「通読」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 通読とは

2012-02-14

http://anond.hatelabo.jp/20120214174756

いからこれ以上じたばたしないで

http://anond.hatelabo.jp/20120214171717

を10回通読しとけ。

こんなの金払ったって書いてもらえないぞ普通は。

今はもう感情的に素直になれないだけで

頭としては自分おかしかったのは気づいてんだろ?態度の感じからして。

2011-09-01

http://anond.hatelabo.jp/20110901005934

技術関係の文書だと専門用語英語のままの方が解釈しやすく、おかしな訳にもなりにくく、見慣れてるのでそのまま読んだ方が早い。政治時事関係は、自動翻訳だととても大事な所のニュアンスおかしくなって下手すると逆の意味になることもあるので、結局一度は英語の方を通読することになる。

って感じで自動翻訳使えてもあくまで補助なんだよなー。

Wikipediaの記事なんかだと自動翻訳でもあまり問題にならないけど。

まぁ、アラビア語英語中国語英語翻訳には自動翻訳ないとやってらんねってくらい世話になってる。

中国語中国語日本語自動翻訳がモノによってはカオスすぎるので中国語英語読んだほうが早い始末。

韓国語←→日本語翻訳精度だけはマジ神がかってるw

アルタイ系で膠着語でSOVとかあんだろうけど。

2011-05-16

http://anond.hatelabo.jp/20110516000303

解けるつもりで忘れていないかの確認には必要

奇問は無視するとしても定着に効果的

から2回目は要点の確認ができてるか把握できればいい。

知識の整理やデータベース化みたいな、初回ほどの労力をかける必要はない。

 

加えて、いわゆる受験ハウツー

「1回通読したら後は自分で考えて~」

なんて思考を要する作業は与えない。与えるはずがない。

あくまでそれは100人100人合格させるためのメソッドであって

単なる一読者である増田合格させるためのメソッドはないから。

自己流に確信が持てるならそれがベスト

万人にそれができりゃ塾なんてものは流行らないんだから

2010-11-19

http://anond.hatelabo.jp/20101118234516



高校世界史レベルの知識を即成でインストールする方法

http://togetter.com/li/69858

へのツッコミ増田があったので。


確かに山川教科書は、ひたすら文節が羅列されているようで、

通読するのはかなりの苦行だと思う。読んでるうちに、頭が

ショートするわ。イメージとしては把握しづらい。

ただ、「高校世界史レベルの~」の。目次から読む、というのは

なかなかいい。というか、(小説以外の)どんな本でも、目次を

じっくり読めば突飛な記述にもそこまでびっくりしないし、

普通の本の読み方。でも大事だと思う。

そこから先の方法としては、「高校世界史レベルの~」も、結構

納得できる気がするけどね。

学ぶってこと

世界史を学ぶに色々意見が集まってるみたいだけど。

 

ういうのって「どんな(立場の)人」が「どのような目的で」学ぶかによるよね。

単なる知識欲を満たしたい人ならば教科書通読するのは苦じゃないでしょう。

教員になりたいとか試験があるって人ならば、通読はした方がいいと思う。それだけじゃ駄目だけど。

ただまぁそういう人はごく少数派だろうと思う。

 

大体の人は知りたいと思う「現代の事象の原因」や「時代」、「人」が居るからこそ学びの姿勢を取るんじゃないだろうか。

例えば日本史だったら大河ドラマの「新撰組!」を見て江戸末期についてもっと知りたいと思う、みたいな。

そんな時、果たして教科書通読は有効かと言うと違うよね。

知りたいと思うポイントを中心として、そこから前後に知識を広げて行くことになると思う。

 

そんな時に教科書は役立たずかと言ったらそうではない。

教科書の目次、題材の並びはちゃんと考えられて作られている。

だから知りたいと思うことを目次や索引から引いて、そして読んでいけば良いのだ。

そこで更に「この事象の前に何があってこうなったんだろう?」とか「この事象の後はどうなったんだろう?」って興味が湧けば、自然と知識の幅は広がるし、興味もない所まで読まなきゃいけない通読よりは肩の力を抜いて取り組めるんじゃないだろうか。

 

社会人になって仕事の事も考えなきゃいけなくて、そこに更に勉強への強迫観念が付与されたら鬱になるわ。

社会人になったらね、仕事に必要な勉強以外は、自分で選んでいいと思うんだ。

自分なりに必要だと思ったら仕事以外の事でも学ぶし、興味が沸いたら他人のやり方なんかさておき自分で楽しく学べる。

 

そんな私は今、清末あたりを勉強中。

いやー…浅田次郎先生のおかげで興味がわきまして。

 

蒼穹の昴、最高ッス!

http://anond.hatelabo.jp/20101118234516

リアルタイムで見ていた者から補足。

他の社会人には非常に厳しい行為だと容易に想像つくだろう。

この勉強法偏差値55以上の実力が必要だと感じられる。


元々、この一連のtweetは、某早大生が「世界史勉強したい」と言ったことに対して、「じゃあ最近高校生家庭教師をやっている俺が」という感じで始まったもの。

なので、上の元増田の指摘は全く正しくて、最初から偏差値高めの大学生のために書かれている。

さらに言えば、この二人は元々知り合いなので、相手がどれくらい本を読めるのかということも大体把握した上で書かれている。

なので、実際この後で、「山川通読とか難しすぎるでしょ」というツッコミに対して、「彼なら問題ないと思った」と答えているし、実際に家庭教師をしている時はここに書かれていない様々な指導があるよう。

http://anond.hatelabo.jp/20101118234516

12年ほど前に受験生だったけれど、当時から山川教科書通読するという勉強法は言われていた。

脈々と語り継がれているということは多分、受験のためと思えば無理なことでもないのだろう。

自分場合語学春秋社の「実況中継」(代ゼミとかの講義を字面化したもの)を音読するというのを勧められて、やった。

これは結構読みやすかったし、受験での要点もわかりやすいし、とりあえずセンター試験でいい点を取るくらいの知識は身についた。今でもおすすめだと思う。

当時やってたホームページ相互リンクやってた管理人に教えてもらったんだっけな。元気かなあ。

http://anond.hatelabo.jp/20101118234516

言いたいことはわかるんだが提案してるレベル教科書通読とあまり閾値が変わらない気がする。結局それかよ、と思った。

じゃあ何なんだよと言われると困るが

やっぱり歴史の知識を取得するのに一番ストレスかからない方法は、おそらく面白い歴史アニメマンガか本読むことじゃないのかなあ(月並みだけど)

