はてなキーワード: 浪人生とは
やっと国公立の前期が終了した……
巷にはこれから浪人生の成功体験記が溢れると思うから、少し早いけど、失敗談でも書いてみる。
ここでせっかくだし、オレのまとめでもしておこう。
中高一貫校に入学、もちろん例に漏れず勉強を全くしなくなる。高三の時は一応勉強をした気になる。
奇跡的に中堅私立にセンター利用でひっっかるが、事実上の全落ち。
そこは別に行きたくもなく出せと言われ出した学校なので浪人することにする。
浪人中は上位国立を目指してかなり真剣に勉強。しかしセンター大失敗。まともなに国公立には出せず、センター-30の
公立に出願。私立は上位には不合格、今年は中堅だけは受かった。後期は行くつもりのない地方駅弁。
たぶん中堅私立に行くだろう。でも個人的には納得して出した所だから、結果に悔いがあると言えばウソになるけれど、
去年のように行きたくないわけではない。
~これから浪人する君たちへ~
・予備校に通うなら、必ず友達を作ろう。いっしょに遊んだりする友達じゃなくて勉強の話ができる友達。
・予備校に通うなら、それなりのカッコをしよう。ジーンズに普通のシャツでOK。
オレは最初ジャージで通ってたら、最初に話しかけてくれた奴らに避けられるようになった。
で最後までそのまんま。友達できずorz
・現役時代は全く or 殆ど勉強しなかったけど、今年は予備校に通って真剣に勉強して旧帝か上位国立を
一年で目指そうというのは今年のオレの経験から言うと無理だと思う。
塾の紹介パンフとか見ればわかると思うけど、一年浪人してそういうところへ入学する奴は大抵が有名高校出身で、
去年の蓄えに浪人時代の勉強をプラスしてそういうところへ合格していく(例外はいるかもしれないけど)
それにもう一つは、予備校が授業を中心に行うところなので授業やテキストの質は高いのかもしれないけれど、
量がどうしてもこなせない。
毎日5時まで授業で、そっから今日の復習+先週の復習+英語の自習をしてたらすぐに9時になる。
本当にそういうところへ一年で生きたい人は宅浪するしかないんじゃないかな?
宅浪なんてムリだよ~なんて人は予備校に通って今の自分より2~3ランク上を目指すのが吉。
そうすれば現役時の1ランク上には滑り込めるはず。
実際オレがそうだしね。
・私立は過去問をやって合格ラインを超えたからといって安心してはいけない。
なぜなら、日本史世界史選択者には点数調整という大幅な減点が待っているから。
だから合格ラインが7割で過去問で8割なら落ちる可能性が高い。
実際、これで周囲の人間が何人も泣いてる。
・2chで参考書を調べてそれを買い揃えてやった気になるのは非常に危険
現役時代のオレがそうだった……orz
~予備校利用法~
この文章の内容自体が失敗談なので鵜呑みにしちゃダメだよ。
①毎日授業には必ず出て、終わったらその日の復習+先週の授業の復習
シス単のミニマルフレーズも暗記する。これに文法や英作で何度助けてもらったことか……
③土日は来週の分の授業をまとめて予習。これは①の先週の授業の復習の時間を確保するため。
先週の授業の復習を毎日やるには、これをやらないとできない。
④講師の言うことには基本従う
~なぜオレは失敗したのか?~
端的に言うと、自分レベルの人間が上位国立を目指すには勉強量が不足していたと思う。
去年は我流でやって失敗したので、勉強関係は全て塾にまかせていた。というか塾で課せられたこと以外はほとんど何もしなかった。
予備校の授業や教材は質は良かったのかもしれないが、やっぱり自分の学力を大幅に上げるには量をこなすのは必須だった。
けど予備校では、数学は一週間で12問くらいで、英語は1週間で多くて長文3本くらい。
でもこれは授業を行うという予備校のシステム上、仕方のないことだと思う。
だから個人的な結論で言うと、最初に書いたように、自分の現在のレベルと大きく離れた大学を目指すには宅浪って結論になる。
~浪人時代を通して~
確かに浪人して中堅私立しか合格できかったので周囲からは裏でかなりバカにされるだろう。
けれどオレは今年一年で今まで生きてきた以上のことを学んだと思う。
それを書こう。
こんなに集中して毎日勉強したのは初めて。いい経験になったと思う
現役時に妥協して何もしないで大学に行っていたらと思うと恐ろしい
・考え方が変わった
~最後に~
「泣いてるの?、、政治やめるの?」、、と家族。台所でも涙が止まらないので。「、、うれしいから、、すごい日本が見えたの、、。」昨晩、献身的に事務手伝いしてきた妹と「ついに資金ゼロ、ここまでだね、、」と話したときは、涙はなかった、、ツイッターのみなさま、ありがたい、心底から。猪口邦子
about 2 hours ago from web
一瞬のうちにRTで私の窮状を広めてくださる皆様のつぶやきをみて、思わず、パソコンを前に涙が止まらなく、、、。ありがたいです。政治の道を続けたいと思いつつも、きっと今の私みたいな人も多いのでは。普通の人の、普通の人による、普通の人ための政治を、、、!猪口邦子
about 4 hours ago from web
浪人生活のなか、無銭選挙覚悟ですが、ついに政治活動資金ゼロに。パソコン以外すべてクローズへ。希望失って朝パソコンを開いたら、何と初めて公式サイトで募集の小口献金に申し込みが!そうだ、ツイッターで窮状を訴えよう、、恥を偲んで、http://www.kunikoinoguchi.jp
about 4 hours ago from web
猪口邦子・元少子化大臣が「もう政治資金ゼロです(涙)」とtwitterでつぶやいたら
小口献金が来たという話
twitterにはこんな使い方もあるのか~
政治家はカネには敏感だから「おい、twitterやると小口献金が増えるらしいぞ!!」なんて
情報が永田町をかけめぐり、「わたしはつぶやかない」から「みんなでtwitterやろうぜ!」
なんて展開になりそう・・・
2年付き合ってた彼女と別れてもう4ヶ月がたとうとしてるがいっこうに傷が癒えない.
向こうには先月彼氏が出来たとか.
俺なりにしっかり支えたつもり.もちろん浪人生ってことでいろいろ我慢もした.
向こうが見事第一志望に合格.ホントに嬉しかった.
彼女がいたから俺はものづくり系サークルに入って大学生活は華やかではなく堅実に自分を成長出来るようにスゴそうと思った.
そして俺はサークルに没頭し続けた.家が遠いということもあり毎日終電近く&休日返上な日々だった.
向こうもサークルに入って,とても充実した毎日を過ごしているようだった.
向こうが入学してから数カ月ぐらいたってから二人でメールや電話をしていても「まぁ俺らは互いにサークルが一番だよね」と口にするようになっていた.
彼女の浪人生活が終わったからといって遊ぶ回数が増えたわけでもない.むしろお互いのサークルの忙しい時期が上手いことずれていて浪人をしていた頃と同じくらい.
俺はこのころあたりから甘えていたのかもしれない.
たまに会えば「最近終電ばっかで寝てない~」だのそんなことばっか言っていた.
しかも服装だって高3の頃に買い込んだものを未だに使っているよう.
「好きな人ではなく友達のように思えてきた」
これが彼女からの別れを切り出された時の理由.
損得で考えるのはおかしいとは思うが,これが1年間支えてきた報いなのかと思った.
