はてなキーワード: 教育方針とは
その「正しい考え方」で教師は教育方針を定めるべきだし、採点すべきって事になっていくじゃないかさ。
そこに帰結しないなら、何を話してんだよw
はあ・・・。そういう実際の教育方法や採点の話をしたいんなら、
センセイは自分の授業方針にそった段階確認とかは一先ず置いて
子供一人一人と向き合い、その理解度を正確に把握し
ってんだろ?
みたいな誰もそんなこと言ってない前提を持ち出してから始めるのはやめたほうが良いんじゃないかな。
(どの増田もそんなこと書いてないと思うよ。あったら引用して欲しい)
ちゃんと具体的な増田に応答しろよな。
少なくとも前増田は、
と、採点方法に関する具体的な内容についても応答してるじゃん。
その「正しい考え方」で教師は教育方針を定めるべきだし、採点すべきって事になっていくじゃないかさ。
そこに帰結しないなら、何を話してんだよw
そもそもこんな話は家庭で個別に解決しろ、金払って塾に行かせ、私立に入れろで終了の話だろ。
「男はみんな『セックスできるおかあさん』が良いんだろ?絶対なってやんねー。セックスできるおとうさんが来い」
みたいなのあったじゃん。
あれ読んで、一瞬納得しかけたのね。そりゃあえっちできてさ、なんでも言うこと聞いてくれてさ、つつんでくれてさ、そういう相手なら一生べったり依存して生きていきたいよな。
それで子供のころのことを思い出してみたんだが、全然ダメだった。何がダメって、母と同じ傾向の行動をとる異性がぽんと現れてセックスさせてあげるって言ったとしても、私は到底やれないんだ。
近所の母親の流行について行くことに汲々として教育方針が頻繁に変わるため色々な習い事や受験をひっきりなしに変更させられたり、宗教や占いに次々とはまって私の名前の漢字をしょっちゅういじくったりあちこちの神社仏閣へ行かされて砂だの砂利だの枝だのかっぱらってこいと言われたりざくざく金を失ったりするし、健康食品やマルチ商法にはまっては金や人脈を失ったりする。
さらに常に機嫌が悪く怒っており、父に大して始終文句を言っていて喧嘩というか一方的な罵倒が毎日毎日繰り返される。私は父の職業をそれなりに尊敬していた。稼いでくるし、職人だし。だが、母は気に入らないようであんな不安定な仕事に就くな勉強しろ勉強しろ博士になれ医者になれ役人になれとぐちぐち繰り返す。
正直言って、父はあんな女と良くまだ結婚してるな-と思う。顔は一応ちょっと綺麗な方なのかも知れないが、私だったらあの生活に耐えられないよ。
私の母はさ、いわゆる最初に言った「おかあさん」じゃ全然無いわけですよ。多分私は小さい子のよくやる「ままだいすきーままとけっこんするー」って段階が全くなかった。
別に「おかあさん」じゃなくても良いのだけどさ、成人するまでの間、いや、小学生ぐらいまでの間に憧れの異性の一人ぐらいはいないと、異性をほしがる動機ってのが形成されないんじゃないかなあ、と思う。
いまだに「ああこの人と一緒に暮らしたいな」って思った事がないんだ、私は。
ママは魅力的でいてくれないと。ファッカーどころかマザーファッカーにすらなれない。私は、あの釣りの対象にさえなることができなかったんだ。
「子育て母の粗相を非難する人間は二度と少子化社会を憂っちゃいけないよね」とか
言ってるんですよ。
馬鹿かと。
誰がそんなもん心配したのかと。
勝手にやってろ。どうでもいいよ。
ましてお前等のひりだしたもので社会を埋めるのも少子化も差なんかねーよと。
むしろ悪化するよと。
ゴミでふさぐなら移民入れる方がローコストだよと。さっさと移民入れろと。
あと仮にさあ
世間みんながお前等の期待するその
「少子化を憂うナニカ」だったとしたらお前等の脅しは一応成立するんだけど、
成立しちゃった場合には義務や責任も発生するってわかってんの?
お前等のその豚児を「社会のためのリソース」だと言ってるんだよその論理は。
もはやお前等だけの子供ではなく、お国のための子供になっちゃうんだよ。
そんな覚悟や自覚も込みで言ってんの?
社会で育ててもらったら、社会にもその子供の取り分が発生するってわかってんの?手足の二三本は社会のものだよ?
バカ親自身の教育方針や出来損ないの進路・行く末、ずーっと社会に見つめられて干渉されていく覚悟はオーケー?
