はてなキーワード: 必然とは
ギリシャ国債のヘアカットは17%ではなく23%が適用されたという話だが、短期保有にのみ適用で、満期まで保有するつもりの分には適用しないという但し書きがついた。17%を23%に引き上げた分だけ、厳しくなったように見えるが、ヘアカットが実現する可能性の高い満期保有分には適用しなくて良いという事で、実質的にはザルとなっている。
投げ売りしてでも財務を健全化したいという銀行の本音を、真っ向から叩き伏せたといえよう。投げ売りしたいなら、全部を短期保有勘定にしろ、ストレステスト不合格にするぞ、それが嫌なら、満期保有を約束しろという恫喝である。
というわけで、ストレステストの時点では満期保有にしておくが、それが終わったら、先物で売って逃げるというのが、金融機関側の対策となるわけで、23%+ドイツ国債の金利分まで、売り込まれる事になるであろう。
ギリシャは市場からお金を集める事が不可能になったわけで、ECBやIMFに国債ロールオーバー資金おかわりとなるわけである。
ギリシャのソブリン危機を見て、日本の民主党が、来年度の予算編成にあたり、"財政非常事態"を宣言するとぶち上げているが、伝染病や大雨といった非常事態のための予備費を使い込み、子供手当てや母子加算や高校無償化といったばら撒きをやって非常事態を悪化させたのは民主党である。
法人税を減税すれば企業が元気になるといって、1989年に消費税を導入し、法人税の減税を始めたが、その後、企業が元気になった事はあったであろうか?
日本の企業は、法人税の税率が下がるのと軌を一にしてその存在意義を消失させつつある。雇用は減少する一方だし、税収も下がるばかりである。
資本主義社会において、企業はお金を循環させるポンプであり、ポンプの中に滞留させるお金は、必要最小限で良い。
非常事態という認識は正しいが、その原因を間違えているので、正しい対処ができる見込みが無い。無駄遣いを廃す為に時間と労力を費やすのは、無駄ではないが、有効とは言えない。間違った努力をどんなにやっても誰も認めないし、その上増税となれば、民意が反対意見でまとまるのは当然となる。
無駄と認定される人々を切り捨てる努力よりも、優秀な人に自発的に起業してもらって、人員を減らしながら、お金の循環速度を上げる政策こそが、非常事態に対する正しい施策であり、その為には、政治献金を出してくれる大企業優遇となっている諸制度を変えなければならない。小泉政権を民意が支えたのは、諸制度を変えてくれるかもしれないという期待の表れであり、安倍、福田、麻生と凋落したのは、改革が後退していったからである。そして、自民党ではダメだという民意が民主党に政権を取らせたが、loopy鳩山は違法子供手当ての出所が大企業のオーナーである実母であることから改革を放置して迷走し、sleepy菅は自民党時代の政策をそのままやろうと寝言を言い出している状態である。
ギリシャみたいにならないようにするにはという問題意識は正しいが、現状認識が間違っているので、出てくる対策は状況を悪化させるだけという、無駄働きになっているのであった。
法人税を引き下げないと、企業が海外に出て行ってしまうというのであれば、出て行って貰えばよい。企業が事業を行うのではなく、人が事業を行うのである。企業を大事にしても、雇用は増えないし、お金の循環速度も上がらない。既存企業が出て行った後に、新しい企業が生まれてこないという状態こそが、雇用が増えず、お金の循環速度が上がらない原因である。新しい企業が生まれてくる見込みが無いから、既存の企業を大事にしなければならないとも言えるが、それは、国民を信じていないという事である。
ド田舎の農民相手にドブ板選挙をやっている人が、国民の能力を信じないのは必然であるし、ド田舎の方が一票の価値が大きい為にそういう議員を多数派にしてしまうのは選挙制度の欠陥である。この欠陥は、多選規制や議員の議院における平等を廃して獲得票数を議決権とするといった改革で、緩和していく事ができるが、改革が出来ないのであれば、代議制を廃止するという過激な改革へと進む事もありえるであろう。
国民の能力を信じなければ、いつまでたっても状況は変わらない。民選議員にとって必要なのは、金でも地盤でも名前でも信念でもブレーンでもない。国民を信じる勇気である。国民の信に対し、信で応える事ができないのであれば、代議制は成立しないのだから。
どういう方法が良いのか、そのコンセンサスが取れていない問題じゃないかと思います。
日本が赤字なんだから公務員の給料なんて半分でいい、という過激派から
みんなの党のように公務員人件費2割削減という「穏当」に見える意見、
ここで二つ論点を挙げたいと思います。
その論点について私の考えるところを書きたいと思います。
結論を先に言うと、私は「NO」だと思います。
何故なら日本の財政赤字の原因が公務員のパフォーマンスの低さに依拠する部分は少なく、
基本的に税金の額が圧倒的に少ないことに起因するからです。
http://www.mof.go.jp/jouhou/syuzei/siryou/021.htm
この表で表される租税負担率、非常に低いですよね。
つまり日本は、非常に「低負担」の国であることが明らかだと言えます。
それにも関わらずこれだけの教育を受け、道路を使え、医療の発達した、治安のいい社会を享受している。
なので基本的に公務員のパフォーマンスの低さが財政赤字に繋がっているとは思えません。
そもそも財政赤字になれば給料を削減される、という規律があるなら、
税金を上げる巨大なインセンティブとなり社会として良い方向に向かうとは思えません。
ですのでこの議論の方向性は非常に危険である。私はそう思います。(またこれがこの日記のメインの主張です)
関連して、みんなの党の主張である
「行政の無駄をなくしてから増税」というアジェンダにも反対です。
どちらにせよ増税は避け得ないことは、租税負担率を見るだけで明らかだからです。
仮に公務員の給料を削減すべきとなった場合、どうすればよいのか。
ここの議論はあまり触れられていないものの、非常に重要な問題だと考えます。
まずそもそも、個人的に「公務員」という括りは大雑把に過ぎると感じます。
http://www.esri.go.jp/jp/archive/hou/hou030/hou21-1.pdf
この報告書3、4頁に書かれている程度の区分はしつつ考えないといけないのではないかと思います。
(ちなみに同じ4頁の図を見ると、日本における公務員の数が実は少ない、ということもわかります)
これだけ膨大な人数を一つのくくりにして議論をすることは、
と言うのと同じで、現実の見えていない議論だと言えると思います。
http://www.soumu.go.jp/iken/kyuyo.html
国家公務員と比較して98%と、国家公務員よりも少し低いがほぼ同水準となっています。
私は、(仮に公務員の給与カットを行うならば)この地方公務員の給与水準について見直すべきではないかと思います。
というのも、仮に国家公務員と地方公務員で同程度の給料だとしても、
事実、「公務員」という職業の人気は、地方に行けば行くほど驚くほど高くなっています。
そりゃ地元に残れて、雇用も保証される、高給な仕事となれば人気は必然的に高くなりますよね。
勿論上記「公務員を一括りにすべきではない」と言うのと同様、
地方公務員に関しても一括りにすべきではないと思いますが、
給料カットを行うなら、その地域の実情(家賃等の費用面や、他の雇用状況)に合わせた給与水準にするというのが妥当なのではないでしょうか。
親を養う為に何百万という金を出し、嫁に親の世話をさせる(こんな事やってたら当然自分の子供どころじゃないよな)
のが恩返しだと考える子供もどこかおかしい。
だって、それ「普通の人」がやってた事だからさ。仕方ないだろ。
子供どころじゃない?
