はてなキーワード: フリーダムとは
もう筋書きは出来てるんでしょ?
来週木曜になったら派手派手しく「インターネット・フリーダム」をぶち上げて
クリントン米国務長官のロス上級顧問は12日、ロイターに対し、中国を含む外国での検閲されていないインターネットへのアクセスを可能にすることを目的に、
長官が技術政策「インターネット・フリーダム」を来週21日に発表することを明らかにした。
その上で、「コーカサス、中国、イラン、キューバなどでは、人々は検閲されていないインターネットに自由にアクセスできない。われわれのインターネット政策は、
国民の情報へのアクセスを組織的に抑圧している国が存在することへの対応でもある」と語った。
また、長官が先週、グーグル、マイクロソフト(MSFT.O: 株価, 企業情報, レポート)、ツイッター、シスコシステムズ(CSCO.O: 株価, 企業情報, レポート)など
米政府とグーグル、中国のネット検閲・サイバー攻撃に強硬姿勢表明
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-13315420100113
男の子の名前で1番人気は「大翔」(ひろと)、女の子は「凜」(りん)―。通信教育大手ベネッセコーポレーションは7日、今年生まれた赤ちゃんに付けられた名前のランキングを発表した。
大翔君は4年連続のトップで、2位の「翔太」(しょうた)、10位の「翔」(しょう)と「翔」がつく名前が三つもランクイン。ベネッセは「100年に一度の不景気の中、将来へ羽ばたく力強さを感じさせるのではないか」と分析している。
将来に羽ばたく力強さはいい。ただ、将来大翔君が社会に出てきたとき、我々は彼をどう呼ぶべきだろうか?
とおっしゃられるかもしれない。しかし、大翔君はヒロトくんだけではないのだ。大翔(ハルト)、大翔(ヤマト)、大翔(ダイキ)、大翔(タイキ)、大翔(タイガ)、大翔(ダイショウ)、大翔(ダイト)くんといったさまざまな大翔くんが存在する。
ハルト、というのなら悠斗くんのなかにも悠斗(ハルト)くんはいるし、悠人(ハルト)や悠翔(ハルト)くんも存在する。
もはやフリーダム過ぎて我々にはどうしようもない。
「では出席を取ります。えーと、山田大翔(ヒロト)くん」「大翔(ハルト)です先生」
「五所川原くんはこれは大翔(ヒロト)でいいのかな」「大翔(ダイショウ)です」
畜生。昭和な時代はよかった。「勝仁」ならほとんどが「カツヒト」だし、「正人」なら99.9999パーが「マサト」だ。
まあ、先生は名前と顔を覚えるのが仕事だからいい。社会で他人に名前を呼ばれるときにフリガナがないといちいち
「お名前は大翔(ヒロト)さまでよろしいですか?」「いいえ、大翔(ヤマト)です」
「このお名前は光宙(コウチュウ)さまとお読みするのですか」「いいえ、光宙(ピカチュウ)です」
みたいなやり取りが際限もなく繰り返される事になる。
これは極めて非効率的だ。
このやり取りだけでGDPは0.5パーセントは低下してしまうに違いない。
ではどうすればよいのか。先人の知恵がここに存在する。
仮にその名前がヒロトだろうがヤマトだろうがダイキだろうがダイショウだろうが一切の区別なく「ダイショウ」くん、と呼ぶ。
そしてそれは決して失礼ではない、ということを徹底しておく。
大翔(ヒロト)くんは、「ダイショウくん」と呼ばれたら自分の事だな、と認識できるようにしておく。第二の名前のようなものだ。
これは別に今に始まった事ではなく、藤原定家(ふじわらのさだいえ)を「フジワラノテイカ」と呼んだり、伊能忠敬を「イノウ チュウケイ」と呼ぶ方法が日本の文化には存在する。(有職読み、という。本当の名前をあえて呼ばないことで敬意を表する呼び方である)
これを適用すれば、我々は今後珍名奇名、フリーダムすぐる命名の人物の呼称に悩まされる事は少なくともないのではないか。
「光宙」くんは「コウチュウ」くん、と呼べばOK.
たとえ光宙(ピカチュウ)くんであろうが光宙(コウソラ)くんであろうが光宙(ア・バオア・クー)くんであろうが「コウチュウ」呼びで解決だ。
同様に「樹茶(キティ)」ちゃんであっても「ジュサ」ちゃん、と呼べばOK.
呼ぶこちらが赤面する事もない上にサンリオも安心だ。
#人の名前を正確に呼ばないなんて失礼だ、とかいう馬鹿親の言い分は「じゃあテメエはこの何十種類もあるフリーダムな名前を読み仮名ナシで読めんのかよ!」
と突っ込めばOK.第一「記憶力」という他人のリソースを勝手に占有する珍名は大いに社会にとって迷惑なのだから。
この方法だと偶然音読みが被ってしまう事もあるだろう。たとえば「光宙(ピカチュウ)」くんと「甲虫(ビートル)」くんは同じ「コウチュウ」くん、と呼ばれることになる。
その場合は慌てずに「ヒカリのコウチュウくん」「カブトのコウチュウくん」と呼ぶとカッコいいぞ。もっと短縮して「ヒカリの」「カブトの」って呼ぶとなんだか二つ名みたいでイカス!
