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はてなキーワード: 必然とは

2010-11-08

http://anond.hatelabo.jp/20101108215124

少子化先進国に共通した問題だから、日本社会制度に原因を求めるのはおかしい気がするけどな。

どの国においても、少子化高齢化女性社会進出、平均修学期間の延長、晩婚化、非婚化がセットで進行してる。

どの現象が原因で、どの現象が結果なのかの議論はとにかくとして、少子化という現象は『必然』であるらしい。

とはいえ、日本においての少子高齢化は、世界中を見渡しても、過去歴史を見渡しても例がないスピードで進行しているのは事実

個人的には、日本固有の社会制度と関係があってほしい。

というか、そのせいであってほしい。

ついに日本人口が減少に転じたように、中国で、インドで、世界で、一方的かつ爆発的だった人口の増加が減少に転ずる日はくるのだろうか?

だとしたら、どういうスピードで、どこまで減少するのだろう?

人類を滅亡に追いやるほどの問題となりえるのか?

天変地異を、病を克服しつつある人類が、生殖行為を放棄することで真綿で首を絞められるように静かに死んでいくとしたら、なんか不思議だ。

2010-11-03

http://anond.hatelabo.jp/20101103140154

それは間違ってる。

民主主義国家である以上、『多数派のケアを重点的にする』が正解。少数派は無視で問題ない。

つまりほっといても元増田の言う「競争と淘汰の社会」は来るし、現在もう来てると言えるでしょう。

生産性のないクソ年寄りがヌクヌク逃げ切って、若者の大半は貧困に喘ぐ。

まぁ、しょうがないよね、民主主義だから。若者少ないもの。

つーわけで、底辺はこれから暴れ始めるんだろーと思う、歴史必然として。がんばれ若き底辺。

俺は参加しないけど。競争に勝った者は折角掴んだ椅子を死守する仕事で忙しいんだ。

2010-11-02

http://anond.hatelabo.jp/20101102180851

少額だろうと、単純な比例関係にはならないと思うがねえ。

CDとかだって、車と同じように、パラメータ(可処分所得とか)がある閾値を下回ったらバタっと買わなくなったりしてるんじゃないかね。

感覚的には、恒常的に金を落とさせるビジネスインターネット携帯、会員制サービス他)が増えた結果、スポット的に大量に売るビジネスCDとか)が成り立ちづらくなったような気がする。

車はまぁ高すぎるからどう頑張っても無理だよなあ。東京以外仕事が無いんだから東京に人が集まる(=車の維持費が加速度的に大きくなる)のが必然なのに売れるわけが無い。駐車コストがほぼゼロになる車とか、保険コストがほぼゼロになる車とか、そういうものを作らないと売れないだろう。交通事故確率が1/10000に激減する自動運転カーとかね。

http://anond.hatelabo.jp/20101102131550

女を庇うような増田を書けば必然的に煽られる良い見本だな

2010-10-31

熊を殺すのはかわいそう、は理にかなっている

「人の近くに熊が現れた、生活を脅かされている、だから熊を殺そう。殺す以外の方法はあるけど、一番安全なのが殺すという方法だからだ」

これに対して「熊を殺すのはかわいそう」という苦情が何件も寄せられて、はてな民は、「熊が出没するかもしれない場所で暮らしている人の気持ちになってみろ」とブコメを大量に残す。ここまでがストーリー

しかし、よくよく考えると、熊が出没するのは自然人間共生が云々という話で、森を切り開き、人が森の近くへ住むという選択をしているからである。人が熊から離れて暮らせば(森を残しておけば)人の住む場所にまで熊がくる可能性はゼロにはならないにしても、遭遇を避けるケースが増えてきて、被害の件数も減る。

「そんな事不可能だろ、現実的に考えろ」とはてな民は言うだろう。

では現実的に考えて、日本人口は減少する傾向にある。日本だけではなく文明が発達して生活がそれほど不自由しなくなると人は減る傾向にある。人だけではなく、死亡率が高い生物は沢山産み、死亡率が低い生物ほど生まれる子供が少なくなる。

こんな感じに、動物というのは無意識下で数の調整を行っている。

「熊がかわいそう」と思うのは、それがマスコミ洗脳されたあげくのマヌケな考えであろうとそうであるまいと、「熊のほうが人よりも少ないんだから、ここは人が死ぬべきである」という数の調整の考えに則っている。言った本人はその前提で言っているわけではないけど、実に物事の真理をついた発言だと思う。

生物として数を調整する事は食物連鎖バランスを保つ上で大切だと思う。

だから人は数を減らさなきゃいけない。戦争をして沢山の人が死ねばいい、とまでは言わないけど、生まれてくる人間の数を抑える事は大切だと思う。

その考えから今の日本を見れば、子供を邪険に扱ったり、子供を持つ家庭=DQNというブラフで悪印象を広めたり、団塊世代が数の少ない世代から富を搾取するという構造は、必然的なものではないかと思えてきた。誰かが意図しているわけでなく、自然が数の調整をする為に行っているものではないかと。

ただし、もし火星や月に人類が移住するという話になれば別だと思う。

生物は今でこそ地球上のあちらこちらに広がっているけど、ずーっと昔は浅瀬の一部分しかしなかったという話だし、どんどん活動範囲を広げていくのも生物の使命だと思う。

けど、今は人間にとっては、その時じゃない。

今は、数を減らす時である。

2010-10-18

http://www.nytimes.com/2010/10/17/world/asia/17japan.html?_r=1&src=me&ref=homepage

ニューヨークタイムスで、沈む国ニッポン特集。

一面記事。連載するらしい。今、一番読まれてる記事だって。

目新しい内容はないけど、誰か翻訳してるだろう。

バブルのころ、2010年に日本経済アメリカを追い越す予測があった、というのは

忘れてたけど、たしかに景気のよすぎる話ばかりだった。

二十三区の土地総額が、アメリカ全土と同じだとか。

なんでそんなバカなことを、みな信じちゃったんだろう。

二十年のあいだ、実際は、日本は横ばいなのに、アメリカ経済規模を倍増したらしい。

こうなることは必然だったんじゃないの? と思う一方、

どうしてたらアメリカに勝てたかね、と思わないでもない。

まだまだ沈むだろうな。アメリカの例を見るなら、もっとメジャーどころの企業ブランド

中国に買いたたかれてもおかしくない。問題は、そこからどうやってはいあがっていくか、だろう。

2010-10-13

当然の報い

ここと2chを見ていれば、自分の住んでる国に一切の興味が無いことが解るな。

「こうこうこうすれば国が良い方向に傾く」という発言に対して、若者真逆左翼発言ばかり。

どういう年齢層なのかは言動を見れば解る。

俺自身も二十歳で若者の部類だが、15歳くらいで既に国の情勢について調べ尽くしてたよ。

その上で政治問題を議論してたが、若者から一切まともな発言を受けたことが無い。

手当たり次第にネトウヨネトウヨとだけ言われて話にならなかった。

とりあえずそう言っておけば合理的な発言をしなくても論破になると思い込んでいたんだろう。

右翼意味も知らないで、ネットで良く使われているからという理由で煽りに使い出したんだろう。

ゆとりという言葉過剰反応する輩は自分が使う言葉意味すら調べないからな。

そんなのが俺と同じ年代、俺よりも上の年代で凄く恥ずかしく思う。

初めは「この歳でこんなこと言ってるのか?」と愕然とした。

国の情勢なんか一切見ようとしないでネットで遊んで、合間に中傷活動をしてるだけだなんてな。

そりゃあ庶民アピールしてるだけのアホを支持しちゃうわけだ。

小沢(創価)がやってきたこと、やろうとしてることすら知らないで暢気に遊んでるんだろう。

国民も国造りに参加しているという自覚がまるで無い。

そんな若者ばかりで国が良い方向に傾くわけが無い。

全てを危ない思想家宗教団体にまかせてるんだからな。

言うのも恥ずかしいくらいの必然だろう。

俺達はいつまでも何も知らないガキのままじゃ居られないんだよ。

これから奴らが生み落としていった最悪の塊を背負って生きて行かなきゃならない。

俺らの世代が緩和して、次の世代にバトンタッチしなくちゃならない。

だがもう遅い。国の為に一切思考をしようとしない若者が概を占めている現状、既に手遅れだ。

ネットアニメ漫画ゲーム楽しいものばかりを沢山見て、親に人生のレールに乗せてもらってる時点で現実なんか見られるわけがない。

着実に日本朝鮮化しつつある。

最近では新潟中国領にすることをアホな市民の概が賛成してるとか何とか。

奴らもラストスパートを掛けてきた。もう如何することも出来ない。

現を抜かしてないで全員が国の為に動いていたら日本を取り戻せていたかも知れないな。

それで自分の居場所を失えば理不尽な発言をまた繰り返すんだろう。

当然の報いだ。文句を垂れる資格は無い。

2010-10-09

http://anond.hatelabo.jp/20101009105612

だから、アメリカ大学は無条件で日本大学より優れているという思いこみはやめろよ。

中国では優秀な人間からの需要(単純に考えて日本十倍いる)に対して優秀な指導教官供給が追いつかないし、先進国に生活の基盤を置くことで生活レベルやその他(政治的自由を含む)の上昇が見込まれるから必然的に外に出ようという意欲が促進される。

対して、日本では既に高いレベル指導教官が有り余るほどいるわけだから、何が何でも外に出ようという必要がない。ある程度自分専門性が固まってきた段階(普通修士を出て以降)で、その分野の権威外国にいるならばその先生の門を叩いてみようかなどとなって、はじめて外に出ようという動機が芽生えるのが普通

結果として、米国への留学生の数を比べれば中国の方が日本より圧倒的になるのは当たり前の話であって、それがどうしたとしか言いようがない。

青少年読書感想文コンクールに入選して県代表になるための選書

審査員やった。審査員普通、各学校国語先生。(俺は違う。)方式は出された作品約300を10組*4人くらいで30作づつ読んで各組上位4作品くらいを今度は40人の教員全員が読んで1-10の点数をつけて平均点の高いのが入賞。ちなみに原稿5枚が制限でもし2枚しか書いていなかったらその時点で落とされる。

 で入選するためには

1。昔の課題図書はえらばない。特に数年前のとかは、もう選ぶ側の審査員が飽き飽きしている。「一瞬の風になれ」とか「夏の庭」とか、課題図書は単純な話が多いので似たような感想になり審査員はあきあきしているので感想文自体の出来が良くてもこれは昨年も同じような感想があったとなる。

