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2009-12-22

ほう。

現役東大生が語る「数学さえやっていれば東大へ受かる」理由

http://anond.hatelabo.jp/20091221232734


まあ凡人には理解できないかもね。

言わんとすることは分からんでもないが、ちょっと君にうんこを投げさせてもらうと、

君の文章こそすんごい凡人臭い。多分学内でも中の上ぐらいの成績じゃないかな。

ああ、ええ、まぁどうでもいいんですが、自分の学部は東大です。

院は特定されると面白くないので伏せるけど、まぁ東大未満だとは世間様にも思われないぐらいのとこです。


まずね、タイトル釣りすぎかな…「数学やってりゃ東大合格」の理由はどこよ?ちと狙いすぎだな。釣りっつーか、詐欺だな。

あとね、

子供が「数学なんてやっても意味ねー」と言い出したら、「そうだね。君の人生にとっては意味がないよね。義務教育終えたらそこらへんの工場労働者として頑張ってね!」でいい。

そんなふうに考えていた時期が、俺にもありました。って感じなんですけどもね。実はそうでもないんですよね。それをするとしたら、数学よりは英語かな、って感じ。理由は後述。

高校入学後は、これに加えて経済理科生物学中心)を英語で教え込む。

うん、経済学は大事だね。これは本当にそう思う。マンキューの『入門経済学』にある内容ぐらいは国民みんなに分かっていてほしいよね。文系理系問わず、学歴問わず。鳩ポさんにうんこ投げちゃうことになるけど、民主党の方々って正直大馬鹿じゃない。あれはね、個人的には「いやぁ、国民の皆様が馬鹿ならしょうがないんじゃないんですかね」と思ってしまう。間接制であろうと最低限の素養を国民に与えておかないと、民主主義って死ぬんですよね。困ったもんだ。というわけで数学の素養も結構必要になるよね。まぁ微分積分ぐらいはね、って話になる。

理科もね、結構大事ですよ。僕からすれば、高校課程でいえば化学Ⅱ、物理Ⅱぐらい国民みんなに知ってもらわないと困るんですね。文系でもね。まぁこれはたしかにドカタ様には不要な知識かもしれないし、中卒の方々にはやってもらわなくともよい。ただ、大学を受ける層は、文系にも理解していただかないと困るんだよなぁ。物理微積禁止令は解いていただきたいですよね。アレ、詐欺ですよ。文系でも物理Ⅱ+微積レベルは知っていただかないと、ね。


んでもって、「英語で教え込む」についてハッキリと言わせてもらうんだけれども、

え、誰が教えんの?っていう話。世間知らずの坊なのか知らないけれども、世の中先生って結構バカなんですよ。

自分の高校でも「あいつダメだよなー」とか言われてる先生ですら東北卒とかだったりして、まぁ世間一般で言えば普通に高学歴でした。

でもね、中学(僕は中学までは公立。しかも田舎)はね、本当にひどかったよ。英語の教師が英検2級だったりね。ギャグか、と今なら思うんだけれども、目立った取り柄もない人間だって働かないといけないのだよ。そうなると必然的に馬鹿先生も出てくるんですよ。残念ながら、わが日本国には「すべての教師を教養人に!」などと高邁な理想を実現するほどのリソースは残されていないんです。

英語教師でさえ英検2級とか履歴書に恥ずかしくて書けないようなうんこ資格しか持ち合わせていないのだから、他科目なんて、ねぇ、って話ですよ。それは高校教師でもそんなに変わらんです。ああ、「頑張らせればいい」と言うのは、ナシね。そこまでマッチョイズムでゴリ押ししても、のれんに腕押しが実情です。


あなたは「重要科目に絞る」ということに重点を置いてましたけど、まさにその通りで、子供に与えられる教育時間ってそんなにないんですね。基本的に教育って、(エリート育成を除いては)国体を維持しさらなる成長を期待できるため、国民に最低限の民度を維持せしめることにあると思うんですよ。で、英語って、ぶっちゃけ日常じゃ使わんでしょ。テキサス巨乳娘を口説くために国費を投じる必要はないわけなんですよ。ええ、何が言いたいかっていうと、馬鹿には必要のない言語なんですよねしょせん。たしかに自分にとっては必須ですらあるんですが、「国民に知ってもらいたいこと」を教えるには、幸いまだ日本語でも十分に可能なんですね。

自分は必要に駆られてラテン語も習得しましたけど、多分あなたには必要ないでしょう。まぁ、極論を言っちゃえばそんなもんなんですよ言語って。ちなみにお隣の韓国さんはというと、国民みんなに小学3年から英語やらせてますけど、どうも一般人はベラベラとは言い難いのが現状のようですね。向こうも教員レベルがネックとなってるみたいです。韓国の友人が言ってました。国内市場が小さいので海外進出日本以上に頑張らないといけない韓国でさえも、そんな程度なんです。まぁでも、たしかに大卒さんなら英語ぐらい、というのは分かります。そいつらに教える英語教育法についてはまぁ言いたいこともありますが、今回の本論には関係ないので避けますね。

つーわけで国語はいるよ?だって「賢くなるため」の文章を読むには必須の素養だもの。偏差値40台の高卒ちゃんとか、漢検4級もギリギリレベルですよ。言葉はひどいけどね、もうほとんど文盲なわけ。これが、教育しなくなったら、どうなるか。マジでほとんど平仮名カタカナだけになるんじゃないか。日本が神聖文字と民用文字を使い分ける世の中になったらめんどくさいことになりそうだと思うけどなぁ。

そもそも抽象的思考もできないやつが英語を覚えたところでハラペコ青虫とPLAYBOYぐらいしか読んでくれんよ。実際、日本NewsweekだのNatureを読んでる層って、日本語でも抽象度の高い文章を好んで読んでますしね。君が貼った記事にもあるとおり、実際のところバイリンガルなんて無理だし、恐ろしく稚拙日本語と「はうあ~ゆ~?」ぐらいしか言えない、豚や鶏をちょっとマシにしたような非知的生命体が量産されること間違いなし。バイオハザードビックリだ。


日本史はね、うんまぁ、必修は近代史まででいいかもね、と言いたいんだけど、やっぱ聖徳太子とかもかじらせとく必要はあると思いますですよ。DQN様って、本当に勉強しないので。マジで日本人同士でも会話が成立しなくなるんじゃないかな。別に左翼ではないのである程度の格差はしょうがないと思うけど、あんまり似たようなお友達ばかりと馴れ合っているとマクロ的にも損するようになってますよ世の中。

世界史はそもそも、「過去事実」を覚えるというより、世界システムというか、ダイナミズムというか、そういったものを学ぶためのもんだと思うんだけれどもね。これも高校の先生ですらできてない人ばっかだね。まぁ教科書もそうなってるからね。でも覚えもしないとそれをできる一握りの人材すら日本から生まれなくなるので、まぁ教育しといた方がいいとは思うけどね。

まとめ

先生って思ったよりバカなんですよ

DQNって想像以上にバカなんですよ?

