はてなキーワード: 編集長とは
先日、「朝日ジャーナル」が創刊50年を記念して1号だけ復刊した。
これが売れてて、3刷まで出てるらしい。(ソースは今朝の新聞広告)
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=10334
出てるのは浅田彰、柄谷行人、鶴見俊輔などに加えて、東浩紀 に湯浅誠、雨宮処凛、ホリエモンなど。
ちょっと読んでみるか。
「朝日ジャーナル」が記念復刊 創刊50年で
1960-70年代に若者に人気があった雑誌「朝日ジャーナル」が、4月14日発売の「週刊朝日」臨時増刊号として復活することが27日分かった。
発行元の朝日新聞出版によると、同誌は部数低迷で1992年に休刊したが、今年が創刊50年に当たるのを記念し、単発で復刊することにした。破綻する日本型社会システムについて文芸評論家柄谷行人、作家高村薫ら各氏が寄稿するほか、故筑紫哲也元編集長によるインタビュー「新人類の旗手たち」の一部を再録する。
http://anond.hatelabo.jp/20090225123751
1980年代を私は本誌編集長として過ごした。当時と現在とで,1980年代に対する私の見方は大きく違う。当時を振り返るとき,「なぜ気付かなかったのだろう」の思いを禁じ得ない。
例えば1980年代に欧米企業の研究開発方針は大きく転換した。要約すれば「中央研究所の時代から産学連携の時代へ」である。
西洋社会の伝統では長いこと,「知」と「技術・産業」は分断されていた。大学と産業界の距離は,西洋世界でこそ遠かった。それが1980年ごろから様子が変わる。「新産業を生み出すのも,新しい雇用を創出するのも,大学であり,大学の仕事に基づくベンチャー企業であり,それを起こす企業家だ」。世界中でこう期待し始めたのである。今にして思えば,それは,ほとんど革命(大学革命と呼ばれる)だった。
伝統的大学人の強い抵抗と社会的な摩擦を伴いながら,この革命は進行した。歴史的に大きな転換であるだけに,痛みもまた激しかったようである。欧米におけるこの革命について,日本の産学官もマスコミも鈍感だった。私も例外ではない。なぜ鈍感だったのか,自省を込めて考え続けたい。
大学革命の波が日本に及ぶのは遅かった。確かに21世紀初頭の現在は,日本でも産学連携や大学発ベンチャーへの期待が,産学官挙げての大合唱となっている。その点,世界の他地域と大差ない。しかし日本では途中経過が違う。1980年代後半のバブル経済華やかなりしころ,日本を基礎研究ブームが覆う。「キャッチアップは終わった,さあ,これからは基礎研究だ」。
背景にはリニア・モデルがあった。「基礎→応用→開発」=「研究→開発→生産」=「科学→技術→産業」。この順序で事が起こるとする。そしてこの順序の上流ほど偉いとする。欧米でようやくこれが終わろうとするとき,バブルの日本では逆に燃え盛ってしまった。国立研究所も産業界も,産業的な価値を無視するかのように基礎研究に力を入れようとした。
おごった産業界はうそぶいた。「大学頼むに足らず。ノーベル賞も会社が取る」。中央研究所の縮小に走る欧米企業は,このとき反面教師だった。「研究から手を抜くようになっては,欧米の一流企業もおしまいだね。これからは日本企業の時代だよ」。折から「経済一流,政治三流」と,まことしやかに唱えられていた。
確かに1980年代末に日本経済は空前の繁栄を謳歌する。しかし今振り返ると,周回遅れを先頭と誤解していた節がある。日本がバブルを謳歌していたころは,世界の大転換期である。この時期世界は次の時代の生みの苦しみにあえいでいた。そのため工業生産を一時弱体化させる。同じとき,工業生産に特化した古い構造を日本は温存し,転換に加わらなかった。それ故大きな利益を上げる。そういうことではなかったか。
おごれるもの久しからず。バブル崩壊とともに基礎研究ブームも泡と消え,それどころか研究所そのものの縮小・再編に日本企業も励むに至る。再び欧米が教師となる。そして欧米がこの四半世紀,血みどろの努力の果てに,大学を産業的価値の源泉に位置付けていたことを,ようやく知る。こうして1990年代後半から日本でも,産学関係の再構築と大学改革が始まる。
「日本株式会社」批判と並んで欧米からの批判がもう一つあった。「基礎研究ただ乗り」批判である。「日本産業は繁栄している。ということは科学,すなわち基礎研究の成果がなければならない。ところが日本では基礎研究には見るべきほどのものがない。よそで達成された基礎研究成果にただ乗りして,日本は産業的繁栄を実現しているに違いない」。
ばかげた批判である。基礎研究の直接の応用とはいえない産業技術など,山ほどある。しかし,時の通産省は貿易摩擦への対応に苦慮していた。「ただ乗り論」を受け入れて基礎研究を強化する道を選ぶ。傘下の工業技術院に属する研究所に対して,基礎研究を強化するよう,ほとんど強制する。
やがてバブルが来る。産業界の研究開発投資も急拡大した。拡大の方向は基礎研究である。日本の外で中央研究所の縮小と産学連携が進行しているさなか,日本企業は基礎研究を拡大する。
背景にあったのは,繰り返すが「キャッチアップは終わった。これからは基礎研究だ」という認識である。研究者・大学人・官庁科学技術政策担当者にとって,この認識は快いものだったのだろう。「科学→技術→産業」の流れの上流を担うところほど「偉い」という思いを,日本の研究コミュニティーも共有していた。それは,ヨーロッパに対して後進国だった時代の米国研究者の思いと同様である。
皮肉にも同じ時期に,米国産業界は,基礎研究や中央研究所の経済効果を疑い,研究開発投資の方向を事業密着型に変える。基礎シフトという1980年代の日本の政策は,欧米とは逆方向を向いていた。
http://www.zakzak.co.jp/top/200902/t2009022057_all.html
定額給付金やめて、地デジ対応TVプレゼントしたら?
