はてなキーワード: 恐怖とは
自分との戦いというか対人恐怖。
昔は普通に振舞ってたのに不運が重なってこうなった。
周りを見渡せば皆何の苦痛も無く外を歩いてるのに俺は辛くて仕方ない。
声が掠れる場合は声を低く出すように心掛ければ綺麗な声が出る事だけは分かった。
関係ないか。
とにかく涙が出たり震えたりして状態を整える為にトイレに駆け込む毎日。
人と話しても恐くて仕方ない。なんじゃこりゃあ。
この事を誰かに話しても嘘と思われるし、
皆は平然と暮らしてるのに俺は普通に暮らせない。
同じように対人恐怖持ってる奴って何割いるんだろ・・・
地球が滅亡しちゃうらしいです
人間が
海面が上昇して
飢饉が起こり
進みすぎた文明を作ったことによって
強力な兵器が使用され
ロボットの反乱が起こり
エネルギーが枯渇し
地球が
地軸のズレで
大地震になって
氷河期になって
寿命を迎えて
爆発して
宇宙の
太陽が
爆発して
寿命を迎えて
隕石が衝突して
ブラックホールに飲み込まれて
寿命がきて
神の
怒りに触れて
きまぐれで
フリーザの
エネルギー弾で
地球侵略によって
敗北によって
着地の振動で地震が起こり
イチローの
地球が滅亡しちゃうらしいぞ☆
・審議中
鳩山の
友人の
友人の
テロによって
・・・他になにがありましたっけ?
thank for
http://anond.hatelabo.jp/20071105021900 (地球の寿命、太陽の寿命、宇宙の寿命)
http://anond.hatelabo.jp/20071105021900 (オゾン層の破壊、エネルギー枯渇、鳩山の友人の友人のテロ)
そうそう、まさにこんな感じ。
制限速度を守らないのが当然、みたいな。
自分たちは安全なのかもしれないが、すぐ横を猛スピードで走られる歩行者の恐怖も少しは考えてくれよ。
もしぶつかったら、こっちはあっさり死にかねないんだから。
おす俺。
死にたいって実は「○○したい」とか「○○したくない」に置き換える事ができるんだ。
もっと素晴らしい自分になりたい、賢くなりたい、認めてもらいたい
人に会いたくない、好きな事したい、長生きしたいとか。多分。
あれだな、火達磨、ミンチ、交通事故、他殺とかで死にたくないというのも俺はある。
「死にたい」が口癖になり始めたのは、俺の場合、他の人が言ってたのを聞いてからだ。
それからどんどん根暗になったな。
どうせ俺には不幸しか待ってない、残虐な死に方しか待ってないとか思い始めたりして。
でも実際、結構良い人生を送れる可能性もあるわけで。
もし良い人生を送るにしても、残虐な死に方が待ってるとしても、
今を楽しく生きれなきゃ・・・そりゃ死にたくなるわな。
だから好きに生きたら良いんだよ。お前が良い奴だと盲信して書いてるけど。
まさか人を殺したいとか思わないよな?幸せに生きたいんだよな?
ならお前の望みは何だ?
それを実現する為にはどんな努力方法がある?
全部実現し辛い努力方法だったか?じゃあ次点の望みは何だ?その次は?
大事な人が「自分」しかいないと死にたくなる。
きっと人を愛せば生きたくなるようになると思う。
人に冷たくされたか?
その前に自分がまず相手に冷たい言動を取ってなかったか?
