はてなキーワード: メリーゴーランドとは
最近さ、
活動40年みたいなことらしいわよ。
矢野顕子さんの曲と言えば、
いろいろよく聞く曲あるわよね有名なの。
春先神戸に行きたくなる曲はもちろん、
他にもラーメンとか、
とりわけ、今の時期はシチューが食べたくなる曲があるわよね。
カランコロンカラ~ン
「大将やってる?」
「へい!らっしゃい!」
「大将、海砂利水魚入りホワイトクリームシチュー定食いっちょう!半ライス大盛りでねっ!」
「あいよ!へい!おまち!」
「へい!海砂利水魚入りホワイトクリームシチューお味噌汁付き!」
なーんて、
みたいな。
ところで、
海砂利水魚味って
一体どんな味なのかしらね?
なんかとにかく、アサリがどっさり入ってる感がするわ。
貝好きなのよね~。
Rの付く月、付かない月なんか関係ないっ!
それぐらいバシバシパクパク食べていきたいの!
ギロッポンでレイキーなチャンネイとキーカーをべーたー、なんてゆうて。
食べ放題なのよ!
食べた瞬間間髪入れずに、どんどん牡蠣入れてくるお姉さんを
止めたいのを止められないやつをやってみたいわ!
それとか
待て待て~!きゃはは!きゃはは!ってやりたいわ。
そのチャレンジスピリッツはインスパイヤザネクストにしておきなさい!
今度やってみようかしらね。
うふふ。
今の炊飯器は保温優秀ね!
らくらく48時間は余裕よ。
そんで、炊いてから48時間寝かしておいたご飯でおにぎりです。
ご機嫌な朝ね。
冬にはホッツ白湯で。
もうやっぱり冬は暖かいのがいいわ。
これで味がキマっちゃうので、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
夏休み明けの自由研究の展示をみると、本当に親が一切手を掛けていないんだなという作品がいくつかある。すごいよね。例えば、段ボールをセロハンテープで張りあわせたようなゴミの塊みたいなものを「くるま」というタイトルでだしている子とか。一応色鉛筆で乗っている人っぽい絵が書いてあるけど(薄くてよく見えない)、小2の発想だとこれが限界かもしれない。この子、親に放置されているのか、それとも、親が何かの主義主張をもって教育しているのか気になる。
その横には、手作りスイッチを入れると、宇宙人のメリーゴーランドみたいなのが、ピカピカ光りながらぐるぐる回るオモチャがある。モーターの原理のコイルと磁石と電流を簡単に説明した手作り解説書もついている。ご両親、相当頑張ってるなっていう作品。この作品は金賞の札が貼ってあったからたぶん、地域の大会に出したんだと思う。
最悪なのがクッション作りましたとかいう作品。ぜったいこれ親が作ったよね、子供は名札に名前書いただけだよね、みたいな親の頑張りどころを完全に間違ってる作品。
まさに親の展示会だよね。子供に対してどうやって接しているかが、すごくよくわかる。
今年も夏休みが始まったわけだ。
自分の子供のころはほぼ完全自分作品(たまに「紙コップ使えば?」って言ってくる程度)だったから、電気使ってる子とかをみると単純にスゲーって思っていたけど、あれって親が手伝っていたんだってことが、親の年になってはじめてわかった。やっぱ親ががんばったほうが子供のためにもいいよね。つうかあと数年で子供産まないと子供作れなくなっちゃう可能性高いのに、「自分に子供がうまれたら~~」とか思いながら、学校の事務員やってるとなんだかしみじみしてくるわ。まずは彼氏。
http://blog.livedoor.jp/news23vip/archives/3061585.html
これに便乗して一部をリストアップ
・加納朋子 「モノレールねこ」「てるてるあした」「レインレインボウ」「ななつのこ」
・川上弘美 「光ってみえるもの、あれは」「せんせいの鞄」
・飛鳥井千砂 「はるがいったら」
・梨木香歩 「家守綺譚」「沼地のある森を抜けて」「裏庭」
・五十嵐貴久 「パパと娘の7日間」「1985年の奇跡」「2005年のロケットボーイズ」
・雫井修介 「クローズド・ノート」
・松木剛史 「きみはジョッキー」
・恩田陸 「夜のピクニック」「ドミノ」「蛇行する川のほとり」
・中村航 「あなたがここにいて欲しい」「絶対、最強恋のうた」
・関口尚 「君に舞い降りる白」
・村山由佳 「星々の舟」
・宮部みゆき 「地下街の雨」
・小川洋子 「凍りついた香り」
・市川拓司 「そのときは彼によろしく」「いま、会いにゆきます」
・水森サトリ 「でかい月だな」
わたしの場合それはおそらく「うー」または「うーたん」からはじまる。
本名を「ゆう」と読むから、うーたん。青い色とたぬきのぬいぐるみが大好きな幼いこどもだった。
