はてなキーワード: 甲子園とは
AKBはCD買うほどはまってないけど、テレビで流れてれば見るし、ヘビーローテーションはカラオケで必ず歌う。あとYouTubeで検索してライブとかトーク番組とかドキュメンタリー見てると結構胸に迫る。
がんばってる女の子はやっぱりかわいいし、素直に応援したいなと思う。顔のパーツ寄っていると評判の前田さんも、ライブでキラキラ笑って踊っているのは十分かわいい。
AKBでよく言われるのは「がんばってる姿が良い」って意見。で、それを否定する「がんばってんのはお前らだけじゃねぇ」って意見や「ごり押しで売れてるだけ」って意見も多い。
たしかに寒空のストリートで歌ってる人だって、海外に渡ってダンスの修行してる人だって彼女たち以上にがんばってるのかもしれない。彼らだってスポンサーがつけば売れるかもしれない。実力があるのに運がないだけなのかもしれない。AKBの成功はごり押しのおかげかもしれない。
だからといって彼女たちの努力の価値が下がるわけではないと思う。
努力は必ず報われるわけじゃない。がんばれば優勝できるわけじゃない。甲子園に行けない学校もある。だけど私は努力が報われる姿を見たいと願ってしまう。世の中に少しくらい、努力が報われることがあったって良いじゃないかと。
そしてそんな願いを、たぶんあの女の子たちにも同じように託してる。
AKBは甲子園どころか弱小チームぐらいの力で、それがズッタズタのボロボロになりながら努力と団結と涙で乗り越えていこうとするんだから、スポコンだよね。応援したくなる。
あとK-POPも中々嫌われてるけど、政治的な話を抜きにすればそこまで酷くないと思う。
私はどちらかというと個性的な濃い目の顔が好きなので、韓流グループは見た目で区別できないんだけど(みんな薄味で似て見える)、踊りなどのパフォーマンスはやっぱり計算し尽くされてて魅力的だと思う。ショービジネスを極めようとするとこういう風になるのかなとか。
ドラマも、なんだかんだいって日本の少女マンガやハーレクインみたいな展開は王道にして正道に決まってる。それをまじめに丁寧に作るんだから、面白いにきまってる。かといって日本人がおんなじ演技をしたら暑苦しくて受けないと思う。あくまでも「外国人がやってる」ことがウケたんだろうなー。吹き替えとか字幕だと、暑苦しさも自然と受け止められるし、わざとらしいのも許される気がする。
なんか支離滅裂になったわー
逆に読者と紹介するもののギャップを埋めようとする意識がなかったり、フィクションだからといって無理のありすぎる展開を書いてるのは嫌い。小説としても二流。ビジネス書としても中途半端。そういう本は読者を舐めているとしか思えない。私は嫌いだ。
ディ○ニー本ってよく売れるしまとめとかでもホッテントリよく取ってるけど、だいたい「イイハナシダナー」で終わってしまうよね。ディ○ニーとか○ッツ○ールトン本はどうせ実践しないからといって過剰な賛美と徹底的な理想化がうざくて敬遠してしまう。そういうのはテレビでやれ。
「もしドラ」も顧客を観客にして、野球部をアイドルにするって方向性はすごく面白かった。あのまま突っ走ってくれたほうが面白かった。「弱小野球部がアイドルをやる。1年で甲子園にも出る。両方やらなきゃいけない所がマネジメントの辛いところだな」などという非現実的な目標設定をしたのはおかしいし、無理な目標設定と現実を「なぜか」でごまかした展開は物語としても心底興ざめだった。
それでも、部活っていう内向きなものを、自分とか部活のメンバーのためだけじゃなく、もっと広い目で見て何するか考えようよ、ぼくらの可能性はもっといっぱいあるよ、って最初の提言を見たときは感動したんだよね。
アメリカでは小学生の頃からディベートの授業があって、小さい頃から物事を論理的に考え批判的に見る訓練をしているらしい。
議論のテーマは子供のコミュニティ内での倫理道徳などではなく、具体的な環境問題や政治の問題。
自分で資料を集めて意見を論理的に構築し、クラス内で発表して批判を受ける。
ディベートはルールが体系化されていて勝ち負けを競う競技としてあって、高校では全国大会まであって、日本でいう甲子園のような盛り上がりらしい。
そりゃ学校でもプライベートでも「空気読んで思考停止」しがちな日本人は持ってかれますわ...
こんなまとめもありますよ。
福貫
2011年度ドラフト会議を鑑賞する巨人ファン(http://www.youtube.com/watch?v=J4fanzhZrBo)で一躍有名となったピアキャス配信者。
糞貫とは
決め台詞
沿革
1 名前:名無しさん[] 投稿日:08/04/01(火) 18:06:59 ID:2RwJz0c7
はじめまして^^
『配信者でよかったぁーーっ!』
理由は"デブな男は嫌い"とのこと
と福貫自身は語っていたが後にm9板ニュース速報スレで福貫の嘘が暴かれる。
346 伊藤かな恵 mail:sage 08/08/22(金) 20:35:46 ID:NVBCmxj3
ゆかまとピー太のスカイプ終了後
福貫がゆかまのスカイプに凸して
福貫がピー太と話しゆかま無視で会議通話乗っ取られる
ちなみに>>342は捏造
一緒にビールかけを試みるも放映権を持っているフジが中継せず朝日の報道ステーションまで待つ事に。
待たされている間にすっかり落ち着いた福貫は報ステでビールかけが中継されると同時に
自分も頭からビールをかけるがカメラの解像度が低いためリスナーにはよくわからないという体たらく。
あっというまに朝日の中継が打ち切られ、残されたビールまみれの福貫はジョッキ一杯のビールをかけて配信を締める。
パワプロ15 栄冠ナイン 目指せ甲子園 →甲子園優勝までやり続けると宣言したが、結局うやむや
マリカー →全コースのレコード更新を掲げるが、やはり結局うやむや
22時間を過ぎたところで、サライを流して配信を止めてしまい 24時間不達成
福貫、誠意とは何かね?