自分に非が無いなら、きっと向こうが不器用なだけなのか、性格ブスなのかどっちかだよ。
死は誰だって恐いだろう。生き物の殆ど全てが恐がってると思う。
でも生きてたらその恐怖をチャラにできる可能性があると思う。
美味しい物食べて好きな人と喋ってプレゼント貰って他色々・・・
嬉しい事を沢山経験すれば、死の恐怖は軽減されるんじゃないだろか。
まぁ、死ぬ時激痛が走るにしても3日以内には死ねると思えば良いじゃん。
「生きてるだけでも儲け物」って考えてる人もいるぞ。
「頼まれなくても生きてやる」ってテーマの作品もあるぞ。
「死にたい」なんて言っちゃえよ。
沢山言って、でも落ち着いてきたらその言葉に潜む欲望とか分析しちゃえよ。
で、その言葉で言い換えてみて。
「イケメンになってモテてぇー!」とか「皆と仲良くなりてぇー!」とか。
まぁさ・・・人間死ぬ気なんて全く起きないほど浮かれる時もあるし、そういう時もある。
他人の迷惑を考える人って、人がまぁまぁ好きな人だと思う。
自分の事だけ考えるんじゃなくて、常に周りの人を想って生きてる人なんじゃないだろか。
人間いや生き物全員仲間なんだよ。同じ苦しみを抱える仲間。何だかんだで支えあってる仲間。
だから他人を嫌うのやめよーぜ。
・・・ってアホらし!もう和解してるやん!
僕には、みんなが普通に生活を送っていることが
ときどき、とても不思議に感じられる。
人はいつか死ぬ。
当たり前のことだけれど、
しかしゆるぎない真実であって、
これが僕にはひどく恐ろしい。
死の痛みは怖くない。
怖いけれど、僕が本当に怖いのは永遠だ。
みんなにプレゼントを配っていた、やさしい老人だった。
やがて、サンタクロースは天寿を全うして死んでしまう。
神々は会議を開いた。
老人のような神、黒い山羊の姿をした神がいたのを覚えている。
神々は話し合う。
私たちから見れば、人間の一生はあっという間だ。
しかしサンタクロースをこのまま死なせるのは忍びない。
かくしてサンタクロースは生き返り
おしまい。
僕はこの物語を見て、「死」というものを理解した。
自分がいつか消えてしまうということを知って、
その夜、枕を涙で濡らした。
小学校高学年になって、手塚治虫の「火の鳥 宇宙編」を読んだ。
乗組員それぞれが一人乗りの船に乗って、脱出するというくだりがある。
そして、その中の一人は、軌道がかすかにずれてしまい、
みんなと一緒の方向に行けず、宇宙の果てまで孤独に流れていくこととなる。
別の一人は、惑星の引力に捉えられてしまい、永遠にその星の周りを周ることになる。
マンガとはいえ、「永遠」というものを肌で感じられたような気がした。
永遠ってなんだ。
永遠とは「終わらないこと」だ。
つまり、死んだ後も、その状態は終わらないということ。
永遠に続くということだ。
永遠に、永遠に、永遠に、永遠に、永遠に、永遠に、永遠に、永遠に、永遠に、永遠に、永遠に、永遠に、永遠に、永遠に、永遠に、永遠に、永遠に、永遠に、永遠に、永遠に、永遠に、永遠に、永遠に、永遠に、永遠に、永遠に、永遠に、永遠に、永遠に、永遠に、永遠に・・・
死に続ける。
死ぬということは、消えるということはそういうことなのだ。
そして、永遠の命を得ようとも、
幽霊になったりしようとも、
輪廻を繰り返そうとも、
永遠からは逃れられない。
それからは、そのことを忘れるように努めた。
思春期、ときどき授業中などに思いだしては、身を震わせて恐怖した。
そしてすぐに頭から振り払った。
まともに考えていては、頭が狂ってしまいそうだった。
そうしたまま、逃げ続けて現在に至るのだけれど、
今でもまだ夜中に恐怖にかられることがある。
どうしてみんな、普通に生活していられるんだろう。
たしかにどうしようもないことだ。
だけれど、このことについて語る人はあまりにも少ないし、
誰もあがこうとしていないように見える。
みんな、僕のように逃げ続けているのだろうか。
それとも、折り合いを付けているんだろうか。
僕には到底マネできない。
エロい気分にはならない
ただただ怒りと恐怖と不安と憤り、わずかなカタルシス(裏切った側が不幸になったとき)
読んでもいい感情など起こることはないとはわかっている
なのについつい読んでしまう