向こうからしたら高校生の頃より,卑屈になってしまった俺が好きではなくなったんだろう.
今俺に残されているのはサークルだけ.
でも俺は前ほど没頭出来てない.
ある意味,彼女という存在のおかげで俺は脇目をふらず没頭出来ていたのだと思う.
バイトしているのに食費と本代ということで自分でも多いと思うくらいお小遣いも貰っている.
それから寝て起きて授業という生活が嫌だという抵抗からニコニコ動画やYoutubeで3時くらいまで起きてる.
財布に余裕があるから無駄にご飯を食べる.買い食いをする.大学入学時から5キロ太る.
別れてから4ヶ月,向こうに新しい彼氏が出来て1ヶ月.未だに別れた時のこととかを思い出してイライラする.
そして向こうはサークルも充実してるし,彼氏もいるし,楽しそう.
かといって新しい彼女を探そうとしてるわけでもなく思い出してはイライラ.
なんだよこれ.向こうはきっと俺のことなんか気にせずに楽しく過ごしてるけど,俺は向こうの存在を意識してくだらない日々ってか?惨めじゃねぇか.こんなんじゃダメだ.
こんなんじゃダメだ!!
ただ,前は感じなかったモヤモヤというかイライラというかこの惨めな思いを取り除きたい.
それでサークルに没頭したい.
新たな刺激を俺のこんなダメダメな生活に与えたい.
あと1週間で冬休み.
幸か不幸か予定がほとんどない.
どっかに一人旅にでも行ってこようと思う.
今までの生活で出会うことのない人や物に出会おう.
俺は失恋したことをこんなに引きずる男だったとは思わなかった.
大学に入って困ったのが服。
服無いの。マジで。中高6年間学ランで通したし。男子校だったからそれが普通だった。
無いって言ってもダサい普段着ぐらいはあるっしょ、とかそういうレベルじゃないの。
一番新しい服が小学校6年生のときに買った奴なの。親が。
さすがに入学前に予備校通って周りのお洒落な浪人生見てて、「このままだとやばいなー」とか考えてた。
でも服屋行くにしても服屋に行く服が無い。
けどまぁ行った。6年生のときの服で。
あれさ、「欲しい物を買ったらいい」とかいうけど「何が欲しいか」とか分からんから。欲とか湧かないから。
けどそっからなんとか大学生っぽいファッションになることができた。2年かかったけど。
んで今思うにあんとき「どの服が欲しいのか」がわからんかったのって当然で。メーカー製とかショップブランドのパソコンを買ったことない人をPCパーツショップに連れて行って「さぁ好きなパーツを選んで自作しよう」とか言ってるのと変わらんのよね。
最初はメーカー製でもショップブランドでも良いから一台すでに出来上がったのを買うべきじゃん
けど服だといきなり「パーツから組め!」とか言われるわけじゃん。そんな中で「好きな服を買えよ」とか言われても困るわけ。とりあえず出来上がったの、くれよ。
そんで一式そろえてみたら、自分に足りない服が分かってきて、自然と「欲しい服」が出てくるようになった。
なので「大学入って服がない!」とか悩んでる人はとりあえず一式そろえてみるといいと思う。
マネキンそのまま買うなり、店員さんに事情はなして全部選んでもらうなり、ネット通販で一式買うなり。
なんでもいいから、とりあえず、一式。
前回あんな日記を書いてしまったものが言うのもなんですが、生きてます。社会はそれほど残酷にできてはいないようです。しかしもう一つの不安要因ができました。私は浪人生活で身心を壊し、半年間精、神病院に入院し、その後、もう一度浪人をし計3年かかり大学に入ったもので、会社1つの先輩は2つ年下です。それなのに私の仕事の覚えが悪いと社内で噂になっているようなのです。私の部署は現役の大卒で入ってくる人もそれなりにいるのですが、私のようにいろいろ寄り道をしている人もいて、そうした人は入社後努力し、年相応の仕事ができるようになっていると先輩から言われ、自分にふがいなさを感じています。
一つの原因として考えられるのが前回の日記にも書いた自分とのシンクロ率の低さからくる責任意識の低さによるものです。病気とは関係なく個人的な問題だとも思いますが、断片的な自分を維持するだけでつらいと思うこともあります。世界の危機とはいきませんが細かい悩みを抱え社会を生きる私は、今後の社会生活を続ける中でシンクロ率を他人とのかかわりの中で高めていきたいと思います。
512 :FROM名無しさan :2007/12/23(日) 20:05:29
なあ、お前と飲むときはいつも白○屋だな。
一番最初、お前と飲んだときからそうだったよな。
おごってもらったのが白○屋だったな。
「俺は、毎晩こういうところで飲み歩いてるぜ。金が余ってしょーがねーから」
お前はそういって笑ってたっけな。
お前は月30万稼ぐんだって胸を張っていたよな。
「バイトの後輩どもにこうして奢ってやって、言うこと聞かせるんだ」
そういうことを目を輝かせて語っていたのも、白○屋だったな。
あれから十年たって今、こうして、たまにお前と飲むときもやっぱり白○屋だ。
ここ何年か、こういう安い居酒屋に行くのはお前と一緒のときだけだ。
別に安い店が悪いというわけじゃないが、ここの酒は色付の汚水みたいなもんだ。
油の悪い、不衛生な料理は、毒を食っているような気がしてならない。
なあ、別に女が居る店でなくたっていい。
もう少し金を出せば、こんな残飯でなくって、本物の酒と食べ物を出す店を
いくらでも知っているはずの年齢じゃないのか、俺たちは?
でも、今のお前を見ると、
お前がポケットから取り出すくしゃくしゃの千円札三枚を見ると、
俺はどうしても「もっといい店行こうぜ」って言えなくなるんだ。
お前が前のバイトクビになったの聞いたよ。お前が体壊したのも知ってたよ。
新しく入ったバイト先で、一回りも歳の違う、20代の若いフリーターの中に混じって、
使えない粗大ゴミ扱いされて、それでも必死に卑屈になってバイト続けているのもわかってる。
だけど、もういいだろ。
十年前と同じ白○屋で、十年前と同じ、努力もしない夢を語らないでくれ。
そんなのは、隣の席で浮かれているガキどもだけに許されるなぐさめなんだよ。
なんとなく、気が向いたし、夏休みだし、暇だし、実家の荷物整理してて当時のノートなどが出てきたから、自分の大学受験浪人時代の記憶を増田に投下。
塾や予備校にいった経験がなかったので、同級生の話を聞いて、家から通いやすく、授業料が免除になりやすいという代ゼミ(代々木校)に行くことにした。試験を受けて、結局、75%免除になった。これが結構でかかった。
代ゼミでは、フルタイムで授業を受ける学生を「本科生」と呼ぶ。自分が入ったのは本科のTKコース。東工大向けコースな。
東工大の理由だけど、地球科学やりたかったけど、東大に対する食わず嫌いと、北海道大学と京大は遠いっていう絶妙な混ぜ具合の結果。
基本は平日午前2コマ、午後2コマ。1コマ90分。
水曜の午後だけは1コマだったと思う。
そして土曜午前に2コマ。
本科生は代ゼミが主催する模試のうち、いくつかを無料で受けられる。
ちなみに3学期制だった。
後になってから知ったことだけど、難関校向けコースほど、講義間の教室移動が少なく、科目を担当する教師が人気講師になるという傾向がある。これが、講義の時にいい席が取れるかどうかにつながる。友人から聞いた話では、この椅子取りゲームの不毛さが他の予備校から揶揄されているそうだ。
自分は、普通に朝からずっとど真ん中一番前に座ってたし(9時講義開始で8時過ぎぐらいに来て予習していた)、人気講師の講義を受けたいとか思っていなかったからあんまりそうした問題はなかった。
それでも、東工大コースで行われる人気講師の講義のときは、東工大コースじゃない人にど真ん中一番前を取られたりしてて、なんともいえない気分になったことはある。8時に教室開くのに、8時前から待ってる奴がいるのよ!