子供を育てることで、親とのつながりを拒否するなんてそれこそ異常だろ。
むしろ、子供を育てる時には親に世話になるくらいだ。(できん親もいるし、拒否する子もいるが)
勿論、姥捨て山入れてシラネ。山入る金は自分で用意しろよな、って人間も増えてはいるけどさ
その中にも本当は面倒みたいけどお金や時間などなどで面倒見れない、って人もいるわけで。
面倒見れない、という選択と
一緒に語っちゃいけないし
どんだけ親憎んでるんだ?
憎んでないとしても、子供を育てる事で親の面倒見ること拒否「できる」って人として色々アレだぞ…。
親はそりゃ、子供に面倒も迷惑もかけたくないからそう言うさ。
元気に育ってくれればいい、孫を育ててくれれば充分…。
それが「親心」だよ。
それでも、親を大切にしたい、面倒見たいって思うのが人情だろ?
そう言われたから面倒見る義理もないし、考えもしないってか。
なんか…こういう大人に育ってしまうゆとり教育って怖ぇよ。
色々終わってんな…。
就職すると、寮に入ると聞かされていた。入ったら生徒の寮だった。生徒の寮に校長以下30人近い教員が住んでいるという凄い学校だった。朝6:15におき生徒に芝刈りをやらせる。芝刈りを自分でやるのではなく、やりたくない他人にやらせるのがこれほどきついとは思わなかった。8:15から学校が始まり、12:45から昼食なのだが給食を生徒と一緒に食べる、高校生なのに教員と一緒に食べるとは思わなかった。必然的に休みは空きの時間にとるが、1時間はない50分。そして放課後は部活動。6:00に部活動が終わるとまた給食を寮生と食べる。そして終わりと思ったら大違いで、寮の委員会活動というのがあって7:00位から始まる。その後生徒が勉強しているかどうか見回って10:00の消灯を確認して完全に仕事が終わる。日曜日はだいたい部活動があるのでとくに休める日はなかった。数年後に2週に一回土曜が休みになったので少しは休めるようになった。
よく労働基準局にチクる人間がいなかったなと思うが、中でやっていて同僚も一緒に寮にいると、それが当たり前に思えてきたから不思議だ。
今その学校も寮を縮小して寮監を置いているらしい。学校が脱法行為をしてはいけないというのが20年前はまだ分かっていなかったようだ。
そもそも何で電車内で化粧してんのかがわからない。ちなみに自分は女だ。
化粧直ししたいなら、電車降りてから化粧直しが許されている場所に行けばいい。
時間が無い?その分早く家を出ればいいだけの話だ。
わざわざ揺れる電車内でする意味がわからない。周りに人だっているんだし。
アイラインを電車内でやってる人を見ると怖くてつい目を反らしてしまう。そのアイライナーが揺れでうっかり目の中に入っちゃうかも…と思ってしまうからだ。
元ページ見たけど、「股を広げて領域侵犯する女性のいないシート」ってあるけど、普通女性は股広げないよね。マナーとして。
出生率の低下は日本に限ったことじゃなく、先進国に共通した問題で、女性の社会進出と対になって進行してる。
女性の社会進出が資本主義の必然なら、資本主義の抱える究極的な欠陥は人口減少なんだと思う。
科学の発展、長寿化、民主主義、それら全部が資本主義の必然だったとしても、行き着くところは袋小路だ。
中国やインドでさえ、経済成長を続けたら今度は晩婚化と少子化に悩むようになるんじゃないだろうか。
少子化を補うように、長寿化と高齢者勤労者の増加が進行すれば、人口減少による諸問題はなんとか解決できるんだけども。
人口が増加し続けるとして、問題となるのは化石燃料と食糧の問題だけど、技術革新でなんとかなる。
このところ思うのは、技術革新は「個人」の生活を豊かにしすぎるというところ。
個として生きることの苦しさをほとんど感じなくなってきた。
生鮮食品以外は通販できると思っていたら、最近だと生鮮食品も通販できるようになってきた。
でも、ダッチワイフのデリバリーと生身の女性のデリバリーの間に本質的な違いはどこにあるんだろうと思う。
墓参りすらネットで出来る時代に、連れ添って生きる意味ってなんなんだろうって思う。
少子化→(科学の力で)長寿化で克服!→(ゆるやかな)人口増加→エネルギー問題&食糧問題→科学の力で克服!
科学技術の発展によって諸問題を解決してるとして、しかし生殖行為をしなくなる原因が科学技術の発展だとしたら、長寿化の限界が来たときに人類は滅ぶんだろうか?