自分の妻にそんなことはあるまいと思いつつ、いつもは気にならないことが気になってしまう
自分が浮気されたらどうなってしまうのだろうと妄想したりしてしまう
それでもなんだか読んでしまう
最後に読んだ一つは最悪だった
文章読んだだけでトラウマになりそうだった
書くことで何が変わるわけでもないし
失ったものは取り戻せないのは分かっているけど
とりあえず今自分が感じていることをここに記しておきたい。
涙と鼻水にまみれながらモニタに向かってる。
そのとき自分は大学2年生で彼女は自分より2つ年上のフリーターだった。
仲間内で何度か一緒に遊んだりしているうちに
何となく気に入られているのだということには気づいていた。
自分も彼女には惹かれていた。
いつも明るく笑っていて、周囲を気遣い、仕事ができた。
自分にはないものを持っていた。(仕事は自分もできる方だけど)
卑怯な自分は気づかない振りをしていた。
知り合ってから半年ほど経って、「それでいつ彼女にしてくれるの?」と
彼女に言われたときにも自分は逃げた。
友達としては好きだけどとか何とか言って。
怖かった。
自信が無かった。
異性と付き合った経験がないこともひとつ。
それ以上に、性別を問わず、他人と付き合うことが恐怖だった。
自分を相手に見せたくなかったし、そもそも自分が何者なのかもよくわからない。
その分からないものを好きだと言われても困る。
告白されて断ってからも、それまで通りの付き合いが続いたが
彼女にますます惹かれていく自分を抑え切れず
それから半年後に今度は自分から告白した。
人と関わることが苦手だと。
無口で無愛想で年下で頼りない。
こんな自分でも良ければ付き合ってください、と。
付き合い始めて、次第に自分が変わるのを感じた。
彼女の良いところを少しずつ吸収していっているような。
明るく笑えるようになり、皮肉な口調はなりを潜め、人と話せるようになった。
人と関わることは面倒だ。
でも、良い部分もあるんだと心からそう思えるようになった。
互いに何かを与え合い、ともに困難を乗り越えるのだと誓った。
だけどそう上手くはいかなかった。
他人との関係に悩み、苦しみ、自分の将来に対する不安に苛まれている人間だった。
自分というものを強く持ち、誰にも侵されず守っていたい人間だった。
それを知った自分は、当然彼女を守りたいと思った。
頼ってほしいと思った。
だけど彼女は頼らなかった。
付き合い始めて半年経ったころのことだった。
数日後に戻ってきたときには元の彼女に戻っていた。
「寂しい思いをさせてごめんね」と少し寂しそうに、だけど明るい笑顔だった。
これは数ヶ月に1度の頻度で続いた。
どうして何も話してくれないのか。
頼ってくれないのか。
どうしてあげたらいいのだろうか。
自分なりに必死に考え、話そうとしたけれど、彼女は取り合わなかった。
「私の苦しさは私だけのものだから。誰にも頼りたくない」と。
この数ヶ月は少し違った。
彼女は自分を非難するようになった。
「他人に頼れない私なりにサインを出している、私をどうして守ってくれないの」と。
自分には謝ることしか出来なかった。
それがまた彼女を苦しくさせることも分かっていたけれど。
彼女は自分が我侭を言っていることは理解していた。
それが相手を傷つけていることも。
そしてまた自身を嫌いになるのだった。
別れ話が出た。
必死に引き止めた。
貴女なしでは生きられない、と。
きちんと支えるから一緒に生きていこう、と。
だけど、携帯を切って自分の世界に閉じこもってしまう人間を相手に
出来ることはそれほど多くはない。
上手くいくはずもなく、引き止める度に同じことは繰り返された。
もう好きではなくなってしまったと言われた。
「好きだからしんどくて辛くて傷つけても離れられなかったけれど、今はもう一人で大丈夫だと思う。
今までありがとう」と。
何かを求めるならそれを相手に伝えなければならないと諭す自分に、
「私にはできない。だから別れよう」と彼女は答えた。
1年という時間をかけても彼女の生き方を、心の壁を崩すことができなかった己の無力さが今はただ悔しくて仕方が無い。
あぁ、時間が解決するなどと人は言うけれど。
これ本当に耐えられるんですか?