4月の最初のうちは、どの講義も教室が満杯だった。クラス担任の職員さんが最初の挨拶で、「まずゴールデンウィーク明け。そして夏休み明け。クラスの人数が減っていきます。悲しいことですがそれが事実です」という内容の話をしていたことを覚えている。(確か、担任から「今、東工大コースは120人」と聞いた気がする)
実際、文系科目を中心にどんどん人が減っていった。自分は何も考えず“コース料理”は全部おいしく頂いたわけだけども、ツウな代ゼミ生は、同じ英語でもコースで用意された英語ではなく、好きな講師の英語を受講しにいくらしい。
なので、まあ夏休みも明けたら、コースの通常講義でも、人数の差が笑えるぐらいになっていた。
それからさすがに東工大コースだけあって、男10対女1ぐらいの比率だった。最終的にはフルタイムで講義を受ける女の子は3人ぐらいになるんだわ、これが。
そういう感じなので、教室の雰囲気は講義次第、講師次第でまったく変わる。
それから男女比的に女は女で固まってた。みんな友達を作りに来てるわけじゃないので、休み時間に世間話するぐらいの関係だったけど、ひょんなことから、女の子の一人と仲良くなったら、他の女の子とも仲良くなった。浪人時代は、ほとんど女の子とばかりしゃべってた。
女の子と親しくなった話。ゴールデンウィーク前ぐらいだったと思う。隣にいた奴が「授業についていけない。おれ、もう、死にたい」とか言い出して泣いてしまったので、「俺もしょっちゅうそう思ってる」「まだ10ヶ月あるから頑張ろう」とか必死になだめてたら、後で、女の子が「大変だったね」と声をかけてきた。
それがきっかけでその子とよく話すようになったら、他の女の子ともよく話すようになった。
その「死にたい」って言ってた奴は2学期からは来なくなったので、まさかと思ったら東工大コースよりひとつ下のコースに変わっていた。やっぱり自分のレベルにあったところにしたいということだった。それもありだと思った。
平日 | |
---|---|
7時頃 | 起床 |
8時過ぎ | 代ゼミに到着。予習か復習。講師に質問しにいくなど |
9時~12時 | 午前の講義 |
12時~13時 | お昼。天気がいいと明治神宮で食べてた |
13時~16時 | 午後の講義 |
17時頃 | 帰宅 |
17時半~19時 | スポーツジム。水曜は15時過ぎに帰るのでプール |
19時半 | 夕食 |
21時~23時 | 予習・復習 |
24時 | 就寝 |
土曜 | |
---|---|
7時頃 | 起床 |
8時過ぎ | 代ゼミに到着。予習か復習 |
9時~12時 | 午前の講義 |
午後 | デート |
日曜は模試があれば、模試に行って終わったら模範解答で答えあわせと次の日の予習。ある意味、平日に近い。
模試がない日は、午前・午後使って一週間分の復習。デートとか、草野球もあったり、結構遊んでいる感じ。
こう、規則正しい生活を送れたのも母のおかげですね。
教室でも、ぱっと見た感じ何人かは彼氏・彼女持ちだった。お昼休みに携帯で甘い会話してたりとか。自分の付き合ってた彼女は、高校の同級生で向こうは現役で大学入ってて、最初はものすごく負い目というか、いろんなネガティブな感情があったけど、僕も向こうもそれぞれの日常で居場所を見つけて適応していった。向こうも「君がッ 大学受かるまで携帯電話を持たないッ!」って感じで、保守的で義理堅い子でよかった。ちょいオタだけど。このままこの人と続いて結婚しました。これ、ノロケな。
1学期も終わりに近づき、「夏期講習どうするの?」なんて話をしてたけど、普通に代ゼミ経験値の低い僕は「東工大」が冠につく授業を取った。そしたら別次元だった。まわりが……ほとんど……現役生……。現役生ばかりの教室に緊張感はない。真剣に講義を受けてたら、講師から「君は本科生か」と言われて、教室で浮いてしまったこともあった。ちなみに、ツウの代ゼミ生は、夏期講習は人気講師のオリジナル講義を受けるらしい。
夏休みに父に「どうせなら東大ぐらい受けろよ」と煽られて、東大受けてみるかと思って、志望校を東大理Iに変更。年の途中からコースを変えるとなると、結構お金がかかるようだったので、東工大コースのまま、2学期から夕方に行われている東大現代文・古文・数学・英語を増やした。物理と化学がないのはお金の問題と東工大コースの講義で充分だと思ったから。必然的に午後の時間がなくなったから、2学期からはジムには行けなくなった。そしたら入試の頃までに10kgほど太った。浪人で太る人、痩せる人いるけど、僕は激しく太るほうだったね。
で、この夕方の講義にものすごくかわいい女の子がいて、その子のことを東工大コースで絶賛したら「その子は後輩だわ」ってことで、あとで紹介してもらった。でも、馬が合わないオーラが出まくってた。そういうこともあるさ。
他の予備校のことを知らないから、比較してどうとはいえないけど、個性的な人が多かったと、社会人になっていくつかの研修やセミナーを経験した今でもいえる。
印象に残っている人について
小太りのお兄さん。大学の非常勤では食っていけないことを漏らしていた。メルカトル図法の世界地図に気候分布を色分けで塗ったものをノートに書いていて、それをその講師に見られて「地中海性気候のCsのsって何のことですか?」と聞かれたので「sommer trocken(ゾンマトロケン)、夏に乾燥」と返したらびっくりされた。あなたが講義で言ってたことですよ!このときに作ったノートは妹が継承した。
コビルドの英英辞書をもって講義を受けてたら、「君、それ一冊あれば、僕は要らないよ」といわれたので、それ以降、講義では机の上に出すのを控えた。「朝、講義前に来れば英作文の添削をする」と公言してたので、公言した以上添削しろよという感じで毎週添削してもらいにいった。
「僕の講義を録音して、繰り返し聞きながら、マネしなさい。最低50回」・・・マジで利く。これが周りで大ヒット。
「東工大受けるお前らなんか、どうせ、英語捨ててるんだろ?」「サイボーグ雨宮」など、数々のゆるい話題を振りまき、講義の時間を癒しに変えた人。1コマぐらいこういうのがあっても良いと思う。
エロサイボーグ雨宮。本当に息を吐くようにエロトークをかます。気をつけてないと、エロトークだとわからず、「あれ、わかりませんでしたか?お子ちゃまですね」といわれる。「数学的一昨日法」「数学的人生法」は傑作だった。
クラス担任の職員さんから「この人の講義には絶対に遅刻しないこと。居眠りしないこと」と注意されてたけど、最初はヤクザかと思ってびっくりした。実は、小心者のいい人。「意識の低い奴はいらねぇんだよ!」といってチョークを投げたことも。本科の最終講義は、自分の大学生の時の話をするのが恒例らしい。ゲーム屋のバイトの話が面白かった。「第一志望に落ちたら第何志望でもいいから大学にいけ。2年も予備校にくるな。大学にいってから頑張れ」と。
土曜午前にサテライトで中継講義(教室に入りきらないため)。あまりの人気っぷりに、一度、「生亀田見ようぜ」ってことでクラスの友達と一緒に始発に乗って椅子取りに参加したけど、それでも一番前から10列目ぐらいだった。話を聞いたら、一番前の人は前日より前から並んでいるらしい。マジ無理。ノート作成術は役立つ。
