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はてなキーワード: 楽屋ネタとは

2023-10-28

ミリマスのアニメってこの後おもしろくなる?

アニメ化が発表された時から、今さら成長物語みたいな眠いシナリオだったら嫌だなぁと思ってたら、今のところ案の定懸念されてた糞アニメのものなんだけども。

ミリマスの魅力って頓狂なシナリオを丁寧なキャラ造形で押し通すとこにあるわけで、丁寧なシナリオで丁寧なキャラ造形やられてもかったるいねん。

たとえば1話2話は風雲まつり城で劇中劇にしてキャラ関係性を見せて3話で楽屋ネタにするとか、そういう感じでアホなシナリオをぶち込まないと面白くならんよ。

2022-01-10

大きい箱のVtuverって結局楽屋ネタの繰り返しだろ

楽屋が大きすぎるので分割しましょう。

まずバイオハザードのあのレーザーを用意します。で、ガワを64等分だか1024等分だかします。大丈夫だよ。アレは生きてないデータなんだから

次に声を分割。ハッシュして1024等分だ!

最後に魂。これは1024重人格になってもらうしかない。歴史証明してる。

これで楽屋も1024等分。

2021-07-11

ジャンププラスでやってたデッドプール漫画つまんなかったなー

しょーもないメタネタ楽屋ネタオンパレード90年代同人誌のようだった

あれがアメコミで1番面白いキャラとか嘘だろ

2021-01-26

冷笑的な反応が許容されなくなった

2ちゃんねるが隆盛していた頃、

インターネットでは特に、どこもかしこ現実問題や投げかけられた議題に対して冷淡で小ばかにするだけの言説が多くの支持を集めていた。

だが今はそうした反応をする人物は単に「問題対処する知性がない」と見られるのみになり、

世間から打ち捨てられるか手酷いバッシングを受けるようになった。

これは社会的問題だけでなく、掲示板SNSでのやりとりでもやはり皮肉屋で冷笑主義的な人間は知性がなく問題解決能力が低いと見られるようになり、見下され始めている。

こうなってしまったターニングポイントは三つ考えられる、

一つはリーマンショック二つ目東日本大震災。そして新型コロナウイルス流行

要するに厳しい現実に向き合わずレトリックで逃げ回る人間卑劣さが目立つようになってしまたから嫌われ始めたのだ。

たこうした流れによっていわゆる「楽屋ネタ」と呼ばれる芸やメタフィクションが廃れてしまった。

2020-07-24

落語を見よう

せっかくの4連休なのに外出自粛。どうやって過ごそう。そうお悩みのみんなに増田が勧めたいのが「落語」というコンテンツだ。

落語日本で生まれ育った人なら一度くらいは名前を聞いたことがあるだろう。何なら学校の授業の一環などで上野鈴本演芸場新宿末廣亭といった、いわゆる寄席に行ったことがある人もいるかもしれない。でも、「落語たことあるけどつまんないよ」というように思っている人も多いかもしれない。ぶっちゃけすべての落語家が面白いわけではないので半分はあたっているのだが、それで落語を聞かなくなるのはもったいない!このコロナ禍でいろいろな落語家が無料Youtube配信を行っている。どうせ30分もあれば一席見られるのだ、騙されたと思って見てみてはどうだろうか。

とはいえ、どんな落語家の配信を見ればいいのかわからない。そんなみなさんも多いだろう。そこで、いまYoutubeにあがっている配信の中で、増田おすすめしたい落語家の師匠方を何人か紹介してみたい。なお、「落語志ん朝談志!」というようなご通の皆様には恥ずかしいのでそっ閉じしてください。

春風亭一之輔

Youtube配信トップに持ってきたいのはやっぱり一之輔師。メディアへの露出も多いので見たことがある人もいるかもしれない。常に適当なことしか言わない(ように見せている)けど、とにかく面白いとはいえ大抜擢で真打ち(一人前の落語家の位)になっただけあり、芸は確か。落語ビギナーには一番オススメなのではないだろうか。https://www.youtube.com/channel/UC2ROW2uDlhb-9rXzY2tqV3Q から師の配信が見られる。今までの配信を見たらまる一日は楽しめるぞ。