今にも死にたくなる。
見苦しい文章で申し訳ない。
最後まで読んでくれた人が居たらありがとう。
そしたら同じ研修所で「○○化粧品販売員研修」ってのがあってさ。すげーの。
昼休みとかに研修室の扉が一斉に開くじゃん。もうフロアがデパート1F状態。
A:換気のいいところでないと臭いがこもって大変」
ってトリビアがあるんだけど、実感しましたよ。すげーの。
女郎蜘蛛の理だったら、隠微な連続殺人じゃなくて大漁スプラッタになるところだった。
おまけに。
ああいう接客系の女性って喫煙率が高いんですよ。で、全員同じ黒いスーツにスカーフなのね。制服。
どうなるか。
知らずに喫煙室のドアを開けると、黒地の中に浮かんだ白い顔が20くらい一斉にこっちを向くんですよ!
しかもあっちも研修で疲れてるから、すごい凶相なの。もうね、なんか生理的な恐怖を感じちゃって。
おっさん5人くらいで隅っこの方に固まって下向いて、いつもの2/3くらいしか吸わずに出てきたり。
はてなブックマーク - TV局が「恐怖」を感じる仕組みがなければ、TVの暴走は止まらない - モチベーションは楽しさ創造から
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/favre21/20071021%231192922568
既に2chで行われてますが。
ってあるけど、ここかな。
http://tv11.2ch.net/test/read.cgi/tvsaloon/1176901615/
他にもいくつかスポンサー関連スレはあるけど、スレ内に書き込まれてるだけで一覧を見れるポータル的なまとめサイトは無いっぽい感じが。
もし他にどっかありそうなら見たいんだけど知ってる増田は誰かいないかい。
僕は創価学会の家に生まれて、大学に入るまでは自分も熱心に信仰していた。今は宗教活動はまったくしていないけれど、当時はそれはもう熱心だった。その熱心さを買われて、大学時代は、優秀な信仰者が集まる人材グループに選ばれることになった。
大学に入学したころは、自分がゲイであることにさんざん苦悩したあげく、ようやくそれを受け入れて前向きに生きていこうと考えるようになっていた時期でもあった。その悩みが晴れた喜びと決意は、信仰によって勝ち取ったものだった。人材グループでも尊敬する幹部にそのことを話したのだが、これがその後10年も尾をひくことになった。その幹部は同性愛を否定したのだった。宗教組織の中心にいたその人に同性愛を否定されて、自分自身をつくりあげてきた礎ががらがらと崩れ去ったのを感じた。自分がゲイであることは変えられないのに、それをあってはならないことのように言われ、海岸の水がひくように一気に宗教組織への信頼が遠のいていった。それから、宗教活動はしていない。
宗教をやめたきっかけは、自分に非のないものだったけれど、やめたことは大きな過ちだったのかもしれない。信仰心を失い、学会の書籍も学会関係の電話番号も、二度と見たくないとうちすててしまった。そこには人生を強く朗らかに生きていくための智慧もつまっていた。本を焼く国はいつか人も焼く、という焚書の教訓があるけれど、本を捨てる者はいつか精神も失ってしまうということだろうか。心のよりどころも、希望もない人は、ひとりで立つこともできない。それ以来、うつになったり、引きこもったり、対人恐怖症になったり、借金をこしらえたり、活力と本当の笑顔が極端に減った。人生の谷間を泳いだ20代。ずっとこのままでいるつもりなんかない。
宗教活動をしていないことを、親も親戚もなんとかしたいと思っているらしい。大学時代の友人も、かつて一緒に活動したのに今では落ちぶれてと、哀れんでくる。それが疎ましい。信仰心は大事だと思うが、宗教はやっぱり嫌だ。僕は間違っているのだろうか。
