はてなキーワード: 賛否両論とは
ので、恐らく見続けるだろうアニメを、続きが気になる順に羅列アンド感想。
キャラ多すぎ、(今までが良かっただけに)絵がヤバすぎなどの問題を抱え、まだ話として特に何も始まっていない段階から賛否両論巻き起こっていた3期。最強クラスの先輩方が全員居残り、新主人公たちは結局最後に食われてしまうんじゃなかろうか、など不安要素は尽きないが、何とか上手いこと転がって『六課を描く』ということが達成できたならば、きっと俺にとって今期トップのアニメになってくれるだろう。よって期待度一位。現に8話では絵(対人戦闘は気合入ってる)、話(あの展開をこの回だけでどうこう言うのは筋違い)ともに先への希望を見せてくれた。
予想を全く裏切らない筋を展開した上で、それでもラスト5分ではキッチリ興奮させてくれるという、まさに王道を貫くアニメ。ただ余りにもそのまま進んでいくため、地下からの脱出をこれでもかというぐらい清清しく描いた一話がマックスだったのではないか…という心配がずっとあった(地下の描写が一話こっきりなので、シモンの戦う動機づけが弱すぎるのではないか)。しかしロシウの回でもう一度地下を描き、たくさんの仲間ができ、そしてついにアニキが…と、一話ごとの筋だけではなく大筋もこれまたキッチリとやってくれていて、とても安心して見れる。先が読めると言ってしまうとそれまでだが、それだけではない力がある。
話の続き自体は、始まったばかりでまだ何もわからない、ということもあって正直割とどうでもいいが、本気を出したNHKをなめていると後で損をするというのはもはや俺の中で定説だ。幸い話がつまらなかろうが設定と絵をぼーっと眺めているだけで30分は過ぎてしまう。後は物語が動き出すのを待つだけだ。
そろそろ世界観や各キャラの能力・背景などが把握できてきたし、前後編体制でスローペースだった分どうにかならないかなと思っていたら突然テコ入れ回が始まるというのんびりぶり。なら1クールで小奇麗にまとめろよと言いたくなるし、このままオムニバスっぽくやっていくなら完全にゴミアニメだが、まあそうはならないだろうという予想と期待を持ったまま見続ける。問題はそれよりもキャラに全く魅力が無いことか。それを考えるとテコ入れ回もなかなかどうして…と、安い罠にかかりつつ。
本当にシンプルな意味で続きが気になるという意味ではこれが一位かもしれない。が、キャラたちの等身大の浅さを抉り出そうとして結果アニメそのものが浅くなってしまっているという印象がどうしても拭えない。原作とは大分違っているという噂を聞いてちょっと納得したのもそのせいだろう。15人もいることだしどうにかなるのを願いつつ、単体で30分の価値を持つOPとドロドロエピソードをさっくり楽しもうと思う。
実はまだ一話しか放映されていない。これがアニメの地域格差か…!ということを実感するも、何故かほとんど感想を見かけない(見かけても目を逸らすけど)のが少し引っかかるし、CMに入るまでは何となく桃花月譚が思い出されるなあという感じの一話だったが、まあ斬るのは少しためらわれる出来だったので視聴続行。劇が原作だと聞いて、ならあの意味不明な獣は意味不明なオリジナル要素かと思いきや、原作にもいるらしい。意味不明だ。
微妙に違うと思われる。
ではなく
ということじゃないかと。
俺はアニメ化発表前からの原作スキーで、以前に原作を何人かに布教活動してみたことがあるんだが、反応は真っ二つ。
気に入って自分でコミック買うようになった奴がいた一方で、一切笑うことなく1巻途中までで投げた奴もいた。
原作からしてそれだけ合う合わないの相性がある作品なんで、
それを良くも悪くも忠実にアニメ化した以上、賛否両論が出るのは当然と言える。
今回のケースは誰が悪いわけでもない、ただ相性の問題が今までの京アニ作品より強く出てるだけだ。
まぁ、俺はトピ主じゃないから本当のところは分からんがね。
ついに始まったこの春の最大の話題作、京都アニメーション最新TVアニメ「らき☆すた」、
その特殊な作風ゆえに賛否両論が巻き起こっているのは周知の事実であるが、是も非もともかく一つの問題が浮かび上がる。
アニメ「らき☆すた」に対し難色を示し、挙句の果てに「京アニは終わった」「京アニにはがっかりした」などと言ってしまう輩は
「京アニが『らき☆すた』のTVアニメを手がける」と情報が出てから、放送までの間に原作コミックを買って読んだり、
原作に関しての情報を仕入れたりといった『行動』を一切していない人間だと言う事だ。
少なくとも原作を読んで「らき☆すたとはこういう作風の作品だ」と理解しておけば、アニメを見た上で京アニに対して
落胆などするはずもないどころか、全く逆に京アニがこれまでの作品同様こだわりを持って作っているかが容易に理解できる。
(読んでも理解できない人間は問題外)
