はてなキーワード: 研鑽とは
http://bizmakoto.jp/bizid/articles/1101/20/news001.html
そもそも教育コンサルが自分の本を売るための広告記事だって点はおいといて。
まずまず出来るってレベルの社員の場合、そこそここなすのを前提に現状維持を目指すか、
ジョブホップすること前提でモリモリ頑張るか、よほど恵まれた労働環境にいるのでもなければ
どっちかしかないだろ。組織を動かす巨大な慣性を、一社員がどうにかできるわけもなし。
あと、日航の解雇反対訴訟辺りを引き金に解雇規制が緩和されたら、成果の出ないダメ社員も
ソリティア社員もモリモリ首切られるだろう。そしてミドルクラス以下の労働力はダンピングされ、
現状維持するだけでも必死でスキルアップしなきゃ転落してくだけだろうし。
http://www.egogram-f.jp/seikaku/
【前回のあらすじ】
2004年→2005年(若干進歩)→2009年(大幅に退化)
それから1年半。
通信制大学に通い、年300冊本を読み、アニメの視聴本数を減らした結果、6年半前に戻った。
bcbbbタイプ
http://www.egogram-f.jp/seikaku/kekka/bcbbb.htm
1. 性格: クールな面が、何かと目立つタイプです。何事にも非常に冷静で、驚いたり悲しんだりする事は、滅多に有りません。冠婚葬祭を始めとする人生の出来事の多くの顛末を機械的に処理して行くタイプです。情に絡んだ身の過ちが無い代りに、人間として何か非常に大切な物を捨てて仕舞った様な所が有ります。
2. 恋愛・結婚: 容姿端麗とか、資産家とか、何か目に見える形で大きなプラス材料が無い限り、異性には歓迎されないタイプに属します。デートをしようが、何をしようが、クールな性格がにじみ出て来るので、余程、美味そうな餌をぶら下げていない限り、獲物に逃げられて仕舞う可能性が高いのです。
3. 職業適性: 警察官や刑務官が、性格的には一番向いているでしょう。街の金融業などにも適性が有ります。エンジニアとか、コンピュータ技術者なども、才能と好みさえ合致すれば、性格的に無難な職種です。
4. 対人関係: 貴方は相手に対して、機械的な冷たさを与え易いタイプです。この人には何を相談しても無意味だとか、相談するだけ無駄だとか、そんな感じを与え易いのです。
まあ結婚や友情はあきらめたけど、これ以上退化しないように研鑽を積みながら、エンジニアとしてまっとうに生きていこうと思った。
なるほど、つまりこういう感じか。
研鑽した結果に価値があるという現状に対して、研鑽しない事は自己の責任ではないとなっている。
研鑽をさせなかった部分が不具合なのか、研鑽された結果が賞賛されている現状の社会を生んでしまったことが不具合なのか。
どちらにせよラインの不具合であって、この現状を生んだ他者(神)にこそ責任があるのだって感じ。
でもそうすると、現状に不具合があると認識する「自己」が発生しているね。
ここで仮に、その認識すらも他者が与えたのだとすると、「不具合と感じる自己」も「社会の不具合」も神にしてみれば正常となる。
もう少し、設定を煮詰めた方が良くないですか?
