2010-09-08

高年層を老害と呼ぶ理由

このあいだ、

「老人のことを老害とか日本のガンとか呼ぶ人がいるけど、彼らは自分の父親や祖父の世代でしょ? 尊敬すべきなのに恥ずかしくないの?」

というような内容の記事を見かけた。

なるほど、一理あると思った。

2chあたりでは老人=老害のような扱いをされているし、実際の日本社会でも老人はお荷物だ。

目上の方を「敬うべき長上」と表すのは日本の昔からの伝統だったが、今の日本ではあまり老人をそのように扱わない。

少子高齢化現象で「敬うべき長上」が増えすぎ、大量の彼らが下にいる労働納税者層を圧殺しようとしているからだ。

それでも、彼らはなお「敬われるべき」なのだろうか。

自分の父親のことを考えてみた。

僕は自分の父親を尊敬しているし、それなりに賢明人間だと思っている。

田舎会社経営をしているが、少しばかり田舎くさい粗野なところがあるにしても、ワンマン会社健全経営をやっているのは大したものだと思う。

あと数年で年金を貰う年になる。

しかし、その父親にしても、社会構造的には僕の敵であり、老害なのだ。

想像してみよう。

政治家Aと政治家Bがいて、それぞれ別のマニフェストを持っている。

Aは「高齢者年金制度保険制度を重視して決して疎かにしない」と掲げ、もうBは「高齢者に負担を強いてでも経済健全化させる」と掲げる。

いくら父親が賢明でも、ここで「日本のためにはBさんが必要だ。Bさんに投票するぞ」とはならないのではないだろうか?

恐らく九割方……もちろん僕の父親を含めて、自己利益を優先してAに投票するのではないだろうか?

医療における高齢者の負担が増加すると叩かれていた後期高齢者医療制度だが、この制度にあっても

実はその財源の五割は、公費(つまり所得税などの税金)から引き抜かれて使われているのだ。

これからますます増える老人にそんなことをされては、減る一方の労働者層の人間はたまったものではない。

どうしようもなくなる前に労働者層は老人と戦う必要がある。

なぜなら、数的に優勢なのは老人たちなのだから。このままでは圧殺されるのは必然なのだ。

そのための意識として老人をためらいなく老害と呼ぶ意識若者には必要なのだ。

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