本物だったら次で抜けてくれというレス通りにNOBUOは次のレースの後去っていった。
始めは偽物と叩いていたがどう考えても本物でした本当にありがとうございます。
↓偶然にもNOBUOに勝った瞬間
チーズケーキと山盛りの雑炊を一人、黙々と食す
レス「お前本当に一人なんだな.....」
二つ合わせて約216万円の大勝利配信でピアキャスドリームを作る
デモでよかったなw
この可笑しな自信家を誰も止めない点から見て、リスナーは相当の精鋭の模様
しかし今のバイト先に迷惑をかけないように徐々にシフトを減らして辞めようとするが・・・
866 名前:福貫 ★[] 投稿日:09/01/28(水) 18:36:11
休憩中に携帯で書き込んでたんだよw
帰り際に株やりたいから減らして~的な事を伝えました
そんでありがたい事に、軽くお説教してもらいました
みんなもありがとね
しかし格ゲーの敷居はズブの素人にとってあまりに高く数日後に挫折転売
結果、糞アフィブログの持ち主、頃飯だけがおいしい汁を吸った
ネットヤクザ福貫『おいリスナーどもいいか?俺のとこのアフィ踏め』
その報告と今後の相談をするためにニートから正社員になった配信中の葉月さんにスカイプで凸
有馬記念から4ヶ月で福貫の人生をここまで転落させたリスナーは相当の精鋭の模様
つまり引退
つまり復活
福貫いわく、一日一巨人と徐々に進めていくということ
腹いせに箱○をサクリファイス
打開したもの
| PS2 | ようこそ ひつじ村 |
|---|---|
| Wii | 実況パワフルプロ野球15 栄冠ナイン編 |
| ドラゴンクエストソード | |
| Wii VC | 風来のシレン(テーブルマウンテン、掛け軸裏) |
| XBOX360 | Fable 2 |
| PS3 | ブレイドストーム、デモンズソウル、ゴミ箱、トマランナー |
挑戦中のもの
| FC | |
|---|---|
| PS2 | |
| wii | マリオカート |
| XBOX360 | |
| PS3 | Skate 2 |
| リアル | 巨人応援配信 |
挫折したもの
| FC | スーパーマリオブラザーズ、忍者龍剣伝 |
|---|---|
| PS2 | Persona3、ゴッド・ファーザー |
| テイルズ・オブ・ジ・アビス、デカボイス | |
| ジ・アニメ スーパーリミックス 巨人の星 | |
| 女神転生3ノクターンマニアクス | |
| wii | 悪魔城ドラキュラ |
| XBOX360 | あつまれ!ピニャータ2、天誅 千乱、 スターオーシャン4 |
| リアル | 24時間配信、オフ会、ダイエット、FX、女 |
| Wii | マリオカートWii | ディスクを粉砕 |
|---|---|---|
| 箱○ | Xbox360本体 ←new! | テーブルのペットボトルが倒れて水浸し |
996 名前:名無しのリスナーさん[sage] 投稿日:2008/06/13(金) 00:41:45 > > > > > ID:fG/.J2iY
5456-0318-0904
一応配信できます! ふくぬき
998 名前:名無しのリスナーさん[sage] 投稿日:2008/06/13(金) 00:48:39ID:sVX/XeWw
>>996
ごめん、もう枠いっぱいになっちゃった。
万が一出れない人がいたら変わりにでてもらう補欠あつかいでも良い?
その他
福貫家の華麗な一族
「ねぇぬんぬー、お金貸してぇ」
「兄じゃ、クリームパンやって!」
よくカレーを作るらしいが福貫いわくジャガイモばっかりで味もあんまりおいしくないらしい
配信環境
| CPU | Core2Duo E6550 |
|---|---|
| Memory | 2GByte |
| M/B | |
| VGA | GeForce 8300GS |
| Sound | |
| 回線 | 光 |
| ルーター | |
| キャプチャ | GV-MVP/RX3 |
| マイク | 1000円くらいのやつ |
| Webカメラ | |
| コントローラー |
WME設定
| 配信対象 | |
|---|---|
| オーディオコーデック | |
| オーディオ形式 | |
| ビデオコーデック | |
| ビデオビット レート | |
| ビデオサイズ | |
| フレームレート | |
| キーフレーム | |
| 画像の品質 | |
| バッファ サイズ |
>>実プレーでは野球部中高生(もちろん甲子園のトップ選手とかいうレベルじゃないその辺の子)にフルボッコにされるレベルでも名コーチ、という事例があるなら謝る。<<
「プレイ経験の公式な記録無し」の時点でそのレベル認定は悪魔の証明だよね。
でもプロじゃないけど島岡御大を名監督って言わない人知らないけど俺。
NFLなら現在最高のコーチとされるベリチックも3流大学での経験しかない。そしてこれはNFLのコーチではプレイ経験のある方。
えっそれの何がいけないの
いったいどうなっているのか
いったい、どうなっているのでしょう。
とても理解できません。
10年ほど社会部にいたので随分事件取材もやらされました。
その後もそんな事件ばかり取材しました。
その点では、大変わかりやすいのです。
ビデオテープで埋まった宮崎勤の部屋の映像を覚えている方も多いと思います。
実は、事件後あの部屋に初めて入ったのは私です。
なんと、まだ警察官も来ていなくて、
3-4人の他社の記者が彼の両親を取り囲んで話していました。
そのうち、だれかが彼の部屋を見せてほしい、と言ったところ、
彼の父親はどうぞ、どうぞ。
母屋から彼の部屋には幅30センチほどの板が通路代わりに渡されていました。
幅が狭いので一人ずつ渡ることになり、
で、私が一番になった、というわけです。
部屋に一歩入ったときのことは忘れられません。
窓がなくて薄暗く、
そんな部屋は見たことありません。
まさに「理解不能」でした。
おそらく、あの部屋の映像を覚えておられる方は、
あのビデオはみんな、アダルトとか盗撮とかロリータとかそんな類のものだと思っているのではないでしょうか。
実は違うのです。
その中に、おぞましい映像が入ったビデオも含まれていたのですが、
少なくともそれはごく一部だったのです。
については理由があります。
部屋の隅には、数十冊の雑誌の山がありました。
その中に「若奥様の生下着」という漫画が1冊ありました。