昨年来の話で「本当にもらえるのか」と、お預けの状態の感もある定額給付金。平成21年度予算案の衆院本会議での採決がズレ込んでいることも影響し、定額給付金の財源に関する特例法案の衆院再議決も大遅延。ここに来て、小泉純一郎元首相が議決を欠席する考えを表明して物議をかもしています。
世論は「くれるならもらう」というのが大多数ですが、「政策として支持するのか」ということになれば反対の方が多い。要は“臨時収入”は嬉しいが、税金の使い方としては評価していないということです。夕刊フジに「兜町カタリスト通信」を連載する櫻井英明氏は、本日発行11面で「景気刺激策として、いっそ全世帯に地デジ対応TVと設備をプレゼントしたら」と提案しています。
定額給付金なら約2兆円ですが、これなら1兆円と半額。しかも、確実に景気刺激策となり、実現が不安視される地デジ政策も一挙解決する-。なるほど。何も進まない間に、本当に有効な税金の使い方を考えてみるのもいいかもしれません。
「身内」にテレビ局がある大衆紙の与太話というのも差し引いても、これはちょっとおかしいんじゃないか。
もしかして俺、何か計算方法間違えてる?これが「地デジチューナー」なら2万円以下の製品はいくつもあるんだが。
ちなみに、提案している櫻井英明という人をぐぐるとトップに出てくるのはこれ。
サンデー時評:今年は思いきりアホになるか
とにかく、私は懸命にメモをとった。一昨年夏、船旅をしていて、船中で村上和雄筑波大名誉教授の講演を聴いた時である。話に意外性があって面白いということもあったが、メモをとらずにはおれなかった。
-----
岩見 隆夫(いわみ・たかお)
毎日新聞東京本社編集局顧問(政治担当)1935年旧満州大連に生まれる。58年京都大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社。論説委員、サンデー毎日編集長、編集局次長を歴任。
http://mainichi.jp/select/seiji/iwami/news/20090105org00m010013000c.html
村上和雄ってそんなんだったのか。「サムシング・グレート」なあ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://mainichi.jp/select/seiji/iwami/news/20090105org00m010013000c.html
上の記事にトンデモとか疑似科学とかタグつけられてるのに驚いた。
どうやらはてな民の一部の皆様にとっては、科学と非科学が同じ文章で語られているとなんでもトンデモ科学らしい。
脊髄反射も甚だしいね。
科学的実験の証明に宗教を持ち込むことはないし、宗教の教えを科学で証明しようとしているわけでもない。
ただ研究の成果に神の姿を見ているだけであって、科学者が無宗教でないといけない理由もあるかね。
それが伝わらなかったとしたら、まぁ確かに記者が悪いといえばそうだが。
いくつか読んだ事はあるけど、もっと氏の本を読んでみようと思う。
元旦の朝日新聞にそんな言葉があって嬉しかったので勝手にコピペしちゃう。
ひとつはチェゲバラの生涯を綴った映画に寄せた、村上龍の短文。
〇チェ・ゲバラの生涯
08年9月のいわゆるリーマン・ショックで始まった世界的経済危機だが、循環的なものではなく、歴史の転換点だとわたしは考えている。金銭的利益だけを優先する企業戦略が破綻したと見るべきで、求められているのは景気回復などではなく、価値の転換であると思う。チェ・ゲバラが、生涯を賭して求めたのは、まさに金銭的利益以外の価値だった。人間の精神の自由と社会の公正さ。シンプルで、そして間違いなくもっとも重要なものだった。社会主義イデオロギーを世界に広めるために戦ったわけではない。イデオロギーはツールに過ぎない。どのような苦境にあっても向上心を忘れず、読み書きできる素晴らしさを仲間に教え、負傷した同志を決して見放すことなく、病気を患った住民を親身になって治療した。喘息の発作を起こしながらもキューバとボリビアのジャングルを行軍するチェ・ゲバラを、この映画は初めて現実化した。それは人類の希望そのものだ。わたしはその姿を、決して忘れることがないだろう。(出典:[JMM]From 村上龍 〜編集長エッセイ〜/村上龍)
もう一つは「学ぶ楽しさ」という特集紙面の表紙にあった谷川俊太郎の詩。
『かすかな光へ』
あかんぼは歯のない口でなめる
やわらかい小さな手でさわる
なめることさわることのうちに
すでに学びがひそんでいて
あかんぼは嬉しそうに笑っている
言葉より先に 文字よりも前に
波立つ心にささやかな何故?が芽ばえる
何故どうしての木は枝葉を茂らせ
花を咲かせ四方八方根をはって
決して枯れずに実りを待つ
つまずきころび泣きわめく
にじむ血に誰のせいでもできぬ痛みに
すでに学びがかくれていて
子どもはけろりと泣きやんでいる
私たちは知りたがる動物だ
たとえ理由は何ひとつなくても
何の役にも立たなくても知りたがり
どこまでも闇を手探りし問いつづけ
かすかな光へと歩む道の疲れを喜びに変える
際限ない言葉の列に学んできた
変幻する万象に学んできた
世界とおのが心の限りない広さ深さを
やっぱ本気で言葉書いてる奴は違うな、と。
O村さんこと、エンターブレインコミックビーム編集長奥村 勝彦さんの言葉が、
ほんとにそのとおりだと思ったので、ここに転載させていただこうと思う。
◇■編集長O村の編集余話■◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
あー。今年の初めにオヤジが他界して、今年一年ロクな年にはならんぞって
思ってたら、案の定、ガッタガタの一年になっちまった。まあ、ガッタガタな
のは俺だけじゃなくて、世界中なんで文句ばっかし言っててもしゃあねえけど。
来年も相当にタフな一年になりそうだ。正月休みの間に、いろいろ最悪な状
況をイメージして気合を入れ直さんといかんなあ。毎年、やってることなんだ
が、俺はこの作業を“肝を据えなおす”と勝手に名付けてるの。人間、何かを
やろうと思ったら普通、好きなことをやろうとする。それはべつにかまわんの
だが、それだけじゃ持たない。スタミナ的にもそうだし、ちょっとピンチにな
ったとしても“好き”だけじゃ厳しい。なぜか?