昔の母親ってことだけど。
返事聞く前にわかってるよ。
それはお前等自身が望んでることでもある。
お前等はお前等の性欲で望んでガキ作ったし
「お国のために」産んだわけでもねーのに
都合のいいときだけ戦前の母みたいなことほざくなアホの恥知らずども。
んなこたねぇよ。
手取りで月150万とか貰ってる役員に、お茶くみ・掃除なんかやらせねぇよ。やって欲しくねぇよ。
もっと言えば、実務もしなくて良いよ。
役員には、役員にして欲しい仕事があるよ。
部下が仕事出来なきゃ叱っていいし、やるべきことを「経営方針」として決めるべき立場にいる。
大黒柱のやるべき事は、稼いで家族を養うことで、英語を勉強することじゃねぇよ。
むしろ、考えてない親の方がごめんだよ。
(確固たる意志で「放任する」と決めるのは、「きちんと考えてる」からな)
自分が数学が苦手だった(今でも)奴は、子供に「そろばん」やらせちゃいけないのか?
楽器がさっぱりだった(今でも)奴は、子供に「ピアノ教室」通わせちゃいけないのか?
アホらしい。
俺、バブル世代のオッサン。嫁とあんまりうまく行ってない。いわゆる倦怠期。
大学の時に同じサークルで盛り上がってその勢いで結婚、30ぐらいまではノリノリ(死語)だった。
しかし、子供が生まれてサークルにまつわる趣味から双方疎遠になると、
気がつけば子供以外に共通の関心ごとはなくなっていた。
しかし嫁は、自分の教育方針に口を出されるのが気に入らないらしく、
嫁の不機嫌を避けるため、子供に関しても俺は口を挟まないようになった。
ものの数年のうちに、嫁が話しかけてくるのは、子供の送迎の代行依頼か、
家族の中で疎外感を味わう中、高校時代の友人たちとの集まりが、
心に安らぎをくれた。生まれ育った地方の方言での会話が、俺には必要だった。
遠方のため、そう頻繁には行けないが、俺には必要な時間だ。
高校のとき、付き合っていた彼女がいた。同じクラブの同じ学年。卒業時に俺がフッた。
今思えば、フッた理由は、単に、潔癖症でヤラせてくれなかったから。
めんどくさくて、卒業後も付き合い続ける気にならなかったんだ。
それでも一応、年賀状のやり取りは続けた。
クラブの他の仲間たちとは、年に一回は集まって飲んでいた。
ずいぶんさばけた感じになっていた。
微妙な下ネタにもツッコミの入れられる、逞しい女になっていた。
この前の8月に帰省したとき、例によってクラブの仲間で集まった。
女どもが元カノに、「どう、ダンナを捨てた暮らしぶりは?」と聞く。
俺はそのとき初めて知った。
今年の初め、元カノが、浮気癖・借金癖のあるダンナを捨てた、と。
しかも、今は養育費なしでも母子3人食っていける士業資格で働いている、と。
返事は短く「OK。何食べたい?」
最近の若い連中ときたら・・・優秀じゃねーか!最近、そう思うことがとても増えてきた。
でもね、なんかよく理解できないんです。根っこが違うから。結果は残すし、結果を残せなくても後に生かせるようにするし、ほっといてもサラリと難題もこなす。ほんと、こいつら優秀だなあって思うんだけど、自分の感覚の中の「出来る奴」っていうワクに当てはまらないから、なんとなくモヤモヤ感がある。結果をきっちり出すから、ちゃんとプラス評価してやらないといけないし、ちゃんと加点する必要がある。だけれども、自分が人事委員会などで、コイツはこんなに優秀なんだ、だから評価高いんですよ、と説明する時に、うまく説明出来ない。モヤモヤ。ちゃんとその部下、後輩達を理解してあげないと、こっちが上に上げる報告がうまく出来ない。
そういうモヤモヤも少しづつ、少しづつ減ってきてはいるんだけれども、それならそれで今度は、こっちがうまく説明できているつもりではいるんだけど、自分の上司やら人事部がうまく理解していないのが、これまた気になる。
そんな事を考えていたら、ちょっとした事に気が付いた。以下について、ご意見を頂戴したいと思って増田に書く。
1.1回言えば解る
2.何度も言えば解る
3.怒鳴らないと解らない
3パターンの中でも、それなりに程度があって、それぞれさらに2つに別れる。
1.1回言えば解る(言わなくても解る:1回言えば解る)
2.何度も言えば解る(1.5回で解る:何度も言えば解る)
3.怒鳴らないと解らない(怒鳴らないと解らない:殴らないと解らない)
最近の若い連中は、それぞれ3パターンの中でも程度が良い方(前者)が多いと感じている。旧世代は後者。
で、本当は旧世代でも前者の人間はいるんだけど、今までの世の中は、「テメーやる気あんのか!すいません、もっと頑張ります!」みたいなカタチで仕事を進めてきているので、本来、言わなくても行動できるやつとか、1.5回で解るやつらは、つらい思いをして、実力を発揮できない人達が多かったんじゃないかと思われる。効率悪いね。小中学校や大学の頃からだって、そういう教育方針でやられてきてるから、勉強だって、運動だって、仕事だって、とにかく、やる気/根性があればクリアできる。みたいなのが旧世代。主に今の40歳以上か。
最近の若い連中は、ゆとりだのなんだのって話もあるけど、旧世代とは違って、殴られたり、怒鳴られたりして教育されてきていないので、程度が良い連中が伸びまくってる。