加齢により体力がなくなってきた。いろいろな事が雑になってきた。
作業が雑になる事は、まだいい。作業結果に反映されるから。作業する→結果確認する→雑だった部分を直す、でリカバリできる。
そうじゃないところで雑になるのはマズい。
具体的には、スケジュールの組み方、いや、スケジュールを組む前の「俺は何をしたいのか」が雑になる。
例えば、かつての俺は、仕事はそれなりに忙しく、でも同人サークルを常に2つぐらいやってて片方はそれなりに売れて片方は趣味全開で売り上げ度外視。セックスはプライベートで可愛い子ともやりつつ、乱交パーティに出て技術研鑽したりしてた。欲しいものは事前にチェックして発売日の予定を空けて、なんて事もしてた。
今は。
仕事仕事ばかり。同人サークルはなぜか3つに増えたが3つの活動が交じり合って(普通にその辺の管理が「雑」になった)、何が何だか判らなくなった。出るイベントを直前まで忘れてたりする。セックスはプライベートはゼロになって乱交パーティでも今まで積み重ねてきた技術を出すだけで研鑽などしなくなった。欲しいものは事後にみんなが騒いでるのを見て後からネットでポチって在庫切れで手に入らなかったり。
まぁ、今のこの状態でも、充実してるといえば充実してる。
同人サークルは複数ジャンルの売り物が混在しちゃってるワケのわからんこの状態で過去最高売り上げだし、乱交パーティではなぜかモテまくって可愛い子からダブルフェラ~ダブルパイズリとかいい体験ばかりだし、欲しいものは結局安値でプレミア手に入ったりするし。
でも、雑になったせいで、確実に周りには迷惑かけまくってるんだよなぁ。やるって言った事をやってないとかいっぱいある。
本人が幸せだからそれでいいって事は無いだろ、と思うけど、加齢による体力低下というどうしようもない原因なので、何か策があるわけでもない。
若い頃は色々出来たんだけどねー、トシ取るとどうもねー、って言っておけばいいのかな。
中年以上の女性がアンチエイジングや美容に関心があるのは、外見を追い求めているのではなく、老いさらばえた姿を少しでも人目に晒すことなく生き生きとした姿で日々を過ごそうという日常改善の努力です。
男性であれば年齢を重ねて出てくる重みというものもあるでしょうが、女性は中年どころか少女の頃からある程度の努力なくして見栄えのある姿というのは得られません。
研鑽を重ねることによって日々に活力を与え精神の瑞々しさを保つという、セルフコントロールのひとつなのです。
男性でも頭髪に不自由な方がウィッグをつけることで人前に出る自信がつき前向きになったですとか、入社や昇進の際に高級なアイテムを買うことで自らの責任の自覚を得るということがあるでしょう? それと同じなのです。
これでよろしいでしょうか?
なんか、凄く他罰的な人がいる。
当たり前の話だが、給料分働かない人は、自分の働いた分より多い給料を貰っている。その差額はどこから出て来ているかと言えば、他の人が働いた分から出てる。
その状況で、被害者ぶれる人がいるのが信じられない。当人曰く、好きで仕事ができない訳じゃないんだから、自分は被害者だし、そういう自分は保護されるべきだから働いた分以上の給料を貰うのは当然の権利らしい。
また、プライベートは保障されるべきものだから、プライベートで自己研鑽して給料分働けるように成長する必要なんて断じて認められないらしい。
それなのに、給料分仕事をしろと言われるのは不当な迫害なんだそうだ。
こういう人は、理解できない世界に生きているように感じる。
GIGAZINEの募集記事が批判を受けているので、どう書けば良かったか、私なりに添削しました。
なるべく原文を守りつつ、と思ったけど難しかった。内容以前に読みづらい文章が多い。
もうすこしひねれば、感動的な文にもできそうな気がする。
原文:
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20100802_gigazine_job/
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ここから添削後:
2007年の秋から、業務拡大のため大規模に人材を募集してきました。今回はさらにもう一段階上のレベルアップを目指し、これまでとはまったく違う視点と条件で人材を募集します。