それで、あの雑誌の山が全部、さらにビデオもほとんどがそういう類のものだという、
ま、犯した犯罪からすれば、そのくらいは誤解されても仕方がないかもしれませんが、
そんなことを思い出しました。
これを思い出した。すぐ消されたけどな
さっき、イヤな夢を見て目が覚めた。
タクシーに乗っている。隣の上司が「おいそれやめろ」と自分の足元を指さした。
指の差した先を見ると、脱いだ革靴の上に靴下を履いた自分の足が乗っていた。
足が蒸れて我慢出来なくなったから自分はそのような状態なのだろう、と夢の中で自分は考える。
「どうしてです?」と上司に聞くと、「いいからやめろ」と上司は言う。
本当に理由が分からなかったので、やはり「どうしてです?」と上司に聞いた。そのうち上司は「辞表を出せ」と言った。
上司をよく見ると、自分が嫌いだった中学校の理科の教師の顔だった。
これはまずいことになったな、と思いつつ、一方でデジャブ感も感じていた。「すみませんでした」とあやまり、革靴を履く。上司は、「一旦会社に戻ったら、一緒に喫茶店に行こう」と言った。やれやれ、説教ですむのかな、微妙な線だな、と思いながら半覚醒状態に移行した。
半覚醒状態に移行後、夢分析の処理が自動的に走った。上司が中学校の理科の教師の顔をしていたのは、「イヤなやつ」の象徴としてだろうな、と思う。しかし、あのデジャブ感の正体はなんだろうか?最近感じた感覚だ。ああ、2ちゃんねるで自分の書き込みが叩かれた時の感覚か、と思う。しかし、なぜ似たような感覚を感じるのだ?と思ったところで、半覚醒状態から、深い考え事をしているような状態へ移行した。
思考がさらに進み、ようやく分かってきた。要するにこれが日本なのだ、と思う。もう使い古された指摘だが、一見、野放図の2ちゃんねるも実は「ハイコンテキスト」であり、相当高度に空気を読むことを要求される(そこで、増田とかあったよな、と思いだして、この文章を書いている訳である)。
炎上の正体とは何か?結局の所、「異物に対する文化的吐き出し行為」なのではないか。つまり、「違和に対する全方位からの猛烈な攻撃」というのは。なぜならば、日本は「和」であり、「違和」は日本ではないから。同化できないものは排除されるのだ。
では、「和」とは何か?日本的美意識でないかな、と思う。だから、「美しい日本」とか言いだしたウヨ系政治家は変なのだ。日本的美意識の基準を満たしていないと、日本であると認められない訳だから、二重定義のようなものだ。「『日本は四季が美しいと誇りに思う人』に納得がいかない」と主張していたサヨ系漫画家も変だが。日本的美意識、つまり、日本的価値基準は四季の影響が大きい訳だから、日本人から見れば、そりゃ、四季は美しいだろう。
日本人の根底は、合理的知性ではなく、美意識的感性なんだな、とつくづく思う。
見てくれに対する異常なこだわりにせよ、若者の汗で感動を作り出す甲子園にせよ、子供の時の自分はこれが正しいことなんだな、と思っていた。これらに対するアホじゃねーの?というアメリカ人的価値観なんて想像もつかなかった。最初に書いた夢のように、これに対して、思うことがない訳でもない。しかし、美の基準も時代によってまた変わる訳で、費用対効果の薄い努力をアホらしいと言えるような雰囲気になってきたのは良いことだと思う(まだまだそういう現場は多いけど)。もうちょっとでも良いから、「機能美」寄りに美的基準が変化すると、より日本は住みやすくなるんじゃないかな・・・。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110812/1313128129
話題になっていたので読んだ。非常に面白い。
私はもしドラを読んだ人間であり、その時にうすうすと感じてはいたのだが、やっぱり彼は天才だと思う。
そのため、読み取るのに非常に苦労する。
「勝手口」から入らなければならない人間といえば、御用聞きとか使用人とか出入りの業者とか、ある階層の人間が想像される。
しかも、そんな人間には不釣合な硬い表現「相違ない」を使っている。
外国語に翻訳するならばこのくらいの文量の説明が必要になるだろう。
私の探している家はたぶんこの家に違いない。しかし、どこから入っていいのか、私には分からない。
私は玄関から入れるような身分の人間ではないので、勝手口を探しているのだが、どうしてもそれが見つからない。
私はどうしたらいいのだろうか。
これはいささか特殊な例かもしれないが、これほどではないにせよ日本語はこのように文量の割には情報量が多い言語だ。
しかし、ハックルさんの文章は9800字を費やして語られることは
「本が売れてるんだからガタガタ文句抜かすな」「新作出すから読んでね」という2点だけである。圧倒的な情報量の少なさだ。
ただその一点を何度も何度も繰り返し描くのである。
しかも文章表現を変えたり、切り口を変えたり、といった回りくどいては使わない。
その文章からは、何度も同じ対象にノミを振り続ける彫刻家の執念のようなものを感じる。
しかし、たった一つのことを語るのにこれだけの文量を使っていたら、他の説明ができないのではないだろうか?
そのとおりである。
しかし、それは彼の文体の欠点では全くない。むしろこれこそが文章の特徴である。
「もしドラ」においては、普通だったら語られるであろうかなりの描写がバッサリと切り捨てられている。
1年しかない物語で甲子園を目指すという物語の中で、選手の育成についてはほぼ完全に省略される。
幽遊☆白書の魔界トーナメント編で蔵馬が6人の戦士をD級からA級に育成する過程が2ページで終了するのと同じ印象を受けた。
普通の人は、下手に短い文章で多くの情報を描くことができるものだからついつい自分でアレもコレも説明しようとしてしまう。
先にあげた幽遊白書の例でいえば、そのシーンの描写が必要だと考えるだろうか?
熱を込めて語るべき場所は、妥協なく語り尽くし、そうでない場所は大胆に省略する。
この大事なところと些事との見極め、そして文量配分のバランス感覚が、優等生な作家さんとはまるで違う。
これがハックルさんの文章の秘訣だと私は感じた。
しかし、慣れてくると、彼がいかに計算して文章を書いているかわかるはずだ。
こればっかりはハックルさんの熱い部分だけが前面に出ているブログの記事だけ読んでいてもわからない。
騙されたと思って彼の著書を読んでみて欲しい。
本当にキメラアント編の冨樫を読んでるような感触を味わえるから!
