はてなキーワード: 賛否両論とは
元増田は場の空気を読んで、てきとーに合わせることはできるわけだ。
それは十分すばらしいことだよ。
いつでも・なにが何でもオリジナルな意見を表明しなければいけないって事はないんじゃないかな。
似たよーな状況なら、誰でも似たよーなこと言うモンだよ。
もし、それを「いや、俺は俺の言葉で語らなきゃいけない!」と思いこんでるなら、
肩の力を抜いた方が、楽になれると思う。
また、「何が何でも意見を言わなきゃいけない」って思ってるなら、
それもやめたほうがいいと思う。
他の人にとっては一言いいたい出来事でも、増田にとってはどうでもいいってことは、いくらでもある。
というのを踏まえた上で。
映画でも小説でもいいから古今東西の100作品くらい触れてみて、
ブログなり増田なり2ちゃんのスレ行くなりして、感想書いてみたら?
ひとつの作品を体験しただけだと、その作品についてしか語れないけど、
その監督の作品をいくつか体験すれば、作品だけじゃなくて、その監督の傾向とかも語れるようになる。
さらに同時代の作品なんかも見れば、n年代の作品は??みたいなことも語れるようになる。
であったり、誰それの誰それへの影響が、とかいろんな話題ができるようになると思う。
そういう知識を元に、ネット上でいいから、いろんな人と話してみたら、必然的に意見の相違が出てくる。
手っ取り早いのは、「問題作」を見ることかな。
賛否両論があるような作品を見れば、何かしら言いたくなる=感情を刺激されると思うから、
それをネット上で表明してみりゃいい。
人の反応を見て勉強(?)するのもいいかもね。
自分が感じたことと同じコメントがあると思う。
はてブではトップページから、ブックマーク数の多い今人気の記事がチェックできるようになっている。
ブクマの数や好奇心をそそるタイトルにひかれて、アクセスする度に人気記事をその都度読んでしまうような習慣が今では付いてしまったわけだけど、人気を集めてる記事(俗に云うホッテントリ)になんだか共通する特徴があるように感じたので、ここでそれを適当に順次列挙してこうと思う。
1・自分の体験したことを具体的に、赤裸々に曝け出してみる……ホッテントリには、自分の体験をベースにして、ストレートに感じたことや考えたことを伝えているものが多い。具体的な体験があった方が、読む側は断然作者の心情に共感しやすい。また実際にあったことであるため、机上の空論に比べて説得力もグンとアップすると思う。音楽とかでも気持ちを込めて演奏した曲のが聴き手に強い感動を与えてるけどこれはそれと結構似てるかな、って感じ。
2・箇条書きにして要旨を端的にまとめる……これは上記の体験系のネタとは対称的に、ハウツー系のネタで記事を書くときに重要なポイントです。勢いに任せてどれだけソウルフルに心の叫びを表現しようとも、それが理解しにくければ読み手は簡単にそれを放棄して下さいます。回りくどくなく、要は何を伝えたいのか,ポイントが幾つあるかなど、ユーザーサイドにたってわかりやすい記事を書くことも非常に大切です。特にネットの情報なので、(専門性や内容の濃さよりも)素早さや手軽さがホッテントリには求められていると思われます。
3・切り口を斬新に。あえて正論を否定して、インパクトを与えるような主張をする……当たり前のことを当たり前に主張してても、読み手はあまり面白いと思わない。予想を裏切るようなパッと目を引く意外性のある記事は、タイトルを見ただけでちょいっとクリックしてみたくなる。世の中って常識的に信じられてることでも、掘り下げてみると違う側面が結構ある。逆立ちして見えた景色をちょちょいと表現するだけでも、逆立ちをしたことのない人にはそれまで見たことの無い、強烈なカルチャーショックを与えられるかもしれない(意味不明)。
4・旬の話題・議論に便乗する……コバンザメ商法的なやり方であまりお勧めは出来ないけど、手っ取り早くブックマーク数を稼ぎたいならこれ。話題性のあるキーワードがフレーズとしてあるだけでも、それがアクセントになって話を盛り上げやすい。3とも被るけど、主流となってるものにアンチを掲げるだけでも、賛否両論を巻き起こして注目を集めることは間違いない。ただしあまり行き過ぎると叩かれ貶されるのでその点はご注意の程を。
「当たり前だ」って思えるような浅はかな主張ばかりだけど、書いた奴はそれをわかって書き込んでるので、親切心で「当たり前だのくらつかーww」などと無理に厨房を煽ったりしないように。
正直、悪名高い2ちゃんねるなんかよりもいまのはてなブックマークは相当ひどい場所に見えました。非コミュニティ文化圏ゆえなのか、単に煽りたい人が多いだけなのか。いずれにせよ、最近の「死ねばいいのに」や「これはひどい」といったタグの嵐や書いた人間のことを人格まで否定するような発言の連続にはこれ以上耐えられそうにありません。
記事につくネガコメって、そんなにヒドイかな? 個人的には、否定的コメントも超ありがたいんだけど。
パブリックブログで書くってことは、当然それなりの反応を期待して書いてるんであって、それで得られるコメントは、ネガだろうがポジだろうが、嬉しい。無反応てのがイチバン応えるんだから。
そりゃどっちが欲しいかっつったら、賛同コメのが欲しいさ。けど、批判コメは「あそっか、そういう意見もあるのねー」って、自分の考えをさらに掘り下げるきっかけになるじゃん。トンチンカンな批判コメなら無視すればいいし。トンチンカンなコメは周囲の人間が見てもトンチンカンなんだから、気に病む必要なし。
賛否両論どころか、批判コメしかついてねぇ!って記事を書いちゃった場合は「うわー、これリアルで友達とかに言わなくてよかったー。Netで良かったー」て思えばいいんじゃね?