ドラゴンボールの知識力ならどんなアホでも高いと思う、つまり面白けりゃ誰だって高学歴並みに覚えるわけだよね

でも歴史オタクの俺が断言するけど

面白い実用的な(ここ重要)歴史アニメマンガは無いんだよね

でも意外と中学生高校生向けの昔の英雄が主人公の小説短編集には面白いのがあるからそれ読んだらいいよ

ういうのお勧め短編ね、図書館にあるから

まあそれを読んだ後に年表見るだけで教科書一篇読むのと同じくらいの効果はあると思うよマジで

2010-11-18

世界史教科書通読せよ」などという教師は

Togetter - 「高校世界史レベルの知識を即成でインストールする方法」 http://togetter.com/li/69858

ここに書かれた学習法が絶賛を受けているが、ちょっと待てよと言いたい。

まず、総論。「高校レベル世界史に通暁するとはどういうことか?」という問いに応えましょう。教材研究した結果から言えば、これは三段階の学習を行ったかどうか、になります。レベル1:〈通史〉。レベル2:〈テーマ史〉。レベル3:〈論述〉。この段階で世界史を頭にインストールすればよい。

とあるが、このレベル1からしてすごいものだ。

課題その1】「『山川世界史B』を通読する。回数は最低二周。」これができれば、Lv1〈通史〉は難なくクリアできます。

教科書を最低二周通読するって、どれだけの人間ができるのか。

「善くできた新書のように」読めというが、実際の山川教科書はこのような感じだ。

ナイル下流域のメンフィスを中心に栄えた古王国では、クフ王らが自分の墓として巨大なピラミッドを築かせた。これは神である王の絶対な権力を示している。中王国時代には、中心は上エジプトのテーベに移ったが、その末期にシリアから遊牧民ヒクソスが侵入し、国は一時混乱した。しかし前16世紀に新王国がおこってヒクソスを追放し、さらにシリアへと進出した。(P.25「エジプトの統一国家」)

これを「善くできた新書のように」興味を持って読めるのか?

このあたりは元から興味がある人も多いのでまだ読める方だろう。

イスラム世界での国家の興亡など、教科書のあの記述で興味を持って読めるというのか。

教科書は350ページ以上ある。

大半が「~した。~した。~した。」の羅列でできた文章だ。

「私も実践しよう」と言っている方も多いが、断言しよう、一周さえ読み切る人間はその1割もいない。


なお、あの学習法には、通読が厳しいという人のためのヒントも添えられている。

読むのがしんどい、なぜだろう? と思ったら、山川世界史リンク誘導を適当ネットサーフィン感覚で飛んでみてください。そのうち、「なぜ山川世界史電子教科書ではないのだろう?」と疑問に思うほどの学習効果を得られるはずです。そして、現代史まで辿り着けばよいです。

これは実にいい意見だと思う。リンクをつなげるようにして歴史をつかむのは非常に重要だ。

現役の高校生には「別ページのリンク誘導」に意識をして読むことを強く勧める。


しかし、そのリンク誘導が「読むしんどさ」をどのように解消するのか?

歴史的な事柄の羅列を読み、リンクがあって、飛んだ先も羅列。

ネットサーフィン感覚があれば、読むのが楽になると本当に思っているのか?

この「別ページのリンク誘導」は何も山川教科書だけの専売特許ではない。

多くの参考書にこういったリンク誘導はある。

リンク誘導を意識する」という指摘は大切だが、それは決して教科書がよいことにはつながらない。


あと、第2のテーマ史の実践だが、

さて、通史を終えたら、好きな世界史用の演習問題本を一冊、買ってきましょう。これはなんでもいいです。たとえば山川の『私大・二次対策世界史B問題集』http://amzn.to/9vBJI7 とかは、僕が今言っている話に応用しやすいものになっています。

入試対策の問題集を解き続けられる社会人はどれだけいるのか。

自分立場を他者に当てはめすぎていないか?

高校教師家庭教師塾講師なら仕事にもつながるが、他の社会人には非常に厳しい行為だと容易に想像つくだろう。

これを「素晴らしい方法だ、やってみよう」と書いている多くの人たちは、どこまで本気なのだろうか。



と、ここまで文句を書いてきたが、この学習法を書いた人を批判したいわけではない。

書き手は家庭教師をされているようで、これは実践の伴った学習法なのだろう。

論述」までも視野に入れていることから、国公立クラス受験生を指導されているのが分かる。

東大京大クラス頭脳を持つ人たちになら、

教科書を最低二回は通読しろ。それが第1レベルだ」

と言っても、善し悪しは別として納得はできる。

偏差値35から70までの高校生の相手をしてきた自分の目では、この勉強法偏差値55以上の実力が必要だと感じられる。


ここで強調すべきなのは、「実力の足りない人間が安易な気持ちでやれば確実に挫折する方法論」だということだ。


で、どうしてそのことを誰も指摘しないのだろうか?

それどころか、どうして「すばらしい」「私もやろう」と絶賛できるのか?

教科書を最低二周通読するなどわけもない意欲の高い人たちだらけなのだろうか。

てかさ、「賢く見える意見」にうなずいてるだけじゃねえのか?


腹が立つのは、学習法の書き手さんではなく、周囲の「教科書礼賛」の姿勢だ。

教科書礼賛。教科書万歳。「教科書を読めばいい」という教師とその指導法を安易に認める人たちだ。

教科書を読むだけで理解できる人に、「教科書を読め」というのは構わない。

けれど、教科書は万能なんかじゃない。


教科書歴史的事柄が簡潔に述べられたいい教材だとは思う。

だが、そこには絶対に「指導者の解説」が必要だ。

「なぜそれが起きて、どのようになったのか」の流れの説明を加える必要がある。

なのに、「教科書を読めば分かるはずだ」と工夫のない授業をする指導者が多すぎる。

それを助長しているのは、「教科書があれば大丈夫」という安易な考えだ。

そう、これを深く考えず絶賛している人たちの考えだ。


教科書を音読するだけ。

黒板に事実の羅列を書くだけ。

用語に線を引かせて覚えさせるだけ。


そんな授業でどれだけの世界史嫌いを産んできたのか分かってんのか?

「高校世界史をやり直したい人は、まず教科書通読しましょう」

そんな学習法で本当に世界史をやり直せる大人がいったいどれだけ生まれるんだ?

教科書を買ったはいいが、待っているのは事柄の羅列だ。

それを前にすれば、「世界史は難しい。無理だ」と思う人間を増やすだけじゃないのか?


教科書を読めばいい」なんて発言が出る人は、きっとすごく賢いんだろう。

俺にはその気持ちが分からん

工夫のない指導で世界史苦痛としか思えなくなった生徒たちを俺は何人も見てきた。

解説なしで教科書を読める人間は、上位の限られた層だけなんだ。


教科書通読する、それで本当にいいのか?



