http://anond.hatelabo.jp/20090225123751
1980年代を私は本誌編集長として過ごした。当時と現在とで,1980年代に対する私の見方は大きく違う。当時を振り返るとき,「なぜ気付かなかったのだろう」の思いを禁じ得ない。
例えば1980年代に欧米企業の研究開発方針は大きく転換した。要約すれば「中央研究所の時代から産学連携の時代へ」である。
西洋社会の伝統では長いこと,「知」と「技術・産業」は分断されていた。大学と産業界の距離は,西洋世界でこそ遠かった。それが1980年ごろから様子が変わる。「新産業を生み出すのも,新しい雇用を創出するのも,大学であり,大学の仕事に基づくベンチャー企業であり,それを起こす企業家だ」。世界中でこう期待し始めたのである。今にして思えば,それは,ほとんど革命(大学革命と呼ばれる)だった。
伝統的大学人の強い抵抗と社会的な摩擦を伴いながら,この革命は進行した。歴史的に大きな転換であるだけに,痛みもまた激しかったようである。欧米におけるこの革命について,日本の産学官もマスコミも鈍感だった。私も例外ではない。なぜ鈍感だったのか,自省を込めて考え続けたい。
大学革命の波が日本に及ぶのは遅かった。確かに21世紀初頭の現在は,日本でも産学連携や大学発ベンチャーへの期待が,産学官挙げての大合唱となっている。その点,世界の他地域と大差ない。しかし日本では途中経過が違う。1980年代後半のバブル経済華やかなりしころ,日本を基礎研究ブームが覆う。「キャッチアップは終わった,さあ,これからは基礎研究だ」。
背景にはリニア・モデルがあった。「基礎→応用→開発」=「研究→開発→生産」=「科学→技術→産業」。この順序で事が起こるとする。そしてこの順序の上流ほど偉いとする。欧米でようやくこれが終わろうとするとき,バブルの日本では逆に燃え盛ってしまった。国立研究所も産業界も,産業的な価値を無視するかのように基礎研究に力を入れようとした。
おごった産業界はうそぶいた。「大学頼むに足らず。ノーベル賞も会社が取る」。中央研究所の縮小に走る欧米企業は,このとき反面教師だった。「研究から手を抜くようになっては,欧米の一流企業もおしまいだね。これからは日本企業の時代だよ」。折から「経済一流,政治三流」と,まことしやかに唱えられていた。
確かに1980年代末に日本経済は空前の繁栄を謳歌する。しかし今振り返ると,周回遅れを先頭と誤解していた節がある。日本がバブルを謳歌していたころは,世界の大転換期である。この時期世界は次の時代の生みの苦しみにあえいでいた。そのため工業生産を一時弱体化させる。同じとき,工業生産に特化した古い構造を日本は温存し,転換に加わらなかった。それ故大きな利益を上げる。そういうことではなかったか。
おごれるもの久しからず。バブル崩壊とともに基礎研究ブームも泡と消え,それどころか研究所そのものの縮小・再編に日本企業も励むに至る。再び欧米が教師となる。そして欧米がこの四半世紀,血みどろの努力の果てに,大学を産業的価値の源泉に位置付けていたことを,ようやく知る。こうして1990年代後半から日本でも,産学関係の再構築と大学改革が始まる。
「日本株式会社」批判と並んで欧米からの批判がもう一つあった。「基礎研究ただ乗り」批判である。「日本産業は繁栄している。ということは科学,すなわち基礎研究の成果がなければならない。ところが日本では基礎研究には見るべきほどのものがない。よそで達成された基礎研究成果にただ乗りして,日本は産業的繁栄を実現しているに違いない」。
ばかげた批判である。基礎研究の直接の応用とはいえない産業技術など,山ほどある。しかし,時の通産省は貿易摩擦への対応に苦慮していた。「ただ乗り論」を受け入れて基礎研究を強化する道を選ぶ。傘下の工業技術院に属する研究所に対して,基礎研究を強化するよう,ほとんど強制する。
やがてバブルが来る。産業界の研究開発投資も急拡大した。拡大の方向は基礎研究である。日本の外で中央研究所の縮小と産学連携が進行しているさなか,日本企業は基礎研究を拡大する。
背景にあったのは,繰り返すが「キャッチアップは終わった。これからは基礎研究だ」という認識である。研究者・大学人・官庁科学技術政策担当者にとって,この認識は快いものだったのだろう。「科学→技術→産業」の流れの上流を担うところほど「偉い」という思いを,日本の研究コミュニティーも共有していた。それは,ヨーロッパに対して後進国だった時代の米国研究者の思いと同様である。
皮肉にも同じ時期に,米国産業界は,基礎研究や中央研究所の経済効果を疑い,研究開発投資の方向を事業密着型に変える。基礎シフトという1980年代の日本の政策は,欧米とは逆方向を向いていた。
準教授から聞いた話を思い出した。 全ての学生が結果を出せるような課題を与える教授は教育者として二流で、 9割の学生は失敗するけど1割は凄い成果を出せる、そんな課題を学生に...
大学(院)ってなんだろうって話になるね。 単に卒業して学位を取るだけの場所か、アカデミックエリートを要請する場所か。いっそのこと分離すればいいのに。
アカデミックエリートを養成するだけの大学院はもう時代遅れだよ どの院のパンフ見ても高度職業人養成って建前書いてるだろ? 国や社会が求めてるのはそういうこと 学者はそんなに...
大学はアカデミックであるべきだと思うよ。 たかだか数十年程度の時代の変動を真に受けて 「時代の流れに合わすべき」 って言って大学をアカデミックから引き剥がすのはおかしいで...
日本の大学の歴史なんて知れてるし、大学院がでかくなったのはここ2,30年の話 基礎重視も80年代にアメリカから言われてやったこと
http://anond.hatelabo.jp/20090225123751 【電子産業史】 1980年代を私は本誌編集長として過ごした。当時と現在とで,1980年代に対する私の見方は大きく違う。当時を振り返るとき,「なぜ気付か...
どこの文章? だいぶ偏ってるな。
これはアカデミック涙目
つhttp://anond.hatelabo.jp/20090225125030
人類ってそんなにアホなのかね。 それはもう間違いなくアホだろ。間違いなく。
パンフレットに騙されるあほうがまた一人。 かわいそうに。
「時代遅れ」「建前」読もうぜ いまだに時代遅れな大学院が多いってこと