柳家喬太郎

こちらも落語界の人気者。古典落語明治の頃くらいから伝わっている話)から新作落語自作の話)までこなすスーパープレイヤー楽屋ネタが混ざることもあるので初めての方には?となることもあるかもしれないが、それを差し引いても十分に楽しめるだろう。公式チャンネルはないけど、いくつか配信がある。例えば https://www.youtube.com/watch?v=Hi-Iyq9zU_E&t=10s とか。あと他の落語家さんもそうだけど名前検索するとたくさん違法アップロードが見つかるw

立川談笑

落語界の北朝鮮こと落語立川流の人気落語家。キラリと光るインテリぶりにははてな民もニッコリ。一門会(弟子と共同の落語会)があがっている模様:https://www.youtube.com/watch?v=YyXB5ABjV74 。しばしばあぶないネタをぶっこんでくることもあるが、公開配信ではそこまでヤバイことは言っていない…というわけでもない。

三遊亭白鳥

新作落語旗手三遊亭白鳥師も紹介しておこう。前座時代に唯一落語時点の携帯を許されていたとか、レジェンド古今亭志ん朝師匠の顔を知らなかったとか、「なんで落語家になった?!」というような数々の伝説を持つ噺家チャンネルこちhttps://www.youtube.com/user/3hakutyou古典落語は筋が決まってるわけだからやっぱり文脈依存の笑いになっちゃうこともあって初めてだとつまらないと思うこともあるかもしれないけど、新作落語は初めての方にも純粋な話芸として楽しめるんじゃないだろうか。

鈴本演芸場配信

最後に、寄席である鈴本演芸場がやっている配信の紹介。チャンネルhttps://www.youtube.com/channel/UCemgswArs0eSsjCv1HYdd6w こちら。配信に出ている芸人はどれも豪華なメンツばっかり。贅沢にBGM代わりに流してみたらどうだろうか。

2020-04-05

ぼやき酒屋」はもう古典落語として扱われていいのでは

ぼやき酒屋」は桂文枝(六代目)が桂三枝だった頃に演じていた創作落語である

噺の内容を知っている人は多分分かると思うが、内容は明らかに上方落語の一つである「上燗屋」を現代的にリファインしたものになっている。

「上燗屋」は酔客があの手この手の口八丁手八丁でもって只酒只飯にありつこうとするというのが笑いの肝であるのに対し、ぼやき酒屋の方は

お題通り酔客の「ほやき」そのものが笑いの肝である。ぼやく内容に楽屋ネタを織り込んでもいいし時事ネタも大いに使える。演者にとっても

客にとっても言わば「勝手の良い」ネタである個人的には思っている。

この「ぼやき酒屋」桂文枝(六代目)の創作落語である事は周知の事実であるので、文枝以外の噺家が演じるには、たとえどんな大師匠だろうと

桂文枝直々に稽古を付けて貰う」つまり伝授してもらう事が絶対条件としてあるらしい。これは上方落語だろうと江戸落語だろうと、どの

団体所属だろうと一切無関係である。「直々に稽古」と言っても内容は至って形式的で、

 

一、文枝師匠に直接会って御挨拶

二、文枝師匠に直接会って頭を下げて「直々に稽古」を付けて貰う事の許しを得る。

三、文枝師匠から快諾を受けて「直々に稽古」キットを授かる(大抵の場合、後日郵送でと思うけど、中身は口演DVDとか文枝の銘が入った公式台本、そして手拭い、みたいな感じだろう。)

四、文枝師匠に御礼状をしたためる。

 

以上の儀式を通過した噺家けがぼやき酒屋」の口演を許されている。これは桂文枝(六代目)が生存している限り継続される筈の、現在プロ落語家全てに課せられているしきたりである

 

