのはなかなか面白いもので、この手の訴訟だとあの有名な懲罰的損害賠償(企業が痛いな、と思う範囲まで賠償金額上げちゃっていいよ制度)と、Class Action 制度(同様の被害を受けた人は先人の訴訟結果にタダ乗り出来ちゃう制度、日本だと訴訟提起後結審前までは参加が許されたんだっけ、詳しくは知らないんでゴメンネ)のおかげで絶対負けられないんよね。
ここら辺はまぁどうでもいいんで次行きますけど、訴訟開始前にディスカバリーって制度があるんですよ。
この手の訴訟の場合被告の企業側に証拠ってあるもんですしね。それを原告側が請求できる制度なんですよ。
といっても原告側もそんなに詳しく企業内事情を知ってるわけじゃあないんで請求内容がある程度曖昧にならざるを得ないわけでね、それを逆手に利用して、被告企業がそれこそ倉庫が一杯になる位の量の内部文書を送りつけるって行動に出るわけです。
そんなことされたら困るよねー。
原告側は何と言っても少数者であるわけだし、精査しようにも人件費が酷いことになっちゃうし、いかんともし難い状況になったよってお話(この先は映画見てね)。
んでこれを最初の話に無理矢理つなげると、長々と文章書いて相手に対応してる人って、誠実に答えてるようでいて実は単に目晦まししてるんじゃないの?って疑問が湧いたよってお話。
2chでよく言われるように3行までしか読めない、ってのは少々極端に過ぎると思うのだけれど、しかしそうそう長い文章を時間コストをかけて読めるわけではないよね、ってところはなんとなく理解してもらえるんじゃないかなぁ。
世の中には楽しい事やしたい事ってのが一杯あって(セックル(恋人とならタダだと思ってても多分風俗の方が安くて気持ちいいよ、次々入れ替わるから新鮮だし)とか食べ歩き(ってよりこんなところで食事してる俺/私って素敵欲望ドライブなんじゃないの)とかもっと寝たい(偽装請負ご苦労様です。所得隠ししなけりゃ設備投資費用も捻出できない世界有数の好景気大企業の下請じゃポイズン)とかデイトレード(まだやってる人いるの?)とか自己啓発(はてなとFPNってこういう腐臭がするよね、どうでもいいけど。Lifehuckだってw)とか宗教儀式(明治天皇の声が聞こえる!!とかグーグルの狂気とか)とかさ)、ネットで議論なんてモノはそのうちの一つでしかないわけだし。
しかもディスプレイとかブログっていうアーキテクチャはほんと長文読むのに適さない環境なんじゃないかとオールドタイプな僕は思ってしまうわけですけども。
A4一枚分以上は紙で読みたい。
こういう人って結構いるんじゃないかなぁと思うわけですよ。
そういう人に対して誠実にあるにはどうしたらいいのかねぇって所はこの発達した世の中でも解決されてないんじゃなかろーか。
これってビジネスチャンス?ニートのボクでも起業してお金持ちになってセックル三昧(ここまでjkondo)、金で女は買えると豪語した挙句に証券取引法違反で国策捜査の上つかまってあれやこれや的展開が期待できるかもーうはーすげー。
あ、ごめん妄想入った。
文章なんてのは長くしようとすればどこまででも長く出来るし、短くしようと思えば結構な割合で短くなるものだと思うんですよ。
お前2時間でいいじゃんみたいな。
ただ、短く書く時には削ぎ落とされた部分を読む側が理解してないといけないという条件は付きますが。
ってことは長々と文章書いてる人ってのは読み手の力量を信用してない、ってことになるんですかね。
まぁはてブ衆愚とかネットイナゴなんてのが流行ってる昨今さもありなんな発想ではあるわけですが、エントリ書く奴が偉くて読み手は衆愚だからこんなことまでわざわざ書いてやらねばならん、みたいな。
そんな目で見ないでお願い。
それならいっそやde√blog終風先生みたいにわからん奴はもういいよ的に放置されるほうがまだマシじゃね? ってか終風先生=紫式部か。
終風日記や極東ブログは省略省略で貴族たり得ない衆愚である受験生を困惑させる源氏物語か。
挙句にシステムスルーカですか、イナゴはイナゴらしくオマニーでも見てればいいですかそうですか。
切ないなぁ、ああ切ない。
大島弓子ばりに切ないよ。
伝われこの思いの8頭身の心境ですよ。
大体あれだ、平野啓一郎もあれだよな、『日触』しか読んだことないけど漢字難しいよな、初手からお前ら文学イナゴは寄ってくんなオーラ全開だよな。
昔の日本文学読んでりゃ理解出来るとか言われてもそりゃ無理っすよ、旧字体で読んでる人っているのかね。
あんなのに造詣が深いのってめっちゃレアモンスターだと思うんですけど。
なんかはてな内には散見されるのが面白いといえば面白いのかもしれないが。
しかしまぁあんな小難しい本読むくらいならあれだね、同じ京大出身でも森見登美彦の方が全然面白いと感じちゃうね。
あ、ここでいう「非モテ」っていうのはある程度の文化資本をもった、顔面や身体に不都合があったり拗れた精神構造持ってる人ね。
(PCなんて気にしねぇ)だってボクの後ろでウメダモチオとかessaがグーグルとか権力論とかビジネスモデルとかを語れない期間工みたいな奴ははてなーではない、って囁いて来るんだもん。ここはてなだし仕方ないよね。
しかしまぁスルーってのも寂しいもんだよね。
皆が皆スルーし合って出来上がる世界ってアレだよね、なんつーかちょっとつまらんよね。
ってかこれって物象化じゃないのか。
マルクスの亡霊は未だ徘徊してるのか。