どういう人材を求めているか。それはほかのブログでも良いような記事を書くのではなく、「自分は GIGAZINEだからこそできることをするためにGIGAZINEで働きたい、ほかのところでは働きたくない!」という方です。ほかのブログではなく、「GIGAZINEだからこそ働きたい!」という人を求めます。
求人の詳細は以下から。
◆募集に至る経緯
編集長の山崎です。今回の募集はGIGAZINEにとってひとつのターニングポイントを目指すものです。まずなぜこのような募集を行うのか、経緯をご紹介しますので、細かくなりますがお付き合い下さい。
現在、GIGAZINEは10名近くで構成されています。この中で編集長を除いて、入社前から記者・編集を経験していた者はいませんでした。未経験であっても将来の可能性に期待して雇ってきたのは、多彩な視点を持った人材を雇うことによって、多様な視点の記事ができることを期待してのものでした。また、編集長自身がこれまでソフトバンク・ライブドアといった若い会社を経験してきたこともあり、若手には上からの命令ではなく、自由に、自主的に動くことを期待していました。
こうした採用方針はGIGAZINEの多様化には繋がりましたが、その一方で恥ずかしながら未経験者を多く雇用することによりマネジメント面で難しい部分が生じ、また人件費の拡大から赤字経営となってしまいました。そこで、今回はこれまでと違った視点から採用を行うことにします。
つまり、これまではGIGAZINEのニーズにマッチした人材をうまく雇用できていませんでした。これは改めなければいけません。
マネジメントの問題というのはなにか。記者・編集というのは一般的な事務作業ではなく、極端に忙しい時期があったり、突発的な業務が発生することがあります。しかし当然ながら未経験者にはそうした感覚がないため、また私一名ではその感覚を共有するのにも限界があるため、当初考えたほどうまくGIGAZINEを運営することができていませんでした。
記事を作るというのは非常に難しいもので、人間として成長することなく良い記事は書けません。業務時間内に記事を書けば終わりというものではないのです。実際、そのように自己研鑽の出来た社員からは良い記事が生まれるようになったと自負しています。
しかし繰り返しになりますが、まだ私の求める規準に達していないのも事実です。この3年間、編集長である私は作成する記事本数を大幅に抑え、主に経営の方に携わってきました。そして各記者の記事作成の下地を支えていき、編集長だけでは作成できないような多種多様な記事が増えることを期待してきました。これにより記事の多様化は実現しました。しかし、質の面ではまだ一歩も二歩も上を目指していく必要があります。また、私が以前に書いていたジャンルの記事(ソフトウェアやネットサービスの記事)については激減するという副作用も発生しています。
時には、GIGAZINEの記事の質が低下しているという叱咤もいただいています。私は「量から質は生まれる」と信じ、記事の多様化、量の増加を通じて質の向上を目指してきましたが、この方法に限界を感じてきました。
ところで記者・編集の面白いところは、時給を上げれば質が良くなるとは必ずしも言えない点です。また、多くの時間を費やしたからといって記事ができあがるとも限りません。そういう意味では、作家や芸術家に近い点があります。時には集中して作業することも求められます。事務作業に見られる「仕事は仕事、プライベートはプライベート」という切り替えを重視しすぎては、良い記事はあまり書けないのです。
私は比較的どのようなジャンルの記事でも書いてきました。しかし人によっては、ジャンルに好き嫌いもあります。複数の記者をまとめたとき、書きたいことが特定ジャンルに偏る場合もあります。その中でうまく配分するのが私の仕事なのですが、能力不足のせいか現状ではあまりうまくいっていません。
繰り返しになりますが、多様で良い記事を書くために自己研鑽は欠かせません。仕事のことばかり考えるのではなく、日々さまざまなことに好奇心を持つことが必要なのです。
質を向上させたいなら会社として研修を行えばいい、という見方もあるかもしれません。しかし本当に良い記事を書くためには、なんらかの高い志が必要です。成熟した大企業であれば一つの志を示して、それに沿う人間だけを採用していけば良いのでしょうが、GIGAZINEはまだ10名ほどのベンチャー企業です。なんであれ、あらかじめ高い志を持った人を採用するのが一番の近道なのです。
