一般化していけばそれだけコミュニティへの参加者が増えるから、
ネタを楽しむ前提を全員が持っていないということも起こりうるんだろうね。ユーモアがないというか、面白みがないけれども。
外野がバカだとか情報弱者だとか騒いでも一般化は止められないだろうし…
ツールとして便利とか不便とか、そういう議論以前の問題なのだろう。
「終わり」というより「終わりにさせられる」といったふうになりそうだけど。
マジレスというよりも、ありもしないネタ記事なわけですよ。まさに虚構。
でも、見た瞬間に嘘だとばれるようなネタじゃつまんないよね。
際どいネタが多いからな。前にTOTOが和式便所を作るの止めたって言う虚構ニュースがあったけど、それをナイナイのラジオに伝えて岡村がネタとして読み上げていたからな。(後から訂正してたけど)
べつに後発の発想だとも思わないし、前からあったから優先されるべきとも思っていない。
ただ、先住民という言葉の定義にもよるが、1990年代中頃のfj.news.usageあたりを見る限りにおいては、junet世代はおおむね「馬鹿に馬鹿と言う」のを良しとしている、というかより正確には「馬鹿は馬鹿と言われてもしかたない」という姿勢であったように思う。馬鹿を擁護するポスターはたいていインターネットサービスプロバイダーから投稿していたから、後発のユーザーと言っていいのではないか。
つまりネットの先住民は凶暴で近づくのはベリー危険だった。うっかり「半角カナ」とでも言ってしまおうものなら大変なことになった。ふつうに投稿しても、その投稿者が認知心理学者だってだけで「認知心理学なんて、インチキ科学だと私は思っています」などとばっさりやられていた(fj.sci.math大論争)。時間があり調べ物が得意であげあしを取るのに優れた者だけが生き残る、すごく理不尽な不毛の荒野だった。
問題は、「馬鹿に馬鹿と言ってはいけない」という合意が全然広まっていないことであり、馬鹿に馬鹿と言うのを良しとする連中がまだまだ一杯生き残っていることであり、彼らはおそらく一生主張を変えないであろうということだ。
といろいろ書いて見たが結局のところhttp://anond.hatelabo.jp/20120515130704の
芝が生い茂るのは仕様です(キリッ
twitterが流行る前は、虚構新聞のネタだって充分ジョークとして通用してたじゃん
ほとんどのネット住民がソースくれって馬鹿の一つ覚えみたいに言って、醤油渡したりケチャップ渡したりして遊んでたじゃんか
ソースも確認しないで嘘を信じて騒ぐ馬鹿なんて馬鹿にされて叩かれてお終いで、すっきりしたもんだったろ
ガム食べる?って渡して、ガムをひっぱるとパチンと指が挟まれるおもちゃがあったけど
虚構新聞なんてあのガムのおもちゃくらいの存在だったじゃないか
長文を嫌ってソースも確認しないで「オタクじゃなくて一般人なんで、よくわからないです。情強(笑)じゃないから騙されちゃう」みたいな文化いい加減にしろよ
ごめんねトラバ間違えたの本当ごめんね
騙された人個々のことより、
そういうのがうねりになると凸されて対応に追われたり訂正されずに変なイメージが残ったりするわけで
どっちかっていうと
マジどんだけキレてんだよwwwこえーよwww
後々引きずって手に負えなくなりそうだし、今のうちにネット引退も考えとけば?www
嘘だよーん、って言いながら釣ってるところになにムキになってるんだろうね。