はてなキーワード: うなぎとは
オライリー本の値段は高いが、質も高い。
自分の専門分野のオライリー本は必ず一冊は持っているのが当たり前だった。「サイ本」とか本にニックネームが付けられてそれで通用するぐらいに、とにかくオライリーの本はwebエンジニアにとって特別な本であった。そして時代は変わる。
日本語で出版されるオライリー本の価値がゆっくりと毀損する間に、技術評論社の書籍の評価はうなぎ上りだ。
うん、ここ最近ではHadoop本は秀逸だった。トレンド技術を捉えてうえで数年は価値が落ちない網羅っぷり。
まだ枯れきっていない分野で日本語オライリー本が存在感を示した最後の例になるかもしれない。
乱立するKVS分野において日本語オライリー本は無力極まりなしで目も当てられない。
cassandraがようやく出たがversion0.8だ。外人さんが書いた原本を数ヶ月から一年かかって日本語に訳し終わる頃には技術自体が進化してしまって日本語版が出版される頃には賞味期限切れ間近という切なさ。時代にそぐわないとしか言いようが無い。以前のように大型技術が確立されたら五年十年それで食えます!ってな時代じゃないんよ。PerlとかMySQLのような大型で枯れきった技術はなかなか出ない。ああそうだいまだにMongoDBの日本語オラ本は出ていない。英語ではもう4冊か5冊は出ているというのにだ。乱立KVSの先頭を走っているMongoDBについて紙媒体の情報がほとんど無い切ない状況はいつになったら変わるのだろう。
この手の話題になるとすぐ「紙が悪い!電子書籍わっふるわっふる!」と叫ぶ人がいるが問題はそこではない。英語を日本語に訳しているタイムラグが問題なのだ。そこに日本語オラ本の致命的な欠陥がある。
一昔前のように大型OSS技術が出て枯れきる、なんてことは滅多になくなってしまった。英語原本を訳してる間にも日々技術トレンドが変わってしまうんだ。なぜ日本人のほとんどは英語が読めないんだろう。文科省のせいにしたって何も解決しないけれど、webエンジニアなら英語ぐらい読めるようになれやお前ら。
おっと話がそれた。そろそろ技術評論社について語ろう。面倒なので三行で語る。
日本人のスタープレイヤーが書いた原稿を元に出版される技術評論社の書籍の評価が最近うなぎ上りだ。
特にWEB+DB PRESS plusシリーズはどれも凄まじい出来で恐れ入る。
公式サイト http://gihyo.jp/book/list?series=WEB%2BDB%20PRESS%20plus
ますます技術トレンドの移り変わりが激しくなった今、翻訳という形態の技術書の価値が無くなろうとしている。オライリーとて例外ではない。
オラの功績はすさまじいものがあるし、足を向けて眠れないぐらいなのだが、それでも俺はこのエントリを書かざるをえないぐらいに最近の日本語オラ本にはガッカリせざるを得ないのだ。
日本語の本は日本人が書けばいい。訳なんていらない。それが当たり前の時代がそのうち来るだろう。
あとwebエンジニアならいい加減英語読めるようになろう。努力すればすぐに読めるようになるさ、来年はそういう年にしよう。
じゃあおやすみお前ら。
よいお年を。
旨い飯を手に入れるのだ。
例えば生食できる魚を加熱調理に使え。自炊を始めれば分かるように、店頭にあるからといって新鮮は限らぬ。自炊なら食材の保管状況も考慮すべきだ。店頭できっちり冷凍されていた肉は衛生的には安全かもしれんが、生の状態で買ってきて即使う肉とレンジで解凍した生肉はやはり違う。
例外としては、漬物や「一晩置いたカレー」、煮物など時間を置いた方が味が浸透したり、それ以外の味の変化があって美味しく食べられる料理もある。
