はてなキーワード: 文学作品とは
元増田の「ときめく」は、自分の中では「戦慄」に似てる。高ストレス下におけるアドレナリンの興奮作用?とか。
一方、自分の「ときめく」は、もっと微少な感覚で、温かい感じ。感心、感動したことによるエンドルフィンの放出みたいな。
ただし、ホルモンやそれによる身体的反応と同じく、それ(その反応)をどう本人が自分の中で意味づけているかが重要、とする学説もある(シャクター、シンガーの実験等を参照)ので、元増田がそれを「ときめき」だと捉えていたとしたら、それはそれで構わないんじゃないかな。
ただ、他人の書いた文章や文学作品を読んで共感しづらい、ということは起こってくるかもしれないので、それはまあ弊害っちゃ弊害ですね。
いえいえ、反応してくれてありがとう。
その先生は文学部(英文科)の教授で、理系の必修の英語の講義を受け持つこと自体が珍しかったのだけど、
(他のクラスは講師とか非常勤講師とかもっと若くてフットワークが軽い感じの役職だった)
同じ大学っていっても小さな大学で学部間の教授の交流はないのもあり、
「理系=シコシコお勉強するばっかりのつまんないやつ」って意識が講義の合間の人生訓にでてきて
それがむかつくんだわ。
講義自体は真面目な英語の授業で短いながらも文学作品を選んできて一年間かけてやってくれたから、
問題無いんだけどね。
あんまり、僕個人の意見を通したいとも思わないし、議論になってしまうの好きじゃないから、簡潔に僕の感想だけ書くよ。
ふーん、この元増田はこんな意見なんだー、と軽く流してくれたらおkです。
「熱狂の本質」って言葉は「熱狂した原因」って意味じゃないってことにも留意して読んでくれたらうれしいです。
論破しようとかしないでね。
おねがい。
どっちなんだろうね?
文学作品とかで言われるように、読者がいて初めて作品であって、ただのテキストでは盛り上がりってないと思うのです。
そういう意味で、両者があって初めて盛り上がったんだと思ってる。
我々ファンがいなかったら、時間の共有がなかったら、絶対にこんな熱狂は起きなかったし、作品がしょうもなくても起きなかった。
盛り上がり具合と、作品の質のバランスがとれてるか? って点に疑問をはさむ人が多いからアンチと信者が争うのだろうけど、
それは置いておいて、どちらもよかったから盛り上がったのだと思うよ。
これはねー。
増田さんがおっしゃってることに内包されてるけど、
""俺は大半の熱狂には「本質」なんてのはないと思うけどな。ただその時の流行にがっついた結果生まれる共通体験の虚像みたいなもん。""
まさにこの辺がポイントだと思うよ。
「その時の流行にがっついた体験の共有」みたいなものこそが、僕が考える熱狂の本質であって、
それは虚像であって本質ではない、とするなら、その熱狂に本質なんてないんだと思う。
ただ、あの時間を共有したものにとっては、「あの時間」そのものがまさしく、熱狂の本質だったと思うよ。
時間そのものが本質であり虚像であるものって、青春とか、文化祭とか、阪神の優勝とか、(一部の)恋愛とか、似たようなものがあるかもね。
それが虚像だからって、あとから大事じゃなくなるわけじゃない、って点でも。
「違うね。夜中に一人でDVDを観ていたらいてもたってもいられなくなり外に出て走り出す。これが熱狂。増田のはただの思い出づくり。宗教が足りない。僕はシムーンがあればいつだってあと10年戦える。」
ってブクマがついてるけど、これには正直、謝るしかないと思ってる。
だから、本質であり、虚像であり、虚像であっても大事なんだよ。
わかりにくいことばっか言って、お目汚しすいません。
あんま簡潔に書けんかった。
・成績がいい
・寡黙
・眼鏡
・インドア
・痩せ型
・理系
・繊細な文学作品を好む
・クラシックを聴く
・ピアノが弾ける
・色白で肌がきれい
・私服も襟付き
っていう男子が居るんだけど
エロ本とか持ってたら嫌だなあ
データとして持ってるだけでも嫌だなあ
実写でも二次元でも嫌だなあ
興味持ってても嫌だなあ
本当に格好良くてマジで好きだったんだけど
話しながら歩いているときに3cmぐらいの段差でつまづいて
転びそうになって「おっふ」みたいな変な声をあげた
たったそれだけで激烈に冷めてしまって心底悲しくなったのを思い出す
小5の頃の好きな人は運動神経を理想化しすぎてドンくさい姿が受け入れられなくて
って言うか、僕の中では美人な日本人女と美人な白人女だったら少なくとも話しかけると言うハードルにおいて後者の方が圧倒的に楽です。
アメ女やユーロ女は会話するだけならとりあえずフレンドリーで僕とセックルする気が全くなくても楽しく話してくれることが非常に多いからです。
ところが、美人な(不美人も!)日本人女は時として「私みたいな高めの女にあんたみたいな下衆野郎が気安く話しかけるな」と言わんばかりの完全な無視とかを公衆の面前で平気やってくれるので凹みます。
Failure is just a part of the game.