あれからもう何回振り返っただろう。僕の心にできあがったこの物語は、あれから10年経とうというのに、どうして強く頑なに自分を縛りつけるのだろう。勝手に作り上げた物語は、隙だらけで偏見に満ちていて、もっとましな別の解釈がいくらでもできるというのに。それでも10年前の感情を解き放とうとしなかった僕は、この物語をこういう形の呪文にしてしまった。自分ひとりの身に起こったことなのに、自分ひとりでは解き放てない。誰かにきいてほしい。ほんとは一部始終を隣できいてもらって、あのときの感情をわかってほしい。 ただ一言、大変だったねと理解してほしい。最後はひとりで乗り越えていくのだけれど、誰かに助けてもらえたら、ずっと楽になれる気がする。
そして、誰かの助けに答えられる人間になりたい。
元記事移動したのでリンク張り直し。→http://anond.hatelabo.jp/20071021182020
そうは言ってもたいしたことないだろーと思って、見たら、結構来た。これはなかなかの地雷だ。
三白眼でこちら目線、顔に広がる発赤のような斑点、蓮画像的な泡模様、顔が溶けているような輪郭のぼかし、血液とリンパ液と何か薬品の混ざったような赤色…
ってあたりが恐怖の源泉かな。
機械のような人間、人間のような機械に相対したとき、人は好奇心か、嫌悪か、感動か、何らかの感情を引き起こすものらしい。走るようになったホンダのASIMOやトランペットを吹くトヨタロボットは子供たちの人気者だし、大人さえ惹きつけられずにいられない。また、道化師は人間未満の存在として軽蔑されていたが、派手な衣装や行動で人を楽しませるだけでなく、無礼な言動を自由に発することが許されていたと言う。
※人間未満の「何か」への嫌悪の感情は、ロボットに対する「不気味の谷現象」、道化に対しては「道化恐怖症」なるものが知られている。
初音ミクの奇妙な透明感のある歌に「感動」する人たちがいる。そしてまた、人工的な合成音声の歌を、激しく「嫌悪」する人もいる。音楽に対する感情はとても主観的なものだから一概には言えないけれど、アトムのようなロボットを実現する困難さに比べれば、聴覚だけが不気味の谷を越えたボーカロイドは、はるかに容易に実現できてしまうのかもしれない。
ところで、ロボット研究を突き詰めていくと、「人間とは何か?自分とは誰か?」という、自分自身をめぐる問いに直面せざるを得ないのだという。機械のような人間を、あるいは人間のような機械を、峻別し、嫌悪したり、称賛したりする僕たちはいったい誰なんだろう?
俺はかつて学生時代、ちょくちょく痴漢を繰り返していた。しかし今はしていない。
理由はただひとつ、捕まったから。
といっても逮捕されたわけではない。
大きなターミナル駅につく直前、OLにいきなり手をつかまれた。
「痴漢!」
頭が真っ白になる。
モーセの偉業のように人が避けていく中、俺は手を引っ張られながら駅員のもとへ引きずられていった。
細腕に似合わず、痛さを感じるほどのかなりの力だった。
その緊迫感、絶望感は未だに忘れることが出来ない。
もっとも、示談で慰藉料を支払った(きちんとバイトして賄った)し、学校バレして大学からは謹慎を命じられた。
しかし、それ以来、まったく痴漢などという行為をする気は起きない。
そういう罰が怖いということもあるが、自分のした行為の愚かさに気づいたということもある。
痴漢を常習していた頃は、「満員電車に乗る女が悪い」などと嘯いていたが、
そんな自分を謹慎中に冷静に客観的に振り返ると、一気に嫌悪感が生じたのである。
そしてなにより、被害者のことを思うと、彼女たちが不憫で、俺なんて死ねばいいと何度も思った。
身動きも出来ぬ電車の中で、見知らぬ男に体を弄ばれる恐怖はいかばかりか。
俺がたとえ死んだとしても、彼女たちの恐怖はいつまでも残り続けるのだ。
しかし、死ぬよりも、更生するほうに賭けてくれた皆、特に被害者を裏切ることは出来なかった。
そして半年の謹慎が明けた。
ところが、友人たちは普通に接してくれた。それどころか、いたわりすら感じた。
