あままこ氏の「常に改善を考えなきゃいけない生活とか大嫌いで、できる限り何も考えないで日々を過ごしたい」という意見に関して、経済成長推進派からコメントします。
http://amamako.hateblo.jp/entry/2017/02/21/194528
あままこ氏の意見は経済学ではきわめて一般的なものです。実際、ほぼすべてのマクロモデルで、労働は効用(=幸福度)を下げるものと仮定されています。これは、みんな働かなくてもいいなら働きたくないよね、という単純な観察をもとにしています。労働は自己実現の手段だ、マズローを知らんのか、みたいな話は、政治家と経営コンサルタントにまかせておきましょう。
そして、日々の小さな改善を奨励せず、現状維持を続ける社会がどうなるかは、私たちは知っています。
ソビエト社会では、ボトムアップの改善が禁止されていました。その結果、ソ連経済は次第に硬直性を増し、効率性を落とし、最終的にアメリカとの軍事競争についていくことができず、経済が崩壊しました。共産経済が崩壊して市場経済への移行するまでの間に、殺人率と自殺率が跳ね上がり、平均寿命が10年下がっています。また、「超大国」だったソ連は、「新興国の一つ」にまで落ちぶれています。
日本の江戸時代には、農家がコメの代わりに商品作物作ったり、商人が金融市場を発達させようとしたりしていましたが、江戸幕府は「神君家康公の時代に戻る」という題目を掲げ、数次の改革で農家や商人の勃興と武家の没落を防ごうとしました。しかし、アメリカの優れた技術と軍事力による圧力で、神君の時代を維持するという目標が夢物語に過ぎないことがはっきりしました。日本は幸運なことに植民地化を逃れましたが、江戸後半は、日本という国家の存続がかなり危なかった時期だと思います。
あままこ氏が示唆するように、改善大好き!な人は実際あまりいないので、ソビエトや江戸時代の例に習わないためには、日本も社会として成長を奨励するしかなさそうです。人権の擁護は別に対立する話ではなく、むしろ成長していたほうが人権擁護もやりやすいので、経済成長の奨励をしないという選択肢には特に魅力を感じません。アメリカと中国とヨーロッパが脱成長をはじめないかぎり、日本で脱成長が現実的な選択肢になる可能性はないと思います。
あと、「改善を止める」ということの具体的なイメージがわかっていない人も多すぎると思います。日本がバブル崩壊前の40年前まで改善を止めたら、携帯電話はないし、インターネットはないし、学校にエアコンはないし、牛肉は高くて庶民はなかなか買えないし、CO2は垂れ流しだし、フロンで南極のオゾン層を破壊し続けているわけだよ。社会の面で見たら、普通の女性はせいぜい短大までで、オフィスにはヌード写真が貼ってあり、学校で体罰がふつうにあり、立ちションするひとをよく見かける時代。