乾燥ニンニクより生を刻んで使うのだ。特に調味料、香辛料は基本的に購入してから長らく使うので、ある程度値段の張るものを使っても財布への損害は思ったより少ない。いつもより少し良い塩、砂糖、醤油、調理酒…。恐れずに使ってみるのだ。もっとも水炊きに米沢牛を放り込んでも意味が無いように、値段が高くても献立に最適でない可能性もある。比較の容易な指標になるとは言え、値段も万能の基準ではない。
同席者、食器(温度や構造)、季節といった要素は料理自体の味が変わらなくとも食べた時の「うまさ」に大きく影響を与える。仲の良好な妻や夫がいるなら一緒に食卓を囲むが良い。非モテ童貞喪女は友人に声をかけろ。多少なりとも配慮のある外食店であれば、熱い料理の食器は熱く、冷たい料理の皿は冷たくするだろう。余裕があれば一手間かけて食器を最適な温度にするがよい。例えばサラダは冷たい皿で、煮物は温かい器で食べた方が旨い。食卓、食器類は清潔にしておけ。衛生的にも好ましい。
季節、行事に合わせた料理や食材を選ぶことも重要だ。人間の感覚は雰囲気、気分、外部の環境によって大きく基準がブレる。風呂上りにビール、真夏に素麺、土用の丑の日のうなぎ。食べるタイミングや行事に合わせて献立を選んでみるのだ。
エヌ氏の一日は、「いいね!」ボタンをクリックすることから始まる。
「いいね!」ボタンは、エヌ氏が参加している仮想世界上の友達の日記やひとりごとつぶやき機能についているお手軽評価ボタンのことだ。
エヌ氏の友達は、熱心に仮想世界上の日記に日々のできごとを綴っていた。
朝ごはんに食べたもの、今いる場所、気がついたこと、天気のこと、猫や花の写真とありとあらゆるものが仮想世界上の日記としてほぼリアルタイムに書き込まれていた。
エヌ氏は仮想世界上の友達との友好的なコミュニケーションを円滑に果たすために、早起きしてエヌ氏が就寝してから起きるまでの間に書かれた日記にたいして、「いいね!」ボタンを次々と押していった。
本来は、どういうふうに「いいね!」なのかを感想コメントとして残すべきなのだが、何せエヌ氏が読まなければならない日記の量は膨大で一日のうちのかなりの時間をそれに費やしていた。そんな状態だったので、コメントを残さずとも、友達の日記を読んだ証拠を残せる「いいね!」ボタンはエヌ氏にとって、歓迎されるべき機能であった。
出勤前の30分の時間で、「いいね!」ボタンを押し切ったエヌ氏は、朝食も摂らぬまま駅へ向かうバス停へ向かった。
するとエヌ氏の仮想世界上の友達たちは、これまでのエヌ氏の「いいね!」行為への対価を果たすべく、「家を出ました」日記に対して「いいね!」を連発し始めた。
はたからみると、一体全体、何に対して「いいね!」なのかさっぱりわからないが、「いいね!」ボタンを介したコミュニケーションはエヌ氏の生活の一部となっていた。
バスに乗り込むとき、エヌ氏はバスのナンバープレートに書かれた番号とバスの形式を仮想世界上の日記に書いた。このナンバーのチェックはエヌ氏のライフワークだ。エヌ氏のこの日記に次第に「いいね!」が増えていく。増えていく「いいね!」の数を見て、エヌ氏は満足した。
バスを降りたエヌ氏は駅の立ち食いそば屋へ入り、いつものコロッケそばの食券を購入した。カウンターで食券と引き換えにコロッケそばを受け取ったエヌ氏は、隅っこのテーブルにコロッケそばを運び、携帯端末でコロッケそばの写真を撮りはじめた。エヌ氏は、そばを食べながら、器用に左手で携帯端末をあやつり、コロッケそばの写真を仮想世界上の日記として書き上げた。
当然、今年の初めからコロッケそばを何杯食べたかのカウントも忘れない。梅雨の明けたこの時期でコロッケそばカウントは65だった。