あ、ちなみに私が褒めているのは文章であってストーリーではないのでそこのところは混同しないようにしてください。
や、蛸壷屋さんだったらもっとコンパクトにより悲惨な物語を作れると思いますが。
まず、この物語は四十歳になって独身で救いようのない生活を送るみなみが高校時代を美化して描いたフィクションということにする。
事実としてあるのは、この物語がこの高校が甲子園にいったことだけだ。
事実。
みなみは確かに偶然手にした「マネジメント」にのめり込み、これに基づいて高校野球部を動かそうとした。
実際の主役は夕紀と文乃、そして監督だった。
人身掌握は夕紀が行い、詳細な練習・指導計画などは文乃が作成した。
みなみは他の部活との交流や奇抜な練習方法を思いついてはあれこれと提案したが、全く採用されなかった。
当然だ、実際に練習しているわけでもなく、思いついたことを計画性もなしに述べるだけのみなみと、
スポーツ理論に基づいた計画を提案してくれる文乃、どちらを優先するかなど考えるまでもないことだ。
その後もマネジメントとの出会いをきっかけに、夕紀や文乃、チームメートはどんどん成長していく。
しかし、彼女はおいてけぼり。それどころか空気の読めない言動が目立ち、いつからか邪魔者扱いされるようになる。
彼女はいつも部室の片隅でマネジメントを手に「私が一番マネジメントのことをよくわかってるんだ・・・」とつぶやく日々。
それでも幼なじみの夕紀は孤立しがちなみなみをかばい、チームに打ち解けるように色々手を尽くしてくれたが、
彼女は誰よりも夕紀に対して嫉妬していたから、いつも「あなたは何もマネジメントのことを理解していない」と批判するばかりだった。
文乃は自分が慕っている夕紀の友人ということで表向きはみなみのことを立てていたが、迷惑そうにしているのは明らかだった。
チームが地方大会の決勝で勝利し、インタビューの場で誇らしい発言をしている時も、彼女はベンチにすらいなかった。
彼女と優勝したチームとはもはやなんの関係もなかった。
それでも彼女は、彼らが優勝できたのはマネジメントの力であり、それはつまり私のおかげだ、と信じていた。
ねじれた関係は修復されることなく、高校卒業後、みなみは夕紀とも高校野球のメンバーとも疎遠になった。
二十九歳の時、OL生活につかれた彼女は小説家になろうと心に決めた。
彼女は、彼女の中で塗り替えられた記憶を元に物語をかきあげ、出版社に持ち込むが全く相手にされない。
断念。
三十三歳の時、夕紀が死んだことを連絡で知る。
葬式に参加して、彼女は高校卒業後もその人格によって多くの人に慕われ、幸せな人生を送っていた事を知る。
文乃との再会。文乃はベンチャー企業の重役として活躍していた。輝いていた。自分とは大違いだった。
屈辱。
気がついたら四十歳になっていた。
何度かお見合いもしたが、プライドの高さから断り続けている内に紹介すらなくなった。
お局として嫌われながら、会社にしがみついてい来る日々。こんなはずじゃなかった。
ある日、彼女は夢を見た。
ブログに書いた記事をきっかけに、出版社から声がかかり、いざ出版してみたらあれよあれよと三百万部本が売れていく彼女の栄光の姿を。
本来あるべき自分がそこにいた。ああそうだ、今までの悲惨な人生の方が夢だったんだ。これが本当の私なんだ。
遠くでベルのような音が鳴るのが聞こえたような気がした。
読まずにハックルさんを批判することは許さん。読んだ上で、この記述でハックルさんが言うような読みが可能であるかどうかを判断するべし。
私自身としては、みなみが変な子であることは認めるが、小説版の書店員さんの行為にはそれほどの過失がない、と擁護したい。
おそらく普通の人は、他に野球部にマネージャーというものがいれば、まずその人に聞いただろう。
しかし、なぜか彼女は目の前のマネージャーの活動を観察したり、彼女に質問したりするより本を読むことにした。
彼女が目の前の現実よりも本に書いてあることや理論、自分の頭のなかにある理想を重視する人物で有ることがよくわかる一文である。
ようするにみなみはちょっと変わった子なのだ。
そこで、家にあった広辞苑を引いてみた。すると、そこにはこうあった。
マネージャー【manager】 支配人。経営者。管理人。監督。
また、すぐ隣にはこんな言葉も載っていた。
これを読んで、みなみは「マネージャー」というものを「管理や経営をする人---つまりマネージメントをする人」だと理解した。
この時点で、みなみは「管理や経営をすること」だということを受け入れていることに注目。
普通ならここで、あれ「野球のマネージャーは?」とか「管理や経営ってどういうこと?野球と関係ないんじゃないの?」って思うかもしれないが、
彼女はなぜかこれだけ読んで「管理や経営をする人になろう」と納得できてしまうのだ。そういう子なんです。
で、肝心のシーン。
次に、今度は近所の大型書店に出かけていった。
そう、みなみはこういう聞き方をしたのだ。
なぜ彼女が野球部のマネージャをやってるんだ、とか甲子園に連れていきたいんだ、とか言わなかったかはわからない。
でも、書店員がこの質問に対してべつにプロのビビッとした感覚がなくても「マネジメント」を手渡すことにそれほど違和感はないだろう。
余計な説明はいらないところだ。別にハックルさんがマンガ版でやったように空想を働かせてもいいけども。
するとその若い女性店員は、一旦店の奥に引っ込むと、すぐに一冊の本を手にして戻ってきた。
「これなんかいかがでしょうか? これは『マネジャー』あるいは『マネジメント』について書かれた本の中で、最も有名なものです。世界で一番読まれた本ですね。
もう三十年以上も前に書かれたものなんですけど、今でも売れ続けているロングセラーです。これはその要点を抜き出した『エッセンシャル版』です。
何も聞かずに「マネジメント」の本を手渡すのは、ありだと思う。
だが、それはここでgdgdと説明することとの整合性が悪い。
ハックルさんがいうようにビビっと来たと主張するのなら余計な説明なしに「コレがいいと思います」でよかったはずだ。
こんだけ長々と説明するくらいなら、その前にもうちょっと相手の話を聞いても良かったはずだとやねうらおさんが思うのはむしろ自然な反応だと私は思うね。
(まあこう言えば、「書店員さんはビビッと来て何が何でもみなみに読んでもらおうと努力したのだ。それがプロの店員というものだ」とか返すんだろうけど。
もしそう返すなら、みなみは真剣味が足りなかったんですかって返したい。なんで自分の状況をもっとちゃんと伝えようとしないんですかってね。)
そこでみなみは、その本を手にとって見てみた。タイトルにはそのものズバリ「マネジメント」とあった。
著者はピーター・F・ドラッカーで、編訳者は上田惇生、出版社はダイヤモンド社となっていた。
そうして彼女は、中身も見ずにその本を買い求めた。値段は二千百円と少し高かったものの、世界で一番読まれた本というのが気に入った。
それに、あれこれ考えてもしょうがない---という思いもあった。
本を買ったみなみは、家に帰ると早速それを読み始めた。
繰り返しになるが、みなみはあまり深く考えない子、自分の思い込みで突っ走って周りを巻き込む子として描かれている。
その思い込みが間違っていても、痛い目を見ないとわからない子なのだ。
だから「なぜ中身も見ずに買ったのか」とか突っ込んではいけない。
ここでハックルさんが「みなみは運命を感じたんだ」とか色々説明したがるかもしれないが、読者としては「ああ、この子はアホの子なんだな」程度の認識で構わない。
