はてなキーワード: もっちーとは
梅田もっちーとダンコーガイの自己啓発(笑)の両巨頭が紹介した本には無批判に絶賛がつくといういつもの流れ。はてな村民がいかに自分の頭で考えない人間かよくわかるね。ちょっと前には、英語嫌いの益川先生が歴史に名を残す研究をしたという話が流れたばっかりなのに、すぐ忘れてしまってるんだから。
ま、そんなことはともかくとして、言語学を新書レベルに読みかじった経験があれば、この両氏の書評と著者のインタビューを読んだだけで、モチヲや弾のお勧めを期待してこの本を読めば期待はずれに終わることがよくわかる。誤解なきよう、私は「日本語が亡びるとき」が面白くない本だとは思わない。何しろ相手は小説家、本当のことであろうが嘘のことであろうが面白く書いて読み手に深い印象を与えるプロなのだから、それは期待してもよい。ただし、著者に言語学のバックグラウンドがない時点で、論としての面白さを期待するのは諦めるべきだ。SFとして面白いものが科学理論としてよくできているわけではないのと同様、純文学作家の言語論に学術的レベルを期待するのは酷というものだ。もともとそういうものなのだから、モチヲや弾のようにあの本を絶賛する人というのは、アジテーターとしての自分を売り込みたいだけか、アフィリエイトで稼ぎたいだけか、あるいはまともな議論とトンデモの区別が付かない程度の知的素養しかないか、そのどれかだろうと思ってしまうのは私だけか(そういえば一部のはてな界隈で人気な「温暖化懐疑論」の論者に気象学者が一人もいないのはどういうことなんだろうね?)。
そもそも、著者が言うような意味で日本語が亡びるというのが先走りにすぎるのは英語の歴史自体が証明している。英語がどうして、同じゲルマン語のドイツ語よりも、ロマンス語のフランス語に見た目が似ているかと気になったことはないだろうか。あれはノルマン・コンクエストの帰結である。英語は文化的外圧に曝されるどころか外敵に征服され、日本語と同じかそれ以上に外来語に「汚染」された言語なのだ。しかしその伝統からシェイクスピアをはじめとする華麗な英文学の伝統が花開いた。
日本語も、実際に「地域語」であり、現代と比べものにならない外圧に曝された時代があった。飛鳥・奈良時代や、明治維新期などはそれぞれ強大な帝国の圧倒的な文化力・軍事力の前に日本は存亡の危機に瀕していた。しかしそれらの時代に外の文化を大きく導入したことで、逆に日本語の文化は大きく栄えた。
単なる「国力」だけで、言語が「地域語」に堕し、その結果衰退するなどというのが俗論にすぎないことがよくわかるだろう。
そもそも、「日本語が亡びる」という問題意識自体、日本列島の言語を「日本語」という名で無自覚にひとくくりにしてしまうことの問題が現れている。アイヌ語や琉球語を考えてみるがよい。これらを「方言」と呼ぶのは無理があるだろう。しかしながら「日本語」の隆盛のもと、これらの言語文化は危機に瀕している。
いや、言い直す。そもそも何を「方言」とよび何を「国語」「標準語」と呼ぶかは政治的な産物でしかない。ポルトガル語やオランダ語は、かつてはスペイン語やドイツ語の一方言でしかなかった。デンマークでは読み書きができる知識人はドイツ語やフランス語を使っていて、アンデルセンやキルケゴールが現れる前の「デンマーク語」は「汚い方言」でしかなかった。
その意味で、日本の文化を見直してみるとよい。「遠野物語」のような地域の民話を語れるのは一部の語り部に過ぎないのではないか?いや、かつて日本の「中央」を荷った「上方文化」でさえ、衰退が甚だしい。関西弁はラジオ・テレビの成立以降、急速に流入した「標準語」の影響によって激しく変質し、江戸時代後期から明治時代にかけて成立した上方落語でさえ、若者や子供のかなり多くはまともに聴き取りができない。上方落語が日本の言語文化の貴重な財産であることは誰も否定しまいが、これを日本人は自ら衰退に追い込んでいるのである。人間国宝の米朝師匠が事実上現役を退いた今、その前途ははなはだ暗い。