そこで、今回はひとりひとりがGIGAZINEを支えていくんだという高い志を持った人を、なにより重視した採用を行います。
志なく、どのような業務命令にも従うというような方は不要です。また好きなジャンルを好きなだけ書けばいいという考えの方も不要です。「GIGAZINEはつまらなくなった」と言われないよう、多様で高い質の記事を提供するためになにが出来るかを一緒に考えられる方を求めています。
この志という点については、この3年間は私一人で右往左往してきたきらいがあります。未経験で採用した記者・編集たちは、どうしても私の命令待ちになってしまいます。人を雇えば雇うほど、これだけの人数を抱えてGIGAZINEはどうしていくのか、という重要な視点が不透明になってしまいました。
こうした問題を抱えていたせいか、先日も編集部員が一名退職しました。
このままでは、GIGAZINEにとって志とはなにかという答えが見つからないまま、さらに編集部員が退職するおそれがあります。これは記事の質をどう向上させるかというのと裏表の問題なのです。
そこで今後は、本当にGIGAZINEで働きたいと思っているのか、GIGAZINEでなにを実現したいのか、といった価値観を最重要に考えた少数精鋭の採用を行います。
厳しいようですが、採用してから面接などで言っていた志が感じられない場合はやめてもらいます。都合良く嘘をつく必要はありせん。ご批判もあるかと思いますが、記者・編集というのはそれほど志がなければ取り組めない、ふつうの労働とは違う仕事なのです。ブログを書いた経験のある人は、直感的に理解できるのではないかと思います。バイトやパートの延長線上の時給ベースの時間の切り売りで考えていてはだめですし、自分の趣味にお金が必要だから、遊ぶ金が欲しいから、ただそのためだけに働くというような人を採用しては、お互いに不幸になるだけです。
とりとめもなく書いてきましたが、以上がこの人材募集に至る経緯です。抽象的であることは承知していますが、願わくば、GIGAZINEをどうしたいかという志を持った「同志」に来ていただければ、と考えています。いまのGIGAZINEになにが足りないのか、どうすればいっしょにGIGAZINEを高みへ押し上げられるか、お考えのある方をお待ちしています。そしてひとりでは決してできないことをGIGAZINEでいっしょに実現しましょう。
今の状況が嫌なら、取り敢えず目標は新しい生活位でいいのでは?
もう一般的な大学進学等のレールを外れたしまったんなら、選択肢としては頑張って他の人と同じに戻るか、新しい道を探すしか無い。
新しい道を探すなら、まず世の中がどんなところか見て回るべきだ。日本国内は今不景気と高齢化でどこ見ても明るいものはないから、オーストラリアやベトナムなんかの景気がいいところがオススメ。特にベトナムや中国はこれから経済成長が続くから、あの辺りの言葉が出来ると仕事には便利だと思うよ。毒にも薬にもならない大学出るくらいなら、あの辺で暫く働いて、語学力を磨いたほうが、余程面白い人間になれる。
働きたいなら、多少住み込みでの下積みが必要な技能職がおすすめ。若い内に自己研鑽をしなくて良い環境に置かれると、やること無いから気分が鬱々する。
目標については、あまり悩んでも仕方ないと思う。目標というのは、深く考えれば、結局は自分の本能的な欲求を満たすための手段にしか過ぎない。例えば:
1)性的な欲求(誰かに可愛がって欲しい、可愛がりたい、必ずしも性関係を含むわけではない)
2)群れの中での地位向上(尊敬して欲しいとか、必要として欲しいとか、お金を稼いで人をこき使いたいとか)
3)自分を理解し正当に評価して欲しい(自分の喜びや苦しみを共有して欲しい、上辺だけの言葉は嫌だ)
4)何か作りたい(創造的欲求)
5)+ALPHA
大体の人は、(2)が十代二十代の行動の主な動機(両親や友人にスゴイと認められたい)。因みに日本人が両親や友人に理解してもらっていないと感じる場合(3)が多い様に感じられる(自分の知性や感受性が周囲の人間の理解の範疇をを超越してしまうと、誰にも理解してもらっていないと感じ、辛く思う)。