そのほうがこの作品を楽しめる。 というかなんでも「経験とか勘とか運命」とかで説明てんじゃねーよハゲ。それは説明になってねーんだよ。
それでも、すぐに気持ちを切り替え、その先を読み始めた。
こういうのはよくない。
ところが、そうやって読み進めてみると、その本は意外に面白かった。
また、単に「企業経営」についてだけ書いてあるわけではないというのも次第にわかってきた。
そこには、企業を含めた「組織」の経営全般についてが書かれていた。
そして、それなら野球部にあてはまらないこともなかった。野球部も、広い意味での組織だった。
だから、組織の経営について知ることは、野球部の経営を知ることにもつながった。
それが分かって、みなみはホッとした。---この本も、全くのムダではなかったのだ
なぜみなみは「マネージャー」という単語さえ広辞苑で調べないとわからないのに
「組織」については、広辞苑を引かなくても理解できているのか。
違和感を感じるかもしれませんが、この部分は読者がちゃんと想像力を働かせてください。
そうしたことは抜きにしても、この本は面白かった。
みなみはそこに書かれていることを完全に理解できたわけではなかったが、何かとても重要な、だいじなことが書かれているというのは良くわかった。
言葉の一つひとつが、とても重く、とても貴重なものとして受け止められた。
それに魅了されたみなみは、夢中になって読み進めていった (続)
はい、参考にはなりました。ムダにはなりませんでした。
ではなぜみなみはこの本を参考にした後「野球のマネージャー」に関する本を買おうとしなかったのか。
その答えは実際に本を読んで確かめてみましょう。
うん、そうなんだ。すまない。「もしドラ」作者の次回作を期待して買ったと思うが、実はこっちのほうが先なんだ。
でも、この本を見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない 「ときめき」みたいなものを感じてくれたと思う。
そう思って、このあとがきを書いたんだ。 ついでに俺とこの小説の馴れ初めを聞いていってくれないか。
三十歳を目前にして小説家になりたいと強く願った僕は、まず手始めに四百字詰め原稿用紙にして六十枚ほどの習作を書こうと試みた。
六十枚とした理由は2つあって、
もう一つは、文藝春秋から出ている「Number」という雑誌で当時、スポーツノンフィクションの新人作家を発掘するコンクールが開かれていたのだが、応募規定が六十枚だったことである。
その時ぼくは、「Number」に掲載されているようなものを書きたいと思っていた。
といっても、スポーツノンフィクションを書きたかったのではない。
「Number」に掲載されている記事のようなテイストで、フィクションを書きたいと思っていたのだ。
なぜ「Number」テイストのフィクションを書きたかったのかといえば、その文体に惹かれていたからだ。
「Number」の文体には「Number文体」とでも呼べるような、ユニークな特徴があった。
簡潔でリーダビリティに富みながら、遠く特の修辞法や言い回しによって読者をワクワクさせるケレン味も兼ね備えていた。
それをフィクションに適用すれば、フィクションとノンフィクションの境目が曖昧になる虚実皮膜の魅力を小説に持たせられるのではないかと考えたのだ。
そうしてNumber文体で小説を書くことは決まったのだが、どうせなら内容や分量も「Number」に準拠したものにしようと考えた。
さらには、それを洒落で「Number」の新人賞に応募しようとまで考えたのだが、これは後述する理由で断念することになる。
ともかく、そういう狙いをもってぼくはその作品の準備をし、執筆に取り掛かった。
小説を書こうと思った僕は、自分が好きだった雑誌「Numbers」の文体を参考に執筆を開始することにした。
高校時代、ぼくは拠ん所ない事情から野球部のない学校に通っていたのだが、そこで野球をするには軟式の同好会へ入るしかなかった。
そのため、甲子園への道ははじめから閉ざされており、そのことが、甲子園出場が幼い頃からの夢だった僕にとっては身を引き裂かれるような痛恨事となっていた。
そのため、いつからか「今のこの状態から甲子園に行くにはどうすればいいか」と、その道筋を夢想するのが癖となった。
そのことを書こうと思ったのだ。
題材は、高校野球にすることにした。
書き始めに際し、僕はその夢想の道筋---則ち野球部のない高校が甲子園に出るまで---には、最低でもおよそ十年間の歳月がかかるだろうと見積もっていた。
だから最初は、その十年の歴史をあらかじめ設定してあった六十枚という分量の中で書ききろうとしたのである。
ところが、いざ書き始めてみると予想外のことが起こった。
その夢想を追憶するうちに、次から次へとさまざまなエピソードが思い浮かんで、筆が止まらなくなったのである。
おかげで、予定の六十枚にはあっという間に達したのだが、内容はというとまだ本の一年半分ほどしか書ききれていなかった。
そこでぼくは、方向転換を余儀なくされた。
分量を、当初の予定だった六十枚に納めることを諦め(同時に洒落でコンクールに応募するのも諦め)、この先何枚かかるか分からなかったが、とにかく十年を描き切るまで書き続けようと決めたのである。
そうして三ヵ月が経過した後、ぼくはとうとうそれを書き上げた。
「緻密に選手にクローズアップするNumberの文体」と「10年間の分量を原稿用紙60枚」。どっちもやらなくちゃいけないってのが小説家のツライところだな。
覚悟はできてるか、俺はできてる。
(中略)
とおもってたんだけど無理だった。ごめんてへぺろ☆(・ω<)
するとぼくは、その書き上がった現行に対し、不思議な感慨を抱いた。自分が書いたものであるにもかかわらず、自分のものとは思えなかったのだ。
いや正確に言うならば、その分を書いたのが自分だという実感はあった。しかしながら、そこに書かれている物語が自分が考えたものだとは思えなかったのである。
それはまるで、もとからこの世界に存在していたものであるかのようだった。
いや、もはやある種の「事実」のようであもあった。
ぼくのしたことは、その事実をテキストとして書き起こしたにすぎなかった。
つまり、まるでスポーツノンフィクションの作品を書いたような気持ちだったのである。
そのため僕は、書き方についてはともかく、内容については大きな自信を抱くこととなった。
なにしろ、自分が興味をいだいた事実を取材して書いたような気持ちだったから、誰が読んでも面白いだろうと信じて疑わなかったのである。
そうしてぼくは、これを世に出す算段を巡らせた。
しかし、そこではなんの答えを得ることも出来なかった。
いつまで経っても返事は来ず、そのまま数カ月が過ぎた。
そこで、今度は電話で問い合わせてみた。原稿を送付した出版社に対し、
原稿は届いているか、届いているなら読んでもらえたのか、読んでもらえたのならどんな感想だったのか---それらを聞こうとしたのである。
しかしながら、そこでも芳しい答えを得ることは出来なかった。
何人かの編集者は実際に応対してくれたし、一人は会って話をしてくれたが、しかしやっぱり、前向きな返答を引き出すことは出来なかった。
評価されなかった。
それから、ぼくの苦悩の日々が始まった。三年をかけて、さらに四作の小説を書き、小説家として世に出ることを試みた。
しかし、紆余曲折の末、ついに挫折するに至ったのだ。
その試みを諦めざるを得なくなり、おかげで、それらの作品が出版にいたることはついになかった。
落ち込んだ。
ただし、小説は勤めの傍らで書くつもりだった。
