は確かに間違っているけれど、
集団Aは犯罪率が高い→集団Aに所属する者は犯罪をする可能性が高い→「集団Aの出身者でも、この個人は犯罪をすることはなさそう」という根拠がない限り、集団Aの出身者の評価は低めに見積もる
というのはごくごく一般的な判断だよね
通名問題はいつのまにか人種問題にされてるけど、本来は国籍問題だよ。通名は在日外国人が使えるものであって、例えば日本に帰化した人種的、文化的な韓国人は法的な通名は使えない。人種問題ではないよ。
それに国家間の取り決めでさえ、国籍ごとの区別はつけてる、ってことでしょ。個人レベルでそうしちゃいけないって理由はあるの?
それに対して「併記」では
俺は「併記」は最低限。
アンフェアなツールが外国人にだけ与えられている現状を放っておいても、日本人には不利益しかない。
フェアな取引が出来てこそ、初めて友好ってものが見えて来ると思いませんかね?
そりゃ一人と五人で比較すりゃそうなるだろう
ま、「集団Aの犯罪率が高い/集団Aは属性Bを持つ/ゆえに属性Bを持つ者は犯罪者」という謎の三段論法を駆使している時点で、
そう。強硬に反対するほどでもない→通名の方がダメージ大きいんじゃね?、ってのが元の主張だったんだろうけど、議論の方向が変わっちゃってるね。
だから「併記」を主題にしてれば、変に突っかかられることもなかっただろうに、ということです。
個人的な意見を追記すれば、通名は変更可能→通名の変更を厳しくすればいい、というのは、通名をなくす、と同じくらいすぐにはできない対応方法なので、その方法を前提に「通名でいいんじゃない?」を正当化はできないと思う。だからこそなおさら「併記」を主張すればいいんじゃないかと思った次第で。
はてなブログの今週のお題が「名前の由来」らしいけど、結局名前なんてただ人を認識するための物でしかないよね
いやまああっちの「名前」ってのはニックネームやハンドルネームの「名前」らしいけど
個人の行動を民族のイメージに投影し、その民族のイメージをまた別の個人に投影する、それは理に適っていない、ってだけの話かな。
たとえば入国申請は国籍によって条件や必要な手順が変わったりする。信用されていない国はいろいろと制限される。人種差別にうるさい欧米だって国レベルでそういうことをやっている。国際的にも国籍によって区別を付けるケースは多々あるんだよ。理にかなってない、なんて言えないでしょ。
商売をやるってのはそういうことだと思いますがね。
併記でいいなら併記をメインに主張しようよ。そうしてれば議論もまったく違ってたのに。
個人の行動をその人の属性に投影し、その属性のイメージを別の個人に投影するのは、理に適ってるかどうかは知らんが当たり前に行われていることではある。
クーペの保険料率が高いのはクーペに乗っている人の事故率が高いからだが、これからクーペに乗る人が事故を起こすとは限らない。
エスカレーターでどちら側を空けるか、の境界線が京都付近にあるかららしいです。
http://homepage1.nifty.com/tabi-mo/esca.htm
かなり詳細に調べておられます。
あらゆる商売人や金融屋やら保険屋やらがやっている、資本主義の大原則です。
デューデリジェンスなしで商売できるわけないんですよ。
イメージとかそういう話じゃないんですよ。
そりゃ日本人にとって看過できない。それだけのお話でしょこれ。
個人的には韓国人の友人もいることだし、
個人は個人だと思いますよ。でも、リスク査定ってそーいうもんじゃないんですよ。
つーか、おまえら暴れすぎなんだよ。