あるいは地域的な変化でなく時間的な変化を見てみるとよい。能は勿論、狂言や歌舞伎でさえまともに聴き取れない日本人がどれほどいるか。源氏物語はおろか、明治期の擬古文でさえ現代語訳なしで読めない日本人がどれほどいるか。いやそればかりか、旧字体・旧仮名遣いの文章ですらろくに読めない人間とて決して珍しくあるまい。
このようなことになったのも、一つには近代化の推進のため我々が明治期と戦後に「国語」の成立と普及を強引に推進したせいだというと言い過ぎだろうか。世界に誇る日本文学などと言うが、我々が現代「日本語」を通じて享受できる文化遺産など、たかだか百年分ぐらいしかないのである。
というか、元々これはそういうものなのである。「国語」という概念は「近代国家」が政治的に成立させるものだ。「江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた」という本があるが、これによると実際、江戸時代では各地の方言を通訳する商売が成立していたという。あるいはフランスでは近代化以前、知識人はもっぱらラテン語で読み書きをしており、フランス語は単なる「俗ラテン語」のなれの果てでしかなかった。日本ではもっとひどく、仮名文字さえ実は統一されていなかった。変体仮名というのを聞いたことがあるだろうか。うなぎ屋の看板などで今もその名残を見ることができる。これらがきちんとした正書法と文法を揃えたのは疑いもなく時の権力の政治的な措置なのだ。
それを思えば、「今の」日本語がどういう形であれ変容するのは当然であり、むしろ「近代国家」という枠組みが溶解しかかっている(EUを見ればそれは明らかだろう)現在、無理に「国語」を防衛しようとする思想はまさに時代遅れのナショナリズム、保守反動でしかないとさえ言えるのだ。
からかい半分で書き始めた文章につい力がこもってしまったが、いずれにせよ、「守るべき国語」というのはかくのごとく、大いなる虚構だ。関西人である私がこのように完璧な「標準語」で読み書きができるように、北欧あたりではテレビを通じて完璧な英語を多くの人が身につけている。だがそれがいったいなんであろうか。言語の遣い手としては、一つの言語しか使えないよりも複数の言語が使えた方が楽しいに決まっている。考えてみれば、何の問題もないのではないか。
仮にそうした時代になろうとも、日本語でしか書けないような優れた文学作品があるのならば、日本語が読める人は必ずや読むであろう。日本語でなくても書けるものは、日本語で読む必要はない。そうなって困るのはいったい誰なのだろうか。「普遍語」を寡占してグローバリズムの伝道を行うことで糧を得ていた人、昔日の栄光に浸る老人、それぐらいしか私には思いつかないのだが。
b:id:Nean えっと、だいたいの論旨に異議はないんだけれど、水村は「国語」が「虚構」ということを知った上で書いてるってのがいつの間にか飛んでるんでない? 「国力」の論点も変ですぜぃ。
水村は「国語」の虚構性を半分ぐらいしか理解していなかったと私は思います。たとえばここで挙げたような方言の視点はほとんどなかったのではないでしょうか。水村は東京生まれということなのでおそらく気づかなかったのでしょう。私のような方言話者にしてみれば「母語が『現地語』でしかない状況」なんて「なにをいまさら」でしかない、というのがこの記事を書いた大きな動機の一つでもあります。
「国力」についてはその辺の地方人バイアスが入っているかもしれませんが、正直あまり自覚はできていません。
全く同感。
この件に関して言いたいことが二点。
異論は認める。
あ、「立場を弁えろって俺は言ってるんだYO!」みたいなくだらない反論はなしね。
いつ望夫がお前が批判する権利(笑)を侵害しようとしたんだよ。「はてな取締役であるという立場を離れて」って書いてあるじゃん。まさか、「もっちーがボクチンのはてなidを削除しようとしてるよー助けてー><」とか思ったわけ?(笑
あとさ、「望夫は自分のエントリへの批判を甘受せよ(キリッ」というコメントと「望夫は俺を批判する権利はない(キリッ(※)」というコメントを両方見るんだけど、他人の意見を批判していいのかいけないのかどっちなんだよw まさか、両方とも同じ人間が言ってるとは思わないけどさ。
