O村さんこと、エンターブレインコミックビーム編集長奥村 勝彦さんの言葉が、
ほんとにそのとおりだと思ったので、ここに転載させていただこうと思う。
◇■編集長O村の編集余話■◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
あー。今年の初めにオヤジが他界して、今年一年ロクな年にはならんぞって
思ってたら、案の定、ガッタガタの一年になっちまった。まあ、ガッタガタな
のは俺だけじゃなくて、世界中なんで文句ばっかし言っててもしゃあねえけど。
来年も相当にタフな一年になりそうだ。正月休みの間に、いろいろ最悪な状
況をイメージして気合を入れ直さんといかんなあ。毎年、やってることなんだ
が、俺はこの作業を“肝を据えなおす”と勝手に名付けてるの。人間、何かを
やろうと思ったら普通、好きなことをやろうとする。それはべつにかまわんの
だが、それだけじゃ持たない。スタミナ的にもそうだし、ちょっとピンチにな
ったとしても“好き”だけじゃ厳しい。なぜか?
“好き”という感情は結構モロいから。なぜなら、“好き”な対象には必ず
美しい面と醜くて苦しい面が共存してるから、全部ひっくるめてそれを飲み込
まねえと、本当の意味でやりとげんのは不可能なんだわ。そうじゃなくても、
他にもっと“好き”なものが出来たとしたら? 無責任に飛び移れればいいけ
ど、たぶんキリがねえぞ。一生、フラフラして終わり。経験上“好き”だけで
やってる連中は長持ちしない。他の世界へ去っていくか、途中でポキッと折れ
てお終い。なんとかその世界で生き抜こうと思うのなら、キッチリとした矜持
(たぶんプロ意識と呼ばれているモノ)を持って、肝を据える……これぐらいし
か思いつけねえな。少なくとも俺は、そうなれたらいいなあ、って思っている。
さて、来年はどんな一年になるか?……全く予想も出来ねえや。でも、こん
なに緊張感を持って、一年を迎えようとしているのは生まれて初めてだな。
こういうのって言葉の定義が曖昧なんだよなー。 「好き」という言葉が、奥村バージョンとでも言うべきものに、相当モディファイされてる気がするわ。 まぁこの人知らないけど。
「好き」のくだりは男女関係でもそのまま当てはまるな。義務教育に導入したいくらいだ。