教育民度の維持に必須。

・(現行の高校課程に意味をとどめない)「政治・経済」は、日本国民にとっての必須となる教養

・そのためにも数学は要るかもねぇ

国語を教えないと、バカとエリートの使う言語感覚の隔絶が、おそろしいレベル(国が滅びるぐらい)になるよん

大卒なら自然科学は今の理系高卒ぐらいは教えとかなきゃ

・バカに英語を教えてもねぇ

・そのかわり大卒さんは英語覚えてほしいよね。まぁそれはまた別の話でしょ



ところで、あなたは駒場生かしら。せっかくリベラルアーツを学ぶ機会を設けられたのだから、もうちょい頑張ろうぜ。

いやね、僕も知識人としては下っ端も下っ端なんですけれども、正直、ちょっと脱力した。しすぎて文章も散漫になった。教養主義とかじゃなくてだね、もうちょい基礎んとこを理解した上で社会ってもんを見ようぜっていう、そういう話。


あと教育論から外れるの承知で書くけど、古文漢文って君には必要ないのかね?俺は高校は理系だったけど、普通に必要な素養だと思ったけどなぁ。ていうか今も読むけどなぁ。エリートを自称する学生なら千字文とか四書五経とか、それぐらい読まねぇ?普通。それとも君は、「やりたくなければやんなくていいじゃんよー。ただし国際社会で恥かくかもだけどねー」でいいじゃん、で済むのかな。俺がジョン(仮名)に「えー!おま、論語○×も知らないで20年も生きてきたの???wwww」とか学生時代に言われたら、その恥とやらのために死んだね。まあ凡人には理解できないかもだけど、ね。


うんこ投げすぎたので最後に一言だけ有用なアドバイスをしておくと、公教育について論じる時はもうちょっとナショナリスティックな視点を考慮に入れた方がいいよ。

2009-11-30

僕の朝鮮民族に対する(たぶん)偏見

東亜における朝鮮民族は大きく3つ乃至4つの勢力に分かれている

北朝鮮韓国中国東部の朝鮮族・(日本

・これらの関係は複雑である

北朝鮮韓国は対立している(戦争は終わってない)

在日朝鮮人北朝鮮韓国の間を彷徨っている

・一世・二世は「統一されれば帰りたい」と思ってるが三世は「このまま日本でいーよ」と思ってそう。

中国朝鮮族バイリンガル

・だから彼らは韓国に出稼ぎに行くことが多い

・でも割と見下されることも多いらしく、彼らは韓国が嫌いである。

日本朝鮮民族戦後の混乱から逃げてきた奴の方が多い

大阪在日はその典型。川崎在日戦前・戦中組。

・つまり、在日韓国朝鮮人は一枚岩ではない。

パチンコ在日が携わってることが多い。

・だから半分ヤクザと言っていい在日もいる。

・だってパチンコはほぼ賭博賭博ヤクザのやること。

テレビ業界にも関わってるて聞くけどよく知らん。

・結論としては分断国家は大変だよね

バイリンガルの頭ん中:ダニエルピンクネタ

日本語英語へのTransition

目的

バイリンガルの頭の中(あくまで想像)を文章にて表現

序盤:日本語脳→終盤:英語

・英文に抵抗のある人に対する新しい英語教材の提案、実験

日本語読んでたはずなのに、いつの間にか英語読んでた!」というのが理想

TEDから文章だけでも内容が伝わるダニエルピンクプレゼンを引っ張って来たのですが、実験的にやるにしては少し内容が堅く、マテリアル選択を誤った気がしなくもありませんw

ダニエルピンク 「やる気に関する驚きの科学

http://www.ted.com/talks/lang/jpn/dan_pink_on_motivation.html

めちゃ長いですが、LanguageがTransformする過程を味わって頂ければと思います。

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最初に告白させてください。20年ほど前にしたあることを私は後悔しています。あまり自慢できないようなことをしてしまいました。誰にも知られたくないと思うようなことです。それでも明かさなければならないと感じています(ざわざわ)。1980年代の後半に私は若気の至りからロースクールlaw schoolに行ったのです(笑)。

In America, 法律専門職学位です。まずuniversityを出て、それからlaw schoolへ行きます。law schoolで私はあまり成績が芳しくありませんでした。控えめに言ってもあまり良くなく、上位90パーセント以内という成績で卒業graduateしました(笑)。どうもlaw関係の仕事はしたことがありません。やらせてallowed toもらえなかったというべきかも (笑)。

But today, betterではないことだとは思いつつ、wifeの忠告にも反しながら、このlegal skillsを再び引っ張り出すことにしました。今日はstoryはtellしません。主張caseを立証します。合理的で証拠evidenceに基づいた法廷におけるような論証で、how we run our businessesを再考してみたいと思います。

陪審員juryの皆さん, take a look at this。This is called 「ロウソクの問題」。ご存じの方もいるかもしれません。1945年にKarl Dunckerという心理学者psychologistがこの実験experimentを考案し、様々な行動scienceのexperimentで用いました。ご説明しましょう。私が実験者だとします。私はあなた方を部屋に入れてcandle画鋲thumbtackとマッチmatchesを渡します。そしてこう言います。「テーブルtableに蝋waxがたれないようにcandleを壁wallに取り付けattachしてください。」Now what would you do?

Many peopleはthumbtackでcandleをwallに留めようとします。でもうまくいきません。あそこで手真似をしている人がいましたが、matchの火でcandleを溶かしてwallにくっつけるというideaを思いつく人もいます。いいideaですがうまくいきません。After five or 10 minutes, most peopleは解決法を見つけます。このようにすればいいのです。Keyになるのは「機能的固着functional fixedness」を乗り越えるovercomeするということです。最初、あのboxを見て、単なる画鋲の入れ物だと思うでしょうが、それは別な使い方をすることもできます。candleの台platformになるのです。これがcandle problemです。

次にSam Glucksbergというscientistが、このcandle problemを使って行ったexperimentをご紹介します。彼は現在Princeton Universityにいます。この実験でthe power of incentivesがわかります。彼は参加者participantsを集めてこう言いました。「this problemをどれくらい早く解けるsolveできるか時計で計ります。」そしてone groupにはthis sort of problemを解くのに一般にどれくらい時間がかかるのかaverage時間を知りたいのだと言います。もう1つのgroupには報酬rewardsを提示します。「上位25percentの人には5dollarsお渡しします。fastestになった人は20dollarsです。」Now this is several years ago物価上昇inflation考慮に入れればa few minutes of workでもらえるmoneyとしては悪くありません。十分なmotivatorになります。

このグループはどれくらい早く問題を解けたのでしょう?答えはon average, 3分半余計に時間がかかりました。Three and a half minutes longer。そんなのおかしいですよね?I'm an American。I believe in 自由市場。そんな風になるわけがありません(笑)。If you want people to perform better, 報酬を出せばいい。Bonuses, commissions, あるいは何であれ、incentiveを与えるのです。That's how business works。しかしここでは結果が違いました。Thinkingが鋭くなり、creativityが加速されるようにと、incentiveを用意したのに、結果はoppositeになりました。思考は鈍く、creativityは阻害されたのです。