一方、最近の若い連中の中でも、本来、殴られたり、規則でがんじがらめにされないと理解できない連中が、そういう事をされてきていないので、程度が悪い連中はとことんクズ。
なので、俺がいうところの「最近の若い連中」は、ざっと28歳以下くらいなんだけれども、後5,6年もすれば、会社の中はかなり変わってくると思っている。優秀さが違うので、2人前、3人前、それ以上のパフォーマンスを出してくる。旧世代の人間は、効率悪い動きをしているので、人数がたくさんいるんだけど、最近の若い連中は効率が良いので、人も少なくて済む。ほんと恐ろしい。
所詮、俺の会社の話なんだけど、案外、世の中、全体的にそういう流れになってんじゃないかと思う。今、就職が厳しいって話あるけど、あれって、最近の若い連中があまりに優秀なもんだから、たくさん雇用する必要が無くなってきている表れでもあるとも思っている。それと本来は殴られないと成長できない人間が、殴られていない為、程度が低すぎて雇用されにくくなってきているのではないかと。俺自身は、怒鳴られ殴られないと、理解出来ない旧世代の中でもだらしない方の人間なのだけど、時代が酷い時代であったからこそ、それなりにまともに人並みに成長してきたんだと思っている。
つまり、古い時代は、優秀な人材の頭を抑えて潰して、程度の低い人間は、家畜のように管理する事で全体の底上げはされているけど、上が伸びていない状態であった。効率悪い。但し、ほぼ全員が生きられる時代。我慢さえしていれば効率が悪くても全員が食えた。
今の時代は、優秀な人間を伸ばしまくって、程度の低い人間はほったらかしにしておいて、都合の良いように扱う。トータルで効率高い。そんな感じ。優秀な人間は、成果に見合った十分な報酬を手にする事が出来る。程度の低い人間は、効率の犠牲に。
今はまだ、旧世代の人間が経営者だったり、偉そうにしていられる時代なので、最近の若い連中にはちょっと厳しいのかもしれないけど、もうちょっとすると旧世代の人間も滅んでいくし、格が違う新しい世代の人間が台頭していくので、これからは、最近の若い人達が新しいやり方で社会を変えていくのだと思う。
私は小さい私立進学校の教師をしていた。
その学校とは教育方針が合わずやめさせられてしまった。(実質契約満了という名の解雇)
当時高校2年の女子生徒(以下彼女)でわりと当時20代後半の私に挑発してきた子だ。
名前はもう覚えていない。その後、いくつかの学校を回ったから、そんな子はいくらでもいた。去年もいた。
その私立高校を1年後彼女が卒業して彼氏を連れてともに大型ショッピングモールで偶然再会してしまった。
彼女は覚えていたようだ。彼氏連れ。けっこうきまずい。しかし彼女から声をかけてきてしまった。
名前を呼ばれてしまった。当時自分はまともに仕事もしていなかった。しかしフルネームで呼ばれては拒否はできない。
私「卒業できたの?」
彼女「うん。」
私「進路は決まったの。」
彼女「うん。」
私「それはよかったね。」
先生は今何やってるの?
私「バスの運転手」
当時、大型2種免許が取れていたのが幸いだった。
「でもね。また教員できることになったんだよ。今度は別のところだけどね。」
私「臨時なんだけど、公立だよ。こんどは近くていいよ。」
私「ここ(ショッピングモ-ル)大きいでしょ。」
私「今度、そっちの近くにもできるみたいだから。これからこういうの増えていくよ。」
彼氏は私と話している間、柱の陰に隠れている。私はツレの彼の嫉妬を察知したかこの会話はやめなくてはいけないものだ。と直感で思った。
私「先生は結構近くに住んでるからよく来てるんだよ。また来たらいるかも。」
私「うん。頑張るよ。というか、お前ががんばれ。」
彼女「はぁい。」
私「じゃあ、いつか・・・」
といいつつ、もう会うこともないだろう、1分なかった会話を後に足早に去ったことは今でも鮮明に覚えている。
そしていま彼女はどうしているだろうか?気にしつつ、どんなに華やかな世界を送っていようが表に出ることはない。所詮、過去の人間なのだ。
なんか他人の痛みや、人の気持を察することができて、素直でやさしい子供に育てるとかいうのあるじゃない。
自分の息子や娘ができたら、そう育てたい、そう育てなきゃって漠然と思ってはいるんだけど
本当にそれでいいんだろうか?って疑問も実はあったりする。
子供が居てもおかしくない年齢まで生きてきて、自分を振り返り、そして廻りを見渡してみると
素直でやさしいってのは、損な事も多い気がする。
人を貶めて、ただただ上っ面のやさしさで女を食いまくるヤツら。
騙し騙されの世界で、ピンハネ上等、嵌めこみ上等で儲けまくる人たち。
どっちかっていうと、自分はそういう事ができない、できても結構良心が痛むんで、あんまりできない。長続きしない。
出来ることなら他人を騙してでもお金儲けしたいとは思わないこともないが、やっぱできない。
気が弱い子と、他人を思いやれる素直でやさしい子って紙一重のような気がするんだよね。
「右の頬を殴られたら、左の頬も差し出せ」なのか、「殴られたら殴り返せ」なのか
教育方針の違いなんだろうけど、正直どっちがいいのかよくわからん。
気は強いけど優しくて人の気持が判る素直な子?