ごめんちょっと難しい言葉使ってみたかった。
中二病といいたければ言うがいいさ。
でも心の隙間に大阪のおばちゃんを忘れないでいて欲しいなぁと。
さてもう収拾がつかなくなったのでこの辺で終わりにするけど、長文批判のためにはじめたこのエントリがやたら長くなった事を心より詫びる。
どうせスルーされるんだろうなぁ。
パリスとあたしの違いはカメラがついてきてるかどうかだけだ。そう叫んで自殺した少女も日本に生まれていれば、人生を謳歌できていたかもしれない。
確かに一歩目はブログだった。しかし、その次の飛躍はケータイ小説が成したものだ。ブログによって引き下げられた記述することに対する障壁を、情動のスイッチを押すことに特化した一群の物語が完膚なきまでに破壊した。ケータイ小説は赤潮のように繁殖した。その作り手であるケータイ小説家もまた。
いまやケータイ小説の消費者のほとんどが生産者であった。創作されたケータイ小説はまず周囲の友人達によって読まれ、そのほとんどがそこで停止するものの、稀に口コミで広まり一般文芸にはありえない形のヒット飛ばすこともあった。そして、ヒット作の周囲には多くの模倣が生まれ、そのミームは拡散し浸透した。この文化の担い手は主に少女達であったが、彼女達にとって今や物語はコミュニケーション上で通貨の役割を果たしていた。「泣ける」「感動した」等の賞賛の言葉は優れた物語に対する報酬ではなく、自分の物語を読んでもらうための対価となった。
このまま過飽和の状態が続くわけも無い。大方の識者と呼ばれる程度の文筆家達はそのように考えていた。事実、彼らのやり取りする物語は、劣化したミームのまとまりの無い堆積のようなもので、そこに生の声が塗りこめられていたとしてもそれを汲み取ることは、本人達にとっても容易なことではなかった。さらには、仲間内でしか判らないコード進行、バズワードなどによって共通言語が小集団に分断されていき、しまいには原宿の少女には渋谷で書かれたケータイ小説が読めないいうことも起こった。この緩やかなまとまりを持ちつつもタコツボ化していくケータイ小説界は、人文系、特に言語系学者のフィールドワークの対象として魅力的に見えたらしく、いくつかの論文を産んだ。中でも「ケータイ小説の系譜」はケータイ小説を神話の発生と絡めたこともあって現代の金枝篇との評価も高い。
さておき、浸透と拡散、特化した小集団の枯死といった経過をたどってブームとして消費されるかに見えたケータイ小説は突如として変貌する。あるケータイ小説家が「あなたの人生を小説にします」と宣言しサービスを始めた。既にケータイ小説市場に新奇の物語要素は存在せず、彼らは自分達の生活そのものをドラマチックな嘘と仲間内のコードで修飾して市場に流すようになっていた。そこにビジネスチャンスを見出したのだった。ゴーストライターである。熟年を対象とした自叙伝ビジネスとほぼ相似の関係であるが、このゴーストライターは雇用者に対して聞き取りをしない。雇用者の一切の創作の手間を省くためであるのだが、雇用者が若年であり語るべき過去を持たず現在進行形を小説としてほしがったためでもある。従ってゴーストライターは雇用者のあとをついていき、行動を小説に書き起こす。小説の頒布とそれに生じる利益の追求は雇用者が行う契約だった。1:1対応のビジネスモデルは多くの追随者を生み、ケータイ小説市場はモデルで消費者でもある雇用者とゴーストライターに二分された。
「書として街に出よう」
一番最初に組織化されたゴーストライター協会のキャッチフレーズだ。人々はゴーストライターという形でフィクションを身にまとうようになった。そしてゴーストライター達は昔の演劇要素を発掘してきて観察者たる立場を確固たるものにした。
日本人が外国人と街を歩くと説明に困る事態に遭遇する。外国人たちはあらぬほうを指差し「あれは何だ」と訊ねる。だが日本人には「あれ」が認識できない。認識しないことになっている。勿論「あれ」はゴールドライタンであり、認識しないのはそれが黒子の格好をしているからである。組織化され認知されたゴーストライターはその数を増し、街を行く人々の半数が黒づくめだった。この奇妙な習慣は海外に紹介され「KUROKO」は各国語に定着するほどになった。デートスポットなどでは男女のカップルの後ろに黒子が一人ないしは二人控え、次にささやく愛の言葉をインカムを通して伝えていた。人々はいつしか物語の後ろを歩くようになっていたのだった。このことは、よりドラマ性を求める人々によって多くのトラブルを産んだ。例えば暴行現場を取り押さえた警察官によって逮捕された三名の中に黒子が二人含まれていたことなどを軸に、主体の所在についての論争がしばしば起こされた。この事件は合意の有無を巡って最高裁小法廷に最終的に判断がゆだねられた。
そして、殺人教唆で逮捕されたカリスマ黒子「IA☆GO」がAIであったという暴露により、混乱はピークを迎える。ゴーストライターの慢性的不足から、ゴーストライター協会は自立AIをひそかに利用していたのだった。このスキャンダルで幹部数人が逮捕されることになりゴーストライター協会は解散した。
後を受けて設立されたゴーストライター連盟が、AI「IA☆GO」の基本構造を継承して作られた記述AIをPAB(ParsonalArtificialBrain)として公式に商品化し、それがやがて人類から機械知性に文明を禅譲する流れになっていくのである。