この実験experimentがinterestingなのは、それが例外aberrationではないということです。この結果は何度も何度もfor nearly 40 years 再現replicateされてきたのです。この成功報酬的な動機付けmotivators―If Then式に「これをしたらこれが貰える」というやり方は、in some circumstancesでは機能します。しかし多くのtasksではうまくいかず、時には害harmにすらなります。これはsocial scienceにおける最も確固robustとした発見findingsの1つです。そして最も無視ignoreされている発見でもあります。

私はthe last couple of years, human motivation科学に注目してきました。特に外的動機付けextrinsic motivatorsと内的動機付けintrinsic motivatorsのdynamicsについてです。大きな違いがあります。If you look at これ、scienceが解明したこととbusinessで行われていることにmismatchがあるのがわかります。business operating system、つまりビジネスの背後にある前提assumptionsや手順においては、how we motivate people、どう人を割り当てるかという問題は、もっぱらextrinsic motivators(アメとムチ)にたよっています。That's actually fine for many kinds of 20th century tasks。But for 21st century tasks, 機械的mechanisticなご褒美と罰reward-and-punishmentというapproachは機能せず、うまくいかないか、害harmになるのです。Let me show you what I mean。

Glucksbergはこれと似たanother experimentもしました。このように若干違ったslightly differentな形で問題を提示したのです。Tableにwaxがたれないようにcandleを壁にattachしてください。条件は同じ。あなたたちは平均時間を計ります。あなたたちにはincentiveを与えます。What happened this time?今回はincentivizedグループの方が断然勝ちました。Why?箱に画鋲が入っていなかったから。it's pretty easy isn't it?(「サルでもわかる」ロウソクの問題) (笑)

If-then rewards work really well for those sorts of tasks。Simpleなルールとclearな答えがある場合です。Rewardsというのはfocusを狭めmindを集中させるものです。That's why報酬が機能する場合が多い。だからこのような狭い視野で目の前にあるゴールをまっすぐ見ていればよい場合にはthey work really well。But for the real candle problem, そのような見方をしているわけにはいきません。The solutionが目の前に転がってはいないからです。周りを見回す必要があります。Rewardはfocusを狭め、私たちの可能性possibilityを限定restrictしてしまうのです。

Let me tell you why this is so important。In western Europe, in many parts of Asia, in North America, in Australia, white collarの仕事にはthis kind of workは少なく、このような種類の仕事が増えています。That routine, rule-based, left brain work, certain kinds of accounting, certain kinds of financial analysis, certain kinds of computer programingは 簡単にアウトソースできます。簡単にautomateできます。Softwareのほうが早くできます。世界中Low-cost providersがいます。だから重要になるのはthe more right-brained creative, conceptual kinds of abilitiesです。

Your own workを考えてみてください。Youが直面faceしている問題は、あるいはweがここで議論しているようなproblemsは、こちらのkindでしょうか?A clear set of rules, and a single solutionがあるような?そうではないでしょう。ルールあいまいで、答えはそもそも存在するとしての話ですが、驚くようなsurprisingものであり、けっして自明obviousではありません。Everybody in this room is dealing with their own version of the candle problem。And for candle problems of any kind, in any field, if-then rewardsは機能しないのです。企業の多くはそうしていますが。

Now, これにはcrazyになりそうです。どういうことかというと、これはfeelingではありません。私は法律家lawyerです。Feelingsなんて信じません。This is not a 哲学philosophy。I'm an American。Philosophyなんて信じません(笑)。This is a fact。私が住んでいるWashington D.C.でよく使われる言い方をするとtrue factです(笑)。(拍手)Let me give you an example of what I mean。Evidenceの品を提示します。Iはstoryをtellしているのではありません。I'm making a 立証。

Ladies and gentlemen of the 陪審員, 証拠を提示します: Dan Ariely, one of the great economists of our time, Heは3人の仲間とともにsome MIT studentsを対象に実験studyを行いました。These MIT studentsにたくさんのgamesを与えます。Creativity, and 運動能力motor skills, and concentrationが要求されるようなゲームです。そして成績に対するthree levels of rewardsを用意しました。Small reward, medium reward, large reward。Okay?非常にいい成績なら全額、いい成績なら半分の報酬がもらえます。What happened?「As long as the task involved only mechanical skill、bonusesは期待通りに機能し、報酬が大きいほどパフォーマンスが良くなった。 しかし、cognitive skillが多少とも要求されるタスクになると、larger rewardはより低い成績をもたらした。」

Then they said,「cultural biasがあるのかもしれない。Indiaのマドゥライで試してみよう。」In Madurai, Standard of livingが低いので、North Americaではたいしたことのないrewardが 大きな意味を持ちます。実験の条件はSameです。A bunch of games, three levels of rewards. What happens? medium level of rewardsを提示された人たちは small rewardsの人たちと成績が変わりませんでした。But this time, people offered the highest rewards, they did the worst of all。「In eight of the nine tasks we examined across 3回の実験, よりhigherインセンティブがworse成績という結果となった。」

これはおなじみの感覚的なsocialistの陰謀conspiracyなのでしょうか?No. Theyはeconomists from MIT, from Carnegie Mellon, from the University of Chicagoです。And do you know who sponsored this research? FRBです。これはまさにAmerican experienceなのです。

Let's go across the pond to the London School of Economics。11人のNobel 受賞者 in economicsを輩出しています。Great経済頭脳がここで学んでいます。George Soros, and Friedrich Hayek, and Mick Jagger(笑)。Last month, just last month, economists at LSE looked at 51 studies of 成果主義 plans, inside of companies。彼らの結論は「We find that 金銭的なインセンティブ can result in a negative impact on 全体的なパフォーマンス.」ということでした。

There is a 食い違い between what 科学 knows and what ビジネス does. And what worries me, as この潰れた経済の瓦礫の中に立って, is that あまりに多くの組織 are making their decisions, their policies about 人や才能, based on assumptions that are 時代遅れ, 検証されていない, and rooted more in 神話 than in 科学. this 経済の窮地からget out ofと思うなら 21st century的な答えのないtasksで high performanceを出そうと思うのなら、wrong thingsを これ以上続けるのはやめるべきです. To 誘惑 people with a sweeter carrot, or 脅す them with a 鋭いムチ. まったく新しいアプローチが必要なのです.

And the いいニュース about all of this is that scientistsが新しいapproachを示してくれているということです. It's an approach built much more around 内的な motivation. Around the desire to do things because they matter, because we 好き it, because they're 面白い, because they are 何か重要なことの一部. And to my mind, that new operating system for our businesses revolves around three elements: 自主性、成長、目的. 自主性, the 欲求 to 方向 our own lives. 成長, the desire to get better and better at 何か大切なこと. 目的, the 切望 to do what we do in the service of 大きな何か than ourselves. これらがour businessesのentirely new operating systemの要素なのです.

I want to talk today only about 自主性. In the 20th 世紀, we came up with this idea of マネジメント. Management did not 自然に生じた. Management is like -- it's not a 木. It's a テレビ. Okay? Somebody 発明した it. And it doesn't mean it's going to work 永久に. Management is great. 服従を望むなら, Traditional notions of management are ふさわしい. しかし参加を望むなら, 自主性 works better.