私「ネットで見たんだけど子供ができたら1年くらい生理的に夫が嫌いになるって本当?恐いなー」
おかん「うん我慢して普通に接したけど、その間に夫に浮気でもされたらもう本当に無理」
おかん「それだけじゃなく子供ができたら夫婦仲悪くなるよ―、何しろ教育方針進路苛め等々、もめるネタが次々出てくるから、友達も子供がいない夫婦の方が未だにラブラブだわ」
私「子はかすがいって言うのにねぇ」
おかん「そりゃ仲が悪くなりつくして別れたくなっても子供がいるとそうそう別れられないから、かすがいになるよ。でも子供はいいよ、子供が幸せになって笑ってくれる、これ以上の幸せはないよ、お前たちのおかげで私は今すごく幸せだ」
悲しいかすがいにしないよう夫と仲良く頑張るな。
というか、海外の教育のことを聞くとさ、日本とぜんぜん違うわけよ。
ようするにハーバートなんかじゃ、仕組みのことを考える、国家のことを考える。アーキテクチャーとしてどうするか?という事を考える。
ディベートなんかも教える、いろんな社長との交流も深めていく。 それが、彼らの言う教育なわけね。
大して日本の教育そのもが、他人をけ落として、自分が上に行きましょう!という教育方針でしょ?全体としてどうするか、チームとしてどうするか?なんて、教えやしないし
ディベートなんて聞いたこともない。
中村さんには子供がいます。あるとき、子供部屋で漫画本を見つけました。大
人が「眉をひそめたくなる」ような、いわゆる児童ポルノでした。
中村さんは子供を叱ります。「子供がこんな漫画を読んじゃいかん」、そう言っ
て漫画を取り上げました。
ここまでは問題ありませんよね。これは中村さんの教育方針です。たとえ私た
ちがその方針に賛成できなくても、中村さんちのことにまで干渉できる理由は
ありません。よその家はよその家です。
ところがそれで終わりではありませんでした。中村さんは隣の家の子供も、そ
のような漫画を読んでいることを知ってしまったからです。例えば学校帰りに
同じ漫画を持っているところを見た、としましょう。
中村さんは、自分の子供と同じように、隣の家の子供も叱り、取り上げました。
もし隣の家の親が、中村さんのしたことに不満を持ったとしたら、中村さんは
取り上げた漫画を返さざるをえないでしょう。私たちが中村さんの家庭事情に
ついて口出しできないように、中村さんも隣の家にまで干渉できません。
しかし隣の家では中村さんに共感します。「よく叱ってくれた。我が家でも注
意する」。ここに中村アライアンスが成立しました。
そして、事態は広がりをみせます。その他の近所の子供にも、その漫画は流行っ
ているようだったのです。中村さんは近所の人達に声をかけ、町内会で話し合
いました。
「犯罪でもあるまいし、漫画くらいは子供たちの好きにさせてもいいのでは」、
といった意見の親も中にはいましたが、子供たちは交流し、本の貸し借りもす
るので、自分の家だけの問題ではありません。町内会では、親たちが子供たち
が児童ポルノを読まないように気を配ろう、ということに決まりました。もち
ろん民主的な話し合いによってです。
ここまでも、問題ないと思います。私たちには彼らの決定にいちゃもんをつけ
る権利はありません。でも話はこれからです。
町内会は、保護者の意見を取りまとめ、学校にも協力を要請します。学校は快
くこれに応じ、子供を「不健全図書」から守るよう指導を徹底する、と約束し
て実行されました。保護者たちからの一致した意見であれば、もとより学校と
して反対も難しいことでしょう。
さらに、この運動は隣町にも波及します。隣町の町内会でも同様の話し合いが
もたれ、連絡を取り合ったのちに、町の書店との協議に至りました。
書店主も町内会議に参加した結果、書店は協力を受諾しました。もちろんこの
会議の議事録にもそのことは記されました。
こうして付近の町内会では次々にこのような議決がなされ、児童ポルノ販売に
ついての取り決めができあがっていきます。そしてついに富士見市の議会でも