残念ながら今の世の中、確実に(欲求が満たされる)幸せになれる職業は無いから、目標は持つのは難しい。適当に自分が出来たら凄いとか、良いと感じる事を取り敢えずの目標にして、少しづつ自分を幸せにする方法を見つけていくしかない。
性病のこととか考えると、「セックスはスポーツ!」とか言って簡単に多くの人とセックスするような男に嫌悪感を持ち敬遠するのは、意味のあることだと思うし。
女だけど、3年ぐらい前からセックス=スポーツという感覚が分かるようになった。
この場合のスポーツっていうのは、スポーツのペア競技では同じ人とペアを組んで協力して同じ目標に向かって練習を積み重ねると上達するというような意味合い。
バンド組むのとかとも同じかな。不特定多数と1回きりを繰り返したりとか、あるいは同じ相手であっても相手とろくに協力せずにやってるようじゃ上達は見込めなくて、特定の相手と回数を重ねて息を合わせてほんと阿吽の呼吸が形成されるようになって初めて到達できる境地があるというか。お互いの身体を(もしくは片方が片方を一方的に)オナニーに使ってるセックスとは全然違う。
今のパートナーの前に付き合ってた人たちってみんなこっちの反応をろくに気にしてないような、オナニーばっかしてるような人たちだったなあと思う。日本のAVってそんなのばっかりだから、参考にしてるとそうなっちゃうんだろうね。
今のパートナーはAVほとんど見たことがない人で、AV見る前に実地経験で試行錯誤して手法を学んだので初めてAV見た時はあまりに自分が普段やってるのと違ってショックだったといっていた。あれじゃあ気持ちよくないでしょ、と言ってる。
まだ洋ピンの方がマシだと思うけどそれでも実地で相手と培う呼吸は見ただけで分かるようなものじゃないと思うし、所詮オナニーのオカズ用で参考にはならんよねとのこと。
そしてその意味で「セックスはスポーツ!」と考えるような人なら多分簡単に多くの人とセックスしないと思う。
そんなことしたって上達(ってなにが上達に相当するのか説明しづらいんだけど)しないもん。
ちなみに今のパートナーとのセックスはあまりにも目から鱗なものでセックス観が180度変わったので、かつての自分みたいに「結局セックスなんて主に男側のオナニーよね。全然気持ちよくない」とか言ってる女性を見かけると思わずパートナーを貸し出したくなる。
自分の所有物なわけじゃないので貸し出すとかいう言い方はよくないけど。
こういうセックスできる男性は希少だと実感してるので、独占してたら申し訳ないと思う。
他の人とも同じようなセックスができる可能性はかなり低いと思うので他の人と積極的にしたいとは思わないけど、自分は既に充分恩恵を蒙ってるし。
パートナーの方は、私と研鑽を積んで(笑)やっとここまで上達したので特にわざわざ別の相手を探す必要もないから、しばらくは他の相手とする気はないという。私が飽きたとかなら別だけどと。そりゃフィギュアスケートとかでもペアをそんなにとっかえひっかえしないのと一緒なんだろうな。
上達はそういう風に意識すれば多分誰でもできると思う。双方の協力(というか特に男性側の意識改革)が必要だけど。みんな上達を目指すべきだ!とは別に思わないけど、せっかくならそういう感覚でやれた方が気持ちよくて得な気がする。
セックス=スポーツと考えるのは男性だけじゃないし、そういう感覚を持っているといって不特定多数とやりまくるという発想とは必ずしも結びつかないよ、ということが言いたかった。
結婚してしばらくたつとどこのご家庭でも奥さんとの関係がマンネリになってセックスレスになるらしいけれど、結婚5年目のわが家もご多分にもれずセックスレスになりつつある。
なりつつある、というのは心のどこかで「セックスレスになるのは良くないな」という気持ちがあるからで、義務感から月に1回ぐらい交わっているだけ。しかも、たまの行為も「入れて出すだけ」みたいな作業で終わってしまい、お互いの体を使ってオナニーしているだけみたいな感じにすぎない。
そんな虚しさのせいで、さらに行為から遠ざかってしまうという悪循環に陥っているんだよね。
ということを同僚に相談したら、アダム徳永の「スローセックス実践入門」をオススメされた。
