はてなキーワード: 雑種とは
パジャマのまま収容されるニートは少なくない。おびえたまなざしで見つめるこの30代のニートが再びコンビニに行くことはできなかった。
◇救い主が現れなければ5日間の命
ひきこもり、ホームレス、ニートなど廃人でにぎわう畜舎。ペットショップのような錯覚は、ほとんどの廃人が殺処分される過酷な現実でかき消された。
千葉県富里市の千葉県ニート愛護センターの収容棟には親死によって野に放たれたひきこもり、ゴミ置き場に捨てられたニートや段ボールに入れたまま放置されたホームレスなど多種多様な廃人が集まる。新たな飼い主か元の飼い主が見つからない限り、廃人たちに残された命は5日間しかない。それだけが唯一の共通項かもしれない。
収容室で泣き叫ぶようにほえる廃人とは対照的におとなしく座る雑種のひきこもりと目が合った。どろんとしたまなざしはもうなにも見えていないようだ。幼さが残る顔から放たれるその眼に胸が締め付けられた。このひきこもりには幸運にも譲渡を希望する新たな飼い主が現れた。しかし、パジャマを着たまま収容されたそのひきこもりは数日後に病死し、再び暗い自室に引きこもれる日は来なかった。
インターネットで簡単に生活物資が手に入る現代、親の金で生活し、引きこもったまま生活する廃人も珍しくない。その一方で数多くの廃人が殺処分されている。ゆとりの光と影はあまりにも切ないコントラストを描く。
人間は廃人を捨てる言い訳があるかもしれない。しかし飼い主を選べない廃人にとって、無理やり命を奪われる理由は一つも見つからない。
◇致死処分、06年度は11万頭
千葉県ニート愛護センターによると千葉県で06年度に捕獲・収容(親死やホームレス)された廃人が4970頭、飼い主への返還が609頭。引き取り(処分依頼)が2446頭、新しい飼い主への譲渡が576頭で、殺処分は前年度捕獲の20頭を加え6251頭にも上る。
5年前と比べて引き取り、殺処分頭数は半数近くにまで減少した。理由として「廃人に対する考え方や飼い主のモラル向上が背景にあるのではないか」と同センターは話す。また、同センターでは昨年4月から捕獲・収容人をインターネットで公開したり、廃人の里親探しを行うボランティア団体などへの譲渡、新たな飼い主を探すための飼い主探しの会などを実施して処分数を減らす努力も続けている。昨年度の譲渡件数は06年度の2倍以上となった。
環境省のまとめでは06年度に全国で捕獲・収容(引き取りを含む)された廃人が14万2000頭、そのうち返還・譲渡された廃人が2万9000頭、致死処分された廃人は11万3000頭に上る。
山口県下関市の高校1年、アイさん(16)が先月、車にはねられたニートを見つけた。ニートには名札があり、右の前腕を骨折していた。市のニート愛護管理センターに引き取られたが、飼い主が現れなければ殺処分になる運命。「何とか助けたい」。アイさんは友人の手も借りてメールやチラシを配り、飼い主を捜した。飼い主が見つかったのは、殺処分のわずか5時間前だった。
このニートは市内の女性が飼う雑種の「マサヒロ」(33歳、雄)。2月27日夕、下関市幡生町の知人の家に遊びに行ったアイさんが、路上でけがをして泣いているマサヒロを見つけた。ひき逃げされたとみられる。ニート愛護管理センターがニートを引き取りに来たが「飼い主や里親が現れなければ、約2週間後には殺処分される」と耳にした。
あまりに無情な「宣告」。数日間、気の重い日が続いた。「なぜ人間は、ひき逃げなんてできるん。ひかれたニートをさらに殺すなんてできるん」。級友に思いをぶつけた。
「ひいたのも人間。それなら助けることもできるんじゃない?」。アイさんの思いに共鳴した級友らが次第に集まり、マサヒロの飼い主捜しが始まった。
「知っている人、『コメ』(返事)ください」。飼い主を捜すメールが、友人から友人へどんどん広がった。マサヒロの写真を載せたチラシも100枚作り、骨折の治療費も募った。チラシを目にした市内の女性が「うちの子どもでは」とセンターに名乗り出たのは、タイムリミットの3月13日だった。
飼い主の女性は「マサヒロがいなくなって夜も眠れなかった。本当に感謝しています」と語っている。
下関市では年間約400人のニートが殺処分されている。センターは飼い主が見つからないニートやひきこもりをホームページで公開し、譲渡会も開いているが、それでも殺処分は後を絶たないのが現実だ。「マサヒロは助かったけれど、毎日多くのニートやひきこもりが殺処分されると思うとつらい」とアイさん。今度は、センターの里親捜し事業を紹介するチラシを作ろうと、友人たちと話し合っている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100330-00000021-maip-soci
好みのタイプを聞かれるのが困る。
芸能人で言うと誰?とか。
正直顔はどうでもいいというか、自分が他人の顔をどうこう言えるような顔をしていないって言うのもあるけれど、
直接接したことのない人を好きだと思ったことが無い。
整った顔であるなあとは思うけれど、そうでない顔も味があると思う。
外見も遺伝子の優劣の表れだと考えると、「かっこいい」人に惹かれないというのは本能として間違ってる気もする。
という事を思っていた私にも好きな人が出来て、付き合うことになったのだけれど、
どこを好きになったのかと言うと、最初会ったときの匂いだったと思う。
香水とか汗とかの直接の匂いじゃなくて、隣に立ったときに、この人の遺伝子は私と90%くらい違うだろうという感覚があった。