妄想です。

2019-12-27

独断偏見で選ぶ2010年代ベストアニメ10

2010年代が終わるわけだが、2010年代アニメベスト10独断偏見で決めてみたくなった。ので増田に放流。

見てない作品は語れないので見た作品だけ挙げる。見た作品の数が少なくラインナップが偏っている結果チョイスが偏った点については先に謝っておく。また、順番は順位ではなく放映順である

魔法少女まどか☆マギカ』(2011年

長いゼロ年代の終わりを飾るというか10年代の始まりを告げるというか、とにかくエポックメイキング作品だった。紛れもなく一時代を画すアニメであり、こんなに議論が盛り上がって人々の印象に残ったのってマジでエヴァ以来なのではという衝撃があった。

Fate/Zero』(2011/2012年

2010年代にはFate/stay night [Unlimited Blade Works](2014/2015年)とFate/stay night [Heaven's Feel]』(2017, 2019年)がアニメ化され、さらにはFGOや『Fate/Apocrypha』に『ロード・エルメロイII世の事件簿』もアニメになり、いずれも素晴らしい出来だっただけにどれを入れようかすごい迷ったのだけれど、Fateシリーズに新しい客層を開拓したという点でZero存在感がなんだかんだで大きいかなと。切嗣重要台詞微妙原作改変でそれはどうなのかと思わなくもなかったがラストの桜ちゃん原作ではなくボツになった原案通りに作ってくれて素晴らしかったですね。人間オルガンちゃん再現されなかったのは残念だけど仕方ない。Heaven's Feelも本当に素晴らしかった……。何も言うことはない。俺たちの見たかった最高の桜ルートだ……。2010年代Fateアニメ化で盛り上がった10年だったと回顧できるだろう。セイバールートも作り直して。

おおかみこどもの雨と雪』(2012年

一作くらいは細田守を入れておいてもいいんじゃないかと思って挙げてみた。細田守はてなでは評判が微妙だが普通に『おおかみこども』は良い作品だと思うんだ。純粋家族愛物語として見ると違和感とかも出るのかもしれないけど、歪められた関係性も理想化された田舎も、すべては花の回想をもとにして雪が語ったことであって、花というある意味信頼できない語り手を通して見た世界なんだよね。加えて言うなら、花が雪より雨を構っていることに批判的な意見も多々見られ、それは雪から見ればそうなのだろうし実際にきょうだいより構われなかった思い出を持つ人にとっては良い気持ちはしないのだろうけれど、でも完璧人間でないと母親になってはならないか、といったら違うわけでしょう。母親欠点を持つひとりの人間だし、それでも母親なのだ、という話だと思いますよあれは。それらの偏愛や歪んだ世界像を卓越した映像美でくるんで提示してくるところに、細田守が色んなひとの神経をざわつかせる理由みたいなものがあるんじゃないのかな。

サカサマのパテマ』(2013年

アニメ映画を1つだけ挙げろ、と言われたらこれを推す。名作名作アンド名作。何を語ってもネタバレになりそうなので最高のSFアニメ映画だという当たり障りのないことしか言えない。ボーイミーツガールSFの傑作。いいから何も言わずに見やがれください。

SHIROBAKO』(2014/2015年

単純なアニメ業界楽屋ネタに留まら人間ドラマとしてしっかり作り込んでいてくれて良い作品だった。23話はみゃーもりにつられて泣いちゃうでしょ……。5人の歩く道は凸凹していて、正解はわからずに手探りで進んでいくしかなく、それでもアニメに関わりたいという意志を持って進んでいけば夢に手が届く。そういう話の筋としてはありふれた成長譚を細やかな人物造形と堅実な脚本で良いアニメにしてくれていた。「万策尽きたー!」「どんどんドーナツどーんといこう!」などのフレーズも印象に残る。ただアニメというフィルターを通してもなおアニメ業界ブラックさが滲み出ており「これは美談にしてはいけないやつでは」みたいな感もあって、アニメの放映スケジュールが狂うことがあちこちで頻発しているのを放映予定の変更とかで視聴者目線でも感じ取れるだけに複雑な気分である