“好き”という感情は結構モロいから。なぜなら、“好き”な対象には必ず
美しい面と醜くて苦しい面が共存してるから、全部ひっくるめてそれを飲み込
まねえと、本当の意味でやりとげんのは不可能なんだわ。そうじゃなくても、
他にもっと“好き”なものが出来たとしたら? 無責任に飛び移れればいいけ
ど、たぶんキリがねえぞ。一生、フラフラして終わり。経験上“好き”だけで
やってる連中は長持ちしない。他の世界へ去っていくか、途中でポキッと折れ
てお終い。なんとかその世界で生き抜こうと思うのなら、キッチリとした矜持
(たぶんプロ意識と呼ばれているモノ)を持って、肝を据える……これぐらいし
か思いつけねえな。少なくとも俺は、そうなれたらいいなあ、って思っている。
さて、来年はどんな一年になるか?……全く予想も出来ねえや。でも、こん
なに緊張感を持って、一年を迎えようとしているのは生まれて初めてだな。
はてなで活躍してる3人
有村悠(ありむらゆう)98年度入会
入会当初はお茶会期待の星であったが、8年経った今ではニート・非モテ・メンヘルと3拍子揃った白色矮星と化した。人生を矯正するためにインドへ送り込む計画が有志によって進められているが、ヘタレなので逃げ回っている。一応、文才・画才両方兼ね備えた器用な人ではあるのだけど。かつては純文学と日本SFが守備範囲だったが、現在は無軌道にラノベを買い漁って読み漁り、会員に罵倒されている。まるで滝本竜彦の小説の主人公、あるいは滝本竜彦本人(ただし昔の)のようなダメ人間。
夏葉薫(なつばかおる)99年度入会
当会に数年ぶりに現れたまともなSF読み。山田正紀とかエリスンとか、SFファンとしては正統的な趣味をしているのにもかかわらず、口走る言葉がエログロばかりなのは一体どうしてなのか? セックス&バイオレンス主義を貫く一方、S─neryとか大塚英志とか白倉由美とかに対して屈折した愛情を抱き、「俺は桑島法子だ」と常日頃から公言している変態。むしろ中身より外見が桑島法子だったら良かったのに。白倉由美を大塚英志と離婚させるために大塚英志を寝取る計画を立案中。
転叫院豊(てんきょういんゆたか)98年度入会
第十七代編集長。ときどき電波でも食らったように、現代思想のあやしい用語を用いてアニメやらノベルゲームやらSFやらを語り始めるが、結構マジメな人なので訊けば丁寧に説明してくれるはず。小説では筒井康隆が好きらしく、ときに「脱走してやるぞ!」とか叫ぶ。好きな思想家は海外ではスラヴォイ・ジジェク。東浩紀のファンであるようだが、ミーハーとかサブカルとか呼ばれたくはないらしい。鬱キャラの次の時代は統合失調キャラだと信じている。
夏葉の方が有村より若いのか。意外。
■Japanで起きている話。
つい先日、大手新聞社の新人記者をしている友人と飲んだ時に聞いたのだけど。
ある時、その新聞社に所属する友人が取り扱った記事があった。
つまり彼が取材し、作成して記事にしたニュースだ。
ネタ的には大ネタではないけど、大衆受けしそうなネタだったという。
でもそこは大手媒体だからおもしろおかしく書くにも限界があり、まぁデスクのチェックが通る程度の記事に仕上げたわけだ。
その新聞社はニュースを自社サイト以外にポータルサイトにも配信しているから、いくつかのポータルサイトの経済欄だけに掲載されたけど、それほど注目は受けずに終わったらしい。
(でも見ている人はきちんといて、はてブも20コほど付いたという)
■Crisis(危機)の到来。
問題は翌日に起きた。
彼はそのニュースを大手ポータルサイトのTOPIX欄で読むことになる。
といってもそのニュースは彼の記事ではなく、Web系の媒体社の●●社のニュースとして掲載されていた。
なんとその媒体社が、ほとんど同内容のニュースを、少しばかり情報を肉付けして、ニュースに流したらしい。
そのニュースは記者の友人の独占ネタだから、すぐに「パクられた」と理解した。
しかもパクった方の媒体は、独立系の社員も数十人の小さな会社だから、おもしろおかしくタイトルもつけられるし、Webウケも狙える。だから結果的に大手ポータルサイトにも取り上げられたとのことだ。
■A氏の言葉
「あぁ、●●社はよく、俺らの記事をパクるんだよなぁ」
と、忙しいのか、それほど相手にされなかったという。
たしかに文体も変えているし、情報も肉付けしているので、著者権の侵害ではなさそうだ。
だが「記者が足を使って、取材した内容を、パソコン上だけで編集し、1本電話取材を追加しただけで、ほぼパクり、ニュースにする。その会社って媒体社として、記者として恥ずかしくないのだろうか」
彼は酒を飲み、酔っ払って赤くなった顔で、僕に問いかけてきた。
デスクのA氏はその会社のことを知っていて、「その会社の社長は有名週刊誌の元編集長だ」と言ったらしい。
メンバーも優秀な人がけっこういて、Webメディアとして成長を狙っているらしい。
Webメディアなんてそう儲からないビジネスモデルだろうから、たくさんの記者を抱える資本も売上のなく、結果的に大手新聞社の記事をパクるしか、情報の取得ができないのだろうけど、でもそうなると、足を使って一次情報を得ている記者は、バカ正直みたいな立場になってしまう。
大手新聞も購読者数や広告費が減少しているから、ただでさえ記者が減っているのに、このままでは一次情報がどんどん少なくなっていくのではないだろうか。
■tragedy(悲劇)の予感
Yahoo!ニュースとかを見ている人の中には、あのニュースがYahoo!が書いていると信じている人もいるらしい。それで「新聞読まなくてもYahoo!ニュースがあるから大丈夫」なんてのんきなことを言っている。
でもポータルサイトのニュースは、全部僕の友人など、新聞社の記者たちが作ったニュースです。
彼らの存在をWebやWebをとりまく人が、蹂躙し続ければ、彼らの(今は高いかもしれんが)給料も払えなくなり、結果的に一次情報もなくなる。
みんなそれでいいのかな?
メディア業界の衰退は、情報ジャンキーの僕らのtragedyになり得るのではないのかな。
僕は友人に一人前の記者に成長してほしいし、これからもニュースを作っていってほしいけど、このままではそれも無理なのかもしれない。
荒らし。
一見まともなコメントを残すこともあるが、その意図するところは荒らしである。
a.k.a. うま、室井健亮、apj_yamagata(apj氏とは無関係) etc.
継続的に使用するハンドルネームがある一方、捨てハンドルも多用する。
また、名前欄にハンドルとはいえない文章・タイトルを入れたりする。
例の人、あの方、F、一人永劫回帰氏などと呼ばれることも。
社会学を標榜する自身のブログに於いて、ニセ科学批判批判エントリを書き続けている。
言及を始めたのは2007年夏。他サイトへの書き込みはしないようだ。
書き込み名はmercaだが、論宅と名乗る。
粘着さん。
kikulogのマイナスイオンドライヤー関連エントリで誕生。
「私が知りたいから貴方たちが調べろ」と言い続け、1000レスを消費したのち、コメント禁止になった。
ニセ科学批判について書かれたエントリにコメントすることも多い。
Yahoo!掲示板のIDはssfs2007。大先生と呼ばれることも。
参考: SSFS大先生が馬鹿な理由(追記あり) - 『digital ひえたろう』 編集長の日記★雑記★備忘録
血液型ファンサイト「ABO FAN」の中の人。サイト名と同じハンドルネームである。
kikulogに初めてコメントしたのは2007年5月だが、活動暦は長い。
論理破綻が激しく、論理が破綻しており、破綻した論理を展開する。
知っている単語を繰り返す。意図しているかは不明だが、クオート・マイニングを駆使する。
参考: ABO FAN Blog:王様は裸だ!Annex:So-net blog
他にいたっけ。
参考ページは結構てきとうです。
変なとこあったら教えてください。
例によって女性比率は少ないが、女性でも40代後半の編集長とか、50代の事務方も普通にいる。
キャリアパスも描けてる。
以前にクリエイティブ職の人も多数見てきただが、正直なところ「クリエイティブ」というのはよほどのことがないと並みの人は消えていく職場だと聞いている。それは男女関係なく辛いと、40代に差し掛かった人(男)が真剣にぼやいていた。増田の職場では女性だけが辛いの? 男女いっしょ?