679 名前:あらら[sage] 投稿日:2010/06/30(水) 13:29:25 ID:3cVhg1If0
前から何度も言っているけど、マスコミはもう女向けのコンテンツしか作れないの。
TVも新聞も雑誌すらも10代~30代の男は見てくれなくなってるわけ。
だから女受けするコンテンツしか作れなくなって、それでますますマスコミと女から男達が逃げ出している訳よ。
で、男達が逃げ出した後には、あほで貧乏な女しか残らなかったわけ。
だから広告は入らないわ、視聴率が振るわないわで、ネットやゲーム機に真剣に危機感を感じているの。
ところがマスコミってのは一人の出来る奴が、9人のコネ入社の無能を支えている職場だから、
自己改革なんてできなくて、ネットが悪い、ゲームが悪い、オタクが悪いと
無能な奴らが本気で信じて、発信するわけ。
男と来たら、自分の趣味にはとんでもない額の金をそそぐくせに、マスコミの流行には
男が乗ってくれなくて、いつもマスコミはいらいらさせられるわけ。
マスコミの連中は、男に対して、本気でお前らバブル時代のようなデートしやがれ、
車は60回払いで高いの買え、SEXして満足して難しいこと考えるな、
中出しして孕ませて子育てして、子供のために金使えって、そう考えている。
というか政府、放送系族議員がそう考えて、マスコミはそう放送させられている。
680 名前:あらら[sage] 投稿日:2010/06/30(水) 13:41:01 ID:3cVhg1If0
好感度も人気も女が握ってるから男はテレビで本音を言わない
でも女は男のことをあーだこーだ好き放題ぶちまける
だから女は大変、母は強し、男は浮気する、男はダメ、なんてことが全国放送で流れて世間に定着する
そして、オタクを攻撃する事で、優越感を覚えたり、自分の正義を達成した。自分が良い事をしたと思い込む。しかし今回のように逆にオタクに返り討ちにされると、逆切れする。
これが、否決されても、3ヵ月後だのですぐまた提出される原因
一度、国民の代表が政治という金を使った中で否決したのに、すぐに再提出して金を使わせ、可決されるまで騒ぎ出す
一度、否決された法案は、一年は審議されないとかいう法律でもなければ、日本は無駄の多い社会になるだろう
681 名前:あらら[sage] 投稿日:2010/06/30(水) 14:10:27 ID:W+zcGcSH0
昔は渋谷や原宿っておしゃれな町だったのに、今じゃ秋葉原の方がすっかり有名。
結局、昔、女が馬鹿にしていたオタクが、真っ当に働いて社会でそれなりの地位になって、
金持つようになったとき、その金が渋谷にも原宿にも女にも流れなくなって、
独身で女に金を使わないオタクが趣味の町で好き放題に金を使って、趣味の場でやりたい放題
キモイ。女が寄ってこないと、馬鹿にしていた女とマスコミが、少子化の原因だ。金や車や女に金を使わないのは、害悪だなどと思い、児童ポルノを禁止したら金周りがよくなる。少子化が解決するなんて浅知恵をもちだす
でも、金を持ってようがオタクを見下し続けた層は、見下しながらオタクの趣味を奪い、金を別の所で使わせようとする
結果として、児童ポルノに2次元を含めて、感情論だけで規制を叫びだすありさま
683 名前:あらら[sage] 投稿日:2010/07/01(木) 08:45:30 ID:woeR9SdD0
自分の生き方を曲げてまで仕事に家庭に献身しようとは思わない。
という男性がいる反面、派遣労働・無職等不安定な身分に身を置き
不本意ながらもしぶとく生き抜くために堅忍不抜の思いで
現状に耐え続けている男性もいる。
その一方で、弱者優遇の旗印の下、女にだけ甘い日本の法制度では
その割合を増しつつある。
女とマスコミは全く理解しようとはせず・理解できず、
なんとか昔のように女を守る男性に戻そうと煽り・洗脳に必死ではあるが、
取り入れている今の男性にはその程度の煽り・洗脳は無駄である。
担わない限り、男性はマスコミと女性からは離れ続けるであろう。
684 名前:あらら[sage] 投稿日:2010/07/01(木) 08:47:52 ID:TBI7JLWt0
状況を変えるための最大の方法は、とにかく「女に金を渡さない」ことだ。
今まで、男が金を稼いでも、自動的に女のものになって女が使うか
男が使う場合でも、女のために使ってきた。
だから、業界はとにかく女の機嫌だけ取ってきたわけだ。
オタクは女のために金を使わないからな。
これから、男を直接相手にする産業が伸び続け
女を相手にする産業は廃れていくことで、状況が変わっていくだろう。
687 名前:あらら[sage] 投稿日:2010/07/01(木) 11:42:02 ID:tmd5fAxS0
社会法律が女性優遇になった為、離婚=慰謝料+親権なしの養育費。
自殺率3万数千人超えの中で、男性の自殺率9割(中国などは、半々)
公務員などで、能力ではなく、男性、女性で半分ずつ雇わされる(男性の方が
成績がよいため、必然的に能力の高い男性も男性というだけで落とされる)
TVで男がバカにされる番組が増えた(女性をバカにしたら人権問題、クレーム扱い)
結婚での理想が無くなり負担ばかり増えた事で少子化の悪化(マスコミで家で男はカス扱い
され、財布は稼ぎの少ない女性が握り、小遣いは雀の涙):ちなみに結婚して財布を女性
に預けるのは、日本だけ。また戦後などのように父の権威が全くなくなる
結婚時には、男性遍歴の乱れにより今の旦那では満足できない。そういう不満を持つ女性が増えた
何で男とか男じゃないとかに反応するのかよくわからんが、本来は、自分(と周り)が幸せかどうかだけ、考えるのが正しいと思うよ。
「最近の若い男は金使うのが下手」っていうのは、じゃあ、昔の人は金使ってたのかということになるが、昔金使ってた人たちも、別に金の使い方がうまかったってわけじゃないと思うよ。使ううちに上達するだろうけど。
たまに銀座に行って思うのは、クラブがすごく多いということだけど、昔の人たちはドンだけ会社の金で飲み食いしてたんだよって。
というわけで、男か否か、というのはあんまり意味はない考え方だと思う。不幸になる考え方だ。
次の5種類に分けられる。
2.文系が好きだから文系に行く。(歴史オタ・文学オタ・芸術オタ)