食事をこの日記に書き込むこともエヌ氏の大切な日課だ。エヌ氏は日記に書き込んだあとに徐々に増え続ける「いいね!」の数を見ながら、コロッケそばの余韻に浸っていた。
エヌ氏が朝起きてから、2時間が過ぎようとしていた。エヌ氏が見るべき新しい日記があることを画面が告げていた。交友関係が広いエヌ氏が見るべき日記の数は瞬く間に増えていく。
電車を待つホームの上でも、日記を確認し、「いいね!」ボタンを押す作業は続いた。エヌ氏はいつものように先頭から2両目の後ろよりのドアに並ぶと入ってくる電車の番号をチェックし、軽やかに日記を作成した。
日記を作成している間にもエヌ氏がチェックしなければならない日記の数はうなぎのぼりに増え続ける。電車に乗り遅れて遅刻しそうな人の日記に「いいね!」を付け、風邪でおなかを壊して寝込んだ友人の日記にも「いいね!」をつけた。ゆれる満員電車の車内で、つり革につかまらずに絶妙なバランスを取りながら、携帯端末を操作し、増え続ける日記に次々と「いいね!」ボタンを押して、日記を読んだことを示す証しを残した。
会社に着いたエヌ氏は、席につくとおもむろにパソコンの電源を入れ、社内SNSの画面をチェックし始めた。この画面にも「いいね!」ボタンが実装されており、次々と軽やかに「いいね!」ボタンを押し続けた。
会社の業績が落ちていることを示す記事、先輩が地方に転勤する記事、一身上の都合で退職することになった記事と内容のよしあしにかかわらず兎にも角にも「いいね!」ボタンを押し続けた。
プライベートな仮想日記とは別に取引先や同じ業界の人たちとのネットワークもある。社内向けの「いいね!」が終わると、仕事上のつながりのある人たちの日記に「いいね!」をつけ始めた。こちらはプライベートな日記以上に「いいね!」をつけるのに気を使う。付けもらしがあっては失礼だし、「いいね!」をつける人とコメントを書く人との間で差をつけてはいけないからだ。一応、社内の内規でコメントを書くことは作業負担も大きく、誤解を招く恐れがあるので、「いいね!」操作に限るとなっている。
ここまで仕事を終えたエヌ氏は、休憩のために喫煙室へ向かった。喫煙のための休憩はなぜか咎められないことになっている。
タバコに火をつけるのと同時に反対の手で、携帯端末から「喫煙室なう」と仮想日記に書き込んだ。
書き込んだあとから「いいね!」の嵐がやってくる。仕事中に増え続けた日記に「いいね!」をつけ終えるとエヌ氏は、喫煙室を出た。
エヌ氏はオフィスに戻ると、担当している商品のプロモーション用アカウントにログインしてみた。一般の人から感想や苦情が書き込まれることが多く、それに対してうまく受け答えをしなくてはならない。機転のきいたコメントができればいいのだが、うまいコメントが思い浮かばないときは、「いいね!」を多用した。そのときに最善の言葉が見つからなくても、会社として関心があることを示すことができる「いいね!」ボタンはエヌ氏にとっても会社にとっても都合のよいものであった。担当者が複数いても、それぞれの変な個性がでることもなく穏便にアカウントの運営ができた。
「いいね!」ボタンの操作に夢中になって仕事をしていると、とうに昼食の時間を過ぎていた。
カフェテリアでB定食を選び、デザートのショーケースから日替わりプリンを手に取り外の見える席に腰掛けた。昔は同僚と食事をともにすることが多かったが、今では食事の時間も貴重な「いいね!」タイムとなっている。プリンを食べた数をカウントするのもエヌ氏の重要なライフワークとなっている。プリンのカウントは89だ。日記のタイトルにカウント数を入れて、写真を撮って日記を作成した。
先ほど、休憩したときに「いいね!」チェックをしたにもかかわらず、すでに二桁以上の新しい日記がエヌ氏の携帯端末の画面にはあった。