ところで、女性を口説くために必要な英語力と言うのは相当に高度です。
僕的には恋愛映画のDVDを片っ端から借りてきて英語字幕にして見まくると言うのが最も良い勉強法だと思います。
そこで出てきた使えそうなフレーズとかをノートに取ったりして覚えていくのです。
この方法を続ければものすごい英語力がつくことを保障しますが、如何せん莫大な時間がかかるのが難点です。
暇な学生は挑戦してみてください。
忙しい社会人や映画が好きじゃない人はもっと手っ取り早く勉強するのも良いでしょう。
僕としては西森マリー氏の「愛の殺し文句」は秀逸です。
映画や文学作品の中の珠玉の名台詞がおしゃれな解説とともに集められています。
しかし、「愛の殺し文句」は読み物としては秀逸ですが、如何せん映画の中のかっこいい場面でのかっこいい俳優や女優が言う台詞ですから実用性が乏しいと言う欠点があります。
こっちの本は実践的で僕は結構好きです。
CDもついているので通勤時間等を利用してどんどん覚えていきましょう。
一般に日本人男にとって、米国や欧州の先進国の白人女はもっとも難易度の高い部類に属します。
(ちなみに同じ先進国白人女でも通常ブロンドは別格扱いです。同じ顔ならブロンドの方が2ランクは上と理解してください。)
僕たちのようなグローバル恋愛市場のプレイヤーの間でも欧州先進国の水準以上の女をゲットした時にはかなり高い評価を受けるのが普通です。
この辺の人種的、文化的な話題に関してはまた、今度じっくり議論するとしましょう。
最初は、映画や僕が紹介した本でじっくりと愛の英会話を勉強して、フィリピン・パブあたりの新興市場(Emerging Market)から投資を始めるのが良いかと思います。
しかし、あるレベルまでがんばって駆け上がれば後は自然と楽しみながら英語力が高まって行くものです。
それでは、みなさん、
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/50078539.html
地方の、あるトップの公立高校にいた僕は、ドストエフスキーの「地下室の手記」の主人公よろしく病んでいた。周りの同級生達は、とりあえず旧帝大、医学部、ってノリだけで生きている連中だった。教師は学歴の崇高さをアジることしかしない。全く、憎いほどに均一的、よく出来た社会と成員。「ディシプリン?あぁ、discipline? シス単第何章だっけ?」ってね。僕だけは違った。僕は彼らにはない、「教養」を持っていた。文学作品はおそらくその学校の誰よりも読み込んでいただろうし、人文学、社会学の古典もなるだけ消化使用としていた。古典芸術に思いを馳せながら、少女漫画や古いアニメ作品は必ず手の届くところに置いておく。つまり僕は「崇高な」悩める17才だった。ま、それだって、今からしたら、ばからしいことでしかない。周囲との何となく縮められない距離感に対する幼稚な当てつけだったんだ。周りの愛すべき同級生達、教師も、それぞれの現実を生きようと必死だったのだから。僕は虚しい観念論者だった。
反省しているようで、まだ相変らずだけれど。
初期の話こそ魔獣とのバトルや星の戦士の秘密に関する話が多くを占めていたが、中期以降で前述の社会風刺やパロディが主体の、ナイトメアとの対決という番組の本筋は直接関係ない話が増え始める。
作中のプププランドにはコンビニ、自動車、テレビなどが存在し、これらが作品の世界観を現実世界に近づけている。
また、話によっては社会風刺を活かすために食糧不足、温暖化、オゾン層破壊、教育への不安、テレビ番組の情報捏造、捨てられたペットの野生化、 箱物行政など様々な問題がプププランドでも起こっているという設定になっている。