3.理系がキライだから文系に行く。(数学できない、遊びたい、法経(ほうけい))
4.文系がキライだから理系に行く。(対人関係が苦手、ただのオタ)
5.立身出世したい。(有利そうな学部へ行く、エリートビジネスメン予備軍)
※女性についてはこの限りではない。(わたしにはわからないから)
※医療系は除外する。
上記5は、国によって行く学部が異なる。
たとえば、日本では文系の法学部や経済経営が、企業においては出世するのに有利だと考えられている。しかし、中国やフランスでは、むしろ経営指導者層は理系出身者が多い。カルロス・ゴーンも理系だ。(フランスではエンジニアの社会的地位はかなり高い)
ここで注意しなければならないのは、日本で言う「理系の人」と海外の「理系の人」は、果たして同じ人種であると言えるのか、ということだ。完全には一致しないだろう。
言い換えれば、たとえば、日本で言うところの三木谷浩史(商学部卒)は、もしフランス人(イロシ・ミキターニ)として生まれていたら、理系に行っていた可能性が高い、ということだ。
したがって、もし将来的に、理系のほうが文系よりも優れていることが実証され、出世に有利ということになれば、必然的に、三木谷的な人種(上記の5)が理系にも増えていくことになると考えられる。
逆に、現在において、理系の管理職が少ないのは、三木谷的な上記5の人種が、あまり理系に進学していないからだと考えられる。
したがって、理系の社会的地位向上のためには、上記5の人種を積極的に理系に誘致し、社会で活躍してもらう必要がある。
日本のサッカー代表はたまにベスト16に行くことがあっても基本的に南米や欧州の列強に追い付くことはできません。追いつくためには日本の教育制度、スポーツの学校依存、究極的には日本の社会制度までにメスを入れなければならないからです。
現在の代表でも、半数以上はサッカーエリートであるクラブ出身ではなく部活サッカー出身だ。普通の感覚ならどれだけ「自分はやれる」とおもっても並の高校に行った時点でプロをあきらめてしまうの。とくに偏差値の高い学校にはいった競技者はプロを目指すのはよっぽどのかわりものだろう。
学校の部活動は短期間、具体的には2年または2年半で結果を求められる。求めるなというのが無理なのだ。競技者、および指導者(学校の教員)の双方にとってそれがメリットだからだ。2年で結果を出せばまた名門サッカー高校に進学できる。また2年半で結果を出せばJリーグ以外では最もメジャーなサッカー大会である。「高校サッカー選手権」にでられる。普通の高い才能であればこの大会にピークを持ってくることが目標なのだ。
南米、欧州ではもちろんちがう、クラブのユースではある意味子どもたちは商品なのだ、名門クラブであればそのトップチームに上げることが目標となる。そうでなくとも名門に売れれば大きな金が入る。日本の部活のように自分勝手な猛練習はしない。体が壊れたら誰も得をしないのだ。ユースでもジュニアユースでも週に4-5回、一日2-3時間の練習と週に1回の試合。日本のように年間練習試合をふくめ100試合もやるようなことはない(中堅校でもこのくらいやるところは少なくない)
逆に公式戦はリーグ戦が主体で多く、リーグなので絶対的な勝利にこだわることもない。指導者も競技者も目指すのはその先なので、個人の技術の向上、戦術理解が優先される。
また日本ではユース世代は競技者のサッカーレベルでチーム分けがされない基本的に「競技者の学力」でチーム分けがされる。高校の部活動なのだから当然だが、これがどれだけ異常なことかおわかりだろうか?
また日本では必ずしもサッカー経験者もしくは指導を志す者がサッカーを指導するわけではない、これまた異常なことなのだが事実だ、ジュニアユース時代に技術的なことを指導されなければどれだけ才能があっても伸び悩む。さらにユース時代も確率的には少ないが必ずしも専門家が指導するわけではない。(例えばわたしは長らく高校サッカー部の顧問をしていたが、なった理由は校務分掌上、若い男性であいているものが私しかその学校にいなかったという理由。当時全くサッカーには興味関心がなかった。)学力別に分けられた競技者がたまたま良い指導者、環境に当たればよいが、絶対にそうなるとは限らない。学力が関係なければ、後に日本代表になる可能性がないではないが、学力が高ければ指導者と関係なくその学力の高校(チーム)にいく。そして高い才能があろうとサッカー選手になる道はほぼなくなるのだ。
ここで「日本でも、今言ったように、学力と関係ない名門高校があるんだから、そこで注目されるのでは?」とおもうだろう。もちろんそういう選手も多いが、ここで現代表の来歴をみてみる。
日本代表CBの3人の来歴は非常に異色だ、田中はブラジル人を留学生としてとっているサッカーが盛んな新興名門進学校「渋幕」に留学した。その後、Jリーグに入り帰化した。これは前代表のアレックスやサッカーでないが朝青龍もそうだ。
中沢はサッカーエリートとは関係のない道をあゆみ、強豪でない三郷工技の部活動からブラジルのクラブに入り、帰ってきて三郷工技で練習していて練習試合でヴェルディとやったあとに練習生としてヴェルディに入った。
岩政は普通の地方進学校から数学の教師になるため東京学芸大に入り、ユニバーシアードなどで活躍して注目され鹿島に入った。
後者2人は本人のサッカーへの強い意志と偶然により、Jリーグに入り代表になったことになる。偶然がなければこのWカップのメンバーは違う人が入っていたということになる。ということはこの人たち以外にも日本代表に入れる才能を持ちながら途中でなんらかの事情で断念している多くの競技者が、掬いあげられずに、一サッカーファンとしてWカップを見ているはずなのだ。普通のフットボールネイションであれば代表に入るような才能であれば小さいころから注目され少なくともプロになる選択を与えられるのは必然でなければならない。
普通のフットボールネイションで岩政のような選択は非常に不可解に感じるだろう。代表になれるような才能があれば、16-7歳でプロ契約するのが普通。サッカーの能力が非常に高くかつ数学の教師になりたいのであれば、大学はサッカーのプロキャリアを終えたあとに行けばいいわけで、なにも、大好きであるサッカー競技者を断念して教師になる必要はない。岩政の選択は日本では非常に特殊で普通なら数学の教師になりサッカー部の顧問になる(もしくは校務分掌の事情でなれない)のが普通だろう。高校で普通の進学高にいった時点でプロサッカー選手になるという選択はない。冷静な頭で考えればリスクとリターンが合わないからだ。
