なるほど、つまりこういう感じか。
研鑽した結果に価値があるという現状に対して、研鑽しない事は自己の責任ではないとなっている。
研鑽をさせなかった部分が不具合なのか、研鑽された結果が賞賛されている現状の社会を生んでしまったことが不具合なのか。
どちらにせよラインの不具合であって、この現状を生んだ他者(神)にこそ責任があるのだって感じ。
でもそうすると、現状に不具合があると認識する「自己」が発生しているね。
ここで仮に、その認識すらも他者が与えたのだとすると、「不具合と感じる自己」も「社会の不具合」も神にしてみれば正常となる。
もう少し、設定を煮詰めた方が良くないですか?
ここで仮に、その認識すらも他者が与えたのだとすると、「不具合と感じる自己」も「社会の不具合」も神にしてみれば正常となる。 でも、あなたはその正常を「不具合」だと認識す...