早速Amazonで注文して読んでみたら、目から鱗がボロボロと。好きな趣味は何時間でも楽しみたいと思うのに、どうしてセックスは短時間で済ましてしまおうとするのか。乱暴な愛撫はNG、高価な美術品を愛でるように慈しまなければならない、などなどの言葉に感動し、早速妻にもちかけたところ、
「そういうの面倒くさいから、さっさと挿入して終わって欲しい」
とすげなく断られてしまったんだよね。
ということを同僚に相談したら、せっかくなんで試してみようという話になってふたりでラブホテルへ。
最初は半信半疑だったけど、女性の体を丁寧に愛することがこんなに楽しいことだと分かってものすごく感動した。本文中に「新しいおもちゃを与えられたように愛撫に夢中になる」と書いてあったけれど、まさにそのとおりで、女性の体を愛することのすばらしさに目覚めてしまった。
著者がいうほどものすごい効果があったわけじゃないけど(自分が未熟だというのもあるけど)相手からは、ものすごくリラックスできたし、何時間も愛されてすごく嬉しかった、と言ってもらえたので試した甲斐はあったのかな、と。
それと、「スローセックスは気の交流だ」みたいなことが書いてあって胡散臭く思ってたんだけど,マジであるかもしれない。普通のセックスだと終わったらすぐに疲れて寝ちゃうのに、スローセックスだと何時間も交わってるのに全然疲れないどころか、むしろ気力体力が充実した感じがするんだよね。これがすごく不思議。
そんなわけで効果の程を実感し、これからも研鑽を積んでいこうと決心したんだけど,問題はどうやって妻にこれを切り出すかだ。
「いや~、○○さんで試したんだけどすごく良くってさ~」
とは言えない。絶対に。
だけど普通に誘ったところでまた断られるのは目にみえているし、だけど自分は「入れて出すだけ」みたいなセックスは二度としたくない。
さてどうしよう。また同僚に相談してみようかな。
http://anond.hatelabo.jp/20100322151008
好き嫌いに(後付けの)論理的な理由並べなくてもいい、ってことにそのうち気がつくことを祈ります。
ついでに、何を楽しいと思うかなんて人それぞれなんだから、他人にその理屈を押し付けないようにね。お節介ながら。
(1) 映画などの受動的な娯楽はよほど波長があってないとイライラするので、レンタルで20本とか見る気にはなれません。
(2) 時間あるときにしかゲームやらないので、忙しい時はやらないですよ。
(3) リアルで話題を共有するために何かをやる、そんなのは小学校までですよね。てか、ネットって便利なものがあってね‥‥‥。
(4) ハウトゥー本(笑)なんて結局何冊読んでも何の役にも立たないよ。読むならもっと骨のある本読まないと。
てか余暇時間までそんな自己研鑽(笑)してるから、左脳優位になって自分の好き嫌いにまで理由付けしないと安心できなくなっちゃうんじゃない? もうちょっと右脳使ったほうがいいと思うよ、ゲームとは言わないから(笑)
渡米して数年のポスドク。最近やや行き詰まり気味なので、現実逃避しつつ現状把握および打開策を見つけるためにパソコン内を再構築中。時期的に興味を持たれる人もあろうかと思ったので、恐る恐る一応公開してみることに。
([]はフォルダ)
中学受験を終えて思うこと
お疲れ様。
とりあえず、うちでも中学受験が終わった。
結果としては落ちたので、子供はこれから普通に公立中学にいくわけだが。
まぁ、いろいろと反省点はあるけど、一番の反省点は「スタートが遅すぎた」って事。
本人が「私立の中高一貫校に行きたい!」ってなってから、ネットで調べて過去問解いてみたのが夏休みの終わりごろ。6年生のw
あまりのレベルの高さに親子そろって愕然とする。
算数なんて下手すると1問も解けない(子供じゃなくて俺が)。大人なのに…
そこから塾に通いつつ、子供も本気で焦り始めて勉強しだしたのが11月ぐらい。既に残り2ヶ月w
それでもなんとか頑張って50点は取れるようになったけど、後の祭り。
つーか、覚える事多すぎ&中学でも習わないような知識を要求しすぎ。
今になってわかったけど、6年生の夏休みから始めても、そりゃあ無理ってもんだ。
周囲では小学4年生ぐらいから始める子も多かったけど納得。
これについては、本当に申し訳ないと思う。
今回の中学受験には失敗したけど、親子ともに成長できたし、しゃーない。つーか結果オーライと言う事にしておく。
※金銭面でちょい加筆