2、「人間失格」はやめておけ、あれもとにかく毎年毎年読むひとが多いので、審査している方は辟易している。

3、難病、不治の病になって回復する(もしくは回復しない)本はやめろ。ただでさえ暗い話が多い文学感想の中さらに暗い話の感想審査員をして(もういいよ!)となる。

4、奇を衒った本(タレント本、やハウツー本)はやめろ。単純に国語先生はそういう本にいい印象を持っていない。

5、誰も知らない様な本はやめておけ、これは上記よりはましだが、どんなに感想文自体がうまくても、その本を誰もしらないのでなんとなく入選には推しにくい。

6、結論的には、「今年の課題図書」で書け。話が単純なものが多い課題図書なので素直な感想がかきやすく、審査員も飽き飽きしてない上に、「課題図書から入選作を出さなければならない」という縛りまである。今年だったら「「ハサウェイ・ジョウンズの恋」なんか話も面白感想も書きやすい。今回の例を出すと課題図書感想文を書いた人は全県で10人くらいしかいなかった、その中から入選3人のうち2人が課題図書だった。これは偶然ではなく必然。こんかいは課題図書自然に入選したが、もし点数が入選に達していなくても、強引に下位からいれかえて1人入選させなければいけない。

 俺は読書感想文とくに、学校教育の中で書かされる感想文なんてなんの益にもならないと思っている。国語教育でなぜ文学作品感想なんて求めるのかが謎。

 好きな本を好きなように読むのがいいし、こういう読書って必ず文系に偏るので小さい頃図鑑ブルーバックスばかり読んでいた俺にとっては無用の存在でしかなかった。こういうノウハウが広まればこういうコンクールはなくなるか縮小の方向になるかもしれないのでアノニマスで書いてみた。読書感想コンクール面白いと思うのだが・・。

2010-10-07

http://anond.hatelabo.jp/20101006234123

小説コメントするのもなんだけど…。

私は、凄く嫌なことがある。

 告白って、つまり『君とセックスしたい』っていう言葉を言い換えただけじゃないのか?

 私達だって、大学生で、そろそろ良い年齢だ。中高生とは違う。条例セックスが禁止されているわけでもない。私自身、別にそうした行為が嫌いなわけではない。ごく自然なものだと思っている。

 だけど、それを面と向かって、『告白』というカタチで表明されるのが、何故か言い知れぬ怖さを感じさせるのだ。

 男って、そういうことに気が付かないのだろうか?

これは、女から男が告白された場合は成り立たないだろう。

だから、男がそういうことに気が付かないのは当然だ。必然的に、女にしかわからない悩みとなる。

すぐに何でもかんでもセックスに結びつけるのが良くない。猿か。

愛とセックスの問題の扱いが下手だ。

当然のことながら、愛とセックス次元が違う。

愛は抽象物だが、セックスは具体的な行動だ。

愛は直接には確認できない。だからセックス重要になる。具体的だから。

増田ビッチではないと思う。

ただ、あたまがわるい

そして俺の基準では、ビッチよりも頭が悪いほうが格下だ。

2010-10-06

http://anond.hatelabo.jp/20101006174206

女に若さを求めるなら女から金を求められるのはほぼ必然だろうね。

そういう意味では若いうちにゲットしておくしかないが、歳の差は大して無いので、自分が歳食ったらその相手も歳食ってるよ。

2010-10-05

http://anond.hatelabo.jp/20101005133111

横だ。

議論の構成がどのような意見(主張)かを決定するのであって、その内容自体は材料に過ぎない、ということなんじゃないの?

同じ材料を使っているからといって、必然的に同じ意見になるわけではない、ということかと。

同じ証拠から異なる主張を導くこともできる。

日本語というより、文章構成の難しさだ。

http://anond.hatelabo.jp/20101004093947

ちょっと違うな。なぜならホメオパシーは一義的には悪じゃないから。社会的害悪、という意味ではなく必然的に被害者存在する犯罪という意味で。ちょっと誤解を招く書き方だったかも知れないが、ホメオパシーがそういうものである以上、これ以上悲劇を起こさないために、っていう論法で語るには何か具体的な説得力の根拠がいる。あくまで説得力のレベルの話だけど、極端にいえば「死人が出てます」だと交通事故と同じだから。この場合は無謀運転とか飲酒運転は誰でも説得力をもって批判することができるけど、例えば(仮に統計的に死亡事故が多いとしても)スポーツカーしか乗らないとか二輪車を使うとかいうのは嗜好や信念の問題でしかない。こういうことについて「家族バイクで死んだからもう乗らないでくれ」とは言えるけど「私は乗ったこともないが今までに○万人死んでるから規制すべきだ、あなた家族が死ぬことを考えれば納得するはずだ」と言うのは難しいかなっていうこと。

要はホメオパシーも「好きでやるなら勝手にやれ、ただし他人に迷惑をかけるな」っていう以上のものには思えないのよね。他人に迷惑をかける可能性は(つまり主流の医療に関する誤った認識をもたせて結果的に死人を出すとか)厳格に規制すべきなので、昨今そういう傾向の見解が出されているのは至極当然のことだと思う。「医療」を看板に掲げているのを見過していて結果的に規制が遅きに失したのは手落ちだと思うけどね。

まあ本当にどうでもいいんだけど、最近の叩かれようは「また都合のいい批判対象がでてきたんだなー」という印象しかなくてなんだか自分は肩入れできないんだな。原則的に科学的じゃないっていう批判には賛同するけど、それはほとんど信者の皆さんには効果がないしね。アロマテラピー程度に丸くなれば皆さん幸せだと思うけどな。

