はてなキーワード: フロッピーとは
補足。
何でプログラマなのかといいますと、父親がもともとプログラマで。もう定年近いけど。
物心ついた頃から、家にはMZ-80Bがあって、黒画面に緑文字の。フロッピーディスクも繋げてたやつで、(当時は大きいペラペラのフロッピー)よく、ゲームの入ってるフロッピを差して、実行させて遊んでたりしてました。
しばらくしてからPC-9801が来たけど、それは一太郎くらいしか遊ばなくて、書院のワープロがあったからそっちの方でひたすら遊んで、その次がwin98。この辺でもう引きこもり。1日中ひたすらパソコンの前にいた。父がVBを覚えたら、と入れてくれてたけど、全く訳がわからなかったな…。今もわからないけど…。結局、ピーヒョロヒョロヒョロヒョロのモデム接続のPCでhtml等なんかを覚えただけだった。その後は家はずっとmac。会社はXP。
もうね、winでもmacでもPC触ってるだけでとにかく楽しい。20年以上ずっとそうなんだから、この先も変わらないと思う。
あ、父親が21時前に家にいることはものすごく珍しい事だったから、プログラマなんてそんなもんてのは大体わかってる。紙媒体もそんなもんだったし。でも紙の仕事はとにかく向いてないしセンスないし将来なさそうだしもう絶対やりたくない。でもでも、とにかくパソコン触る仕事したいよ><
プログラミングの本ちらっと見てるだけでもワクワクがすごいよ。内容殆どわからないけれど。
実は俺も持ってた。
俺が持ってたのはSFC用で、3.5インチフロッピーを使うタイプ。
当時はまだネットなんざ普及してなかったんで、友達から借りて、コピーを取って即日返してマッタリプレイという感じだった。
あのころはまだ隠れた存在で、知る人ぞ知るような存在だった。
中にはきっと、買ってコピーして、ホンモノを速攻中古屋に叩き売るとかしてた人もいるだろう。
俺だけかもしれんがコピーで遊ぶことに飽きてしまった。
今のマジコン界はそのへんマジコンとして出来ることが広がってしまって、マジコンを手に入れる手段もロムイメージを手に入れることも容易くなってしまった。
あまりに容易いものだから、小学生なんかモラルの欠片も感じないんだろう。
マジコンというものに対価を払っているからコピー対策なんかしてあろうもんなら逆ギレしちゃうんだろうな。
カネ出して(マジコン)買ったのにできないなんてどういうことだ!と。
任天堂はとりあえず販売店潰すべきだよ。
小中学生からゲームを手に入れるまでのプロセスを歪めちゃイカンと思う。
いるとしたらだけど、親も含めて無自覚でマジコンを使ってるのが一番怖い。
はてサの主力メンバーのタグ一覧を浚って、うまくネタにまとめようと思ったんだけど、
こんだけ悪意によどんだネガタグの一覧を前にすると、正直ふつうの神経なら参っちゃうみたい。
3,000くらいから1/10までしぼりこんだところで心が折れますた。
何を言っているのか君は。
「OS起動中に」BIOSからディスクが読み取れなくなった場合でも、OS自体は生きててメモリにカーネルが存在してるんだぞ。
カーネルってのは、要はDOSみたいなもんだ。これにディスクがつながったりして、そこからプログラムが読み出されたりする。
確かにカーネルのプログラム実行コード自体はディスクに存在しているから、ディスクがなければ実行不可能だが、ディスクからメモリに読まれているならそれは既に実行されているものなんだぜ?