じゃあ、どうやって世界史勉強すればいいのか?

えー、あまり自信のない方向けに、簡単な学習法を書きます。

まず大型書店学習参考書売り場に出かけてください。

そこで買うのは、あの学習法の方も書かれていましたが、まず「用語集」と「資料集」です。

あの学習法は、「教科書を利用する」という点以外は、非常に参考になる学習法だと思います。

地図を手書きで書いてみるとか、ものすごい大切なことだと思いますよ。

あ、レベル2とレベル3は不必要です。

あの「論述理論受験テクニックで重要なだけです。

社会人なら、通読が終わった後は興味のある個別の歴史をどんどんのぞいてみましょう。

そっちの方が楽しくて身につきます。


で、あとは通読用の教材を買いましょう。

まずは実際に山川教科書をじっくり見て、読めるかどうかを確かめてください。

教科書だけですむのであれば、本当にそれが手っ取り早いです。

無理だなと思ったら、高校生用の学習参考書を眺めてみましょう。

そこには生徒に理解してもらうための工夫であふれた書籍が多くあります。

その中から、「背伸びせずに吸収できそうなもの」を自分の目で選んでください。


簡単にできそうなところから一歩ずつ。

歴史最初から最後まで眺めた――それだけでも大きな財産になるはずです。



追記

書いてもらったコメントを見て思いましたが、

教科書じゃなく参考書を読め」という自分意見も、たいして変わりませんね。

漫画でも新書でもゲームでも、何でもいいから歴史に親しめる入り口をまず作る方が大切。

それで興味を深めてから、教科書参考書で通史の知識をつかむのがいいですね。


通読だって「漫画世界歴史シリーズ」から始めて、教科書につなげてもいい。何だってありなんですよ。

自分参考書が大好きなので楽しめますが、あれでも無理って人はいっぱいいますし。

とにかく、「教科書通読ベスト」って意見が気にくわないだけで、親しめるところからまず始めるべきなんでしょう。


と、「背伸びをせず吸収できる」とか「親しめるところ」とか、具体的な意見を言わずすみません

人それぞれいろんな形があると思って、言いづらくなってしまうですよね。ごめんなさい……。

なので、トラックバックブクマコメントで、「勉強をこうやりゃ俺は面白いと思う」という意見を書いてもらえれば幸いです。

2010-10-09

物事をカラダで覚える人

もう12年も前のことだけど、弟が中三のとき、母親が中三の英語勉強を始めた。

負けるのが悔しかったらしい。

俺と父に負けるのはしょうがないと諦めていたらしいが、弟とドンペケ競争だけには勝ちたかったらしい。

一応は英文科出身のくせに、きれいさっぱり覚えていなかった。

アホ高校から推薦ってこんなもんなのかなって思った。

当時は。

それから勉強して今ではペラペラに・・・、はなっていない。

狂ったように同じ文を延々とノートに書き殴り、数週間でブームは去った。

今でも、全く喋れない。

英語スペルタイプできない。

そのくせ、人の話をメモするときは、英単語英語で書く。

本人が言うのには、手が覚えてるから英語になるけど、どういう文字が並んでるかはわからない、とのこと。

謎だ。

その一年後、弟の高校入学と同時に、高校数学に挑戦し始めた。

またもやまた狂ったように、だ。

ところが、因数分解で躓いた。

延々と、ノート教科書が真っ黒になるまで式を展開し続けたのに、逆の操作が全く出来なかった。

そこでドロップアウト。

翌年は化学に首を突っ込んだりした。

たしか、アボガドロ定数で早くもドロップアウトしてた気がする。

6.02×10の23乗という数字から理解出来なかったみたい。

説明してといわれても、なにが理解できないのかが理解できなかった。

それから10年ほど経ち、母は俺と弟の世界史教科書を頭から読み始めた。

本人が言うには一章を読み終えるとその前の章について綺麗に忘れてしまうらしく、一章を読んで、二章を読んだら、一章と二章を通読して、三章を読んだら二章を忘れてるから二章を読み直し、そしたらもう三章を忘れていてもう一度三章を読んで、そうしたら一章を忘れたから一章から三章まで読み直し、という風に何度も読み返してるらしい。

なんだかんだで近代直前あたりまで読んだみたいだが、このあいだ古代から読み直してた。

読み返す回数がフィボナッチ数みたいになってることに気付かないせいか楽天的だ。

それから、行って見なきゃわからんということで、ヨーロッパ旅行に行った。

そのあと、エジプトに行き、イスラム国に興味が強くなり、パキスタンイラントルコ旅行してる。

今度はレバノンに行くそうだ。

英語圏じゃないと不便じゃない?

と聞くと、英語だって喋れないから何語だっていいの!

ポジティブ

市場適当にモノを買ったりしてる。

いつも旅は1人でツアーに申し込んでる。

家族や友達を巻き込んだことは一度もない。

人に知らせずに出かけたほうがお土産を買わないでいいから楽だとかで、1人で行き先と日程を決めて一人で出かける。

すごい行動力だとは思うんだけど、白状するとあんまり本能の赴くまま動く人といるのって疲れる。

よく電話はするけれど一緒に住むのは勘弁だ。

2010-02-17

リフレ村の司祭様かく戦えり

せっかく2時間もかけて前のエントリーを書いたのに、丸一日経っても誰も読んでくれないよ…と涙に暮れていたのですが、なんとお褒めの言葉付きで長文のリプライが!「もうこれは2chに自作自演宣伝書き込みをするしかない」、と悲壮な決意を固めかけていたのですが、ああ、神様、どうやら私は人の道を踏み外さずにすみそうです。

馬鹿なことを書くのはこれくらいにして本題に入りましょう。

http://anond.hatelabo.jp/20100217164344

「中銀が高めのレートでインフレターゲットを実行する」能力も意志もないのです。処方箋はあるのに肝心の中銀がそれを採用しようという意思がないのです。

こんな中銀ですから、平時においてインフレ率を高めに誘導しておく必要が、すなわち名目金利引き下げの余地を残しておく必要があるのです。

名目金利引き下げの余地を残しておいて流動性の罠に陥らないようにしておかないといけないのです。

まず、ブランチャード(フランス語読みではブランシャール)らがここで書いた文章の表題をもう一度確認してみましょう。”What we thought we knew”とあります。直訳すれば「我々が理解していると考えていたこと」でしょうか。

ここで過去形になっていることは非常に大きな意味を持ちます。これは「今はもうそうは考えていない」ことを意味しているからです。日本語的な発想では「過去にそう考えていたとして、今どう考えているかは分からないのでは?」と思いがちですが、今も引き続きそう考えているなら英語では現在完了形を使わなければなりません。

