子供ができて責任を果たすことをせずに欲望だけ満たしたいなどというのはわがままだ。
欲望を満たすのならばそれに伴う責任もまっとうすべきなのだ。
避妊(ここではコンドーム等器具の使用を指す)中絶を禁止したら実際いろいろな不幸が生じるだろう。
しかしそれらの不幸も神が与えた宿命として受け入れるべきなのだ。
別人格である親が子供の自己保存を妨げる権利などないのである。
売春は有史以来古今東西消えることがない。
それはすなわち子供を作るという結果を回避しつつセックスしたい人間が決して消えない、
もしくは子供を作りたいと望んでいてもそれをかなえてくれる相手を得られない人間がいなくならないことの証明である。
子供を作りたいということはお互いにセックスの相手として独占しあう関係になってもよいということである。
婚姻が男女一対一の関係を規定している限り、
男が出す性で女が身ごもる性である限りそれは不可能である。
魅力のない下層何割かは結婚という制度に適合することのできない。
その時点で望まれない(独占関係のない男女の間にできる)子供を生み出す潜在的可能性を作りだすということなのだ。
あぶれた人間の間にできた望まれない子供でも、たとえ本人らや社会が不幸を背負ってでも、
生きる権利を与えるべきなのだ。
もしくは恋愛の共産主義化といってもよいが、婚姻制度を撤廃する、男女の独占関係を要求せずに、
生まれた子供は社会の支援のもと母親が育てるという制度を敷けばよい。
もしそれができないというのならば人間の命の価値は平等ではないとオーソライズし、
その理念に従って社会制度も倫理も道徳も再構築するべきなのだ。
生まれた命はもとが愛だろうと欲望だろうと差は無い。つけるべきではない。
神が試練を与えるなら、別の神に乗り換えればいい。 おれは吉野家に飽きたら、松屋に行く。
男も妊娠出産できたらいいのにね。
生まれた子供は社会の支援のもと なんで父親に養育させないの?
口調は勇ましいけど論理がしっちゃかめっちゃかだ 方向性自体は嫌いじゃないので推敲・再提出を望む 個々の論理を見直し論点を絞ろう