さっきから答えているのが、クリエイティブとかIT系とか出版なので、もう少し古来からのメーカーやら流通やら金融やらサービスやら、そこらへんの女増田の意見も聞きたいがいるのかな? はてなの人口比率的には少なそうな気もするけど。
エヌ氏は偉大な作家だった。主に短篇で、生涯に10000以上の作品を書き、その作品は広く愛読されていた。彼の名前を知らぬ人等この国には存在しなかった。
一方、いろいろな問題から、著作権が厳格に適用される時代になってきていた。作品の複製だけでなく、アイディアの類似したものでさえ、違法とされていた。もし法律に反すると、多大な罰金が課せられるようになっていた。
このことは、出版の世界で非常に問題になっていた。まず、出版社に入社すると、エヌ氏の作品を読むことを強要された。研修の半分はエヌ氏の作品熟読にあてられた。それから、作家志望の青年などが出版社に来ると、まずは「エヌ氏の作品は読んでますか」と聞かれた。もし「いいえ」と答えると、「では、まず、エヌ氏の作品を読んでから来てください。類似した作品があると大変ですから」と返され、作品は読まずに捨てられるのだった。それでも、いろんな人が一生懸命に努力したおかげで、このことが問題になることはなかった。
ところが、ある日、大事件が起きた。作家のエス氏の作品が、エヌ氏の作品に似ていると指摘されたのだ。エス氏は、著作権が厳格になる前に作家になった古い人だったので、エヌ氏の作品を読んでいなかったのだ。これを聞いた編集長は青ざめた。「早くなんとかしないと」
とはいったものの、一度噂になったものは取り消せない。新聞社が取り上げ、週刊誌が特集を組んだ。結局彼らは裁判にかけられて、多大な罰金を払うことになり、その罰金で出版社が倒産してしまった。エス氏も作家を辞めることになってしまった。
……ふとここまで書いて僕は不意に思った。この話と同じアイディアが既にエヌ氏にあるんじゃないか、と。そう思って、僕はエヌ氏の作品を一から読み出していった。
いや、ここまで重なるのはなにかあるんじゃないかと思うのよ。
漫画家が知らなかったというのはもしかしたらありうるとしても、
仮に2人が知らなかったとして、できた本はほかの編集の人も見てるわけじゃない。
その人たちも何も思わなかったのかな。
ぜんぜん畑違いの人間があらすじを聞いてピンとくるくらいのものを、
本職がぜんぜん気がつかないってありだろうか。
逆に、そういうところの感度は鈍くないとやっていけないのかな。
でも編集ってそんなに物知らずでもやっていけるんだろうか。
星新一のほうの話って、文庫にもなってるし、アニメにもなってるし、
星新一のホームページで、娘さんの主張と編集長の主張が公表されてるけど、
私は娘さんの文章のほうが納得できたので、漫画家のほうが腑に落ちない。
http://dpz.cocolog-nifty.com/q/2008/06/fm_1a8f.html
時間:月 - 金曜日 19時25分-35分(DJテツヤリクエストアワーの1コーナーです)
※現地で聞いてくださっている方から情報が入りました!
「放送は「月 - 金 19:25-35」となっていますが、
実際は「月 - 木 19:25-35 & 金 18:00-10」のようです。」
どこの代理店の扱いか分からんが、ニフティは騙されてこの番組やってるんでないかと思うほど。
放送時間の連絡すらされてないってのは、どういうことなんでしょ。
同録とか届いてないんですかね、編集部には。だとしたら劣悪な代理店、制作会社だと思うよ。
(NWは持ち込まれた録音番組を放送しているだけの立場なので、そこまでの対応をするとは思えない)
本編は10分の中に「編集長」林さんと、ゲストライター、それにナビゲーターの木河淳が入ってトーク。
10分なのに2曲かかるのは、NWだし仕方ない。中心に1曲据えて長くかけるのでもいい気はするんだけど。
あと、ライターだけだと、DPZラジオになっちゃうので、仕切る人が入るのは当たり前なんだが、この木河が酷い。
もうDJとしては賞味期限切れだし、事実関東圏ではレギュラー番組もない。
過去のレギュラー番組たって、ワイド番組だとFM富士とかでしょ。
あきらかに、組み込まれているNWの番組(リクマス)から「浮き過ぎ」なんですよ。
しかも、その浮き過ぎ要因は、デイリー色だから浮いてるのではなくって、木河の取りまわし方がおかしいから。
木河はたぶんDPZについては把握できてるんですよ。ただ、進行役としては第三者の立場に立とうとしている。
それがトークの結果として『ライターを馬鹿にしてる口調』になってるから、DPZを知らない人が聞いてもイラつく。
ゲストライターを「若い衆」と呼ぶ時点でどうかしている。あからさま見下し。
お前の年齢的にはそう言いたいの分かるが、番組聞いてる年齢がどのへんか分かってるのか。
そんな殿様商売だから、仕事なくなるんだろうよ。リスナー見えてないだろ、お前。
これ、来年4月まで続くってDPZラジオで言ってたので、もう、木河は直ちに変えるべき。
http://dpz.cocolog-nifty.com/dpr/2008/07/post_e4c7.html
きちっと聞き役に回ってくれる女性を入れたほうが番組も良くなるし、リクマスの分断感もまだ薄れると思う。
(本当は、NWとラインでつないで、このDPZコーナーもDJテツヤ仕切りで事前録音したほうがいいとは思うんだけど)
DPZのイメージを悪くしないためにも、ニフティは強硬な立場に出るべき。
もっと言えば、これはNorthWaveではなく、AIR-G'向きの番組だとは思う。東京のようなTOKYO FM、J-Waveまでの明確な違いはないんだから。
デザイン事務所やドライバーだって、AIR-G'聞くだろうし、農作業の方でもNorthWave聞きますよ。
でも、この時間帯だったら、圧倒的にHBCファイターズナイター聞いちゃうのかな。
そう考えると、放送時間帯のセレクトにも疑問は残る。
http://oshimas.iza.ne.jp/blog/entry/604296
正論の大島さん、毎日更新しなければいけないということは理解するが、
ネット監視の是々非々という以前の問題で、あまりにも明後日の方向に向いた議論が悲しい。
一応指摘しておくと、
●1.まず、現在のテキストマイニング技術ではサイトの「悪意」を見分けるのはどう考えても不可能。そもそも文章が何を意味しているのか、ということを理解するだけで大変。
●2.100歩ゆずって、テキストマイニング技術が発達して、サイトの監視ができるようになったとしよう(監視の是々非々は捨て置く)。で、そのサイトを発見したとして、何をすればいいのか?サイトに書き込んだ人間をどうやって特定するのか?できなくはないだろうが、それほどの監視コストを一体誰がどこから出すのか?