2010-10-03

http://anond.hatelabo.jp/20101003051744

上位ロースクール修了で新司法試験を撤退した者です。

撤退の理由はあなたが書かれているものと関連しますので、

人ごととは思えず、長文を書きます。

友人のほとんどは司法試験合格し、また、優秀な実務家教員とも飲み会をし、

就職活動で何人かの弁護士に話を聞いた、というレベルですが、

思うままにいくつか書きたいと思います。


弁護士は、扱える金額が非常に大きいし、そもそも高給取りだ。

自然に考え方が、貧乏人からずれてしまうのが必然ではないのか。

「考え方がずれる」とかそういう話じゃないと思います。

弁護士人間ですから食っていかないといけない。

そのために「割のよい仕事」を求めるのは当たり前です。

弁護士は「法律を使って法的に正しい状況を実現する」ことを商売にするのですから、

採算の合わない仕事やらないからといって、彼らを否定することは出来ません。

司法書士弁護士よりも「割のよい仕事」が少ないから、

儲けの少ない仕事であっても処理せざるを得ないのです。

薄利多売でいかざるを得ないのです。

もちろん、すっぽかすような弁護士は商売人としてどうかと思いますが、

弁護士数の増加によって弁護士とりま競争状況は年々に悪化していると聞きます。

採算の合わない事件を処理しないのは、事務所を経営しなければならない、

家族を養っていかなければならない、事務員の給料を払わなければならない

弁護士からすれば当然のことであり、いわゆる弱者救済を放棄したとかいう

「考え方の違い」とは関係のないことだと思います。



だから・・・

しかし、きっかけはどうであれ、弁護士が増えれば、企業のために働く弁護士も増えるが、

貧乏人のために働いてくれる弁護士も増えるに違いない、

ということは起こりえません。

逆に競争が激化して事務所単位収入が減れば、貧乏人のために働く弁護士は激減するでしょう。

彼らだって食っていかないといけないのであり、赤字事件は事務所経営に余裕がないと出来ません。




なお、

司法書士のような国際的になんら認められていない資格は淘汰され、日本法治主義はより進歩したものになるに違いない。

そう考えていたが、どうもそうではないのかもしれない。

この部分については、ちょっと認識が間違っていると思います。

確かに弁護士法律系の資格の中では最強の資格です。

弁護士になれれば司法書士仕事も出来たはずです。

しかし、試験科目をみればわかると思いますが、中心的に勉強する範囲が異なるので

司法書士が強い領域と弁護士が強い領域は異なります。

例えば、司法書士では不動産登記法が科目になっていますが、司法試験では民法に関連して少し出てくるだけです。

よって、例えば登記関連の仕事弁護士資格上は処理することは出来ますが、

知識不足・経験不足のため事実上、処理することが困難なのです。

なお、中規模の弁護士事務所には弁護士司法書士が所属しており、両者は互いに助け合って仕事をしているのが実態でしょう。



司法書士なんて、弁護士になれなかった人がなるもので、これから司法改革が進み弁護士の数が増えれば、

必然的に淘汰されるに違いない、と考えていた。

前半部分は正しいですが、淘汰されることはないでしょう。



全体を通してですが考え方が甘いと思います(昔、私もそうでしたが。笑。)。

そうすると、扱える金額が制限され、弁護士に比べると様々な点で業務が限定されている司法書士だからこそ、

貧乏人の価値観共感し、彼らのために戦おうとする人々が多くなるのではないか。

本当に困った人のために活躍したいのならば、弁護士ではなく、司法書士を目指した方がいいのかも。

自分自身が誰のために働くか、というのは資格の種類の問題ではなく、あなた自身の問題です。

弁護士でも貧乏人のために働くことも可能でしょうし、司法書士でも儲かる仕事しかしないことも可能でしょう。

また、同じ仕業の人がどういう考えでいるかということに、元増田が流されると考えるようでは

貧乏人のために働き続けることは難しいでしょうし、そもそもロースクールカリキュラムに耐えたり、

司法試験に耐えたりすることも難しいでしょう。



弁護士の数が増えるのは、経済界から、

グローバル社会企業が勝ち抜いていくためにも、法律に通じた優秀な人材がこれからの日本にもっと必要だ」

という要請があったというのが本当の理由だそうだ。

これは大嘘です。仮にそうであればグローバルに展開している大企業はこぞって司法試験合格者を採用して、

司法試験合格者の就職難も解消されていてもいいはずですが、そういう動きはありません。

司法試験合格者数や就職難に関する弁護士ブログをみれば、これが嘘であることは明らかだと思います。

司法試験ロースクール設置によって一番利益を上げているのは大学関係者文部科学省です。

一連の司法試験制度の改革は彼らが利益を得るためにおこなったものといわざるを得ないと思います。

大学教授の「法的サービスの潜在的需要はあるはずだ!!」という、根拠に基づかない発言は極めて迷惑です。

大学教授自分学生や、司法試験合格者が食っていけなくても別に困らないですから、何とでもいうと思います。

大学スポンサーとなっている新聞社は、大学利益にならないことはなかなかいえませんから、

元増田のような公告・記事を書くでしょう。





最後にざっくりとした感想を。

元増田は「金を取って人の紛争を解決する」ということの実質をきちんと考えた方がいいと思う。

具体的にどういう仕事をしているのか、実際に働いている人の話を聞くといいと思う。

弁護士であれ、司法書士であれ、事件を受けるからには、どんなに依頼人が金に困っていても

彼らから着手金はもらうわけだし、成功報酬ももらうわけです。

慈善事業ではなく商売として人の紛争に首を突っ込むのです。

貧乏人から金を取ることを割り切ることが出来るかどうか、ということは極めて重要です。

また、貧乏人だって悪い人は悪いんだから、そういう人を救うことは出来ません。

うまくまとりまりませんが、なんだかすごいナイーブな発想で弁護士という仕事を捉えてらっしゃるように感じます。

他方、今から弁護士になるのはかなりリスクがあります。

ロースクール入試による競争ロースクールでの競争、新司法試験での競争就職活動での競争

全ての段階でドロップアウトする可能性があります(上位校に行かなければまともな教育は受けられず、

かつ、上位校であれば学校内の競争はし烈です。)。

また、友人から聞いた話ですが、新人弁護士の最低待遇年収300万円に

弁護士会自己負担(年間50~100万)という状況だそうです。

大学卒業後2年社会人として働いていらっしゃるようですが、

仕事がつまらないという理由と、先述したナイーブな発想で弁護士を目指すのは

あまりにも頭がお花畑だといわざるを得ません。

それでも弁護士を目指したい!!と思うのならばそれは自由ですが、

かなりのリスクがあることを覚悟の上で、いかれるとよいと思います。

http://anond.hatelabo.jp/20101002083044

篠節の『ゴサインタン ―神の座―』の前半読んでたら出てこないな。

14年前の本だが、必然じゃなくて追い詰められて日本に押し込めようとする国際結婚は末路はこんなだよ。

2010-09-20

社員を不幸にしないと成り立たない業界

小売業飲食業介護産業もそうだが、社員薄給オーバーワークを強いないと、

どの会社利益が出ない水準になってしまっている産業がある。

そういう業界ほど精神論がまかり通るのは、社員が合理的に思考したらみんな辞めちゃうからで、

思考をする余裕を与えずに、会社に絶対の忠誠を誓わせる必要がある。

餃子の王将とかくら寿司がアホみたいな新人研修をやってるのも、会社にとっては合理性がある。

極論すると、日本サービス業はみんなそういう傾向になってて、

今後の製造業空洞化を考えれば、製造業からサービス業労働力シフトしていくのは必然だから、

ひどい労働環境で働かされる人は増える一方だろう。

円高是正で為替介入が云々というのと、食料自給率を上げる云々って似てる気がする

そもそもドル円の取引とか投機筋とかがレバレッジ掛け捲ってて、ちょっとした介入ではどうしようもないんだし、そもそもやるぞー!的なアナウンス効果しかないんで、意味はないと思うんだよね。

てか、そもそも円安誘導しなきゃいけないの?って所がまず、宗教的に円安=善みたいに捉えられてるところが多いと思うんだよね。

でも輸出企業だって馬鹿じゃないから、派遣法改正で安い労働力日本で確保できなかったら当然海外に拠点を移すし、中小企業だって今やそうしてる。グローバル化している会社海外で作って海外で売るのが当然。法人税も高い日本工場を置く意味は全く無い。

円安誘導しても意味ないと思うんだよな。だから必然的に内需重視になり、海外へは投資をしてキャピタルゲインを得る方向性となるし、こんな日本でも観光資源とか安全な暮らしとか、既に作られたインフラがあるので海外投資ももっと呼び込めるはずだ。

その場合むしろ円高になって海外投資をもっと出来るようにしたり、原油とかの資源を割安に買えるんだからむしろいいことの様な気がするんだよな。

それは食料自給率の問題もおんなじで、上げないといけないと思って、その前提を全く疑わない人が多いからおかしいとしか言いようが無い。例えば米なんか100%の自給率だから国内で不作になると困るんだ。海外日本に輸出する用の米は全く作ってないから、もし不作の時は、安くて不味い余っている米しか日本に来なくなる。自給率がそれなりに低ければ、常に海外から輸入を出来るので、国内不作でも海外カバーできるかもしれない。

よく海外で天候不順になると日本に輸出しないんじゃないかとか言われるけど、日本企業が進出してそれなりに高い値段で購入する体制を作っておけば、無下にはできないはずだし、そんなときにも優先して輸出してくれるように外交を頑張っておけばいいのだ。

安全な作物云々の話もあるけど、海外でもきちんと生産現場までコミットしてやれば、それなりの安全基準やクオリティは確保できるはず。あれも眉唾のキャンペーンなんだと思うんだよな。

2010-09-18

はてな2chの違い

(2chって表題ですが、ニュー速です)

結構前から同じソースに対するニュース速報板の反応とそれをまとめたブログへのはてなの反応を見比べていたんですけど

例えばコレなんか

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news/1284647283/

http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/insidears/archives/52373634.html

基本的にニュー速民は、否定し合う文化

対してはてなーは、肯定し合う文化なのかなと

もっというとニュー速では他を認めるっていうことがまずないから極度に自分語りを嫌うし、ユーザー同士がコミュニケートすることも少ない、自虐して自分自身を否定しないと同意は得られない。なので一体感みたいなものを皆で共有しようとすると必然的に自分たち以外の対象を全力で叩くことになる

一方はてなは他人を無意味に貶めたり中身のない内容を嫌う、如何に得られた情報自分自身の成長に繋げられるかを重視していて、互いを認め合うことでより高みを目指そうとする。否定的な発言なんかもよくあるけど、ただの罵倒ではなく建設的な意見を言おうとしている

それで普通なら見てて胸糞悪くなりそうなニュー速なんてすぐに廃れそうですよね、でも全然廃れない。よく言われるのは誰でも黒い部分を持っててそれを満たしてくれるニュー速のような所には一定の需要があるからだみたいなことなんですけど、実際はニュー速って多様な意見に溢れてるからじゃないかな?と思います。なにを馬鹿なと一笑されるかもしれませんが現実に確かめてみるとよくわかります、皆の意見が一つの方向にびしっと揃いそうなニュースとか話題ってありますよね。例えば、非道な犯罪です。でもニュー速ではメシウマ!だったりよくやったという内容のレスが絶対につきます。これはまだわかるかもしれませんが、でははやぶさ帰還のニュースならどうでしょう普通の人に聞けば100%の人が好意的に捉えると思います。しかしニュー速ではウイルスもって帰ってくんな!と斜め上のレスをする人が絶対に居るんです。そんなもの人が多ければそういう事をいう人間の一人や二人いるもんだろうと考えるかもしれませんが、一人や二人ではなく2,3割はいるんです、それも2元論で賛成反対みたいなレス以外にもメタ視点だったり全然関係なさそうな話題に絡めてたりといろんな意見があるんですね。ニュー速以外のコミュニティを見てみればわかるかと思いますがミクシィや同じ2chニュース速報+板でさえこういうことにはなりません、皆同じ意見を言ったりしてるんですよ。これがたとえ6,7割を気分が悪くなるような否定意見で埋められていてもニュー速まとめブログなんかに目をつけられて未だに生き残っている理由ではないかなと

じゃあはてなはどうなのかと言うとやっぱり結構偏ってる感はあって、それは当然なんですけど、匿名とかの違いもあるんだろうな。ニュー速が特殊なのは否定の文化が強すぎてわざと天邪鬼な書き込みを心掛けている人なんかがいるんですよね、流れ自体を否定するという。はてなは天邪鬼な人が意見するにしてもやっぱり中身を持たせようとしてる感じがあるんですよね。でもはてな文化は好きなので変わらないでほしいとは思います

ここでいうニュー速とは勢い上位のスレはてなとはホッテントリのことです

2010-09-16

http://anond.hatelabo.jp/20100915214054

ドイツ比較的分散してると思います。

ご指摘の通り、連邦制を採っているドイツイタリアと並んで、ヨーロッパでもっとも一極集中から縁遠い国です。

但しこれはあくまで「例外の無い都市への人口集中」の範疇に含まれる話です。経済発展に伴う必然なのはあくまで「都市化」。都市化=一極集中ではないので、そこは区別してください。

都市化の受け皿がある一つの都市になるか、幾つかの都市になるか、とういうのは国土の広さや地方分権政治歴史的状況によって差があるというだけことです。近代における都市化のトレンドには原則として例外はなく、トレンドとは言い難い範囲まで視野を広げても、都市から田園への人口拡散として挙げられる例外は、

・戦時の疎開および都市崩壊による難民

文革期の中国ポルポト政権下のカンボジアの強制移住

といった異常事態時くらいになっちゃいます。一国一都市圏とは限りませんが、経済が発展する限り、田舎は衰退するものなのです。

国家規模、面積で一極集中してる例ってあるんでしょうか?

欧州の典型はフランス連邦制国家でありながらイギリス一極集中が強く、実は欧州の大半の国が一極集中型の国家です。欧州33カ国で一極集中していない国は独伊蘭瑞(西が微妙?)くらいでしょうか。さらに言えば、実は先進国の多い欧州諸国より、急激に経済成長を遂げているアフリカアジア中南米といった発展途上国の多い地域の方が、一般に一極集中の度合いが激しい国が多いです。コートジボワールメキシコ韓国バングラなんかの一極集中度合いは凄まじいです。世界では一極集中している国の方が圧倒的多数派で、その度合いからすれば、日本は決して一極集中が激しい方の国ではないですよ。日本世界有数の人口比較的広い国土を持つ国なので、その割には一極集中具合が大きいと言えるかもしれませんが。

都市化」は近代国家、特に全体主義的な強力な統制を行わない国家では必然で、一極集中の程度については、日本のような

・特別に広大な国土を持っているわけではない

・150年近い中央集権国家伝統を持っている

産業化の進展が工業化段階を通り越して成熟化している

という条件の国では「一極集中しつつも、他にも数個の有力な都市圏が生き残る」という方向に進むのが自然でしょう。今後の日本について言えば、東京圏、中京圏以外はかなり地位が低下していく、と予測されていて、関西圏でも安泰とは言い難い感じです。道州制等を実施すれば、福岡仙台等発展する都市圏がもうちょっと増えることになるでしょうけど、都市化の受け皿となるような都市圏の数を増やすには、かなり思い切った地方分権政策を採る必要があると思われます。

経済原理が何を指すのかよくわかりませんが、

大雑把には「経済成長を高めるための原則」という意味で使用しています。

物流自動車関連、インフラ整備、農業、これらがほとんど死滅するんですけど、経済原理日本に当てはめてこれが本当に望ましいんですか?