現実社会で放った何気ない一言で友達全員失う、ってことはあるかもしれないけど、ブログでの失言ぐらいで孤立はしないし。リアル友達にブログを教えてない人も多いだろうし、教えてたとしても、友達はあんたのブログをそれほど注目して読んでなんかない。ブログでの失言が実社会に影響するのは、有名人だけだ。
だいたい、ポジだろうがネガだろうが、はてブのコメントって全部本音じゃん。友達とか知り合いだと、気ぃ使ってガッチリ批判してくれなかったりする。それがないダイレクトな意見は、やっぱ聞いて損はないよ。友達や家族はぬるくて居心地良くても、社会はぬるくないんだからさ。ぬるくやりたいならmixiでやりゃいいし。
「記事主は『死ねばいいのに』『これはひどい』ていう罵倒タグに絶望してるんだから、批判だの参考になるだのってレベルの話じゃないんじゃない?」
うん、たしかに。
理由の上げられた批判なら反論のしようもあるけど、頭ごなしの罵倒はどーしょーもないからねー。
でもさ、なんつーか、そんな単純な常套句であっさり傷ついちゃっていいの? それで絶望できるって、いままでの人生どれだけしあわせだったの?
「死ねばいいのに」「これはひどい」なんて2秒でタイピングできるよ。記事読まなくてもタグつけれるよ。そんなんで心砕かれて、退場して、満足? それすっげーつまんない。自分の心を、そんな安易なタグで砕かせちゃいけないよ。それじゃー心が安すぎるよ。
人ひとり傷つけるんなら、それなりのオリジナリティーっつーか、「ああ、これは私のためだけに考えられた罵倒なんだわ」って感心できるような、そんな創意工夫が欲しい。
カラオケが下手な部長を最も効果的に怒らせる言葉は、「この音痴!」じゃなくて「歌うときに小指を立てるの、やめた方がいいんじゃないんですか?」だったり(文脈は忘れたけど、清水義範の本にたしかそういうことが書いてあった覚えが)。そういうヒネリのきいた言葉にならカチンときてもいいけど(ていうかカチンとくるけど)、脊髄反射のマンネリな罵倒はなー、ピンとこないっつーか、聞き飽きたっつーか。
ま、「絶望した!」って叫ぶ人がい続ける限り、「死ねばいいのに」タグも「これはひどい」タグもなくならないだろうね。効果テキメンだって証明されてるようなもんなんだから。誰もが痛くも痒くもなくなったら、自然と廃れるだろうけどね。
うーん、理屈ではあるんだけど、あなた自身が「英語や中国語を教えろ」って言ってたことと衝突しないかな。実際、英語とか中国語とか、それから高校レベル以上の数学とか理科とか、あとは歴史とか倫理とかでもそうだけど、学校で学んでも実社会で使ってる人なんてそんなにいないでしょ。
だからてっきりあなたは「世界で通用するエリートを養成するための基礎となる教育を」って言いたいんだと思ってたんだけど、違ったのかな。
「学校で教えられる文章なんて『古典』のなかのごくごく一部なんだ」とすれば、諸外国で知的権威として扱われるほどの『古典を読み書きできる能力』の習得は、今の学校教育に期待できてないってことだよね?
