非モテの問題は、その向上心の無さとか卑屈さとかネガティブさとか、そういう精神的問題のはずだ。
なのに何故、脱オタとか合コンとか話しかけてみろとか、そういう現実的解決に救いを求めるのだろう。
「恋人が出来ても救われない」という非モテ特有の問題は、結局そこに帰化すると思うのだが。
だから、「そんな事考えている暇があったら、自分を磨け」という意見自体がナンセンスであり、
非モテや鬱で悩んでいる人は、まずは精神的解決を目指すべきで、その後で現実的解決を目指すべきだと思うのだが。
「何故勉強しなければならないか」が理解出来ない子供に対する、「そんな事考えてる暇があったら勉強しろ」という一見正論に見える意見が、全く意味を成さないのと一緒だ。
モテ・非モテ議論で、両者の意見が食い違っているのは、モテ側が、現実的解決を目指している一方、非モテ側は、精神的解決を目指しているという違いなんじゃないだろうか。
現実的解決が意味をなさないのはその通りだと思うけど 精神的解決って具体的にどういうこと? 悟れってこと?
現実的解決が意味をなさないのはその通りだと思うけど 精神的解決って具体的にどういうこと? 悟れってこと? 現実的解決が、精神的解決に繋がることも、もちろんあると思うん...
前提として、非モテってモテたい人たちなの?
今年一年、増田を賑わせた流行語は一体なんだったのでしょうか。 寄せられた意見を踏まえ、まったくの個人的意見で決定したいと思います。 はてな村の出来事なんかが割とあがってい...
にゃー!にゃー!