児童ポルノに関するルールが採択されました。そう、もちろん民主的な手続き
に則って。
さて、勘のいい人ならとうにお分かりでしょう。
たとえ富士見市内に少なからず漫画家が住んでいても、出版社や取次や印刷所
があっても、問題は変わりません。
東京都の場合、行政からのトリガーではあったかもしれませんが、やはり同じ
ことではありませんか。間接民主制のもとでは、民意とはつまり議会の決定で
あり、都議会も条例を可決しています。
自治においては、たとえば「水や醤油を借りるためなら、隣家に無断で侵入し
てもよい」などといったローカルルールすらも可能なのです。都条例は主権国
家の法ではなく、憲法上の問題にはなりません。
うちも遠くの私立に入れたら1時間以上かかるなあ。日本だけど。
習い事させるにも車でないとどこにも行けない。
学区の公立小すら2kmくらい先にある。しかも坂道だ(歩いてる子もいるけど)
ご近所には共働きで朝は母親が子連れで出勤、夕方6時くらいに子供全員と一緒に帰ってくる(多分保育園&学童帰り)家も複数あるけど、
それだと塾も習い事もスポーツクラブなんかも土日以外行けないよね。
中学受験も出来ない(寮に入れるつもりなら別だけど、塾無しで合格して中学から寮というのも大変そうだ)
「表現の規制」は必要ないと思うんですよね。まぁ皆さんも耳タコになるくらいに同じ様な事を連呼されてるんでしょうが。
必要なことは「規制」ではなく、「内容の告示義務」だと僕は思います。
ゲームでいうところの「このゲームは暴力的なシーンが含まれています」みたいなモノです。
子供の管理なんてのは、いい加減な事を言ってしまえば、全て親に任せてしまえばいい。
親の教育が下手で、子供が犯罪に走るようになろうが、それは親の責任だ。
しかし、親も仕事と育児の両立なんて中々出来るもんじゃあ無い訳で
そういった親は、子供が暴力的な漫画やら性的な漫画やらを読んでいる事に気付けない場合だってあるでしょう。
そんなときに「これはエロい漫画っすよ」とか「これは殴り合う漫画っすよ」って事がパッケージにちゃんと書いてあれば、親は安心して仕分けできるんじゃないかなーっていう。
逆に、親の教育方針で、俺は子供の自由意思を尊重するぜ!ってやり方の人が居るんだとしたら、
個人的には各種外国人学校および私立の高等学校に対する無償化措置もおかしいと思ってるから北朝鮮の学校もいれなくたっていいんじゃね。とも思ってる。
あと洗脳教育って何?http://anond.hatelabo.jp/20101129121756も答えてくれてるけど、日本の学校だと考え方に自由はあるでしょ。
ある程度の考え方(キリスト教とか仏教とか倫理的なもの)は子供の教育効果を増強するためにあってもいいと思うけど、北朝鮮の学校教育って「将軍様が何をやっても偉いんです!」とか、教室には毛沢東よろしく金親子飾ってるっていう感じの稚拙というか強迫的教育課程が義務づけられている様にしか報道されてないし、中にいる人はそれ以外の思想を口に出来るの自由あるの?金日成馬鹿にしたらおこられるんじゃないの?別に仏教系の学校やキリスト教の学校で親鸞やヨハネを馬鹿にしたって怒られないし、ぶっちゃけ仏教徒でもキリスト教徒でなくてもOKだし。まあそれらを象徴するものに落書きしたり破損させたらそれはどこだって怒られるだろうけど。
その上で北朝鮮の連中は21世紀になった今でも「俺等の無差別攻撃正しいんだぜなんてたって被害者軍関係者☆だぜ」 っていうのを言い出すんだぜ。北朝鮮方式の教育を受けて、その中で思想を鍛錬して、ブラッシュアップを重ねて、国の難関をくぐり抜けて政府代表者になった人が全世界に向けてそういう事を言い出しちゃう。「反人間的な対応」をする教育=北朝鮮独自の民族教育だと思われているわけ。日本にある朝鮮学校の皆様は自分の所では民族学校だけど、そういう教育はしてないと立証しない限りアウトじゃね?
韓国学校はそういう変な思想(金日成将軍様万歳!的)教育は無さそうなので、民族教育ならそっちでもいいじゃないかと思う。ダメなの?
