怒られない程度にうまくサボりながら仕事するというやり方で、特に評価はされないけれどそこまで悪い扱いも受けずにやり過ごしてきた。「やり過ごす」というのが私の仕事に対する基本的なスタンスで、人生の中で仕事の占めるウェイトはなるべく小さくしておこうとしていた。
というわけで野心も出世欲もなく、上を見ないから挫折する機会もなく、他人から見たらどうか知らないが、個人的には順風満帆な会社員人生だと思っていた。もちろんしんどいことはあるし、少々心を病んだりもしたけれど、総合的にはうまく仕事と付き合えていたと思う。
スキルアップや、社会の変化に合わせた自分のアップデート、情報のインプットなどにも積極的ではなかった。時間が空けばサボってたし、何よりプライベートを優先した(自分では当然のことだと思うんだけど)。なので、会社員として「これについては自信がある」というものは身につけてこなかった。
ただ、自分の仕事への距離の取り方や、心を病んだ経験、上司にどう見られようが大して気にならないという立場を活かして、周りの人の心身のコンディションに気を配ることだけは積極的にしようと考えていたし、その能力には実は少し自信をもってもいた。周り、といってもその半径は狭く、せいぜい同じチーム、10人に満たない数の同僚に目を配ろうとしていた程度だけれど。
言うほど努力していたわけではない。機会をつくって個人的に話を聞いたり、職場でなるべく周りを巻き込むような無駄話をしたり、仕事を相対化するような発言を敢えて大きめの声でしたり、そんなくらいのことだ。
でもそれが機能していると私は思い込んでいた。役に立っていると傲慢にも考えていた。
人事異動でチームの人数が減った。それより前にすでに産休で欠員が出ていたのに補充はないまま、さらに人員構成が厳しくなった。
私だけでなく皆が危機感を感じていたと思う。上長もなるべく仕事を整理して、業務量の減少に注力していた。
その根本的な責が会社組織にあるとしても、少なくとも私は無策や無為によってそのことに加担はした。それは疑いようのないことだった。
特に会社来れなくなった中の一人、若い後輩の彼に対して、私のやり方は何から何まで間違っていた。私は彼の異変に気づいていた。話していて、少しお金の使い方が荒くなっているなと感じていたし、そもそも仕事は優秀な彼に明らかに集中しすぎていた。
彼は圧倒的なコミュニケーションスキルをもつ人間で、私は話しやすくて毎日のように会話した。彼は自分のことをよく把握しているように見えた。残業しても集中力がもたないと言って残業はあまりしなかったし、休日には一切仕事をせず、ちゃんと休んでいた。だから私は心配しながらもどこかで安心してしまっていた。
私は本当は何一つ彼から発せられている情報を汲み取っていなかった。汲み取る努力もしなかった。ヒントはそこら中に転がっていた。今思えば。
最悪なのは私が彼と話すことを楽しんでいたことだ。たとえば私がある仕事でテンパっていた時、彼は「増田さんも大変ですね」と言ってくれた。私はそこにある「も」の含意に気づかず、あるいは気づきながら無視して、自分がいかに大変かを話す有様だった。聞いてもらって喜んでいた。何という愚かさだろうか。
仕事へのモチベーションについて話した際も、私は彼が非常に的確な相槌を打ってくれたり、上手な質問で話を引き出してくれたりするので、相談に乗るというより会話自体を楽しんでしまった。彼は聡明で、聡明な人間との会話ほど楽しいものはない。
私は彼とのコミュニケーションをただ楽しみ、もっと言えば仲良くなることを喜び、彼の辛さについてより深く関わろうとしなかった。
私が何かすることで彼を実際に助けられたかどうか、ということは重要ではない。一番の問題は私自身の無為、圧倒的な無策だ。あの時何か試みていたとしても効果の程は分からない。いまさら検証のしようもない。でも、できることはあった。それをやらなかった。試みようと考えつきもしなかった。
彼との会話の楽しさに浮かれず、もっと虚心で向き合えば、するべきことは見えたはずだし、少なくともシンプルで素直な手の差し伸べ方はできたかもしれない。
私は漫然と彼の叫びを見逃した。
これだけ仲良く腹を割って話せているのだから、本当に大変な時は直接私に助けを求めるだろうとすら思っていた。
なぜ彼の叫びが「他ならぬ自分に向けて発せられる」などという傲慢な思い込みをしたのか。本当に厳しい状況にある人の絞り出す声は弱々しく虚空に吐き出されるもので、そもそも誰かに向いたりするものではないのに。
私は何から何まで間違えていた。
彼はまだ戻ってこない。このまま辞めるかもしれない。それはそれでいいと思う(彼の選択なら)。
たかが給与労働にここまで心理的に入れ込む人がさっぱり理解できない
仮にその「彼」が助けを求めていたとして、あなたは何ができたの?
単純に、彼が受けもっている多過ぎる仕事のいくつかを、無理矢理剥がして引き受けることはできたでしょうか。 あとは休むにしても「急に来れなくなる」みたいな形にならないで済む...
無理する人が入れ替わるだけで組織的に何も解決できてねえなソレ
それは本当にその通りで、一番の原因と責任は組織にあるんですが、 根本的解決についての話というより、私は一種の感傷について話しているのだと思います。
金のための労働でそこまで感情移入するってのがさっぱり理解できんのよな。もしかして女性?