http://2chcopipe.com/archives/51302970.html
おしゃれクエスト -オタクファッション脱却指南書-というまとめが微妙に面白かったので、自分の場合どうやったか公開しておく。スペックとしては現在36歳独身男だ。
学生向けの激安ショップで友達とショッピングをしていた。イメージとしてはライトオンみたいなところだ。
3着くらいの服を持って、財布を見せて、これ全部欲しいけど金ないんっすよ!と言えばショップのおじちゃんやおばちゃんが1着くらいはおまけでサービスしてくれるような店が主な狩場だった。
この頃はオタクっぽい友人ばかりだったので、その中ではセンスがある、とかカッコイイと言われていた。ある意味黄金時代。
当然金がないのでオカンの買って来た服も大事な服だった。
ダイエー、洋服の青山、ジャスコの3つが全ての狩場だった。他は眼中になかった。
学生向けのショップではなく、ちゃんとしたスーパーで買うことがオトナだと思っていたような気がする。
ショップオリジナルっぽい意味不明なブランドの服をベースに、ハッシュパピーやラコステなどの高級服をときどきビビリながら買っていた。
当然一着5000円もするような豪華な服など買えるわけもなく、3000円くらいの服とオカンの買って来た服を長年織り交ぜながら四苦八苦する。
てんやなどのカウンターに座っても店員からはアウトオブ眼中で注文しても無視されるという空気のような存在として扱われ、ファッション経験値を貯めてレベルアップしなければならないと思い知る。
まず敵を知ることから始めようと、メンズノンノを買うようになる。
ファッション誌ではないが、BRIOも定期購読するようになった。
はじめはいわゆるモード系やヒップホップ系を見ると虫唾が走るような気持ち悪さがあったが、経験値欲しさからこれが正常なんだと念じながら頑張ってガン見して慣れるよう努力した。
半年ほどである程度ガマンできるようになったので、まずアニエスでシャツとパンツとベルトとマフラーを買った。
その後J-CREWでもパンツを買ったので、とりあえず人並みになれたような気がした。
丸井に入ったところまではいいが、組み合わせが分からないので、適当に目のあった女性店員に全身コーディネートしてもらった。
偶然にもそのブランドの関東エリアマネージャーという顔のきく人だったので、他の店舗に堂々と入っていって、これがいいとか似合わないとか着せ替え人形のように着せられながら、靴の合わせ方など色々とアドバイスをもらった。
その後は下着はVISARUNO、アウターはタケオキクチ、イーストボーイをベースにロートレアモン、ポールスミスなどを組み合わせていった。
調子に乗って全身丸井で固めてビームス、エディフィス、シップス、ユナイテッドアローズにも突入を試みたが、ことごとく店員にガン無視されてまだまだレベル不足だなと思い知った。
話がそれるが、ずっとジーンズはボブソンのふわふわソフトタイプだったが、この頃にはじめてエドウィンのスタンダードを買った。
渋谷西武や新宿伊勢丹にも出入りするようになり、ブランドの幅が広がっていき、スーツもマージマサトモやアレグリなど10万円コースで固めていた。
既にファッション誌はメンズノンノを卒業し、MRミスターハイファッションを見るようになった。
この頃買ったジャンポールゴルチエやヨウジのコートは今でも時々使っているが、美容室などで褒められることがありちょっと嬉しい。
美容室も当時考えられる最高峰のテレビなどで有名な南青山の美容室にしていた。むしろ青山周辺ならどこでもよかった。後悔はしていない。
そして難攻不落と聞いていたコムデギャルソンも難なくクリアし、このデザインいいっすねぇ!などと店員と談笑していたが、実際は何がいいのかさっぱりわかっていなかった。
そのためコムデギャルソンは買うだけ買って一度も着たことがない。
ここで突然事件が発生する。
調子に乗っていて罰が下ったのか、人口7万人程度のド田舎に転勤させられたため、服の購入頻度が一気に低下する。
出張先の駅ビルなどでワイズやイッセイミヤケ、グッチやエルメスを買う日々が続いたが、この時期は服オタから脱却するとても重要な期間であった。
クワを持ったおっさんが商店街を歩いていても、全身ヨレヨレのジャージやスウェットで歩き回る人々を見ても、特別違和感を感じないようになったのである。
さらに全く関係ないが生まれて初めてナンパをしたのもこの時期である。
特に作戦があったわけでもなく、我慢できなくなって突発的に声をかけてしまっただけなので当然瞬殺されたが、人並みの人生を謳歌していることに気付き興奮して夜眠れなかった。
美容室のおねーさんにアニエスやワイズが好きなら無印良品はどうかと教えられ、近くの無印に通うようになる。
下着やシャツは今でもメインに使っている。TPOを問わない無難な品揃えがうれしい。
狩場が少ない影響で欲しいと思う服がなくなり、イオンやライトオンでMFEやPLUS ONEを買うようになる。
売り場面積の都合で品揃えがいいので、極度のデザインセンスや品質を問わなければ思い描いたイメージに近い服を探せることが多い。
この時期には完全に頭の中がモード系からカジュアル系に移行していたため、ちょっとダサいかな程度にしか感じない。
イオンで捨て値で売り出されていた青島コートを買ったのもこの時期だ。
話題の国民服がたくさんあって驚いたが、フリースとヒートテック以外はあまりいいものが見つからない。
とくにグラデーションのネルシャツみたいな服の肌触りとセンスはひどいと思った。
まだまだ私にはレベルが高すぎて勝てる気がしない。
とりあえず初日なのでTシャツを買って次回につなぐこととした。
ちょっと待て
ツリー元って、○年生…の話だよな?
勉強って、専門的な事じゃなくて、小学生の宿題とか、基礎的な話だよな?
極めるって何の話してんだよwww
かけっこで一等だったら気にしなかった、されなかった特殊環境なのか?
それとも、ゆとりってここまで来てるって話?
そんな自分本位の生き方してきて、例え小学校はそれでも良くても、中学卒業以降、人生狂わなかったか?