Let me give you some 例 of some kind of 過激なnotions of 自主性. What this means -- あまり多くはありませんが 、非常に面白いことが起きています. Because what it means is paying people 適切に and 公正に, 間違いなく. Getting お金の問題 off the table. And then giving people 大きな自主性. Let me give you 具体的な例.

How many of you ご存じ of the 会社 Atlassian? 半分もいない感じですね(笑). Atlassian is an オーストラリアソフトウェア会社. And they do すごくクールなこと. A few times a year they tell their エンジニア, "これから24時間何をやってもいい, as long as it's not part of your regular job. Work on 好きなことを何でも" So that エンジニア use this time to come up with a cool 継ぎ接ぎ for code, come up with an エレガントなハック. Then they 何を作ったのか見せる to their teammates, to the rest of the company, in 雑然とした全員参加の会合 at the end of the day. And then, オーストラリアですから, everybody has a ビール.

They call them 「FedExの日」. Why? Because you 何かを一晩で送り届けなければならない. It's 素敵. It's not bad. It's a huge 商標権 侵害. But it's pretty clever. (Laughter) That one day of 集中的な自主活動 has produced 多数の software 修正 that might never have existed.

And it's worked so well that Atlassian has taken it to 次のレベル with 20 Percent Time. Googleがやっていることで有名ですね.Where エンジニア can work, spend 20 percent of their time working on anything they want. They have 自主性 over their time, their task, their team, their 技術. Okay? Radical amounts of 自主性, And at Google, as many of you know, 新製品の半分近く in a typical year are 生まれています during that 20 Percent Time. Things like Gmail, Orkut, Google News.

Let me give you an even more 過激な example of it. Something called 「完全結果志向職場環境」. The ROWE(Results Only Work Environment). Created by two American コンサルタント, in place at about a dozen companies around 北アメリカ. In a ROWE people don't have スケジュール. They show up 好きなときに. They don't have to be in the office 特定の時間に, or any time. They just have to 仕事を成し遂げる. How they do it, when they do it, where they do it, is totally up to them. ミーティング in these kinds of environments are オプショナル.

What happens? ほとんどの場合, productivity goes up, 雇用期間 goes up, 社員満足度 goes up, 離職率 goes down. 自主性Autonomy, 成長mastery and 目的purpose, These are the 構成要素 of a new way of doing things. Now some of you might look at this and say, "Hmm, 結構だけど、it's 夢物語." And I say, "Nope. I have 証拠."

The mid 1990s, Microsoft started an 百科事典encyclopedia called Encarta. They had deployed all the right インセンティブ. All the right incentives. They paid プロ to write and edit 何千という記事. たっぷり報酬をもらっている managers oversaw the whole thing to make sure it came in on budget and on time. 何年か後に another encyclopedia got started. 別なモデル, right? Do it for 楽しみ. No one gets paid a cent, or a Euro or a Yen. Do it because you 好き to do it.

ほんの10年前に, if you had gone to an 経済学者, anywhere, And said, "Hey, I've got 百科事典を作る2つのモデル. 対決したら, who would win?" 10 years ago you could not have found a single まともな経済学者 anywhere on planet Earth, who would have predicted the Wikipediaモデル.

This is the 大きな battle between these two approaches. This is モチベーションにおけるアリ vs フレージャー戦. Right? This is 伝説マニラ決戦. Alright? 内的な motivators versus 外的な motivators. Autonomy, mastery and purpose, versus アメとムチcarrot and sticks. And who wins? Intrinsic motivation, autonomy, mastery and purposeが ノックアウト勝利します.まとめましょう.

There is a 食い違い between what science knows and what business does. And here is what science knows. One: Those 20th century rewards, those motivators we think are a 当然 part of business, do work, but only in a surprisingly narrow band of circumstances. Two: Those if-then rewards often 損なう creativity. Three: The 秘訣 to high performance isn't rewards and punishments, but that 見えない intrinsic drive. The drive to do things 自分自身のため. The drive to do things それが重要なことだから.

And here's the best part. Here's the best part. We already know this. The science confirms what we know in our hearts. So, if we repair this mismatch between what science knows and what business does, If we bring our motivation, notions of motivation into the 21st century, if we get past this lazy, dangerous, ideology of carrots and sticks, we can strengthen our businesses, we can solve a lot of those candle problems, and maybe, maybe, maybe we can change the world. I rest my 立証。

2009-11-25

http://anond.hatelabo.jp/20091125195409

横ですが、元増田が作文できるほど日本語ができない可能性はありませんか。

増田英語に対応しているかどうかは知らないですが、

はてなは、英語でも利用できるので、私も海外にいた頃には英語版を使っていました。

追記

I myself never realized how much trouble I had when the other person was only capable of handling Japanese, although I am as good as a native after living here twenty years.

とあるので、日本語は不自由なく使えると判断していいのだろうか。

よく読んでみると、元増田の辛さや悲しみに溢れた文章のようだ。

私にアドバイスできるか分からないけれど、mixiにはバイリンガル外国人の人がいると思うので、そうした人に悩みを打ち明けてはどうでしょうか。

mixiにまだ入ってなくて、興味があるのでしたら、招待します。

hiya gypsy!

I'm Japanese, spend half of my life outside of Japan, and bilingual. There you go, one gypsy here!
I tried to write in English, but I make better sense in Japanese, so sorry for that.

前述の通り、私は日本人帰国子女で、加えて幸いにも家族には恵まれていて虐待にあったこともないし、摂食障害もない。(いじめはちょっとあったけど。)
だから、あなたが日本に長年住んできた外国の方だったら全然参考にならないかもしれないし、全然役に立たないかもしれない。でも、できることなら少しでも何か伝えられたらと思って書いています。

虐待etcを抜きにした、帰国子女の悩みの部分を箇条書きにするとこういうことだと思うんですが:
帰国子女/バイリンガルは背景に持つ文化が周囲と絶対に違う、自分固有のものになる
・同様に複数の文化を背景に持つ帰国子女等が相手でも、やはり違う文化を持っている  →他の人と比べて人間関係を築きにくくなると思う

多分、元増田さんはイマココ。そしてそう思ったところで、対応が分岐するんじゃないかなと。
1.他の、同じ文化を持つ人同士がすんなりと人間関係を築けると思うのは私たちfit inしない人間勝手幻想、みんな苦しいのに私たちは責任転嫁してるだけ。壁を作ってるのは私たちの方だと思う→2か3へ
2.現実がどうであれ、全く気にしない。帰国子女であることを楽しめる人はこのタイプですね
3.築きにくくなる。ただ、それはもう仕方ないことだから、自分社会から外れたところにあると意識したまま、せめて定住者/ジプシー問わず自分を受け入れてくれる人を探す

すみません、かなり強引にまとめましたが、多分こんなところだと思うんです。
選択肢4にそういう同文化の人同士の特別な関係はあって、帰国子女も頑張ればいつかそういう関係を築ける相手を見つけられる…というものや、選択肢5に一人で生きていく、などがあるんじゃないかという突っ込みが入りそうですが、私はないと思うので除きました。

私は今のところ3で生きていますが、私の性格の問題かもしれませんけれどやっぱりfit in、しませんね。それでもなんとなく一緒にいられる友達や、大事にしたい人たちはできました。
だからお前も頑張れ、というのは些か勝手な話かもしれません。押し付けがましいというか、一緒にするなって思われそうですね。なのでそういうことは言いませんが、応援しています、とだけ言わせてください。

最後に一言。増田に書く以上、日本語でも書いたほうが他のジプシーたち、英語圏以外にいた人たちにもよりよく伝わってよかったんじゃ…?と思いました。もったいないなーと。

http://anond.hatelabo.jp/20091125174702

2009-11-01

非モテティモテ

非モテネタが出てくると「ティモテ」と言い出す連中が昔から絶えることなくいる。

しかし、俺にはこれが全く理解できない。

だって、発音違うだろ?