特定産業があまり急激に崩壊すると、問題が大きくなりすぎることも考えられますが、経済原理上は、基本的には「死滅OK」です。

建設土木(特にインフラ需要が大きい土木)と農業日本で最も生産性の低い産業に分類されます。この産業の規模縮小は原則的には経済プラスです。物流については人口集積が進めば効率化が進む産業です。自動車産業日本で最も生産性の高い産業の一つで、これが滅ぶのは困った話なのですが、田舎が滅んでも自動車需要は若干へこむ程度。そもそも少数派の非都市住民が減ったからといって

「(非都市住民が自動車にかけるお金都市住民の自動車にかけるお金)*非都市住民の人口減少数」

分が減るだけですので死滅には程遠いです。自動産業は基本的に輸出産業ですし。

以上、先進国経済成長において重要なのは「雇用」より「生産性」であるのが通常だ、という経済学見解を知らないと、なかなか納得しがたい話ではあるのですが、それが経済成長における経済原理です。

周囲の国家から出稼ぎにくる労働者があって成り立つようなモデル日本に持ってきていいんですか。

「周辺国からの出稼ぎ」を「(国内農村部からの『移民』」に置き換えていただければ、成り立つのはおわかり頂けるかと。まあ、本質はそこではなく、現在地経済を支えている一次産業建設土木の低生産性(特に資本投下比のリターン)なんで、そんなことにお金使ったら資本の浪費ですよ、ってことなんですけどね。