この日記の未読を消化することはエヌ氏にとって大変に重要な関心事である。しかも読み逃げするわけではなく、「いいね!」をつけるのだ。
「いいね!」をつけることは信頼とコミュニケーションの証しであり、エヌ氏にとっては生きがいだ。
食事のあともエヌ氏は的確な操作によって、「いいね!」ボタンを次々と押し続けた。それは仕事の一部でもあり、趣味の一端でもあった。
画面を更新するたびにあらわれる新たな「いいね!」ボタンがある限り、エヌ氏の仕事は存在し続けるし、エヌ氏の存在意義も大きなものになる。
日もとっぷりと暮れたころエヌ氏は会社での仕事を切り上げ、帰路の電車の中にいた。朝と同じ車両に陣取り、携帯端末の「いいね!」ボタンを押し続けた。「いいね!」ボタンをたくみに使いこなすエヌ氏は、仮想日記上での評判がすこぶるよかった。仮想日記上でエヌ氏と知り合うことができれば、自分の日記にエヌ氏からの「いいね!」の評価が必ず入るからだ。
エヌ氏の「いいね!」の評価は呼び水となりほかの人も釣られるようにして、「いいね!」ボタンを押してしまう。エヌ氏の周りには「いいね!」の好循環ができているようにみえた。
帰宅したエヌ氏は、就寝までの時間を使って、仮想日記の新着のチェックを始めた。帰路の電車やバスの中でもチェックをしていたのだが、小さい画面では、日記の消化に限界がある。エヌ氏ご自慢の32インチの薄型画面を使っての「いいね!」ボタンを押す操作はとてもはかどるのだ。
時計の針が次の日に変わるころにエヌ氏の一日は終わる。しかし、エヌ氏が寝ている間にも世界は動き続け、無数の「いいね!」ボタンは増え続ける。
ぜひ、一生に一度でいいからお兄ちゃんと呼ばれてみたい。そう、お兄ちゃんそれは実に素晴らしい響きではないだろうか
おにいちゃん…
お・に・い・ち・ゃ・ん
いや、にいにいも捨てがたい。あにきでもいいな。
死ねっって語尾にもう、そのまま屋上からだいぶして喜んでしまいそうですよ本当に!
僕の友達には妹もちが多いので、リアル妹なんて糞だといい、姉に走った不届き者がいる。
なにしろ、妹に踏んづけられたり罵倒されたりしているらしいですよ。
…私たちの業界ではご褒美なのではないでしょうか? ちっくしょうめ!
とにかく、僕も妹がほしい!
仮に、お母様にお願いしても離婚していて相手がいないから無理なのでそんなお願いはできないし…
紳士諸兄の方々は僕の活躍に期待されるかもしれませんが無理です。
お、お嬢様とか俺が結婚してえよ。うわああああああ、純真なんだろうなちくしょうが。爆発しろ!
そう! これは僕にも妹ができている可能性があるのだ!
そして! めちゃくちゃ可愛い美少女で純真無垢。そして、謎の存在のお兄ちゃんについて興味を持っているかもしれない!!
そして、ロリババアのお義母様が僕を思って濡らしているかもしれない!
まってろ! 今迎えに行くからな!!
父親への復讐も兼ねて、いろいろやっちゃうぞお兄ちゃん。
お嬢様ですよお嬢様。そりゃもう、男と接点がなく育てられてえろえろの美人さんに育ってるに決まっているじゃないですか!!
うおおお、エロい腹違いの妹を自分色に染め上げる。テンションうなぎのぼりですよ。そりゃもう、これなんてエロゲ状態ですよ
…自分の顔をよく見てみろって?
いや、多分僕の親は観たことないけどイケメンだし。ご令嬢と結婚できるんだからイケメンだし!
…ご令嬢が綺麗だとは限らないって?
いや、見たことないから。
見たことないからっ!!
…見たことないということは
つまり…見なければ、可愛い僕に興味を持っている妹がこの世界の中に存在し続けるという訳ですね!!
つまり、見なければ僕に興味を寄せている二人とハーレムな世界が広がるわけですね!
