しゃぶればわかる
なんでMARCH卒の兄弟がフリーターで専門卒の私が正社員なんだろうな
そんなのに振り回されて自分の仕事さえ見つかんなくてフリーターになっちゃった兄弟かわいそう
塾でも学校でも勉強しろってムチで叩かれて必死に勉強した結果何者にもなれなかった兄弟かわいそう
オタ活するときだけ笑顔でちょっとでも仕事のことに触れるとキレ散らかすから腫れ物扱いになってる兄弟かわいそう
そんで結局誰にも責任とってもらえないで自己責任とか言われちゃう兄弟ほんとかわいそう
どーしても勉強させたかったらお前が胸張って勉強の面白いところ楽しいところ教えてやってください
いやまあ、それでゆたぼんになったらそれはそれでヤベーなとは思うけど
気色悪いし具体的な話はやめよーぜ
承認欲求が高めのやつは産みそう。
承認欲求が満たされている人は半々。産んだり産まなかったりラジバンダリー。
承認欲求について考えてもない人は産みたく無さそう。
要らないからな。
初めて死が身近に思えたのは小学校2、3年生の頃だったと思う。出ていきなさいと親に言われ、どうすればいいのかわからなくなって。今から私は家を出る、外は寒いけれど仕方ない。でもそういう生き方をしていたら私は小さいし一人では生きていけないだろう。だから死ぬしかないんだと、泣きはらした目でぼんやりそう思った
同時に、ああ親は私を必要としていないのかもなと、おこがましく思ったのを覚えている。今考えればもちろんそんな意図で親は出ていけと言ったわけではないとは思う。だが妙に納得したのを覚えている
実際に自殺未遂を図ったのは中学校1年生の時。入学早々、桜を見ていた私を見た同級生たちに「向こうの世界にいる」と言われたことがきっかけだったかどうかはわからないが、気付いたらクラス中で私の存在がなかったことになっていた。話しかけられない、話しかけても無視。単純にそこは私の居場所ではなかった
一方だからと言って自宅が居場所だったかというとそうではない。常に誰もいない部屋。自分のために買い与えられたものはほとんどなく、携帯電話もパソコンもなく、どこにいても疎外感があった。
ここにいなくてもいいのかもしれない、そう思った私は、部屋のロールカーテンのチェーンで首を吊った。だが、完全に体重をかける前にロールカーテンが壊れることが怖くて自分の足で立ち上がった。だって新築だったのだ。
それから今でも2日に一度くらいの回数で「死にたい」と口にしてしまう。昔少女たちの死にたいは実は消えたいなのだ、具体的な死を指しているわけではないのだという一説を読んだことがあるが、私もおそらくそうだろう。ただ「消える」ということが不可能であることがわかっているから、実現可能そうな死にたいを口に出しているのかもしれない。まあ、死にたくなってもうすぐ20年、まだ死ねていないのだから実現可能性も何もあったこっちゃない