2010-09-10

  • 1 -主文原判決及び第1審判決を破棄する。本件を大阪地方裁判所に差し戻す。理由弁護人中道武美の上告趣意のうち,第1点ないし第3点は,憲法37条違反,判例違反をいう点を含め,実質は単なる法令違反,事実誤認の主張であり,被告人本人の上告趣意は,事実誤認の主張であって,いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。しかしながら,所論にかんがみ,職権をもって調査すると,原判決及び第1審判決は,刑訴法411条1号,3号により破棄を免れない。その理由は,以下のとおりである。1本件公訴事実及び争点本件公訴事実の要旨は,被告人は,(1)平成14年4月14日午後3時30分ころから同日午後9時40分ころまでの間に,大阪市平野区所在のマンション(以下「本件マンション」という。)の306号室のB(以下「B」という。)方において,その妻C(当時28歳。以下「C」という。)に対し,殺意をもって,同所にあったナイロン製ひもでその頸部を絞め付けるなどし,よって,そのころ,同所において,同女を頸部圧迫により窒息死させて殺害し,(2)(1)記載の日時場所において,B及びC夫婦長男であるD(当時1歳。以下「D」という。)に対し,殺意をもって,同所浴室の浴槽内の水中にその身体を溺没させるなどし,よって,そのころ,同所において,同児を溺死させて殺害し,(3)本件マンション放火しようと考え,同日午後9時40分ころ,本件マンション306号室のB方6畳間- 2 -において,同所にあった新聞紙,衣類等にライターで火をつけ,その火を同室の壁面,天井等に燃え移らせ,よって,Bらが現に住居として使用する本件マンションのうち上記306号室B方の壁面,天井等を焼損し,もって,同マンションを焼損した,というものである。被告人は,Bが子供のころにその実母E(以下「E」という。)と婚姻し,養父としてBを育て,かつては,同居するEと共に,B家族との交流があったが,Bの借金問題,女性問題等をきっかけに,本件事件当時はB家族と必ずしも良好な関係にあったとはいえず,B家族平成14年2月末に本件マンションに転居した際には,その住所を知らされなかったものである。上記(1)ないし(3)の公訴事実となっている事件は,Bの留守中に発生したもので,火災の消火活動に際してCとDの遺体が発見されたことから発覚し,捜査が進められた結果,同年11月16日に被告人逮捕され,同年12月7日に上記(1),(2)の各事実が,同月29日に上記(3)の事実が起訴された。上記公訴事実につき,検察官は,その指摘する多くの間接事実を総合すれば被告人の犯人性は優に認定できる旨主張し,被告人は,本件事件当日まで,事件現場である本件マンションの場所を知らず,事件当日及びそれ以前を含めて,その敷地内にも立ち入ったことはない,被告人は犯人ではなく無罪である旨主張した。争点は,被告人の犯人性である。2第1審判決第1審判決は,被告人の犯人性を推認させる幾つかの間接事実が証拠上認定できるとした上,これらの各事実が,相互に関連し合ってその信用性を補強し合い,推認力を高めているとして,結局,被告人が本件犯行を犯したことについて合理的な- 3 -疑いをいれない程度に証明がなされているとし,ほぼ上記公訴事実と同じ事実を認定し,被告人無期懲役に処した(検察官求刑死刑)。この間接事実からの推認の過程は,以下のようなものである。(1)被告人は,本件事件当日である平成14年4月14日,仕事休みであり,午後2時過ぎころに自宅を出て,自動車に乗って大阪市平野区方面へ向かい,同日午後10時ころまで同区内ないしその周辺で行動していたことが認められるが,さらに,以下のアないしオを併せ考えると,被告人が,同日に現場である本件マンションに赴いたことを認定することができる。ア本件マンション道路側にある西側階段の1階から2階に至る踊り場の灰皿(以下「本件灰皿」という。)内から,本件事件の翌日にたばこの吸い殻72本が採取されたが,その中に被告人が好んで吸っていた銘柄(ラークスーパーライト)の吸い殻が1本(以下「本件吸い殻」という。)あり,これに付着していた唾液中の細胞DNA型が,被告人の血液のDNA型と一致していること,このDNA型一致の出現頻度は1000万人に2人という極めて低いものであること,本件事件の火災発生後,程なく警察官による現場保存が行われたことなどから,被告人が,本件事件当日あるいはそれまでの間に事件現場である本件マンションに立ち入り,本件灰皿に本件吸い殻を投棄したことが動かし難い事実として認められる。イ本件事件当日午後3時40分ころから午後8時ころまでの間,被告人が当時使用していた自動車と同種・同色の自動車が,本件マンションから北方約100mの地点に駐車されていたと認められる。ウ被告人自身が,捜査段階において,本件事件当日に自己の運転する自動車を同地点に駐車したことを認めていた。- 4 -エ本件事件当日午後3時過ぎないし午後3時半ころまでの間に,本件マンションから北北東約80mに位置するバッティングセンターにおいて,被告人によく似た人物が目撃されたと認められる。オ被告人自身,本件事件当日はBないしB宅を探して平野区内ないしその周辺に自動車で赴いたことを自認しており,これは信用できる。(2)他方,動機面についても,以下のアないしウの点などから,被告人は,本件事件当時,背信的な行為をとり続けるBに対して,怒りを募らせる一方,後記のような自分からの誘いを拒絶した上で,Bと行動を共にし,被告人の立場から見ればBに追随するかのような態度を見せていたCに対しても,同様に憤りの気持ちを抱くようになったことが推認できる。そうすると,Cとの間のやり取りや同女のささいな言動など,何らかの事情をきっかけとして,Cに対して怒りを爆発させてもおかしくない状況があったということができる。そのような事情を有していた被告人が,本件事件当日,犯行現場に赴いたことは,被告人の犯人性を強く推認させるものである。ア平成13年10月1日から同月24日まで,C及びDは,被告人宅で同居生活を送ったが,そのころ,被告人は,Cに対し,恋慕の情を抱いており,性交渉を迫る,抱き付く,キスをするなどの行為に及んだことがあった。イしかし,Cは,被告人からの誘いを拒絶し,被告人宅から被告人に告げることなくBの下へ戻った上,Bと行動を共にするようになり,被告人との接触を避けてきた。ウ被告人は,Bの養父ないし保証人として,Bの借金への対応に追われていたが,Bは,被告人に協力したり,感謝したりすることをせず,無責任かつ不誠実な- 5 -態度をとり続けていた。(3)被告人は,本件事件当日の夕方,朝から仕事に出ていたEを迎えに行く約束をしていたにもかかわらず,特段の事情がないのにその約束をたがえ,C及びDが死亡した可能性が高い時刻ころに自らの携帯電話の電源を切っており,Eに迎えに行けないことをメールで伝えた後,出火時刻の約20分後に至るまでの間同女に連絡をとっていないなど,著しく不自然な点があるが,これらについては,被告人が犯人であると考えれば,合理的な説明が可能であり,得心し得るものである。(4)このほか,被告人の本件事件当日の自身の行動に関する供述は,あいまいで漠然としたものであり,不自然な点が散見される上,不合理な変遷もみられ,全体として信用性が乏しいものであって,被告人は,特段の事情がないのに,同日の行動について合理的説明ができていない点がある。また,Cは,生前,在宅時も施錠し,限られた人間が訪れた際にしかドアを開けようとしなかったこと,本件の犯人が2歳にもならないDを殺害しているのは口封じの可能性が高いこと,犯人が現場放火して徹底的な罪証隠滅工作をしていることなどから,本件犯行は被害者と近しい関係にある者が敢行した可能性が認められる。これらの各事実も,被告人の犯人性を推認させるものである。(5)以上の事実を全体として考察すれば,被告人が本件犯行を犯したことについて合理的な疑いをいれない程度に証明がなされているというべきである。(6)なお,被告人は,本件事件当日に本件マンション敷地内に入って階段を上ったことがある旨認める供述をした被告人平成14年8月17日付け司法警察員に対する供述調書(乙14)について,警察官から激しい暴行を受けたために内容もよく分からないまま署名したと主張するが,同供述調書の供述内容には任意性及- 6 -び信用性が認められ,これによっても,被告人の犯人性が肯定されるという上記判断が更に補強されることになる。3原判決この第1審判決に対し,被告人は,訴訟手続の法令違反,事実誤認を理由に控訴し,検察官は,量刑不当を理由に控訴した。原判決は,被告人控訴趣意のうち,前記司法警察員に対する供述調書(乙14)には任意性がなく,これを採用した第1審の措置が刑訴法322条1項に反しているという訴訟手続の法令違反の主張について,そのような訴訟手続の法令違反があることは認めつつ,事実誤認の主張については,第1審判決の判断がおおむね正当であり,同供述調書を排除しても,被告人が各犯行の犯人であると認めた第1審判決が異なったものになった蓋然性はないのであるから,この訴訟手続の法令違反が判決に影響を及ぼすことの明らかなものとはいえないとした。その上で,検察官の主張する量刑不当の控訴趣意に理由があるとして,第1審判決を破棄し,第1審判決が認定した罪となるべき事実を前提に,被告人死刑に処した。4当裁判所の判断しかしながら,第1審の事実認定に関する判断及びその事実認定を維持した原審の判断は,いずれも是認することができない。すなわち,刑事裁判における有罪の認定に当たっては,合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証が必要であるところ,情況証拠によって事実認定をすべき場合であっても,直接証拠によって事実認定をする場合と比べて立証の程度に差があるわけではないが(最高裁平成19年(あ)第398号同年10月16日第一小法廷決定・刑集61巻7号677頁参照),直接証拠がないのであるから,情況証拠によって認められる間接事実中に,- 7 -被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは,少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていることを要するものというべきである。ところが,本件において認定された間接事実は,以下のとおり,この点を満たすものとは認められず,第1審及び原審において十分な審理が尽くされたとはいい難い。(1)第1審判決による間接事実からの推認は,被告人が,本件事件当日に本件マンションに赴いたという事実を最も大きな根拠とするものである。そして,その事実が認定できるとする理由の中心は,本件灰皿内に遺留されていたたばこの吸い殻に付着した唾液中の細胞DNA型が被告人の血液のそれと一致したという証拠上も是認できる事実からの推認である。このDNA型の一致から,被告人が本件事件当日に本件マンションを訪れたと推認する点について,被告人は,第1審から,自分がC夫婦に対し,自らが使用していた携帯灰皿を渡したことがあり,Cがその携帯灰皿の中に入っていた本件吸い殻を本件灰皿内に捨てた可能性がある旨の反論をしており,控訴趣意においても同様の主張がされていた。原判決は,B方から発見された黒色の金属製の携帯灰皿の中からEが吸ったとみられるショートホープライトの吸い殻が発見されていること,それはCなどが被告人方からその携帯灰皿を持ち出したためと認められること,上記金属製の携帯灰皿のほかにもビニール製の携帯灰皿をCなどが同様に持ち出すなどした可能性があること,本件吸い殻は茶色く変色して汚れていることなどといった,上記被告人の主張を裏付けるような事実関係も認められるとしながら,上記金属携帯灰皿を経由して捨てられた可能性については,Eの吸い殻を残して被告人の吸い殻だけが捨て- 8 -られることは考えられないからその可能性はないとした。また,ビニール携帯灰皿を経由して捨てられた可能性については,ビニール携帯灰皿に入れられた吸い殻は通常押しつぶされた上で灰がまんべんなく付着して汚れるのであるが,本件吸い殻は押しつぶされた形跡もなければ灰がまんべんなく付着しているわけでもないのであり,むしろ,その形状に照らせば,もみ消さないで火のついたまま灰皿などに捨てられてフィルターの部分で自然に消火したものと認められること,茶色く変色している点は,フィルターに唾液が付着して濡れた状態で灰皿の中に落ち込んだ吸い殻であれば,翌日採取されてもこのような状態となるのは自然というべきであることから,その可能性もないとした。しかし,ビニール携帯灰皿に入れられた吸い殻が,常に原判決の説示するような形状になるといえるのか疑問がある上,そもそも本件吸い殻が経由する可能性があった携帯灰皿がビニール製のものであったと限定できる証拠状況でもない(関係証拠によれば,B方からは,箱形で白と青のツートーンの携帯灰皿も発見されており,これはE又は被告人のものであって,Cが持ち帰ったものと認められるところ,所論は,この携帯灰皿から本件吸い殻が捨てられた可能性があると主張している。)。また,変色の点は,本件事件から1か月半余が経過してなされた唾液鑑定の際の写真によれば,本件吸い殻のフィルター部全体が変色しているのであり,これが唾液によるものと考えるのは極めて不自然といわざるを得ない。本件吸い殻は,前記のとおり本件事件の翌日に採取されたものであり,当時撮影された写真において既に茶色っぽく変色していることがうかがわれ,水に濡れるなどの状況がなければ短期間でこのような変色は生じないと考えられるところ,本件灰皿内から本件吸い殻を採取した警察官Fは,本件灰皿内が濡れていたかどうかについて記憶は- 9 -ないが,写真を見る限り湿っているようには見えない旨証言しているから,この変色は,本件吸い殻が捨てられた時期が本件事件当日よりもかなり以前のことであった可能性を示すものとさえいえるところである。この問題点について,原判決の上記説明は採用できず,その他,本件吸い殻の変色を合理的に説明できる根拠は,記録上見当たらない。したがって,上記のような理由で本件吸い殻が携帯灰皿を経由して捨てられたものであるとの可能性を否定した原審の判断は,不合理であるといわざるを得ない(なお,第1審判決が上記可能性を排斥する理由は,原判決も説示するように,やはり採用できないものである。)。そうすると,前記2(1)イ以下の事実の評価いかんにかかわらず,被告人が本件事件当日に本件マンションに赴いたという事実は,これを認定することができない。(2)ところで,本件吸い殻が捨てられていた本件灰皿には前記のとおり多数の吸い殻が存在し,その中にはCが吸っていたたばこと同一の銘柄(マルボロライト金色文字〕)のもの4個も存在した。これらの吸い殻に付着する唾液等からCのDNA型に一致するものが検出されれば,Cが携帯灰皿の中身を本件灰皿内に捨てたことがあった可能性が極めて高くなる。しかし,この点について鑑定等を行ったような証拠は存在しない。また,本件灰皿内での本件吸い殻の位置等の状況も重要であるところ,吸い殻を採取した前記の警察官にもその記憶はないなど,その証拠は十分ではない。検証の際に本件灰皿を撮影した数枚の写真のうち,内容が見えるのは,上ぶたを取り外したところを上から撮った写真1枚のみであるが,これによって本件吸い殻は確認できないし,内容物をすべて取り出して並べた写真も,本件吸い殻であることの確認ができるかどうかという程度の小さなものである。さら- 10 -に,本件吸い殻の変色は上記のとおり大きな問題であり,これに関しては,被告人が本件事件当日に本件吸い殻を捨てたとすれば,そのときから採取までの間に水に濡れる可能性があったかどうかの検討が必要であるところ,これに関してはそもそも捜査自体が十分になされていないことがうかがわれる。前記のとおり,本件吸い殻が被告人によって本件事件当日に捨てられたものであるかどうかは,被告人の犯人性が推認できるかどうかについての最も重要な事実であり,DNA型の一致からの推認について,前記被告人の主張のように具体的に疑問が提起されているのに,第1審及び原審において,審理が尽くされているとはいい難いところである。(3)その上,仮に,被告人が本件事件当日に本件マンションに赴いた事実が認められたとしても,認定されている他の間接事実を加えることによって,被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明できない(あるいは,少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が存在するとまでいえるかどうかにも疑問がある。すなわち,第1審判決は,被告人が犯人であることを推認させる間接事実として,上記の吸い殻に関する事実のほか,前記2(2)ないし(4)の事実を掲げているが,例えば,Cを殺害する動機については,Cに対して怒りを爆発させてもおかしくない状況があったというにすぎないものであり,これは殺人の犯行動機として積極的に用いることのできるようなものではない。また,被告人が本件事件当日携帯電話の電源を切っていたことも,他方で本件殺害行為が突発的な犯行であるとされていることに照らせば,それがなぜ被告人の犯行を推認することのできる事情となるのか十分納得できる説明がされているとはいい難い。その他の点を含め,第1審判決が掲げる間接事実のみで被告人を有罪と認定することは,著しく困難であるといわざるを得ない。- 11 -そもそも,このような第1審判決及び原判決がなされたのは,第1審が限られた間接事実のみによって被告人の有罪を認定することが可能と判断し,原審もこれを是認したことによると考えられるのであり,前記の「被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは,少なくとも説明が極めて困難である)事実関係」が存在するか否かという観点からの審理が尽くされたとはいい難い。本件事案の重大性からすれば,そのような観点に立った上で,第1審が有罪認定に用いなかったものを含め,他の間接事実についても更に検察官の立証を許し,これらを総合的に検討することが必要である。5結論以上のとおり,本件灰皿内に存在した本件吸い殻が携帯灰皿を経由してCによって捨てられたものであるとの可能性を否定して,被告人が本件事件当日に本件吸い殻を本件灰皿に捨てたとの事実を認定した上で,これを被告人の犯人性推認の中心的事実とし,他の間接事実も加えれば被告人が本件犯行の犯人であることが認定できるとした第1審判決及び同判決に審理不尽も事実誤認もないとしてこれを是認した原判決は,本件吸い殻に関して存在する疑問点を解明せず,かつ,間接事実に関して十分な審理を尽くさずに判断したものといわざるを得ず,その結果事実を誤認した疑いがあり,これが判決に影響を及ぼすことは明らかであって,第1審判決及び原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。よって,弁護人中道武美の上告趣意第4点について判断するまでもなく,刑訴法411条1号,3号により原判決及び第1審判決を破棄し,同法413条本文に従い,更に審理を尽くさせるため,本件を第1審である大阪地方裁判所に差し戻すこととし,裁判官堀籠幸男の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文の- 12 -とおり判決する。なお,裁判官藤田宙靖,同田原睦夫,同近藤崇晴の各補足意見,裁判官那須弘平の意見がある。裁判官藤田宙靖の補足意見は,次のとおりである。私は,多数意見に賛成するものであるが,本件において被告人を犯人であるとする第一審判決及びこれを支持する原判決の事実認定の方法には,刑事司法の基本を成すとされる推定無罪の原則に照らし重大な疑念を払拭し得ないことについて,以下補足して説明することとしたい。1第一審判決及び原判決が,被告人を本件の犯人であると認定した根拠は,基本的には,以下のような点である。(1)被告人が当日現場マンションに立ち入ったことを証する幾つかの間接証拠が存在すること。(2)被告人被害者らを殺害する動機があったとまでは認定できないが,被害者Cとのやり取りやそのささいな言動をきっかけとして,同人に対し怒りを爆発させてもおかしくはない状況があったこと。(3)第三者の犯行を疑わせる状況は見当たらないこと。(4)被害者らの推定死亡時刻頃における被告人アリバイはなく,また,この点についての被告人供述あいまいであり,不自然な変転等が見られること。(5)これらの事実は,それ自体が直接に被告人が犯人であることを証するものではないが,これらを総合して評価すると,相互に関連し合ってその信用性を補強し合い,推認力を高めていること。しかし,これらの根拠は,以下に見るとおり,いずれも,被告人が犯人であることが合理的な疑いを容れることなく立証されたというには不十分であるというほか- 13 -ないように思われる。2(1)被告人が当日現場マンションに赴いた事実を証するとされる間接事実は,仮にこれらの事実の存在が証明されたとしても,そのいずれもが,公訴事実自体とはかなり距離のある事実であり,いわば間接事実のまた間接事実といった性質のものであるに過ぎない。例えばまず,被告人が当時使用していた車(白色のホンダストリーム)と同種・同色の車が事件発生時刻を挟んだ数時間現場の近くの商店前の路上に長時間にわたって駐車されていたという事実は,必ずしも,被告人が使用していた車そのものが駐車されていたという事実を証するものではない。また,近所のバッティングセンターにおいて被告人ないし被告人とよく似た男が目撃されたという事実についても,そのこと自体は,あくまでも,被告人現場マンションの近くにいたという事実を証するものであるに過ぎない(被告人は,具体的な場所については特定できないものの,当日現場マンションの近くに赴いたこと自体は,必ずしも否定してはいないのである)。このような状況にある以上,上記二つの事実は,当日被告人が犯行現場に赴いたということをより積極的に推測させる証拠がある場合にそれを補強する機能しか持ち得ない筈のものと思われるが,そのような積極的証拠としての役割を持たされているのは,唯一,現場マンションの犯行現場に通じる階段の踊り場の灰皿内から発見されたたばこの吸い殻から,鑑定により被告人のものと一致するDNA型が発見されたという事実である。しかし,多数意見も詳細に指摘するとおり,問題のたばこの吸い殻が,発見された際の状況等に照らして,間違いなく被告人が当日当該灰皿の中に投棄したものと推認できるか否か(被告人の吸い殻が入った携帯灰皿をCが過日同マンションに持ち帰り,本件当日以前にCが当該灰皿に投棄した可能性が- 14 -あるという論旨に対し,そのようなことはおよそあり得ないとまで言えるか)については,少なくともそのように断言することはできないように思われる。以上要するに,上記の各間接事実の存在によって,被告人事件当日現場マンションを訪れたという事実については,その可能性が相当の蓋然性を以て認められること自体は否定できないが,その事実自体を証拠上否定できないとまでいうことはできない。更に,仮にこの事実の存在が認定されたとしても,公訴事実との関係では,(被告人がこの点に関し虚偽の供述をしていることが判明したという事実をも含め)それ自体が一つの間接事実に過ぎないのであって,被告人の有罪認定の根拠としては,未だ強力な証明力を有する事実とまでいうことはできない。(2)犯行の動機につき,第一審判決及び原判決においては,被告人にCを殺害する動機があったとまでいうことはできないにしても,同女との間のやり取りや同女のささいな言動など,何らかの事情をきっかけとして,Cに対して怒りを爆発させてもおかしくない状況があったという事実が,単独ではその推認力には限界はあるものの,被告人の犯人性に関する積極方向の間接事実であると指摘されている。しかし,このように一般的抽象的な状況のみで,当日被告人とCとの間にどのような具体的事実があったのかについておよそ認定されることなく,これを被告人有罪の積極的根拠として用いることについては,疑問を禁じ得ない。すなわち,動機についても,原判決認定に係る事実のみでは,せいぜい,本件犯行の一般的な可能性があることを否定できない(動機があり得ないとは言えない),という程度の証明力しか無いように思われるのである。また,仮にCに対する犯行の動機を,上記のようにその場における突発的な激情ないし憤激(の可能性)に見出すとしても,そこから更に進んで,証拠隠滅目的のために被告人が日頃可愛がっていた(わずか- 15 -1歳10か月に過ぎない)被害者Dの殺害にまで至ったという説明についても,十分な説得力があるものとは言えない。(3)第三者の犯行可能性について第一審判決がこれを否定する根拠は,いずれも,例えば宅配便郵便配達を装った通り魔殺人の可能性を排除するものとして,必ずしも説得的であるとは言えない。なお,本件における捜査のあり方に関しては,本件マンションに立ち入ったことを自供した被告人平成14年8月17日付の供述調書(乙14号証)につき,原判決もまたその任意性を否定せざるを得なかったことに示唆されているとおり,その適法性につき疑念を抱かせる点が無いとは言えないのであって,捜査陣が,捜査の早い段階から被告人が犯人であると決め付けて,その裏付けとなりそうな事実のみを集め,それ以外の事実については関心を持たなかった(切り捨てた)のではないかという上告論旨の指摘も,全く無視することはできないというべきである。(4)被告人の当日の行動についての説明には,極めてあいまいなものがあり,とりわけ,当日立ち寄った場所に関し,一つとして確定的なことを述べていないという点は,大いに不審を抱かせる事実であると言わざるを得ない。しかし,であるからといって,そのこと自体が被告人を犯人と推認させる決定的な事実となるわけではなく,やはり可能性を否定し得ないというだけのことでしかない。また,原判決が重視する,被告人が犯行時刻頃に携帯電話の電源を切っていたという点については,もしこの事実が被告人の本件犯行を裏付ける事実というのであれば,被告人の犯行は計画的なものであり,それが故にこそ前以て電源を切っていた,ということになる筈であると思われるが,本件の犯行が(未必の故意をも含め)予め計画されたものであるとは全く認定されていないのであって,むしろ,上記のように,現- 16 -場におけるCとの接触の中での突発的・偶発的な殺意によるものであると推測されているのである。果たして,そのような犯行状況の下で携帯電話の電源を切るというような冷静な行動に出ることが,容易に想定され得るであろうか。なお,仮にこの事実が,必ずしも被告人の本件犯行そのものではなく,被告人被害者宅を訪れること自体を秘する目的であったことを裏付けるものとして引き合いに出されているのであるとしても,バッテリーの消費をセーブするために携帯電話の電源を一時切るという行為自体は必ずしも奇異な行動とは言えない上,そもそも当日被告人被害者宅を探すために行動していたこと自体は,当初から,特に秘されていたわけではないのであって,それにも拘らず急遽携帯電話の電源を切ることとなったのは何故かについては,第一審及び原審において,なんら明確な認定がされておらず,全ては,被告人が犯人であることを前提とした上での推測に基づくものでしかない。のみならず,仮にそうした事実が認められるとしても,被告人被害者宅を訪れたという事実自体,本件犯行との関係では一つの間接事実としての位置付けを与えられるものでしかないことは,先に見たとおりである。(5)第一審判決及び原判決は,上記の各間接事実について,その一つ一つについては,それだけで被告人有罪の根拠とすることはできないものの,これらを「総合評価」すれば合理的疑いを容れる余地なく被告人有罪が立証されているとする。私もまた,このような推論が一応可能であること自体を否定するものではない。ただ,本件における各間接事実は,その一つ一つを取って見る限り,上記に見たように,さほど強力な根拠として評価し得るものではなく,たばこの吸い殻のDNA型を除いては,むしろ有罪の根拠としては薄弱なものであるとすら言えるのではないかと思われる。本件において認定されている各事実は,上記に見たように,いずれ- 17 -も,被告人が犯人である可能性があることを示すものであって,仮に被告人が犯人であると想定すれば,その多くが矛盾無く説明されるという関係にあることは否定できない。しかし一般に,一定の原因事実を想定すれば様々の事実が矛盾無く説明できるという理由のみによりその原因事実が存在したと断定することが,極めて危険であるということは,改めて指摘するまでもないところであって,そこで得られるのは,本来,その原因事実の存在が仮説として成立し得るというだけのことに過