それを一部の人間は「ハルヒ」という幻想に取り付かれ、勝手に期待し、落胆した。実に愚かである。
一歩でも足を前に動かせばこんな憐れな事にはならなかったのに、動かず、座したままでいた上に、口を尖らせる。
情報公開からずっと「なぜ京アニが萌え4コママンガの『らき☆すた』なのか?」という疑問があったが、
「大ヒット作」の後遺症として生まれる、こう言う種の人間の目を覚まさせるための「らき☆すた」なのかもしれない。
だからと言って「エヴァ」の後の「彼氏彼女の事情」のように奇抜な事はせず、全力を持って「らき☆すた」を作っている事が
京都アニメーションが絶対的な支持を得る理由なのは誰の目にも明らかだろう。
病院で診てもらって認定してもらうことは可能だろうけれど、
子供はともかく大人のADD/ADHDについては賛否両論があるみたい。
専門医もあまり多くないみたいだしね。
私も一時期は「自分がADDなのか確かめたい」と思ったんだ。
ひとまず、情報収集することは前進につながると思うので、
NPO法人大人のADD&ADHDの会 - パソコンサイトの、
成人AD/HDの基礎知識 の項を見てお勉強してみてください。
あとは、情報収集や勉強を進めるなり、お医者さんに診てもらうなり
しか道は無いと思います。
改善は出来ても完治はしないだろうから、それが自分の特性であると
認識した上でフォローできるよう意識改革するのが良いと、私は思うけど。
(と偉そうなことをいいつつ、それに向けて何もしてないんだわ私w)
http://www.virtual-pop.com/tearoom/archives/000184.html
まずPeerCastとは何か?PeerCastはP2Pでリレー形式で映像をストリーミング放送できるソフトウェアである。これを使用すれば中央サーバを必要とせず、すべてのユーザがストリームのクライアント、サーバ、そして放送局となることが可能になる。なのでサーバーが落ちたからすべての動画が見れなくなるということはない。
PeerCastはP2Pで通信するためポートを空ける必要があり敷居が高い。そのためかあまり有名ではないが、現在日本で視聴者数1万人程度が存在しており独自のコミュニティを形成している。YouTubeやニコニコ動画の中にある人気動画の中にはPeerCast発祥の動画も多く存在しているがそれを知る人は少ない。
YouTubeをはじめとしてRimo、ニコニコ動画は一般人、技術者に受け入れられている。これらの良い点はWeb上で気楽に見れるということである。更にRimoは受け身で見られる気軽さを、ニコニコ動画は実況の面白さをプラスしている。
…なのだけど物足りない。下2つの良い点はPeerCastの方が遥かに優れている。
Rimoは現在4チャンネルしかない。一方PeerCastならば多いときは100チャンネル以上存在し配信されている。ゲームをプレイしている映像をはじめとして、アニメ、映画が配信されている。更にプログラミング配信、絵描き配信、猫配信、自転車に乗っている動画配信等非常にオリジナル性のある映像も日々生み出されている。
そしてRimoの一番最悪な部分は動画を飛ばせることだ。受動的メディアのメリットを完全に消している。つまらない映像はどうしても飛ばしてみたくなる。動画を飛ばす程能動性があるのならば、見たい映像はYouTubeに存在しているのでそちらを見たほうが効率は良い。まぁ、この点は賛否両論はありそうだが。
ニコニコ動画のメリットは実況の面白さ、この面白さは否定しない。しかしPeerCastであればもっと面白い実況をする事ができる。それは何故か?PeerCastはテレビの実況板と同じようにBBSによって実況される。ニコニコ動画やテレビの実況はいくら素晴らしい発言が存在したとしても映像に影響を及ぼすことは殆どない。しかしPeerCastの実況はすぐに映像の配信者に届く。映像の配信者は実況の発言を見ることによって映像を止めることも、別の映像を流すことも、映像に対してフォローをする事もできる。配信者が既存ではなく自分が何かをしている、作っている最中の映像を流しているのであれば実況を聞くことにより即座に対応をすることが可能である。このコミュニケーションの面白さによってクリエイティブなオリジナル映像を作る意欲が生み出されるという土壌は、動画を作る側、広める側の楽しみまで膨らませている。これらはYouTubeをはじめとするWeb動画サービスでは不可能だった。
よってPeerCastは導入の面倒さを乗り越えれば受身でだらだら見ることができて、実況することで能動的にも見ることができ、更には動画を提供する側にも面白さを与える次世代の最強動画エンターテインメントなのではないのだろうか。
みなさんもWeb2.0、Web2.0と馬鹿の一つ覚えみたく叫んでないでもうちょっと別のネットワークの可能性も見てみませんか?
