はてなキーワード: HD画質とは
主に見る動画はホモビ男優のMADとYoutube rのMADとBiimシステムと呼ばれるRTA動画。
結論から言うと「完全にニコニコ動画は終わっているな」というのを実感した。
プレミアム会員システムが始まってからずっと課金していたので約9年、540×12の6480円、約6万円を今までニコニコ動画に払ってきた。
プレミアム会員でないと動画を読み込んでいないところにシークバーを移動させることができない。この行為ができない動画サイトが他にありますか。月540円払わないとこんなこともできない。
・画質についてはもはやプレミアム会員でも悪かったので特に言うことは無い。
広告はadblockで弾けるのでどうでもいいのに「プレミアム会員になるにはこちら!」と至る所に表れる。
解約するときにひたすら解約させないようにして更にこの仕打。
追い出しでまず見れない。プレミアム会員だった頃は「追い出された」というコメントに「ほ~ん」としか思ってなかったが本当にひどい。
AbemaTV?別にニコ生があるからなあ・・・と思っていた自分の感覚が完全に麻痺していた。
画質も悪く、有料会員でないとまともに見れないコンテンツからそりゃ人は離れる。
ユーザー生放送も今までいつでもタイムシフトで視聴できたのに見れないのが不便の極み。
プレミアム会員に入っててようやく普通の動画サイト、入ってないと完全にどうしようもないゴミサイト。
ひたすら焼きそば焼いててくれ。俺はもう見放した。
横浜DeNA全主催試合高画質で中継してるのでAbemaTVで見よう!開港横浜!
(*^o^*)
では、無宗教なあなたにオススメしたいのだが、浮世絵をみたらどうだろう。
まず、復刻版を数枚買え。復刻版で十分だ。いや、むしろ復刻版のほうがいい。美術館にある江戸時代のものは色は褪せてるし紙は黄ばんでしまっているから。
なんという、なんという躍動感。
なんでも、例のあの富士山をバックに巨大な波の絵、神奈川沖浪裏ってんだけど、あの水しぶきは1/5000秒のシャッタースピードで撮った写真と酷似らしい。
そうだよな、たしかにHD画質をよいしょしてた頃の、スローで水泳を写したりする映像が流れまくってたけど、あんな感じだよな。
どんな絵より、躍動感があるんだよ。
ドガのエトワールなんかより、北斎漫画の雀おどりのほうが躍動してる!
あんな線描なのに!!陰影もつけてなければパースも狂ってるに!信じられない!
もう、描いて描いて描きまくって辿り着いた境地なんだろうな。
富嶽百景っていう絵本、本編よりあとがきが有名なんだけど、「110歳までの絵を上達してみせる」っていう人生設計を宣言してる凄まじさ。
実際、90歳まで長生きしてたのに、その臨終の際の言葉も、「あと10年、せめて5年、」っていうまだ描き足りないという未練を残してるそうな。
そういう人格面は話が逸れるからさておき、画家はここまで、こんなにまで時間を切り取れるのかと。
一瞬を永遠にすることができるのかと。
カメラというものを知ってる僕らには、驚きは薄いのかもしれない。
はっきり言って、当時の人たちからしたらとんでもないよ。
プロゴルファー猿でショットの時の効果音が「ギャンギャンギャン」だったり、ジョジョでキスの時の効果音が「ズキューン」だけど、北斎を見た時の効果音ときたら、そんな幹事だよ。
で、広重もすげぇ。
北斎より後の時代の人だけど、北斎が長生きで現役時代が異常に長かったから、活躍してる時期はけっこうかぶってるんだけどね、これまた凄い。
絵の中で時間が流れてるの。
数々の発明を残してるんだけど、一番わかりやすい例だと、雨を線で描くっていう発明かな。
雨が線だよ?当たり前のようだけど、逆だろ?
絵がその瞬間を時間を止めて描くものだったら、雨は空中に浮かぶ粒でしかない。それが線!