非モテ」の発音は低-高-高だ。「非モテ」だ。

一方、「ティモテ」は高-低-低で「ティモテ」だ。

これのどこが似ているのだかさっぱりわからん

いや、もしかするとこう思うのは俺が関西出身だからか。東京弁(俗に言う標準語、だが標準語とは違うぞ)を含む関東弁の感覚では、ひょっとして「非モテ」は「モテ」と発音されるものなのか。

俺もガキの頃を含め通算10年以上東京に住んでいて、東京弁とは言わぬまでも標準語ネイティブレベルで使えるつもりなのだが。というかバイリンガルならぬバイダイアレクトのつもりなのだが。

よくわからん

2009-06-22

クールモテ男のラジオ

 NHK-FMを聞いていたら、リップスライムマンスリーDJとして番組をやっていた。今日パーソナリティはリョージとイルマリ

 イルマリって英語は話せるのかな?と思った。日本人的な意識しか感じない。バイリンガルなら、もっと攻撃的だったり本能的だったりするけど、すごく日本的にクール。声はセクシーだし、自然体だし、これならエビちゃんが惚れるのもわかる。

 そのとき、ふとエビちゃんラジオ聞いてるのかな、なに考えてるのかな?とか、空想してしまった。会いたいとか思ってるのかもしれない・・・

 とか考えて、エビちゃんもオ○ニーするのかなとか思ってしまった(笑)

 やってたって、おかしくはない、と、可能性について考え、一瞬、ものすごく興奮した。ありえないわけじゃない。可能性はそんなに低くない。

 別段ファンでもないのに、なぜ興奮したんだろうと考えてみると、普段、意識せずにモデルとしての完成された姿を見ているせいだろう。彼女にも卑猥なプライベートがあるかもしれないという、当たり前だけど突発的な発想に動揺したんだろうと思う。セックスしてるのは当たり前というか、なんとも思わないんだけど。

 興奮というか動揺はすぐ収まったけど。まあ実際には、エビちゃんオナニーなんてしてないし、するわけない(ということにした)。

 パーフェクトなカラダをした彼女が、結婚視野に交際しているなんて、急に俗っぽいことを言うからこんなことになったんだ。ま、結婚は間違いないでしょう。ファンでもないのにそんなんこと気になるなんて、広告の刷り込みって怖いなあ。

2009-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20090415005901

http://anond.hatelabo.jp/20090414170900

子どもが生まれると日本名前を付けるが、名前の知識が古いもんだから懐かしい名前が多いのも在日と似ているかも。

ドイツ人結婚したドイツ在住の日本人女性コラムで、娘(ドイツ語日本語バイリンガル)が日本留学に行ったら、やたらオジサンオバサン世代の中高年に日本語の言い回しを褒められた、という話を思い出した。

ドイツで生まれ育った娘は当然母親から日本語を学んだんだけど、母親日本語能力ドイツに引っ越す前の20年以上前ストップしてるから、古き良き日本語を慣れ親しんだ中高年世代には非常に受けがいいらしい。

2009-01-03

ハーフについて知ってほしいことをちょっと書いてみる

今や日本で生まれる子供の30人に1人がハーフという時代らしく、

その内「ハーフ」という言葉すらなくなるんじゃないかというくらい、ハーフというものが一般的になる時代が来るのかもしれないが、

良くも悪くも未だに世間的には偏見というか、思い込みみたいなものが多かったり、

悪気はないつもりでも、ハーフから見て凄く嫌な言葉なんかも結構あるので、ちょっと増田ハーフについて書いてみる。

とりあえず世間で、ハーフに関することで半ば常識みたいになっている事柄って、

とかそういう感じだと思う。

たまに「そんなの当然でしょ」とのたまうハーフ(笑)とでもいう方を見かるが、どちらも間違いと言って良い。

最近はウェンツのお陰で、ハーフバイリンガルは一般的にも浸透してきているが、ハーフ=美男美女説は曲者。

ハーフに美男美女が多いというのは、恐らくTV画面を通して見るハーフが、ベッキーやウェンツ、滝クリ加藤ローサ柚木ティナとかで、

逆に光浦とか岩尾みたいなのはTVに出てきたことがないから、なんとなくそう思ってしまうのも分かる。

うん、確かに滝クリ加藤ローサ美人。控えめに言っても嫁に欲しいくらいだ。

(因みに滝クリは知り合いの知り合いだったりする。会ったことは無いが)

雑誌モデルをやっているハーフも、大体が美男美女でスタイルも良い。

他にも今までの人生で言われてきたのが「ハーフって日本外国の血の良いとこどりでしょ」という台詞

さらりと笑顔で返しつつも、交配で良いとこどりが確実に起こるんなら、

今頃競馬場ではサラブレッドが時速300kmで走ってるだろうよ、と心の中で何度ツッコんだか分からない。


おれは日欧ハーフなのだが、幸いにして顔のバランスは悪くなかった。

というのも、両親がとんでもないイケメンと美女だったからだ。

おれがハーフかどうかというのは全く関係のないパラメータである。

逆に言うと両親と比べると、悲しいことにおれはそこまで目立って美男ではない。

良いとこどりは、贔屓目に言っても成功したとは言えないだろう。

結局、ハーフであろうがなかろうが、美男美女が生まれるかどうかというのは、

80%が両親のスペック次第だというのは否めない。というか、それが現実だ。

そして現実は厳しいのである。

実は某SNSハーフコミュニティがあるのだが、

そのコミュニティ主催オフ会(という名の飲み会)に参加すると、別に美男美女が多いという印象はない。

勿論可愛い子やイケメンはいるが、不細工な人もいる。そして当然圧倒的に多いのは、平均点付近。

これは渋谷を歩いていて美男美女、不細工な人間普通の顔立ち、それぞれの人を見かける確率、比率とそう変わらない。

信じられないくらい太っているやつもいれば、骨みたいなやつも、イヤなやつも、酒乱も、オタクっぽいやつもいる。

山本モナハーフ失敗作なんて話も聞いたことあるが、(違う意味でなら確かに失敗作かも知れないが)