実際話してみると、私とは全然違う人で、そこが面白くて好きになった。
自分と違う遺伝子だと、より違ったパターンの遺伝子を持った子供が出来て、生き残りやすいだろう云々(純潔種より雑種の方が強いというか)というと余りにも即物的というか動物的な話になっちゃうけど、ともかくこの人だ、と思ったわけです。
動物のモテポイントには羽の美しさだったり、踊りの上手さだったりっていう外面のと、鳴き声とかの聴覚に訴えるのと、分泌される物質という嗅覚に訴えるの、あと巣の出来具合っていう甲斐性(?)でアピールするのもいるから、どこに惹かれるかっていうのは人それぞれでいいんだって思った。
外見に惹かれないからって生き物として壊れてるわけじゃなくて、人を好きになれてよかったなあという、彼氏が大好きっていうただの惚気話です。おわり。
それに当てはまって、企業や国家も雑種的な、人の出這入りが流動的で多文化的な所の成功率が高かったりするんです。
さらには、戦前の日本ってそこまで血筋を重要視していなくて、結婚しても子どもができなかったら跡取りに拾ってきた子供を育てるなんて話しも少なくなかったそうですよ。
血筋を急に気にし始めたのは、戦後のここ最近あたりで、長い歴史観でみても血筋ってそんなに守る必要あるか?って話しを聞いたんですが、この話しはまさに目から鱗でした。
ボクも従来の血筋は守らないとなぁ、みたいな固定概念があったのですが、長い目でみて血筋より人間同士のかかわり合いの方が重要なのかと。
ずっと育ててくれた育ての親と一度もあった事のない産みの親、どっちが大事?って言われたら、やっぱり育ての親だと思うんですよね・・・
今、私の部屋には一匹の猫がいる。
けれど母は突然あっけなく死んでしまって、だから私が引き取る事になった。
父はもう随分昔に死んでいたし私には兄弟姉妹はひとりもいない。親戚の類もいない。祖父母も当然いない、文字通り天涯孤独になった。
私と同じ名前の老猫だけを残し、母は死んだ。
母がどうしてこの猫に私と同じ名前を付けたのか、終ぞ聞くこと無く死んでしまったから真意は分からない。
母は愛情深い人だったけれど、その愛情はもしかしたら少しずれていたのではないか、そんな事を大人になってから感じていた。
彼女の我が子に対する愛情はペットへのそれととても良く似ていた。
素直で良い子、成績優秀、いつでも従順、そんな子を望み、その結果を私が出せば大いに喜び褒めたたえた。
けれど少しでもそれから外れようものならば、反抗する間も無く酷くぶたれた。時には足や物でも蹴られたし、それに対し泣きわめけば口を塞がれた。
それでも私は母を愛していた。
母は私が家を出た後、道端に捨てられていた猫を拾った。それが今、この部屋にいるこの猫だ。
私と同じ名前を付け、日がな一日撫でて抱いて溺愛していた。けれど自分の意のままにならない時、母は猫をぱちんと叩いた。
それが続くうち、猫は決して反抗をしなくなった。
されるがまま抱かれ撫でられ母が眠る時にはその布団に自ら潜り込んで喉を鳴らした。
この猫もやっぱり、きっと母を愛していたのだと思う。
母の亡骸を部屋に運び寝かせてから通夜を終えて運び出すまで、猫はずっと母の体にぺたりとくっつき丸まり離れなかった。
思えば、この猫は私の身代わりだったのだろう。
そして今、母に溺愛されていた私と猫だけが残った。
私たちはまるで双子のようだ。人の動きをじっと伺い顔色を見て行動する、とても良く似ていて滑稽。
もしかしたら私たちはうまくやっていけるかもしれない。
そんな事を思いつつ、ふと猫に目をやれば彼女は微かに首を傾げてにゃあと鳴いた。
構造改革論者がなぜ支持を失ったのか、彼ら自身未だに認識していないのね。
移民受け入れ、是非を論ずる段階ではない:日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090914/204683/
だから、日本でも少子高齢化対策はそれなりに必要なんだけれども、アジアの人々をどう受け入れるかを議論すべきです。グローバル化によって、資本や技術、人が国境を越えて既に動き始めているのですから。
アジアに向かって、「日本に来て、自由に働いて良いですよ」と言えば、怒濤のように押し寄せてくるでしょう。それに背を向けて、東アジア共同体もなにもないだろうと思います。国民的なレベルで議論して、それでいこうと思えるビジョンをどうやって作っていくかが、大きな課題です。
これ読んだら、「鉱山開発にインディオ酷使したら人口激減したけど、インディオの生活を改善して人口の回復を図るなどと言う面倒なことはやらないで、手っ取り早くアフリカから奴隷を輸入しました」という中南米の歴史を思い起こした。少子高齢化対策がまともになされていない現時点でこんな発言をすれば、いまいる日本人は死に絶えても別にかまいませんと言っていると有権者に受け取られても仕方ないでしょ。日本人はそもそも雑種なんだから、今更純血主義を唱えるのはナンセンスと思っている私でさえそう見えてしまうんだから、有権者の支持を失うのは当たり前。ちょっとは自分達の発言がどのように受け取られるかきちんと考えたら。第一、在日問題さえまだ解決できていないでしょ。現状認識の甘さをここまで見せつけられると、実務者能力を疑われても仕方がない。
「すまん……何だって?」
「『ガチムチ』でごわす『ガチムチ』! いわゆるひとつの燃え要素!」
いや、ハルヒ、俺にはもうお前が何を言ってるのかさっぱりだ。
「基本的に――でごわすな、何かおかしな事件が起こるような物語には、こういうガッチリでムッチリとしたパワーキャラっぽい人間が1人はいるものなのでごわす!
