にしても、説明ゼリフを男女両方カタコトで喋るのはどうも一般アニメと比較してもおかしいようには思ったぞ。
https://anond.hatelabo.jp/20180905225913
これが、刺さるコンテンツが最近無いという人の言いたかったことらしい。
それはもう、見つからないだろう。心底残念に思う。
iPhoneでもウザいんだよなこれ
新卒エンジニアとしてよくある独立系システム受託開発会社に就職し、3年目で別のIT企業に転職しました。
退職後もことあるごとに前職のイライラしたところを思い返してはイライラしていたので、文章としてまとめることで区切りをつけようと思います。
今から振り返って言語化すると、要するに、システムの分からないSEおじさんがプロジェクトリーダー(以下PL)をやっていることにイライラさせられていました。
周りのエンジニアもデザイナーもデバッガーも優秀だったのですが、それらをまとめて然るべきPLがダメダメでした。
PLの多くはSIerからドロップアウトしてきた、40歳過ぎのシステムの分からないSEおじさんばかりでした。
アプリケーションへの理解が全然ない。今更勉強する気も恐らくない。なんならバイトのデバッガーの方が全然話が通じる、という状態。
そういった方々が仕様書を書くので仕様に疑問点が多々出るわけですが、そういった方々なので質問をぶつけてもまともな判断ができない。
ことあるごとにPLが理解できるまで状況を説明し、その後にデザイナーやデバッガーにも自分から説明しにいく必要がある、何度手間か分からない状態でした。
これはデザイナーからエンジニア・デバッガーへ説明したり、デバッガーからエンジニア・デザイナーに説明する場合もあります。無駄です。
中でもイライラさせられたのは、実装作業の途中に仕様書を変幻自在・説明なしに変えられていて、後になってとにかく仕様書に合わせるよう頻繁に強要されていたことです。
エンジニアとして実装作業に手戻りが発生したりクソ仕様書を再精査しなければいけないだけでなく、デザイナーもデザイナーで再考する部分が出たり、デバッガーのテストも当然やり直しになるわけです。無駄ですね。
今更SEおじさんがエンジニアやデザイナーの立場に立って勉強するのは難しいと思うので、3ヶ月でもバイトでデバッグ業務をやったら多少はまともな仕様書をよこすようになるのではないかと思います。
なろうの会話文は会話のダイジェストであって会話そのものではないと読み取ったほうがよい
たとえば普通の小説で、地の文に「彼は近所の猫が死んだという話をした。」と書いてあったなら
会話の中で何かそういう内容の発言をしたんだろうと想像するのが普通であり、文字通り「近所の猫が死んだ」とだけ言ったのだとは普通読まない
なろうでは直接的に彼のセリフとして「近所の猫が死んだんだ」と書いてあったとしても同様の推測を働かせる方が自然に読める
知らんけど、「ライト・スタッフ」に対して「王立宇宙軍」があったように、「シャイニング」に対して「レディ・プレイヤー1」があったように、過去の優良コンテンツは当然にシェアされてその上にトリビュート的な作品が作られていくのが未来のあるだろう姿なんじゃないだろうか。
現在だってコミックマーケットでは原作大好きな人たちが原作のキャラをモブ男たちにいいように揉みくちゃにされている男性成人向けトリビュート作品が跋扈しているわけではないか。
ある出来事がトリガーになって、今日一日希死念慮で涙が止まらなく無駄にした。まだ引きずっている。
これまで厳重に蓋をして閉じ込めていた死が、溢れ出して部屋に漂っている。
1日中死ぬことやその方法について考えを巡らせていると、死にたいと思ったきっかけより死ぬことそれ自身が目的化してひとり歩きしているのがわかる。
それでも考えるのはやめられない。それほど魅力的な死である。
作者の死がきっかけになるのもどうかと思うけど
どうしても懐かしくなってしまってアニメ見返したりまんが読み返したりしている
まる子がちょっと日常を飛び出したり身近な人の普段見ない側面を発見したりする回が楽しい
いつでもあの一編を読めばいやな日常から離れてキラキラした甘い南の島を味わえる感じがする
A Jolly Dayっていうまるちゃんがもっと小さい時の小さい(本人には大きな)冒険譚も楽しくかわいい
先生の家に遊びに行く回もいい おばあちゃんの家に行く回も楽しい
フランス料理食べに行く回も花輪くんちに行く回もヨッちゃんの彼女が来る回もいいな
まるちゃんとおねえちゃんが留守番して二人でカレー作る回も好き
おねえちゃんとは母の日にもグラタンとサンドイッチを作っててそれらがやけにおいしそうで
なんか懐かしくてほんとどんどん思い出してしまう