津守先生の英語で毎週英作文を添削してもらったと書いたけど、2学期のある日、機嫌の悪かった兄に「お前が受かるってことは、他人が落ちるってことだ。お前なんか受かんないほうがいい」といわれて大喧嘩になって、酷い有様になったけど、もう癖になってたのか泣きながら次の日に添削してもらうために英作文を書いていた。
「東大」を冠する講習と、馬場先生の英語のオリジナル講義を取る。さすがに冬期講習ぐらいになると、現役生も本気なので緊張感が違う。逆に本科生は元気がなくなる時期。自分もつらかったので、クラスの友達と一緒に馬場先生の講義をとって心の栄養に変える。4月からずっと大学受験中心の生活だったから倦みと緩みが出てくる。これは油断とかじゃなくて、体の底から湧いてくる倦みと緩み。泥の中にいるような感じになる。成長を実感できなくなる。現役生のパワーに負けるようになる。こればっかりはどうしようもない。乗り切れるかどうかって話。
3学期になると、本科の講義はほとんどないのと同じになる。夏休み明けより暗い顔が多かったのは、仕方のないことだろう。最終講義では「頑張ってね」みたいな話で送り出される。講師が大学生だったときの話、自分が夢をつかめなかったことなど。クラス担任は大学の数学の教科書を見せてくれた。
自分は東大じゃなかったら東京理科大という方針でいた。東京理科大のセンター利用なら確実に受かるので、これを滑り止めにして、国立の本番前に調整として早稲田の教育・理科を受ける。なんで早稲田の理工にしなかったかというと、東大に落ちた場合に早稲田に行こうとは思わなかったし、教育のほうが試験が簡単だったから。親からは「早慶の両方受けなくていいのか」とか、「早稲田にも入学金を納めなくていいのか」とか再三聞かれたけど、方針は譲らなかった。模試は最高でC判定(合格率40%ぐらい)だったけど、この頃には、だいぶ吹っ切れてて、つみあがったノートを復習する日々。ダメだったら、ダメでいいじゃんと、普通に思っていた。
話には聞いていたけど、浪人生がその自慢のノートを広げている姿を見ると、現役生は顔の色を変える。本当にそうだったから、笑った。だって、ノートが全然違うもの。10ヶ月間必死にまとめてきたんだもの。模試の結果からセンターの得点率は9割はいけるなと思ってたら、ピッタリ9割だった。僕のころは東大を受ける場合は800点満点で、8割ぐらいが足切りラインといわれていた。
総合723点で、国語が147点だったのがギャグだったけど、他で落とさなかったから良かった。好きだったから無駄に一生懸命勉強した地理は85点。現役時代と変わらない得点。試験なんてそういうもんだ。
次の日、自己採点で集まった東工大コースの面々。みんな一様に暗い。一番よく話してた子は数学で大失敗をしたといって、無表情になっていた。そういうことはある。
あるときの東工大模試で化学だけが異様に簡単だなと思って、次の日クラスで話したら「めちゃくちゃ難しかったよ!」とか言われたことがある。結果が返ってきたら化学が全国3位。たまたま自分のホームランゾーンの試験だったってこと。だから逆だってもちろんある。試験が空振りゾーンにくるときが。
東大の入試っていうのは、今もそうか知らないけど、あいうえお順に受験番号が決まる。だから、前年見た顔をまた見ることがあるという。同じ教室に高校時代の友人が二人いてびっくりした。「そういえば名字似てるしね」とかいって笑って挨拶した。
2日間かけた試験だったけど、得点率でいうと、英語が満点、国語が8割、物理と化学が6割、数学が3割という感触だった。数学が空振り。当落線上ギリギリだなって思いながら気分は後期試験に。
でも、後期試験対策の手が付かない。僕は既に燃え尽きて灰になっていた。
アメフト部のウォリアーズが胴上げすることで有名な東大の合格発表。普通に見に行って、普通に合格を確認して、普通に生協の合格者用の袋をもらってその場を去った。途中後輩に会って「落ちました」と聞いた。僕の態度から後輩も僕が落ちたと思ったらしい。そのくらい僕は醒めていたし、合格者用の袋はもらってすぐにかばんにしまっていた。
兄に言われたことだが、自分が受かったことで誰かが落ちたのはまぎれもない事実だ。
「そういう態度は逆にいやらしいですよ」と後輩に言われた気がする。
そこは、どうなんだろう?僕は「勝ってガッツポーツをしない」という武道の古臭い考えは好きだ。
ただ、この場合、僕は武道的な考えから喜ばなかったというより、喜ぶ元気もないぐらい疲れていたんだと今は思う。
という感じ。
現役の人は、これから頑張れ。
24歳、大手メーカ勤務
どうやらこの年までまともな人間との友人関係を作ってこなかったらしく
同期の中で浮きまくり。
昔からの友達はガチホモ(友達いない)とか医大生(大学で友達がいない)とか自営業(友達いない)とか美術家とか
リストカッター(友達いない)とか24歳浪人生(友達いない)とか何というか軸がぶれている人たち。
僕自身は別に気にもしないのだが、僕も人として何か致命的に間違えてるらしく人間性が屑らしい。
どれぐらいカスかというと出会って3か月ぐらいの同期から面と向かって君のこと好きな人間なんていないよ~と言われるぐらいのカスらしい
ところが、一日10通ぐらいメールをしている女性を(本人の同意の上)嘘彼女としてでっち上げたところ
同期の中でただのカスから「でも彼女いるしー」ぐらいの立場にバージョンアップ
嘘彼女だから嬉しくとも何ともないんだがどうやら女性と付き合えるのは人間性のリトマス紙というか
その手のものらしい。
何が言いたいかと言うと
謎です。
おっす!おれ元フリーター!
このままでは駄目だと思い、実家を飛び出しバイト生活を始める。
そんで、2年。20歳の誕生日。
友達はネトゲのみ。親との連絡、不通。
ようやく自分のヤバさに気づいた。
これヤバクね?みたいなね。
自分を客観的にみることで楽になりたかった。
でもそんな余裕はすぐになくなった。
単純に金がなくなったからだ。
人生をやり直したくなった。
まだ若いし、、っていうか、今しかない!
って感じで。
大学いきてえって思った。
同世代と話ししたい、学校生活やりたい、
で、親との和解に色々全身全霊をかけた。
で、その結果月3万円援助して貰えることになった。
ただし1人暮らし
そんでまあ大学始まったけど金がないんだなー、まじで
夜の大学だからさ、
学費は普通より安いよ。でも色々金がいるんだなこれが。教科書代とかなんだよこれ
でもまあしゃーないから、ゴリゴリ働くよ
他のやつらがカラオケ行ったり恋人とセックスしたり家でゲームしてるときもおれは働いてるよ
年中無休wwwwwww
いや笑い事じゃねーんだなこれがw
夜も昼も働いたんだぜww
でもさ、そんなに頑張っても限界がくるんだな
簡単にいうと、
身体壊れた。
自分でいうのも何だけど無理しすぎたんだな
どのくらい壊れたかっていうと、数ヶ月入院くらい
単位とかもう無理だわ・・・
っていうか留年だわwwwwww
って言ってたら、まじでそうなった。
休学した。
そして引きこもった
2年も頑張って行ったのになwwwww
思えば、大学に行って得たものって何だったんだ?w
これなら適当にバイトして家でネットしてた方が良かったんじゃね?