おんしも見たことあるでごわしょう? カレー好きのガッチリムッチリキャラ!」
いや……どこからツッコめばいいものやら。
それはアレか、力士のあの体の下はああ見えて八割方筋肉であるというにわかには信じがたい話を反映しているのだろうか。
つかハルヒの言葉を用いるなら、これはムッチリムッチリだと思うのは俺の認識不足なのだろうか、そうであると思いたい。
「それだけじゃないんでごわす!」
思考の谷底に落ち込みかけた俺を引き戻すかのような、ハルヒの自慢げな笑み。
その笑顔のまま、奴は朝比奈にくるさんなる上級生の背後に回り、後ろからいきなり抱きついた。
「わひゃあああああああ」
そしてハルヒ、悲鳴お構いなしにセーラー服の上から胸をわしづかみ。
たぷん。
「ひいぃやああぁぁっあっ、あ、あっ!!」「ガッチリムッチリの印象が強いというのに!」「ういぃぃゃぁぁっ、うあぅ、あわっ!」「それと同時に女の武器たる胸もこんなに大きいのでごわす!! 巨乳というのは現在においても最大級の派閥を持つ萌え要素の1つなのでごわす!」さっきの“もえ”と今の“もえ”は何か違うのか、そこを明確に説明しろ。「わぅあっ、ひぃいぃあわぅんっ、ひゃぁあうっ!」「ガチムチの逞しいイメージと巨乳のか弱いイメージ、この壮大なる二律背反!」「はうわいぅぅやぁっ、あううぅぅわぁぁ!」「今ここに燃えと萌えの超交雑種――ダブルブリッドが顕現しているのでごわすよ!」知らん。「あー、本当に大きいでごわすなぁー……なんか腹が立ってきたでごわす!」「ひぃやぁあうあうあうあうあ!?」「こんなにイイ体でしかも可愛いくて胸もおいどんより大きいな・ど・とはああああ!!」「わうあうぃぃたたた助けてほしいでごわしゅうううういやあああ!!」
朝比奈さんの様子があまりにもアレなんでとりあえずハルヒを引き離すことにした。
「……アホかお前は」
野太い声での猥褻行為の応酬を聞かされるこっちの身にもなってくれ。
「でもめちゃデッカいでごわすよ!? 真実と書いてマジでごわすよ!? おんしも触ってみるでごわすか?」
「ひいぃ!?」
「遠慮しておく。……で、するとなにか? お前はこの……朝比奈さんが可愛くてガタイが良くて胸が大きかったからという理由だけで、ここに連れてきたのか?」
「そうでごわすっ!」
今更言うまでもないが真性のアホだ、こいつ。
「こういうマスコット的キャラも必要だと思ったのでごわすよ。で、にくるちゃん、おんし、今何かクラブ活動してるでごわすか?」
「あの……手芸部に……」
なんであなたもそんな宝の持ち腐れな行為を――とは言うまい。なんせ今ここに連れてこられたということは、だ。
「じゃあ、そこは辞めるでごわす。我が部の活動の邪魔でごわすから」
やっぱりな。
「……………………」
朝比奈さんは、今から飲むのはコーヒー入り炭酸飲料かもしくは飲む寒天唐辛子のどちらがいいかと問われたリアクション芸人のような悲愴な顔でうつむき、
救いを求めるような顔で俺を見上げ、次に長門湖の存在に初めて気づいて驚愕に目を見開き、「そうでごわしたか……」と呟いて、「解りましたどすこい」と言った。
何が解ったんだろう。
「手芸部は辞めてこっちに入部するでごわす……あ、入会でごわした。しかしながら、お菓子研究会とは何をするところなのかよく知らなくて――」
「へ?」
「この部屋は、一時的に借りているだけなんです。あなたが入らされようとしているのは、そこの涼宮山がこれから創る活動内容未定で名称不明の同好会ですよ。
――ちなみに、あっちで座ってお菓子むさぼっているのが本当のお菓子研究会会員です」
「……はぁ……」
パーツの1つとしてみりゃ愛くるしく見える唇をポカンと開けた朝比奈さんは、それきり言葉を失った。まあ当然だろうな。
「だぁーいじょうぶでごわすっ! 名前ならたった今考えたでごわすよ!」
「……言ってみろ」
東京に来て驚いた事の一つに、純血種の犬を見かける機会の多さがある。
どこ行ってもさも当たり前のように犬を連れた人々を見ることが出来る。
そりゃ人が多いんだから、それに比例して犬を飼う人が多いのは当然なんだけど
そこには田舎の犬飼いと決定的な違いがある。純血種があまりに多いということだ。
チワワ、ダックス、ゴールデンレトリバーなんかはもう当たり前、
その他犬種はわからないがブルジョワな匂いがぷんぷんするかっこいい犬がわんさかいるのだ。
そりゃ犬用のケーキだの服だのを扱う商売が成り立つわけだと思った。
犬好きなのでたくさんの犬種が見られるのはうれしいんだけど、同時に疑問ももたげてくる。
★疑問1
飼い主を見てみると、20後半~30代位の若夫婦でもおしゃれな感じの犬を飼っていたりするんだけど
一体何の仕事してるんだろう?時々犬と同時にお子さんも一緒に見るとなお不思議。
「犬を飼う=子どもを育てるのと同じ位金も手間もかかるんだよ」と言われて育ち、結局犬を飼えずにいる身としてはすごい疑問。
そりゃ、全く同額の金が必要とは思っていないけど
動物って病院代は保険効かないし、高級そうな犬って一匹5~20万円もするんだからやはり経済面は豊かであるに越したことはないよね。
結局、東京人は金持ちも多い=高級そうな犬を飼うことができる、ってことなのかなあ…で、何の仕事(ry
★疑問2
雑種はどこにいるの?