個人が知的権威として扱われる、とは言っていない。古典が知的権威であるって言ってるの。つまり、古典を知っているかいないかってのが、「教養があるかないかの踏み絵になっている」ってことね。そういう考え方がいいかどうかは賛否両論あるだろうけど、そんなことを言い出せば英語が世界共通語としてのファーストチョイスになってしまっているのはもっと問題があるわけで。
で、高校の古典を真面目にやってれば、日本の古典を原文で読むことは大した苦もなくできると思うけどな。少なくとも最低限の注釈があれば。
まだ考え途中で、きちんとまとめてないけど、
既に放送環境や設定を持ってるDJがBelugaに乗り換えるメリットって…
ぐらいしか思いつけない
わざわざ乗り換えるのも…たるいし。興味はあるんだけど
新しい放送者の取り込みを考えるなら
んで、ホントにボタン一つで気軽に放送できちゃうソフト だったら使ってみたい
全然違うけど、
…つーか、新しい人が入りやすくなって番組数、DJ数が増えたとしても、
聞きたい放送が増えるとは限らないよなー
個人的には、学生層もいいけど30以上の人がしゃべってるラジオが
もっとあれば聞いてみたい(学生おおい)
聞く立場だと大体、個人のポッドキャストの方が内容的に整っておもしろいのが多いし
livedoorねとらじは、他の放送同士つながりやすい気がする…
ヘッドライン取得ツールとか、周辺ものが色々ある
(一般小説の表紙が漫画絵になると、その書棚に近寄りづらくなる感じ)
賛否両論…個人的には賛成ですがw
簡単さと手軽を求めるなら、らじろぐで充分じゃないか?
追記
その記事は読んだことがある。それを引用してくれて思い出させてくれた増田に感謝。
最近の「マッチョ」関連のエントリがとても有り難いと感じるので自分の感触を書いてみる。
ダンコーガイみたいなことを言える/書ける人間は少ないと思う。それに対して賛否両論あるのは分かっている。その上でダンコーガイや分裂君が「マッチョ」について今のところ少し書き続けて、それに対してはてな村や増田で有益なエントリが生まれてそれを自分が読めるのが嬉しい。
自分はマッチョな側に行きたいと思っているんだということをはっきり認識できた。でも、まだマッチョに行けない、能力的にも全然足りていないし、自分の志向としてもマッチョな振る舞いをすることに違和感がある。
個人的な覚書として書こうと思う。
このメモの対象として考えているのは、いきなりはてブのホットエントリにあがって、
そこで地味にやってきたときは考えもしなかったような反応を受けて戸惑ってるような人。
「はてな」なりその他のネットでいろんな「いざこざ」を体験してきてる人は、
自分なりの方法論があると思うけど、そんな方法論はもちあわせてないよ、という人。
「あんたのせいで傷ついた」とかショックをうけたとか、謝れとか、
やめろとか、謝罪しろとか、死ねばいいのにとか、まあその他もろもろの理不尽な反応があって、
「このブログのせいでそんな気持ちになるんだったら申し訳なかった」
とか
「このブログを削除したって別にかまわないしなぁ」とかそんなことを考えてしまう人。
最終的な結論を出すのはブログの持ち主なのだけど、私としては「削除」はしないことを勧める。
基本的には、削除するくらいなら最低一ヶ月は放置することを勧める。
(※ただし、相手のストーカー化が起こった場合はまた話が別だけど。脅迫を繰り返すストーカーはとりあえず運営に通報する方針で。)
その理由はいくつかある。
これを書こうと思ったきっかけとしては、id:idiotapeというブロガーのことがある。過去にこういうことが起こったんだ。
簡単にいうと、「子供ができないと思ってた妻に子供ができてよかった」という趣旨のエントリがものすごい人気エントリになった。
それに対し、id:hashigotanというブロガーが
「子供が産まれて感動した」「おめでとう!」…がどんだけの男女を無気力にさせているか少しは考えろというエントリを書いた。
そして、id:idiotapeは最終的にはブログを削除して完全に退会した。
id:idiotapeがやめた理由は、長いのだけど、まとめるとこう。
『』は手元にある元記事からの引用です。
・『全文を読んで、正直なところ共感する部分があった。』がそんなことを言えば人によってはそこに『ポジショントーク的な偽善を読み取るだろう』ことを考えると『僕は共感したなんてことも言えないし、かといって何かできることなんてもっとない。』
・『お遊びでネガコメをつけるような行為は放っておこうと思った』が、『何百とあるコメントの中で、本当に苦しんでいると思えるコメントを見かけた』時にそれに『対応する責任があるんじゃないか』と感じた。
・『正しいこととか、もっともなことなんてくそっくらえで、身軽に文章を書きたいだけだったのが、いつのまにか巨大な亀みたいになってしまった。そこで、また「読者3名」くらいの状態から、やりなおしたいなあと思った。』
その後の経緯をみてて思ったこと。
○完全に削除したら復帰できない。