英語はこの辺りの時制のコントロールに対して非常に厳密です。ですから、1970年のJohn Smithの論文がこう主張している、という表現をするときには、J. Smith (1970) arguesと書くのが普通です。論文自体が書かれたのは40年前ですが、Smithの主張が今も有効であるならば、現在形になるのです。逆に Smith (1970) arguedと書いた場合、この著者はSmithの意見を既に時代遅れなものと見なしていることになります。

つまり、私の翻訳した部分はブランチャード自身が「既に時代遅れである」と判断したことについて書いてあるのです。翻訳では若干時制が不明確になってしまっていますが、『中央銀行が将来の高い名目マネーサプライ成長率とひいては将来の高いインフレーションコミット訳注約束)できるなら、中銀は期待インフレ率の上昇によって将来の予想実質金利を低下させ、それによって現在の景気を刺激することが出来る』という下りは、原文では

The formal argument was that, to the extent that central banks could commit to higher nominal money growth and thus higher inflation in the future, they could increase future inflation expectations and thus decrease future anticipated real rates and stimulate activity today.

となっています。過去形に注目してください。ブランチャードはこの議論を最早信じてはいないことがここからも分かります。過去形解釈について納得がいかない方はマークピーターセンの「日本人英語」辺りを読んでみると良いでしょう。

つまり、ブランチャードが批判的に取り上げているのは、「処方箋があるにもかかわらずそれを採用しようとしない中銀の存在」ではありません。処方箋に問題があるにもかかわらず、それを中銀の意思と能力の問題に矮小化してしまった経済学者の態度こそが批判されているのです。だからこそ、前回翻訳した最後の部分で『公平を期しておくと、Fed日本経験を無視したわけではなく、2000年の初めにデフレリスクを憂慮した論文を発表している』と添え書きされているわけです。経済学者にも良心的な態度を取った人がいたことは、公平のために言及しておく、と。もしも「リフレ処方箋」にコミットする能力と意思を中銀が欠いていることをブランチャードらが問題視しているなら、to be fairなどと書くはずもないことは文脈から明らかでしょう。

ですから、

将来のマネーサプライ増と将来のインフレとにコミットする能力も意思も欠いた中銀だからこそ、4%のインフレ率が必要となるのです。

将来のマネーサプライ増と将来のインフレとにコミットする能力も意思も欠いた中銀だからこそ、流動性の罠など恐るるに足るのです。

流動性の罠に陥らないようにするために、4%(具体的な数値は検討の余地があるでしょう)のインフレ目標が必要になるのです。

この解釈ブランチャードらの論文から引き出すことは出来ないと思います。この論文で議論されているのは徹頭徹尾経済学の問題であって、「能力と意思を欠いた」中央銀行に対して批判的な表現は、(上でも書いたとおり)少なくとも私の読んだ限りでは全く見当たりませんでした。中央銀行能力も意思もないから、それを前提に現実的な経済理論を再構築しよう、とも書いていません。今まで半ば普遍的に信じられていた、「2%前後で安定したインフレ率が望ましい」という経済学者コンセンサスそれ自体に疑義を唱えているのです。

加えて、中銀が無能ないしは怠惰であるという理由以外で能力/意思を欠いているのであれば、それは中銀の問題(だけ)ではなく処方箋の側に(も)問題があると考えるのはごく普通の理解であろうと思います。例えば、中銀にそもそもコミットメント能力が備わっていないならば、それを前提とした処方箋は無効であることは当然ですよね。

「いかにして流動性の罠に陥らないようにすればよいのか」を問題にしているブランチャードが、「いかにして流動性の罠から抜け出せばいいのか」という問題への処方箋であるリフレ政策を支持するはずも否定するはずもないのです。

前回翻訳した部分をもう一度参照してください。なぜブランチャードらは2%のインフレ率を望ましくないと判断したのでしょうか。ブランチャードらは過去にも「2%のインフレでは低すぎる、利下げ余地が小さすぎる」という懸念があったことを紹介しています。そして、その懸念は「ゼロ金利になっても、中銀が将来のインフレコミットすれば大丈夫だ。」という、Eggertsson and Woodford (2003)らの議論によって葬り去られました。そして、日本金融政策の失敗を受けても、一度葬り去られた懸念が見直されることはありませんでした。

そして、世界中ゼロ金利の罠にハマった後、ブランチャードらはようやく「2%のインフレでは低すぎる、利下げ余地が小さすぎる」という懸念を復活させます。それは、「いやいや利下げ余地が小さくても問題ない、打つ手は他にある」、というリフレ派の議論がもはや有効とは言えないと考えられたからこそなのです。繰り返し書きますが、「流動性の罠から抜け出す簡単な方法は存在しない」からこそ、利下げ余地が論点として再浮上し、高いインフレに伴う経済への負担を覚悟してでも流動性の罠に陥らないようにしようという結論に至る、という論理構成なのです。この論文はかなり読みやすい英語で書かれていますので、暇があれば通読なさると良いでしょう。

また、以上の説明から、最終段落で言及されている「ブランチャードらは流動性の罠から脱出するためのリフレ政策を支持していると読めないこともない」点は、誤読であると申し上げるより他ないことはご理解頂けるのではないかと思います。この辺りも、原文に当たられた方が文章の雰囲気と構成("stood more uneasily in the way"や"to be fair"など)をよりはっきりと掴めるでしょうから、原文を当たられることを繰り返しお勧めします。

最後に、ブランチャードが書いた部分を、少し分かり易く脚色してみます。

とあるところにあるリフレ村で司祭様が村人に説教をしています。

司祭 「全能なる我らが神はこの村の人々を温かく見守ってくださっておる。なんの心配もいらないよ、君たちは選ばれた民なのだから。100年前の大飢饉大恐慌)では人々は神への祈りを捧げなかった。だから多くの民が死に絶えたのだ。だが今は違う。私が正しい神への祈り方を教え授けている。神は我らの祈りを請け給うたのだ。」

 「司祭様。それでは何故私の父は病に苦しんでいるのでしょうか。既に10年以上、病床を離れることが出来ません。」

司祭 「…それは、あなたの父親の信心が足りないからだ。神を理解する能力に欠けるからだ。彼が心から神を信じているならば、彼の病が長引くことなどあり得なかった。家に帰って彼に伝えなさい。悔い改めよ、と。さすれば彼はたちどころに快復するであろう。」

これは新興宗教の必勝パターンでありまして、この父親が毎日祈りを捧げても(量的緩和)、喜捨の額を増やしても(国債買いオペ増額)、病から快復しないならば「信心が足りない!まだ不十分だ!」と言い続ければよいのです。楽な商売でございます。