1/5000秒のシャッタースピードの逆、露光時間を長くしてる!
なんなの?北斎という天才の仕事を全否定して、新しいワザを繰り出す。
色彩といい、視覚効果といい、もう語り尽くせないほどの発明をしちゃってるわけ。
来る日も来る日も描いて描いて描いて描いて、それこそ花が咲く瞬間から虫、天候に至るまで、ただただ描く。
なんのために?芸術のために?いや違う、芸術とは、もっと個人主義的でワガママなものだ。
自らの心の内から溢れ出るものであり、自己表現であり、俺が一番と叫ぶものだ。
だって、浮世絵は絵師と彫師と摺師と、言うなら版元と共同作業なんだ!
絵師の下絵は、版木に貼り付けられ、その線をなぞり彫られてしまう。紙くずとなり、版木からでた木くずとともにこの世から消えてしまう!
そんな下賎な商業印刷が、芸術としても芸術の分野で第一線の作品の遥か上のレベルなのはなぜか?
いや、商業印刷だからこそ、私の表現のための絵ではなく、絵のために自らを捧げるという境地に辿り着いたがため、そうなったんじゃないかと思う。
浮世絵師は、いや、彫師は、摺師は、版元は、売れるだけ摺った!売った!
即ち、それが世界に美しいものを広めること、ひいては美しいものであふれた世界になることを知っているから!
海を超え、時代を超え、人々を感動させている。
宗教だ!
もう一度浮世絵を見てみよう。
描かれているのは、喜びや楽しみだけではない。憂いや悲しみも描かれている。しかし、見た人が自分なんか死んだほうがいいと思わせるものはあろうか?
ない。
武士、すなわち役人も、飛脚や輿を担ぐ労働者も、老人も子供も、体を金で売る遊女でさえも描く、根底にあるのは人間賛歌!
人間だけではない!虫けらや一本の雑草に至るまで、生きとし生ける物への賛歌!
帰依しよう。
思い入れがある所残念だけど、F-ZEROはもう用済みだと思うよ。
確かにF-ZEROはスーファミのローンチタイトルとして出た傑作だけど、F-ZEROで培ったノウハウを元にして大傑作のスーパーマリオカートが作られて、任天堂を代表するタイトルになった。
この時点で主導権は失ってる。実際、スーファミの次世代機として出た64ではF-ZEROじゃなくてマリオカートだったのがそれをよく表してる。
F-ZEROはというと、64のポリゴン性能で実現できて、かつマリオカートで表現できなかった「より立体的なコースによるレース(要するにワイプアウト)」をやりたいために超傑作のF-ZERO Xが出たね。
ゲームの出来は抜群だったけど64の頃はゲーム部分にばかりリソースを取られてグラフィックがいまいちだった。
それを解消できる次世代機ゲームキューブで出たF-ZERO Xの続編が極傑作のF-ZERO GX/AXだ。元増田は遊んだことあるかな?
これを遊んだF-ZEROファンなら、こう感想を抱くと思うよ。「完璧なF-ZEROだ」そして「これを超えるF-ZEROが今後現れるのか」ってね。
実際、宮本茂も海外メディア向けに「F-ZEROの新作を作るためのアイデアが無い」って話してたよ。トドメを刺されたと思ったのはやっぱマリオカート8が完全にF-ZEROの要素を入れてきたことだね。
個人的にはHD画質でF-ZERO GXをリマスターして欲しいと思ってるんだけど。
もう一方では「SFCのゲームをそのまま携帯機で遊べる」をアピールしたいのか、GBAのローンチタイトルがF-ZEROだったね。元増田は衝撃を受けたかな?
GBAでマリオカートを作るには性能に満足できなかったのか、GBAではSFCのF-ZEROをベースにしたF-ZEROが何作か出たけど、DS以降はマリオカートばかり出てる。
やっぱり用済みじゃないかなぁ。