作中で取り扱うパロディのジャンルは多岐にわたり、映画「サイコ」「モダン・タイムス」「生きる」、文学作品「ドン・キホーテ」「1984年」といった有名どころの作品は余すところ無くカバーされている。
また、社会風刺と共にメタフィクション要素が非常に多いのも特徴である。
中にはアニメ制作を題材として現在のアニメ業界に対する批判を行う回もあり、「好きで(アニメーターを)やっている連中は給料が安くて済む」「こう言う(しゃべっているだけで絵が動かない)アニメは安く作れるね」(第49話)や「(3DCG技術の発達により)セルアニメーターは大量絶滅。アホ監督はのたれ死に」「夢より利益を上げなくては」(第89話)などの台詞がある。
それはつまり、通じりゃ何でもいいんだよ! ってことだろう。
確かに、そういう人はいる。だけどそれは、かなりみっともないことだよ。
あるよ。でも、みっともないと思ってないし、笑うなら笑う奴が悪いというだけの話。
俺は別にハリウッド映画に出ようというわけじゃない。言語や文化に依存しない科学技術を語ろうとしているんだ。その場で使われる言語が「英語」であるというのは単なる英語話者の既得権にすぎない。それ自体が本来は不公平なことなのは明らかだろう。原則論を言うならば、他人に英語を話すことを要求するならば、奴らは質の高い英語教師を自腹で派遣してさらに報奨金を払うぐらいのことはすべきだ、ぐらいのことは言えるんだぜ。
だからこそ、ちょっともののわかった人間なら、他人の英語を馬鹿にすることなんてしない。
当たり前だろうそれは。もし、中国人や韓国人がやってる中華料理店や焼肉屋に行って、店の人間のカタコト日本語を馬鹿にする日本人がいたら、そんな奴は軽蔑されるだけだ。料理店は飯がうまけりゃいいんだよ。それに対してこちらは金を払う。それ以上のことはおまけに過ぎない。
商売という「郷に入れば郷に従え」的な状況でもそうだ。まして学問の世界には「郷」はないんだよ。
よほどの天才か、よほどのお人好しか、どちらかでないか言えないと思う。
そりゃあんたの言ってる英語は「英米豪あたりの現地語としての英語」だからだろう。俺が言ってるのは「大人の事情で世界語の代用扱いされてしまっている英語」なんだから要求されるレベルが全然違う。
論文と公文書を一緒にする神経が理解できない。公文書というのは揚げ足を取る/取られないために書く文書だが、論文は本質的なところがわかれば細かいところはどうでもいいという文書だ。
むしろ公文書なら国際教養大だろうがどこの出身だろうが日本人には余程のことがない限り書かせたくないよ。まあ俺の書く公文書なんて特許ぐらいだが、日本人が訳したとおぼしきひどい翻訳が回ってきて往生することがあるんだよ。まあ、大抵の場合は英語の問題というよりも内容を誤解されているという問題だがね。いずれにせよ、本当のことを言えば日本語がわかる英語ネイティブに多少の金を払ってでも書かせた方がいい。その方が、後で校正する手間が省けて、結局は総額でのコストは減るはずだからね。
まあ、公文書であっても、日常会話や文学作品に比べれば圧倒的に簡単で、本質的には論文と五十歩百歩の世界なのは確かだけどね。所詮、論文やら公文書やらの言語は、用途が限定された「人工言語」みたいなものだと思った方がいいよ。日本語でもそうだろ。「ゆえに」だとか「~は、これを~する」とか、日常生活で絶対使わんだろ。
ところで、用途が限定された人工言語といえばプログラミング言語がその最たるものだ。あれって英語をベースにできているものが多いわけだが、まさか「英語ができない奴がプログラムコードを書くなんて神経は俺には理解できない」とか言わないよね?