放課後のプレアデス』(2015年

紛れもないジュヴナイルSFアニメの傑作。可愛らしい格好をした魔法少女たちが土星の輪に突入するとか太陽系外縁部を探査するとかブラックホールを反転させるとかのハードSF冒険を繰り広げるギャップがすごいし、荒唐無稽ファンタジイとリアル宇宙描写を融合させた映像美はアニメからこそ実現できるものだろう。ちょっと宇宙が出てくる魔法少女ものだと思って見始めたわけだけど土星の輪に穴を開けてエンジンを探し始めた辺りでガチSFをやろうとしてるんだと理解したし実際かなりSFだった。降着円盤温度まで考察されてるのすごくない……? そして根底には傷つきやすい繊細な心と他者を思いやる優しさが流れていて、映像の美しさと相まってリリカルさに心が洗われるような気持ちになる。放映終了後の喪失感は半端なかった。『サカサマのパテマ』と並ぶ2010年代SFアニメ金字塔ですわ。これが星雲賞を獲るべきだったのでは。

プリンセス・プリンシパル』(2017年

アクションのキレの良さ、百合描写の濃密さ、黒星紅白キャラの可愛さ、音楽テンポの良さ、細部の丁寧さ、どこをとっても娯楽アニメとして超一級の出来だったと言うほかない。特に5話の剣戟シーンはここ十年で一番の殺陣だと思う。梶浦由記オサレ音楽BGM美少女たちが流れるような作画チャンバラするの控えめに言って最高としか言えない。また「神は細部に宿る」を地で行くような作品であり、アンジェプリンセス手紙の遣り取りとか、脱出用の荷物に書かれた文字とか、さり気ない描写ひとつひとつに込められた情報量が半端なく、それによって世界観と百合に奥行きを持たせることに成功していた。アンプリ、いいよね……。劇場版むっちゃ楽しみ。

宇宙よりも遠い場所』(2018年

素晴らしい作品だった。2018年TVアニメ豊作の年でありゾンビランドサガ』『SSSS.GRIDMAN』などオリジナルの良作が次々と放映されたわけだが、なかでも別格だと思うのが『よりもい』。毎話毎話が最終回のごとき余韻を残し話ごとのメリハリも利いていて軽くシネマっすねという感じだったし、「先に行けって言われて先に行く薄情にはなりたくない!」「友達ってたぶんひらがな1文字だ!」などの印象に残る名台詞の数々は記憶に焼き付いて離れない。花田! 神回しか作れずに恥ずかしくないのか? 視聴者を泣かせて食うメシは美味いか? なかでも特筆すべきは12話で、まさか受信メールフォルダを映し出した画面に泣かされるなんて思ってもみなかったアニメ史に刻まれる名シーンですわ。

さよならの朝に約束の花をかざろう』(2018年

岡田麿里が本気を出してファンタジイをやったらなんかすごいのが出力されてきた。失ったものいつまでも抱いてしま妄執とか、恋と愛の区別あやふやになって煮えたぎる思いとか、無理やり連れ出されて見せられた世界の美しさとか、そういったドロドロした感情を叩き込んだ闇鍋から人は互いに織り上げあう物語であるというテーマを掬い上げて観客の前にどーんと呈示してくる素晴らしい映画作品。ただただ名作と言うほかない。15歳しか離れていない不老の種族美少女なお母さんに育てられたいだけの人生だった……

『天気の子』(2019年

君の名は。2016年)で俺たちの新海が一気に一般人にも知られるアニメ監督にのし上がってしまい、遠くに行っちゃったんだな……とゼロ年代に魂を囚われたオタクたちが訳知り顔でホロリとしていたところに投げ込まれた傑作。いや~原作PC版のクライマックスを忠実に再現してくれてましたね! 私は原作だと夏美ルートが好きで、彼女が晴れ渡った青空を見て浮かべる笑顔の爽やかさと、その青空意味を後続のルートで種明かしされて味わうことになる切なさがめちゃくちゃ印象に残ってるんですよね。でもやっぱりあの長編エロゲから1ルートを取り出して劇場アニメにするとなったら陽菜ルートになるのも納得がいくわけで(甲高い早口