必死になりすぎた?
何?
俺の努力って何?
で、まあ数ヶ月、しょぼいバイトしながら籠ってたけど
やっぱこのままじゃ駄目だ・・とか思い出して、
俺がいままで一番時間つかってきたもの
そう、パソコンでメシが食えるようになりてえ!!みたいなね。
・・・・・・・・・・
意味不w ライブラリってなんだ?w 初日は検索してるだけで終ったwww
でもまあ、3ヶ月ぐらい続けたら
まあまあ書けるようになった
たぶん
これまた意味不www
なんだか高校でてから凹む事ばっかだな
もう24歳。
まじやべえ
相手いねーけど。
でもまあ、どうしようもないし
音大ではなく美大生だけど、
好きなことで生きていけないなら死んだほうがマシという方向に考えが行ってしまう。
最近、「長生きしても良い事があるとは限らないし。」とは思うなー
出来るやつは一挙手一投足の精度が高いんだよね。。。
もう一つ自分を追い込めたり、精度が高かったり、気遣いが出来たり。
自分も「もう寝たいし」としょっちゅう思ってるんだけど、奴らはそこを2徹とか
しちゃう。自分の限界を感じるよ。そういう意味で生々しく「リア充」って存在するんだ、とは感じてる。
それでも「自分のカラー」を売り込むんだ、「自分なら何が出来るか」「自分の作品に責任を持とう」
と気を保っているけど。
色々自分を重ねちゃうよ。それは置いておいて、
浪人生か現役生か分からないけれど、そんなに芸大行きたいなら、ネット断ちする位しなきゃ駄目かもよ。
私大と芸大って良くも悪くも雰囲気違うから、意地張らずに私大も覗いたり、受けてみたら?
と一私大生が言うのは偉そうかな?気を悪くしたらゴメン。
あと、希望の大学に入れても、モグラ叩きのようにコメントで叩かれるのは変わらない(少なくとも自分の学科は)。
それでも「自分の信じた事を(嘘でも)突き通せ」というのは正しいと思う。
塾の帰り道、俺は日も暮れて真っ暗な中を歩いてた。
何か片手でいじりながら立ちこぎしてて、フラフラしてんなー…と思った瞬間。
街路灯に照らされた後輪がパーン!と光りながら跳ね上がった。
え?何?逆ウィリー?と面喰ってたら、自転車横転。
ガッシャーン、と前カゴから荷物散乱。
それでも、困ってる人は助けるのが当たり前、という良い時代。
とりあえず、散乱した荷物をかき集め、「大丈夫ですか?」と駆け寄った。
…オッサンは痙攣してた。
固まる俺の目の前でどす黒い液体がじわーっとアスファルトに広がっていく。
やべぇぇぇぇ!!!と思っていたら、近所のおっちゃんが通りがかった。
大急ぎで、自転車ですっ転んだらこんな事に!と訴え、二人で自転車のオッサンを見る。
ガクッガクッと、なんかもうゾンビ映画みたいに痙攣してる。
どうやら、前輪に片足をおもきり突っ込んで、転倒したらしい。
見事に足がはまっている。すごい変な形に曲がってる。
近所のおっちゃんは救急車を呼び、ペンチで前輪の金具を切って足を開放した。
それから…なぜか家に引っ込んでしまった。
痙攣は治まったが、血だらけのオッサンと、自転車と、道路のど真中に取り残された俺。
街路灯があるとはいえ、車が来たらヤバイ。
俺はその場で自転車のオッサンの番をしていた。
地面に広がったシミは、真っ黒で、血と言うよりコールタールみたいだった。
かき集めた荷物を見たら、参考書。オッサンと思ってたら、大学生か浪人生だったらしい。
そして、自転車の向こう側に、小さな物体が落ちているのに気がついた。
うまい棒。
どうやら、うまい棒食いながら自転車を漕いでいたら勢いあまって前輪に片足を突っ込んで頭ざっくり切った…という事らしい。
ああ、これで死んじまったら、どうすんだろう。
車が通らないか注意しながらそう思いを巡らせていたその時だった。
あまりにも突然だった。
「あー…」
兄さんは肩をゴキゴキさせ、一歩進んでガクっとつんのめった。足は変な方向を向いたままだった。
「あれー…?あー…」
血だらけの兄さんは、自転車を起こした。前輪は曲がり、おっちゃんが切った金具が変な音をたてた。
もう、ゾンビ映画そのままに、血だらけの兄さんはガックンガックンしながら、自転車を押して歩きだした。
そこでようやく俺は我に返った。
「!?ちょ、今、今救急車来るから!待って!待って!」
兄さんが血だらけの顔で俺を見た。
「…あー…だいじょーぶ…だから、はい」
「ダメだって!血、出てるから、ダメだって!足だって、変だろ!?」
「…ああ…だいじょーぶ…」
「全然大丈夫じゃねえから!!!」
血だらけゾンビ兄ちゃんと、俺の攻防は救急車がたどり着くまで延々続いた。
今でもうまい棒見るたび、ふっと思い出す。
http://anond.hatelabo.jp/20090510053204
これ読んで色々な不安が押し寄せてなんだかいろいろ考えたので、せっかくだからまとめてみる。
今月末、現在の住居から100mも行かないところにあるアパートへ引越しをする。一昨年の秋にそれまで住んでいたマイホームから賃貸の一軒家に引っ越した。
それでもこのご時世で家賃が厳しくなったので家賃3.5万の2LDKに引っ越すことになった。家賃はおよそ半分になる。
父は大学を中退して建築関係の株式会社に就職して、俺が小学4年生の頃には部長になり、中学にあがる頃には地方支部長になっていた。
実家から離れるので単身赴任になったけど、順調な昇進にどことなく誇らしげな顔をしていたのを覚えている。その頃、父はト○タのマー○IIに乗っていた。
ただ、俺が中学にあがってすぐ、父は退職した。このままだと東京の本社へ転属されることは間違いなく、(俺から見た)祖母のこともあるので地元は出たくなかったことと、
営業でお偉方の接待に明け暮れる毎日に辟易したらしい。
そして間もなく、母と共に自営業の飲食店をはじめた。これは数年で辞めることになる。1日に16時間近く店舗で配達から調理、経理をやっていた。
全く軌道に乗る事もなく、従業員のひとりに経営を委ねて我が家はこの飲食店から身を引いた。最近、店舗があったところに行ったけど、跡形もなかった。
父は年齢が年齢なので、派遣でインターネットのセットアップのスタッフをやっていたが、半年ほどで契約期間が切れる。
母の高校時代の知り合いがやっている、コーヒーの卸売りを一緒にやっている。自営業。
母は時を同じくして、某有名保険会社で働きはじめる。母の兄弟が勤めており、紹介ではじめたらしい。
もう50を目前に控えている母だが、新人として全国でトップ20に入る業績をあげ、東京の本社へ招待された。意見交換会と食事会のようなものらしい。
そして、来月にも母はマネージャーへ昇格する見込みらしい。
しかし、不景気の煽りと40代後半での転職なので、2人併せて年収350万ほどだそうだ。
俺は「最低限の生活」は送れていると思うが、それもギリギリのラインを保っているというのが実情だと思っている。
電気はよくとまるし、今月は親戚に借金しないと家賃も払えなかった。
そんな家の長男である俺はフリーター。別の言い方をすると浪人生。
全落ちは免れたものの結果的には大学受験に失敗し、1年間浪人させていただくことになった。
志望は関西の某有名私大。授業料(免除/減免)制度がある(のと、学びたい分野で評価が高い)ので、狙うことになった。ちなみに津軽海峡以北在住。
親と話して国公立の学費は安いが、授業料免除制度(特待生制度)がある私立の方が結果的に安くなるんじゃないか、という結論に拠る。一応、国立も受けるつもりではいる。
ただ、浪人生としてスタートを切って1ヶ月ちょっとが経とうとしている今、本当に大学へ行っていいのだろうか、という気持ちが再燃してきた。
親は「大学に行きたいのならなんとしてでも行かせてやる」と言ってくれているが、はっきりいってそんな余裕もなくなっている。
父は元々、子供っぽい性格だったが、最近は明らかに異常と思える事で声を荒げたりする。事あるたびに「そっか、俺はいない方がいいのか」ともいう。
