お前は本業と同じ時給換算できるほどの実力者なのか
さっさと婦人科行け
社会福祉とはそういうこと
飛行機乗りたいよう
見たくないとも言えず、つまらなかったとも言えず、興味ないとも言えない
世間は「別に言わなくても良いじゃない」と言うけど、こっちからすれば面白かったことも「言わなくても良いじゃない」
意地になって観に行かないとかじゃなくて本当に興味がない
先日初めて人の為に作曲した。
1曲2万円で引き受け先日無事納品。
とても喜んでくれて嬉しかった。
ということを嫁さんの実家でお義父さんとお義母さんと妹さんに話したら、
「2万円は高いの安いの?」と質問された。
会社の手取りから時給を計算して、それかける作業時間で算出した金額をもらった。
1300(円)×15.5(時間)=20150
と説明したら皆納得してくれた。
菊花賞の売上も3割増だったよ!
トリビュートアルバムなんかもう大好き。
歌い手によって色んな表現方法があって、その曲の深みをもっと知られるというかね。
アレンジや、楽器隊も含めて元曲との違い、どこをどうしたかとか一生懸命聞いてしまいますよ。
でもセルフカバーはだめなんですよ。大嫌いと言ってもいい。
どうしてかって言うと、やつら、「こっちが本家本元でござい」って顔をして出てくるんですよ。
違うんですよ。私の認識では、セルフカバーであっても、一介のカバー曲にすぎないんです。
一介のカバー曲が元曲に対して「どうです?この歌い方の方がその曲の良さをもっと引き立てられるでしょう」って態度をしてたらどう思います?
それが何故かセルフカバーではまかり通るんですよ。
実際にファンがほとんど上記の通りのことを言っていたこともありますよ。「これが正解」とか、「模範解答」とかね。
そりゃ、作詞作曲者がカバーしてるのだから、普通のカバーよりかは凄いことかもしれません。
その曲の理解度に対しては元のアーティストを上回っているんでしょう。
でもそうじゃないんですよ。その曲は、その人の曲という前提で作られ、その人のために書き下ろされたものじゃないですか。その人の持ち歌じゃないですか。
それをちょっとだけ時間が経って、セルフカバーして、模範解答とか言われたら、変でしょう?
誰のために書いた曲だったんだ、ってなるじゃないですか。
まずはその曲を、その人のために書いた曲として大事にしてほしいんですよ。その上でセルフカバーなりなんなりしてほしい。
例えば、凄く時間の経った後で出すとか、その人の何らかのイベントに合わせて披露するとか、自分のじゃなくその人のアルバムの方に入れるとか、そういうリスペクトを感じるやり方でですよ。