え?PeerCastの見方?ググればいいと思うよ^^
理屈抜きに不思議で考えさせられるのが現実の恋愛だと思います。
そりゃ恋愛資本主義?至上主義?などと疑いだしたり、「キモメン搾取だ」なんてケチ付け出したらキリがありませんが!?
理屈や疑りよりもここは素直にこの世界の男女の成り行きを『素晴らしい』と感じてみるのが最も最良な人生の楽しみ方であり、世のラブソングや恋愛ドラマが歓迎される意味があると思えるのです!?
なにはともあれ『親』や『先生』や『教師』と呼ばれる立場の方には恋愛体質になられることをお勧め致します、勿論主婦や旦那さん、精神医療関係者、宗教家、詐欺師にもお勧めです、あと幼稚園や小学校からでも恋愛の素晴らしさについて教えて欲しいな???
こんな時代だからこそ今一度『恋愛』の大切さ、その奥の『心』の大切さ、考えてみてもイイんじゃないかな・・・意味あるよ。
※ ※ ※ ※
「非モテ」さんたちが書かれた文章を見て正直驚きました。なんて、いろいろな考え方があるんだろう・・・
私は恋愛から「感動」と、日頃感じている「わたしはなんのために生きているのか?」を解くためのヒントを得た気がします。
素直に、単純に「恋愛は自分に必要なものだ」と感じたし、だからこうして恋人とめぐり合えたとも思っています。
誰でも、自分なりの基準(考え方)と選択の自由があります。世の中のみんなが恋愛はすばらしいと伝えたがっていることを、私のようにすんなりと受入れることが出来る人もいる反面、先天的能力を無視しているとか、搾取だとか、商業的だとか言って、相容れない人もいます。
それは、それで当然だと思いますし、自分と違うからと言って非難するつもりはありません。
ただ、そういう人達は、周りの誰か一人でも「心からの救い」を求めている人をみつけ明るく希望をもって生きれるよう手助けをしたことがあるかどうか、自分の(正しい)と思っていることを堂々と日頃から伝え(発信し、)その事が人々の役にたったり、感動を与えていますか?とお聞きしたい。
人間が感じる、知り得る、学び得る範囲内で100%正しい答えを出すことは不可能だと思っています。だから、何が正しいとか正しくないとか、どういう考え(基準)で生きるかは個人の自由であり、その考えに共感するかしないか選択するのもまたその人の自由なのだと思います。
自分の考え、知識に合致しないからと言って、断罪めいたり、馬鹿にした態度は、非モテさんたち自身の品位を貶めているようなものだと感じますし、どなたかが言っているように、そこまで言うのなら、実名で批判されるくらいの責任をもつべきだと思います。
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コメント欄を見て、賛否両論激しいので、私の意見も書こう!と思いました。
私は非モテさんの理論のことはわからないので、ここに書かれていることがホントか嘘かわかりません。
でも、もし嘘だとしても、つまらない論理や真実よりはぜんぜんいいし、これからの人生にプラスになると思いました☆
恋愛したいなら、世の中の矛盾点や疑問点を探すのではなく、輝いている☆人たちのメッセージを受け取ってもらいたいなと思います。受けとめ方は色々だと思うけど、すべての人にとって恋愛は大切だと思います。ひとりでも多くの人に恋愛の素晴らしさを知ってもらいたいと思いました。
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「地球上の人間の感情が愛と感謝に満ちた時、地球が美しくなる。」これこそ、何の根拠もない結論だけど、そう信じて生きたほうが幸せかもしれない。
松本「だいたい創作家になるにはどの分野でもそうでしょうが、最初は模倣からはじまりますね。」
記者「ええ。」