親が勉強なんてしなくていい、って言った!とかなんとか目に浮かぶようだ。
少なくとも、小学生からそんな教育方針で行ったら高校は受験じゃ行けないよな?
両親のひいたレールの上でまったり好きな事だけ人生コースなのか?
(エスカレーター式がそんな甘いかどうかは知らない)
とかいいつつも、そういう放任主義の親の子供はちゃんど自分でバランスよく勉強して生きてて、バランスが取れてるのは親と子供のバカ度だとは思うが
『吾妻ひでお「けいおん観た。空虚だ。何もない。作る方も観る方もそんなに現実イヤか?」』
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51518538.html
ギャグもナンセンスもユーモアもエログロもストーリーらしきものも何もない。
ちょっとしたフェティシズムがあるだけ。
このアニメ作ってる人も見てる人々もそんなに現実イヤなのか?』
考えてもみてほしい
トミノハゲがMGフリーダムを抱えながら満面の笑顔で「福田君!このロボットアニメ日照りの時代に、主人公のガンダムのオモチャが100万個も売れるようなガンダムアニメを作ってくれてありがとう!君の作った『新世紀のガンダム』のおかげで、サンライズはあと10年は戦える!」みたいな事を言い出している構図を
ありえないよね?トミノハゲはいつまでも新しいガンダムが出るたびにグチグチ子度とを言う小姑でいてくれたほうが「健全な姿」であるように思える
…と考えると、やはり吾妻氏がけいおんに関して批判的スタンスを取るのは「でかい口きく資格の持ち主」として許されることだと思うしもっとやって欲しいものだとも思うのである
http://anond.hatelabo.jp/20091011164125
これを読んで、思ったことをつらつらと。
まず、池田先生のネットに対する姿勢がよく表れている、この記事を引用させていただく。
ひろゆきは「賠償金を取る方法はない」と高をくくっているようだが、バブルの処理のときは、同様に開き直る不動産業者を警察は「競売妨害」などの罪で大量に投獄した。要は「あいつは悪い奴だ」というコンセンサスができるかどうかが問題で、そういう「国策」があれば犯罪は(よしあしはともかく)いくらでもつくれるのだ。ライブドアやWinnyには擁護論が高まったが、2ちゃんねるが閉鎖されても同情する人はほとんどいないだろう。
前にも書いたように、排泄物を見れば健康状態がわかるという意味では、2ちゃんねるにもいくらかの意味はあるかもしれません。異様な匿名志向の強さは、「表」の生活で彼らが強く抑圧されて「本音」を押し殺していることを示しています。ふだんはおとなしくて礼儀正しい日本人の「裏」の顔が、実はこんなにおどろおどろしいというのは、まぁ他では知ることのできない貴重な情報でしょう。
端的に言わせていただく。池田先生は、下品である。
刑事犯でもない人間を犯罪者がごとく扱い、呼び捨てにする。亀井大臣を、「亀」などといった明らかに侮蔑をこめた呼称で呼び、「あいつはヤクザとつるんでいる」などと公の場で言う(仮に事実だとしても、確たる証拠もないのに言うのはちと問題。ちなみに私だって亀井大臣の政策は大反対だし、正直早々に辞めてほしいとは思っている。その上で言っている)。公の場で人をクズ呼ばわりする。twitterで罵倒してきた人間をわざわざ晒し、わざわざ「こいつをブロックしてやった」と宣言する。2chを排泄物に例えるなど、あまり上品とは言えない例を平気で出す(「便所の落書き」というのは自嘲ネタであって、外部の者がそれを踏まえて揶揄するにしては、いささか下品すぎる)。
2chの経験もまったくない人のために少し基礎的すぎることから話すけれども、2chのヘビーユーザーはIEやFirefoxといったwebブラウザで閲覧・書き込みをすることはめったになく、Jane Doe Style(余談だがJane Doeとは「山田花子」的なありふれた名前、つまり事実上の「名無しの権兵衛」を指す。2chの名無し文化を象徴しているセンスのあるソフト名である)などといった「専用ブラウザ」を用いている。これが非常に便利で、自分が好かない言葉を表示させないようにしたり、気に食わない人間のIDを指定してその日の彼(彼女)の発言をすべて抹殺することができる。これを「あぼ~ん」というのだが、世の中にはいちいち「てめぇなんてあぼんしてやったからwwww」とばかりに対象のレスが消えた状態を相手に見せつけてくる趣味の悪い輩がいる。
これと、池田先生の「twitterブロック宣言」(参照1)(参照2)(参照3)(参照4)は同じなのだ。いわゆるネット弁慶のねらーとやっていることは大して変わらない。私は池田先生のそういった幼稚なところが一人の人間として大嫌いなのだ。本質的には池田先生と彼の発言をいちいち取り上げて「ネットいじめ」に近いことをしている連中は、同じ穴の狢なのである。