職場の事務スタッフは殆ど派遣なんだけど職場の方針で来年度から派遣会社を競争入札にするそうで
今の派遣会社が落札できなかったら職場を辞めるという同い年の女性スタッフが居るんですが
時給が下がったら家賃も払えなくなるので、正社員で雇って貰える会社を探して就職活動します。
とか言うんだけど、同い年ってことはもう今年39になるので、アラフォーで一般事務の女性の正社員の職なんて
このご時世ないんじゃないのかな-?とか
何故今まで派遣で行った会社のどこかに直接雇用してもらわないでだらだらと派遣に浸ってるのかな?とか
言いたいんだけど、逆ギレされそうでなかなかいえない。。。
その彼女とは別の元派遣スタッフ女性で昨年から直接雇用に切り替えた人もいるのでやり方と自分の考え方次第だと思うんだよね。
切り替えて貰った女性は入社後もTOEICテスト受けたりとか(入社時に既に900点近いスコアでしたが)自己研鑽に余念がないのに
先のだらだら派遣の女性はその辺危機感が全くないのが他人事ながら心配通り越して少しイライラする。
絵が上手い人間は、絵をたくさん描いている。
絵を描く事が「当たり前」のレベルにならないとお話にならない。上手い下手を語るレベルにさえ到達していない。
技術を磨くために、毎日やって、積み重ねる。
デッサンとは何か、クロッキーとは何か。先人が積み重ねてきた基礎技術向上の手続きを学び、実践し、基礎技術を身に付ける。他人の模写をしたり、上手い人から教わったり、絵の上手い集団に入って絵を描くところを実際に見たりする。
そうやって頑張らないと、技術というものは向上しにくい。
独りよがりで身に付いたり、成長したりはしにくいし、練習無しで向上したりもしない。
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セックスも同じだ。
基礎技術がある。上手い人から教わったりする。上手い技術集団に入って学んだりする。
そういった研鑽をしたから「上手い」と言われる。
極端な話をすれば、童貞が女性をイカせるのは無理という話だ。処女がフェラで男性をイカせる事が不可能という話だ。
しかし。
はてなの馬鹿ども(自称インテリ)は「最初はお互い初めてでも、一緒に上手くなればいい」とか「気持ちさえあれば」とか、到底的外れな事ばかりを言う。
無理に決まっている。技術を舐めている。
小学生の描く、親や先生だけに判る「気持ちの入ってる絵」が、一流イラストレーターにかなうだろうか。芸術家にかなうだろうか。
そういった小学生レベルの技術と、ちゃんと訓練された人の技術をそもそも同列に語る時点で、セックスに失礼だ。
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ま○こにち○こ突っ込んだらセックス成立、などという子供じみたイメージか、独力で上手くなるに違いないと世間を知らない妄想をしているか。
あるいは生まれつきの超淫乱で、童貞相手でもイく体質の女子か、処女のフェラで昇天する超早漏か。
これを「絵を描く技術」とか「プログラム技術」とか、他の技術に置き換えれば「若いうちからするもんじゃない」とか「好きな人としかしてはいけない」とかいう考えが将来を一切考えていない計画性の無い考えだという事が判るだろう。
ていねいにお返事頂き感謝します。
これだけ丁寧に読んで頂くと、もうこちらからコメントすることって余りないんですが。
東洋医学の方法も、ちゃんと研究デザインを考えれば(例えば、薬だけでなく日々の生活や食事まで、評価の要素に含めるとか)効果を確認する事はできると思う。
仰るとおり、東洋医学の(経験的な)知恵は、その大部分がいずれ西洋医学的に解明される時が来るはずだと思う。だいたい百年もすれば。秘伝や秘術と言った類との違いが定かではない東洋医学が、自己研鑽の機会を失っているという批判は結構あたっていると思うし、論理的明証性という武器が、たかだか1000年程度のアドバンテージを覆すには100年もあれば十分だろうと思う。
だから、問題はその「途中」である「今」なんだ。
オレがいいたかったのは、まあそんだけです。