子供っぽい父の扱いに困ることはあっても、そんなことを俺も妹も母も思ったことなんてないのに。
お金が全てだとは思わないが、愛(気持ち)で生活できるわけじゃない。
親は俺と妹に飛び切りの愛を注いでくれているが、今の家計で俺を大学に行かせるには(授業料減免制度を利用しても)負担が大きすぎると思う。
大学を諦めて就職することも真剣に考えた。しかし、自分の住んでいる地方は全国でも有数の就職率の低さを誇っており、高卒とまともに取り合ってくれるところなんてない。
もちろん、収入は少なくても無いよりはましだ。
決して大学への進学は親の意思ではない。親は「自分自身がやりたいことをやればいい」という。俺の意思で大学への進学を希望した。
俺が大学へ行ったら妹の進学は更に厳しいものとなるだろう。それは絶対にあってはならない。
妹は不登校を乗り越えて全寮制の公立高校へ進学して、介護方面を志している。就職もありだろうが、進学することも間違いないではないと思う。
自分を卑下するつもりはないが、俺の想像の及ばない困難を乗り越えた妹はそれなりの報いを(俺よりも)受けるべきだと思っている。
妹が不自然なまでに頑なに進学を拒むのは、こういった家庭の事情を汲み取っているというのも一因だろう。気の利きすぎるというか、考えすぎる節がある。
高校の頃はわざわざ(順調な昇進の兆しを見せていた)定職を捨てて、収入もままならない時期があった父を侮蔑していた。
だけど、今はもう責められない。誰も責められない。父の判断は正しかったのかもしれないし、間違っていたのかもしれない。
少なくとも高校受験を放棄し(「全入」と化している私立高校へ進学した)、私立大学を目指した挙句、失敗してフリーターとなりながらもまだ私立大学に執着する自分には父も、誰を責める権利はない。
これだけ長々と書いても気持ちは定まらない。
憎悪していた数学が楽しくなってきて(文系だけど)、他の受験科目の勉強も楽しくて仕方が無い。結局、責任なぞを持ち出しても、自分の欲に未練たらたらだ。
でね、そこは浪人生の成績で進学成績を保ってるような学校だったの。
補習科っていうのがあってね、そこに四年生って呼ばれてる人たちがいて、
現役生からは「かっこわりー」とか言われてたの。
毎年320人から100人くらいは浪人してね、それでもいい学校を目指すほうがいいなんて姿勢だったの。
現役だとひっかかりすらしないような人間だらけだったんだけど。
文武両道とか言って、野球部もサッカー部も緒戦敗退するのに数十万部費がもらえて、
軽音部は3万できったねえ6畳のプレハブで活動させられてたんだけど。
今でも思い出すとむかつくのは、管弦楽部とその顧問の音楽教師だ。
たった3校だかの中で1位をとって、全国大会にまで行ってピッチグダグダの演奏かまして帰ってくる。
その遠征費が200万?勘弁してくれよ。お前ら、コードとかの概念すらわかってないじゃないか。
顧問は顧問で、利権にまみれすぎなんだ。
そのくせ俺が大音量で弾くへヴィロックはお気に召さないのか。
死んでしまえ。へたくそ。
知っていると思うけど、20歳以上だったらOK
http://www.jra.go.jp/faq/faq02.html#q1_2
20歳以上なの?ってことを問おうとしていたんならすいません。それはわかんねw
女子中学生(よっぽど)が痴漢にあってたみたいで、OLさんが気がついて声かけたら痴漢っぽい男(野暮ったい感じの…ステレオタイプな浪人生イメージなヤツ)がコソコソと移動していくのに気がついたのね。
で、その直後、そのOLさんが俺を睨みつけるわけ。位置・距離的にどうしたって件の女子中学生に触れたりとかって無理なのは向こうも理解できてるだろうから、多分何で助けてあげなかったんだ!?ってことで
非難の目線を送ってきたんだろうけど、そりゃ無理ってもんだ。左後ろから「大丈夫?」って声が聞こえてきたから貧血の人でも出たのか?と思って振り向いて一部始終を目撃しただけなんだもん。
ロースクールが出来た今となっては見られない風景になってしまっただろう。
当時、僕は大学生で進路を決めないといけない時期だった。
「将来どうしよう。働きたくねぇな・・・でも、プラプラもしてられないし。」と
院に進む、就職する、思い切って留学しちゃう等の選択肢に悩んでいた。
で、友人に気を使うのが嫌だったから知り合いのいない図書館に行く事が日課になっていた。
通うようになると顔見知りもできてくる。別に声をかけたりなんかしないが「お、今日もいるな。お疲れ様」とこっちが勝手に思う程度。
図書館にも良い席と悪い席がある。良い席は基本的に角だ。目の前に人が通って集中力を削がれることもない。
そこにいつも座っている女性がいた。化粧気はないが、通った鼻筋と長いまつ毛。小ざっぱりとした服。
もしも彼女がタバコを吸っていて、喫煙コーナーでふと二人っきりだったら
「いつも勉強大変ですね」と声をかけたかった。
もっとも彼女はタバコなんて吸わなかったし、僕にもそんな勇気はなかったけど。
更に通っていると気付いた。彼女の3席隣に同じ司法試験浪人生がいる。若白髪で如何にも不器用そうで、でもきっと真面目な男だ。
そしてそのまた3つ横の席にも同じ司法浪人生がいた。明治の売れない作家みたいな眼鏡をかけてガリガリの男だ。
彼ら2人は彼女を守る番人のように、もしも不届きな輩が彼女を誘惑しようとするなら
「刑法第143条でその行為は禁じられている。判例は昭和47年10月の斉藤事件の判決文をよみたまえ」
と素晴らしいガードをしてくれそうだ。当然、全て僕の想像だし、彼女と彼らが話している場面は見ることが無かった。
そんな風景も昔の話だ。僕は就職し、おそらく何も無ければ結婚するであろう女性と同棲までしている。
他人が2人で同じ家に住むのは大変だ。息が詰まる時だってある。そんな時にふらっとあの図書館に行ってみた。
そこには目尻に小皺が出始めた彼女と、番人2名が勉強を続けていた。
と、以上が4~5年前の話。
その人は医学部志望でも美大志望でもなくて私大文系コースにいる。
職員の人に聞いてみると一度社会に出た人が再度ってわけでもなくて
18の頃からずっと通っているらしい。
5年目の時に全部落ちたけど予備校に再入学しなかったことがあって
諦めたのかと思ってたら1年後、また通いだしたりして
職員の間ではその人の話題で持ちきりだったとか。
様子を見ていると受験のやる気はないように思われる。
授業にはちゃんと出るけども自習室を活用したりせずに速攻で帰る。
家で勉強しているかどうかは定かではない。
偏差値は60に行くかどうかってところで、マーチをしらみつぶしに受けたら
どこか引っかかりそうなものだけどずっと早慶しか受けてこなかったとか。
この人の人生が心配です。今さら職に就こうにもまともなところは無理だろうし
合格したとして、学生生活も満喫できないだろうし就職もどうなんだろう。
この人を見てるとなんだか頑張ろうって気になります。まだ1年だけど今から就職の対策始めたりしています。
少子化が進めば「労働せずに消費だけする子供」も減るわけ全体として消費者が減らないとは言えないんじゃなかろうか。というか失業者が多いなら消費者より労働者のほうが減ったとして何の問題があるのやら。むしろ失業しにくくなるから望ましいんじゃなかろうか。
たしかに、子供の消費は「親の支出の増加」になるから、親の消費額が減るな。
結果的に、消費者が減るとも言えなくもない。(総消費量は減ってるわけだから)
てことは、少子化による子供の消費額減と老人の消費額増の釣り合いが取れると、問題が無くなるのか。
あとは政府の税収が減るってことぐらいか。これも子供にかかる福祉の額が減るので相殺できればOK。
相殺できるかどうかは分かんないな。
こんにちはこんにちは!mixiは退会しちゃったからここにかくよ!←文句は勝手にパクってるだけだよ!