ぼくの敬愛するルソーやゴッホという画家は、絵は売れなかったがずっと描き続けた。
カフカや宮沢賢治も、生前は脚光をあびることはなかったが、死ぬまで書き続けた。
そういう存在に、ぼくもなろうとしたのだ。
立ち直った。
ところが、そんなぼくに青天の霹靂ともいえるできごとが、やがて訪れる。
処女作を書いてから十年後の二〇〇八年、ダイヤモンド社の編集者である加藤++さんから、小説の執筆依頼を受けたのだ。
そこで、ぼくの胸中にはさまざまな物思いが去来した。
思わぬ形で描き上げた処女作のこと、それからの三年間の苦労、さらにその後の勤め人としての生活---そうしたことがぐるぐると駆け巡った。
チャンスがキタ。
ところで真のアルファブロガーま○めさんはいなかったことになってるね
その時、ぼくは決意した。
この作品は、二百万部を越すベストセラーにしようと。
そうしなければ小説家としてのぼくの人生はいよいよ完全に閉ざされたものになってしまう。
あるいは、ぼくの書き上げた「エースの系譜」を含めた五篇の小説は、永久にその出版の機会を失われてしまう---そんな危機感を抱いたのだ。
チャンスに浮かれることなく気を引き締めた。
そうして書いたのが、「もしドラ」だった。
大ヒットした。
それから半年が経過した二〇一〇年五月、講談社のマンガ編集者である村松++さんから連絡を頂いた。
しかし、この時は既にコミック化に関しては別のオファーを頂いていたから、彼にはそれを断る旨を率直に伝えた。
その上で、無碍に断るにも失礼かと思い、何か別の形で貢献できることはできないかと考えた。
その時ふと脳裏をよぎったのは、十二年前の記憶だった。十二年前、あれほど強く世に出したいと願いながら、結局それが叶わず、今もパソコンのハードディスクの奥に眠ったままの、「エースの系譜」のことだった。
これを世に出すことはできないか---ぼくは、会いに来てくれた村松さんにプリントアウトした原稿を託すと、「もしご興味がおありなら、これをコミック化してもらうのはどうか」ということを打診した。
チャンスを活かしてヒットをものにしたら、さらにチャンスが広がった。
すると数カ月後、村松さんからぜひコミック化したいとの返事を頂いた。
それは、僕の積年の願いがかなった瞬間であり、嬉しかったのと同時にホッとさせられた出来事でもあった。
このままこの物語を眠らせておくのは、何よりこの物語に対して忍びないと思っていたからだ。
ところがその数カ月後、さらに思わぬご依頼を村松さんから頂く。それは、これを単にコミック化するだけではなく、小説としても世に出さないかというものだった。
村松さんが言うには「この小説はとても文学的なので、コミック化したときには、表現の特性の違いなどから、この文学的魅力がいくらか薄れてしまうことになる。しかしそれは非常にもったいない。この作品は、物語としての魅力もあるが、純粋に文学としてもとても魅力的だ。それを十全に表現できるのは岩崎さんの書いたこの原稿以外ない。だから、それをこのまま眠らせておきたくはない」とのことであった。
ついに、ぼくの願いは十三年越しにかなった。
そうして「エースの系譜」は、実に十三年という長い月日を経て、ついに世に出ることとなった。その小説版の編集には柴山++さんにあたっていただいた。村松++さんと柴山++さんのお二方には、大変お世話になった。この場を借りて、お礼を述べたい。ありがとうございます。
最後に、この本はぼくの幼なじみである+++++くんに贈るということを、ここに記したい。小学校一年生の時、クラスメイトだった+++++くんの家に遊びに行った折、そこで彼の持っていたマンガ「ドカベン」に出会ったぼくは、たちまちその虜となった。そのことが、後にぼくが野球にのめり込むきっかけにもなったし、マンガや創作活動に対する興味を抱くことのきっかけにもなった。これがなければ、ぼくは「もしドラ」や「エースの系譜」を書いていなかっただろう。++くんが、ぼくにこの物語を書く契機を与えてくれたのだ。++くん、ありがとう。
おもしろく読んだ。
一応フォローもしておくと、コンクール至上主義の人&団体もぜんぜん少なくないし、
そういうとこは下手なスポ根物よりも暑苦しいのは確か。
甲子園出場に命をかける球児がいるように、全国大会出場に命をかける奏者もいる。実力はおいといて(笑)
自分は手のケガで数日休んだら、同じパートの子に「たるんでるからだ」と説教されたことがあるよ(笑)
あ、自分は中高で吹奏楽のクラやってました。大学ではたまにオケでトラしてました。
じゃあオケ部は閉鎖的じゃないのか?合唱部は?サッカー部は?剣道部は?バスケ部は?
経験者や優秀者がでかい顔をするのも、伝統だからと妙なしきたりを固持するのも、
先日、高校の頃からの友人と食事をする機会があった。彼は体育会に所属する学生で高校の頃は優秀だったが大学では知への放棄をしてしまった残念な人である。その彼から珍しく食事を、ということだったので楽しみにしながらその日を待っていた。
と、ひとしきりお互いの近況報告が終わったあと彼は言った。彼は体育会に所属しているが、うちの大学にセミプロは存在しない。当然、彼の大学にも純然たるセミプロは存在しない。彼の疑問点はここにある。セミプロの場合、その体育会はひたすら勝つことを目的に活動すればいい。つまり、早慶に代表されるセミプロ集団に属する人間は(例えば野球部ならば)チームとしての実績を積み、その中で個人としてレギュラーの座を射止め活躍することにより、ドラフトで指名され晴れてプロ集団の仲間入りすることが目標であり同時に目的化される。つまり、常に就職活動をしているようなものなのである。しかし彼は違う。
彼は週に5~6日活動し、過酷な(ただしセミプロのそれと比べれば実に緩いであろう)練習を積み、筋トレに励み、より良いパフォーマンスができるような身体を作る。彼自身はチームの中では指折りのキープレーヤーである。主将候補筆頭でかつ1年生の時から出場している。彼がよく体育会に加入した理由を聞かれた時に答えていたのは「すぐに試合に出れる自信があったから」であった。とはいえ、彼のスキルは、セミプロも含めた場合、並以下である。彼の個人的なスキルは組織内の比較優位としては高いがとてもじゃないけれどプロにはなれない。
とまぁここまで詳しく語れるお前は何なんだと思った人もいるかもしれないが、それは当然のこと、ぼくは彼と高校の頃に同じ部活に所属していた同期なのである。これはかなり重要な事実であるが、ぼくも同じように比較優位があったので体育会加入はよくよく考えた結果、しなかったのだ。これが正しかったのかは別問題であるけれど。つまり、彼と同じように学部1年の頃、「セミプロ以外の体育会の存在意義」について悩みに悩んだ末に体育会に所属することなく大学生活を送ることを選んだだけの話であるが、体育会には体育会の論理で彼らは仲間にしようと誘ってきた。その話を彼にも同じようにした。セミプロ以外の体育会には最終目標がないじゃないか。
高校球児はみな甲子園を目指す。果たしてこれは本当なのであろうか。ルーキーズの様に、その先に待っているものがなければそれでもいいかもしれない。しかし、現実はそうではない。進学校の高校生は部活をやっていたとしても、当然その中には「受験勉強」を優先する人たちが一定数存在する。当然、受験勉強に精を出した方が、「比較優位」で彼らは部活に人生を注ぐよりもはるかに有益なものになるだろう。