日本ではあるレールからはずれると修正がきかないとおもわれている。サッカー選手を選択して失敗したら大学目指そうとかそういう選択は普通しないのだ、就職に一番有利なのは何の瑕疵もなく22年で大学を卒業した者であり、30歳くらいでサッカーのプロ経験者であってもいわゆる一流企業の正社員になるのは難しいだろう。であれば高い学力があってサッカーの高い才能がある場合、リスクをとってサッカー選手になるという選択は普通なくなる。このようなリスクテイカーに冷たい社会ではサッカー選手になるというのはなかなか決断しにくいのだ。岩政は非常にリスクの高いことをやって成功したことになる。
他にも多くの理由があるが、スポーツの学校依存、リスクテイカーに冷たい日本の社会制度を変えない限り野球のようなマイナースポーツで一番になることはあってもサッカー大国になることはないだろう。
部活動の問題についてはまたの機会に書きたいと思います。
長い。文章が整理されていない。
仮に、
結婚しないで独身よりは、たとえどんなにブサメンとでも、セックスして子どもつくったほうがまし、ということになる。
どんなイケメンでも、相手にできる女の数には限りがあるから、必然的にあぶれる女が出てくる。(資源に制約がある)
ならば、いつまでもイケメンにばかりこだわり結婚できないよりも、適当なところで妥協するほうが、何倍もましだろう。
子供ができて責任を果たすことをせずに欲望だけ満たしたいなどというのはわがままだ。
欲望を満たすのならばそれに伴う責任もまっとうすべきなのだ。
避妊(ここではコンドーム等器具の使用を指す)中絶を禁止したら実際いろいろな不幸が生じるだろう。
しかしそれらの不幸も神が与えた宿命として受け入れるべきなのだ。
別人格である親が子供の自己保存を妨げる権利などないのである。
売春は有史以来古今東西消えることがない。
それはすなわち子供を作るという結果を回避しつつセックスしたい人間が決して消えない、
もしくは子供を作りたいと望んでいてもそれをかなえてくれる相手を得られない人間がいなくならないことの証明である。
子供を作りたいということはお互いにセックスの相手として独占しあう関係になってもよいということである。
婚姻が男女一対一の関係を規定している限り、
男が出す性で女が身ごもる性である限りそれは不可能である。
魅力のない下層何割かは結婚という制度に適合することのできない。
その時点で望まれない(独占関係のない男女の間にできる)子供を生み出す潜在的可能性を作りだすということなのだ。
あぶれた人間の間にできた望まれない子供でも、たとえ本人らや社会が不幸を背負ってでも、
生きる権利を与えるべきなのだ。
もしくは恋愛の共産主義化といってもよいが、婚姻制度を撤廃する、男女の独占関係を要求せずに、
生まれた子供は社会の支援のもと母親が育てるという制度を敷けばよい。
もしそれができないというのならば人間の命の価値は平等ではないとオーソライズし、
その理念に従って社会制度も倫理も道徳も再構築するべきなのだ。
生まれた命はもとが愛だろうと欲望だろうと差は無い。つけるべきではない。
http://anond.hatelabo.jp/20100620143255
http://blog.goo.ne.jp/mit_sloan/e/aee77a146fb23c2b34d6dd91f322d9b5
このあたりのネタを読んでいて、昔、どこかで読んだ日本の外交官のエピソードを思い出した。
日本人の欧米コンプレックスも欧米の傲慢度も今より上だけど、日本の国際的地位もより高かった頃の話。
会議の始まりで、イギリス側の新人らしい外交官が、いきなり流暢で難解なクイーンズイングリッシュでまくしたて始める。
聞き取ることができずに沈黙する日本人外交官とドヤ顔の新人外交官。
「わかりました。この問題についてイギリス政府は日本と真剣に話し合うつもりがないと日本政府には伝えます。」
その瞬間、新人外交官は真っ青。他のイギリス側外交官も今更ながらに慌てて新人をたしなめて、会議は通常通り開始。
その日以降、その国際会議で問題の新人外交官をみかけることはなかったそうです。
英語が対話のための道具であるならばアンバランスではあっても双方向性が必然的に存在するわけで
通じさせるための責任はネィティブと非ネイティブの両方にある。
別の面から言えば、英語ネィティブ側がどんなに華麗な修辞で洗脳力抜群の超絶英語を駆使しようと、
説得したい相手がTOEIC600点の日本人であれば宝の持ち腐れどころか、判断力のないタダのアホなわけです。
むしろ、日本人の英語能力を把握できないネィティブから日本人への説得より、英語であれば通じることが
わかっている日本人からネィティブへの説得の方がハードルが低いかもしれない。
多数派である英語非ネィティブに包囲されつつある少数派の英語ネィティブが、今後、どんな戦略をねってどんな
戦術を駆使するようになるのか、是非とも知りたいものである。
http://anond.hatelabo.jp/20100620143255
ほぼ全文、誇張じゃなくほぼ全文に渡って英語表現が訂正されているのだ。論文の主張や論の構成はそのまま、しかし英語の表現は徹底的に変えられているのである。そして、元々俺が書いたドラフトと、指導教官による修正版を並べて見れば、その差は歴然としていた。俺のドラフトの英語表現は拙く、いかにもネイティブじゃない人間が書いたのがはっきりと分かるようなものだった。
論文書く前に他人の論文を大量に読んでいれば、表現が訂正させれっれることはないんじゃない?
学生は皆「あいつの英語はおかしい」「アクセントが強くて聴いているのが疲れる」「表現が稚拙で繰り返しが多すぎる」といった不満を述べてきた。
移民が英語で暮らせても、現地のビジネスマン向け英語教室に通うのはキャリアアップとしては必然だと聞くし、
結局、本人が書いてあるように全能感からきた怠慢による失敗談であって、日本人が英語ができるはずがないというのは自己正当化じゃない?
