世界観?に寄せに行ってるんじゃなくて鈴木のアーティストとしてのあり方というか恋愛とかすれ違いを歌手生命のなかで歌い通してきた生きざま感みたいなものがあって、
その雰囲気がかぐや様の世界観と部分的に重なるからイイねってなるんだよな。
部分的にというのはあくまでかぐや様は秀逸なラブコメであって鈴木の歌そのものの世界観ではなくて、鈴木は鈴木でそれまで歌ってきたベースの上にある「自分の歌」を歌っているんだけれど
恋愛に対する気持ちとかすれ違いをどうにかしたいだとかそういったお互いの世界観の重なり合う部分がお互いに寄せて行くんじゃなくて在りのままで反響し合うような相乗効果が出ている。
友人にそういうインターネットで議論されるような話題を振るのはリスキーだってことを知った方がいい
この場合増田は自分に友人が同意しない限り不満に思ったはずだし、返答によっては友人を軽蔑したはずだ 実際やや友人の倫理観に疑問を抱いている
返答の如何によっては相手を軽蔑する余地のある(したとえば交通事故に対して「痛ましい事件だよね」「そうだよね」のようなほぼ100%返ってくる言葉が決まっているようなやりとりを除いた)質問を投げかけるのは相手が自分の望む返答をくれなかったとき、関係にヒビが入る可能性があるわけだがそれを理解した上で質問してるの?
浮気したいってハッキリ言えない世の中は間違ってるよね
日本語へたすぎん?