同じように比較優位を考えるとセミプロ以外の場合、体育会に所属してそのスポーツに精を出すよりも、勉強に励んだり留学したり等々のそれ以外の活動に大学生活を費やすほうが有益なものとなるだろう。セミプロは全国から指定推薦などで才能ある選手を集めてくる。しかし旧帝大の様な国立大学はそういうわけにもいかない。受験勉強を勝ち抜いてきた人間が趣味としてスポーツをやるのならばやはり体育会ではなくてサークルでやればいい。ぼくははっきりと言った。
いや、口では「リーグ2部昇格を目標に活動...」とか言っているような奴らだってプロになれるとは思っていない。勝負事に負けることを意識して臨んでいる時点でクズだと言える。あの大学には勝てないな、とか、あの大学には負けるけど他で勝ちを拾おうとか。ではもう正直に、セミプロ以外の体育会に所属しているなら正直に言えばいいのに。
って。それがむしろ潔い。勉強することから逃げ、好奇心のままに自由な大学生活を送ることを犠牲にしてまで手にしたコネクションであり、「運動会」という肩書きなのだから必死になって守ればいい。守るために努力する。その身体を鍛えるのも組織内での評価を上げることととほぼ同義だ。やるなら徹底的にやれ。
「たしかに俺らはセミプロじゃない。けど、やってる以上は勝ちたい。すべて。」
と、彼は少し悲しそうな顔をしながら言った。そんな後ろ向きな努力をしているとは知らなかった。どうせやるなら勝つためにやるのが普通のような気もした。とはいえ就活を意識していないのも嘘ではなさそうだ。彼に限っての話だが。どう考えても好きなことを好きなだけやっているように見えるが組織全体としては違う。
彼らは新歓期に仲間を増やそうとするときに「うちはOBが強いから就職有利だよ」とか見当違いの勧誘をする。まだ大学に入学して数日しか経っていない、明るい未来しか見えていないフレッシュマンに対する誘い文句としてはエゲツないんじゃないか。まるで高校生が同じクラスの女の子を口説く時に、「うちのお父さん年収5,000万だから俺と付き合えば金持ち気分味わえるよ」とか言うようなもので、下品な上に、まるで自分たちの活動には価値がないかのような言い分である。正確に言えば価値がないのだろう。
当然、一つ目の理由は情報の非対称による格差である。簡単に言えば、新入生という情弱を騙して、雰囲気や勢いで仲間に入れてしまうその常套手段のことだ。往々にして体育会に勢いで入ってしまう人間に限って、やめる勇気がない。やめる勇気がないのだからやめられず続ける。そのうちどんどん体育会の論理が身体に染み付いていく。さらにやめられなくなる。そうして、やめようと思ってもサンクな部分に気を取られて続けることを選択してしまう。そして続ける。続ければ成果が出るのは間違いない。事実、運動会は就職に有利なのだ。
二つ目の理由は、これが複雑とも言えるけれど、組織内における優位性だ。高校の頃は公立高校で勉強ができた人間が一流大学に入ったら都内進学校や灘、ラ・サールのようなレベルの人間と勉強というフィールドで戦うことを(本能で?)避けてしまった結果として、自分の得意分野に所属するのというアレだ。体育会の序列は年功序列だが、その中にも実力主義な部分があると聞く。つまり、実力さえあれば試合に出れるし試合に出れれば活躍できてチームに貢献できる。チームに貢献する人間が劣悪な状態にされるはずもなく丁重なもてなしを受ける。それが実力主義な部分である。
しかしこの友人は違う。バンプオブチキンでもなければもしドラでもないが、圧倒的不利な状態で勝ちたいらしい。はて、どんな夢物語を考えているのか。しかし、人の夢を哂うことは許されない。ぼくは真剣に話を聞いていた。
「俺は勝ちたくてやってる。本気でセミプロに勝つための努力をしている。だけど周りはそうは思っていないらしくて温度差がある。練習中にサボっている奴もいる。そいつらにどうやって注意すればいいのかわからない。俺には注意する権利があるのかもわからない。そいつらの体育会の存在意義が俺のそれと違えばサボる自由があるのかもしれないじゃんか。」
間違いなくこういう人間がいる限り、周りからすれば迷惑だろう。なぜか。生きていく上で、本音と建前の使い分けは非常に重要だ。体育会に所属していることだって就職活動のためかもしれないけれど、やはり外受けが良いように「勝つため」と言うしかない。もちろん他の理由がないわけでもない。ぼくが体育会に所属している他の友人になぜ体育会に所属しているのか聞いてみたところ、次のような理由(建前)があった。「(そのスポーツを)本当に好きだから」「精神を鍛えられるから」「高校の先輩がいて逃げられなかった」「新歓でお世話になったから」「先輩がいい人だったから」「同期がいい人だったから」「酒の勢いで」。。。。。。中には建前にすらなっていないものもあるけれどそれはまた別の話だが、彼らがいかに物事を考えていないかがよくわかるような気もした。
しかしそれとはまた別の話である。セミプロ以外の体育会に存在意義はあるのだろうか。ぼくの立場は一貫して「勝てない体育会には存在意義がない。」というものなので、セミプロ以外の体育会には存在意義が一つしかないと思っている。そのスポーツが好きで大学でもやりたいのであればサークルに入ればいい。練習は緩いし拘束時間も少ない。サークルがないのであればクラブチームに入ればいい。野球で言えば、草野球チームだ。高校時代の友人とチームを作ってもいいだろうし、親の会社のチームに参加させてもらうのもいいだろう。
「勝ちたい」のであれば、セミプロに行けばいい。セミプロがない大学の場合は、再受験して早稲田や慶応に行けばいいだけの話である。別に体育会に所属しないからといって精神が鍛えられないわけでもないし高校の先輩がいようが強い意志さえあれば断ることはできる。新歓中にお世話になったからという理由で大学4年間を犠牲にするほど安い期間ではないだろうし、先輩がいい人なのは新歓中はどこに所属している人も自分たちのいいところしか見せないだろう。同期なんて概念を捨てて外に飛び出せばより多くの同世代がいるし酒の勢いってお前は未成年ではないのか?という話だ。
つまり、セミプロ以外の体育会の唯一にして最大の存在意義は「日本の就職活動で有利である」ということだ。要するに就職活動を4年間やっているようなものであって、体育会が就職活動で有利と言われるのはセミプロの存在があっての事であり、セミプロ以外はその恩恵に肖っているだけの存在とも言えるような気がする。
これだけ書いておいて言うがぼくは決して体育会をdisっているわけではない。が、ぼくは個人的にこのぼくが大好きな友人以外で、本当の意味で真剣に「体育会」を全うしている学生を知らないというだけだ。彼のような人が煙たがれるような体育会であればさっさと滅びるべきだしぼくは彼の姿勢に心底尊敬の念を抱いている。
Twitter上にいる体育会の学生をちらほら見るけれど、本質的に描く「体育会」像が違う。勝つつもりがない体育会の連中が一般に言う「意識高い学生」をしている状態に違和感を感じてやまないしそういう奴らをぼくは、体育会におけるフリーライダーと呼びたい。
体育会に所属している人、特にセミプロ以外の体育会に所属している学生はその辺をよく考えた方がいい気がする。人生は有限である。貴重な時間を体育会に費やしているのならば堂々と「就活に有利だからテキトーにやってるわ」と宣言するくらいの図々しさがあってもいいような気もするけれど。
特に大学に入学して3ヶ月ほど体育会でぬくぬくやっているキミへ。強い意志でやっているのではないならば、今すぐやめるべきだ。高学歴な人たちは尚更やめるべきだ。身体を鍛えるついでに頭を鍛えるのではなく、頭を鍛える気分転換程度でスポーツをやった方が楽しめるんじゃないか?