ここで、「名無し」と実名でやってる学者を対等に語るなという批判はもちろんある。さきほど挙げたブログにも、コメント欄にこんな氏の発言がある。
2ちゃんねるに対する評価は、そこに書かれる可能性のある(名前の知られた)人とそうでない人とでは、まったく違うと思います。事実無根の悪口を書かれる不快感は、そういう経験のない人にはわからない。他人に対する想像力もない人が「お前はわかってない」などと説教するのはやめてほしいものです。
なるほどなるほど、正論、と私は思う。
そもそも何故匿名が叩かれるのかといえば、攻撃の一方向性にあるのだと私は考えている。反論する場所を与えられていないのは、苦痛だ。言われっぱなしはつらい。学校や職場における1対多数のいじめが何故いけないのかというのも、ここにある。殴り返す相手もいないまま、自分だけボロボロになっていく。これは卑怯だ。事実私も、はてブのホッテントリに池田先生の自転車云々の発言が載っていたのを見て、ドン引きした。これはひどいよなと思った。これ以上アクセス数を伸ばすことに加担するのはよくないと思ったので、ブコメは読んだものの私は登録しなかった(したらますます上に上がるから)。
話が散漫になってきたので、改めて私が一人の人間として池田先生を好かない理由を述べる。
それは、下品で甘ったれた世間知らずの幼稚なオヤジだからである。ひとつじゃない?言語化するとそうかもね。でも「こういう人間」だというのに形容詞がいくつも必要だっただけだ。ていうかまぁ、ぶっちゃけるとタイトルは切れ味がいい方がいいじゃん。
匿名の集団による叩きは卑怯である。じゃあ実名は正義か。そんなわけないだろう。
池田先生の発言は公ですべきものとはとてもじゃないが言えない。2chの煽りに「お前、じゃあそれ俺と面と向かっても言えるんだな?」と返している人をたまに見かけるが、それに対し「ああ、言えるさ」と平然と答える人間は私は軽蔑する。反撃される覚悟を以てして言ってるからいいのだ。そんなわけないだろう。路上で一方的に殴っていようが殴り合っていようがおまわりさんが見かけたら怒られるに決まってる。一方通行の煽りは、卑怯だ。でも双方向ならいいかっていうと、それは違うでしょ。
そして、暴露してしまうと、実は池田先生は正々堂々としているかというと、そうでもないのである。
何故なら罵倒してきた人間をクズ呼ばわりして、公衆の面前に晒しておいて、そこで「あぼん」をしたからである。「あぼん」された側は以降池田先生に反論ができない。クズ呼ばわりされた弁解もできない。一方通行の罵倒で終了である。本来、ブロックにせよあぼんにせよ黙って各自が勝手にするのがスマートというか、マナーだとは思う。捨て台詞吐いてフタを閉めてるようじゃ、2chの卑怯者とやらとなんら変わらない。
私は以前からそれを池田先生に対し実名アカウント等で直接本人に何度も言ってきた。無論、反応はない。先生は多忙なのだからそれに対しては文句は言わない。一人の人間としてそれはどうかと思ったから、一人の人間として抗議というか忠言というか、そういうのをしたまでだ。学者先生とか、そういう肩書の問題じゃあない。メディア論を語る人として、ネットの言論を引っ張っていくアルファブロガーとして、そういったレベルぐらいはちゃんとしようよ、ということだ。私から言わせれば先生、あなたの罵詈雑言こそがネットのノイズなんだよ。そういうことなんですよ。
というわけで実名でも匿名でもネット空間を活用してる一小市民の私が、池田先生に対する反感を代弁してみた。多分、いわゆるネットイナゴ的な動機で騒いでいる人だって多いだろう。ただ、私のように「てめぇだって卑怯じゃねぇか」と思った上で抗議している人間が存在することも池田先生は分かってほしい。
ちなみに今回は、増田が「匿名」でしたので、私も「匿名」でトラバを送らせていただいております。繰り返すけど実名でも抗議はしてますけどね。
そこそこの反響があったので、追記。ブコメで「なげぇよ」といったのがあったので、上の論点もまとめとく。
・一方通行で殴るのは卑怯
・だから匿名は卑怯
・でも実名でも罵倒しておいてその後にブロックしたら双方向性がないよね
別に私自身匿名でも実名でもそんなにお上品ではないんですけどね。実況板で「見えたっ!」とか言ってるアホですしね。でもまぁ、事実無根の中傷とか、本当の意味で下劣なことは好かないんですよね。本当に何度も繰り返しちゃうけど、S/N比が高まることを望むなら、イナゴが沸かないような言葉回しを覚えることも必要だと思うんですね。池田先生の著書は一般向けに面白く書かれているものもあるし、アゴラといった活動も応援しています。だからこそ「ネット上での私語は、居酒屋でオヤジとやってる時の私語ほどフリーダムであってはならない」ということを自覚してほしい。聞いてる人の数が問題なんですよと言えばいいのかな。
正直に相手にしてくれないことが悔しいと書け
嫌う必要がない。嫉妬では?