なんだか話がずれちゃったけど、英語を学ぶ、ということも、高度な「専門知識」を要するのです。
完全を期すなら、片手間にはとてもできないことだ。
だから、それを専門にする学校があってもいいじゃないの、と俺はいいたいんだけど、
審査員やった。審査員は普通、各学校の国語の先生。(俺は違う。)方式は出された作品約300を10組*4人くらいで30作づつ読んで各組上位4作品くらいを今度は40人の教員全員が読んで1-10の点数をつけて平均点の高いのが入賞。ちなみに原稿5枚が制限でもし2枚しか書いていなかったらその時点で落とされる。
で入選するためには
1。昔の課題図書はえらばない。特に数年前のとかは、もう選ぶ側の審査員が飽き飽きしている。「一瞬の風になれ」とか「夏の庭」とか、課題図書は単純な話が多いので似たような感想になり審査員はあきあきしているので感想文自体の出来が良くてもこれは昨年も同じような感想があったとなる。
2、「人間失格」はやめておけ、あれもとにかく毎年毎年読むひとが多いので、審査している方は辟易している。
3、難病、不治の病になって回復する(もしくは回復しない)本はやめろ。ただでさえ暗い話が多い文学の感想の中さらに暗い話の感想は審査員をして(もういいよ!)となる。
4、奇を衒った本(タレント本、やハウツー本)はやめろ。単純に国語の先生はそういう本にいい印象を持っていない。
5、誰も知らない様な本はやめておけ、これは上記よりはましだが、どんなに感想文自体がうまくても、その本を誰もしらないのでなんとなく入選には推しにくい。
6、結論的には、「今年の課題図書」で書け。話が単純なものが多い課題図書なので素直な感想がかきやすく、審査員も飽き飽きしてない上に、「課題図書から入選作を出さなければならない」という縛りまである。今年だったら「「ハサウェイ・ジョウンズの恋」なんか話も面白く感想も書きやすい。今回の例を出すと課題図書で感想文を書いた人は全県で10人くらいしかいなかった、その中から入選3人のうち2人が課題図書だった。これは偶然ではなく必然。こんかいは課題図書が自然に入選したが、もし点数が入選に達していなくても、強引に下位からいれかえて1人入選させなければいけない。
俺は読書感想文とくに、学校教育の中で書かされる感想文なんてなんの益にもならないと思っている。国語教育でなぜ文学作品の感想なんて求めるのかが謎。
好きな本を好きなように読むのがいいし、こういう読書って必ず文系に偏るので小さい頃図鑑やブルーバックスばかり読んでいた俺にとっては無用の存在でしかなかった。こういうノウハウが広まればこういうコンクールはなくなるか縮小の方向になるかもしれないのでアノニマスで書いてみた。読書感想画コンクールは面白いと思うのだが・・。
あのね、増田、極端に話題をずらしたら、それは主題がずれていると言われても仕方がないんだよ
例えば文学作家の名前をpixivで検索すれば、そこそこヒットするんだよ。その作家さん自身の肖像や、その作家さんの作品をテーマにした絵もね。
まあBLに関したらそりゃ知らんが
文学作品をテーマにした絵があるからといってそれがBLの発展に寄与するのかな?文学作品でBLも1ジャンルとしてあるけど、それが何かチボー家の人々を持ち出す正当性になるのかな?
そして何故BLに関しては知らない、とくくってしまったのかな?そこの話をしてたんだよね?
http://anond.hatelabo.jp/20091027203555
このテの作品に明るい作風のものが割と増えてきたように思うのですよ、pixivなんかを見てるとね。
と一番最初に言い出してBLの話をしはじめたのは増田で、この時点で「pixivなどで発表されているBL」に話題が絞られたと通常の人は判断するよね
http://anond.hatelabo.jp/20091029033855
というか、現実に即したなんちゃらとか救いのないなんちゃらってのはただの1ジャンルにしかすぎないでしょ。
高度も何もないっての。ただのエンターテイメントだよ?
