初音ミクがGoogle八分を受けているかもしれない、といろんなとこで話題になり始めている。
http://www.kajisoku.com/archives/eid1781.html
先日、初音ミクの印象操作を思わせるvを流したTBSからの圧力か?なんて噂されていて、ちょっとざわざわ。さらにはwikipediaからも削除されているってことで、ちょっと覗きに行ってみた。
確かに削除提案はされているけれど、ノートを見るとTBS云々というよりは、記述の中に著作権侵害の恐れがある箇所が見つかったことが大きな要因らしい。商品パケの文面を転載しちゃったのね。
下の方までスクロールしていくと、「Googleイメージ検索での初音ミク」というタイトルで以下のようなコメントを見つけた。
Googleにて初音ミクでイメージ検索するとミクの画像が出ない状態です。以前は出ていました。 この事実を書き加えてほしい。
それに対して
(前略)……というか、合意さえ得られれば、編集が可能になった後にでも125.28.0.9さん自身が追記なさってよいのですよ。誰かに任せようとしているような文章ですけども。
ごもっとも。
誰でも編集可能なwikipediaなのに、依頼者(以下、Aとする)は他人に任せようとしている。
Aがどうしてこんな書き込みをしたのかいくつか理由を考えてみた。
1.単純にめんどくさい。
現在初音ミクの項目は編集不可能だが、編集可能になるまで覚えておくのがめんどくさい。
2.文章力に自信がない。
依頼文はたしかにつたない。wikipediaではそこまで気にしなくていいと思うけれど。
ノートに書き込むことはできるけれど、編集履歴に名前を残す者として、項目を立てることに抵抗を感じている。
やっぱり「めんどくさい」のかなとも思ったけれど、そもそもノートに編集依頼をする時点で、Aはこの件についてかなりのモチベーションを持っている。
そうなると、2か3である可能性が高い。
ここ増田もそうだけれど、インターネット上では2chをはじめ、匿名でのやりとりというのが一般的だ。
はてなダイアリーを書く人や2chでコテハンを名乗る人もいるけれど、実際のプロフィールや顔をさらさない限り、ネット上に現実の自分とは異なるもう一つの人格を作り上げているに過ぎないと思う。
そう、僕らはインターネット上では、もう一人の誰かを演じることができる。
幼い子供だって、大人の顔して書き込むことができる。
ふだんは、子供は大人の話に入ることができない。
あるいは発言しても、大人には相手にされない。
けれど、インターネット上では、議論に加わることができる。
他の発言者のマネをしたり、あるいは暴力的な言葉で相手を傷つけることができる。
子供ではなく、一人の大人として。
これは、匿名というインターネットの特性が与えたひとつの恩恵ではあるけれど、
同時に、子供たちが現実世界でふだん受けている恩恵を殺していることに気づいた。
ふだんなら、「お母さんこれ書いて」「先生これ教えて」と大人に甘えることができる。
そして、大人もそれに応じる。
相手が子供だとわかっているからだ。
ところが匿名になると、子供も大人としての責任を背負わされる。
幼い頃からインターネットに触れるということは、そういった厳しい社会に早くからさらされるということなのかもしれない。
あらためてそう感じた。
でも、あくまで擬似的なものではあるのだけれど、果たしてそれは子供にとって良いことなんだろうか。
幼い子供は守られてしかるべき、同時に必要以上に大人のコミュニティにかかわるべきではない
……というのは、大人の押しつけなんだろうか。
わからないけれど、僕が本当に言いたいことは、
ふだん僕らが「大人と認識している」増田、2chのレス、いやはてなダイアリーなどの書き手も、実は思春期の女の子かもしれないっていうことだ。
とりあえずはGoogle八分に対し、目に涙を浮かべて怒っている初音ミク大好きA子ちゃんにフル勃起していることを、この文の締めくくりとしたいと思います。
それは「思春期の女の子のA子ちゃん」とある意味等価だけど本質的に違うアレだと思うけど。 参考資料:http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1044133.html
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