炉利義母と炉利妹とか俺得すぐるwwwwwwww
うはっwwwwwwwww
これで俺はあと10年戦えるな。頑張れ俺のパパン!
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煽ることで、+であれ、−であれ、知名度はあがるので、サービスをリリースすれば、人が集まります。
普通の人間なら「このエントリーアップするのはどうだろう」と思う意見でも安心のセルフ3Usersブクマを繰り返しましょう。
まぐれあたりがあった時に、寛大なはてなーは「やっぱいいとこあるな!」とみなおしてくれます。バカ丸出しですね。
無闇に宣伝するのは悪と思うのはやめましょう。宣伝はまっとうな行為です。宣伝するものがまっとうである限りにおいて。
宣伝をためらう方もいるかもしれません。でも、ソクラテスが毒杯を飲まずに哲学を続けていたら、人類の思想史にどれだけのものを残したか?
を考えれば、そんな戯言は言ってられないはずです。悪貨が良貨を駆逐するのは、悪貨の方が量が多いからです。
良貨をつくれるギークたちがおとなしくほそぼそとやっている間に、うんこスプリンクラーはさらに半径を増大し、世界中にうんこを撒き散らします。
そうなる前に、いいものをつくれる人たちは適切な自己顕示欲を持って、自分のサービスをつくり、宣伝をしましょう。
あらゆる広告チャネルを使って、サービスを伝えましょう。学んだ技術はネットでシェアしましょう。スゴイ技術者として、勉強会をひらきましょう。
ツイッターで何気ない日常を報告しましょう。そうすることが、うんこスプリンクラーに対抗する唯一の手段です。
ヒーローが悪者の技をラーニングするように、えがちゃんのあざとい宣伝の必死さは真似るべきです。
もちろん、このエントリーの本旨は力のある技術者への宣伝のススメとえがちゃんへの皮肉です。
終わり。
ここで挙げられている母親像にリアリティを感じられないんだよなー。
けど、一つ一つだけならともかくこれ全て兼ね備えるとなるとこれなんて非実在母親という感想しか浮かばない。
低学歴なのに夫の給料だけで子供を中学受験させられるレベルの生活をしている、と言う時点で超勝ち組だよ。
そういう母親の周囲は「金が無くて結婚出来ない、子供作れない」「子供居ても共働きで食うのがやっと、中学受験なんて考えもしない」と言う人間だらけだ。
でも自分は生活の心配なく子供の中学受験を考えられる身分なわけだ。
コンプレックスなんてあるわけない。
彼女らが受験に必死になる理由はただ一つ、「周囲(夫や義親など)が中学受験合格を当然視していて、失敗したら自分が責められるから」だ。
自己実現などではなく、他人からのバッシング回避というネガティブな理由だ。
だからそれを正そうとするのなら「母親は子供以外の自己実現を見つけろ」ではなく「夫も受験(しいては子育て全般)に関われ」「全てを母親のせいにするな」だろう。
そもそも、中学受験の動機そのものが大抵はネガティブな理由だ。
「子供を高学歴にして一流の職業に就けたい」のではなく「子供をニートフリーターにしたくない」んだ。
「名門中学に入れて『あの名門校に通わせている親』としてでかい面したい」のではなく
「学区の公立中学はDQNや劣等生の吹き溜まりになっているから通わせたくない」んだ。
「より上を目指す」のではなく「最下層になる事を防ぐ」為だ。
(超難関校ならまた別だろうけど、増田の塾にはそういう層は少なそう)
一昔前なら大多数が公立中学に行ったから公立が吹き溜まり化する事もなかったし、
高卒でもそこそこ食えたのに、そんな時代ではなくなってしまった。
地域によっては「普通の子は中学受験して当たり前、しないのはDQNか劣等生か貧乏人だけ」になってしまった。
ここからは暴論だが、もう大多数の私立中と私立大学潰せよ。そうすれば「中学受験当たり前」「大卒で当たり前」じゃなくなるから。少子化も解決するよ。
は?