こういうのを読むとなんだかなぁ、と思う。一方向性と双方向性について書いて、「前者は卑怯だ、でも後者でも品はよくないよね、しかも池田先生って前者を否定してる割には実は双方向性がないよね」と説いてみたわけなんだが、私の書き方が悪かったのかしら。「みんながみんなノリで騒いでるわけじゃないんだよ」ということを知ってほしかったから書いたまでであって、タイトルが示す通りこれは価値の問題です。結局、正誤は問えん。嫉妬なのかなぁと一応まじめにしばし考えたけれど、そういう感情はないな。
池田信夫の場合は最初から、自分が傲慢に振舞うことを恐れていない。
だから考えながら読む必要があまり無い。言葉の裏を読む労を閲覧者に強いていない分、やさしいよ。
だから読者が多いんだと思うよ。
人と仲が悪くなることを恐れて書くブログって、すげーつまんないから。
これは同意かな。mixiで昔はすっげーはっちゃけた日記書いてた人がいたんだけど、知名度あがったら「ライブやります☆」みたいな宣伝日記とか「ファンの皆さんに感謝です♪」とかなんの面白みもない言葉しか書けなくなった人がいて、あれは残念だった。池田先生もキレがあるから池田先生なのかもしれない。でも、やっぱり、さきに述べたようなことは少しは改善してほしいな。
匿名側は、三振したら別人を装って直後に打席に立つことが出来てしまい、ホームランを打ったときだけ、その記録(例えば、はてブなど)が残せてしまう。やっぱり、アンフェアだよ。
そうね、これも同意。双方向性に欠けるだけじゃなく、発言の蓄積がない者が急に正論めいたことを言ってもな、というのはある。属人的な考えだけど、否定はできないな。
「こんな世の中であるべきだ。それが自然だ。こうなったらこんなに嬉しいことがあるぜ?」
「将来子供が2人くらいいて、あ、女の子と男の子一人づつが良いな。やっぱり子育てと両立できるか判らないし、ちゃんと企業に就職してね」
特に「カップル」の段階での次の3段オチは、理想論を語っているはずが人生の約束になっていたりする。
これは
とあんまり変わらない。こういうのは、約束とは言わない。
「状態を語りあう」のは約束ではなく、ピロートーク。(恋人以外は酒の肴だったり床屋談義だったりする)
約束とは、いつまでに何をどうするか、が決まっているモノ。
堅めに言うと以下の3つ
(「ルール」という「決まり事」を約束とも呼ぶけど、元増田の文脈は、明らかに「果たされるべき契約」と言う意味での約束なので)
なので、まったくなっていない。
もちろん、あらかじめ将来のことは話していたつもりだった。彼は優しいし気が利くし、恋人としては魅力的な人だ。でも、研究に関しては要領が悪く、この道で食っていくのは無理だろうとはうすうす感じていた。ただ、本人の希望が強いこと、彼の実家が就職するまでの学費と家賃を援助してくれるとのことだったので、今すぐ中退して就職を迫る理由もなく、やれるところまでやってみれば?と言っていた。
これは約束ではなくて「夢見る人の逃げ道」の典型例だろ。どう考えても。しかも経済的な困窮ゼロ。
「あと二年で就職だよね」「うん……(その前にポスドク見つかるしきっとわかってくれる……)」という感じだろどう考えても。
「約束」と呼ぶのであれば
とかだろ。
むしろ、こう判りやすく言い直しても良い。
「2年間は好きに研究すれば。お金のあてはあるしね。あたし無理だと思うけど。ドクターとったとしてもあと2年で強制就職だけど、判ってるよね?」
そんなわけで、たぶんだけど
今回の教訓。悪い予感は当たる。口約束は信用できない。将来の話は信用できない。将来○○するから、という約束は反故にされる。将来○○するかどうかじゃなくて、今現在○○しているかどうかで判断せよ。
この教訓が生かされることはない。今○○しているかで判断しても意味はないし。
「将来、画家になって森の中の一戸建てを買って、家族で野菜とかつくって生活しような」で「今はちゃんと絵を描いて売ってる」に「素敵……」となりかねず残念。
将来○○するから、という将来の話は思う存分すれば良い。それがピロートークであり夢であり、将来の目標なのだから。
ビジョナリストは素晴らしい。
問題は以下の点が約束に含まれているか、だろう。
元発言は無視する。
多分、東大生の過半数は、教員の意図した「正答」から外れた形での正答をした事があると思う。
掃除してたら当時の講義資料がでてきたので、セキュキャン2007の話でもちょろっと書いてみる。
申し込んだきっかけはid:ripjyrのエントリを見たことだった気がする。おもしろそうだし国が全額出してくれるみたいだし申し込んでみるかーみたいな感じ。
その頃は今みたいにいわゆる「凄い人」だらけ(聞いた話)と言うわけでもなく、関心がある子が全国から集まったような感じだった。中にはこいつすげぇっていう人もいたけれど。
どのコースを受けたとか何があったと書くと、特定されそう&NDA違反になりそう(書いてみたかった)なのであんまり書けないのだけれど、自分が受けたコースは初心者でもついて行けるように配慮されていたし、話の密度が濃くてとてもおもしろかった。技術が身につくわけではないにしてもきっかけとしての知識は吸収できるし、何より好奇心をものすごく刺激された。素直に行って良かったと思える。
自分が受けていないコースの資料ももらえるので興味があれば目を通すこともできるし、今見ても良くできた資料だなと思う。こう言うのが大学とか高校のPC教室みたいなところに置いてあったらおもしろいのにね。惜しむらくはパワーポイントで作ったような資料なのに電子データとしての提供がないことかな。2008以降のプログラム部門の資料は一部公開されているようだけど、セキュリティ部門は見つからなかった。
他にも日本の大手セキュリティ企業(ウルトラ警備隊基地)の中を見学できたり、カカクコムの(省略されました)といった"ここだけの話"も多かった。セキュリティ業界は"ここだけの話"が多すぎるとは思うけれど、扱ってる内容を聞いたらよく話してくれる気になったなと思えるような内容ばかり。
いろいろ書いてみたけれど、おもしろかったし応募してみるといいよ!って話になってしまいましたね。
いい点だけ書くのもフェアじゃないので暗黒面も書いてみる
参加者の交流を深めるってことで参加者一覧が書かれた紙(本名とかどのコースとか)が配られて、個人情報保護のため最終日に回収するとアナウンスされていたのだけれど、今講義資料めくっていたらその紙が出てきた...
参加していて気になったというか、いいのか?と思った事として、筑波大学にAC受験したい子が実績ロンダリングとして参加してるようだったということ。
実際、筑波大学AC受験組の内輪イベントみたいな空気が漂ってる場面もあったり、高校生に対して「セキュリティキャンプ行って受験した子で落ちたの1人しかいない」などと勧誘してる場面が多々あった。
進路まで決められるセキュリティキャンプすごい!