「騒ぎ」が大きくなっているときっていうのはなかなか判断が下しづらい。今は削除した方がいいように思えても、後になれば「続けたかったな」と思うことがあるかもしれない。削除はいつでもできるのだから、とりあえず残しておいて様子をみればいいのではないかと思う。
削除した後で復帰したりすると、それがまた新たな騒動の種になったりする。
○どんなに大きくなった騒ぎも、絶対に沈静化する。
id:idiotapeは、件の記事の後、一番反応が大きかった日は一日に5万人それから一週間ほど一日あたり1万人ほどPVがきて、アンテナもRSSも登録が一気に増えてびっくりしたみたいだ。その後もいろんな非難やら賛同やらがあった。
でも、そういう事態も、いつかは落ち着く。
人が急に増えてが出すぎて落ち着かないという人は、放置するのがいいのではないかと思う。それを理由に削除することはない。
賛否両論に対してとまどうという人は、同じく放置するか、まったく関係のないエントリをあげおくといいと思う。そのうちに沈静化する。それに関連した新たな動きがなければ、みんな言いたいことを言い終わった後は、特に言う事がなくなってしまう。
○削除によって誰かが「救われる」ことはない。「清々した!」という感想を持つ可能性はある。
あなたの記事によって「傷ついた」という感想をもった人は、別にあなたが記事やブログを削除したからといって、幸福になったりはしない。後味が悪かったなぁとおもったり、逆に、清々した!というような感想は抱くかもしれないけど。
○元記事がないと、あることないこと言われ放題になる。
賛否両論の場であなたが元記事やブログを削除してしまった場合、非難していた人たちは好きなように言うでしょう。それに対して他の人達は、元記事があれば両方を読んだ上で判断することができるけど、元記事がなければあなたへの非難を読むしかない。
○不幸な人が幸福になれば不幸だったときのことを忘れる。あなたの記事によって「傷ついた」人は、いずれあなたの記事のことを気にかけなくなる。
たとえば、id:hashigotanに関して言えば、以前
とかいたこともあったし、繰り返しそういう主張をしていた。
id:idiotapeの件のかなり後で、自分がセックスを体験すると、その体験に関する長いエントリを公開した。その記事が運営のフィルタリングにかかったことに関しては
という感想をもったようだ。
状況が変われば人の意見は変わる、ということがある。
状況に大きな変化がなくとも、時間がたてば、人の関心は次の話題へと移っていく。
参考までに、その後id:hashigotanがid:idiotapeに対して抱いた感想を引用しときます。
削除したあと一度ログを復帰したときの文章に関しては以下のような感想。
顔も見たこと無いですしねお互いに・・・ ところで嫁より「妻」って表現のほうがよりリアルにグサッてくるんだなと気付いた。グサッ・・・と
あー・・・、それと個人史の終焉のヒトについてはもう終わった人だからどうでもいいじゃないっすかw 俺はどうでもイイ人間がどうなろうがどうでもイイと思ってるので罪悪感など微塵もないっすよ
こういうことはケース・バイ・ケースだけど、過去にそういうことがあったということです。
削除したいなぁと思ったときは、とりあえずしばらく休んでみて、ゆっくり考えた方がいいんじゃないかと思う。
はてなのユーザーは基本的にid:hashigotanのようなユーザーでも削除されない
「表現の自由」を尊んでいるような印象がある。
それはいいことなんだけど、主張と主張がぶつかった時に、
「相手の立場や痛みも考える人」と「ひたすら自分の主張をまっすぐに主張する人」
どんな表現にだって人を傷つける余地はある。
人はそれぞれ「やっかいな問題」を抱えていて、それを刺激されると傷ついたりする。
でも、あなたのブログがなくなったからといって、あなたのブログに傷つけられた人の「やっかいな問題」の方がなくなるわけじゃない。
時間が経過すれば、基本的には、あなたのブログとそれを読んで傷つく人との間に、適切な距離が生まれるはずだと思う。
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<余談>
この辺の問題を考える上で糸井重里のコラムが参考になるっぽいのでリンク張っとく
finalventの場合
→ネットで学んだ上手くやらないために大切なこと - finalventの日記
○「絶対に沈静化する」ということを実感する方法
以下のリンクで、はてブ1000以上の超人気エントリが見れる。
http://b.hatena.ne.jp/entrylist?sort=hot&threshold=1000
それをクリックすると同じブログやサイトのほかの記事がどれくらい話題になってるかが見れる。
いくつかのサイトを見比べてほしい。
捉え方は人によって違うだろうけど、けっこう地味に推移してるところが多いと思った。
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事件の経緯を見たい場合は参考リンクをどうぞ。