2010-09-08

高年層を老害と呼ぶ理由

このあいだ、

「老人のことを老害とか日本のガンとか呼ぶ人がいるけど、彼らは自分の父親や祖父の世代でしょ? 尊敬すべきなのに恥ずかしくないの?」

というような内容の記事を見かけた。

なるほど、一理あると思った。

2chあたりでは老人=老害のような扱いをされているし、実際の日本社会でも老人はお荷物だ。

目上の方を「敬うべき長上」と表すのは日本の昔からの伝統だったが、今の日本ではあまり老人をそのように扱わない。

少子高齢化現象で「敬うべき長上」が増えすぎ、大量の彼らが下にいる労働納税者層を圧殺しようとしているからだ。

それでも、彼らはなお「敬われるべき」なのだろうか。

自分の父親のことを考えてみた。

僕は自分の父親を尊敬しているし、それなりに賢明人間だと思っている。

田舎会社経営をしているが、少しばかり田舎くさい粗野なところがあるにしても、ワンマン会社健全経営をやっているのは大したものだと思う。

あと数年で年金を貰う年になる。

しかし、その父親にしても、社会構造的には僕の敵であり、老害なのだ。

想像してみよう。

政治家Aと政治家Bがいて、それぞれ別のマニフェストを持っている。

Aは「高齢者年金制度保険制度を重視して決して疎かにしない」と掲げ、もうBは「高齢者に負担を強いてでも経済健全化させる」と掲げる。

いくら父親が賢明でも、ここで「日本のためにはBさんが必要だ。Bさんに投票するぞ」とはならないのではないだろうか?

恐らく九割方……もちろん僕の父親を含めて、自己利益を優先してAに投票するのではないだろうか?