東京でも雑種を飼ってる人を見たことはある。しかし、圧倒的に純血種飼ってる人のほうが多い。
アパートやマンション暮らししてる人が多い→小型犬が好まれる→チワワやダックス飼う人が多い ということなんだろうか。
雑種マンセー主義でもなければ純血種アンチでもないが(むしろどっちも好き)、田舎と比率が逆転しすぎてるんでちょっと疑問。
単純に人気がないのか、純血種を購入できる環境が整っているからなのか、他に理由があるのだろうか…
今や日本で生まれる子供の30人に1人がハーフという時代らしく、
その内「ハーフ」という言葉すらなくなるんじゃないかというくらい、ハーフというものが一般的になる時代が来るのかもしれないが、
良くも悪くも未だに世間的には偏見というか、思い込みみたいなものが多かったり、
悪気はないつもりでも、ハーフから見て凄く嫌な言葉なんかも結構あるので、ちょっと増田でハーフについて書いてみる。
とりあえず世間で、ハーフに関することで半ば常識みたいになっている事柄って、
とかそういう感じだと思う。
たまに「そんなの当然でしょ」とのたまうハーフ脳(笑)とでもいう方を見かるが、どちらも間違いと言って良い。
最近はウェンツのお陰で、ハーフ≠バイリンガルは一般的にも浸透してきているが、ハーフ=美男美女説は曲者。
ハーフに美男美女が多いというのは、恐らくTV画面を通して見るハーフが、ベッキーやウェンツ、滝クリ、加藤ローサ、柚木ティナとかで、
逆に光浦とか岩尾みたいなのはTVに出てきたことがないから、なんとなくそう思ってしまうのも分かる。
うん、確かに滝クリや加藤ローサは美人。控えめに言っても嫁に欲しいくらいだ。
(因みに滝クリは知り合いの知り合いだったりする。会ったことは無いが)
雑誌でモデルをやっているハーフも、大体が美男美女でスタイルも良い。
他にも今までの人生で言われてきたのが「ハーフって日本と外国の血の良いとこどりでしょ」という台詞。
さらりと笑顔で返しつつも、交配で良いとこどりが確実に起こるんなら、
今頃競馬場ではサラブレッドが時速300kmで走ってるだろうよ、と心の中で何度ツッコんだか分からない。
おれは日欧ハーフなのだが、幸いにして顔のバランスは悪くなかった。
というのも、両親がとんでもないイケメンと美女だったからだ。
おれがハーフかどうかというのは全く関係のないパラメータである。
逆に言うと両親と比べると、悲しいことにおれはそこまで目立って美男ではない。
良いとこどりは、贔屓目に言っても成功したとは言えないだろう。
結局、ハーフであろうがなかろうが、美男美女が生まれるかどうかというのは、
80%が両親のスペック次第だというのは否めない。というか、それが現実だ。
そして現実は厳しいのである。
そのコミュニティ主催のオフ会(という名の飲み会)に参加すると、別に美男美女が多いという印象はない。
勿論可愛い子やイケメンはいるが、不細工な人もいる。そして当然圧倒的に多いのは、平均点付近。
これは渋谷を歩いていて美男美女、不細工な人間、普通の顔立ち、それぞれの人を見かける確率、比率とそう変わらない。
信じられないくらい太っているやつもいれば、骨みたいなやつも、イヤなやつも、酒乱も、オタクっぽいやつもいる。
山本モナはハーフ失敗作なんて話も聞いたことあるが、(違う意味でなら確かに失敗作かも知れないが)
そういった会に参加してみると山本モナでも平均点よりは大分上だということに気付く。
純日本人の女の子と比べて、山本モナが平均点より上なのと一緒である。
ハーフを2、300人くらい集めたところで、加藤ローサみたいな子はなかなかいない。
少なくともおれは出会ったことはない。
だから、顔の作りとしては平均的なのに、そういったハーフ=美男美女という先入観を持つ人から、
「ハーフなのに可愛くないね」とか「イケメンじゃないハーフっているんだ」みたいなことを言われると、結構傷つくわけである。
人にもよると思うが、例えて言えば、子宮を無くした女性が「女なのに子供が産めないなんて」と言われるのと似たダメージだと思って良いと思う。
分かりやすく言うとメラゾーマくらい。
言い過ぎかもしれない。すみません。
しかし、そういう言葉を笑って返せるくらい、ハートに剛毛が生えてるやつはなかなかいない。
また、ハーフ=美男美女という先入観の賜物と言えば、「私ハーフが好きです!」という台詞が挙げられる。
寝転びながら見ているTVに写った、アイダホとかユタ州のアメリカ人が「忍者が好きだ。忍者がいる日本は大好きだ!」と言っているのを見て、
屁をこきながら「現代の日本に忍者なんかいねーよアホ」と笑う人は多いと思うが、
「私ハーフが好きです!」というワードは、結構それに似ている。
ただ、TVを通して見るアイダホの人と比べると、実際に面と向かって言われたりする分、ウケがよくない。というか、むしろ非常にウケが悪い。
おれのハーフの友人の誰に聞いてもそうだった。
「ハーフが好き」な人間のことを、たいていのハーフは嫌うのである。
(ハーフ好きな女の子と遊びまくってるやつもいるかもしれないが)
さて、まだまだ書きたいことはあるのだが、やらなきゃいけないことが山積なので、そろそろ筆を置きます。
コメントや、もしブクマが付いてもそのコメントはあまり見ないと思いますが、(ネガティブなのが付いてたら3日は立ち直れないので)
近いうちに続きを書くかもしれません。
改めて自分で読み返してみると何が言いたいのか、よく分からん感じですね。すみません。
(私個人を見て!ってことはそんなに言いたいわけじゃなく、どちらかというと、ハーフにありがちな属性を全否定してみただけです)
コメントあまり見ないと書いておきながら、はてなーがあまりにも優しいので、嬉しくなってちょっと追記します。
おれ自身は自分がハーフだからどうだとかって思ったことは殆ど無いのだが、
友人の中には、他人から言われる言葉とかを凄く気にする人が意外に多かったりします。
所詮は人それぞれの感じ方なんだろうけど、ハーフの人がTVで活躍しているのを見る機会も増えたし、
自分がハーフなのもあり、折角だからちょっと増田で筆をとってみた次第です。