……という感想を諸人こぞりて口にしはじめる辺り、完全にゼロ年代エロゲだったテン年代最後の年にゼロ年代を煮詰めたような要素てんこ盛りの作品を公開してしかもそこにセカイ系を力強く肯定するオチをつけるわけですよ。ゼロ年代の亡霊が昇華された感があり、なんというか新海誠すげえわ、一生ついてくわ。

2017-11-13

今人気の楽屋ネタ

楽屋ネタって最近少なくなっているような気がするけど、やっぱり受けが悪いんだろうか。

元々は楽屋であった出来事面白おかしネタにするというものだけど、内輪ネタとか身内ネタとも呼ばれ、わかる人にしかからないハイコンテクストネタ全般楽屋ネタと呼んでもいいだろう。

減っていると感じる一方で楽屋ネタに近いものが受け入れられているものも。

それがシンゴジラ

震災という文脈がなければ面白くないような気がするのであの映画楽屋ネタ一種だと考えている。

公開当時もテレビ放送の昨日でも大震災経験して記憶がある日本人が大部分なので、わかる人にはわかる楽屋ネタとは言い難いのだけど20年も経てばその頃の若者には通じない楽屋ネタになるわけで、舞台ラジオなどよりも1020年と残りやす映画の中では楽屋ネタに分類してもいいだろう。

シンゴジラ楽屋ネタになる頃、シンゴジラ面白さがわからないなんて!という老害と呼ばれる人が沢山出てきそうで心配

2017-05-16

誰が一般人芸人にしたのか

空気読んで」とかさ。

とんねるずダウンタウン以前は、楽屋ネタ一般人には分からなかったし、一般さんには「みんなの前で、おもしろくあらねばならない」「笑いの空気を壊すのは不粋である」なんて重苦しい暗黙の了解は無かったように思う。

テレビは本当に死んで。

2015-04-18

エロ同人に金を出すくせに本編で同じことやるとDVDを叩き割る

のと同じ理由艦これって炎上したなあ、そういえば

楽屋ネタを持ち出さないと芸ができなくなったテレビはクソだと思ってきたが

自分が作っているものをちゃんと把握できてる作り手ははじめから大して居やしないんだろうな

2011-10-25

エラ通信ってサブカル好きが好きそうな感じだよな()

http://matome.naver.jp/odai/2131942061654492601

最近Twitter上で話題になっていたエラ通信。

正直、やり方は面白いなと思った。興味があったのでセブンに行ってみることに。

実際にセブンに行って実物が出てきた時の感想は「ウッ未来」ではなく

ちょっとしたワクワクと「他の人が知らない面白いものを手に入れてやったぞ!」

といった気持ちだった。

自分で思っていて何だが、すこし気持ちわるい。

たぶんこの気持ちわるさは楽屋ネタを見たときの気持ちわるさなのではないかと思う。

ネットプリントといった誰でも利用出来るサービスには違いないが

実際はその存在認証コードを知らなければ利用できないという点がある。

そこに内輪的な気持ちわるさを感じる。

どうぞご自由にお持ち帰りください。ではないのだ。

でも、やっぱりこういう配信の仕方は新しいと思うし面白いと思う。

これから二番三番煎じがどんどん出てくるかも大学サークルとかで。

実際こういうのが流行って一番得するのはセブンイレブンなのかね?

だとしたらもっとセブンが「ネットプリントを利用すればこんな面白いことができますよ~仲間内で便利ですよ~」

とか宣伝したらいいのに。チャンスですよ!セブンイレブンさん!