あれだよ。PC98時代を思い出してみろよ。
一回プログラムが起動した後にフロッピーとか抜いてみ? 動いてたはずだろ、PCは。追加でディスクを読みにいったときに読めなかったりしたからブルースクリーンなんだよ。そこを理解せい。
状況によるよな。
例えば、パソコンなんかでフロッピーの話をしたりMOの話をしてたとき若い子が「そんなの使い物にならないよw」なんて言う。
でもそれはそういうフロッピーやMOが過去のものになっている時代に生まれたからそういう考えが出てくるわけで、仮に年寄りたちが今の時代に生まれていれば同じことを言っただろう。
だけど、上司とタメ口でしゃべる・人に謝るときに「すみません」じゃなくて「さーせんw」みたいな態度をとる、とかそういうのは時代は関係なく教養がないだけで、それは個々の勉強不足なわけだ。
同じ若い子でもそういったことができる子できない子は昔からいたんだから、もちろん今の若い子だけができないと言うのはおかしいが。
第0001回:衰退していくIT業界に向けて、30半ばシステムエンジニアが昔の思い出を語るよ 0001
第0010回:衰退していくIT業界に向けて、30半ばシステムエンジニアが昔の思い出を語るよ 0010
中学生になった僕は、マイコン熱がさらに高めていった。その頃お小遣いもそれなりに増え、折りしも、バブルの好景気にさし掛かろうかと言う時代、自営業である家業もある程度儲かっていた記憶があって、家の財布の紐はちょっとだけ緩んでいた。
住んでいる家は それまで通り6+6畳で狭いままだけど、新しいマイコンをねだれば買えてしまう時期だったと思う。狭い借家にマイコンやモニタが所狭しと並べられ、家の一角だけは未来的な雰囲気(当時としては)が漂っていた。
僕は、当時全盛期だったNECのマイコンどうしても欲しく、初めて自分のマイコン(兄貴との共同出資かもしれない?失念。)を買った。それがPC-6601(1983年発売、定価143,000円)だった。
当時、マイコン小僧たちの憧れはPC-8801シリーズ(この時の最新機種は、PC-8801mkII。価格は20万前後)で、当然ながら欲しいと思っていたのだけど、やはり値段の兼ね合いから却下されてしまったのだと思う。また、どうしてもやりたいゲームがFM-7に無く、PC-6000シリーズにはあったと言う理由もある。(ゲームについては後述)
PC-6601の売りはなんと言っても3.5インチFDD搭載と言う事。その当時出回っていた5インチのフロッピーに比べ、あの完全に磁気面がガードされた3.5インチフロッピーはなんとも先進的で、当時の憧れだった。それから、どう考えても無駄な、合成音声をしゃべる機能があった。
PC-6601を買ってからの僕は、BASICもまぁ触っていたけど、難しすぎるベーマガのBASICプログラムにはついていけなくなり、当時流行り出したアドベンチャーゲームを解く方に熱中していたと思う。
その頃熱中していたゲームは、ミステリーハウスから始まり、T&Eソフトのスターアーサー伝説I 惑星メフィウスやデゼニワールドをなんかを必死に解いていた。この時代は、途中で詰まってしまったらそれまで、攻略本や教えてくれる人など居ないので、月一に発売される雑誌の攻略ページなんかを見て、しこしことゲームをやっていた。当時のゲームの進みはかなり遅かったと思う。1ゲーム解くのに軽く半年くらいは要していたはず。
そもそも上述した「スターアーサー伝説I 惑星メフィウス」なんかは、とある牢獄から脱出するのに、牢獄のドア、3本の鉄格子の右を3回「タタク」と入力するなどと、おそらく知らなければ永遠に気が付かないような謎解きが平然と混入していた。ゲームバランスなんてあったもんじゃない。
あと描画速度の遅かった事と言ったらない。少し凝った絵だと、1シーン1分くらい描画していたように思う。
当時のグラフィックスを今見て、すごく懐かしいなと思うのは、当時は表現できる色数がかなり少なかったので、(8色とか16色とか)アドベンチャーゲームなどで人物や背景を表現する為に、2色で細かい縞模様を作り、無理やり中間色を作り出していた。この描画表現を見ると、かなりノスタルジックな気分になる。
ちなみにその当時、僕はファミコンのゲームをかなり軽視していたと記憶している。
ファミコンが発売されてしばらくの間、ファミコンのゲームはマイコンゲームからの移植で、機能を制限したものが多かった。なので、しばらくファミコンは自宅に無かったし、見向きもしなかった。
ファミコンなんかよりもマイコンのゲームの方が数倍複雑で楽しいし、ファミコン自体は、所詮マイコンの機能限定版だと思っていた。
しかし、この状況はすぐに逆転することになる。ファミコンが思わぬ大流行をしたため、マイコンのゲーム数は、ファミコンにいとも簡単に抜かれた。仕方なく少し遅れ気味にファミコンを買う羽目になる。
あの頃やったアドベンチャーゲームには、色々な思い出がある。中間色を駆使したあのグラフィックスをみると、いつでもあの頃の思いが蘇ってきて、なぜだかワクワクしてしまう。
まだ続くと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20081023202723
windows xp のソニー製デスクトップなんだけど手を触れてないのに突然ピッと鳴る。
三日に一度くらい。
関係あるかわからないけど、フロッピードライブはないしCDドライブも使ってない。
なんなんだろう?