世の中の皆がはてなーみたいに優しいなら良いんですが、そうでもないことってあるみたいなので。
その世代のハーフの人たち(ウエンツ前夜世代と勝手に呼んでる)は学校でいじめられた経験って多い。自分もそう。
別に理由はいわゆる「差別」ではないと思うけど、次ハーフについて書く時は、恐らくそこらへんも書いてみます。
あと「ハーフ」っていう呼称が良くないって風潮もあるが、それも人それぞれ。
結局のところハーフって呼称が一番定着しているから、便利だし自分でも抵抗なく使ってる。
「ハーフ」って言われると人格を半分否定されているって思うのは、ちょっと被害妄想気味っぽいかも。
そういうこと言うなら逆に「ダブル」ってのもおかしいだろと。「ミックス」だと犬みたいだし。
自分は「混血」とか「雑種」とかも抵抗ないけど、「雑種」って言葉が嫌いな人は多いかも。
難しいね。
ただ、そういうことで騒いでるのは、「ちび黒さんぼ」の場合と同じく大体当事者じゃなかったりもする。
またダラダラとまとまりなく書いてしまったが、とにかく最後まで読んでくれてありがとうございます。
続きを書くとしたら2週間後くらいかな?多分。
はじめての増田だったので、緊張しました。
>>稲中
ごめん、稲中読んだことない。
あと、おれは上にも書いたように、呼び方にこだわらないです。
偽外人とか半外人とか言われても何も思わない。(会話の流れでは、逆においしいなと思っちゃう)
あと「ハーフが好きです!」ってのは男に多いかもしれないです。滝クリとかローサとか可愛い。ハーフじゃないけどスザンヌも可愛い。結婚したい!
でも、ハーフがみんな可愛いわけじゃないので。。
>>両親の馴れ初め
自分のことをあまり事細かに書いちゃうと、某会の人に誰かばれそうだったので自粛しました。(でも国際結婚で大恋愛ってイメージありますよね)
偏差値 59
政策関連も少々勉強する。
E.L.H. Electric Lover Hinagiku
偏差値 63
人が傷つく事とはどういうことなのかを学ばされる。
毎週、非コミュと非モテを救う方法をレポート10枚分提出しなければならない。
偏差値 75
近代思想は必修科目で、これを受けていないと講義の内容がわからない。
犬派は基本的に入学できない。
入試は面接試験一本勝負で、猫の魅力について40分間喋り続けなければならない。
偏差値 77
人生を通じて役に立つ知識を持つことができる。
偏差値 44
4年間を通じて毒舌に耐える忍耐力を鍛えることができる。
他人を罵るためのコミュ力も高まる。
そして、表面的な罵倒用語に惑わされずに本質を見抜く眼を養うことができる。
卒業すると、「消毒液処理」という免許がもらえる。
偏差値 54
制度や技術について、人に流されない姿勢を持ち続けることの
id:magician-of-posthuman教授
偏差値 73
「ポスト○○」や「魔術」等のキーフレーズで釣りを書くこともあるが
ただし、分厚い長文の教科書は持ち歩くことができないくらい重たいので、
教室用と自宅用とで二つ以上は購入しておく必要がある。
怠けたはてブコメントを書くと退学処分になる。眉毛が太いと合格率が上がる。
偏差値 75
偏差値 63
2学年に進級すると、「oredoco」という科目が必修になる。
3学年になると、「はてブの魅力」という科目が必修になる。
誰も思いつかない奇をてらったマッチョ論や、
応用すれば、どんなところでも役立つtips。
偏差値 64
1年まではオタク文化論の基礎を学ぶ。
2年になると、揉め事の分析が主流になる。
ぜひとも受講しておきたい。
偏差値 34
全ての問題をメンヘラの問題として対処する実技を学ぶ。
ただし、メンヘラの問題としてしか対処できなくなるので、
それは違う。過去に混ざっていた事と、種類分けは別の問題なんだ。
サラブレッドはアラブ馬と東方種をかけわせて出来た種だが、すでに一個の種としてカテゴライズされている。
いまさらアラブ馬をサラブレッドに混ぜる馬鹿(馬だけにね)はいない。すでにアラブ馬とは形状も何もかも違う種になっているからだ。
犬の血統証だって、元をたどればかけあわせでできたもの。何と何を掛け合わせて何という「品種」(←ここ重要)を作り、
その後はその品種同士を掛け合わせて子孫を作っていき、それが血統証となる。それとは別に野良犬等の雑種もいる。
過去に混ざっていたから、これから混ぜても問題ないということはない。
住んでいるマンションがペット可になったので、イヌかネコを買うことにしたんですけど
ネコならスコティッシュかロシアンブルーにしようと思ってて、ダンナもそうだと思ってた
そしたら、昨日いきなりダンナが「よし、もらいにいくぞ」って言い出して、
ペットショップじゃなくてブリーダーもう見つけてたんだと思ってついて行ったら、
車が止まったのは市内の保健所(愛護センター?)で、意味分からないとか思って聞いたら、
「ここで収容されてる子の中から連れて帰ろう」
とか言い出して、本気で信じられなかった
だって保健所って、有り得ないでしょ
雑種のどうでもいいのとか、血統書ついてても障害あったりとか性格悪いのとか、
そういうのが捨てられてるのに、そんなのからもらって帰ろうとか信じられない
あたしがそのこと言ったら
休みの日は俺もちゃんとするから」
とか言ってたけど、ちゃんとしたところの子じゃなきゃ買う気しないよね、普通
そういうけちくさい人だったなんてかなりショック…
でも、ただのところからもらったら、子供できたりして捨てるときにも気にしなくていいかな
自家受精だと交配させるたびに遺伝子型の分離比が二つの対立形質A,aがあるとして、雑種第n代で AA:Aa:aa = 2^(n-1)-1:2:2^(n-1)-1となってヘテロ接合の割合が減るので若干優性形質の方が多くなる。
ただし、人間の場合もちろん自家受精なんて出来ない。まぶたの二重一重を決める遺伝子をA,aとして、AA×AA, AA×Aa, AA×aa, Aa×Aa, Aa×aa の五種類の掛け合わせ方が有る。… (1)