そういった会に参加してみると山本モナでも平均点よりは大分上だということに気付く。

日本人女の子と比べて、山本モナが平均点より上なのと一緒である。

ハーフを2、300人くらい集めたところで、加藤ローサみたいな子はなかなかいない。

少なくともおれは出会ったことはない。

だから、顔の作りとしては平均的なのに、そういったハーフ=美男美女という先入観を持つ人から、

ハーフなのに可愛くないね」とか「イケメンじゃないハーフっているんだ」みたいなことを言われると、結構傷つくわけである。

人にもよると思うが、例えて言えば、子宮を無くした女性が「女なのに子供が産めないなんて」と言われるのと似たダメージだと思って良いと思う。

分かりやすく言うとメラゾーマくらい。

言い過ぎかもしれない。すみません。

しかし、そういう言葉を笑って返せるくらい、ハートに剛毛が生えてるやつはなかなかいない。

また、ハーフ=美男美女という先入観の賜物と言えば、「私ハーフが好きです!」という台詞が挙げられる。

寝転びながら見ているTVに写った、アイダホとかユタ州アメリカ人が「忍者が好きだ。忍者がいる日本は大好きだ!」と言っているのを見て、

屁をこきながら「現代の日本忍者なんかいねーよアホ」と笑う人は多いと思うが、

「私ハーフが好きです!」というワードは、結構それに似ている。

ただ、TVを通して見るアイダホの人と比べると、実際に面と向かって言われたりする分、ウケがよくない。というか、むしろ非常にウケが悪い。

おれのハーフの友人の誰に聞いてもそうだった。

ハーフが好き」な人間のことを、たいていのハーフは嫌うのである。

ハーフ好きな女の子と遊びまくってるやつもいるかもしれないが)





さて、まだまだ書きたいことはあるのだが、やらなきゃいけないことが山積なので、そろそろ筆を置きます。

コメントや、もしブクマが付いてもそのコメントはあまり見ないと思いますが、(ネガティブなのが付いてたら3日は立ち直れないので)

近いうちに続きを書くかもしれません。



追記:

改めて自分で読み返してみると何が言いたいのか、よく分からん感じですね。すみません。

(私個人を見て!ってことはそんなに言いたいわけじゃなく、どちらかというと、ハーフありがちな属性を全否定してみただけです)

コメントあまり見ないと書いておきながら、はてなーがあまりにも優しいので、嬉しくなってちょっと追記します。

おれ自身は自分ハーフだからどうだとかって思ったことは殆ど無いのだが、

友人の中には、他人から言われる言葉とかを凄く気にする人が意外に多かったりします。

所詮は人それぞれの感じ方なんだろうけど、ハーフの人がTVで活躍しているのを見る機会も増えたし、

自分ハーフなのもあり、折角だからちょっと増田で筆をとってみた次第です。

世の中の皆がはてなーみたいに優しいなら良いんですが、そうでもないことってあるみたいなので。


おれはもうちょっとで三十路突入するんだが、

その世代のハーフの人たち(ウエンツ前夜世代と勝手に呼んでる)は学校いじめられた経験って多い。自分もそう。

別に理由はいわゆる「差別」ではないと思うけど、次ハーフについて書く時は、恐らくそこらへんも書いてみます。


あと「ハーフ」っていう呼称が良くないって風潮もあるが、それも人それぞれ。

結局のところハーフって呼称が一番定着しているから、便利だし自分でも抵抗なく使ってる。

ハーフ」って言われると人格を半分否定されているって思うのは、ちょっと被害妄想気味っぽいかも。

そういうこと言うなら逆に「ダブル」ってのもおかしいだろと。「ミックス」だと犬みたいだし。

自分は「混血」とか「雑種」とかも抵抗ないけど、「雑種」って言葉が嫌いな人は多いかも。

難しいね。

ただ、そういうことで騒いでるのは、「ちび黒さんぼ」の場合と同じく大体当事者じゃなかったりもする。


またダラダラとまとまりなく書いてしまったが、とにかく最後まで読んでくれてありがとうございます。

続きを書くとしたら2週間後くらいかな?多分

はじめての増田だったので、緊張しました。


>>稲中

ごめん、稲中読んだことない。

あと、おれは上にも書いたように、呼び方にこだわらないです。

外人とか半外人とか言われても何も思わない。(会話の流れでは、逆においしいなと思っちゃう)

あと「ハーフが好きです!」ってのは男に多いかもしれないです。滝クリとかローサとか可愛い。ハーフじゃないけどスザンヌも可愛い。結婚したい!

でも、ハーフがみんな可愛いわけじゃないので。。

>>両親の馴れ初め

自分のことをあまり事細かに書いちゃうと、某会の人に誰かばれそうだったので自粛しました。(でも国際結婚で大恋愛ってイメージありますよね)

おれが日欧ハーフ欧州のどこかまで書かなかったのも、それが理由です。

ハーフ世界は狭い!

2008-11-15

バイリンガルじゃなくトランジショナル

故郷言葉を確実に忘れつつある。

2008-11-10

http://anond.hatelabo.jp/20081110025712

ま、占領されでもしない限り残るんじゃね?自国語で書かれた古典古文書アクセスが容易というのは人類的に見ても財産だし。

バイリンガルになろうぜ!って結論でおkな気も。ある層からは英語使えなきゃ話にならない時代であるというのは確かってだけで。

2008-11-08

梅田望夫「紹介・水村美苗日本語が亡びるとき』」の補足説明を試みる。

【要旨】

 梅田望夫さんが水村美苗日本語が亡びるとき』の紹介をしていた。ブックマーク数は多いのだが、梅田さんの紹介にやや舌足らずな点もあるからか、反応もいまひとつのような気がする。ただ、わたしも水村さんの論を読んで非常に感銘を受けたことはたしかなので、まずは、水村さんの議論の骨子を紹介してみることにした。ただし、わたしが読んだのは新潮9月号で発表されたものであり、ここで紹介することも本の第1章から3章までの議論にとどまる、という点をご海容頂きたい。

ここで紹介したのは水村さんの問題意識であり、この問題に対して水村さんがどのように思考を進めていくか、というメインの部分については実際に「新潮9月号や本をごらんいただきたいと思います(この一文追記)。

(追記2)梅田さんがこの本をどう見ているかについては、すでに8月時点でこの本の前身の論稿に触れられたエセーがすでにあるのでこれもご覧になるとよいかと思います。以下の記事のブックマーク数があまり多くなかったので補足しておきます。

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080823/trd0808230354002-n1.htm

【本文】(本文途中からお名前を「望田」さんと誤っている箇所があったので修正いたします。大変失礼いたしました。また指摘してくださった方に感謝いたします。)

水村美苗の新刊『日本語が亡びるとき』が梅田望夫さんのブログで紹介されていた

http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20081107/p1

 コメント欄ブックマークでのコメント欄では芳しい反応は少ないようで、梅田さんの議論とかみ合っていないし、梅田さんの高揚の理由がわからずポカンしているように見える。

 これはおそらく、水村美苗および梅田望夫の問題意識がちゃんと理解されていないからではないかと思う(その点で梅田さんの紹介が不十分ということはあるかと思う)。とはいっても、本書が梅田さんの心に響いた理由をわたしは想像できるし、わたし自身も「新潮9月号を読んでおもしろいと感じた。なので、以下で水村さんの議論を紹介したい。

