はてなキーワード: フルーツパーラーとは
スイーツバイキングの店探していこうとしたら男性だけはダメって言われ、
今はそれから少し緩和されて、ディナータイムは行けるようになったと聞いたが、
俺が行った時はまだ無かったと思う
そうだよ。ある種馬鹿にされて
「そう、こんな性別でスイーツ店への入店を区別するのは馬鹿なんです」
って言って欲しいんだよ。
あと店前には「女性の方は高野フルーツパーラーへどうぞ。そちらは男性禁止です」
と書いて欲しい。
たくさんのよそ者の想いは時代が立つと全く赤の他人の想いで上書きされていく
毎回スプレーで塗りつぶされるたびに落書きの元になる変えられない壁に手を置きながら「ここに人の想いが集まってる」と呟く
地方とは比べ物にならない速度で真理とは程遠い落書きが重ねられてるだけ
何のメッセージ性もない壁をみて勝手に納得した顔してカメラに顔向けて編集で良いこと言った感を出したい
そんなところにノスタルジーを抱えるしかアイデンティティを保てない出稼ぎ労働者である関東人が哀れで仕方ない
それに薄々気づいているのに喪失感を穴埋めするために有りもしない東京の温かさを捏造するな
お前らには何もない
人が死にかけても助けないのが東京だしそれが経済都市・東京に唯一必要な文化だろうが
まだ「東京のフルーツパーラーさいこー!東京の文化さいこー!」とかなら納得したが
母親が若いころから仲良くしていた女性は、いつも誰かの愛人であることで生計を立てていた女性だった。
40年以上前から整形にエステに、と今の美魔女(笑)もビックリの努力を重ねていた。
実際、まったく年に見えなかった。
そりゃそうだ、美しくないと、相手に飽きられて、捨てられて、路頭に迷うからだ。
わたしが生まれて、わたしより何歳か上の彼女の娘とよく遊んでいたときは、ある医療関係者とちゃんと結婚していたが、覚えている限りちゃんと婚姻関係を結んでいたのはそれだけだ。
わたしのいえの何駅か先に開業していて、4階建ての豪邸(一階は病院)で、家具はすべて日本じゃ見たこともないようなすばらしいものだった。
料理もとても上手で、美しい母親、子供たち、医者の父親、とすべてが素晴らしく見えた。
だが、子供は一番上の子はたしか父親が違うのだけれども、兄弟みなグレるか歪んでいた。
わたしが仲良くしていた少し年上の少女は、早熟であったためか精神を病んでしまい、不登校になった。
わたしが中学生ぐらいになるころ、彼女たちは引っ越した。離婚したのだ。
引っ越した後、すぐに後釜の既婚者の金持ちを捕まえ都内の1フロアに一部屋しかないようなマンションに家族と、その金持ちと住んでいた。
遊びに行ったら、すごくおしゃれだったので今でも覚えている。
中学生だから込み入った事情は知らなかったし知ろうともしなかったが、その金持ちは奥さんと愛人の間を交互に行き来し、それを奥さんも容認していたようだった。
少し年上の少女は、学校になじめず、弓道と油絵とヴァイオリンを習っていたようだった。
一緒に銀座三越に行って、いろいろきれいなものを一緒に見て回って、少女が化粧品を買って、千疋屋でフルーツパーラーを食べて帰ったのを覚えている。
その時のわたしは一切意識していなかったが、そのお金も金持ちからいただいていたものなのだろう。
母親は、学が無いながらも、自分で商売をおこし、わたしたち兄弟を立派に育ててくれた。
愛人の彼女は、今はまた違う金持ちの愛人として生きている、らしい。3年に一回ぐらいは母親のところに電話が来るそうだ。
それぞれが、それぞれの思うように生きればいいと思う。
不登校になって、そのあと専門学校に入りなおした愛人の彼女の娘のことだけはいまだに思い出す。どうしているだろうか。
ただ、わたしは愛人の彼女のような生き方は不可能だなぁと平凡な顔と体型を見ながら思う。
最初に結婚した医者の元旦那さんがTVに出ているのを見て、久しぶりに思い出したので。
もう、これからの人生であのレベルの金持ちとけっこう密接に付き合うことなんかなかなかないだろうなぁ。
いろいろいい体験をさせていただいた。