http://anond.hatelabo.jp/20081023223226
いや、タスクなんかはほとんど削ってある。テレビの自動録画なんかも使ってない。不思議。
http://anond.hatelabo.jp/20081023225343
それにしても、どうして鳴るのかわからないというのが怖い。
OSXってつまりBSDに皮かぶせただけでしょ(時候の挨拶)。
昔、MacClassicちゅうのがあって、というこの表現も少し恥ずかしいけれど、まあとにかく、ディスプレイと本体が一体になった当時としては画期的な機体があって(てきとう)、高校の電算室の片隅に、8inchフロッピーが接続されているPC-9801とかと並べておかれていて、当時、開発環境もなく、知識もない高校生にとって(プログラミングの授業はX端末でやっていた)、それはなんだかよく分からない、マウスボタンが一つしかない四角い箱として認識されていた。
このなんだかよく分からない四角い箱に興味を示した奇特な高校生は何人かいて、まあ僕もそのうちの一人だったのだけれど、すぐに爆弾マークと独特のビープ音を鳴らして止まるこの機械でできることといえば、せいぜいが電卓をぽちぽちやるか、プリインストールされていたゲームをやるくらいのものだった。
そのプリインストールのゲームの中でも僕のお気に入りはShanghai(上海)で、来る日も来る日も麻雀牌をクリックし続けたものだ。時は過ぎ、僕は無事卒業し、そのClassicがどうなったのかは知らない。けれど、たまにアーケードで稼働している上海を見つけては100円玉(ときに50円玉だったりする)を投入したものだ。
そして去年、2007年になって僕はPCを新調し、それには悪名高きWindowsVistaがプリインストールされていた。まあでも、スペックを奮った結果か、WindowsVistaは至極快適で、見た目を少しいじった程度で普通に使っている。
Windowsといえばやはりフリーセルで、見た目がだいぶ変わっていることに戸惑いつつ、いくらでもUndoできることを微妙に思いつつも、日々クリックをしていた。無傷の100連勝(Undoできるから)をしたあたりでさすがに飽きて、スタートフォルダのフリーセルの同じ並びを眺めていたときに、僕はそれを見つけた。上海だ。迷わずクリックする。下品な効果音のあとに麻雀牌が綺麗に並べられる。
見た目はだいぶ変わっているけれど、これは紛う事なき上海そのものだ。配置は上海II形式だ(たぶん)。そういうわけで僕はWindowsVistaを使っている。
はじめは、書院で書いてた日記をフロッピー経由でパソコンに移して、ホームページビルダーにコピペするところからだった。
ソース表示の時に出てくる暗号じみた文字列内に、レンタルCGIのカウンターをつけるため、おっかなびっくり1行加える。
普段は全部GUI上で完結。ソースなんて可能な限り見たくない。
その後、DreamWeaver+Fireworks4のセットを1万円台後半で手に入れて(その後のVerでぼったくり価格に変貌)、画像のスライスを使えばどんなレイアウトでも作れるようになった。
近所の人から製作を頼まれるようになったので、お金をもらって作ることに。
そういう作業にようやく慣れてきたところで、どっかのエラい人が「今後はXHTMLとCSSです。コンテンツと装飾を分離します」と言っているらしい。
なんかそれをやらないと業者的にナメられる気配が濃厚。
仕方が無いので覚える。せっかく今のままでも普通に見れるのを作れるのに、めんどくさい。
というかこれ、GUIで作れないの?今時手打ちってどうなのよ。能率激減。
さて、それはそれとして。
プログラムやれたらもっといろんなことができるんだろうなあ、と思い続けて数年。
フリーのCGIに言葉の置換コードを1行コピペすることから取っ掛かりを得て、ようやくプログラムアレルギーをちょっとだけ克服。
その後さらに数年かけて、Perl・PHP・MySQLで目的の物をなんとか作れる程度まで覚えることができた。
で、今度は「美しいコード」だそうで。
メリットが無いと意欲も湧かないので、教えてください(教えて君)。
それにはどういうメリットがあるの?