 水村さんの議論、および望田梅田さんがインスパイアされた問題意識というのは、たとえば、英語公用語化論のようなレベルでの「日本語の危機」というようなものではない。すなわち、日本の「国語」としての日本語と、英米の「国語」としての英語とのパワーバランス等が問題とされているわけではないのだ。国語 vs 国語」という問題、ではないのだ。

 そうではなくて、水村の議論はこうである。

 水村の分け方によれば、言語には「普遍語―国語―現地語」の3レベルがある。

 中世では「普遍語」としてのラテン語および「現地語」(のちにフランス語ドイツ語になる言語)しか存在していなかった。

 近代国民国家の時代になると、(学術的な成果等の)「普遍的なこと」を語る言語として、「普遍語」の他に、「国語」(もと現地語)が登場した。この意味で「普遍語」の役割を果たす「国語」が複数あるというのが20世紀半ばまでの状況であった。

 しかし状況は変わった。世紀末から21世紀初めをみると、もともとは数ある「国語」の内の1つにすぎなかった英語が「普遍語」なろうとしている。それに伴い他の「国語」は「普遍語」の座を降ろされようとしている(例としてフランス語の衰退が挙げられる)、と言うのが水村の議論の骨子だ。

そういうことであるから、日本語が「現地語」として滅びるといっているのではなくて、普遍的なことを語る役割を担わされてきた近代国民国家の「国語」が、英語が新たな「普遍語」となることによって、変質をこうむる、という見通しを水村は述べているのである。 

 以上が水村さんの議論の紹介。

 このことからわかるように、望田梅田さんがこの本を読んで感動したというのは非常によくわかる気がする(追記;小飼弾さんが興奮するのもよくわかる気がするhttp://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51136258.html)。望田梅田さん自身をどのように考えているかは知らないが、わたしがこの本を読んで思ったのは、

日本という「現地」に帰属しつつ他方で「普遍的なもの」とつながっているという点では「外国人」のような存在、すなわち、「在地の普遍人」というでもいうべきメンタリティーを有している人間にとっては、今回の水村さんの本を読んで刺激を受けるのだろうな、ということだ。

 というわけでブクマコメント欄にあった、

英語日本語日常的に使用していることを前提に書評が進められている感じがする。日常的に日本語のみしか使ってない人にとっては「心の叫び」は届かないのでは

という反応などが、もうひとつの、ある意味で正しい反応だといえるのではないだろうか。

これも参照。http://anond.hatelabo.jp/20081111185728

【★追記。以上の議論から、文学においてはどんな問題が生ずるか。水村さんの見方はこうだったと思う。

 近代においては、国語国民国民文学という等式が存在し得た。国語普遍的な内容を記述できる言語であり、国民文学普遍的な内容を論ずることができるものであった。もっというと、

ローカル(現地)なことがらを普遍的なレベルでとりあげ記述することを可能にしたのが

近代国民国家における国語による国民文学

であった。

しかし、「国語」が「普遍語」としての地位から陥落しつつある21世紀初の状況を見ると、今後そのようなことは可能であろうか。

これが水村さんの問題意識である。

このような問題は翻訳論において繰り返し語られていて、水村さんもこれに言及している。】

【★さらに追記:

「別に日本語が『現地語』になるとして何か問題でも?」という反応に対して、水村さんの議論からはどのような応答があり得るだろうか、考えてみる。

「現地語」のみを読み「現地語」のみで語る、他のものには触れないし読まない。そうなると、文学が、そして、それによって表現される知性が、衰退する、という反応が出てくるのではないか。 

文学とは異なるが、このことの理解を助けるために、テレビ番組を例に挙げてみよう(わたしはテレビをじっくり見る習慣を持たなくなったので、これから書くテレビ番組の状況は、幸いなことに、誤っているかもしれませんが)。

テレビ番組低俗化していく、という説が挙げる例の一つに次のものがあるだろう。お笑い芸人テレビに出してそのトークで番組を構成する、そのトークの中身は(試聴者もそれを知っていることは前提とされているものの)芸人同士の内輪のからみや楽屋ネタのようなものであり、ネタとして完成された作品であることは少ない。

このような内輪のみに意識が向けられ、内輪のもののみに言及し、その範囲での閉じた連環が固定される。 

テレビの現状が本当にこのようなものであるかは知らないが、仮に、このような番組しか放送されていない世界になれば、テレビというメディアは衰退するという主張が現れておかしくはない。

日本語が、「普遍語」の役割を果たしうる「国語」であることをやめ「現地語」になってしまう、という水村さんらが表明される危機意識というのは、このようなものとして理解することができるのではないだろうか。

水村さんのインタビュー記事を読むと、

http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20081107bk01.htm

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20081107bk01.htm

中途半端国民バイリンガル化を求めるより、少数精鋭の二重言語者を育て、翻訳出版伝統を維持する。作文を書かせるより、古典たっぷり読ませる教育を積む。それが日本語生命を保つ現実的な方策

ここで「少数精鋭」でもよいので「翻訳出版伝統を維持する」ことが主張されているのは、上で述べたように、外に目を向けなくなることにより日本語および日本社会ローカルレベルへと自壊していくのを防がなければという問題意識を背景とした主張だと、わたしは理解した。】

 

2008-09-21

あんたの子どもダメにしたいのなら。

 ここを読んでるやつに、小さな子どもがいるやつがいるかどうかわかんないけど書く。

 あんたの大事な子どもは、こうすれば人間としてダメになる。簡単に。確実に。

 彼/彼女は、子どもの時だけでなく、成長してからもいろいろな事件を引き起こして(もしかしたら新聞に載るような大事件も)、あんたの期待に見事に応えてくれるよ。きっと。

あんたの子どもダメにしたいのなら、夜更かしさせればいい。

 こういう統計がある。

 夜10時以降に起きている幼児の割合の変化だ。

 1歳6か月の子どもの場合はこうなる。 

  1980年  25%

  1990年  38%

  2000年  55%

 出典:社団法人 日本小児保健協会「平成12年度 幼児健康度調査報告」

    http://plaza.umin.ac.jp/~jschild/book/report_2000.html

 夜遅くまで起きている1歳半の子どもは全体の半数を超えているんだよ。この調査から8年が経つ今では、もっと増えているだろう。

 で、幼児が夜更かしをするとどんなことになるか。

 小児科医の間では、こんな結果が報告されてる。

  ○昼間の情緒不安定

  ○遊びの経験不足

  ○自律神経が十分に機能しない(体温調節、内臓・免疫機能低下、食欲不振

  ○自閉的行動を誘発

  ○社会的知的能力への悪影響

 人間が成長するのに必要なホルモンってのは、眠ってる間に分泌されるらしいな。 

 あんたも子どもがかわいくて仕方ないのなら、残業が終わって家に帰ってから、夜遅くまで遊んでやるといいぜ。子ども情緒不安定かつ体調不良で、学習能力の劣った子どもに育ってくれるよ。

 参考:「親の夜更かし子に影響」(2005年4月30日 読売新聞

    http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20050430sr11.htm 

あんたの子どもダメにしたいのなら、TV・ビデオたっぷり見せればいい。

 今、育児雑誌を開くと必ず載っている広告はなにか知ってるか?