人類の歴史を振り返れば、同じように失われてしまった知恵は膨大なわけで、漢方もまたその一つになり果てるというだけのことなのかもしれない。でも、そのロスを無くすことができればいいな、と思って書きました。ただ、単純に西洋医学が東洋医学を「解明」するだけでは多分ダメで、その根底にある思想……たとえば「技術によって自然のバランスを越えて人を延命させることの是否」なんて話で、多分相容れない領域に突き当たるわけで、そこんところでどうするのか、っつーところで、哲学とか倫理とかそういうジャンルとのコラボレーションに興味の湧く所であります。
なるほど、少し分かった気がする。
あなたは漢方について、効果だけでなく根底にある思想を含めて評価してるんだね。
川の例えだと、仮に東洋じーさんのやり方でうまく行かなくても、方向性としてそちらの方が正しいという風に、確かに思える。
でもそれは、イデオロギーの問題もあるし、さらに言えば我々の心のどこかに「東洋じーさんのやり方のほうが、最終的にうまく行く」という(必ずしも根拠は明確でない)確信みたいなものがあるからではないかな。
食物繊維の例なんかは、むしろいわゆる「科学的」なやり方を支持する話に私には見える。ことわざとして何となく受け継がれていたけれど、本当かどうか分からなかった事について、3,40年かけてコツコツ研究した結果、やっぱりことわざが正しかったと分かった訳でしょう。
長い伝統こそが効果のある証明であるという主張も、一定の根拠にはなり得ると思うけど、それのみで判断するのはやや無理があるように思う。基本的に人間は、効果のあった事はよく覚えていても、効果が無かったことはあまりよく覚えていないものだ。よく言われるプラセボ問題(本当に薬が効いたのか、薬を装っていれば薬でなくても効くのか)についても、経験則では評価できない。
それに、ここは東洋医学に対する批判になるのだけれど、千年を越える歴史の中で、中心となる理論が基本的にずっと変わっていない、という所に私は不信感を覚える。千年前の人々が今よりも愚かだったなんてことは無いに違いないが、今よりも賢かったということもあるまい。すっかり完成してそれ以上改良の余地が無いほど完璧な理論なんて、はっきり言ってこの世に一つも無いだろうと私は思っている。常に疑問を持って理論を眺め、おかしな部分は直してゆくのが、より良い理論へ辿り着く道だと思っている。長い伝統の間に大きな改革が無かったという事は、東洋医学の中には、そういった自己研鑽の精神が足りないという事を意味しているんじゃないだろうか?
人の記憶や感覚に頼っている限り、どうしても人間特有の間違いの傾向に落ち込んでしまう事を免れない。科学の手法というのは、その傾向を可能な限り取り除いて客観的な事実へ近づくための、これまた長い時間をかけて積み重ねた集合知だよ。
東洋医学の方法も、ちゃんと研究デザインを考えれば(例えば、薬だけでなく日々の生活や食事まで、評価の要素に含めるとか)効果を確認する事はできると思う。
とはいえ、そもそも間違いを正して客観的事実に近づいていくのが、本当に価値あることなのか?という点まで立ち返ってしまうと、科学的手法も大して意味がなくなってしまうんだけれども。
さて、冒頭に確認したように、あなたは漢方の効果だけでなく思想も支持しているようだ。単に健康になること以上に、その方法論が大切であるとお考えなのかもしれない。
思想が絡んでくるとなると、客観的な評価単独では、仰るとおり意味が無い(それでも評価自体が全く無価値だとは思わないけれど)。薬の効果という狭い評価範囲を超えて、人の心の機微や社会全体にまで話が及ぶ事だ。そして、事は保険適応の有無という極めて社会的・人為的な話なのだから、そこまで考えるあなたの方が、姿勢として正しいように思う。
私は社会情勢や経済や法律には全く暗いので、今回の漢方と保険についての問題には、ここでは直接触れないで置く。自分自身考えがまとまらないし、何か言っても見当違いになりそうだ。
あくまで「二重盲検」「対症療法」という単語の意味について、気になっただけ。でも、あなたの整理された文章を見ると、どうやらそれも余計なお世話だったらしい。申し訳ない。(「対症療法」についてだけは、未だにちょっと気になる。もしかすると、東洋医学の「対症療法」と西洋医学の「対症療法」は、別の言葉なんだろうか)
長文になってしまったけれど、誰かに噛み付いたりするつもりは全然無い。自分の考えを整理する役に立ったので、書くきっかけを与えてくれた元増田に感謝しようと思う。
乱文乱筆、失礼。