ちなみに入会後にiPhoneに変えちゃったからmixiには再入会できないんだってさ!なんとかしてよミクシィ!
さて、いくつかあやまらないといけないことがあるんだ。
まず、うつ病の状態で日記を書いてたせいで、一年間「チラシのウラ」に書くべきことをつらつらと書き連ねてしまったこと、ごめんね!
うつの状態が慢性化してるのの気づかなかったせいか、僕の思考のどこからどこまでが「健常者」クオリティなのか判断しかねてたんだ。
一応脳内ファイヤーウォールを厳重警戒モードにして、口数は多い方だったのにうんともすんともいわなくなったけど、ネットを掃きだめにしちゃ意味無かった。
というかネオリベっぽい言動をミクシィですること自体お門違いだった!
卒業してミクシィ解禁になって、もう1年間醜態をさらし続けていたんだと思うと、時空の穴があったら入りたい気分だよ。
思考力の鈍化・・・うつの束縛からは徐々に解放されてきた。生きてるだけで必死だったことも当たり前のように気づけるようになってきた。??finalventさんはやっぱりすごかったんだ!
回復期は不安定な状態が続くけど、あと少しだと思う。 焦っちゃいけないんだけど。
でもやっぱり生きることに対しては否定的なままだし、普段はそれをファイヤーウォールで検閲してるからテンション低くて無口なままだ。
そして、死ぬことに対して全く違和感がない。 というか、安息とか平和とか完璧とかそういうポジティブなイメージしかない。
だからこれからは死を魅力的にしないようなメタ認知的な意志決定をしていかないといけないんだと思う。
でもご存じの通り、寮で一緒に暮らして3年のときは死にたいとかウツだとかおくびにも出さなかったけど、この前メッセでぽろっと「死にたいんだ・・デフォルトで」っていっちゃった。
そのときはYとKがつきあってくれてたよね。
それでKにたしなめられて、なんかいろんなことに絶望した。 絶望する材料が(また)たまってきて、そのトリガーがそれだったんだな。
フィルタリングできなかった自分と、「そんなこと相談されるYがかわいそう」って憐憫の矛先がそっちかよ!って思っちゃったことと、Kは僕のこと嫌いなんだよなあってことと、ぶっちゃけうつ病の浪人生なんて付き合ってていいことないよなあ、っていうことと・・・
あと、ミクシィで健常者の言動をまねぶのが窮屈で仕方なかったって気づいたこと。
僕、高校のころの記憶はあまり残ってないんだけど、友達との関係もすべて過去完了形でおわらせてしまおうと思う。 どうせおぼえちゃいないんだ。
・・・はあ。 環境に嘆いても始まらないんだ。 僕の親が両方(元)中国人だったり、僕が帰国子女でインターナショナルスクールに通ってたこととか・・・小5までは日本で育ったと家、日本の高校になじめない材料はただでさえあったんだ。 ??????この言及自体、自己憐憫に属してしまうね。 すまない。
もっとすまないのは、去り際に何も言わなかったことだ。 ミクシィもメッセもメールもすべて衝動的に消してしまった。
・・・なにをするにしても、禁則事項になってしまう。 まだ自分の認知がうつバイアスから回復してないかもしれないってだけで怖いのに。 僕はちっぽけな傷口をなめてほしくてたまらないんだ。
去り際に何かを言うと、それも禁則事項になってしまうようなきがする。 自分でも恥を増やしたくないって思惑もあるけど、たぶん僕がいない暮らしのほうが快適だと思う。
みんなは京都大学や大阪大学やら東京大学やら、いろんなところで活躍して欲しい・・・一般人として。
・・・・・がんばれが禁句のヤツががんばれって、愚かしさもきわまったよね。
・・・・ポジティブに行きたいんだけど、僕が「がんばります!」って、もう説得力ないよね。無担保では・・・
1回途中でうつ病から回復してて不安定ってことで寝込む理由につかっちゃった。
とにかく、高校の人たち、いままでありがとう。 さようなら〜FOREVER!
さて。
受験の問題が残ってるんだよな。 死にたいってポロって漏らしちゃったのも、受験のことをどうするのか相談に乗ってもらったときだったよな。
というより、受験は「どれくらい生きる意志がありますか?」の問題になっちゃうんだ。 ぶっちゃけると受験なんかどうでもよくて、死ねちゃえばそれでいいんだ。
カリウムも買ったし、注射器もある。 でもなんか踏み出しにくいんだよな。 きっかけがないとな・・・
たぶん僕が唯一行える譲歩が、なぜか「東京大学ならいいんじゃない」なんだよな。 スパルタ式進学校の洗脳はすごいな。
はてなでマッチョーウィンプの議論をみてきたせいなのかもしれない。 何をするにも低水準で、妥協を空気のように行うわが母君に嫌気がさしてるのかもしれない。
父親は単身赴任で上海だしなあ。 母親は毒親っぽいけど、うつ病のぼくがいっても説得力ない・・・
英語はもともと得意なんだ。 東大の試験でも満点ねらえるんだ。
でも高校の頃の記憶がない・・・というより、高校にいるあいだはうつ真っ盛り大流血バーゲンで、脳内HDDの読み取り/書き込みができなかったんだ。ずっと。
それで、去年卒業して幾分か回復して、高校の数学と物理と生物と倫理を詰め込んだ。 とりあえず知識と基礎的な応用はすべて身についた。
といっても夏ぐらいからうつが再来したけどね・・・ けっこうがんばったとおもうんだ、そういう状況を鑑みたら。
普通大学受験に記憶喪失(←便宜上こう呼称してる)もうつ病も、HDD読み取り/書き込みも関わってこないよね!?