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スイーツ側の人は業務内容が密接にプロジェクトや会社の中の話と結びつくことが多いので、はてな界隈ではなかなかスイーツ側の人はスイーツ側の濃ゆい話を書くことが出来ないことが多いようだ。圧倒的にスイーツ側の人間がはてなを始めとしたブロゴスフィア全体で少ないなぁとつくづく思う。QAも少ないけど。この辺をアツく語るブロガー出てこないかなー。
私は200X年に今の会社に入社して、数年間WEBアプリケーションの開発をやった。多くはJavaの案件だった。最後の案件は去年の夏ごろだ。前任のPMが逃げるように辞めていってしまい、非常に複雑なロジックを自分が担当することになった。1500行越えktkr。それを参考にして(これが大間違いだったんだよセニョールorz)2週間かけて作ってみたはいいものの、テストを繰り返しているうちにどんどんボロがでて、結局その当時のPMとパートナーさんに相談して設計からやり直した。パートナーさんの英知を借りて結果としてコード数が半分以下になり相当イケてるコードになった。今となっては英断だったと思うがその代償でほとんど土日を使い潰してしまった。コードの怖さを思い知った夏でした。
昔話はこれぐらいにしておいて、と。
でもって今は仕事ではコードを書かずにひたすらPowerpointに魂を込めるプレゼンの日々を過ごしているのですが、これはこれで意味のある仕事なんだなと思っている。この業界においてスイーツの人はやっぱり必要なはずなんだと思う。全員が全員エンジニアだったらビジネスにならないと思うのです。技術それだけでは1円も生み出さないのだから。私はずっと内製回帰すべきであると言い続けているけれど、誰かがスイーツを着なくてはならないと思っている。マネージャは必要なはずだと思ってる。誰かが顧客と向き合わねばならない。誰かがチームをまとめあげなくてはならない。できれば、その人は技術も業務も語れるハイブリットな人材が望ましい。このあたりの議論はSIerの中では絶対出てくるはず。
ただ回りを見渡してみれば、はてな界隈でフルボッコされている「スイーツなおやぢ」がマジョリティなのも事実。技術のこと、実装のことを肌で感じることができないし、感じようともしない。大規模になれば細かい所なんて見れるわけが無いので僕の仕事は工数を管理するだけなのでーす、という立ち位置の人間が多いのも認めざるを得ないし*1、そういうスキームになっている部分も否定できない。ごくまれにコードが好きだけど年齢的に管理職になってボヤいているなんて人もいるんだけどね。それにひたすらプログラマー現役続行状態でリスペクトされている方もいるのも事実。今あなたが立っている場所によって全然見え方が違う。
以前エジケンがニッポンIT業界絶望論の中で受託開発にはイノベーションなんてねぇよと切り捨てたけど、本当に革新的なものを生み出すことが全てでは無いだろうとも同時に思う。イノベーションは結果であって目的では無いだろうという見方もあるんじゃねーの、と。これは賛否両論だろうね。コードでなければ世界を変えられないとはてなおやは言うけれど、コードよりも何よりも人間を動かせばすぐに世界は変わるだろうとも同時に思うのです。
スイーツ寄りの人間が最もやらねばならないのは、人を動かすことだと思うのです。顧客を動かす、チームを動かす。プロジェクトが成功する方向に。人を動かすために必要なスキルと、システムを動かすために必要なスキルは全く別物です。Powerpoint1つとっても、結構ディープだよ。言いたい事を正確に伝えるのはスイーツでもエンジニアでも必要だと思うけど、そこで真剣勝負をする人は少ないのが残念。また、スイーツとエンジニアの間にはお互いリスペクトがあればそれだけでいいはずなのですが、上流から下流にお金が流れていってしまうため立場的に下流側にしわ寄せが来る。職業に貴賎は無い。技術神経が死んでいるおやぢほど技術者を十把一絡に捉える傾向が強い。これはガチだと思う。
スイーツにも新陳代謝が必要なんです。むしろ、スイーツにこそ新陳代謝が必要なはずなんです。政治家・似非管理者としてのスイーツが全てではないだろう、と。「ウェブ・リテラシー」を持っているスイーツが色々と面白い企画を立ち上げていく。会社を、回りをよりよい方向に持っていく。そういうスイーツがこの業界にはもっともっと必要なんじゃないでしょうか、と。そういうスイーツにはこれから色んな「けものみち」があるんじゃないだろうか、と。私はずっとエンタープライズにいる人間ですが、技術リテラシーが死んでいる人間が立ち上げたプロジェクトが砂上の楼閣のように崩れ落ちていくプロジェクトをそれなりに見てきたし経験してきました。だからこそ、そういうスイーツが要るんじゃないか、と。エンジニアがスイーツになってもいいと思う。エンジニア寄りのスイーツってめっちゃ希少価値高い気がするけどなぁ。いざとなれば自分でコード書ける自分でありたい。そこは失いたくない。
全然考えがまとまってないんだけど、スイーツはスイーツで結構奥深く多面的に色々なことを求められるのが本筋であり、スイーツにはスイーツのロールモデルがあって然るべきだってことが言いたいのです。スイーツ着たら負けだと思いたくないのです。そういうことを語り合いたい!!