ただし、この戦法は多くの村人が病にかかってしまうと通用しなくなります。挙句の果てに村の外からは賢者様がやってきて、「いや、そのお祈りじゃ患者は救えないでしょ。治療法は確立されてないし、一度病気なっちゃうと後が大変だから、とりあえず患者が増えないように予防策を考えようか」とおっしゃっておられます。

さぁ司祭様の立場は一気に悪くなってまいりました。石もて追われる5秒前!しかしこのまま大人しく村を去る司祭様ではありません。一発逆転の隠し玉は当然用意してあるはず。疫病快癒の大祈祷でもって見事リフレの神のご威光を天下に知らしめ、村人達笑顔を取り戻して下さるに違いありません。

というわけで、外野増田矢野先生(及びリフレ村の司祭様方)の逆転の一撃を心よりお待ちしております。

2010-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20100203214527

あ?渡辺淳一渡辺淳一はてなーなのか?第一エロ小説家の言うことを真に受けるとか、もうアホかとバカかと。

じゃあはてさの言うことを真に受けて「予防拘禁」とか言い出すポルノ屋はどうなっちゃうんだよ。

えろ作家の言うことだからあほらしくて相手にする必要なくてはてさやポルノ屋の相手するのはあほらしくないと言えるのがなぜかわからん。あほらしいならそれに首突っ込んでいろいろ書いてた人もあほらしいよな。

それで、渡辺淳一が全ての男の代表なのか?んなアホな。

誰が男の代表だと言ったの?「男は獣だから女は自衛しろ」と言う人へ「獣なら檻に入れろ(でも獣じゃないんだから女に責任転嫁するな)」と言う話でそもそも男全体へのものじゃない。

そもそも「男はケモノ」という言葉性犯罪者を弁護するためではなく「男はケモノだと思った方がよい」という警句だろうが。

性犯罪自然現象であるかのようにみなして被害者への責任転嫁になるんだから事実上犯罪者弁護だろうが。

自衛すれば万全なんて誰も思っちゃいないが、自衛することで防げる被害だってあるわけでな。それは毎晩俺が玄関に鍵を掛けて寝るのと全く同じことでな。

このツリーで「自衛しろと言う人は曽野以外にいない」と自信満々に言ってた人がいたが、またこれで反例がひとつ増えたな。

本当にわかってないなあ。反語になってないからiteauに反論されてるんだよ。そんなことをいえば阿久根市長発言だって反語だぜ。

阿久根市長って障害者福祉の充実を訴えるためにああいう発言してたの?いったいどういう根拠があるのか教えてほしい。

僻みとかwwwwwアピールしようがしまいがあれでモテると思ってるのかwwwwwhokusyu乙。マジで乙。

いや本人がどういうつもりかは知らない。ただ優しさをアピールしてはだめと言うのはおかしいと思う。

後半は全く意味不明。対極にある極端な例を出しても何の意味もない。優しいアピールだろうが優しくないアピールだろうが中庸から外れたものはイタい

意味がないことはない。逆のものを出すことで何を批判すべきと思ってたのかが明らかになる。

中庸から外れたアピールが痛いと言うことは「私は普通の人です」とアピールするのは痛くないんだね?そんなことアピールしたがる人ははてさに絡んでる自称中立くらいのもんだが。商品にしろ人間にしろ長所とかの普通でないことをアピールするのが当たり前で、そうでないことをアピールするのはただの馬鹿じゃないかと思うが。

他の記事まで通読してからものを言えといいたいところだがまあよい、「中立」でいいんだな、「中立」で。よろしい結構だ。で、その「中立」であるiteauを査問したお猿さんはいったい何なんだね。

お猿さんははてさだろ。別に中立だから査問してよくて中庸じゃなかったら査問していいとかそういう話でもないはず。まさか中立を名乗りさえすれば、あらゆる批判はされるべきでなくなるなんてことは思ってないよね?

http://anond.hatelabo.jp/20100203203556

一応釣られとくが、話の発端になった「男は獣」を書いたのは渡辺淳一って男なんだけど。

あ?渡辺淳一渡辺淳一はてなーなのか?第一エロ小説家の言うことを真に受けるとか、もうアホかとバカかと。

それで、渡辺淳一が全ての男の代表なのか?んなアホな。

そもそも「男はケモノ」という言葉性犯罪者を弁護するためではなく「男はケモノだと思った方がよい」という警句だろうが。自衛すれば万全なんて誰も思っちゃいないが、自衛することで防げる被害だってあるわけでな。それは毎晩俺が玄関に鍵を掛けて寝るのと全く同じことでな。

これを「予防拘禁」と要約することに異存はあるまいな。

それも文脈読めば明らかなように反語でしょうに。

本当にわかってないなあ。反語になってないからiteauに反論されてるんだよ。そんなことをいえば阿久根市長発言だって反語だぜ。反語のつもりで語るに落ちてるのが問題なんだよ。

「優しい僕アピール」がなぜ批判されるべきなのかわからん。僻みにしか見えない。逆に「レイプは元気があっていい」とか「やさしくない俺様アピール」なら批判されるべきじゃなくなるの?

僻みとかwwwwwアピールしようがしまいがあれでモテると思ってるのかwwwwwhokusyu乙。マジで乙。

後半は全く意味不明。対極にある極端な例を出しても何の意味もない。優しいアピールだろうが優しくないアピールだろうが中庸から外れたものはイタい

ネトウヨではないのはそうなんだろうけど、在日参政権賛成でも反対でもないし、自衛しろともするなとも言ってないように自分の態度を明らかにしてないなら、別にリベラルでもなくね?中立と言うほうがふさわしいように思う。

他の記事まで通読してからものを言えといいたいところだがまあよい、「中立」でいいんだな、「中立」で。よろしい結構だ。で、その「中立」であるiteauを査問したお猿さんはいったい何なんだね。

女にもてようとするリア充叩き(?)をしたがるあたりなんかが、排外主義ネトウヨとは別種のねらーっぽさを感じてしまうけど。

hokusyuがリア充wwwwww冗談は顔だけにしてくれ。

2009-08-01

書評】 近藤大介『日・中・韓“準同盟同盟時代』(光文社

本書は評者からみると不思議な本である。実に面白い、同時に反米的な歴史記述とCIA陰謀論に挟まって中国重視論の独特の言い回し、つまり三つの部分が混載されている。ひょっとしてチョコレートでくるんだ毒入り饅頭かも。