日本はこういう所に入ったら転校したりって逃げられるんだよ。
朝鮮学校もやたら金親子万歳的な所と、出来るだけその土地の社会と調和をはかりましょうという所と分かれてて教育方針違うなって思ったら逃げれるの??そんなこと無いんじゃないの?寧ろ興味あるな。
①今の学生が悪いよ派
今の学生はろくに勉強もせずに遊んでばかり。実際大学生自体が増えて、質が低下しているのだから、内定率が下がって当たり前。
→こいつらは一番頭が悪いか、もしくは間違ってると分かったうえである特定の層に対して耳障りのいいことをほえてる連中だろう。
どっちにしたってろくなのじゃないと思う。
反論についてはもう色んな方々がなされていると思うので、割愛させていただきます。
それはあなたが学生だから質の低下に気づいていないだけでしょう?
教育方針が変わり、環境が変わり、そこで育った学生はこれまでの学生とは明らかに異なる。それの違いをこれまでの人から「わるくなった」と評価されたのだから、それは悪いものだ。「そんなことない、それは思い込みだ、データだってある」と言いたいのか?データの問題じゃないんだよ。その異分子の存在を受け入れられないんだ。だから彼らを満足させるためには教育方針を変えるなりなんなりして彼らを満足させる必要がある。ゆとり教育が実際良かったかどうかが問題じゃないんだよ。だから世論が大学を減らすべきだと言うなら必要であっても減らすし、世論がゆとり教育失敗だというなら、成功していても失敗なの。それが現実。
高校以上なら、「x=i,-i」が答え。
高校以上で、「解はない」と書けば間違いになる。
では、中学ではどうか?
中学までなら、「解はない」が答え。
中学で「x=i,-i」と書いた場合、それは間違いになるのか?
とすれば、振り返って「解はない」を正解にして良いのだろうか?
中学では虚数を習っていないから「解はない」を正解とするのが良いだろう。
それは、数学的に正しいかどうかではなく、「教育的配慮」であろう。
すなわち「中学の数学」という特殊な数学の上で正しいのである。
「中学の数学」の中で虚数は定義されていないから、「x=i,-i」は間違いになってしまう。
それはちょうど高校の数学でロピタルの定理を使ってはいけないのと同じである。
では、次に「x=i,-i」と書いてきた解答を×にして良いかという問題がある。
間違いかどうかと×にして良いか、それを子どもが理解できるかどうかは別問題だからである。
たとえば、「ロピタルの定理を使ってはいけない」と高校生に言えば、理解できるだろう。
だからこれは議論にすらならない。
では中学で「虚数を使ってはいけない」と言って中学生に理解できるだろうか?
中学教師ではないからよく分からないけれども微妙なのではないだろうか。
小学生に
「3×5と5×3は答えは同じだけれども、
答えの単位が前の方の数字の単位と同じになるように書きなさい」
と言って、理解できるだろうか?
「本当の数学では同じだが、ここではこういうものだとしておこう」
などと理解できる小学生はいないだろう。
しかし「数学というのはこういうものなのか」という理解はできるだろう。
もちろんそれは本当の意味からすれば間違っているのだが、
ちょうど「x^2=-1の解はない」が正解になるのと同じようなもの。
これを聞いて、「教師からの押しつけだ」という意見があるようだ。
確かに「普通の数学」とは異なるルールを強いているのだから押しつけである。
しかしこの押しつけはしてよい押しつけであると思う。
「答えは同じなのだからどちらでもよい」と小学生に思わせるよりは、
「こう書かなければならない」と思わせた方がよい。
事実は「どちらでもよい」のであってでもだ。
この意見を理解できない親もいるだろう。
教師に教育方法を任せている立場というのを理解すべきであろう。
どういう教育をすべきかという問題は誰に決める権利があるのか。
国か現場の教師か。親にそこに入る余地はないのか。
教師の意見が入る場所はたくさんあってさらに影響が大きい。
それらについて何も触れないのは変な話だ。
今一度、問題を投げかけておく。
「教育方針は誰が決めるのか?」
(追記1)
x^2=1になってました。正しくはx^2=-1ですね。
(追記2)
今問題にしているのは数学ではなく、教育の話だから、高校数学まで理解していることとは何の関係もないのだが。
あともう少し正確に言えば、かけ算を習う小学生の低学年を想定して書いてたからなあ。
まあ、理解できる人もいるかもしれない。
もし理解できるなら、そもそも×をつけられるような解答は書かないでしょう。
わざといじわるして、つまり批判するためにそういう解答を書くことはあるかもしれない。
それはそれで問題ない。
教師の立場では、かける数とかけられる数を区別できるようにすることが目的なのだから、