今年一年、増田を賑わせた流行語は一体なんだったのでしょうか。
寄せられた意見を踏まえ、まったくの個人的意見で決定したいと思います。
はてな村の出来事なんかが割とあがっていましたが、あくまで「増田での出来事」といえるか、を判断しました。
増田にはてな村の出来事を持ち込むなという意見もありますしね。まあ要望あればまとめますが。
夏頃に一世を風靡した日刊増田さん風に、関連するエントリについても振り返ってみましょう。
本家の「新語・流行語大賞」にあわせて発表します。
言わずと知れた、「はてな匿名ダイアリー」の略語。ここに居着く人や、元記事書いた人のことも指します。
元増田か増田か論争なんてのもありました。
初出は2006年11月11日ということで、実はぎりぎり今年の流行語ではないみたいです。
まあ今、増田が熱いらしいですし、秋川も二年連続で紅白出ますし、気にしない気にしない。
以上の通り、大賞にふさわしいと考えました。
ネット全体で大流行したスイーツ(笑)。2ch関係の未来検索ブラジルによるとネット流行語大賞の銀賞に取り上げられてます。
んで、そのスイーツ(笑)に対抗して、増田に爆誕したのがライフハック(笑)。
ライフハック大好きなはてな界隈の人々の心を捕らえたのか、ブクマ256、TBは47という大反響。
余所でも「CLANNADは人生(笑)」とかの亜流が考案されてるけれども、その中でもかなりのヒットかと。
なにかと2chと比較される増田ですから、2chでスイーツ(笑)なら増田ではライフハック(笑)と考えていいでしょう。
スイーツ(笑)が出てきたついでに、「ケータイ小説」についてもご紹介。
2chのコピペのせいでスイーツ(笑)とセットで扱われることが多くなったケータイ小説。
ドラッグとレイプとホストが出てくればなんとか形になるとあって、ケータイ小説と紙一重なラノベ読者もこぞって叩いていました。
小説なのかどうかについては実際に読んだ人の意見も。
なかにはあまりの叩きっぷりに揺り戻しっぽい議論もありましたね。
以下、ベストテン。
982というのは増田関係では今年一番のブクマ数ではないでしょうか。
ポジティブで、何でも吸収するのが楽しいという、東大生になった秀才。
その読み方についてもあちこちで議論がありました。
物議を醸した人気エントリといえば、他にも「お嬢さんが亡くなったそうで」や先週、はてなーが面接にきたや、エレベーターには裏技があるらしいなんてのもありました。
初出はこちら。
説明不要。増田に時たま現れる増田ねこ。殺伐とした増田の癒し系。
こういう、多人数(?)があれこれ書くシリーズには、ドラえもん のび太のや勝手にホトトギスなんてのがありました。
今年の増田は、非モテとセックスの話ばっかりしていたようにも思えます。
非モテってのは説明するまでもないですね。毎日のように喧々囂々の議論が巻き起こりました。
今年の一番は彼氏が非モテで困っています ですかね。彼氏がティモテで困っているという人も発生。
来年以降も非モテのネガティブ垂れ流しを生暖かく観察することが出来そうです。
(萌え+オタ文化ネタ)×サザエさんな、いわゆる萌え4コママンガ、今年アニメ化。
聖地巡礼で一騒動あったり。
それについて行けない人やアンチも大量に発生して、アンチに対する考察なんかもにぎわっていました。
はてなではてなスターというサービスが開始されたのも今年。らき☆すたをもじって「はて☆すた」と呼ばれることもありました。
はてなスター大喜利(β)なんてのが催されたりして、賛否両論でした。
萌えパッケージされたボーカロイドが今年発売され、リアルネットを問わずあちこちで話題に。
TBSオタ差別報道やGoogle八分疑惑なんてのもありましたね。
双子の妹弟が出来るみたいですが、個人的にはお姉さんのことも忘れてあげないで欲しいなと思いました。
主人公の誠が複数の女性と次々と交際していくアニメ、『School Days』。
あまりに衝撃的な結末に、放送中止騒動なんかで議論が紛糾していました。
でも結局、仮放送でも本放送でもかっこいい船が出てきたっていう。
初音ミク差別報道騒動の際には、俺の嫁という発言がクローズアップされました。
評判のよくなってきたニコニコ動画を中心に今年大流行。
俺の嫁という表現が嫌いな人もいれば、好きな人や大好きという人もいました。
俺の嫁と○○かわいいよ○○との関連性を指摘する人も。
一言で言えば、「インディーズ時代から応援してるバンドがメジャーに出た時に、トーシロどもに感じる感覚」みたいなもんです。
そこそこTBやブクマが付き、外部でも言及されていたので、提案者としては喜ばしい限りです。
最近感じた古参チマンは、いまいち売れなかったMEIKOのときに「革新的な技術だ」と思っていたところ、みんなが初音ミクを「画期的な技術だ」ともてはやしていることですね。
以上、今年増田で流行した言葉とそれにまつわる四方山話を、自分が書いたエントリを織り交ぜながら振り返りましたがいかがだったでしょうか。
大賞を獲得された増田を提供してくださったwanparkさんとライフハック(笑)を提案した増田さんを表彰したいと思います。
ではまた来年にお会いしましょう。
※ひっそり追記
IT関連事業者の国内外の差が酷すぎる。
差と言っても、憧れの差だ。
Googleには夢がある、Microsoftにも(賛否両論あろうけれど)、Appleにも、IBMにも、Sunにも、Intelにも、AMDにも、Oracleにも、Nokiaにも、憧れるべきものがある。KasperskyやAvira、Yahoo!(最近ではASUSだって)にも、まだ輝きがある。大きな会社が輝いていると、小さな会社まで輝いて見える。
で、日本って何があるよ?