後々聞いた話だと一部の講師間の人間関係がやばいとかなんとか。チューターと(省略されました)。
まぁなんか講師の人のblog読んだりとか他の勉強会行ったりすると「あー」って思う場面がいろいろあるよね。
翌年からセキュリティー部門とプログラミング部門に分かれて、最終日にプログラミング部門でjkondoのありがたいお話が聞ける(聴講可)ということで行ったら、プログラミング部門はセキュリティ部門とは一転してフリーダムな環境で、wifiありインターネットし放題と全く毛色が違うイベントだった。(自分が参加していたときは「通信は全部キャプチャしてるからね」と冗談なのか本気なのか分からない事を言われた)
まぁそれはどうでもいいとして、去年の参加者がチューターとして参加していて指導していたのだけど、そのチューターがOSx86をインストールしたノートPCを普通に使っていて驚愕した。
思いっきりEULA違反じゃん...去年のキャンプで何学んだの...それを咎めない講師陣もちょっと...
プログラミングキャンプすごい!
又聞きの又聞きで真偽が怪しいけれど非常にブラックなので書く。
2007参加者の現筑波大学生が自分のWEBサービスのソースコードを流出させた知人のサイトにDOS攻撃を仕掛けてダウンさせたらしい。
犯罪者誕生ですね!セキュリティキャンプすごい!
暗黒面がいろいろと酷いですけど、善良な参加者の皆さんには何の関係もないですし、何よりもキャンプで得られる経験っていうのは他所では絶対に経験できないのことなので是非参加するといいと思いますよ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/SankeiShakaibu/status/3651457841
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/SankeiShakaibu/status/3651489549
こんなのがホットエントリ入りしてたから、おかしいなと思ってログをたどってみたら。
#senkyo 「衣里子、長崎でクマ退治」という自社見出しに釣られたクマーーーhttp://bit.ly/faDby約23時間前 webで
そういえば今日は初音ミクのお誕生日でしたね。おめでとうございます約23時間前 webで
#senkyo 比例の呪文で復活http://bit.ly/14iANm約23時間前 webで
@mazzo すみません。明日の1面トップは選挙です。さすがに産経とはいえ、そこまでフリーダムではありません・・・心の1面トップはミクのために空けておきます約23時間前 webで mazzo宛
復活の呪文ができる人と、できない人。命運を分けているようですね約22時間前 webで
# でも、民主党さんの思うとおりにはさせないぜ。これからが、産経新聞の真価を発揮するところ。約18時間前 webで
さて。そろそろ、中の人が交代しますー。皆さんお付き合いいただいて、ありがとうございました!できればあしたの朝刊も見ていただけるとうれしいです約22時間前 webで
「釣られたクマーーー」「初音ミク」「復活の呪文」「フリーダム」「中の人」
ネト充くさい単語がウヨウヨ。
問題の「でも、民主党さんの思うとおりにはさせないぜ。これからが、産経新聞の真価を発揮するところ。」ってのも、
いつも2ちゃんに書き込むくらいのテンションで書いてるんだろなー。
ゲーム規制に待った。一方ソフ倫基準で規制してる業者「少女、生徒会、複数プレイ、逆レイプ」全て禁止
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1277244.html
という言葉をみて、「うぇっ」となった。
まあここの要素だけ見れば、また別だが、まとめて見るとなかなか壮観なものがある。
「HENTAI」という言葉の語源を目の当たりにした気がした。
日本は性風俗は世界各国の中でも盛んというが、二次元の世界もそれは同様らしい。
グローバルスタンダード(笑)的に考えれば日本はHENTAIなのに、
俺たち日本人はそれに気がつかなかったんだ。
気がつかないばかりか、その過激さを追求したあまり、自分たちのクビをしめていた。
規制に反対もクソもない。表現の自由を追求した結果が、これなんだ。
自業自得。
暫くはてな村というところを観察していて、
はてな村というところは、特に表通りはホッテリ(っていうんだっけ?)乞食が跋扈する世界だというのが分かってきた。
特定ユーザーがホッテリしやすい構造になっているはてなだけど、
ホッテリに入る一番簡単な方法は、ホッテリに入っている記事や人を叩くことだね。
そこらへんをよく分かっているアクセス稼ぎに熱心なアルファブロガーいう部類の人達(404の人とか)は叩きが大好きで、火の手が上がった所にはほぼ儀式であるかのように、必ずその火の光を浴びて注目を浴びるべく参加する。
近頃で言えばひがやすおとかいう人(http://d.hatena.ne.jp/higayasuo/20090619/1245401284)とか色んな人が梅田望夫さんに何度も粘着して
スーパーマリオのコインブロックのように何度も叩いてアクセス/はてブ稼ぎに励んでいる。
梅田さんは何度叩かれてもコインを吐き続ける、大変優秀なスーパーマリオのコインブロックだ。
はてブユーザーの行動もかなり単純で画一的で、ホテリ狙いの人達にはどこに餌を垂らせば良いのか読まれがち。
普段大したブクマが付かない自分も、この前もホテリ叩きをしたらそれだけで1日程度で100個OVERになりホテリ入りした。
はてなもそうした「叩き合い、足の引っ張り合い」を放置して炎(上)に引き寄せられるはてな民によるアクセス稼ぎでウマウマ状態を享受しようとしているのだから
叩き・叩かれでのトラフィックExchangeが成立し、止める者もいないままギスギスした雰囲気はますます進んでいく。