まとまってないけどこんなところで。
http://anond.hatelabo.jp/20110610111907
そういえば、もしドラでは「われわれの事業とは何か」という部分に焦点を絞って一点突破を目指している。
その代わりに以下のものがバッサリと切り捨てられている。具体的には
・マネジャーの定義とその検証。職務設計の方法や具体的な責任の内容
・目標の設定およびその検証 (=利益とのバランス、短期と長期のバランス、目標間のトレードオフ)
などのマネジメントの「検証機能」についてバッサリ切り捨ててますね。
徹底した手続き無視、徹底した代償の無視。徹底したマネジメントの無謬性への盲信。凄まじい物があります。
「マネジメント」においてドラッカーが最も強調しているのは「責任」であり、「マネジメントとは責任について語った書である」という本人による言もあります。
彼は保守主義を自認しており、マネジメントや「企業」という組織を中心にした社会を提唱したのも、すべて社会の破綻を防ぐためでした。
だからこそ、マネジメントのほとんどは、責任について語っているのです。「成果」は責任を果たし続けるための利益を獲得するための手段です。
責任が土台にあって、それを実現するためには継続的な利益が必要で、利益を上げ続けるためには、目的に基づいた成果を上げる必要があり、
成果をあげるためには・・・という思考を突き詰めていった先に出来上がったのが、ドラッカーのマネジメントです。
その土台部分を丸々掘り崩して、あたかも「成果を上げる手法」として「マネジメント」を語っても、根本がないのだから別物になります。
外堀も内堀もない大阪城で徳川家康と戦えと言われてるようなものです。
例えば本文中でマネジャーは成果を挙げさせるものであると言いながら、成果の判定は読者の前では示されないなど検証を一切行わない
事業やマネジャーの定義を文中で述べながら、その定義に従って部の目標やみなみの適格が問われることもない。
故に読者は、「引用されたマネジメントの文とみなみたちの行動のズレ」をもやもや感を抱えながら読み進めることになります。
ところが読者としては冒頭に出てくる「真摯さ」という言葉が強力すぎて、過程において異議を挟むことがはばかられる感じなのですね。真摯であればすべてOK?ほんとに?
みなみがどのように真摯かは作品中で全く語られませんが、ラノベのように、とりあえず真摯が大事なんだ、と受け入れて読んでいる読者としては
むしろみなみが「真摯」と真逆の方向に進んでいく様を見て、「真摯さとは一体・・・ウゴゴゴゴ」とゲシュタルト崩壊していきます。
百歩譲って、資質さえあればなんとかなる、としても、このみなみさんにはその「真摯さ」すらない。なのにチームが成功する。うちゅうのほうそくがみだれる。
この話は、マネジメントの物語ではなく、みなみプロデューサーによる「アイドルマスター男版」と思ったほうがいいです。
作品中でも野球そっちのけでボランティアとか、他のクラブとのコラボで構内の人気を集めるとか、そういうことばっかりやってます。
どうみても野球部出身のアイドルユニット育成物語です。ミツバチぶーんぶーんです。本当にありがとうございました。
こんなんでどうやって甲子園に?と思われるかもしれませんが全員星野美希くらい優秀なのでなんの問題ありません。 急に覚醒したので甲子園余裕でした。
細かいことは全部やたらと優秀な天才少女文乃と東大卒の監督がみなみの代わりに一晩でやってくれるので問題ありません。
実際に「マネジメント」を理解して実行しているのは、彼ら出会って主人公のみなみではありません。みなみはマネジャー(笑)でしかありません。
この小説は重病人の幼なじみや、優秀な文乃、監督などを有効に活用したみなみの「プロデュース能力」こそが見ものだと思います。
作者自身、2005年から2007年までのAKB48のプロデュースに関わった方で、プロデュースのノウハウを元にこの小説を書かれたのだと思いますからそのように読むほうが良いでしょう。
ありのままに起こったことを話すと、「アイドル活動やってたら甲子園に出場してた」何を言ってるのかわかねーと思うが俺もわからない。スポコンとか不条理とかそんなちゃちなもんじゃねぇ。はるかに恐ろしい物の片鱗を味わったぜ。という感じ。
あえていえば、夕紀ちゃんっていう主人公の友達のマネージャーが死ぬところは恐ろしかったですね。そこだけリアルで。
「禁呪「マネジメント」。チームを甲子園に連れて行く。ただし味方のマネージャーも一人死ぬ」という話だったのか。
とりあえず、なにか間違った契約によって絶対死ぬべき運命を背負った夕紀を救うために「1/100000000000のキス」でも始めたくなる話でした。
http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-2181.html
原作だけで終わっておけば、とにもかくにも
になってたと思うんだ。
ところが
もしドラの最大の強みはダイエットと違って必ずしも即時の成果による実証を求められないことだったと思う。
しかし、さすがに「もしドラ」なのってコケまくったら世間だってイカサマに気付く。
やっぱドラッカー読んでもだめじゃね?って感じになりつつある。
むしろドラッカーが駄目なんじゃね、くらいまで来てるかもしれない。
とにかく何かやればやるほど周りの視線が冷たくなっていって
それを何とかしようとまた必死で頑張っているであろう関係者の姿が
それにしても、こんなに早くブーム食いつぶした例も珍しいと思う。
どうしてここまでひどい失敗をやらかすことができたのか逆に関心が出てくるくらいだ。
多分、作者以外の全員が、この作品を見て、この作品の何が良いのか全く理解できなかったのだろう。
何が良いのか全く理解出来ない。というか何を伝えたいかすらわからない。
でも売れたんだから、何かが求められてるんだろう、とみんなで自己催眠をかけながら、よくわからないものをよくわからないまま作る。
それってどんな気持ちだったんだろう。