それが理解できるならばそれでいいんだよ。
その上で、かけ算の順序を気にするのはおかしいと議論するならば、
それはもう数学の問題ではなく、教育の問題なのだから、校則がおかしいと文句を言うのと同じ。
そんなの異論はいくらでもあるだろう。
ポスドク になって 不良債権化 とか 文系にうっかりは入って就職難民という道もあるので、
大学なら何でも良いという事でもない恐怖。
文学部入って、趣味パソコンでもない奴がIT系とか 業界なめられてるというのもあるが。
なんにせよ。『串打ち三年裂き八年焼き一生 』 10年ぐらいは打ち込みたい物を早く見つけるしかないねぇ。
東大出てフリーターという奴もいれば、高専卒でもチェーン立ち上げて億万長者という奴もいる。
高校受験の時に進学校への判定が怪しくて、家が貧乏で 私立が厳しい > 有名校はあきらめて、スキル重視で高校選び・大学選び
自分が出来そうなこと。食えそうなことに絞って 高校受験から数えると もう20年 この道一筋でやってきて まぁ、それなりに食えてる。
当時の自分の偏差値が20ぐらい下の高校へ行って、あいつは実はバカだったとさんざん言われたけど、設備と教育方針で選んでITの最新設備がある高校へ。以後大学も同じ。
スキルは相当学んだよ。高校でアセンブラとか やってるような奴ばかり集まってたからね。
『あきらめ』なんじゃないかと思うけどね。
東大 早慶の理系か有名校の医学部に入れるかどうかで考えて、無理なら、
自分がこれなら喰える出来そう得意そうという道をさっさと見つけて妥協して、しがみつく。そして、その道に強い大学・専門>企業を選んでいくしかないと思うけどね。
少ないけど父親も居るがPTAの母親としても、父親は母親から聞いて学校の教育方針に疑問を持ったり、子供をしつけたり子育てにかかわったりはしないと思う訳だな。
自己責任から逃れる行為が甘えだと言われているが、自己責任論こそが甘えだ。
そもそも自己責任とは、ある人間が完璧に自分の状況を把握しどうなるかを理解しているからこそ成り立つ。
また、責任を負わされる各人が平等な環境の下で育てられていることを前提とする。
しかし現在の社会においてそのどちらの状況も存在していないし、あり得ない。
まず自分の状況を完璧に把握することなどそもそも不可能だし、それを行った場合どうなるかは推測するしかない。これが出来るのは神だけである。
さらに、全員が平等な環境で育つと言うのも難しい。生まれてくる子供は親を選べないし、親が全員同じアイデンティティや教育方針を持っていることなどありえない。さらに、個々人がバラバラな環境でバラバラな生き方をしているから多様性が保たれているのであって、これをなくせば社会はうまく動かなくなってしまう。
このような絶対に達成することが不可能な条件があるにも関わらず、それを全て無視して自己責任論を展開する輩は、社会に対して無責任なスタンスを取り続けている。つまり、甘えていることに他ならない。
自己責任論を唱える人間の中に、自分の人生は常に自己責任で生きてきたと豪語する輩がいる。彼らは概ね自信に満ちており、どんなことがあっても自己責任で乗り越えてきたという。
しかし、彼らは単なる奴隷だ。資本主義という主人に飼いならされた奴隷に過ぎない。いわば、「俺はこんなに痛めつけられながら、ご主人様に気に入られようと努力してきたんだ!」と胸を張っているだけである。実に滑稽。
そういう人間、つまり自分の経験だけを頼りに生きてきた人間というのは、非常に視野が狭い。そのくせ自信だけはやたらとあるので社会においては発言力が大きくなる。人は自信のある人間の言葉を聞くと迎合しやすいという特徴を持っている。彼らが「自己責任!」と叫ぶだけで、即座に「納得」してしまうのである。
自己責任論は権力者には実に都合がいい。彼らのために一生懸命働いてくれる人間が多ければ多いほど、コストをかけずに国家を運営出来る。もちろん、裏で悪いことも出来る。
知り合いの知り合いの知り合いの(中略)の話であってあくまで僕の職場の話ではないのだが、とある職場に非常に有能な50歳くらいの女性社員がいたとしよう。いたとしたんだよ。その女性社員は、人とのコミュニケーションスキルが非常に高く、物事の理解も早く、またここぞというときに絶対に折れないだけの強さを持つ。しかし雰囲気としては女性的で、いってみれば職場のお母さん的存在といっていい。というより昔扇子持ってお立ち台で踊ってた雰囲気がやたら濃厚にするんだけど、あれ隠せてない。まあ知り合いの知り合いの遠い知り合いの職場の話だが。
そんな彼女の娘さんが、学生アルバイトのいない時期だけ臨時で職場に入ってくることになった。「あの人」の娘さんということで、職場の面々は興味津々で待った。女性社員いわく「鍛えてあるつもりなんだけどね。おっとりしてるところもあるから、がんがんこき使ってやってよ」とのことだ。娘さんは大学生。ふだんは遠い場所で寮暮らしをしている。