SDカードにWiFi通信機能がついた"Eye-Fi"を買ってきて使ってみたんで使用レポ。
■Eye-Fi概要
デジカメによく使われているSDカードに無線機能を内蔵したもの。
無線LAN圏内でデジカメの電源を入れるだけで撮影した写真をPCやWebに転送できる。
■パッケージ内容
Eye-Fiカード 1枚
■セットアップ
Eye-Fiアカウントを作成
使用する無線LANを指定
■使ってみる
一度デジカメの電源を切って、入れなおし、数秒そのままにする
撮った写真が無線LAN経由で自動で転送される(設定したフォルダやweb写真共有サービスに)
■気づいた点
無線LAN経由で転送しても写真はEye-Fi側に保存されてる(消さないと満杯になる)
撮影後しばらくまっても転送されない。電源入れなおしたほうがすぐに転送開始する。
IEEE 802.11b+光回線で、1600×1200px(600KB)の写真がローカルフォルダに転送されるまで3秒くらい。
ローカルフォルダには"January 03, 2003"の形式で日付フォルダが自動作成される。
写真データはオリジナルがそのまま転送されてくる。(EXIFも保持)
ファイアウォールに穴をあけなくてもいい(内から外の通信のみ)
■データの流れ(予想)
Eye-Fi → 無線ルータ -(internet)→ Eye-Fiサーバ → 各Web写真共有サービス
PCのEye-Fiマネージャ -(問い合わせ)→ Eye-Fiサーバ → PCのEye-Fiマネージャ → ローカルフォルダ
■
Adobe CS3を入れた。こりゃ駄目だと思った。
自称ロサンゼルスのデザイナーみたいにタダのソフトがあるからアカンワとかお母ちゃん並みのことを言いたいのではない。
PhotoshopもIllustratorもまあ、いい具合に仕上がってる。
プロのツールだからマウスでポイント引っ張って操作する所の挙動のチューニングなどはとてもありがたい。地味だがそれだけに金を払える。アフィ乞食がブログで伝聞と嘘を書くだけと違って1日1万回以上のクリック、3km以上のマウス移動をするのだ。それぞれのストレス軽減は「金になる」。
マーケティング的に必要なのかもしれないが機能の増加は金額に見合うかどうかわからない。工数はかかってるんだろう。でも要らないよ。それよりバグとってよ。
まあ、そんなアップグレードのシーンは日常であるのでいいのだが、最大の問題はやはりMacromedia製品とAdobe製品の統合である。
結論から言えば「統合」できなかったらしい。ユーザー数の多寡という小学生並みの多数決原理でバッティングするソフトがあるものは生き残り、あるものは消え去る予定のようだ。
名前のどちらかが消えるごときはいいのだが、せっかくの合併なのになぜパッケージのみならず違うチームの資産たるコンセプトやアイデアまで捨ててしまうのだろう。
キャッシュフローしか見てないマネージャーには分からないかもしれないが、あれだけ肩身が狭くともGoLiveを使ったのには理由があるからなのだ。Photoshopのおまけ扱いでもImageReadyの機能がワークローに既に組み込まれてそこにあるんだ。そういうリアリズムは商売人なら門外漢でも分かったもんだが、すでに椅子に座ってるのはサラリマンでしかないということだろうか。
どっちか残すなんて合併などせずとも元の両社がそのカテゴリから撤退すれば済んだことではないか。それで社会資本的にもロスが減る。でもそれだけだ。アドビのマネージャーたちが合理化と称するのはサルにでもできる椅子とりゲームでしかなかったわけだ。
10年以上前、ソフトウェアの会社からはコンピューターはこう使うんだぜと凄いディレクターと天才プログラマーが一緒になって俺たちにその知的再生産のための魔法を変な匂いのマニュアルとあっけにとられるフロッピーの束とともに売りつけてくれていた。
今は何も知らない能無しのスーツが目の前で札束を数えながら預かった畑を掘り返し、アスファルトで舗装している。
もうそこには二度となんの果実も実らないのだ。クソボケが。