※: いやまぁ、実際は「俺の意見を抑圧するな!」って言ってるけど、結局「批判するな!」って主張すると具合が悪いからごまかしてるだけでしょ? あ、異論は認めるよ(笑。
広告収入が落ち込んできた?。仕方ない。CMの空いた枠に、サラ金を入れろ。いいから入れろ。ほらみろ、金払いいいんだから。え?社会問題?仕方ないな。パチンコのCM入れろ。朝から流せ。金払い、いいだろう。
あ?パチンコでも空いた枠埋められない?よし、じゃ風俗のCM流してみるか。
朝のニュース番組の視聴率が取れない? じゃ視聴者に当たりのいい姉ちゃんとかキャスターに代えろ。有名人にコメンテーターと札を貼って座らせてみろ。ワイドショー化だよ。いいだろ。結構視聴率が取れるだろ。扱うネタもワイドショーの参加者が分かることに限れ。めんどくさいネタは最後に「いったい、政府は我々庶民のことをどう考えているのでしょうか」といっておけばいいって。え?最近、うちの局って映画つくってるの?アニメ?じゃ、声優はやめて人気俳優にしてよ。だって、声優の名前なんてキャスターもコメンテーターも知らないよ。ちゃんとワイドショーで扱えるようにしてくれなきゃ。
ニュースのワイドショー化は大成功だろ。よし、スポーツもワイドショー化しよう。磨き上げた技をじっくり放送してもだめだ。大声であおれ、スタジオにキャスターをおけ、豪華なゲストを座らせろ、スタジオで理解できない話をするな。スポーツ選手って地味だな。よし、ラベル張れ。プリンセス。いいじゃないか。これはイケル。すべてのスポーツでラベル張りと絶叫を徹底しろ。
お笑いも低調だな。よし。ステージに立たせてコメディーなんかやらせるな。どうせあいつらにはそんな芸は無い。スタジオに呼べ。司会立てろ。適当に馬鹿笑いをあおれ。なに?これでもだめ?よし、カラオケ歌わせろ。
何?アニメが人気?よし、もってこい。司会立てて、スタジオに芸能人座らせろ。昔のアニメなら売るほどフィルムがあるんだから。細切れにしてランキング番組作れば何度でも使えるよ。
旅行番組?あー、だめだめ。その地方の文化とか紹介するなよ。視聴者が飽きるから。え?地元ゆかりの作家?ばかだなぁ。芸能人呼んで来いよ。売れない奴。たくさんいるだろう。家族ならギャラ安いからさ。適当におしゃべりさせてろ。
あ、いいわすれたけど人選わかってるな。何かに詳しい奴なんか呼ぶんじゃないぞ。「すごーい」だけ言えればいいんだよ。
アメリカに来て1年と半年が経ちました。
本当は、京都から東京へ出て、そしてアメリカまでやって来て、そこで新しいサービスを作るつもりだったんだけど、失敗した。
もっちーだって、なんの役にも立たないし。
やっぱ日本人同士は落ち着くわー。
それから、アメリカ人はやっぱりみんな老けてるね。やたらゴツいし、学生なのにもう額がハゲかかってる奴までいる。
夫婦と言えばやることはひとつだよね。
そう、セックス。
アメリカでは、避妊や浮気に厳しいんだけど、俺たちは大丈夫。だって夫婦だし。
だから、中出ししまくったよ。
アメリカでうまくいかないうさばらしに、毎日のようにSEXした。
アジア人はもてないっていうけど、夫婦同士行けばシリコンバレーだろうとどこだろうと関係ないよ。
だって、こんなアメリカなんてところにいたら、いじめられちゃうしw
父親がなじめなかったんだから、息子もなじめないに決まってるって。
だから日本に戻ることにしたんだ。
どうせ戻るなら、東京なんて陰気くさいところよりも、やっぱ京都だよねーってことで京都にした。
社員たちも京都に強制的に来させて、うちの会社への忠誠心を見させてもらった。
もちろん何人かはやめたけど、そんなやつら元から必要なかったんだ。
だから、俺と一緒に京都来たヤツらは、最高の部下だね。
ヤツは元ニートだから、「2倍金出すよ」って言ったらすっ飛んできた。
やっぱ金だよ。
これはアメリカで学んだ。
俺がアメリカで失敗したのは、金がなかったからだ。
金さえあればあんな連中に負けなかったし、新しいサービスだって作れたし、息子だってアメリカの学校に行かせられたんだ!