根拠がわからん。
単に『自分より年下の教師に子供の勉強を見て欲しくない』と言っているだけのようにしか見えないが。
アホだろ。
アホだな。
TwitterのTL上では、@masasonさんなどが、教科書の電子化について議論していますが、もうひとつ見落とせないもの。
S県のとあるブロックにおける、年齢構成をみると、50代以上の教員が全体の40パーセントを占めています。(おそらく全県でも同じだとは思います)
逆に言うと、10年後の学校は、経験が10年以下の若造が40パーセントを超えると言うことです。
経験豊かな教員がどんどん減り、実践もまだ浅く、まだまだ一人前とは言えないかも知れない教員がどんどん増えてきます。
おそらく教員の不祥事の件数もうなぎ登りになるでしょう。若い人しかいなくなるんですから。
ちょっと怖いです。校長と教頭以外の教員が保護者よりも年下ということもあり得るかも知れません。
しかしながら、次のようなメリットも考えられます。
・柔軟な考え(というかまだ自分のスタイルを確立してない)を持っているので、情報化などの波を起こすなら今。
@masasonさんが提唱する、教科書の電子化について、今の現場に持ち込むのは絶対に無理です。
自分のスタイルを確立した教員は、そのスタイルを変えることを嫌います。
教員の職務は経験勝負である部分が多いので、わざわざ経験値をゼロにすることはしません。
やるなら文科省が「紙は禁止ね。これから全部iPadにするから。」とか言わない限り無理です。
教科書だけの問題で、教科書の電子化を考えると絶対に失敗します。
今話題の電子黒板、あれ、若い人たちとか、ICTに明るい人は使いますよ。それこそガンガン。
逆に、定年間近な方はほとんど使いません。ビデオ見るときに使うとか、大きいテレビ代わりとしてしか使いません。
しかしながら、若い人たちの間では、電子黒板を用いた授業スタイルを確立させようとしている人もいるでしょう。
私立の学校では、前と側面、計3面にスクリーンを展開して授業を行うクラスだってあります。
そして、今の小学生にとっては、教科書よりもプロジェクタで大きく映し出された情報の方が好きです。
電子黒板に教科書を実物投影機で映した方が、教科書を広げさせるよりも子どもたちの食いつきは良いです。
しかし、電子教科書が有効なら、とっくに塾で採用されているはずなんですよね。
あそこって、無駄を思いっきり省いて、勉強だけする場じゃないですか。
そこになんらかの理由があるのではないでしょうか。
そこら辺を解明していかないと、何でも図鑑のデータ版としての電子教科書以外の価値が見いだされないのではないでしょうか。
戻します。
教員は若いやつしかいません。
なんかいろいろデジタル化してるかも知れません。(とりあえずiPadとDSでたとえます)
子どもたちも、紙なんか見ません。紙を使うのは図工で印刷するときだけかも知れません。
連絡網なんてありません。一括送信です。
iPadは母艦として学校に置き、DSみたいな小型のものを子どもたちが持ち歩くことになるとしましょう。
宿題はDSに先生が無線で配布して、家のパソコンに展開して行い、自動で丸付けと提出状況がチェックされます。
もちろん親はケータイで提出状況をチェック、家での指導に役立てます。
漢字練習は努力しないとだめなのでノートを未だに使っているかも。
そんな教育現場になっているかもしれません。
いったい学校では何を学ぶのでしょうか。
川沿いを走っていったのだが、平日にも関わらず結構たくさんの人が川沿いを歩いている。
彼らはいったい何の職業に就いているのだろうか。
おじさんが多いが、ロードバイクに乗ってる人も何人かいる。
到着してみると思ったより汗をかいている。今日はいつもよりも暑いようだ。
綿のシャツではなくもっと発汗性のいい素材のシャツを着て行くべきだった。
帰りが夕方になったので商店街では多くの人が自転車に乗っている。
信号をほとんど見ていない人たちばかりなんだけど、この状態で事故が発生しないほうが不思議。
台湾産は初めて見るが、味は普通。中国産よりはあっさりしていて日本産に近いような?気のせいかも知れない。