すばらしかった。
もちろん多少の賛否はあるだろうけど、日本のアクション超大作は名実共にアニメ映画になったのだと確信しました。
100分の上映時間の内、前半でサイヤ人達のストーリーの掘り下げが行われて、その後におそらく40分以上も戦闘シーンが延々と続く。
戦闘シーンはあまりにもひたすら続くので人によっては集中力が切れるかもしれない。しかし、超ハイクオリティなバトルシーンはすさまじい出来だった。
この映画体験はマーベル映画にも負けていないと自信を持って言える。
※プロレスや興行系の格闘技の試合のように背景BGMでチャント(ブローリー!!!とかゴジータ!ゴジータ!とか)が流れるのも面白い演出だった(笑) すこし気になってる人もいるようだけど。
しかし話のテーマ自体が最近の時代の流れをきちんとつかんでおり、鳥山明の真骨頂を見た感じだ。鳥山明は元々映画好きでドラゴンボールも香港映画のカンフーとかターミネーターから着想を得たような話がある。
つまりグローバルな流れの中の映画の潮流をわりと掴んでいるように見える。
だ。
これはすばらしい選択だったと思う。
アメリカの黒人のアフリカンアイデンティティの肯定という点について言及していた人もいたと思う。
その流れを見事に掴んでいる。
同じ年にこのテーマを選択できたのは凄い。脚本を考えた時はまだ公開されていなかったはずだ。
原作におけるサイヤ人は非常に冷酷で戦闘的であまり我々地球人が肯定できるキャラクターとしては登場してこなかった。
どちらかというと酷いキャラとして描かれてきたように思える。
しかし、今回のドラゴンボールはサイヤ人をより深堀し、その解釈を否定する。
フリーザやコルド大王に付き従うしかなかったサイヤ人やベジータ王。
あまりに高い戦闘力を危惧され追放されたブロリー及びパラガス。
そして、罪滅ぼしのようにゴクウを地球に避難させるバーダック。
以前「なぜ黒人がドラゴンボールに嵌るのか」という記事があった。
そこでは移民であるゴクウが大活躍したり、異文化になじめないベジータの葛藤など移民に共通する悩みが描かれていたからだという理由があげられていた。
今作ではその点を更に深堀している。
フリーザやブルマのちょっとしたギャグシーンは今回も健在であったがこの裏のテーマがあるおかげで気にならないのだ。
素直に単なるギャグシーンだと受け取ることが出来る。
ここにこの映画の凄みがある。
と聞かれてゴクウはこう答える
ついにゴクウがサイヤ人としてのアイデンティティを肯定したのだというメッセージだ。
サイヤ人がただ単にマッチョで冷酷非情なだけではないのだと、我々と同じ人間であるのだと。
どこまで鳥山明が考えたのかはわからないがこのタイミングでこのテーマは天才的だ。
アメリカでもまず間違いなく受けるだろうと確信したのはこの最後の瞬間だった。
あまりにも長すぎる戦闘シーンなど人によってあわない部分はあると思う。
フリーザーのドラゴンボールの願い事などのギャグシーンもシリアスさを求める人には不評だろう。
しかし、今回はそれをおぎなってあまりあるアクション超大作であり娯楽作であった。
監督のインタビュー等を見ても親子で見れる作品を目指しているのは見て取れる。今までは子供向けに振り切りすぎていた感触もあったが、今作のバランスは神がかっていた。