だから、俺はここ京都で荒稼ぎする。
成功したら、またアメリカ進出さ。
アメリカ行ったらまた性交して、あたらしい赤ちゃんが欲しいね。
勘違いしないで欲しいのは、アメリカ行ったのは失敗じゃなかったってこと。
子供もできたんだし、いいじゃん。
結局のところ、日本の指導的ポジションにいる老人達は円環的時間のなかに子どもを閉じ込めて、自分達の予期可能な範囲のことしか出来ない人々だけを生産したいってこと?
イノベーションとか口先だけだよね。社会を変革できるような人材、したいような人材は、叩き潰したいと思ってるんじゃないかというか。もちろん、子どもの親は、彼ら老人より若いので老人達とは考えが違うので、信用されていないし、決定権も奪われている。「モンスターペアレンツ」って、要はそういうことだ。親としての当然の権限・権利行使にはモンスターのレッテル。
梅田もっちーとか、エンタメとしては読まれても、あそこで肯定されているような人材がうまれやすい環境作り、なんて話は、フルボッコで否定だよね。うちの会社も、もっちーを社内講演に呼ばなくなったな。もっちーから切った可能性もあるが、どうも会社的にああいう話は禁句になったっぽい。一次元の価値観の中で、ある層以上は官僚か大企業サイコー、地方では地方公務員か教員、これ。そこからこぼれそうな人達は、それなりに。さらに下に非正規雇用。「けものみち」なんてものは、あってはならない。あったら生コン流し込んでおけ。「学習の高速道路」?日本にあるのはアメリカのフリーウェイじゃなくて、料金所がたくさんある有料道路。そして、学歴という通行許可証を集めないと、通ったことにはならない。
そして、ネットのコミュニティ、なんてものからは子どもを切り離せ!!!という大合唱。もちろん、大人になっても、ネットのコミュニティに参加しない、参加しても二次的、というのがいいこととされている。コミュニケーションは、地縁・血縁・学閥・職縁つながり。結婚はもちろん、そういう縁つながりの見合いが恋愛結婚より格上、ネット恋愛とかは論外、という価値観。
それで、どう世の中みんなが食っていけるのか、よく分からんけどさ、経済のパイを増やすよりも、そういう序列と秩序の維持のほうが上、という空気が、最近満ち満ちているように感じる。
発端:http://anond.hatelabo.jp/20071015230804
本当にオフる流れに:http://anonymasda.blogspot.com/2007/10/blog-post.html
参加希望者が何人かいるっぽい。
しかし当日になっても詳細未定。
仕方がないので勝手に詳細決定:http://anond.hatelabo.jp/20071117094915
12:00 渋谷ブックファーストでもっちーの本を読む。序章を読破。ぐーぐるってすごいんですね。独り。
12:15 ブックファを出る。独り。
14:00 解散。独り。
太一郎さんに裏切られた。ひどい。