医療における高齢者の負担が増加すると叩かれていた後期高齢者医療制度だが、この制度にあっても

実はその財源の五割は、公費(つまり所得税などの税金)から引き抜かれて使われているのだ。

これからますます増える老人にそんなことをされては、減る一方の労働者層の人間はたまったものではない。

どうしようもなくなる前に労働者層は老人と戦う必要がある。

なぜなら、数的に優勢なのは老人たちなのだから。このままでは圧殺されるのは必然なのだ。

そのための意識として老人をためらいなく老害と呼ぶ意識若者には必要なのだ。

2010-09-07

引き籠りが、初めての合コンと恋と、人生最大のザンゲした話

書かないと気持ちがおさまらないと思ったので、初めて匿名ダイアリーで俺の恋の話と人生最大のザンゲをしたいと思う。

たった2ヶ月たらずの出来事だけど、すごく長くなると思う。

まずは俺の簡単なスペックから。

年齢は20代後半で、20代中盤あたりからから引き籠りがちだった。

もっと言えば、昔から人と関わることが苦手で、それを避けてきたと思う。

一人でいることが好きだったし、最近までそんな人生でもいいと思ってた。

結局数年前から在宅で仕事をするようになり、定収入が得られたことによって、

ずっと不安だった生きる上でのお金の心配もとりあえずなくなった。

お金を得たことで実家を離れて一人暮らしをするようになった。

すると、すぐに友人が少ないことや、彼女がいないことで、とても寂しくなった。

それまで一人でいることを何の苦とも思ってなかっただけに、その寂しさは尋常じゃなかった。

これまでの考えが180度変わり、20代後半にもなってやっと、人との関わりあいの大切さ、一生一人で生きていくことは

とても辛いことだとわかった。

一人暮らしを始めてすぐに、引き籠りがちな生活から脱出して友人も沢山作り、人並みの恋愛もしたいと思った。

もう手遅れかもしれないけど、ど底辺と言われる引き籠りのニートだった俺が、充実した人並みの

人生を送ってみたいなんて思ったんだ。

  • 初めての合コン-------------------------------------------------

ちょうどその時、友人から一通のメールが届いた。

合コン行かないか?」

これまで合コンに行ったことがなかった俺は、女性と上手く話せる自信もなかったので、一度は断った。

でも、引き籠りを脱したい。脱出する為には気乗りしない合コンにも積極的に参加していくしかないと思った。

数週間後、友人に

「まだこの前の話が残っているなら合コンへ参加する」

と返事を返した。

合コン当日、俺、友人、男幹事(初めて会う)と女の子3人で3対3の合コンをした。

3人の女の子の第一印象は、生意気にも

「どの女の子も可愛くないな。」

だった。

居酒屋での話は結構弾んで、その後ボーリングに行くことになった。

その時点での女の子3人の印象は、

・女幹事(一番可愛い

・A子(変わった子、最終的に恋した子)

・B子(マメな子)

という感じだったが、どの女の子とも恋愛には発展しないだろうって思った。

でも、彼女以前に引き籠りを脱して女の子の友達が欲しいと思ってた俺は、一人ぐらい

連絡を取り合ったり、遊びに行ける子ができればいいな、なんて思ってたんだ。

ボーリングをしていると、何故か同じチームになったA子のことを目で追っていた。

その時点で彼女のことが気になっていたわけではなく、やたらと妙な行動を取るので

自然と目で追ってしまうという感じだった。

ボーリング場で彼女が目を押さえて痛そうにしてたので、

コンタクトしてるの?」

と聞いてみた。コンタクトがズレたり、まつ毛が入るととても痛いのは知っていたので心配だった。

その時ふと間近で彼女の目を見て、すごく綺麗な目をしてる子だと思った。

ボーリングが終わり、友人が、マメだという印象だったB子に連絡先を聞いていたのを見て、俺も誰かと番号交換したいと

思ったけど、合コンが初めてだった俺は、慣れない女の子を前にそんな勇気も出なかった。

20代後半にもなって番号聞く勇気ないとかありえないよね。

電車の改札で6人が解散になる時、その場のノリで女幹事

実家に帰ったら?」

と言われたので、一人暮らしマンションには帰らず、なんとなく実家に帰ることにした。

聞いてみると、女幹事、A子、俺の実家は同じ町にあるらしく、必然と俺+女性2人で帰りの電車を共にすることになった。

こんな体験人生で数度しかなかったけど、飲めない酒が入っていたこともあって普通に会話することができた。

その時点では、恋愛感情なんて全然なかったということもあって、

女の子2人を前に素直に会話が出来たのだと思う。

電車の乗り継ぎの時に、女幹事が急に、「特急で帰る」と言いだしたので止めることも出来ず見送った。

この時点でA子と二人で電車を待つことになった。

A子がまた目を押さえていたので、やっぱりコンタクトが痛いんだろうかと思い、気にかけた。

その時も、彼女の目を見てすごく綺麗だと思った。

大丈夫。」

とA子は言った。

その後、二人で会話をしていると、どうやらA子は自分と同じ駅で降りるらしい。

電車の中で彼女

「私も合コンは初めて」

自分の夏は終わった」

などと言っていて、さっきまで妙な行動をとる女としか思っていなかった彼女に対し、

ウブというか、可愛い一面もあるんだなと思った。

地元の駅に着き、改札を出るとお互いの家は逆方向だった。

そのまま帰ろうかと思ったが、家が近いなら女性は家まで送っていくべきなんじゃないか?

と思ったことと、何故かもう少し彼女と話をしたいと思った俺は、

「嫌じゃなかったら家まで送っていくよ。」

と言った。

彼女は一度は拒んだものの、嫌そうじゃなかったのでそのまま会話しながら彼女の家まで一緒に歩いた。

途中、話をしていて彼女は凄く真面目な子だという印象を受けた。

彼女の妙な性格と、可愛らしい一面のギャップを知って、少し彼女のことが気になった俺は電話番号を聞きたいと思ったけど、

やっぱり勇気は出なかった。

すると、彼女の家が近づいた時、彼女の方から

「番号交換しませんか?」

と言ってきた。

しかし、彼女携帯電話の使い方が上手くわからないので、ボーリングスコア表に手書きでメモすると言った。

携帯の使い方も知らないのに番号を聞いてくれた彼女の行動を見て、やっぱりおかしな子だと思ったが、

素直に嬉しく、会話の中で徐々に彼女のことが気になっていた俺は、次の日自分から誘ってみようと決心した。

もう少し彼女のことを知りたいと思ったんだ。

その日、事前に調べていた合コン系のサイトに、

合コンが終わったら全員にメールし、マメさをアピールする」

と書かれていた。

事前に合コン系のサイト女性を喜ばせる方法を得ようとする辺りが、引き籠りならではの

キモさかもしれないな。

その後、男幹事から全員のメールアドレスが送られてきたので、

全員に「お疲れ様」メールをした。

また、初めての合コン参加の下調べ中に、2ちゃんねるまとめサイトには

「引き籠りには引き籠りが染みついてるからどう頑張ってもバレる」

と書かれていたのが印象的だった。

次の日彼女を誘おうとメールしてみると、彼女は出かけていて無理だという。

理由もはっきりしていたので、タイミング悪かったなと思った。

その後、メールのやり取りはなかったが、1週間後に彼女誕生日があることを記憶していた俺は、

誕生日メールを送ってみた。

別に彼女意識していたわけじゃなく、なんとなく誕生日記憶していて、これはメールのきっかけを作るチャンスだと思ったんだ。

次の日彼女からメールが返って来て、思ったより反応が良く、いい感じでメールのやり取りが出来た。

家族からも誰からも誕生日を祝われないと言った彼女メールを見て、少し可哀そうだと思った。

次回合コンの6人で花火大会に行くことが計画されていたので、

「食事は花火大会以降ですか?」

と聞かれ、食事に行ってもいいよという合図なのかもと思った俺は、いつでもいいけど今週、来週はどうかと聞いた。

しかし、今週も来週も仕事と予定があるので無理だと断られた。

後から考えてみると、おそらくこの日のメールから俺に対する彼女の印象は悪化していったんだと思う。

誕生日メールの印象は多分良かったと思うんだけど、この日がピークだったんじゃないかな。

その週の土曜日彼女仕事だと知っていたが、近くで花火大会があったので、仕事が終わってから

花火大会に行かないか?ともう一度誘ってみた。

仕事の後に予定があるから。」

と断られた。

その後もメールのやり取りは続いていたが、次第に絵文字が減り、文章が短くなり、俺からのメール最後

メールラリーが途切れた。

俺は、

メールをやりすぎた?

・内容がまずかった?

・短期間に誘いすぎ?

など色々考えたが、メールの内容も、途切れてもおかしくない文章だったので答えはわからなかった。

この辺りから、俺は完全に彼女のことを意識していると気が付いた。

その数日後、一度か二度こちらからメールを送ったが、くだらなさすぎる内容で、送った瞬間後悔した。

返事は返ってきたが、メールは数回程度で終わった。

  • 花火大会-------------------------------------------------------------------

それから一週間後、また合コンメンバーの男女6人で会い、別の花火大会に行く計画になっていたので、参加した。

彼女は前回初めて会った時よりもお洒落スタイルも良くて、とても可愛らしく見えた。

頑張って彼女と会話を弾ませようと思って話かけたが、まるで聞こえなかったかのように無視された。

もしかすると本当に聞こえてなかったのかもしれないし、そうではなかったのかもしれない。

花火大会の日は最悪だった。

特に意識していない女幹事やB子に対しては普通に話すことができる(と言っても女の子と話すこと自体慣れてないことはバレてたと思うけど)のに対し、

A子への第一声を無視されたことや、既に彼女のことを意識していたこともあって彼女にはほとんど話しかけることができなかった。

本当の所はわからないけど、避けられているような印象も受けた。

今考えると、もうこの時彼女は俺に触れられることさえも嫌で仕方がなく、俺から最も離れて

歩くようにしていたのかもしれない。

花火の帰り際に一度だけ話かけてはみたものの、とてもくだらない内容の話をしてしまい、俺はなんてバカな奴なんだと後悔した。

その日の会話は一言か二言、本当に数える程度で、明らかにA子とその他の女の子への話す比率がおかしく、帰ってから

とても反省した。

彼女のことを全然知らないのに、「気になる」が勝手「恋」に発展し、もう完全に恋の病に侵されていたと気付いたのも

この日だったと思う。

その日も全員に「お疲れ」メールをしたが、さすがに毎回毎回全員にメールを送るのはおかしいと思ったので、

今回で「お疲れ」メールをするのはやめようと思った。

既に彼女に避けられているのではないかと感じ始めた俺は、今回の合コンには関わっていない地元の友人Bに相談を持ちかけた。

大丈夫だ、まだ行ける。十分挽回できる。もっとはっきり好意をアピールしていけ。」

と言われて、一度はあきらめかけていたが、数日後再び彼女メールをした。

その内容は、自分が買おうと思っているサイフの相談だった。

送信した瞬間、なんてくだらない内容だと後悔した。

この時から彼女に対する俺の気持ちをアピールするような内容が多くなっていったので、より一層キモさが増したと思う。

全く心に思っていないことも沢山言ってしまい、下手なメールを続ける程、距離は遠のいていくと思った。

返事は返ってきたものの、そのとてつもなくそっけないメールを見て、やっぱりもう無理だと思った。

でも、友人Bに言わせると

「本気で考えてるなら、はっきりと白黒つけるべき。まだ100%脈なしか、嫌われているのかわからない状態であきらめることができるのか?」

と言われて、数日後また彼女メールを送った。

少なくとも、もう完全に脈なしだと思っていたけど、やっぱり彼女を逃したくないという想いが勝ってしまった。

電話番号を交換した日以来、彼女の方からメールが来ることは一度もなかったが、こちらから定期的にメールを送り、

数回程度のやりとりが続くという日々が続いた。(なんか凄くイタイ話になってきたな・・・)