なんか話の前提条件が根本的に誤解されてるな。
俺の周りは理系だらけだから、必然的にみんな男だらけの環境で生きてきてる。
大学生なら男だらけだろうと(インカレ)サークルなり何なりでいくらでも彼女くらい作れるだろ。
俺のは高校時代の同級生だけどね。
社会人になってメーカーの研究開発とかになった人は確かに調達しづらくなってるみたいだけど、欲しがってるんだから君の定義によるとそれだけで草食系ではないよね。
マジですか。
ということは、あなたはきっと肉食系だ。でなければ特殊な環境にいるのでは? たとえば、上流階級的な感じであったり、学歴・職歴的に見て輝かしいものがあるのでは? これらの場合は、いつでも女を得られる余裕があるから、肉食めいていてもおかしくはないだろう。
そうでない場合、男ばかりの環境に自ら飛び込むというのは、自ら女を避ける行動を取っているに等しく、肉食系にとっては自殺行為。顔面に恵まれていない限りは、学歴的・収入的魅力に欠け、学校・職場恋愛も望めない以上、彼らは殆ど必然的に独身を余儀なくされる。一部の自殺未遂の肉食が合コンなどを行うことはあるかもしれないが、まさか全員参加してるわけでもあるまいし、一部の例外者と捉えて問題ないだろう。従って、口でなんと言おうと、彼らの行動は草食系そのものだといえる。
朝方、夢の気分を引きずりながら、また貨幣のことを考えていた。そしてソグド人のことを。そしてイスラム文化を。
(ア)貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。その信頼の形成方法が貨幣の作り方だと、なんとなく思っていたが、ではそれらと国家や国家の幻想とはどのように関係があるのか。そのあたりで、(a)トウサクしていた。
私は、何かを考えるとき、反ヘーゲル・反マルクスの仮説を立ててみることが多い。あるいは反キリスト教・反ギリシア哲学。が、やはり、商品と呪物は決定的なのだろう。呪物商品が最初にローカルに貨幣化され、それを(b)エンカクには信頼で組織化するのだろう。そして呪物商品は、国家幻想と女に関係を持つ。女はそれ自体が呪物商品化されるというか、先日、高島先生の盗賊皇帝の話を読み直しながら、女こそ(c)リャクダツ品なんだなと思いを深めた。しかし、女は物ではない。そのあたり、女の、女集団の意識化がある。
このぼんやりした思考とパラレルに、ウッフィーの貨幣化について考えた。基本的にはそんなものはないだろうと思うし、ベネトンの話などは要するにバイラルなのだが、なぜウッフィーが貨幣ではないかといえば、(イ)貨幣は匿名化されなくてはならない。では、なぜ貨幣は匿名なのだろうか? 信頼と呪物の関係において匿名の意味はなにか? 直感的には交換の本質から出てくるのだろう。
ところで、このあたりでさらにマルクスの労働の価値について再考する。いろいろ考えたが、ようするに(ウ)労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。呪物の呪術性を媒介として、使役の公平な交換性としてあるのだろう。というか、これは社会生物においてごく遺伝子的なレベルでフレームワークは存在するのだろう。つまり、生物種の持つ社会的な使役の交換の必然がどのくらいかによる。
これは、当然ながら、公平を権力化した使役との対照に置かれる。しかし、国家の権力の幻想も実はウッフィー的な幻想の(d)イタクではないのか。そのあたりで、ウッフィー=貨幣という考えそのものが間違っていることに気がつく。おそらく貨幣は貨幣なのだろう。
そして、(エ)貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。つまり、寄生的に国家の幻想に媒介してくる異質な富の集団こそが国家を幻視させる、あるいは、国家を家族幻想から引き離し、阻害する要因ではないのか。つまり、吉本隆明がいうような親族から王を疎外するのではなく、外部の貨幣が王を疎外するのではないか。より正確に言えば、(オ)家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう。
設問
(一)「貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。」(傍線部ア)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(二)「貨幣は匿名化されなくてはならない。」(傍線部イ)とあるが、それはなぜか。説明せよ。
(三)「労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。」(傍線部ウ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(四)「貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。」(傍線部エ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(五)「家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう」(傍線部オ)とあるが、どういうことか。本文全体の論旨を踏まえた上で、百字以上百二十字以内で説明せよ。(句読点も一字に数える。なお採点においては、表記についても考慮する。)
(六)傍線部a、b、c、dに相当する漢字を楷書で書け。
a トウサク b エンカク c リャクダツ d イタク
2008年夏にストライクウィッチーズが起こした奇跡はまだ記憶に新しい。
ヤマトからガンダムそしてエヴァへと続いたSFアニメ、エヴァ以降に生まれ席巻した萌えアニメ、その両方を奇跡的なバランスで兼ね備えた名作である。
00年代末期にして生まれた00年代の代表作である事は誰もが疑わない事であろう。そのDVD第一巻の売上は推定累計15000本の大ヒット。
だが後の「けいおん!」の50000本、「化物語」の80000本と比べると見劣りしてしまう。
この2作品は実に特殊である。化物語の特徴的な演出は普遍性があるとは言いがたいし、けいおん!に至っては本放送当時、多数の同業者が首を傾げた事実がある。
そんな言わば傷物の作品が何故これほどまでの売上を誇る事が出来たのであろうか。
結論から言ってしまうと「女性アニメオタクにも配慮した結果」である。
化物語も個性あふれる多種多様なヒロインが登場する作品であるが、原作からして女性ファンが多く、アニメも人気男性声優を起用する事で
否応なしに女性を惹きつける事に成功している。
けいおん!は劇中に女性キャラしか登場させず、ヒロイン達も非常に媚びた言動をするキャラクターであり、一見男性向けのように感じるが
その実、女性の嫌がる性的要素を徹底的に排除してあり、加えて、京都アニメーションの高い演出力によるリアルな描写に反した
いかにもアニメ的な言動をするキャラの“ちぐはぐさ”が、逆に「これはフィクションなんだ」と無意識に訴えかけ、女性に抵抗を感じさせない。
そして決定的なのがキャラクターデザイン。いわゆる「萌え絵」と言うものが浸透した現代において明らかに異質な絵柄。何と言うか、非常に“ブサイク”
まるで平安美人のようである。この絵柄は近年の京都アニメーション作品の中に蔓延し「涼宮ハルヒの憂鬱」第二期の中にも見え隠れしている。
特に「らき☆すたin武道館」におけるこなた達を見れば、いかに“けいおん顔”がブサイクであるかは誰でも容易に一目瞭然である。
だがしかしこのブサイクさが重要なのである。「家庭教師ヒットマンREBORN!」におけるヒロインへの女性からのバッシングを代表するように
女性オタクは非常に嫉妬深い。アニメキャラクターへも容赦なく負の感情をぶつけてくる。
けいおん!はあえてキャラクターの外見をブサイクにする事でそれを回避する事に成功しているのである。
そういった様々な配慮により、女性の目にも耐えうる作品になっているのである。