題名だけをみると保守派の多くは反発を抱くだろう。しかし誤解を恐れずにアイ・キャッチを狙うあたりは著者ではなくて版元の商業主義的魂胆かも知れない。

冒頭から脱線で恐縮だが、この光文社ペーパーバックスのシリーズは、本書が135冊目。執筆陣は浜田和幸松本道弘藤井厳喜、野間健、徳本栄一郎の各氏らと何故か知り合いも多い。とくに浜田藤井両氏は、このシリーズから数冊上梓されていて、執筆陣も左右混交である。

新世代が読むだろうと思う。というのも、横組みで英語ばんばん入るからだ。逆に小生のように日本語の書物は縦書きでないと親しめない世代にとって、最初はこのシリーズを読むのに骨が折れた。仄聞するところでは、横書きシリーズ、伸び悩みがあって間もなく終巻らしい。閑話休題

さて近藤大介氏、期待の新作である。近藤氏は『週刊現代』前副編集長。元北京大学留学組。平壌にも小泉訪朝に随行、スクープが多い。日本米国を捨てて中国同盟し、韓国も仲間に入れようか、という提言日本外交現実を無視しているが、さすがに中国語韓国語が流暢な著者だけに、情報には格段のおもしろみがある。しかし結語の三国同盟は納得しかねる。

サロンマルキストという比喩は、革命ワインを飲みながらサロンで語る知識人。典型はサルトルなど。本書を通読した最初の印象はそれである。サロンにおける理想主義日本共産党は歌を忘れたカナリア、飽きたらず暴力路線に走った反ニッキョウ系は、三派四派五派と分裂し、中核派はと革マル派は互いに殺し合った。

本書に何が欠けているか。暴力革命政権を取った中国共産党十三億人の無辜の民を壟断し、支配し、反革命勢力、すなわち民主主義者、独立運動家を「テロリスト」と名付け、逮捕拷問し処刑する。敵は殲滅するのがかれらの掟である。

中華民族というスローガンは他民族漢族へ「同化」することであり、これは五族協和日本理想とはほど遠く、孫文のそれは「漢族」が「満蒙回蔵」を強制同化し、支配することを意味する。

ウィグル絶滅のためにはロブノール近辺から楼蘭にかけて、46回の核実験。おそらく数十万人が被爆して死んだ。7・5ウルムチ暴動では平和デモ隊に軍が出動して水平撃ち。おそらく二千から三千のウィグルの無辜の民が虐殺されただろう。

中国本質暴力支配、特権階級は富を独占し、その体制を可能な限り長く持続しえるそのためには外交も利用する。本書は、こうした事実をあえて論じない。だから不思議な本である。

では面白い部分はどこか?日本では親中派政治家はみんなCIAの謀略で失脚したそうである。田中角栄、カナマル某ほか。小沢がニシマツでやられかけたのもCIAだそうな。まだある。金正日がある日、北京から帰国のおりに列車爆破。流川とかいう駅だったが、あれを仕掛けたのもCIA。金正日のコックだった藤本某にはCIAから接触があり、毒殺依頼があった由。こうなると007の世界だ。盧泰愚陳水扁の失脚は反米姿勢だったから?

真相にちかいことは、陳水扁国民党戦術=「野党を貶める生け贄」であり、台湾では司法独立しておらず、もし陳水扁汚職をいうのなら馬英九も宋楚楡も似たようなスキャンダルを抱えていながらなぜ司法の追求が突如止んだか。だから台湾における司法中国共産党と同様に司法権独立曖昧で、国民党の顔色を窺う裁判官が多いからである。CIAとは関係がないのではないか。盧泰愚の「自殺」は身から出た錆、でなければ謀殺の可能性も否定出来ない。

というわけで田中の失脚はロッキード証言だが、日米の司法取引の差であって、米国陰謀ではなかった(徳本栄一郎氏が田原総一郎陰謀説を批判した。田中ブレーンだった小長氏自身が『そういう線で裁判マスコミ対策を処理しようと提案したら田中総理は「おう」と言った』と証言している)。

▲斯界で話題の孫崎享『日米同盟の正体』を連想

本書を読んで考えさせられる箇所も多い。評者が本書を読みながら、どうしても孫崎享氏の書いた『日米同盟の正体』(講談社現代新書)を連想せずにはおられなかった。

外交官出身の孫崎享氏はイラクイランミサイルの雨の中、外交を展開してきた人で三月まで防衛大学で教鞭を執った。(そうそう、これもどうでも良いことだが、バグダッドの在イラク日本大使館で宮崎は、孫崎(当時は公使)と会ったことがある。88年だったと記憶する)。

その外交官イラク戦争突入アメリカ人の「旋風のような愛国心」の結果であり、リーカーン南北戦争真珠湾攻撃と似ているとする。反戦ムードを一気に好戦へもっていく謀略は政治に付きものであり、その点は近藤氏や孫崎氏の分析に同意するが、なぜか孫崎本には外交的結論がない、つまり日本の自立外交模索してもいなければ対米追随が悪とも言っておらず、最後の最後はアメリカ核の傘は機能しないだろうと言いながら、日本核武装は反対という。

つまり本書の著者と孫崎防衛大学前教授スタンスは徹底して政治のリアリティ、外交の合理主義である。

外交道徳が入ると機能せず、倫理を持ち込むと、外交の基本が成立しない。打算と国益の追求。しかし戦争の回避。軍事力の背景がない日本は、だからといって「ふつうの国」のように外交独自路線を採用することが不可能である。

したがって「日中韓の準同盟」とは米国の手のひらの上での話ではあるだろうが

2009-03-15

はてなアカウントしか持たない読者のための水伝案内

はじめに

ログのすなどりに嫌気がさし、大半の人は「水伝」との係わりを渋ります。折りしも「●かな●さん(他称?のため)」のコメ欄で騒動が再開されました。予備知識がなく二の足を踏むのはもっともですが、人物が整理され、構図も実相も鮮明となっています。臆することなくフリーハンドで結び目を解く新人が参入して良い頃、読者にとっても良い機会ではないでしょうか。

人物(A・B・C・D)

論理派(A・B)、共感派(C・D)に袂を分かつ

現在共感派」を構成するのは、二年前の不用意な記事がやり玉となったブロガー同盟ではなく、Cを起点にはじけた「連座制が嫌で黙っていたけど、心中は穏やかではなかったです」タイプの中間層の繰り上げ。

四人には「蜜月時代が嘘のような」という紋切り型は相応しません。不即不離、木箱(親和的ではないサークルに向けるあなたの呼びかけは、共感論理派以前の分岐点となります)に居心地良く収まった当時の様子はたやすく思い描くことができるでしょう。論理派(世間知を蔑ろにするトラブルメーカー!)が、数多のブログから応答が困難な共感派(反知性主義の擁護者!)の文章を今もこぞって俎上にのせるのは、私怨だけで説明がつくものではありません。