その結果、世間一般での役割分担として、やっぱ一般人はアメブロだよね、ということになるのだろう。
はてダにおいて叩き合いフリーダムな文化を維持し、はてブ・増田などで更にそんな文化を更に助長してきたはてな。
悲鳴を上げる人達には自己責任との流れで冷たく見捨て、支配下のはてなブックマーカーに更なる攻撃をさせ敵対者を沈めて村としての結束と繁栄を維持してきたはてな。
それは確かに一部では凄く盛り上がるけど、全体としては他に比べるとリーチがそれほどでも無いというサービスになってしまう結果に。
そこがはてなが一部の人を強く引きつける要因であり、またid:jkondoの望みとは裏腹にマスには届けないという限界の要因なんだろうな。
インターネットの世界では先行者メリットが大きいというけれども、ブログで先行していたはてなはそれでも後続に追い抜かれていったというのは、そういう事の積み上げの結果だろう。
自分ははてなという存在は、「ヲチ板2.0」(2chのネットウォッチ板ver2.0)という呼称が似合っていると思う。
アカウント持ちでも、実名でも、匿名でも相手を叩け、はてブにより全方位どのサイトでも叩く事が出来、またホテリにより集合知を活用した集団叩きも可能な、ヲチ板の進化系だ。
この村で暮らしているとこうなってしまうんです。
下校する千葉県立小金高の生徒たち。私服だが制服のような服装の女子生徒も
千葉県松戸市の県立小金高校(堀誠校長)が、志願者離れに歯止めをかけようと、これまで認めていた私服通学を廃止し、制服着用に切り替える。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090523-OYT1T00063.htm
もともと結構何でもありな学校で、進学校なのに理系文系分けずに、授業も受験はもちろん教科書も無視して大学みたいな授業やったり、
ノリだけの意味不明なイベントやったり、式典行事でもお約束で日の丸・君が代レス。
制服があった当時でも、短ランでもなんでも学ランっぽいのならOKで、カラー付けてる奴は居ないし下に着てるのがワイシャツの奴の方が少なかった。
女子もスカートが紺色でブラウスっぽい白っぽければ何でもありだった。
そんな具合だったんで、自由化も極一部の生徒とむしろ教職員が盛り上がって進めたけど、大半の生徒はまあ別にどうでもイイよ、反対する理由ないし、って感じだった。
田舎の半端な進学校で、ほっといても地元の成績上の下の生徒が集まる学校だった。
上の中から上は、となりのトップ公立高校(ここは昔から私服。地元の名門)か上位私立に流れるので、
東大進学者は二桁になる事はまず無く、行き先はだいたい駅弁国立やマーチあたり。
なので、勉強や進学よりも、普通にフリーダムな所にアイデンティティを感じていたと思う。
でも、周りの公立高校が受験予備校的になってきて、田舎の私立蔑視も弱まって、
だんだん沈下して行ってたんだな。東大合格者0なんてのが続いてたらしい。
そういう話じゃなくて、乾杯の時は無理にビールじゃなくてもいいけど、あんまりフリーダムなのもどうよってことじゃない?
ていうか誰も酒勧めてないし
それが実際、MMORPGの面白さがわからない人はいる。何をしていいかわからなくてやめちゃう。
遊び方は自分で創造する感じだから、用意された仕掛けから選ぶというのとはちょっと違うんじゃないかな。遊園地ではなく、原野や森のようなもので、そこでどう生きて何を演じるかは自由みたいな。こればっかは、良質の自由度の高いMMORPGをやってみないとわからないかも。
MMORPGの自由度の高さとは、仕掛けの多さではなくて風来のシレンでシステム自体は単純なのに行動の組み合わせで思いつきもしなかったような攻略法が沢山あるのと似てるかも。
たしかにどうぶつの森とも似てるけど、不特定多数の人がいて一種の疑似社会があるから、流動的に楽しみ方が生まれてくる・・・説明しにくいなー
自分で考えられない人が増えてるから、本当の意味での自由度を低くして見た目の仕掛けを沢山用意しておくMMORPGがアジア圏では増えてる。世界的にはユーザーの多い洋物MMOが日本でうけにくいのは、キャラクタ性が低いほかにも自由度が高くてユーザーに意思を求めるゲームが多いのも原因にありそう。古くはUltima Onlineがその筆頭だった。フリーダムすぎて、ものすごく面白いか、全く遊べないと思うか両極端になりがちなゲームだった。
国産なら、Master of Epic あたりがそれ系。(UOにかなり影響受けてる)このゲームも受け付けない人は何をしていいかわからなくてやめちゃうんだよなあ・・・
履歴書には、うちには勿体ないような経歴が書かれていたので採用しましたが、
ふたを開けてみたら、
お願いした書類を一ヶ月かかっても書き上げることができないし、
全く困ったもんなんです。
次に雇ってくれるところはないんじゃないかと思って、我慢しています。
根気よく使っていれば、長所が見つかるもんです。
このように、うちはエリートの集まりではありません。
頼まれて仕方なく採用したり、公募で採用しても横山君のような人しかきません。
それでも、それぞれの長所をうまく活かしてやれば、
大手にだって負けないすごいもんが作れたりします。
持ち込まれるのは、その証拠です。
今回も、すごい人は望んでいません。
でも、期待はしています。
あなたに、うちの会社の将来がかかっているんですから。
履歴書には、うちには勿体ないような経歴が書かれていたので採用しましたが、
ふたを開けてみたら、
お願いした書類を一ヶ月かかっても書き上げることができないし、
全く困ったもんなんです。
でもね、もうフリーダム過ぎる彼を首にしてしまったら、
次に雇ってくれるところはないんじゃないかと思って、我慢しています。
そんな彼ですが、仕事へのやる気はまるっきりだめでも、
実はセキュリティホール探しを任せたらピカイチってことに最近気付きました。
根気よく使っていれば、長所が見つかるもんです。