その後、もう一度だけと思って彼女を食事に誘ってみた。

その時ははっきりと

「食事に誘いたい!」

メールした。

しかし返ってきた返事は

「ゴメン、仕事と予定があるので無理です。」

というものだった。

これまで4度に渡って彼女を誘ったが、すべて断られていること、彼女の方から空いている日にちの提案を一度も

受けていないことから、この時点で100%脈なし、むしろやっぱり嫌われてるかもしれないなと思った。

それに、自分メール内容の稚拙さにも嫌気がさして、2週間ぐらいメールを送るのをやめた。

花火大会全然話せなかったくせに、つまらないメールだけは一人前に送って来る奴はやっぱりキモいだろうなと

思ったから。

その間、もちろん彼女の方からメールは来なかった。

  • 花火---------------------------------------------------------------------------------

それから、また6人で会うことになり自分達で花火をしようということになった。

おそらくこれが最後のチャンスだと思っていた俺は、頑張って積極的に話かけようと思ったが、やっぱり意識してしまうと

ほとんど話すことができず、終わってしまった。

どうしても大人数で会うと消極的になってしまう。

この日もやっぱり避けられていると感じたが、

告白ではなくても、彼女のことが「気になっている」という自分の気持ちをはっきり伝えたい

・どうしても二人で食事に行くことは無理なのか聞いてみたい

・変なメールばかり送ってしまったことに対して謝りたい

ということを伝えたくて、友人Bのアドバイスを元に、次の日地元の友達と遊ぶから今日実家に帰るということを口実にして、

幹事、A子、俺の3人で帰るように仕向けた。

2人きりの方が話やすいし、そうでもしないとチャンスはない、メールで気持ちを伝えるのは男として良くないと思ったから。

その時点で彼女に食事に行く意思がないのなら、もう諦めようと思っていた、最後の望みだった。

しかし、ここでサプライズが訪れた。

電車の乗り換え駅で、女幹事

お茶してから帰るので」

と言いだした。

おそらく危ない奴だから俺のことを撒く目的で「お茶してから帰る」なんて言い出し、A子をかばったのだろうとすぐに感じた。

これも、本当の所は女幹事がどういう意図でそういったのかはわからない。

こんな展開予想すらしなかったと思いながら、仕方なく俺は一人で実家に帰った。

実家になんて何の用もないわけで、帰りたくもなかったし、気持ちを伝えようとしていたのに、想像もしてなかった展開

で断られ、ひどく落ち込んだ。

この時点でもう諦めようと決心した。

まさにピエロもいい所だよ、俺って最悪だなと思ったよ、ほんと。。。

その日、一人で地元に帰ってから深夜に友人Bを呼び出して、やっぱり無理だった、諦めると言った。

しかし、

「現時点ではまだわからない、脈はなくても何故そこまで嫌われてると思うんだ、おまえはネガティブな発想ばかりするから~」

と言われた。

自分の中では諦めると決めておきながらも、友人Bを呼び出していることから、今考えると

結局、強気の友人Bにもう一押しして欲しかった自分がいたのかもしれない。

その日(土曜日)は合コン組には誰にもメールせず、翌日一人暮らしマンションに帰った。

もう諦める決心はついていたが、月曜再び彼女メールを送った。

その内容は、

「今までメールに付きあってくれてありがとう」

という感謝の気持ちと謝罪を込めた内容だった。

既に彼女には嫌われている可能性が高いし、完全に諦めは付いていたが、メールを送った時点で1%でも可能性があれば、と思っていた自分

おそらくいたのかもしれない。

それでも、彼女から、そっけないメールが返って来たり、無視されたらもうそれで終わりと決めていた。

でも、予想すらしてなかった人生最大のサプライズが訪れたんだ。

  • 最後--------------------------------------------------------------------------

しかし、そのメールは届かなかった。

メールアドレスが変更されたか、俺からのメールを拒否したようだった。

この時点で、100%彼女に嫌われていることがわかり、また彼女への連絡方法も途絶えたので、俺の夏の恋は終わりを告げた。

また、それは初めての合コンが大きな失敗に終わってしまったことでもあった。

彼女と知り合ってから2ヶ月足らず、短い恋だった。

そしてたった2ヶ月で、メールを拒否される程に嫌われた俺はどれだけバカな奴なんだろうと思った。

もしかしたら、3度目6人で会う以前から彼女は拒否することを決めていたのかもしれない。

それまでは、気まずくならないようにと、気を使って嫌々ながらも返信してくれてたんだと思う。

あるいは、俺がメールをやめた3度目6人で会う2週間前から既に拒否していたのかもしれない。

だからこそ、尚更俺が一緒に帰ると言った発言が「危険な発言」と捉えられたのかもしれない。

拒否したことで俺が逆上すると思われたのだろうか。

幹事彼女と一緒に「お茶して帰る」と言って俺と別れたことを考えても、ストーカーじみてて相当気持ち悪い奴という

レッテルを張られているのかもしれない。

確かにすごくイタイ奴だったと思う。でも、ただただ慣れないメールをするしか彼女との関係を保つことができなかった。

実際に6人で会った時に積極的に話せなかった所なんか、本当に情けない。

早い段階で嫌われてるんじゃないか?と気付きながらも1%でも可能性があればと思い、メールを送り、食事に誘い、

それが結果的にメールを拒否する所まで彼女を追い込んでしまっていたことを考えると、申し訳なさすぎる気持ちと、

女性を喜ばせることのできなかった自分の実力不足に酷く腹がたった。

喜ばせるどころか、徹底的に嫌われるなんて、本当に彼女に対しては謝っても謝りきれない。

これまで、人から電話メールを拒否された経験は一度もない。

拒否されることは、自分の言動すべてが相手に拒否されたという意味であり、謝ることはもちろん、すべての

発言権を取り上げられたということだ。

また、彼女にとって俺はそれに値する男だったということだ。

また、引き籠りを脱したいという思いから参加した合コンの結果がこんなことになるなんて、神様は外の世界に出ようと

している奴をなんで蓋で抑え付けるんだとも思った。

こんな結末じゃ、また引き籠りたくなってしまうよ・・・

2ちゃんねるまとめサイトにあった、「引き籠りは所詮引き籠りオーラが出てる」というのも頭をよぎった。

まあ全てにおいて自業自得、全部自分が招いた結果なんだけど。

彼女のことをまだ何も知らないのに、いつの間にか恋という所にまで発展してしまった自分の気持ちの浅さ、

気になってまともに話すことすらできない弱さ、拒否される程のキモいメールの内容、嫌われていると分かって

いながら自分本位アタックし続けたこと、そしてそれが結果的に彼女に大きな迷惑をかけたこと。

どれをとっても悔みきれない後悔と、彼女に対するザンゲの気持ちで一杯です。

これまでほとんど女性を避け、10年ぶりの恋愛だったというツケが回って来たんだと思う。

今回の件で猛烈に反省して、10年の恋愛ブランクを挽回したいと思うし、絶対に引き籠りがちだった生活ともおさらばしたい。

今はショックが大きいけど、時が経てば傷も癒えるだろうし、彼女のこともそのうち忘れるだろう。

彼女と出会うことはもう二度とないだろうけど、今より何百倍も自分を磨いて、例え5年かかろうと10年かかろうと、

これまでの人生にケリを付け、新しい自分に生まれ変わりたいと強く願う。

本当にごめん。

2010-08-29

社会保障問題:世代間対立は無意味。分断工作を。

高齢化に伴う年金医療を初めとする社会保障問題は

深刻で基本的には世代間の負担の問題である。

しかしながら、日本では現実的に世代間対立を先鋭化させる

ことによってこの問題を改善することは不可能だろう。

日本人口動態を見れば、日本高齢化に伴う社会保障問題が

発生する事は80年代前半から予測できたはずなのに、

これまでに行われた制度の微調整は、年金保険料を上げたり

一部を税方式にして徴収能力を強化したりといった

むしろ制度肥大化させるものであった。

今後、有権者高齢化が進めば、世代間の公平性を

上げるための改革は一層難しくなる。

高齢者マジョリティーになる社会では、

経済問題高齢者間の利益配分を中心に話が進む。

若年層が世代の利益を確保するには、

この利益配分争いにうまく付け入るしか方法がない。

仮にあなたが年金問題の世代間不公平を

改善させたい社会派新聞記者だとしたら、

「高齢世代は、将来世代のために応分の負担を」

といった記事ではインパクトが弱く失敗に終わるだろう。

もっと、個別の層にターゲットを絞るべきだ。

例えば、裕福な高齢者の生活を分析し、

こんなにたくさんの年金支給が必要なのだろうか?と問いかけ、

厚生年金報酬比例部分の支給は切り下げるべき」と議論を持っていく。

そうすれば、多くの若年層だけでなく

富裕層以外の高齢者の賛同も得やすい。

あるいは、70代で元気に働く高齢者を紹介し、

元気なお年寄りが多い今、65歳で引退する必要があるのか?と疑問を呈し、

生活保護の稼動年齢の基準は70歳にすべき、と持っていく。

仕事確保のため、役所の単純作業を割り振るのも一案だ。

事実上一部の人件費がタダになるので、

多くの有権者の支持を受けられるだろう。

年金生活者の支出は年齢と共に減少していくことを根拠に

有権者平均余命より後の部分について年金の段階的削減を提案するのも一案だ。

生活に困窮する場合のみ別の制度保護すればよい。

生涯の年金収支を生存年数別にグラフにしておけば、

多くの人は「長生きの人はこれだけ得をしているのだから」

と納得する可能性が高い。

身元不明の超高齢者ニュースになった今はチャンスだろう。

健康保険については、例えばタバコの販売をID管理し、

喫煙者の肺疾患は保険カバーしないといった方法も考えられる。

こうした策略に満ちた社会は寛容性が低下しており

望ましい社会とは言えないだろう。

しかし、硬直化した高齢化社会民主主義が陥る必然であるように思える。

http://wofwof.blog60.fc2.com/blog-entry-395.html

2010-08-27

http://anond.hatelabo.jp/20100827153347

分裂病患者就職できないために必然的に増田タイムが多くなり普通ユーザーはそんな分裂さんとは会話したくないのであるが増田匿名性が高く相手が分裂か統合かわからないので情報の非対称性により分裂さんとは会話をしたくない普通増田ユウザアは増田を忌避し始めることにより撤退し始めることになりだんだんと分裂さんの濃度が高まり分裂さんしか存在しなくなる。

ゆえに勃起する。

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