・・・っていうのが僕の論点なんだけど、東京大学は英語の力を持ってしてもちょっと辛いな・・・
・・・ということで、もう一年。 さっき母親と一週間に及ぶ交渉をおわらせて、やっとOKがとれた。
一人暮らししてもいいって!
(本当は一人暮らしは好ましくないかもしれないけど、母親は外的病原体みたいなものだってドクターもいってるし、ドクターも一人暮らしには同意してくれた。)
それで、どこに一人暮らしすると思う?
京都だよ!
このまえ家でして泊まらせてもらった君の家、京都大学近郊すぐちかくだよ!
なんてこった。 いやでも思い出してしまう。 KとY、たのむから平和でいてくれ。
はてブをみてたらゲストハウスもいいかなあ、って思えたんだけど、京都にも大阪にもあまりいいのがなかった。 だから学生専用の一人部屋を借りることにしたよ。
実は夜間、ゲストハウスの管理人として管理室で寝るだけのバイトがあって、それだと家賃無料だったんだけど、昼間はどこかにいかないといけないってことでNGをだされちゃった。
家の経済的な理由をひとりぐらし反対にあげたんなら、OKすればいいのにね。
経済的な理由ってものに僕の(ただでさえ枯渇気味の)生きる意志(笑)が局限されると死にまたコンニチハしちゃいそうだから、寝込んでる時間を生かして、
・・・まだ収益あげられてないんだ。まだ作ってる途中で、最初のポストは相互リンクするのめんどくさい。
普段からニュースをRSSで収集するクセがあったのが役に立ったよ! ほぼ自動化できてる。
Rubyとかできればコード書くんだけどなあ。僕はHSPしかできないんだ(笑)
高校2年で25キロやせたのはレジェンドだけど、あれ以来結局さらにやせた。高校入学するまえとくらべて35キロやせた(笑)
おかげで贅肉がとれて若干イケメンっていってもらえるようになったよ。 多分お世辞というかかわいそうな人へのはなむけだけど。
ダイエットしたいひとはうつになるといいよ。
・・・ものすごく収集つかなくなったけど、アイドリング中に高校の友達のことを思い出してしまうのはそろそろやめたいって思う。
一応、2010年の今頃に、アドレス張のバックアップが僕の新しいメールアドレスに送信されるようにしてるから、そのとき回復が進んで、関係を再構築できそうだったらするかもしれない。
でもしばらくは全て0に収束させようと思う・・・
メンヘルなりに精一杯あがいてみる。 結局禁則事項を犯しまくることが、一番回復への近道だと思う。 でも迷惑をかけるのも、これ以上僕に対して関心をもってほしくもないんだ・・・
Steve Jobs的に言うとbag of hurtだからね・・・
はてブでは最近自己責任教ってのが気になりだしたけど、たぶんこれも自分で自分の傷をなめる行為の一環に分類されるんだろう。
まあ、目立ったことは何もしないことで、サンドバッグ状態を作り出せるかな。
支離滅裂だね。そろそろ自重するよ。
今までありがとう。
なあ、お前と飲むときはいつも白○屋だな。
一番最初、お前と飲んだときからそうだったよな。
おごってもらったのが白○屋だったな。
「俺は、毎晩こういうところで飲み歩いてるぜ。金が余ってしょーがねーから」
お前はそういって笑ってたっけな。
お前は月30万稼ぐんだって胸を張っていたよな。
「バイトの後輩どもにこうして奢ってやって、言うこと聞かせるんだ」
そういうことを目を輝かせて語っていたのも、白○屋だったな。
あれから十年たって今、こうして、たまにお前と飲むときもやっぱり白○屋だ。
ここ何年か、こういう安い居酒屋に行くのはお前と一緒のときだけだ。
別に安い店が悪いというわけじゃないが、ここの酒は色付の汚水みたいなもんだ。
油の悪い、不衛生な料理は、毒を食っているような気がしてならない。
なあ、別に女が居る店でなくたっていい。
もう少し金を出せば、こんな残飯でなくって、本物の酒と食べ物を出す店を
いくらでも知っているはずの年齢じゃないのか、俺たちは?
でも、今のお前を見ると、
お前がポケットから取り出すくしゃくしゃの千円札三枚を見ると、
俺はどうしても「もっといい店行こうぜ」って言えなくなるんだ。
お前が前のバイトクビになったの聞いたよ。お前が体壊したのも知ってたよ。
新しく入ったバイト先で、一回りも歳の違う、20代の若いフリーターの中に混じって、
使えない粗大ゴミ扱いされて、それでも必死に卑屈になってバイト続けているのもわかってる。
だけど、もういいだろ。
十年前と同じ白○屋で、十年前と同じ、努力もしない夢を語らないでくれ。
そんなのは、隣の席で浮かれているガキどもだけに許されるなぐさめなんだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20090103125210
そうした理由は学歴を良くしたかったっていうのもあるけど純粋に勉強がしたかった。
大学って、もっとこう、門外不出の秘伝を教えるところだと思っていたよ。
違うよ。全然違うよ。
元増田はどうやら大学にいけば秘伝が教えてもらえる、と思ってたらしい。これは大いなる誤解だ。
一方で大学入り立ての人にとっては誤解しやすいところである。
秘伝は大学にはたくさんある。膨大にある。同級生も先輩も持っているし、信じられないかもしれないけど、教授(!)が持っている時もある。
ただ、秘伝というのはなかなか教えてくれない。手取足取り教えてもらうと秘伝は勉強できないのだ。
いや、待ってくれと。小学校から高校生、浪人生までは人が教えてくれたじゃないかと。そう思うかもしれない。
それはそうだ。なぜなら小中高はルールが違う。「導入勉強」と「本番勉強」は全然違うのだ。
「導入勉強」とは何か。わかりやすく言うと「基礎的な学習」という意味だ。
「導入勉強」は何かを始める時の基礎の基礎のことである。数学だったら足し算や引き算レベルだろうか。
この部分については、人から教わったほうが効率がいい。もちろん本を買って学ぶこともできるが、本当に始めだったら、人から教わるべきだと私は考える。
小学校から高校生でやっているのはまさにそういう勉強をしているといっていいだろう。
しかし、大学〜社会人の勉強というものは、行動が必要になる。これがわかりづらい。大学生になったときに説明をしてもらえればいいんだが、してもらえない。
大学生以上の勉強は、受動的だと非効率なのだ。なぜならみんなは優しく教えてくれないのだ。
それは「優しく教える」のが仕事の人たちが相手だったからである。
「優しく教える」のが仕事の人たちは、当然優しく教えてくれる。しかし、大学からは「優しく教える」仕事の人がいなくなる。
なので、秘伝を知るには、「人から秘伝を引き出す」ようになるしかない。
そして、ビジネスでの世界と同じように、相手から何かを引き出すには、対価が必要だ。
授業料?ばかいっちゃいけない。そんな年間数百万円レベルのもので教えてもらえる秘伝なんて、秘伝でもなんでもない。それこそ本を乱読すればいいレベルだ。
なので、元増田は対価を支払っていないから秘伝を知り得ていないのだ。そこにいる人たちの中で、賢い人たちは全員秘伝を知っているし、その取得方法もわかっている。
とりあえず自分が、秘伝を教えてもらえるのにふさわしい対価を払えるようになろう。さすれば、自然と大学にある知の秘伝があなたのものになる。
対価とは何か?それは自分で考えよう。