●3.200歩ゆずって、サイトに書き込んだ人間を特定できたとしよう。で、悪意のある書き込みがあったからと言って、警察は何をするのか?「人を殺したい」と書いた人間を捕まえるとでもいうのか?「人を殺したい」と叫ぶこと自体は、あまり褒められたことではないが、それは、単にそういう発言をしただけで、それだけでは殺人予告にはなるまい。殺人未遂でも、脅迫でもなんでもない。単に、人を殺したい、と叫んだだけだ。刑法でそれを取り締まることはできない。これは技術音痴というか、法制度に関する常識が抜けている。
大島編集長。自信をもって書くことができもしないようなネタで、ムリをなさらないようにしてくださいまし。
お仕事がんばってください。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2008/06/post_efdf.html
矛盾が大量に発見できて、いちいち突っ込んであげるのもばかばかしい。
そもそもfinalventは炎上をさせるような悪質なネットイナゴの味方なのだろうか敵なのだろうか。
切込隊長やj-castの炎上リポートもなくなってしまうとか、いままではそれを楽しんでたかのような口ぶり。
切込隊長といえば、匿名で自分の美談を広げたり、匿名で他のサイトに突撃したりしてそれをブログで語ったりするような、まさにネットイナゴの殿様バッタ的存在のブロガーである。
鼻歌交じりに燃やしたとブログで報告して拍手喝さいを集めて人気を得たブロガーである。
この文章に切込隊長が出てきた時点で馬鹿馬鹿しくて見る価値もない。突っ込む場所は他にもいっぱいあるが。
ぐっちーブログの問題をみて思ったのですが、残念ながらブログは嘘つきの心の病気の人間の発散の場になっているのでは。
狼少年の嘘をいつまでも聞いてくれる無限の村民を提供するのがブログというツールの気がします。
きっこの日記、切込隊長、漫画家の偽大場つぐみ、東京kitty、沢本あすか、などなど、次から次へと、
嘘つきが台頭し、そしてそのたびに嘘つきばかりがニュースになっています。
特に気をつけないといけないのは、「匿名の存在のまま有名になろうとする」嘘つきです。
実際の人物が社会的に信用できるものでないから、ブログで「架空の人格」を作り上げ有名になろうとする例です。
名前を隠していたぐっちーや、きっこや沢本あすかなどはこの例にあたるのではないでしょうか。
匿名で「有名ブロガー」という人格と「全裸大好きヒッキー」という人格を使い分けるような人間の言うことには、
私だったら何か別の意図があると考えます。
■「「アルファブロガーのヤツらは困ったもんだ」by編集長 (ソース富澤准教授のブログ) 編集
「アルファブロガーのヤツらは困ったもんだ」と嘆いておられました。
「ヤツらの文章はメチャクチャだ」と。
編集長曰く、「ほとんど俺が書き直したこともある」とも。
結論としては、「アルファブロガーは、プリントして自分の文章を読まないのだろう」ということになりました。
http://m-note.seesaa.net/article/98894090.html
より抜粋しました全文はリンク先から参照してください。
それにしてもアルファブロガーってなんでしょうか。
問題をおこしてばかりです。
私が思いつく限りでも、たとえばきっこの日記では、しょっちゅう嘘が指摘され、
http://www.j-cast.com/2008/05/26020577.html
finalventというブロガーは匿名で人格が保護されてるにもかかわらず、
その人格をつかいわけ、片一方ではヒッキーを自称し、片一方では知的な論客を装ってました。
http://anond.hatelabo.jp/20080312231337
最近メディアに出る機会の増えたグッチー氏は虚言疑惑が次々ともちあがっています。
http://www.tanteifile.com/newswatch/2008/05/30_01/index.html
切込隊長などは論外ですが、いちおう指摘しときます。
http://www.geocities.jp/kirikomi1973/Dell/index.html
次に問題をおこすアルファブロガーは一体誰でしょうか。
一部のグループが作り出してるという印象は確かにします。
任天堂の宮本茂やWiiに関するNew York Timesの記事。
http://www.nytimes.com/2008/05/25/arts/television/25schi.html より拙訳。タイトル含め、所々意訳。
追記:原題の " Resistance Is Futile (抵抗は無意味だ) " はスタートレックに出てくる有名なフレーズだそうですね。これはそのままのほうがよかったかもしれません。教えてくれた人どうも
「任天堂に対抗するだって?w 無駄な抵抗はやめておけ 〜 最強の55歳 〜」
宮本茂はゲーム界のウォルト・ディズニーと言っても決して言い過ぎではない。
ディズニーが1966年に亡くなったとき、宮本さんは14歳の少年だった。学校で教鞭を執っていた父の元、彼は日本の古都・京都で育った。当時漫画家を目指していた彼はディズニーのキャラクターに夢中になり、ひたすら絵を描いていたという。絵を描いていない暇なときは、自ら遊び道具を作った。祖父の工具を借りては木彫りの人形を作ったり、予備のモーターを見つけてはそれに糸とブリキの缶を組み合わせてカーレースをしたり。
かの有名なドンキーコング、そしてマリオやゼルダといったゲームを生み出し、最近ではWiiを世に送り出した宮本さんは世界で最も知られ、影響力のあるゲームクリエイターだ。世界中のゲーマーにとっても憧れの的である。しかし有名人になっても彼の仕事への態度は微塵も変わることはない。その姿勢はまるで謙虚な職人さんと言ったところだ。
ミッドタウン・マンハッタンのとある高層ホテルの特別室にてインタビューは執り行われた。彼は部屋に設置されたソファの一角に座っていた。今年で55歳になる男とは思えない天使のような笑顔の彼は、長年人々を楽しませてきた人が持つ独特のオーラを発していた。
宮本さんの生み出した数々の作品は世界中の人々に文化の壁を越えて受け入れられ、経済的な成功をもたらした。その成功はエンターテインメントの世界で比べるならば、ディズニーのあの伝説級の成功と肩を並べると言ってもいいほどだ。