今のNECには夢がない(少なくとも、PC98時代には、もっと違っていた)、東芝にも、松下にも、富士通にも、NTTデータにも、シャープにも、憎たらしい某会長のCanonにも、沖電気にも、憧れなど無いじゃない。三菱とかに至っては、もはや存在さえ忘れかけてるじゃない……。微かに、林檎に惨敗したSonyとか、この木何の木の日立とかに有るか無きか程度じゃない。任天堂の方が(そして、かつてのセガの方が)、100万倍も1000万倍も憧れるものを持っているじゃない。まあ、サイボウズとかJUSTSYSTEMとかの例外もあるにはあるけれど……大会社が軒並み死んでるじゃない……。
俺なー、最初初期ガンダムくらいしかガンダムシリーズで面白いと思えたのなかった。
他のシリーズはなんかこう、シリアスで真面目で素人から見ると退屈っていうか・・・
ガンダムオタ以外立ち入り禁止みたいな閉鎖的なアニメが多い気がした。
(頑張って見ようとしても退屈で見れなかった。でもガンダムWの劇場版は見たけど面白かった。女キャラ可愛い。
皆ハッピーエンドっぽくて良かった。自爆装置という死亡フラグが無駄になるのが良い。SEEDはバッドエンド)
で、賛否両論のSEEDができて、個人的にはアニメとしては面白くて見てた。
(ガンダムシリーズを見てきた人にとったら腹の立つ出来だったかもしれないけど。)
「ほらほらこういうのが面白いんだろ?」みたいなぶっつけ仕事というか、
練り込んだストーリーというよりもその場その場の快楽主義みたいなアニメでちょっと違和感感じたけど、
まぁ面白かった。SEEDは素人達をガンダムシリーズへ引き込む為の餌みたいなアニメだったと思う。
それで、SEEDとシリアスなガンダムシリーズの中間を取ったようなのが今期のガンダムだと思ってる。
だから一応見てみる。最初が例えつまらなかったとしても、きっと後で巻き返してくれると信じてる。
(もし見てなかったら、後で「見てれば良かった」と後悔する可能性があると思う)
でも後悔しても数年後借りれば良いから、今見たくない人は無理して見なくても良いと思う。
俺アニメがテレビから消えたら色んな事に集中できて深夜にも起きてなくて済むから
見たい物が少なくてちょっとほっとしてる。
んー。
どっちの気持ちもわからんでもないけどさ。
そう白か黒かな結論を出さなくてもいいんじゃないかい?
ヤクザやカルト宗教と、名前がちょっと変なんてレベルじゃあまりに程度が違いすぎるっしょ。
「子に全く友達の事で干渉しないのか、するのか」なんて白か黒か、なんて話じゃないっしょ、こういうのは。子育てってのはさ。
要するにさ。「名前が変」とかそんな程度で、「児童虐待するような人たち」くらいに妄想を深めちゃってる。でもさ。そんな程度のリスクっつーのかな、そんなのはゴロゴロ転がってるわけで、ヤクザやカルト宗教を避けるってんならまだしも、そんな程度のレベルでいちいち避けていたらそれこそ、家から外に出せやしない。そのくらいで子を守るのは最早過剰なレベルなんでないか、って話だと、俺は思ったんだが。そんなレベルで守っていたら、それこそ子がダメになっちまわないか?差別心が育ち、他人を見下す子になるし、そんなレベルでいちいち親が出てくるようでは何も出来ない子と化してしまう。そんなデメリットをはらってまで、「名前が変」なレベルの障害を子から払いのけるってのは、俺にはちょっと理解できない。俺的には程度の問題なんじゃねーかと。まーだから元増田がそうしたいってんなら別に俺には止める権利もねーし、どうだっていいけど、正直そこまでやってもたいしたメリットはないんじゃねえか、と思う。それよりさっきも言ったデメリットの方が大きいかなと。ヤクザやカルト宗教なら、大人になってもそれらを避け続けていればいいけども、名前が変くらいで、大人になって避けてはいられないだろうし。なんつうか。結局は同じ事なのかもしれないが、ヤクザやカルト宗教を避けるのはそう「差別」とはならない所があるじゃん。いやこれも差別なのかもしれないけど。でも名前が変とかで避けるのはもうこれはれっきとした「差別」だろう。何であれ簡単に白か黒かとは行かんと思うんだな。
ただ、どっちが正しいかなんてそんな簡単に言える問題じゃないと思う。
子は勝手に育つなんて簡単に言えるほど親の責任(世間に対する責任も含めて)は軽いもんじゃないし、
まして親の愛はそんな軽いもんじゃないと思う。
で、そう言う事に干渉するなと言ってる人も別に、「子は勝手に育つ」とか言ってるわけじゃなくて、寧ろ、そういうところに干渉せず、自分で困難に立ち向かえる人間に教育するってのは、単純に守ることよりはるかに難しいんだ。干渉するなという親の愛がまるで軽いかのように言ってるけどそれは寧ろ逆だと思う。守りたくてもあえて守らない強さは、よっぽど愛が深くないとできないんだな。好きだからって自分のペットにどんどんエサやって太らせる方が、簡単だし、愛としては薄いと言わざるを得ないわけで。
それにどっちが正しいかなんて簡単に言える問題じゃないからこそ、こうやって賛否両論なわけだろ?
