2020-10-26

セルフカバーっつーのが嫌いなんですよ。

普通カバー曲は好きなんですよ。

トリビュートアルバムなんかもう大好き。

歌い手によって色んな表現方法があって、その曲の深みをもっと知られるというかね。

アレンジや、楽器隊も含めて元曲との違い、どこをどうしたかとか一生懸命聞いてしまますよ。

でもセルフカバーはだめなんですよ。大嫌いと言ってもいい。

どうしてかって言うと、やつら、「こっちが本家本元でござい」って顔をして出てくるんですよ。

違うんですよ。私の認識では、セルフカバーであっても、一介のカバー曲にすぎないんです。

一介のカバー曲が元曲に対して「どうです?この歌い方の方がその曲の良さをもっと引き立てられるでしょう」って態度をしてたらどう思います

それが何故かセルフカバーではまかり通るんですよ。

実際にファンほとんど上記の通りのことを言っていたこともありますよ。「これが正解」とか、「模範解答」とかね。

そりゃ、作詞作曲者カバーしてるのだから普通カバーよりかは凄いことかもしれません。

その曲の理解度に対しては元のアーティストを上回っているんでしょう。

でもそうじゃないんですよ。その曲は、その人の曲という前提で作られ、その人のために書き下ろされたものじゃないですか。その人の持ち歌じゃないですか。

それをちょっとだけ時間が経って、セルフカバーして、模範解答とか言われたら、変でしょう?

誰のために書いた曲だったんだ、ってなるじゃないですか。

まずはその曲を、その人のために書いた曲として大事にしてほしいんですよ。その上でセルフカバーなりなんなりしてほしい。

例えば、凄く時間の経った後で出すとか、その人の何らかのイベントに合わせて披露するとか、自分のじゃなくその人のアルバムの方に入れるとか、そういうリスペクトを感じるやり方でですよ。

カバー曲だったら、元曲に対するリスペクトがあって当然、でしょう?自分の関わった曲でもそれは変わらんですよ。

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