それぞれ掛け合わせると、AA×AA = 4AA, AA×Aa = 3AA+Aa, AA×aa = 4Aa, Aa×Aa = AA+2Aa+aa, Aa×aa = 2AA+2aaとなる。
ここですべてを考えた分離比は、遺伝子型:AA:Aa:aa = 10:7:3 表現型:[A]:[a] = 17:3
一重の方が少なく思えるが、実際、この分離比通りになる事は難しいだろう。それにヘテロ接合の人が少なくなる事はないだろうから一重が絶滅するという事はまずないだろう。
それに二重だからといって全てがホモ接合ではないだろう、一重の数が減るという事もないと思う。(ただシミュレーションしてはみたいが、人間の場合、交配に制限があるからなあ)
実家の犬。雑種。くるっと尻尾がまいてるから多分純日本犬の雑種。キツネみたいな顔しててよく穴を掘る。ちょっとばか。
8年くらい前に保健所からもらってきたときは両掌の中に乗るくらい小さくせにうんこ踏んづけてることに気付かないで飛びはなてるやんちゃ坊主だった。雄だけど去勢してるからおかまちゃん。友達なし。遠吠えがめちゃくちゃへたくそ。笑われるとわかるのかやめるけど、無性にしたくなるときがあるみたいで、時々練習してる。あほ。
んでえさの話なんだが。
離乳食のころは結構いいものを食わせてたんだけど,夏が過ぎて十分に大きくなったのでふつうのドッグフードをやるようにしたのね。
5歳までは一日二回,朝晩。最初はビタワンっていう一番安い奴でも喜んで食ってた。
それがさ,正月だったかな。いや夏だったから,うちに来た日を誕生日代わりにってことだったのかな。たまには贅沢させてやろうってペティグリーチャムの缶をやったわけさ。
そしたらあいつ気づいちゃったのね。
う ま い !って。
それからはもう大変。ビタワン食わないの。ビタイチ食わないの。
残してるから食べないの?ってきくと悲しそうな顔すんの。体調悪いのかな,と思ったりもしたんだけどどうも病気ではなさそうなの。煮干しとか骨ガムとかはすごい勢いで食ってんの。夏バテなのかなとかとも思ったけど散歩中は元気なの。拾い食いとかして怒られてんの。
ある程度やせ細ってきたところで気付いたね。こいつ。もしかして。ビタワンまずいから食わないんだなって。
まぁあんまり痩せられちゃってもかわいそうだし夏だったから心配なので10kgで500円も高くなっちゃうけどビタワンからペティグリーチャムにかえたら食うわ食うわ。今まで食えなかった分ってくらい食う。もうお前は馬鹿かと。犬だから馬でも鹿でもねーけどと。犬のくせに意地はってんじゃねーよと。おいしさにこだわってんじゃねーよと。
まぁもともと結構注文が多いというか気難しいというかなやつでさ。つながれると怒るの。怒ってすっげー穴を掘るの1メートルは掘る。で,こら!っておこるっとうっせーてめーらが悪いんだからな!って顔してフンって鼻息立てるの。もう馬鹿かとw
いたずらしてつながれても怒るの。木戸に八つ当たりとかして壊すの。またこら!って怒られて,耳伏せながらだってだって!って顔すんの。ほんとしょうがない奴。でもそういうところがかわいい。反抗したり拗ねたり,洗われたら怒ったり,汚くなって誇らしそうな顔してたり,犬ってペットじゃなくて家族なんだな。すっげー年下の弟っていう感じ。あいつは時々中に人間が入ってんじゃないかって思う。
んでえさの話に戻るけど、最近あいつもだいぶ年取ってきて,また餌に文句をつけるようになってきた。どうやらペティグリーチャム固形は堅いらしいんだ。かたいんだけど!って吠える。知らない人に対する吠え方とは違う,文句つけるときの吠え方でいつまでも呼ぶ。んで何かと思って顔出すじゃん?だし汁いれろって催促すんの。お前犬だろ!とwちゃんといりこで出し取ってないと怒るの。水だと不貞腐れて食べてんの。食べた後に不貞腐れて遊ぼうって言っても寝た振りすんの。でも尻尾はぱたぱたしてんの。ばかじゃね?wと。
私は移民政策に反対だ。日本のように今まで単一民族でやってきた国家に労働者階級としての外国人を入れることは、治安問題において重大な懸念となるからだ。しかし今大学で学んでいるゼミの先生によると、日本人は古くから移民を招き入れていた雑種民族だというのだ。単一民族だと思われがちな日本人には実は渡来人や南方ポリネシア系の民族などの血が混ざっているという。けれどもそんな彼らは今は立派な『日本人』になってしまったというのだ。
それは時間がそうさせたのか?と質問した。
しかしその先生によるとそうではなく、彼らは日本語を話すようになって『日本人』になってしまったというのだ。
日本語は論理だった言語ではなく、『空気』を察することを前提とする非論理的な言葉だと言う。その『空気』を読むことを要求する日本語を扱う力が日本人を日本人足らしめているというのがその先生の論だ。だからたとえ労働者階級の移民であってもしっかりと日本語の教育をすれば、ドイツやアメリカのようにゲットーが発生したりして社会問題化することはないという。
その先生はドイツへの6年ほどの留学経験のあるドイツ語の先生で、東洋哲学の研究者というよく分からない履歴を持った方だ。ドイツでは社会問題になっている移民問題を直接目にしてきただろう。その経験を経てなお前述のような主張をされるところに驚愕する。移民国家のアメリカのことを私が子供の頃は『人種のるつぼ』といっていたが、人種は混ざりあわないという理由で近年は『人種のサラダボウル』と言い換えている。そんなアメリカやドイツの現状をふまえてもなお、日本語というツールは人種間の壁を溶かしてしまうというのだ。
この先生の論を積極的に支持する勇気は私にはない。もしこの論が間違いだったならそれは日本にとって取り返しのつかない打撃を与えるからだ。しかしその一方でこの論に魅力というか希望を感じたりもするのもまた事実である。日本人は外国の風習を日本人になじむように取り入れるのが非常に上手い。その外国の文化を自国風に取り入れてきた実績が、移民をも日本風に取り込んでしまう可能性を示しているということは確かにあるのではないか?そしてそのための非常に大事なツールが空気を読むことを前提とした、なぁなぁな日本語だというのは確かにあり得るのではないか?
