真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
個人が唱える論が執拗であったり感情的であったりするときに、揶揄的な意味合いで使われることが多いな。
これにはいくつかの説がある。
定説は、「人間は身内を殺されたりするほどの背景や動機がなければ、そこまで執拗だったり情熱的になれない」とする説だ。
もちろん、冷静に考えれば必ずしもそうではない。
だが受け手にしてみれば、その人間が「なぜそのような言動を?」というのを納得するアンサーとして“物語”が必要なんだ。
虚実がどうあれ、他人を理解する手法としてコストパフォーマンスに優れているからな。
では、なぜその理由が「親が殺されたのか」というと古今東西、物語において主人公の親の死亡率は高かったのさ。
そうやって物語に触れてきた人たちにとって、動機や背景として「親が殺された」というのは分かりやすかったんだ。
……そうか、無神経なことを聞いてしまったようだな。
先週末親戚が夫婦で家を空けないといけない用事ができてうちで一日子供を預かることになった。
その子とは赤ちゃんの時からよく遊んでたんで別に全然嫌じゃなかったしむしろ楽しみなくらいで一緒に一日遊びに連れて行った。
そんでお昼にちょっと奮発してファミレスとかじゃないちょっといい店に入って、見栄もあって「好きなもの頼んでいいよ」って言ってみた。
そしたらいろいろメニュー見てから安い単品メニューを選んだんで「もっといいの頼んでいいよ。なんならデザートも」とか言うんだけど、本当にそれがいいからと言ってきかない。
自分が同じ年令だった頃やっぱり同じように親戚のところに一時的にお世話になった経験があって、そこで同じように好きなように頼んでいいと言われたときにはきょうだい3人で普段両親と来た時には絶対ダメっていわれる高いメニューとか頼んだのを思い出した。
その時には両親があとで預けた親戚の家に平謝りに行ったなんてことを大人になってから聞いた。
私ときょうだいが図々しかったといえばそうなんだろうけど、小学4年生ってそんな大人に気を使う年だったっけって少し思ってしまった。
結局「お父さんとお母さんには内緒にしてていいから、本当に好きなの頼んで」と言って最初に選んだのよりも少し豪華なランチをごちそうしたんだけど、なんか時代を感じて別れてからしんみりしてしまった。
はぁ〜(深いため息
https://www.youtube.com/watch?v=TDgOFsH8PZo
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読み終わって感想聞くとクソ面白かったって言うし、多分嘘じゃないんだろうけど
真顔で読んでるのに楽しいか?
俺は面白かったら表情緩んだり声出して笑ったりするし、そうじゃないと面白くないけど、そうでもない人もいるのか?他人ってわからんな
そういう時は、ニヤニヤして「何を言って欲しいのかは察してるけど言わないよ」オーラを出して、
「ふーん困ったねー。じゃあ今年はみんなで家にいるしかないねー、イヤハヤ」
とかザーとらしく悲嘆に暮れてやれ。
食い下がってきたら「でもお金ないんじゃしょうがないよねー。しかしそこまでお金ないなんて思わなかったよー。家計簿見せて。つけてないなら銀行とクレジットカードの履歴でいいからさー」とか徹底的にいたぶる。
っつーか、マネーフォワード使えマネーフォワード。
「これをやれば、終わった後に1,000万円現金でもらえます」
という妄想するとやる気が出る。
例えば
妄想「この床に散らばってるお菓子の食いかけの袋、出しっぱなしの服 を片付ければ1,000万円!」
俺「なにぃ!こんなんおちゃのこさいさい!ただ拾うだけじゃん。」
妄想「次の訪問予定先は うちの会社超アンチで嫌味しか言ってこない A社 ○○所長です!
しかも君が作った提案資料は昨日の一夜漬けで穴だらけ!絶対○○所長に突っ込まれるぞー!
でも、、そのA社訪問が終わったら、、現金で1,000万円あげちゃう!!!」
俺 「まあ、、どっちみち行かないわけにはいかないし、、
1,000万円もらえるなら○○所長に嫌味言われるくらい大した事ないな。
それがねえ、人を採る側になってみると今いるやつよりもっといいやつが探せば来るはずって欲目が出てくるんですよ。
中途半端に才能のあるいい人材が来ちゃった経験があるとなおさらね。
今いる人の良さを見るよりも悪いとこ見つけて、「今度はこういう悪いとこがないやつで探そう」とか思うのが採用する人の気持ち。
私が上手く行っているときというのは、運が良いか、あるいは周囲に助けられている。
運が悪かったり、あるいは周囲の助けが無くなったとき、私はうまくいかなくなる。
当たり前のことなのに、今まで何度も失敗している。上手く行っているのは私が優秀だからではないのに、たまたま上手く行ったりすると、すぐにこの事実を忘れそうになる。そして失敗する。
私は無能なのだ。上手く行っているのは運が良いか、あるいは周囲に助けられているからなのだ。それは特別なことであって普通ではない。
私は無能なのだから、自分の能力だと勘違いして自信をつけないことだ。騙された人々は、二度と私のことを助けなくなってしまうだろう。
【いつもの技】
(夕食後)
夫「いいよー。」
(就寝前)
私「お米だいじょうぶ?できないなら私やるけど…。」
夫「だいじょうぶだいじょうぶー。」
(翌朝)
私「お米炊けてない…。」
【新しい技】
(夕食後)
私「お鍋とかちょっと残ってるの洗ってくれる?」
夫「いいよー。」
(入浴前)
夫「ふふっ」(漫画を読んでいる)
夫「いいよいいよ、やるよ。」(私からスポンジを奪う)
(入浴後)
夫「ふふっ」(漫画を読んでいる)
私(鍋1個だけ洗ってある…)←NEW!!
私「やらないなら、私がやろうとするの止めないでよ…。」
(以下けんか)
ちょっとならいいかなと思って、左手で手をつないでみようとしたら、
「やめてよ、触らないで。」
と怒られた。
で、その後、
「ここなら触っていいよ。」
人を出さないことが大切。
人手不足状態にあるから、人を採ることはもちろん重要だがそれ以上に人を出さないことが大切である。
言い分はよくわかった
言い分に道理があることもわかったし
書きにくいことをよく書いてくれたと思う
そして匿名掲示板があって本当によかった