水伝には「的確な人物評は罵倒と見分けがつかない」という魔法言葉存在する。

  o A 「軽はずみな謝罪を行い、軽はずみに謝罪を求める」人物とされる。「怒りの表明と記事の削除、言明(反省)を促す行為は、謝罪要求にあたらない」といった理屈を受け止めることができるならば、あなたはこちらのグループ論理派)に入る。

  o B そのパートナー踊り子の軽快なステップ武道家の重厚なさばきを併せ持つ論客を自負する。まるで組み手上等の伊東富士子だが、場に響くのはきしみ、無理強いした関節の悲痛。

  o C その友人。職業スキルに信頼を置く千の衆望を担った元メルマガ行人。耳目をそばだてるフレーズを多用し、自身への火の粉を振り払うためでも、育成したスキルネット社会での応用を頑なに拒む。

  o D その崇拝者。コピペブロガーの上位にあたる引用ブロガー。三行を超えたコメント通読苦痛をもたらすのは、選択と長短が不適切だから。「違和感は読者を立ち止まらせるための文章術」という評判は拾えず。

人物(E・F)

先の四人とは趣が異なり、リアルで交流を楽しむ情景(たとえばBとEのテーブルを挟んでの談笑)は、どれほど想像をたくましくしても浮かびません。

左翼的言論を活発に展開していた四人は異質を迂回できず、受容か拒絶の択一を自身に課しました。Eグループ騎士団と呼ばれ、Fグループカルト信者)に喩えられたのは、EとFがシンボル祭り上げられた(落とし込まれた)からです。二人への直接批判は無益と下部が了解している節があり、強い批判が引き受けた支持者らへ向きます(沈黙は肯定か逃亡とみなされます)。

E・Fにカリスマ性は露も認められませんが、サークルクラッシャー資質は備えます。隙が多いのも特徴的で、Eはそれを「観測気球」、Fは「無頼」とする演出が見え隠れしますが、今に至るまでその効能は明らかになっていません。

背景

水伝一幕は、科学リテラシーを感情で語る者と品格論理で語る者との争いでした。ネットの論争で前者に勝ち目はありません。その「論理」で科学を語り、ほころびが露になる前に敵失によりステージが一気に変動したのです(トラバ論争)。qed「水に脳はないから水伝はいんちき」は、外野の「理系」にも含みを招いたことでしょう(一人が対話を試みましたが、Eの「謝罪認定」で終了します。そのブロガーはようやく「事情」を悟り、取るに足りない汚名と引き換えに撤収できました)

前者が退いた後もネットリテラシー主観論、運動論を引きずり、メンバーの参入と離合が劇的に行われます。グループ分け終了後の大きな対立軸としては、Eの「邪推が成り立つ」、Fの「ハラスメント」問題があります。語りつくされた疲弊感も漂いますが、「謝罪論争」直前のBの失言など踊る余地も残されています。

渦中へ

G(A)のコメ欄に向かう前に、読者は論点に対する見解を用意します。

  o「双方論争」から引いた「卑怯者論争」は正当か?

  o Gの回答(ハラスメント)はなぜ無効とされるのか?

  o グループ内で発せられた嘲り、暴言に論理派が倫理の判定を「忌避」した理由は何か?(流れを読め、発言者本人に尋ねよ、罵倒芸だ、訴えればどうかと回答した人々の真意は何か?)

  o 過去ログから相手側への謝罪が提出された場合、論理派は詰みではないか?

  o 論理派の張った狭義(「双方」は頻度と深刻をデータ化し、等量である事を明示)、予防線性的言辞は最大値、蔑称は最小値をとる)は妥当か?

  o 一般認識、文脈大問題は「邪推が成り立つ」を問われた場合、詰みではないか?

  o 「嘲笑」目的以外の、コメント削除を行いながら投稿禁止の処置をとらない理由は何か?

過去

ひと続きの古い結び目から解きたいと希望する読者は、出典をみずから発掘し、不明な部分の詳細を確認することが条件になります。引用を避けたのは、騒動の教訓に「人は埋め込まれたリンク先すら読まない」とあるからです。

関連を訪ね、水伝以前までログを遡ることで「神の視点」を体感し、デッドエンドの憂鬱記録を「ハッピーな」団欒シーンで読み終えることができます。

「春樹受賞の弁」を踏み台にするのは良い考えではありません(デッドエンド)。会話はA・B・C・Dに限ること。他と応答する義務はなく、価値も認められません。四人は確かに傷を負い、自分に借りを作りました。伝言ゲームの応酬では勘定が合わないはずです。

おわりに 

嘲笑や恫喝は慣れっこだが、家族への言及には耐えられない、尽力する保護事業に累が及ぶのは不当だと考えるなら、goo


※劣勢の共感派への疑問を追加(しかしAE混成チームに痛み分け以上の戦績を残せる者が何人いることか)。

共感派は論理の不備を質されている訳ではなく、誰かのそれに乗じて済ました過去を見咎められている(みんなで笑ってやろう)。その「論理」が牙を向いたとき、なすすべもなく動転し、次に誰かの当てこすり、空騒ぎに乗った。以前の踊り場がどれだけ狭量なものであったかに目を背け、遥かに刺々しい場所を臨んだのではないか。

2008-12-26

クリスマスも終わったから一年を振り返る

何もないクリスマスが終わって、これから特に変化の起こりそうな予定もまるでないことだし、自分にとって今年この一年がどうだったかを振り返ろう。具体的に何したかなんて言わない、というかただのニートだったけど、どういう心構えで一年を過ごしてきたか書いてみる。

自分が生きていく理由とか意味とか価値とか必要性とか、哲学史をかじったわけでもない(ソフィーの世界は一度通読したけど、理系学問自分の範疇じゃない)のに自分なりにひたすら徒然と考えてた。時間だけは多くかけたけど、結局何度も大体同じ結論に行き着いて、