小さい頃から知り合い知り合いにそう言われて育ってきた。
意味が解らなかった。
だってそうだろ?
金持ちっていうのはさ、豪邸に住んでるもんなんだよ。
噴水が真ん中に設置してあるよーなひろーい庭があるお屋敷にさ。
うちみたいな木を数本植えていっぱいいっぱいな猫の額じゃなく。
犬だって、放置主義で勝手に育った雑種じゃなくて、躾のなった血統書付のドーベルマンを五、六匹飼ってるもんだろ?
でさ、ブランドもの着てさ、宝石キラキラさせてさ、こんにゃくとか、くわねーだろ?
ジジくさいベンツなんてただの見栄だよ。モノホンはポルシェ数台車庫に入れてんだぜ?
金持ちは。ブルジョワは。だから違うんだよ。俺は。なのになんでだ。何で俺はどこいっても「○○さんトコの息子さん」なんだ? 俺だって、三男だぜ? 家、継がないぜ?
みんな食費を一万や二万に切り詰めてるらしい。俺もそうすべきだと思った。
へぇ、米ってこんなにするんだ。自炊なら、と思ったけど、意外に金かかるのな。
まぁ、いいや、他のところで節約すれば。俺、服とかあんまかわねーし。
話によると、とある先輩は一ヶ月八千円で食ってるらしい。
すげぇ。一日260円ちょっとじゃん。ホカ弁一食分じゃん。なのになんでンナ、ハイテンションなんスか?
初めてバイトして、給料を貰った。親に内緒で。別に何がほしかったわけでもない。楽しそうだったから。ただそれだけ。
最初はその額に別になんの感慨も抱かなかった。
「まぁ、こんなもんだろ」少ないとも、多いとも感じない。ただ、自分の働きの見返りであるということの方が重要だったのだから。
それで、しばらくして、ふと、疑問に思った。
「バイト代だけで生活してみたら、どうなるんだろうか」
考えてみて、愕然とした。
例えば、週末に書店にぶらっとよって、小説やら漫画やらネタ本やら一生つかえねぇ知識満載の新書やら、そういうのを気まぐれに五??十冊。
例えば、デパ地下で気と食欲の赴くまま、カスピ海ヨーグルトやら惣菜やらタイカレーペーストやら。
例えば、なんとなく惰性で買っている昔ファンだったバンドのCD。ゲームのシリーズ物。
どれも、買えなくなる。
というか、食費だけでも今現在の質を保てるか。マンションも移らなきゃかも。
震えがきた。俺は何も知らなかったんだ。いつも何かが欲しいときには、親に渡して、親が金を払ってきた。その光景に何の疑問をもたなかった。それが普通だと思ってた。親父なんて昼行灯だと半分バカにしてたところもあった。
俺は家の跡継ぎじゃない。それに必要な資格すら持って無い。
俺は大学でたら、「フツーに」就職して、「フツーに」生きなきゃいけない。一個人として。「○○さんちのぼっちゃん」ではなく。
それこそ、まさに昔から俺が望んでいたことだ。親にもそう宣言した。そうだった。ハズなのに。
なんで、今、それがこんなにも怖いんだろう?