松本「ちっちゃいころ、模倣、応用、改良、発展。そして発展まででだいたい仕事をしている。しかし創作という恐ろしい壁がその前にたっている。創作という概念は世界で一人という個性の確立。そこにたどり着いたものだけがかろうじて生き残る。その創作の壁の前では若者たちの死屍累々とした屍がおりかさなるわけです。で、その創作の壁を乗り越えたのは創作家として、自立した創作家として名乗れる。そして自分ひとりのものを確立していく。それが創作の世界。そこまでたどり着くまでがどれほどすさまじいものか。何の保障もないんですよ。孤独で、ある意味で悲惨な戦いが続くわけです。」
記者「ええ。」
松本「それを乗り越えてはじめて自立した創作家という立場に自然になっていくわけですね。それをどうか理解してください。人間(?)だけの問題じゃない。」
記者「ええ。」
松本「で、今でもですよ。我々でも、キャリアとか過去のものにすがって生きるというわけにはいかないんですよ。全員対等です。」
記者「うーん。」
松本「きのう、登場したばっかりの若者と我々とも立場上はすべて対等なんです。序列なんてものは何もないですよ。なんにもないです。ですからいつ目の前に奈落が開いても、あのう、覚悟のうえなんですね。」
記者「うん。」
松本「そこをわかって下さいというのが我々の願いなんですね。創作に携わる者の。生みの苦しみというんですか。苦しみという生易しいもんじゃないです。いかに凄まじいものかですね。」
質問のテロップ「著作権の保護期間を50年から70年に延長するよう提唱していることについて」
松本「何のために書くかというのが創作の原点ですからね。その思いを貫いたまま、あのー、恩をしていただきたいわけですね。」
記者「うーん。」
松本「何のためにこれを書くか、それは全員が、絵でも音楽でも、あのう、マンガでも、何のためにっていうのが基本に必ずあるはずです。で、それが、あのー、薄れて奇妙な解釈の部分が出る可能性がありますよね、切れた場合に。
日本の、日本の作品の中で50年であれば、もう、切れるものがもの凄いたくさん出てきます。特に、私らの直接的のマンガ家という立場の。あのー、(聞き取りできない。)赤字にしたのいますから。石ノ森章太郎とは、同年、同月、同日生まれですよね。」
記者「ええ。」
松本「もう9年経っているんですよ。そしたら、あと47年でしょ。」
記者「うーん。」
松本「それが、どんなに恐ろしいことか。その息子さんや、その他これから長寿化の世界ですからね。」
記者「ええ。」
松本「あの、90歳、100歳になるころに元気だったとしたら。その前に切れたときが来たらどんな思い。オヤジ、一所懸命がんばったのに。そう思うと、なるわけですよ。」
記者「奥さんの存命中に切れる可能性もありますね。」
松本「場合によってはありますね。あります。女性のほうが長生きする長寿の例が多いですからね。だから、そういう場合もある。
やはり、それは何のために働くかというと、まずは自分の作品を創作物として読んでもらいたいから、必死に書くわけです。」
記者「ええ。」
松本「さらに生活をかけているわけです。一家の生活。」
記者「ええ。」
松本「家族の生活。あのー、それは利害関係とは違うわけです。」
記者「ええ。」
松本「みんな一所懸命、何のために働くんですか。その家族を養うためでしょ、まもるためでしょ。プライドを賭けた創作のために働くんですよ。その結果として生まれた副産物としての収入は、家族を養うために、その家を保つためにあるわけでしょ。物見さや、遊びに使うわけではない。
それが必要最低限、守られるように。その時間は長ければ長いほどハッピー。安心して、あの世へ旅立てるわけですよ。だから、そこら辺の精神的なものを少し考えてくれませんか。」
記者「気持ちの部分とか、そういう。」
松本「だから、賛否両論あるのも百も承知。で、否定する側の論理にも意味があるのはわかってる。わかっていますけど、物をかく人間としては、長くしてくださいというのが、切なる、切なるお願いなんです。願望なんです。