2009-01-11

http://anond.hatelabo.jp/20090111211141

個人的には比較対象過去テレビ番組だと個人的には思ってるけど。

最近エンターテイメント系の番組を見てると

出演者の交友関係を元にした内輪ネタ楽屋ネタとかあるけど

昔の番組では今ほど頻出することがなかったように思うしあったとしても

年末年始の総集編、未放送集とかでしか見なかった覚えがある。

話は変わって元増田アニメ視聴率の話。

その中で

テレビ以外の娯楽がない

ってのを挙げてるけど個人的にはこの辺りが非常に興味をそそられる。

自分はそこらへんは全く知識がないのだけど

現代の日本ほど娯楽としての読書が否定されてないような気がするのでテレビ以外の娯楽がないとは思えないのだけど

(後、マニアックだがトランプを始めとするアナログゲーム?)

ただこれは、一家全員が本を読む趣味をもってないと

結局テレビ家族の共有できる団欒のツールだってことになるのだろうけど・・・

2008-11-08

梅田望夫「紹介・水村美苗日本語が亡びるとき』」の補足説明を試みる。

【要旨】

 梅田望夫さんが水村美苗日本語が亡びるとき』の紹介をしていた。ブックマーク数は多いのだが、梅田さんの紹介にやや舌足らずな点もあるからか、反応もいまひとつのような気がする。ただ、わたしも水村さんの論を読んで非常に感銘を受けたことはたしかなので、まずは、水村さんの議論の骨子を紹介してみることにした。ただし、わたしが読んだのは新潮9月号で発表されたものであり、ここで紹介することも本の第1章から3章までの議論にとどまる、という点をご海容頂きたい。

ここで紹介したのは水村さんの問題意識であり、この問題に対して水村さんがどのように思考を進めていくか、というメインの部分については実際に「新潮9月号や本をごらんいただきたいと思います(この一文追記)。

(追記2)梅田さんがこの本をどう見ているかについては、すでに8月時点でこの本の前身の論稿に触れられたエセーがすでにあるのでこれもご覧になるとよいかと思います。以下の記事のブックマーク数があまり多くなかったので補足しておきます。

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080823/trd0808230354002-n1.htm

【本文】(本文途中からお名前を「望田」さんと誤っている箇所があったので修正いたします。大変失礼いたしました。また指摘してくださった方に感謝いたします。)

水村美苗の新刊『日本語が亡びるとき』が梅田望夫さんのブログで紹介されていた

http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20081107/p1

 コメント欄ブックマークでのコメント欄では芳しい反応は少ないようで、梅田さんの議論とかみ合っていないし、梅田さんの高揚の理由がわからずポカンしているように見える。

 これはおそらく、水村美苗および梅田望夫の問題意識がちゃんと理解されていないからではないかと思う(その点で梅田さんの紹介が不十分ということはあるかと思う)。とはいっても、本書が梅田さんの心に響いた理由をわたしは想像できるし、わたし自身も「新潮9月号を読んでおもしろいと感じた。なので、以下で水村さんの議論を紹介したい。

 水村さんの議論、および望田梅田さんがインスパイアされた問題意識というのは、たとえば、英語公用語化論のようなレベルでの「日本語の危機」というようなものではない。すなわち、日本の「国語」としての日本語と、英米の「国語」としての英語とのパワーバランス等が問題とされているわけではないのだ。国語 vs 国語」という問題、ではないのだ。

 そうではなくて、水村の議論はこうである。

 水村の分け方によれば、言語には「普遍語―国語―現地語」の3レベルがある。

 中世では「普遍語」としてのラテン語および「現地語」(のちにフランス語ドイツ語になる言語)しか存在していなかった。

 近代国民国家の時代になると、(学術的な成果等の)「普遍的なこと」を語る言語として、「普遍語」の他に、「国語」(もと現地語)が登場した。この意味で「普遍語」の役割を果たす「国語」が複数あるというのが20世紀半ばまでの状況であった。

 しかし状況は変わった。世紀末から21世紀初めをみると、もともとは数ある「国語」の内の1つにすぎなかった英語が「普遍語」なろうとしている。それに伴い他の「国語」は「普遍語」の座を降ろされようとしている(例としてフランス語の衰退が挙げられる)、と言うのが水村の議論の骨子だ。