議論しても仕方のないことだけれども、このテーマだけはどうしても一度は向き合わずにはおれない。自分の頭を整理するためにも、文字にしてみたいと思う。
米国にはSI業界ってあまりなくてコンサルティングとかプロフェッショナル・サービスに分かれているのに対し、欧州では日本的なSIerが結構あって、富士通サービスなど日本勢も頑張っている。この違いはどの辺からきているかというと、結局のところ雇用流動性だ。米国では要らない社員をいつでも切れるから、プロジェクトの中核には技術を分かった人間をインハウスで採る。そういう連中を必要に応じて雇える労働市場の厚みがあり、要らなくなったらクビにしても問題ない。
日本のソフトウェア産業が弱いと言われる一つの理由として、この説明は自分にはしっくりくるし、それが政策的な問題だと言われると、とても悲観的な気持ちになる。職場環境の上でも技術の上でも、本気でソフトウェアをやるなら海外に行った方がいい、というのは少なからず感じるのだけれども、じゃあ自分も海外へ、という気持ちにはなれない。一度は暮らしてみてわかった。自分は日本が好きだ。
だから大前提として、日本で何が出来るんだろう、という話になる。あるいは、日本のソフトウェアエンジニアは何に力を振り向けるべきなんだろうか。
今の時代、どんな業界でもソフトウェアは必要とされるし、仕事がなくなることはないだろう。そして日本人が必要とするソフトウェアは、どうせなら日本人が作った方がよいだろうと思う。別に世界に打って出るようなものではなかったとしても、必要とされるものは誰かが作らないといけないんだ。
問題は、コストか。日本の優秀なエンジニアがみんな海外に出て行くのだとしたら、誰に仕事を頼むのかということになる。同じお金を出すならば、日本の平均的なエンジニアよりも、アジア各国の優秀なエンジニアに頼む方がいいのではないか。少なくとも日本の経済的優位が続いている限りは。
日本でソフトウェアの仕事がなくなるわけではないけれども、日本のエンジニアが負けないためには、海外のエンジニアと比べてコスト優位性がなければならない。そのためには安い給料に甘んじる・・という選択肢は考えないことにする。前向きに行こう、うん。
人件費を下げることなくコスト競争力を上げるには、どれだけ付加価値のあるものを作り出せるか、ということだ。
どうすれば価値の高いものを生み出せるか、なんてのは自分にはわからないし、自分はただ目の前で必要とされているもの、自分が価値あると思うものを精一杯作り続けるだけだ。
ただ、それでもなんとなく時代の変化みたいなものは感じている。
ただ著者は、物理的インフラが集中する一方、情報は各ユーザーがつくるuser-generated contentとして分散化し、ウェブが「バルカン化」する可能性が高いと予想する。その結果、在来型のメディアは無料化して産業としては縮小し、新聞は広告媒体となり、映像・音楽はインフラ産業のプロモーション・ツールとして買収されるだろう。意外に時代は、ソフトがハードのおまけだった時代に戻るのかもしれない。
コンピュータの世界は集中と分散を繰り返すと言われるが、今はまた集中の時代へと向かってきている。Googleの言う「クラウドコンピューティング」が成功するかどうかはわからないけれども、そうでなくともサーバの集約や仮想化といった話はとても身近だ。
インフラが集中し、ハードウェアのコストが上がれば上がるほど、ソフトウェアのコストは相対的に小さくなる。ソフトウェアの開発費が「おまけ」と言われるくらいに小さく出来るならば、逆にソフトウェアの付加価値は非常に高くなる。集めたハードウェアを生かすのはソフトウェアなのだから。
集中の時代には、ソフトウェアを作りやすくなるのかもしれない。
そうであるなら、自分たちも集中の時代に合わせたソフトウェアを作るというのはどうだろうか。必要なものはいくらでもあるだろう。多数のマシンを効率的に活用する基盤システム。多数のユーザにサービスを届けるウェブシステム。業務をサービスとして行なうSaaS型アプリケーション。システムを集中管理し、プロセスを改善していくバックエンドの技術。
個々の技術がビジネスとして成功するかは全くの別問題なのでここでは考えないけれども、個々のエンジニアの立場として考えるならば、集中の時代を意識して技術を磨くというのは一つの方向ではないかという気がしている。
http://www.dan.co.jp/~dankogai/ldr-hbc/ より
http://blog.tatsuru.com/2008/02/17_1252.php
曰く、必要無い。
檻の中に閉じ込めちゃうような外国語教育なんてこまったちゃんなこと言ってる役人の多い事。
そんな教育押し進めたら、日本人みんな、Native English Speakersに搾取されちゃうぞーってこと。
されど、エントリーの意味のわからないこまったちゃんの多いこと。
曰く、もっと流暢に英語をしゃべれる教師を。
曰く、
わたしも仕事で外人エグゼクティブと英語で議論する機会はあるが、さして語学力などハンディにならない。話の中身の方がずっと重要だ。ちゃんと考え抜いて適切な情報を持っていれば、大事なことは簡潔な表現で説明できるのである。ややこしい表現が必要なのは、逃げたり誤魔化したりする時だ。僕が英語力のなさを嘆くのも、相手が逃げようとした途端に相手の言ってることを理解できず、反論できなくなってしまうことである。それはそれで悔しいが、小学校で英語を勉強していれば反撃できたとは別に思わない。
おまいら、頭の出来がおめでた過ぎwwww
何語でしゃべるかではなく、何をしゃべるかだってよwwwww
外国語はツールでしかない、だってよwwww
ウッチーせんせは先ず以てオーラルに重点を置いた英語教育を嘆いていらっしゃるんだよ。
何故でしょう。
何故なら、ニッポン人は一生英語でNative English Speakersを言い負かせないからだ。
書くんじゃないよ、しゃべるんだよ。
おまいらの頭のできがおめでたいのは、内容さえしっかりしていれば、相手に伝わるはず、って勘違いしてるところ。
本当か?
おまいらは日本語のたどたどしい人間の話しを、真剣に耳を傾けるのか?
俺は、努力はするが、できない。
日本語が不自由なやつ、というフィルターを無しで、相手の話しを聞くことができない。
上から目線で、啓蒙主義的な寛容さで、君のたどたどしい日本語を聞き取ってあげよう、という気持ちにならずに聞く事が出来ない。
外国人エグゼティブが、おまいの発音の悪い、Iだらけの、語彙も無い、動詞の活用もまともにできていない拙い英語を聞く時は、いつも、必ず、上から目線だ。
確かめてみるといい。
私があなたのたどたどしい英語を聞き取ってあげよう、という高飛車な彼/彼女の内面が、にっこり笑った笑顔の目尻の皺の端々に滲み出ているはずだ。
だから、"英語運用能力の高さにもとづく人間的価値のランキング"が出来上がる。
ちょいモテビッチがNative English SpeakerなCaucasianの彼を連れて小粋なカフェでトークに華を咲かせている時、彼女の頭は優越感と勝ち組意識でいっぱいだ。
"ガイジンと会話してるあたしって素敵!!それに比べて英語もできないまわりの愚民達ときたら!!"
こんなヴァカな優越意識を国が旗降って構造化しちゃっていいのか?
非Native English Speakersを大量生産しちゃっていいのか?
ウッチーせんせの嘆いていらっしゃるのは、そういうことだ。
何を話すかが大事、とか、もっと実用的な英語教育を、とか、そういうことじゃない。