と、彼女は増田の問題提起に即してBLの1ジャンル/現実に即したなんちゃらとか救いのないなんちゃらについて言及したわけだ。それは次のステップではなく、1ジャンルでしかないのだと。たとえ現実に即した救いのない暗いBLをテーマにしたとしても、それだけでは次のステップだとは呼べないのだと。
なのに増田の返しはひどい。ほんとうにひどい。
フランスのマルタン・デュ・ガールって作家が書いた『チボー家の人々』っていう小説は、同性愛がテーマになっていながらも高度な精神性を世界に認められたエンターティメントなんだけど。
まあ貴方が言ってることも割と極端だよね、って話。
馬鹿。もうほんものの馬鹿。何かを言い返したいが為だけに別にチボー家の人々はpixivBLの人たちと同じ観点で描かれたものではないのに持ち出してきた。
しかも的を綺麗にはずしている。単にチボー家の人々が高いステップにいる作品であると増田は言ったに過ぎない。そのジャンルそのものが次のステップだなんてことを証明してない。
で、それを端的に指摘された返しがこう。
まあ私も同じように極端だ、という話。
という話って君、そんな話じゃなかったよ。増田が極端なアレのはそりゃまあそうだろうけど、そんな話じゃなかったよ。
「まあ」とか「という話」「って話」という言葉を使ったって、くくれてないものはくくれてないっていう当たり前のことには気づこうね。
そしてくくれてないものをくくれてる顔をしてる時点で、その文章には増田自身の判子が押されているも同然なんだ。
http://anond.hatelabo.jp/20091028202023
でも昨日このツリーで散々色々言われておいてまだうにゃうにゃ言っているのはすごい。頑張れ。
ちなみにチボー家の人々を持ち出したのは明らかに失敗だ。改めて見てみたら増田よ、プロタゴラスで同じこと言われてんじゃねーか!ばかばか!学べ!
わけがわからないなwww
だからどうした? じゃあたとえば、印象を残さないように描写すればいいとでも?
この文章の中の「彼女」は美しい。まるで文学作品の主人公が恋する女性のように。でも「彼女」は本当はそんなに美しくないかもしれないし、
描写された「彼女」の美しさは、ひとしきり泣いた後にまた進みだすときの「凛とした顔つき」の美しさだ。それは「僕」が感動して見出した美しさなのだから、ほかの人間が「美しくないかもしれない」といっても意味はない。
少なくとも人並みに汚く臭い面を持っているはずだ。にもかかわらず、この文章はそれを感じさせない。
「汚く臭い面を持っている」からといって、それをたやすく他人に見せているようではただのバカだ。他人である「僕」がそれを描写しないのは当たり前である。もちろん長く付き合えば汚い面を垣間見ることもあったろうが、文章の本題に絡むのでなければそれをここで書く必要はない。
「作者が描かない『彼女』の生活」が想定できるからこそ、生活の中で「変わりたい」「自分が不甲斐ない」ともがいてそこから立ち直る美しさが存在できる。また「作者が描かない『彼女』の生活」が想定できるからこそ、それとは違う性質を持つ「僕」と「彼女」の関係が際立った印象を生むのだ。それらを感じないのに「非常に印象的に描写されている」だの「この文章の中の『彼女』は美しい」だのとなぜ言っていたのか。なーんにも考えずに言っているのかね?