そんな宮本さんがもし西洋の人間だったら、早々に会社を辞めて自ら会社を興していたかもしれない。きっと何千億もの大金を得られたに違いない。セレブになってエンターテインメント界の象徴としての地位を築いていたかもしれない。
しかし彼自身は任天堂の王様として人々の憧れの対象になったにも関わらず、妻と子二人という家庭のごく一般的なサラリーマンという印象を与える。ただ一般のサラリーマンと違うのは、創造力に満ち溢れて特別幸福な点だが。そのためタブロイド紙を賑わすセレブのようにマスコミの餌食になることもなく、比較的平凡な生活を送っているようだ。
インタビュー中、宮本さんをウォルト・ディズニーに例える話が出た際、宮本さんはディズニーの功績にはとても及ばないとした上で、こう補足した。「僕にとって大切なことは、僕だけでなく任天堂で活躍する人たちがもっと世間に認められて会社全体のブランドが今以上のものになることです。もし皆さんが任天堂ブランドをディズニーのそれと同等のものと見なしてくれるのならば、それは会社として大変光栄なことですし、私自身も嬉しいです」
宮本さんが30年近くも前に生み出したひげ面のイタリア人配管工・マリオは、ある調査によれば地球上最も有名な架空のキャラクターだそうだ。彼と肩を並べるのはミッキー・マウスぐらいだという。
宮本さんが生み出したゲームのうち、ドンキーコング・マリオ・ゼルダシリーズだけでも売上合計は3億5千万本はくだらないという。そして彼が生み出したのはゲームだけではない。任天堂のゲームばかりを買い求める熱狂的なファンも生み出した。全人類が今までゲームに消費した途方もない時間のうち、そのほとんどは宮本さんが関係しているのではないだろうか。ちなみに、今春に行われたTIME誌によるインターネット調査では、宮本さんは世界で最も影響力のある人物に選ばれている。
しかし宮本さんの最新の作品・Wiiに群がっているのはなにも古参のゲーマーだけではない。少し説明を加えよう。
ほんの18ヶ月ほど前、ビデオゲーム市場はマニアだけが喜ぶニッチな世界へと沈みかけていた。だがそんな折、この産業に大革命をもたらしたのが何を隠そう、任天堂社長の岩田聡とこの宮本茂(宮本さんの正確な役職は代表取締役専務兼情報開発本部長)だったのだ。彼らのアイデアはシンプルであるがゆえに革命的だった。ゲーム作りにおいて、コアゲーマーを刺激する次世代技術ばかりを追求するのではなく、家族で遊べることを重視し、複雑な操作の必要がない安価でお手軽な娯楽を追求しようとしたのだ。それがWiiの発売へと繋がる。そして特に従来のビデオゲームとは無縁だった女性層を呼び込むことに成功している。今のところ、Wiiは世界で2500万台以上を売り上げている。これはライバルのソニーやマイクロソフトを上回る数字だ。
この成功をさらに積み上げようと、先週任天堂は北米においてWii Fitを発売。従来のゲームでドライブしたり物を投げたりジャンプしたり銃で撃ったりという動作を楽しんできたのと同じ感覚で、テレビの前に立ってヨガなどを楽しめるゲームだ。今のところ明らかにできる具体的な売り上げデータはないが、既に売り切れの店舗が多数報告されているようだ。
世界中でアメリカのメディア文化が幅を利かせているが、ビデオゲームに関しては日本が最も成功している。そしてWiiとDSの成長により、任天堂は日本で最も価値のある企業のひとつとなった。また経済誌・Forbesによると、前経営者の山内溥氏が総額8000億円ほどで日本一の資産家となったと報じている。(任天堂は宮本さんの報酬を公開していないが、彼は資産家ランキングには参加していないと思われる)
「宮本さんがいなければ任天堂はただの花札屋に戻っていたかもしれない」 No.1ゲーム雑誌・Game Informer 編集長、Andy McNamara氏は任天堂の1889年創業当時からのビジネスに言及して指摘した。「彼はおそらく、ゲーム業界にいる99%の人間に影響を与えている。宮本さんと任天堂がいなければビデオゲームなんて存在しなかったに等しい。彼はすべてのゲームクリエイターの父の父なんだ。ゲーム業界に数々の遺産を築き、業界を象徴するキャラクターをたくさん生み出してきた。それでもおかしなことに、いまだに彼はWii Fitなどを通じて自らの限界を超えようとしている」
宮本さんは1975年に金沢美術工芸大学を卒業後、2年ほどして工業デザイナーとして任天堂に入社している。そして彼の作った初代ドンキーコングは、スペースインベーダーやアステロイド、パックマンとともに、当時急成長していたゲームビジネスの立役者となった。その後も初代マリオブラザーズによってアタリショックで疲弊していた家庭用ゲーム機市場を救い、1980年代以降、彼は社内で頭角を現し始め、任天堂と言えば宮本茂と言われるほどだった。
市場にクソゲーが氾濫し、アタリ社が失脚した際に登場したのが、かの有名なNES・Nintendo Entertainment Systemである。任天堂はNESによって人々の家庭用ゲーム機に対する熱を再び燃え上がらせることに成功した。西洋で1985年に発売されて以降、瞬く間に当時最も普及したゲーム機となったのだ。
それ以降宮本さんは、最近のマリオカートWii・スマブラX・スーパーマリオギャラクシー・トワイライトプリンセスなどといったヒット作も含め、70近くものゲームに直接携わってきた。下請けメーカーの作るゲームも監督し、今までにのべ400人ほどのゲーム開発者と関わってきた。
Wiiによってゲームには無関心だった層を魅了する一方、馴染みのタイトルの最新作においても宮本節は健在で、ゲーマーたちの信頼も厚い。
彼はなぜこれだけのヒット作を生み出せるのか。彼のゲームデザインに徹底して一貫しているものは、細部への気配りと拘りの積み重ねである。それだけだ。ディズニー社がしゃべる動物たちであそこまで会社を大きくできたのにちゃんとした理由があるだろうか。それと同じだ。青い作業着を着た風変わりなおじさんが人気者であることにも、これといった理由はないのだ。
あえて言うなれば、宮本さんがゲームの世界において生き神のように崇められる理由、ひいては私が20年以上前にスーパーマリオブラザーズを遊ぶためにピザレストランの行列に並んだ理由はこうだ。彼のゲームには、もうワンコイン投入してコンティニューすることを厭わない魅力があるからだ。現代風に言うと、もう一時間ソファに座っていたいという魅力だ。