そういえばすべりだいに出来たクモの巣をこわがるともだちのために、手でとってあげたことがあった。
でもたぶん、わたしがあの子たちの中で一番クモがきらいだったし、びびっていた。
遊園地で観覧車とメリーゴーランドにこわくて乗れなかった小学校中学年のころ、
母親と見に行ったドラえもんの映画、始まる前に、映画館のくらさで泣き出した
わたしは自分のことをたしか「ゆう」と読んでいる。
友だちの家の門の近く、足のながいクモがわたしの服に張り付いて絶叫し
トイレの電灯のあたりに小さな子グモがうじゃうじゃいて気絶した。
中学高校に場所が移ると、自分のことを名前で呼ぶのが恥ずかしくなってくる。
それに好きな子ができたので、恥ずかしさはさらにつのり、自分のことを名前で呼ばないようわたしは懸命に努力した。
南ちゃんは、いくつまで自分のことを「南」と呼び続けたんだろうなあとかそのころから考え出した。
さて、わたしは初めの間は一般的な「わたし」を使うよう試みたが、違和感が強くうまく定着しなかったので
「わたし」「あたし」「わたくし」「あたくし」「せっしゃ」「うち」「われ」「わし」「ぼく」「おれ」「おいら」
色んなふうに、自分のことを呼んでみた。どれもピンとはこなかったが「ゆう」は次第に使わなくなっていった。
クモは相変わらず苦手だった。クモが部屋にいるのを見つけるとその部屋には数日入れなかった。
大学に入って、大学をやめて、違う大学に入って、働いて、一人称はまだ定まらない。
今のわたしは使いたいときに、その場にあうような一人称を探して使っている。
まあ、そういうのもいいかな。と思っていて、これからもそうして過ごすんだろう。
母と姉は「ゆう」がなつかしい、だからもどせ、とわたしに時々言ってくる。
でも、今の私は、暗いところが平気で、幽霊も信じていなくて、
遊園地のありとあらゆる乗り物に乗れる。そして、クモが怖くない。
「ええ、この前クモを見つけて、ゆうが怖がるだろうとおもったのになあ」
この前姉に言われて、気がついた。もう、わたしに、「ゆう」は二度とつかえない。
もう一度人生をやり直せるなら・・・・
今度はもっと間違えないようにしよう。
もっと神経を研ぎ澄ませて、もっと注意深くしよう。
絶対にこんな愚かな人間ではなく、もっと、もっと完璧な人間になろう。
この世には、実際、これほど真剣に思い煩うことが殆どなのだ。
もっと真面目になろう、もっと穏やかに、もっと衛生に行きよう。
もっとたくさんのチャンスをつかみ、行ったことのない場所にももっともっとたくさん行こう。
すこしアイスクリームを食べ、すこしお酒を飲み、たくさん豆を食べるようにしよう。
もっとこれから起こりうる本当の厄介ごとを抱え込み、目の前の厄介ごとに囚われないようにしよう。
もう一度最初から人生をやり直せるなら、春はもっと早くから裸足になり、秋はもっと遅くまで裸足でいよう。
もっとたくさん冒険をし、もっとたくさんのメリーゴーランドに乗り、もっとたくさんの夕日を見て、もっとたくさんの子供たちと真剣に遊ぼう。
もう一度人生をやり直せるなら・・・・
だが、見ての通り、私は今生ではもうやり直しがきかない。
私たちは人生をあまりに寛容に考えすぎていないか?
自分に甘く、他人の目を気にしないで、起こりえる未来に思いを馳せず、準備もせず、怠惰な生活を送って・・・・
もっと実直にしよう、もっとシンプルに生きよう、いろんなリスクに備えて、人生に潤いや活気、情熱や楽しさを取り戻そう。
http://blog.apecell.com/2009/11/02/id/74 の改変です。
ドラッカーは糖尿病とアル中になった2度目の人生の終わりに、こう思うのかもしれません。
内容は正反対ではないですが、ある程度逆にしてあります。
http://anond.hatelabo.jp/20091024143512
遊園地のメリーゴーランドで並んでいるときに、五歳の息子が後ろに並んでいた外国人の一家と仲良くしだして、相手のお父さんがキャンディーを出してきたんだけど、まず母親である私に「お子さんにキャンディーを差し上げていいですか?」と聞いてくれたんで、びっくりしたことがある。親の教育方針で甘いものを食べさせない人もいるし、アレルギーがあることもあるし、まずは聞くのが礼儀なんだって。もちろん、まずいのなら断ってくれていいんだそうで。個人の考えを尊重してくれるんだなあと、しみじみ外国に憧れた。
あ、どこの国の人だったか聞くの忘れたよ。しまった。白色人種だったけど、それだけじゃ国まではわからないね。
方法論思考wwww
とりあえず今のままでいいんじゃね?
悶々とするやつもいる。
嘆くやつもいる。
ギシアンするやつもいる。
それでいいじゃない。