要は「存在するはずの汚い面を描かないのなら、それは人間性を無視することだ」「対象の私的な生活をリアルに描けないのなら、それは自己陶酔だ」と言っているわけだが、そんな物言いは「人間性」を「汚く臭い面」からしか感じることができず(くだらない話をしたりテレビを見たりゲームをしたりする「人間性」はないのかよ)、人間関係に「私生活まで把握するような理解」か「自己陶酔」の2択しか設定できないからこそ出てくるのだ。つまり「人間性」と「人間関係」の定義が異様なのである。全くもって理解しがたい。
【追記】あ、消しやがった。http://anond.hatelabo.jp/20091016211552のツリーの中にはまだいるんだけど。
笑いたければ笑え的なタイトルにしてみた。
マンガしか読まない典型的な活字離れ世代の俺だが、それでもどうにか自分の気持ちを人に伝える程度の文章ぐらいは書けるようになったようだ。
夏目漱石とか芥川龍之介とか、ああいう文豪と呼ばれる人たちの長ったらしい小説を読まないと文章なんて書けないと思っていた。
これはどういうことだろう。
増田で投稿する俺のエントリーがよく当たるのだ。文学作品に触れる機会なんて無かったわけだから、難しい比喩表現のストックも無ければ四字熟語や諺に強いわけでもない。
それなのに、100ブクマ以上ついたエントリーの方が、それ以下のものよりも多い。
断っておくが、「○○するためのたった一つの方法」といった、無能御用達の3流ビジネス啓発本(サンマーク出版とかが出してるようなやつ)のようなTIPSでブクマ数を稼いだわけではない。
自分の失敗談や、価値観や人生観をつたないながらも実直に表現してきたつもりだ。
あれ? 俺ってなんか凄くね? そんな俺が今から本を読みまくって、賢くなったらもっと凄い文章が書けるんじゃね? とふと思ったの。
まぁ、はてブのユーザーから共感得られたってそれが読み物としての面白さのバロメータってことにはならないんだろうけどさ。
ただ、一つだけわかったことは、本は一切読まなくても他人から共感を得られる文章は書けるようになるってこと。ブクマは、やっぱり沢山付く方が嬉しい。
文学作品なんてロクに読まない俺だが、ふと読みたくなって村上春樹の「ノルウェイの森」を読んだ。
(特に大きなネタバレはしているつもりがないが、まだ読んでいなくて、これから読むつもりって人は、以下の文章をよまない方がいいかもしれない)
どうも納得がいかない。全体として、一体何が言いたかったんだ? 生と死がうんたらかんたら~、と作中に書いてあった。それが全体のテーマになってるってのはなんとなく分かったが、ただそれだけ? 終わり方も、結局どうなったのか分からないし、回想と現在の間がすっぽり抜けているし、伏線らしきもの(永沢さんが「いずれ会う気がする」みたいに言ってたとことか)も、回収できていない気がする。なんか、途中で打ちきられた漫画のような無理矢理な終わり方に見えた。面白かったことには面白かったが、非常に面白かったかというと、そうでもない。表現方法や文章などは非常に上手で、ちゃんとした文章に降れておかないと、そこらへんのブログや技術系書籍じゃお目に掛かれないような表現で、面白い。文章がうまく、読むのが苦にならない。けど、前述の通り、全体として結局何が言いたいのか分からないし、そんなのなので、読後の感想といったものも「よく分からない」の他に特にない。
現代文は、どうしようもなく苦手ってわけではなかったが、そこまで得意ではなく小説よりも論述文の方が得意だった。人の気持ちを考える能力には自信がないが、それでも文章を読む能力自体はそこまで低いとは思っていない。少なくとも、自分では「それなりに頭はいいつもりの人間」であるだけに、自分の脳が日本人の平均以下だとは思いたくない。
文学作品ってのは、読み慣れていない人が読んでも、何も分からないのではないか。読み終わって何らかのそれらしい感想を述べる人は、そういうのを読み慣れているか、なんとなく分かったふりをしているかどっちかなのではないか。
「ノルウェイの森」は、結構ヒットしているらしいが、読んだ人の多くが何らかの感想を持ったのだろうか。ほとんどの人には分からなかったのではないか。
……そういうことにしたいのです。
http://anond.hatelabo.jp/20081106233020
への補稿(趣味編)です。あくまでの私が感じる世間の”空気”であり、私自身の嗜好ではないことに御留意ください。
これまで同様、「世間はそんな空気ではないだろう」というような御指摘があればお願いします。
文学作品力はともかく、何かを主張する文章は訓練しだいで身につくとおもうけどね。
とりあえずこの辺り読んだら?
http://staff.aist.go.jp/toru-nakata/sotsuron.html
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20090203/324140/
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20090217/324957/
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20090310/326250/
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20090330/327475/
http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20090425/1240669223
http://bizmakoto.jp/bizid/articles/0903/23/news053.html
http://enterprisezine.jp/article/detail/963?p=1
http://www.nikkeibp.co.jp/article/nba/20090204/185050/
http://hac.cside.com/bunsho/1shou/index1.html
http://www.mew.org/~kazu/doc/japanese.html
http://www.raitonoveru.jp/howto/c1.html
http://jibun.atmarkit.co.jp/lskill01/rensai/pgenba23/pgenba01.html