そして当日。確かに口数がそんな多いほうではないけれど、娘さんはよく働いた。これが臨時の戦力だなんてもったいないくらいだ。
しかし娘さんの真価があらわれたのは、別のときだった。その職場に、外人さんが来た。英語しか話せない人のようだ。なにか質問しようとしているのだが、だれも言葉を理解できない。そこに通りがかった娘さんは、その状況に気づくと、なにごともなかったかのようにネイティブ顔負けの発音で応対しはじめた。職場はパニックだ。「たいへんだ! 英語だ!」「日本語じゃない言葉しゃべってる!」「なんかrが来てる!」落ち着け純日本人ども。「時給500円アップ!!!」俺も落ち着け。まあ知り合いの知り合いの親戚の幼なじみの話だが。
「あ、そういえば妹さん二人いたよね。妹さんたちも?」
「ええ、みんな」
すげえ。英語三姉妹だ(まだ落ち着いてない)。長女がおっとりだった場合、末っ子はわがままだったりするのか。最近あんまり三姉妹設定の作品を見ない気がする。
姉妹3人揃って英語ぺらぺら。そういえば下の娘さんは、なんかこう、この地域ではまず行く人のいない進学校に入ったと聞く。
別の機会を探して主任は聞いてみた。
「職場だけでお母さん見てると、家でのあの人って想像がつかないんだけど、どんな感じ?」
「いつでもあんな感じですよ。あ、でも怒ると怖いかな」
「なんとなくわかる気がする……。どんなお説教すんの? 俺はいつもしっかりしなさいよ!って叱られてるんだけど」
「お母さん……店でもやってるんですか……」
「やってるやってる」
「負けるの嫌いなんですよね。負けるな、逃げるな、って。それはよく言ってます」
ああ。
娘さんの隙がない化粧。おっとりはしていても、わからない仕事があると食らいついてくる負けず嫌いの感じ。物怖じしない雰囲気。姉妹すべてに短期とはいえ留学の経験があること。英語が日常会話レベルでまったく問題なく話せること。そしてこの教育方針。「教育はねえ、お金かかるから」という母の言葉。
勝てる人間を作ろうとしているのだと思った。娘さんの母親は、おそらく50年の人生のなかで、ずっと勝ち続けるべく努力をしてきた人で、その戦いのなかで「効率のよい」戦いかたを知ったのだろう。
実は、個性的で強い自我を持つ母親のもとで育った娘ならば、もうちょっと抑圧された雰囲気なんじゃないかな、と事前に主任は思っていたらしい。しかし抑圧されて人のいうことに従うようでは「勝てる」人間にはならない。そこまで含めて女性社員は娘たちを育てたのだろう。独立していけるように。社会のなかで生きていけるように。
まったく、正しい。非の打ちどころが見当たらない。
しかし主任は思ったらしい。それでいいんだろうか。
主任の人は非常に育ちが悪く、人格もなんか変なふうに歪んでいて、歪んだ状態からどうやったら生き残れるかを考えてきたような人で、その結果としての現在には特に不満がない。しかしどこかでは恨みのようなものを持っている。その恨みが、主任の視点を歪めるのだ。まっすぐに育ってきて、負けたら戦ってでも勝ちに行き、努力を続け、明るい場所で笑っているような存在に対して。
なにが幸福かなんて、まったくもってどうしようもないほど主観的なもので、巨万の富のなかで懊悩に苦しんでいる人もいれば、明日をもわからぬ境遇のまんなかで爆笑しているような人だってきっといる。娘さんは、おそらく初期条件において恵まれているだろうが、そのことが彼女の未来を永遠に保証するものでもない。現在はそれなりに幸福である主任が、彼女に対して複雑な感情を持つ理由などまったくないはずだ。
その主任とこのあいだ酒を飲んだ。
「わかっちゃいるんだけどね。初期条件の違いってのはでけえなあ、ってな」
「まあ、そうかもね」
「まともな学歴なんか持ってなくても、まちがいなく仕事できるヤツってのはいるわけよ。だけど、どこかに限界がある。その限界ってのは、数字に暗かったりとか、それこそ英語しゃべれねえとか、立ち居振る舞いとかさ、まあいろいろなんだけども、親がどれだけしっかりしてるかによって、子供の限界が決まるってのは、あるんだろうなあ……ってな……」
「例外だってあるだろ。たくさん」
「そりゃあるさ。だが、例外が全体を保証するわけでもあるまいよ。スタート地点が違うってのは、でけえんだよ」
「おまえ、それグチか?」
「ああ……そうだ。グチだグチ。わかってんだけど……ままならねえなあ、こういうのは」
主任がそうした感情を表に出すような人間でないことは、大急ぎでつけくわえておく。
幸福とはなんであるか、という問いに対して一律の答えが出せないことと同じように、このエピソードに結論はない。知り合いの知り合いの妹の幼なじみのお兄ちゃんの話だ。僕の話ではない。
もっとも、たぶん僕の話でもあるのだろう。