余談だけど、多くの批判的な意見は子供の立場からのものなんじゃないかって思ってる。
子供の立場からすれば、そりゃ干渉するなって思うのは当然だろうから。
さっきも言ったけど、愛が深い親だからこそ批判しているんじゃないかなって俺は思うよ。寧ろ悪いものがあるなら、守ればいいじゃんってのはちょっと言っちゃ悪いけど子供的な発想かなと思う。親はそんな子供と同じ浅い考えではなかなかやっていけないよ。
最近色々と賛否両論気味のランティスであるが、キャラクターCD10枚リリースだのやたらと回収多いだのより
まず先に言われるべきはあのデザインのセンスの無さじゃないかと思う。
基本的に専門店で買うわけだから、アニメ絵のジャケットだと恥ずかしくて云々てのは無いんだけど
ブックレットとかCDの盤面ジャケットそのままとか、センス悪いってレベルじゃない。
他のメーカーだって似たようなとこはあるけど(何処とは言わない)垢抜けなさに限って言えば、業界随一だと思う。
別にヒプノシスみたくアートワークとして完成されてるような高いレベルじゃないにしろ、
もうちょっと手元に置いておきたいと思わせるデザインとか工夫しないとダメじゃないかな。
パッケージが売れない御時世だから余計に。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070725-00000925-san-soci
こうした予想外のフィーバーぶりに地元住民からは賛否両論が。神社前で喫茶店「大酉茶屋わしのみや」を営む坂田圧巳さんは「特に問題はなく、利用者が増えて有難いこと。町でもグッズやキャラクターを出していければ」と期待、地元商工会でもブームを生かす方策が検討されているという。
(中略)
こういうのをみていると地元は案外歓迎ムードなんじゃないかと思うと共に
現状観光資源に乏しいとされる久喜市の市民の僻みがより一層感じる。
しているのですよ。
やはり解決策は久喜市を舞台にした萌えアニメ作るべきなのだろうか?
(実写だと仮面ライダーシリーズをはじめとして良くあるロケ地と言うことで
大して話題にならないのですよ。つか、パストラル加須が実写版セーラームーンの
ロケで使われてたのにはびっくりだったけど)
del.icio.usは何故はてなブックマークのようにならないのかを少し考えてみた。
結論は第一に、個人のタグとコメントが分割されて表示されること。第二にブックマークしたユーザが多すぎる場合は全員のタグを確認する動作にワンクリック必要な事、第三にユーザーアイコンの有無だった。
第一の問題が少し大きく、タグが個人のコメントと結びつく時、その最小単位の言葉で構成されるタグの含蓄性と、第三のユーザアイコンがなんらかの意味を持たせてしまい、そのタグとコメントがなんらかの重みを持ったものになってしまっている現状があるのかなと。
問題発生の遠因のように考えられ、リンク先ページへのタグ・コメントを集積する場のデザイン(UI)はそのままそのWebサービスのアイデンティティなので、単純に改善が行なえるわけではなく、デザインの変更は多少なりとも大きな爪あとを残すので難しいところ。ページデザインがそのサービスに影響を与えるのは増田をみてもわかるように、一つ考えておきたい点だと思うので考えてみた。
diggなんかはどうなっているのだろうか。はてブはdiggのように今をメインに扱う指向も有していると思われるので。それと同じものを持つWebサービスとして追加でdiggの印象を思考してみた。
個人的に、diggはdiggで色々な問題があるけれども、スレッド型表示と、発言者に明確なレスポンスが送れ、そのレスポンスがちゃんとその対象とするコメントの下にくっつくページデザインの作用で、ネガティブコメンターに対し冷静なコメントがなされる事があり、ネットイナゴ現象・2ちゃんねる現象までは起きていない感がある。
蛇足だが、diggのモデレート機能もそこそこ機能しているようで、パリスヒルトンの記事があがった時にはビッチは刑務所でレイプされてろよなんてコメントがちゃんとマイナスモデレートされて表示にワンクリックが必要なようになっていた。そのコメントの後に付いた、パリスなら喜んで腰を振るだろうなという発言に笑ってしまったのは秘密である。
その記事でも、ちゃんと賛否両論の意見があり、行き過ぎたコメントには釘を刺す反応がなされていた。単純な言いっぱなし、単調な意見のスクラムだけにならず、何気に機能してるなぁと思ったものである。