また、映画評価が特殊効果の質で決まるわけではないのと同じように、ゲームの評価もまたそのグラフィックスだけで決まるわけではない。この基本を大概のゲームクリエイターは忘れてしまっている。しかし宮本さんはその基本を忘れることはない。それは映画マニアが例えば…そう、先日公開された「Iron Man」なんかよりも昔の白黒作品を好むように、宮本さんの初期の作品群もまた、今でも娯楽としての役割を充分果たし、広く楽しまれていることからもわかるであろう。
ディズニーの副社長で、Disney Interactive Studios社のゼネラルマネージャーを務めるGraham Hopper氏は電話インタビューを通じてこう言っている。「ビデオゲーム産業において幾度も成功を重ねて来た人物、しかもそれが世界規模で、となるとそんな人はほとんどいません。宮本さんはそのうちの一人です。しかも彼の場合、長期にわたり成功を重ね続けて来たわけです。同じレベルで肩を並べられるクリエイターはおそらく存在しないでしょう」
宮本さんの生み出すキャラクターがマリオとドンキーコングだけではなく、ピーチ姫やゼルダ、そしてクッパにリンクとゲーム界の有名キャラが目白押しであることを考えると、彼がキャラクター中心のゲーム作りをしていると思われるかもしれない。しかし実際はまったく逆だ。宮本さんによれば、ゲームのシステムや仕組みを考えるのがいつも先で、キャラクターはゲームデザイン全体を見て考えられ、配置される駒に過ぎないという。それは一見平凡で退屈に見えるゲームの基本要素に注力するということだ。ゲーム全体の流れや設定をどうするか、ゲーム内で達成すべき目標や克服すべき障害はなにか……。
「自分としては、私たちが作ったマリオやリンクなどのキャラクターを皆さんが好きになってくれるのは、ゲームそのものが楽しいからこそだと思います。ゲームに夢中になれるからこそ、結果的にゲーム同様、キャラクターも好きになっていくんだと思います」と宮本さんは語る。
宮本さんの最近の作品はマリオのキノコ王国やゼルダのハイラルのような風変わりな架空の設定や創作のキャラクターに頼らないものとなっている。彼のペットであるシェットランドシープドッグに触発されたNintendogs を始めとして、Wii SportsにWii Fit、そして次回作のWii Musicのようなゲームを見ればわかる通り、宮本さんはペット・ボーリング・ヨガ・フラフープ・音楽といったいわゆる"趣味"に根ざしたゲーム作りに惹かれているようだ。まるで抽象画を極めた画家が最後には写実主義に目覚めたかのように。
「ここ5年間で自分のゲーム作りの方向性は変わったのかもしれませんね。昔はもっと自分自身の想像力を使ってゲームの世界観を練り上げていったと思うのですが、ここ5年間は自分の私生活での興味を引っ張りだして、それを何かしらの遊びに繋げられないかなと考えるようになっていったと思います」
このイカれた配管工はなんで亀を何度も踏み続けてるの? この緑のナイスガイはなんで同じお姫様を何度も助けにいくの? そんな考えを微塵も起こさないほどゲームに無関心な人たちの目を向けさせることに任天堂は成功している。それは宮本さんのこれらの考え方が強力な武器となったことの証ではないだろうか。
そして強力な武器はもうひとつある。
さて、プレイヤーがゲームに直接参加したいと思ったときどうすればいいのだろうか。インターネットにはSNSのMySpaceがあるし、テレビにはオーディション番組のAmerican Idolがある。何を隠そう、それを実現してくれるのがWiiのMii機能だ。MiiはWiiユーザーが自由に作れる変幻自在のアバターだ。そう、最新の任天堂ゲームの主人公はマリオでもゼルダでもない。あなた自身なのだ。
「私はMiiに関してはマリオやゼルダと全く同じ任天堂の財産だと思っています」宮本さんはMiiに関してこう述べた。「Miiが面白い点は、子供であろうと大人であろうと、ひとたびゲーム画面のMiiを見てプレイし始めれば、もうその人はゲームに没頭できるんです。通常のキャラクターで遊んでいるときは、ゲームの世界から一歩下がって遊んでしまうことがありますが、自分のMiiを作成して遊べばゲームとの一体感はより増します」
任天堂は今夏にWii Musicの続報を発表すると期待されている。その基本コンセプトは、既に完成された楽曲を楽しむGuitar HeroやRock Bandとは大きく違い、作曲や即興演奏の楽しさを体験させてくれるものだという。
ところで、宮本さんは学生時代からBeatlesやLovin’ Spoonfulのような洋楽を聞いて育ったという。ピアノやカントリーギターも弾けるし、カントリー音楽マニアでもあるという。インタビューの後、宮本さんと会食の場を設けた際にこんなことがあった。その会食があったレストランのショーステージにカントリーミュージシャンのRicky Skaggsが数日後に上がる予定だと聞いた彼は、即座にその名前に反応し、半ば冗談ではあるが「滞在期間を延ばしたい」と苦悶の表情を浮かべたのだ。実際には予定通り彼は帰ったのだが。
そんな音楽好きの宮本さんが作るWii Musicに関して彼はこう言及してくれた。「遊ぶ人がまるで本当に作曲しているかのような体験が簡単にできるものをお届けしたいと思っています」
これだけ彼のゲームがヒット作ばかりだと、次回作がヒットするかどうか賭けをするのはさすがに馬鹿らしい。誰よりも"遊び"を知り尽くしているのはデジタル時代のウォルト・ディズニーこと宮本茂なのだから。
毎月、ゲゲゲの鬼太郎の載っている掲載紙を友達から貰って読んでは感想を送ったり
水木先生には及ばないが3日かけて背景を点描したりして絵を模写しては
掲載紙(ボンボンだったか…)に送ったりしていた。
小学生の自分には手が出ない金額だった。
親にねだろうにも当時は母一人子二人というほぼ極貧生活で、母が毎日深夜まで
パートや仕込みの仕事をしているのを見ていると、とても言い出せなかった。
その「すごい画集」を指をくわえて見ているしかなかった。
しばらく経って学校帰りに妹を近所の家から回収して宿題をしていると、大きな郵便の箱が届いた。
帰って来た親の了解を受けてから箱を開けるとその「凄い画集」が入っていた。
手紙には「増田君にこの本を送ります。こういう本は本当に欲しい人の為に持っていてもらいたい。大切にしてください。」。
そういえば前回送った感想に「水木先生の画集が高くて買えません」と書いたのだった。
水木先生はそれを読んでわざわざ送ってくれたのだ。