こう言った要素の片鱗は08年秋から始まった「とある魔術の禁書目録」に感じられ、翌年の「とある科学の超電磁砲」に引き継がれる。
09年「けいおん!」から始まり「化物語」「とある科学の超電磁砲」と女性配慮アニメが台頭する中にあっては
男性主観の象徴である百合アニメ、そのブームの延長線である「咲-saki-」が失敗し、「大正野球娘。」が不発に終わったのも時代の必然だったのである。
時代。そう、ストライクウィッチーズ誕生の奇跡によってアニメは一つの限界を向かえ、新たな時代へと進まざるを得なかったのである。
そして10年代に突入した現在、女性配慮の意思を受け継いでるアニメがある。それが「WORKING!!」「Angel Beats!」である。
WORKING!!も「けいおん顔」のようなブサイクさを踏襲し、化物語のように男性キャラクターを兼ね備えている。EDで男性キャラクターを立たせているのは
「バカとテストと召還獣」でも見られた手法だ。そして「種島ぽぷら」のような扇情的な造形をし、女性の逆鱗に触れるようなキャラクターは不自然なまでに隅に追いやっている。
こういった細かい「配慮」で非常に少ない放送局でありながらDVD売上30000本に届こうかという勢いを叩き出している最中である。
そして「Angel Beats!」だ。このアニメも近年のアニメとしては男性キャラクターが多く、直井というキャラに緒方恵美を起用するなど女性に配慮しているアニメである。
しかしこの作品の真価は非常に特殊な設定で、00年代に流行った要素を意図的に詰め込んでる感があるのは誰もが思うところだろう。
真っ先に思いつくのが涼宮ハルヒ以外何者でもないヒロインのデザインと、SOS団を思い起こさせる「死んだ世界戦線」略して「SSS」だ。
意図せずにこうまで類似した設定を作るものだろうか? あえてやっているとしか思えないのである。
では何故そんな、ともすればバッシングの的になる事をあえてやるのか?
一つ思う。
00年代の要素すべてを一途に消費させ、新たな10年代のアニメを始まらせるためではないか。
そんな「架け橋」になろうとしているAngel Beats!が、「女性配慮」という00年代末期に「けいおん!」「化物語」が起こしたばかりの新時代の要素をも
内包している事に驚きを隠せない。……これは偶然だろうか?
古き時代と新しき時代を繋いだAngel Beats!、その終了によってアニメはようやく10年代のスタートを切る事が出来るのだろうか。
7月からは待望のストライクウィッチーズ第二期が開始される。
他にも「みつどもえ」や「侵略!イカ娘」「神のみぞ知るセカイ」そして「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」のアニメ化が決定
話題作が目白押しだ。
それらの中から「10年代のストライクウィッチーズ」が現れる事を、ただひたすら祈ることしきりである。
なんかこの文章昼間もあったよね。
消したの?
なんのつもりか知らないけど人の書いた文章を何回も増田に載せるのってキモいわ。
調べてみたら昨日の夜中も同じようなの載せてるね。
http://anond.hatelabo.jp/20100611232824
意味がわからない。っていうか薄気味悪い。
■次の文章を読んで、後の問いに答えよ。 なお、出題の都合上、一部改変した箇所がある。
朝方、夢の気分を引きずりながら、また貨幣のことを考えていた。そしてソグド人のことを。そしてイスラム文化を。
(ア)貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。その信頼の形成方法が貨幣の作り方だと、なんとなく思っていたが、ではそれらと国家や国家の幻想とはどのように関係があるのか。そのあたりで、(a)トウサクしていた。
私は、何かを考えるとき、反ヘーゲル・反マルクスの仮説を立ててみることが多い。あるいは反キリスト教・反ギリシア哲学。が、やはり、商品と呪物は決定的なのだろう。呪物商品が最初にローカルに貨幣化され、それを(b)エンカクには信頼で組織化するのだろう。そして呪物商品は、国家幻想と女に関係を持つ。女はそれ自体が呪物商品化されるというか、先日、高島先生の盗賊皇帝の話を読み直しながら、女こそ(c)リャクダツ品なんだなと思いを深めた。しかし、女は物ではない。そのあたり、女の、女集団の意識化がある。
このぼんやりした思考とパラレルに、ウッフィーの貨幣化について考えた。基本的にはそんなものはないだろうと思うし、ベネトンの話などは要するにバイラルなのだが、なぜウッフィーが貨幣ではないかといえば、(イ)貨幣は匿名化されなくてはならない。では、なぜ貨幣は匿名なのだろうか? 信頼と呪物の関係において匿名の意味はなにか? 直感的には交換の本質から出てくるのだろう。
ところで、このあたりでさらにマルクスの労働の価値について再考する。いろいろ考えたが、ようするに(ウ)労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。呪物の呪術性を媒介として、使役の公平な交換性としてあるのだろう。というか、これは社会生物においてごく遺伝子的なレベルでフレームワークは存在するのだろう。つまり、生物種の持つ社会的な使役の交換の必然がどのくらいかによる。
これは、当然ながら、公平を権力化した使役との対照に置かれる。しかし、国家の権力の幻想も実はウッフィー的な幻想の(d)イタクではないのか。そのあたりで、ウッフィー=貨幣という考えそのものが間違っていることに気がつく。おそらく貨幣は貨幣なのだろう。
そして、(エ)貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。つまり、寄生的に国家の幻想に媒介してくる異質な富の集団こそが国家を幻視させる、あるいは、国家を家族幻想から引き離し、阻害する要因ではないのか。つまり、吉本隆明がいうような親族から王を疎外するのではなく、外部の貨幣が王を疎外するのではないか。より正確に言えば、(オ)家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう。
設問
(一)「貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。」(傍線部ア)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(二)「貨幣は匿名化されなくてはならない。」(傍線部イ)とあるが、それはなぜか。説明せよ。
(三)「労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。」(傍線部ウ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(四)「貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。」(傍線部エ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(五)「家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう」(傍線部オ)とあるが、どういうことか。本文全体の論旨を踏まえた上で、百字以上百二十字以内で説明せよ。(句読点も一字に数える。なお採点においては、表記についても考慮する。)
(六)傍線部a、b、c、dに相当する漢字を楷書で書け。
a トウサク b エンカク c リャクダツ d イタク
朝方、夢の気分を引きずりながら、また貨幣のことを考えていた。そしてソグド人のことを。そしてイスラム文化を。
(ア)貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。その信頼の形成方法が貨幣の作り方だと、なんとなく思っていたが、ではそれらと国家や国家の幻想とはどのように関係があるのか。そのあたりで、(a)トウサクしていた。