そういうことであるから、日本語が「現地語」として滅びるといっているのではなくて、普遍的なことを語る役割を担わされてきた近代国民国家の「国語」が、英語が新たな「普遍語」となることによって、変質をこうむる、という見通しを水村は述べているのである。 

 以上が水村さんの議論の紹介。

 このことからわかるように、望田梅田さんがこの本を読んで感動したというのは非常によくわかる気がする(追記;小飼弾さんが興奮するのもよくわかる気がするhttp://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51136258.html)。望田梅田さん自身をどのように考えているかは知らないが、わたしがこの本を読んで思ったのは、

日本という「現地」に帰属しつつ他方で「普遍的なもの」とつながっているという点では「外国人」のような存在、すなわち、「在地の普遍人」というでもいうべきメンタリティーを有している人間にとっては、今回の水村さんの本を読んで刺激を受けるのだろうな、ということだ。

 というわけでブクマコメント欄にあった、

英語日本語日常的に使用していることを前提に書評が進められている感じがする。日常的に日本語のみしか使ってない人にとっては「心の叫び」は届かないのでは

という反応などが、もうひとつの、ある意味で正しい反応だといえるのではないだろうか。

これも参照。http://anond.hatelabo.jp/20081111185728

【★追記。以上の議論から、文学においてはどんな問題が生ずるか。水村さんの見方はこうだったと思う。

 近代においては、国語国民国民文学という等式が存在し得た。国語普遍的な内容を記述できる言語であり、国民文学普遍的な内容を論ずることができるものであった。もっというと、

ローカル(現地)なことがらを普遍的なレベルでとりあげ記述することを可能にしたのが

近代国民国家における国語による国民文学

であった。

しかし、「国語」が「普遍語」としての地位から陥落しつつある21世紀初の状況を見ると、今後そのようなことは可能であろうか。

これが水村さんの問題意識である。

このような問題は翻訳論において繰り返し語られていて、水村さんもこれに言及している。】

【★さらに追記:

「別に日本語が『現地語』になるとして何か問題でも?」という反応に対して、水村さんの議論からはどのような応答があり得るだろうか、考えてみる。

「現地語」のみを読み「現地語」のみで語る、他のものには触れないし読まない。そうなると、文学が、そして、それによって表現される知性が、衰退する、という反応が出てくるのではないか。 

文学とは異なるが、このことの理解を助けるために、テレビ番組を例に挙げてみよう(わたしはテレビをじっくり見る習慣を持たなくなったので、これから書くテレビ番組の状況は、幸いなことに、誤っているかもしれませんが)。

テレビ番組低俗化していく、という説が挙げる例の一つに次のものがあるだろう。お笑い芸人テレビに出してそのトークで番組を構成する、そのトークの中身は(試聴者もそれを知っていることは前提とされているものの)芸人同士の内輪のからみや楽屋ネタのようなものであり、ネタとして完成された作品であることは少ない。

このような内輪のみに意識が向けられ、内輪のもののみに言及し、その範囲での閉じた連環が固定される。 

テレビの現状が本当にこのようなものであるかは知らないが、仮に、このような番組しか放送されていない世界になれば、テレビというメディアは衰退するという主張が現れておかしくはない。

日本語が、「普遍語」の役割を果たしうる「国語」であることをやめ「現地語」になってしまう、という水村さんらが表明される危機意識というのは、このようなものとして理解することができるのではないだろうか。

水村さんのインタビュー記事を読むと、

http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20081107bk01.htm

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20081107bk01.htm

中途半端国民バイリンガル化を求めるより、少数精鋭の二重言語者を育て、翻訳出版伝統を維持する。作文を書かせるより、古典たっぷり読ませる教育を積む。それが日本語生命を保つ現実的な方策

ここで「少数精鋭」でもよいので「翻訳出版伝統を維持する」ことが主張されているのは、上で述べたように、外に目を向けなくなることにより日本語および日本社会ローカルレベルへと自壊していくのを防がなければという問題意識を背景とした主張だと、わたしは理解した。】

 

 
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