この時の周りが真っ白くなり何も聞こえないほどの感動は今もってこれっきりだ。
この事件以後、自分は恐れ多くも「水木しげる先生のように漫画家になる」と決めた。
それから20年。
いつか20年前の自分が夢中になった水木先生のような漫画を書いてみたいと思っています。
増田さん達に…近況ですが…自分は結局、「編集長の愛人が原作」の編集部とは決別して今は
こちらも色々あるのでまた吐露したいと思います。
ちょっと古いネタですが、1923年に途絶えたとされる皇族の有栖川宮の後継者を名乗り、結婚披露宴に著名人を招いて祝儀など1270万円を集めた男が詐欺容疑で逮捕されるという事件がありました。 主犯の背後には右翼団体なども絡んでいるそうで、奥の深そうな事件ではあるが、この「皇族結婚披露宴詐欺」だけに注目すれば今時珍しい「正統派詐欺師」と言えるではないだろうか。
編集長の独断では正統派詐欺師であるためには、(1) 騙された人に満足を与え (2) 騙されたことに気付いた後にも失笑を誘い (3) 十分な準備と大胆な計画で (4) 困っている人には被害を与えず (5) 大金を騙し取る という厳しい条件がありますが、今回の詐欺は全てを美しくクリアしています。
だれかに成りすます詐欺で、対象に選んだのが皇族なんてスケールがでかくていいじゃないですか。 しかも衣冠束帯や十二単衣まで用意する準備周到ぶり。 コストも相当かかったことでしょう。 家紋を入れた引き出物まで用意していたそうですから、1270万円集めたといっても利益率はそう高くなかったかもしれません。
しかもよく調べれば断絶していることの分かる有栖川宮の名前を使うなど、招待を受けてのこのこやってきて騙された芸能人も苦笑するしかないですよね。 白昼堂々と400人近い自称著名人たちを騙したあんたはエライ。 編集長から21世紀の正統派詐欺師に認定します。
できればこういう人たちは「詐欺容疑で逮捕」とかいう普通の犯罪者扱いはしないで、「有栖川宮の公務です」とかいってあの格好で社会奉仕活動させるとかがいーね。
著作物利用のガイドラインだと講談社も全面禁止(サイトにガイドラインがある)なんだよね。集英社はノーコメント。
サンデーについては取締りを始めたのが2005年ごろ。サンデーは編集長が変わった2004年から低年齢層を意識しており、エロにつながりかねないパロディを止めるという意味では、ディズニーや任天堂同様、同人に対してキッツい反応をするのもわからないでもない。それまではコナン同人なんて普通にあったしな。
ただコナミも最近ちょっと変わってきたのか、「武装神姫」というオリジナルメカ少女稼動フィギュアのコンテンツは「どうしたんだコナミ」と言うぐらい寛容な措置を取っているのが印象的。作り手側にアマチュアイベント参加者がいるのが大きいのだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20080219121753 0
http://anond.hatelabo.jp/20080219133702 1
http://anond.hatelabo.jp/20080219150703 2
http://anond.hatelabo.jp/20080219164145 3
http://anond.hatelabo.jp/20080219182449 4
http://anond.hatelabo.jp/20080220103805 5
http://anond.hatelabo.jp/20080225181422 6
http://anond.hatelabo.jp/20080226204431 7 の続きです。
きっかけは「ホットペッパー」でした。しかし、今までの対抗媒体とは比較にならないスピードで広告クライアントを奪われ、慌てて『聖域』を放棄し、広告収益から屋台骨を立て直そうとしたのは、タウン誌自身に他なりません。「ホットペッパー」や「フリーペーパー」と差別化が可能だった唯一の武器を捨て、同じ土俵に立ってしまった。それが現在、地方の雑誌メディア「タウン誌」が置かれている現状です。「なかなか記事で扱ってもらえない雑誌」から「お金さえ出せば記事が載る雑誌」に。街のタウン誌に対する印象は、以前とは180度変わってしまいました。
ホットペッパーショックで、『プライドか、金か』の選択を迫られ、『金』を選択したタウン誌の多くが、苦境に立たされました。一方、『プライド』を堅持したタウン誌も決して順調と言える状況ではありません。
この先、タウン誌がどうなっていくのか。それは誰にも分かりません。全国のタウン誌は、自分たちでは無理な突破口を、誰かが開いてくれることを待ち続けていました。敗色濃厚な戦場で、来るあてのない援軍を待ち続ける孤立した部隊のように。しかし、疲弊しきった兵士達の瞳は、まだ力を失ってはいませんでした。混乱する司令官が発する無茶な攻撃命令を受け流し、現場レベルで「どこで戦略を間違ったのか」「どうすれば生き残っていけるのか」を、努めて冷静に振り返りはじめたのです。タウン誌が読者の"信頼"を取り戻すのは、並大抵のことではありません。しかし、『金』を選んだタウン誌も、『プライド』を守ったタウン誌も、それぞれがそれぞれの方法で"信頼"回復を模索しまじめました。
その過程で、現場スタッフ同士でのネットワークが構築され、情報交換を始めたタウン誌もあると聞きます。編集長が交代し、部数減をくい止めながら若年層の取り込みに成功したタウン誌も出てきています。また、記事広告のあり方を見直すことによって、従来のように広告と記事の区別をつけながら、どう"広告"を魅力的に見せるかということに取り組みはじめたタウン誌もあります。積極的に県庁や役場などに働きかけ、それまで印刷会社や広告代理店が牛耳っていた観光や行政などの自治体広報に、雑誌媒体で培ったノウハウと人脈を生かして取り組む会社も増えてきています。ウェブ制作、イベント運営、小売りFC加盟、テナント経営、不動産賃貸。地方でタウン誌を発行している各社は、積極的に多角化の道を探っています。
取り巻く環境は変わっても、地方のエンドユーザーに一番近い媒体だからこそ、「読者から信頼される確かな情報」を疎かにしてはならない。"信頼されるメディアであること"を、もう一度柱に据え、タウン誌は再生の道を探っています。
しかし、ここまでに挙げた外的要因だけでなく、タウン誌を発行する出版社そのものにも問題点は多々あります。
つづく