私は、何かを考えるとき、反ヘーゲル・反マルクスの仮説を立ててみることが多い。あるいは反キリスト教・反ギリシア哲学。が、やはり、商品と呪物は決定的なのだろう。呪物商品が最初にローカルに貨幣化され、それを(b)エンカクには信頼で組織化するのだろう。そして呪物商品は、国家幻想と女に関係を持つ。女はそれ自体が呪物商品化されるというか、先日、高島先生の盗賊皇帝の話を読み直しながら、女こそ(c)リャクダツ品なんだなと思いを深めた。しかし、女は物ではない。そのあたり、女の、女集団の意識化がある。
このぼんやりした思考とパラレルに、ウッフィーの貨幣化について考えた。基本的にはそんなものはないだろうと思うし、ベネトンの話などは要するにバイラルなのだが、なぜウッフィーが貨幣ではないかといえば、(イ)貨幣は匿名化されなくてはならない。では、なぜ貨幣は匿名なのだろうか? 信頼と呪物の関係において匿名の意味はなにか? 直感的には交換の本質から出てくるのだろう。
ところで、このあたりでさらにマルクスの労働の価値について再考する。いろいろ考えたが、ようするに(ウ)労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。呪物の呪術性を媒介として、使役の公平な交換性としてあるのだろう。というか、これは社会生物においてごく遺伝子的なレベルでフレームワークは存在するのだろう。つまり、生物種の持つ社会的な使役の交換の必然がどのくらいかによる。
これは、当然ながら、公平を権力化した使役との対照に置かれる。しかし、国家の権力の幻想も実はウッフィー的な幻想の(d)イタクではないのか。そのあたりで、ウッフィー=貨幣という考えそのものが間違っていることに気がつく。おそらく貨幣は貨幣なのだろう。
そして、(エ)貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。つまり、寄生的に国家の幻想に媒介してくる異質な富の集団こそが国家を幻視させる、あるいは、国家を家族幻想から引き離し、阻害する要因ではないのか。つまり、吉本隆明がいうような親族から王を疎外するのではなく、外部の貨幣が王を疎外するのではないか。より正確に言えば、(オ)家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう。
設問
(一)「貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。」(傍線部ア)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(二)「貨幣は匿名化されなくてはならない。」(傍線部イ)とあるが、それはなぜか。説明せよ。
(三)「労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。」(傍線部ウ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(四)「貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。」(傍線部エ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(五)「家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう」(傍線部オ)とあるが、どういうことか。本文全体の論旨を踏まえた上で、百字以上百二十字以内で説明せよ。(句読点も一字に数える。なお採点においては、表記についても考慮する。)
(六)傍線部a、b、c、dに相当する漢字を楷書で書け。
a トウサク b エンカク c リャクダツ d イタク
少し水洟が出る。いよいよ花粉症だろうか。朝方、夢の気分を引きずりながら、また貨幣のことを考えていた。そしてソグド人のことを。そしてイスラム文化を。
(ア)貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。その信頼の形成方法が貨幣の作り方だと、なんとなく思っていたが、ではそれらと国家や国家の幻想とはどのように関係があるのか。そのあたりで、(a)トウサクしていた。
私は、なにかを考えるとき、反ヘーゲル・反マルクスの仮説を立ててみることが多い。あるいは反キリスト教・反ギリシア哲学。が、やはり、商品と呪物は決定的なのだろう。呪物商品が最初にローカルに貨幣化され、それを(b)エンカクには信頼で組織化するのだろう。そして呪物商品は、国家幻想と女に関係を持つ。女はそれ自体が呪物商品化されるというか、先日、高島先生の盗賊皇帝の話を読み直しながら、女こそ(c)リャクダツ品なんだなと思いを深めた。しかし、女は物ではない。そのあたり、女の、女集団の意識化がある。
まあ、それはそれとして。このぼんやりした思考とパラレルに、ウッフィーの貨幣化について考えた。基本的にはそんなものはないだろうと思うし、ベネトンの話などはようするにバイラルなのだが、が、なぜウッフィーが貨幣ではないかといえば、(イ)貨幣は匿名化されなくてはならない。では、なぜ貨幣は匿名なのだろうか? 信頼と呪物の関係において匿名の意味はなにか? 直感的には交換の本質から出てくるのだろう。
ところで、このあたりでさらにマルクスの労働の価値について再考する。いろいろ考えたが、ようするに(ウ)労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。呪物の呪術性を媒介として、使役の公平な交換性としてあるのだろう。というか、これは社会生物においてごく遺伝子的なレベルでフレームワークは存在するのだろう。つまり、生物種の持つ社会的な使役の交換の必然がどのくらいかによる。
で、これは、当然ながら、公平を権力化した使役との対照に置かれる。しかし、国家の権力の幻想も実はウッフィー的な幻想の(d)イタクではないのか。そのあたりで、ウッフィー=貨幣という考えそのものが間違っていることに気がつく。おそらく貨幣は貨幣なのだろう。
そして、(エ)貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。つまり、寄生的に国家の幻想に媒介してくる異質な富の集団こそが国家を幻視させる、あるいは、国家を家族幻想から引き離し、阻害する要因ではないのか。つまり、吉本隆明がいうような親族から王を疎外すのではなく、外部の貨幣が王を疎外するのではないか。より正確に言えば、(オ)家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう。
設問
(一)「貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。」(傍線部ア)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(二)「貨幣は匿名化されなくてはならない。」(傍線部イ)とあるが、それはなぜか。説明せよ。
(三)「労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。」(傍線部ウ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(四)「貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。」(傍線部エ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(五)「家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう」(傍線部オ)とあるが、どういうことか。本文全体の論旨を踏まえた上で、百字以上百二十字以内で説明せよ。(句読点も一字に数える。なお採点においては、表記についても考慮する。)
(六)傍線部a、b、c、dに相当する漢字を楷書で書け。
a トウサク b エンカク c リャクダツ d イタク