 乳幼児向けビデオ広告だ。「バイリンガルに育つ」「上手にしつけができる」「想像力が豊かになる」とかいうやつ。これがまた高いんだけどな。

 それから今は、「赤ちゃんが見る番組」ってのもTVで放送されてる。

 親ってのは、子どもにきちんと育ってほしいと思ってるもんだ。だから子育てに熱心な親ほど、高価なビデオを買ってまでして、たっぷり見せてやったり、赤ん坊向けのTV番組を毎日欠かさず見せたりするんだ。いい子に育ってほしい一心でな。

 生まれて6か月から小学校へ上がるまでの子どもメディア視聴時間は、一日平均で3時間49分という統計結果が出ている。2005年にベネッセ教育研究所の調査したものなんだけどな。

 そこにはこうしたTVやビデオを見せた時間も含まれてるんだろうな。

 で、そういう生活をしている子どもがどうなるか。「長時間視聴児の行動特徴」って研究結果が報告されてる。こんな内容だ。

  ○表情が乏しい

  ○気持が通わない

  ○友達関係が持てない

  ○他の子どもが近寄ると逃げる

  ○まねをして遊ぶことをしない

  ○遊びが限られている。

  ○自分から話しかけようとしない。

 出典:土谷みち子「子どもメディア乳幼児早期からのテレビビデオ接触の問題点と臨床的保育活動の有効性」(国立女性教育会館研究紀要 2001年5月)

 メディアからの一方通行情報だけを受け取って、実際の生活体験時間が少ないからこうなるんだろうな。いい子に育ってくれという親の願いが、見事に裏目に出るわけだ。

 そのほか、長時間視聴による慢性疲労の事例も報告されてる。便秘になったり、食欲がなくなったり、難治性の腹痛を発症したり、てなの。

 こうした結果を受けて、日本小児科学会は、「乳幼児テレビビデオ時間視聴は危険です」という提言をしてる。4年も前にな。下のリンク先だ。

  http://www.jpeds.or.jp/saisin.html#67

 でも、絶対、こういうのはTVのニュース番組ではとりあげられない。メディアを使って商売してるやつらが、自分たちに不利な情報を流すわけがないからな。実際、このときも取り上げられなかったって話だよ。

 俺の話はこれで終わりだ。

 あんたもせいぜいがんばってダメ子どもを育てて、日本社会をますますろくでもないものにしてくれよ。じゃあな。

2008-09-02

http://anond.hatelabo.jp/20080902204554

沖縄一国二制度

 http://www.dpj.or.jp/okinawavision/

 ビザの免除、キャンペーンの実施等による東アジアとの人的交流の促進

 香港上海台湾釜山などの東アジア各地との経済交流拠点とする。

 地域通貨の発行

 中国語などの学習を含め、沖縄の「マルチバイリンガル化」を促進する。

竹島、領有権の主張の明言無し

 P12の北方領土に関する記載と比較してみな

ちょっと追記

2008-03-02

英語コメントに書き込みするやつがなんか癇に障る。

ソースコードコメント英語の書き込みを見るとなんか嫌な気分になってしょうがない。

これは特に自分はできるプログラマだと思っている人間に多いと思うんだけど、ちゃんとした文章は日本語で書けるくせに、開発上のやりとりになると「わざわざ」英語を使って自分がバイリンガルであることをアピールする。なんで通常の文章で書けるように日本語を使ってコメントすることに抵抗があるんでしょうか。そういう優越感ゲームってコミュニケーションの妨げになることも多いと思うんだけどどうでしょうか。

書き込みを日本語で統一しろってのは英語の出来ない人間の傲慢だという意見もあるかもしれんけど、なんで一部のプログラマ英語での書き込みに固執するの?自分たちが特別だとでも思ってるんじゃないの?

2007-06-25

[タイトル]ゆとり教育はブッ飛んだ思想を持った少年少女を育成するためのプログラムだと期待していた。

ヤンキー先生とかオール1先生とかどーでもいいからやりたいことだけやらせろ、そういう教育をしてみろ。

それやる前にゆとり教育ダメだったとかいってんじゃねえよ。

なにがゆとりなんだよ、結局のところ学力は全国統一テストでしか計れないくせに。

個性がどうこう言うなら同じ教室で同じ時間を過ごさせるな。

規律を守らないやつを叱って何が個性だ。

数学が好きなやつに何で歴史を教えてるんだ、その時間で極限とかやらせてみろ。

外国語が好きなやつに何で生物を教えてるんだ、その時間でバイリンガルに仕立て上げろ。

平均化したどこにでもいるような人間より、突飛した才能を持ってる人間の方がはるかに面白いことは誰にでもわかるはずだ。

教育再生会議なんかどーでもいい。徹底したゆとり教育をしてみろ。

2007-06-04

http://anond.hatelabo.jp/20070604013130

釣りですか?

以下反論。

必修にするのは低学年からか、高学年からなのか。もし小学校入学時からの必修を想定しているならば、私は以下を問題視します。

1に関して、

母語習得の臨界期は小学生になる年齢では既に終わっているので、小学校での英語学習は第2外国語の習得と同じになる。

ゆえに、日本語の習得(特に語彙面)も未だままならない小学生に対し、あらたな概念の理解・記憶を促すのは負担にしかならない。よって、バイリンガルではなく母語も第2外国語中途半端にしか分からないセミリンガルが増えることが危惧される。

2に関して、

どの言語システマティックです。それとも受験英語学習システマティックと言いたいのですか。それだったら日本語の古文の受験勉強も十分システマティックに思われる。

3に関して、

語学は早いうちに学ぶ効果があがる学問であり」というのは本当ですか?根拠は?幼い方が習得がはやいという考え方は冒頭でも述べたとおり幻想です。

4に関して、

外国語学習を即国民意識(この単語がそもそも意味不明)に結びつけるところに飛躍が感じられるが、母語以外の言語を学ぶことで母語を客観的にみつめることはできるだろう。が、母語の習得がままならない状態での第2外国語の習得の危険性については冒頭でも述べたとおり。


片親が外国人だったり、外国で生活でもしていないかぎり、小学生はまず基礎的な日本語の読み書き能力をしっかりと習得すべきである。見直すべきは、中学以降の「受験英語」の方法論であり、小学校からの英語必修はそれを補うものではない。

2007-05-06

http://anond.hatelabo.jp/20070506105635

アメリカ英語しかはなせない人がたくさんいるとも聞くし、外国語を知らない人がいるのは日本に限った事でもないはず。日本人方言標準語バイリンガルがいる。ヨーロッパの隣同士の国の言語の違いより日本方言の違いのほうが大きかったりするし。

http://anond.hatelabo.jp/20070506110056

エスペラントとかあったけどほとんど普及してない。世界には文字すら書けず初等教育すら受けてない人もたくさん要るノン共通語なんて無理だろ。日本人に限らず母語以外を習ったからといって身につく人ばかりでもないし。

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