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2019-10-09

表現不自由展』の企画者はちゃん説明すべき

表現不自由展について思うこと

表現不自由展について

昭和天皇肖像を燃やしたり慰安婦像置いたりとやりたい放題の展覧会表現不自由展その後』

「こういう表現であっても認められるべきだ!」という賛成意見と「さすがにダメじゃない?」と反対意見、日々議論が白熱している。

私は賛成でも反対でもなく、こういった状況になることが企画者の意図

まり表現』そのものに対する問題提起企画展!

……かと思って傍観していたんですけど展覧会が中止されたりかと思えば再開されたり、入場制限が行われたり市長による抗議活動などヒートアップするよくわからない状況。

これ企画者何にも考えてないパターンじゃね?

と思って色々調べていたところ、そもそも企画者の意図していたことが全然違った。ちゃん説明した方がいいよ。

まず前もって知っておいて欲しいのは『現代アート』そのものについて。

現代アート一言説明するのは難しい。

定義としては過去美術芸術に囚われない、『前衛的で新しい芸術』だろうか。

時代性を反映していることが現代アートの条件とされている場合もあるが、作家によってはそこまで意識をされていないことも多い。

最先端技術で作られた作品であったり、今までなかった発想やテーマ思想で作られたりと従来の美術芸術の枠組みに入っていなければ現代アートと呼んで問題ないと思う。

アートのくくりだからといって美しいとは限らないわけです(ここを勘違いすると現代アートのなんでもありな表現嫌悪感を覚えると思う)

で、自分が思っていた『表現不自由展』とはこういった過激作品を展示した上で、『表現自由』とはどうあるべきかを考えてみよう!

っていう問題提起のための企画展だろう、と。

で、調べた。全然違った。

これがこちらです

https://bijutsutecho.com/magazine/series/s16/19768

長い!よくわからん

っていう人もいると思うのでざっくり説明すると

アート界隈、戦後民主主義は『個(個人)の時代』だったけど今は『公の時代』!

昔の『公の時代』といえば社会の抑圧や検問が厳しかった戦前大正あたりだ!

戦前戦前美術の間には『意識の断絶』があるように感じる……

ドイツではそんなことおきていない、なぜ?

日本では『ドクメンタ』をやってないからではないか

じゃあドクメンタみたいなのをやろう!!!!!

これです。いや、わかりにくい!

この騒動で読みにきた人は『ドクメンタ』って何〜?っていう人がほとんどだと思うのでウィキを貼っときます。(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ドクメンタ

あいだに出てくる『退廃芸術』も重要ワードなので貼っときます。(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/退廃芸術

かいつまんで説明しますと

ーーーーーーーーーーーーーーー

戦時中ナチスドイツ模範的美術作品を設定して『大ドイツ芸術展』を開催、一方で近代美術前衛芸術を集め『退廃芸術展』を開き晒し者にした。

戦後、その晒し者にされ弾圧された『退廃芸術名誉回復しよう!と開催したのが『ドクメンタ』、1955年からスタートし今もなお毎年開催される現代アート展覧会カッセル市やヘッセン州出資によるドクメンタ有限会社企画運営している。

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まり何がこの展覧会でやりたかたかというと、

日本戦後今まで排除してきたものアートとして向き合ってないから、戦前戦後で『意識の断絶』が起きている。

から今まで排除してきたものと向き合おう!

そんでもって公的立場でやるとなおいいよね!っていう感じです。

ざっくりなので違ったらすみません。というかここまで問題になった訳ですから公的にわかやす文章を出した方がいいですよ。

この展覧会がめちゃくちゃ炎上した原因となる1番の問題点だと思うのが、

ズバリ

タイトルが悪い!!!!!

これです。

表現自由であるべきか、制限を受けるべきか。

なんて巷では議論が白熱していますけども、この展覧会がやりたかったのは『表現のもの』に対する可否ではなく、今まで向き合ってこなかったものに対して受け入れたり、考えたりしていこうよ、ということ。

表現不自由展』

こんなタイトルが付いてるから作品が『表現』そのものに対してのジャッジの道具に使われている。

本来であれば、今回問題となっている作品

表現自由からこういう作品であっても認められるべきだ!(賛成派)」「いや、こんな表現は到底受け入れられるものではない!(否定派)」

といった議論ではなく、

「今まで触れてこなかった考えを知ることができた(賛成派)」「こういうのはどうかと思うけど、どういった思想で作ったのはわかった。その上でこんな表現はいけないと思う(反対派)」

という議論がかわされるべきだ。

この展覧会擁護、または批判している者の中に、企画者の意図理解している者はどれだけいるだろう?

反射的に賛美拒絶している者がほとんどではないか

というか、こんな意図説明なしにわかる人はエスパーだと思う。

企画者の意図を考えると、『表現不自由展』というタイトルはふさわしくない。

インタビューから考えるならば、『意識の断絶』がこの展覧会企画するにあたっての1番のキーワードではないかと私は思う。

企画者の考えとして、表現不自由が起きている根本の原因は戦前戦後アート界隈での意識の断絶、と読み取れたからだ。

意識の断絶』というキーワードを元にタイトルを考え直した方がいい。少なくとも『表現不自由展』というタイトルよりは誤解を与えずにすむだろう。

表現不自由展』、企画展名のインパクトを狙いすぎたため、意図が大きくぶれてしまっているのではないか名前だけしか見てない者にも邪推をされまくっている。

この展覧会に賛成か反対かは置いといて、今からでも企画展のタイトルを変えるべきだろう。でないと作品可哀想だ。

 
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