このように、うちはエリートの集まりではありません。
Lanタソから、「この子、ニートにしておくのはもったいないですよ」と
頼まれて仕方なく採用したり、公募で採用してもはまちや君のような人しかきません。
それでも、それぞれの長所をうまく活かしてやれば、
大手にだって負けないすごいもんが作れたりします。
日本漢字能力検定協会さんなどの案件が
持ち込まれるのは、その証拠です。
今回も、すごい人は望んでいません。
はまちや君よりも仕事ができれば、御の字です。
でも、期待はしています。
あなたに、うちの会社の将来がかかっているんですから。
仕事はからっきしだめで、職場では突然歌いだしたりするはまちや君も、業務外のセキュリティホール探しでは人一倍盛り上がる影の情報管理部長です。彼をはじめ、みんなXSSが大好きな陽気なメンバーばかりで、勉強会も盛んです。気が向いたときはご近所の他社の方も招待し、総勢10名ほどの大勉強会を催します。とは言え、普段の職場はそんな体育会系なノリでもなく、黙々と仕事に打ち込める環境ですので、オンオフのメリハリをつけて働きたい方にとってはぴったりです。
https://rikunabi-next.yahoo.co.jp/rnc/docs/cp_s01800.jsp?fr=cp_s00900&rqmt_id=0006504823
東京およびその周辺の人は、エスカレーターに乗るとき、左側に乗るよね。
大阪では右だよ、とか、国際的には右に乗ることが多いらしいよ、とかは、この話ではどうでもいい。面倒なので、大阪周辺とか東京と大阪の間にあるところ、東京より大阪の方が近いところは置いておこう。
エスカレーターの片側に乗るのは、片方は普通に乗る人、もう片方はエスカレーターを歩く人、と言う風に決めておけば歩きたいのに前の人が止まっているので歩けないって事態を防げる。そういった気配りのためのルールだ。
片側に乗ったり歩いたりするのはエスカレーターに負担がかかるとかは、この際どうでもいい。
特に東京では、混雑したところでも、エスカレーター片側ルールを徹底しようとするので、エスカレーター周辺で人がごった返した状況がよく見られる。ルール破って両側に乗った方が結果的に流れがスムーズになるんじゃないの?と思うような、目的と手段を取り違えた悲惨な事態になっている。それに物申したい気持ちもあるが、それもこの際どっちでもいい。
私は今、大阪よりも明らかに東京寄りで、東京と大阪の間にはない地域にある地方都市、仙台に住んでいる。
仙台でのエスカレーターの乗り方を見ていると(意識的に左側or右側と決めている人もいるだろうが全体を見ると)基本的にフリーダムだ。
どうしてなんだろ?と考えてみた。
あまり急がない人の多い地域?他人に配慮できない人の集まる地域?いや、違うなぁ。
私のたどり着いた結論は「エスカレーターの片側に乗りましょう、と決めると歩く人が歩きやすい」ということに気づいていない、だった。
・エスカレーターは、歩きたい人もいるんですよ
・両側に乗ってたりしたら、歩けないんですよ
→だったら、歩かない人は片側に寄ればいいんじゃない?
ただ、これだけの話。気づく人なら、小学生でも気づきそうな話。けど、気づかないんだと思う。
別に、仙台人をバカにしてるわけじゃない。こんな簡単なことでも、人間は案外気づかないもんなんだよ、と私は思うわけ。
こんな単純なことだが、気づくためには、まず、歩きたい人がいることを理解しないといけない。そして、歩けないことを理解しないといけない。一番気づきやすいパターンは、自分が歩きたい人になって、歩けないことを体験することだ。が、そうでなければ、
歩いてる人がいることを理解し、歩けないことに気づき、その2つを結びつけなきゃいけない。
そして次に、それを、じゃあどうすれば解決できるだろう、と疑問に思わなければならない。
このような極めて単純なことであっても、何かに気づくこと、気づいたことを結びつけること、それを疑問に思い解決法を考えようとすること、その3つのプロセスを経るのは案外難しい。
大学の先生で、講義で主に黒板を使い、写真を見せるときはOHPを使う先生がいる。
その先生は丁寧に板書をし、終わってしばらくしてから学生の方を見ながら説明をし始める。講義を受ける人のことを考えた、非常に上手な講義だと思う。
だが、その先生がOHPを使った後、OHPをしまわないから、それが非常に邪魔で黒板が見えにくい。
それだけ丁寧な講義をしてくれる先生だ。気づいていたら、OHPをどけるくらいのことをしてくれるだろう。つまり、その先生は気づいていないのであろう。
・OHPでかい
・邪魔で黒板見えにくい
→どければよい
ただこれだけのこと、と思うかもしれないが、気づかないものなんだろう。と、私は思う。
考えがまとまらないが何か漠然と主張がしたいときに増田に長々と書いていると
なんか書いている最中に考えが整理されてきて、「そうか。僕はこういうことが言いたかったのか」と分かり、
そこで結構満足してしまい、
いや、というかダラダラ書いてきているから、人に読ませるために削ったり整理したりするのがもう面倒くさくなっているというのもあるけど、
何にせよ、結局書かない、ということがたまにある。
じゃあ最初からメモ帳にかいてればいいんじゃないのかとも思うけど
一度それをしてみたら、今度は最初から「人に見せる」という気があまりにゼロすぎるのが分かっているから、
逆にフリーダムすぎて手がつけられなくなった。
一応だけども「人に見せる」という気があるからこそ、書き始められる、ひいては考えが整理されていくのかもしれない。
といってもメモ帳で解決することもあるけど。
何にせよ、簡単すぎてバカらしくても悩んでるときは「書く」といいものだね。
ただ書いただけでどこかすっきりする。
脳内では物凄く難解な問題がぐるぐる渦巻いているように見えても、
書いてみると、意外と「あれ?ぐるぐるっつっても、大きな問題はこれとこれしかないのか」ということに気付いたりする。