理屈ではなく実感である

・他人との間に生まれるもの

・他人から見出されるもの

・正当に評価される実力を持っている

自分が生きていくためのアイデンティティは形成されうる(主に一番最後)、ということになって、どうにかして自分がこの条件を社会の中で乗りこえられる人間であるように、考えてみたり行動してみたりはしたけど、「正当な努力の必要性」を年甲斐なく今更ながら実感して訴えてきた割には、(自分の出来うる)努力ではどうしようもない現実を見てしまって、自分がこの条件の不適合なことに余計裏づけをしてしまう結果になった。また、各ネット界隈に質問を投げかけながら、そもそも考え方を変えることでも生きる意味を見出そうともしたり、今ここに残されたリソース自分がこれから(自分の納得できる)何ができる?とか考え続けてたけど、そもそも積み上げた努力がまるで足りないんだから、これからどう転んでも結局この人生誰にとっても(特に自分にとって)無意味だしつまんないだけだろ、って考えるのがしっくり合理的だし一番楽って気づいて、それからはほとんど考えるのも動くのもやめて、ただただ横になってるだけだった。日が経つのだけは早くなっていた気がしたけど、自分には意味の無いことだった。死に近づいてるだけ得な気がした。

意味について考える過程で自分意味を見出せなくなったので、生きる楽しさも次第に無くなっていった。食べるご飯もちっともおいしくない。人間として腹がとりあえず減るから食べるだけ。退屈しないために誰にも評価されないような身についた手癖を時間潰しでしてるだけで、意味なんてまるで無い。何も楽しくなかった。ああ何も楽しくなかった。

今が自分人生のどれだけの割合を生きたのかはわからないけど主観的にも客観的にも、人生の中で今年は頭抜けて最悪だったと思う。たぶん、来年はもっとひどくなるし、再来年はもっとだろう。それなら、自分なりに不幸の天井を見に行こうか。それを人に語ったらきっととびっきりの冷笑をされるんだろうね。というかその前にまず死んだほうがいいよね。

などと心にも無いことを叫ぶだけのダメ人間に、今年で完全に成り下がってしまったという実感が残った。

まあ自分にとってはずいぶんと厭世的な変化のあった一年だった。一年を振り返って、そこから見つかったものを以って来年からの人生に繋げて行くのは、ありきたりだけど、建設的だと思うよ。自分はそんな気さらさらないけど。だって、自分は生きている意味がないんだから。わずかばかりの可能性をも放棄した。

あと増田を見つけたのは今年からだった。「ブログなのに匿名」なのがツボにはまって、ほとんどROMってただけだけど、学術かぶり人間模様便所の落書きその他もろもろ、チラシの裏ながら色々興味深い話が見れたと思う。大体見たことは覚えてないけど、そのときに退屈は決してしなかった。

ニート風情に感謝されてもハァ?って感じだろうけど、本当にありがとう

2008-10-09

http://anond.hatelabo.jp/20081009043258

元増田でございます。

申し訳ありません。お目障りかと思いますが再追伸させていただきたく、

乾きかけた筆をとり墨をふくませたところでございます。

再追伸などと申しておりながら大変恐縮ではございますが、もうひとつはてな村の皆々様との、

disりあいを回避する方法をご提案させていただこうかと思いました。

ご気分を損ねるようなことを申し上げるやもしれませぬが、なにとぞお聞き入れ頂きますようお願いいたします。

あなた様の「Webサービスを起ち上げる」というご表現が

もしかしますとはてな村の皆々様の「サービスを起ち上げる」という概念乖離しているのではと、

老婆心ながらに思った次第でございます。

あなた様御自らおコードをお書きになる場合ばかりかとは存じますが、そうでない場合もあるやもしれません。

その場合には、わたくしのようなあなた様のおブログ通読しているものには伝わっておりますが、

はてな村の皆々様にはおプロデュース具合が伝わっていないように思われます。

是非ともおプロデュース具合をご主張され、下僕であるさとる氏の後頭部を御手でおはたきになられながら

ご作成されたおWebサービスであることをご主張されたほうがよろしいかと思った次第でございます。

長文乱筆、まことに申し訳ございません。

あなた様のご健康をお祈りして、結びとさせていただきます

拝啓、2:50じゃない方のあなた様へ。

拝啓。

一雨ごとに秋に向かって涼しくなる今日この頃、いかがお過ごしでございましょうか。

あなた様のご評判、ご高名はかねがね伺っております。

日曜技術者としての地位はもはや盤石といった具合にご確立なさっているようで、

経験の身から技術者としてこの業界に足を踏み入れ1年あまり、

プライベートで何のサービスも提供していないわたくしにとりましては、

非常に輝かしい存在でございます。

そんな2:50じゃない方のあなた様へ、

わたくしがおそれおおくも今回筆をとらせていただきましたのは、

あなた様のご真意をはてな村の皆々様が取り違えているように思えたからに他なりません。

あなた様のおブログ等を

わたくしのような若輩者が大変おそれおおいながらも拝見させていただきます

はてな村の皆々様は書いていないことは、存在も実現もしていない事象と受け取っていられるように思えてなりません。

わたくしが思いますに、これははてな村の皆々様の人の良さが如実に反映されている結果に見えてなりません。

おそらくわたくしが思いますに、2:50じゃない方のあなた様のようにはてな村の皆々様はお修羅場をくぐり抜けてはいないのでしょう。

この結果もたらしますのは、はてな村の皆々様からあなた様へのおdisでありましたり、

disエントリによりリンクされましたあなた様へのサービス

そしてそれに由来したあなた様おブログへの不要なアクセスへとつながるのではないかと、

浅薄な知識ながらにわたくしは杞憂しております。

あなた様は日曜技術者として、お時間はご有用に使われるべきでありますので、

このようなはてな村の皆々様との不毛な争いに巻き込まれるべきではありませんし、

なによりウェブサービス、ことAPIに関しましては一家言お持ちになっているあなた様のことですから、

Google様のおボットクローラ、おlivedoorのおブログサーバへの負担に関してはご本意ではないのでは、と思うのです。

いえ、この点はあなた様のおブログにあります各おエントリー通読させていただいておりますわたくしとしては、

そうに違いないと確信している次第でございます。

そこでまことに恐縮ではございますがひとつご提案をさせて頂こうと存じます。

はてな村の皆々様より、あなた様へのなんの恩恵もうけないおdisを回避する方法といたしまして、

あったことをそのまま時系列順になんのご省略もなくおブログエントリをお書きになられるようおつとめ願えませんでしょうか。

御心の広い、お器の大きいあなた様のことですので「おdisりあいも多少の縁」と、

誤用も気にせず平然とおdisエントリのおトラックバックをお受けになられるやもしれませんが、

そのことのご対応により、あなた様の日曜技術者としてのお時間が失われることは、

わたくしをはじめとしたおウェブ住人にとりまして大変な損害になることもあわせてお考えくださいませ。

なにとぞ、あなた様のご体験なされましたことをお時系列順にお包み隠さずおエントリされることをお願い申し上げます。

敬具。

追伸。

先だってリリースされましたお顔にお落書きされるサービスなのですが、

あの写真モデルになられている方はどなたなのでしょうか。

大変気になっているところでございます。

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