ただ、まだ過渡期でね、世界中が混乱している状況なんです。」
記者「はい。」
松本「徐々に徐々に落ち着いていくと思います。そんとき日本だけが50年だったらどうなると思います。もう、手も足も出ない。で、そういうこともあるので、とにかく70年にしといてくださいとね。
それでですね、うちはですね、そういう相談というか、ご本人の自由裁量に委ねられる部分を法的にきちんと残しといてもらえば、それにのっとって自分の自由意志で決めればいい。その、日本だけできちんと作っておけば。
で、なんにも言わない人は基本的に70年。それでいいと思う。
自分で書いたことのある人間は、まずほとんど99.99パーセント、70年と言うと。自分で書いたことある人間は。
それから、見る側だけの人間は、へえしゅつ(?)しただけのものは見たくないでしょ。後世の者でもね」
記者「ええ。」
松本「だから、なるべく原型を保てるままに。原作を逸脱しないために、70年というのはひとつの糧になるわけですね。その場合。防壁ですね。そういう創作の防御策としても70年というのは有効に作動する。だから、あのー、微妙な問題ですけどね。
あのー、生涯をかけて、なんというか全くの頼るものもない、孤独な作業を続けていく創作家の身にもなってくださいねと。その想いね。各人がその生涯をかけた想いというのをね、せめて70年残して欲しいというのがお願いなんです。」
過去ログを読んでいないので、すでにある議論かも知れないが、一応。
ちょっと対比させると面白いと思ったのは、
と
(2)「匿名ダイアリー+はてブ(のコメント欄)」というシステム
である。
従来の(1)のシステムの場合、記事を書いた人間の匿名性は低く(少なくともハンドルで名乗る必要がある。捨てハンも可能だが、ネット人格的に一貫性が無くなり、リセットすることになる)、コメント欄にコメントする人間の匿名性は高い(誰が書いたか分からない。自作自演可能)。
対して、(2)のシステムの場合、記事を書いた人間の匿名性は高く(誰が書いたか分からない。自作自演可能(まあ、少なくともはてなユーザーではあるが))、はてブのコメント欄にコメントする人間の匿名性は低い(少なくともハンドルで名乗る必要がある。もちろん、捨てハン可能はだが)。
さらに、気がついた点を思いつくまま。
・(1)のシステムの場合、ブログ主にはネットコミュニケーション的に高度なスキルが求められる。ので、自分の器を知っている人間が一貫したネット人格を保ちたいならば、自分の手に余るような、賛否両論が予想される実験的な記事、過激な記事は避けた方が賢明である。一対多での戦いになりやすいシステムであり、しかも人格をリセットできる多の方が有利なシステムでもあるからだ。
・(2)のシステムにおいて、賛否両論が予想される実験的な記事、過激な記事を書いた場合どうなるか。記事の書き逃げは可能であり、逃げ道は保証されている。そして、逆にはてブでコメントする人間が一貫したネット人格を保ちたいならば、過激な挑発や罵詈雑言を書くのはその人間にとって不利な戦いになる。まあ、現状、そうした現象は見ていないのでどうなるかはよく分からないが。
・現在、はてブが日本のソーシャルブックマーク分野においてはトップシェアである。また、同じはてなということで、必然的に匿名ダイアリーの記事は、はてブされやすい。つまり、自分が責任を負わずに、賛否両論が予想される実験的な記事や過激な記事をなるべく多くの人に見てもらいたいならば、匿名ダイアリーで記事を書いてみるというのは、一つの手として有効ではないかと思われる。
・さらに蛇足的にいうならば、匿名で記事の場合、自分の敵対する陣営の人間が記事を書いているとしても、読者には分からないため、比較的、いろいろな立場から、客観的な意見が聞ける。(まあ、そこまではいかないでも、自分が普段、反感を持っている人間の書いた記事にはやはりフィルターがかかるのは当然である)