「人の近くに熊が現れた、生活を脅かされている、だから熊を殺そう。殺す以外の方法はあるけど、一番安全なのが殺すという方法だからだ」
これに対して「熊を殺すのはかわいそう」という苦情が何件も寄せられて、はてな民は、「熊が出没するかもしれない場所で暮らしている人の気持ちになってみろ」とブコメを大量に残す。ここまでがストーリー。
しかし、よくよく考えると、熊が出没するのは自然と人間の共生が云々という話で、森を切り開き、人が森の近くへ住むという選択をしているからである。人が熊から離れて暮らせば(森を残しておけば)人の住む場所にまで熊がくる可能性はゼロにはならないにしても、遭遇を避けるケースが増えてきて、被害の件数も減る。
「そんな事不可能だろ、現実的に考えろ」とはてな民は言うだろう。
では現実的に考えて、日本の人口は減少する傾向にある。日本だけではなく文明が発達して生活がそれほど不自由しなくなると人は減る傾向にある。人だけではなく、死亡率が高い生物は沢山産み、死亡率が低い生物ほど生まれる子供が少なくなる。
こんな感じに、動物というのは無意識下で数の調整を行っている。
「熊がかわいそう」と思うのは、それがマスコミに洗脳されたあげくのマヌケな考えであろうとそうであるまいと、「熊のほうが人よりも少ないんだから、ここは人が死ぬべきである」という数の調整の考えに則っている。言った本人はその前提で言っているわけではないけど、実に物事の真理をついた発言だと思う。
生物として数を調整する事は食物連鎖のバランスを保つ上で大切だと思う。
だから人は数を減らさなきゃいけない。戦争をして沢山の人が死ねばいい、とまでは言わないけど、生まれてくる人間の数を抑える事は大切だと思う。
その考えから今の日本を見れば、子供を邪険に扱ったり、子供を持つ家庭=DQNというブラフで悪印象を広めたり、団塊世代が数の少ない世代から富を搾取するという構造は、必然的なものではないかと思えてきた。誰かが意図しているわけでなく、自然が数の調整をする為に行っているものではないかと。
ただし、もし火星や月に人類が移住するという話になれば別だと思う。
生物は今でこそ地球上のあちらこちらに広がっているけど、ずーっと昔は浅瀬の一部分しかしなかったという話だし、どんどん活動範囲を広げていくのも生物の使命だと思う。
けど、今は人間にとっては、その時じゃない。
今は、数を減らす時である。