なぜかといえば、友人たちには胃腸を壊して入院していると伝えられていたからだ。
これが一番助かったかもしれない。
俺はこいつらも裏切ったことになるんだな、と思った。
期待を寄せてくれるみなの気持ちを正面から受け止め、過ちは繰り返すまいと堅く堅く心に誓った。
「性犯罪は再犯率が高いから、チンポ斬れよ」という言説がまかり通っているが、あれは間違いだ。
俺のように、逮捕すらされていないのに更生できた奴もいる。
論ずべきは処罰の方法ではなく、どうすれば犯罪は生じないか、そしてどうすれば犯罪者は更生するかということだ。
そういう意味で、最近ここで女性専用車両についての議論が進んでいるのはよいことだと思う。
しかし2chなどで、延々と拷問の方法を考察している人々を見ると、寒気がする。
自慢できる話でもなんでもないが、これだけは伝えたかった。
こんなところでもなければ墓場まで持っていく話だ。
今話題の植草は何度も捕まって(しかもあれだけの社会的制裁を受けながら)いるのに繰り返している以上、
もう更生の見込みはないと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20071018142257
・・・いるんだよなぁ、こういうヤツ。
BSEが怖いから牛肉食わないとか、飛行機は墜落するから絶対乗らないとか、一酸化炭素中毒が怖いから七輪で秋刀魚を焼かないとかね。
あのね、人が生きて活動していたら、何らかのリスクがあるのは避けられないの。でね、どんなリスクがあって、それの可能性はどれぐらいで、どのようにしたら確率を下げることができるのかというのを考えるのが知性のある人間のすることなのね。
で、そうして考えたリスクと、その行動によって得られるリターンを比べて、初めて○○をしよう/やめとこうって判断できるものなの。
食わず嫌いとはレベルが違うだろ。松坂牛を試しに食ってみたところで何にもリスクはねーけどセックスしたら女はリスクあるだろ。なんつーか男視線にも程があるぞ。
ドンだけ慎重なんだオマエ。オマエが男か女か知らないけど、一生セックスしないほうがいいよ、リスクあるから(笑)
んー、それは他人事だから。
でも自分の娘にも自信を持ってそう言えるよ。大人になったらね。
世の中の人は普段どれだけ死を意識してる?
それが知りたいから、これを読んだ人はできるだけ答えてほしい。ここに書いたほうが、別のアンケートにするよりかは自由に、自由すぎるほど勝手に思うことも言えるだろうから。
俺は死というものがいまだに理解できていない。
祖父は俺が生まれる前になくなっていて、祖母は健在、両親も健在で、物心ついてからまだ俺の身のまわりで死というものが見えたことがない(近所の人とか友人の親にはそういった人もいる。でも実感の範囲外)からかもしれない。死そのものを知らないけど、存在は知ってる。無になるんでしょ?こんな怖いことはないよね。
精神状態がある程度より下にあるとき、死を思うことにとりつかれることがある。そんなときは過去の偉人の話を聞いても、どんな偉業をなしても結局死ぬんだと一人布団の中で震える。
それでも、俺は自分の意識の終焉と終焉以後の自分の意識について想像する。
死ぬことで自分の意識が無に帰すってどういう状況?さっぱりわからん。想像するたびにびびる。だって生まれてこのかた自分の意識が無に帰した状態になったことないじゃん。誰に聞いても知ってる人はいないし、宗教の話もピンとこない。
「幽霊がいればいいのにね、死後も意識があるって証明になるから」とある人はいったけど、俺もほんとうにそう思う。幽霊を見ることができれば、俺はこの恐怖から解放される。
いろんな事情があるのは分かる。自分が死ねば他の多くの人がいい方向にいくっていうのは、ある意味で死ぬ動機にはなりうる気がする。でも、中には思い悩んだ結果死ぬことにしたっていう人もいる。悩んだ自己完結の結果が死、というのに対して俺はまったく理解ができない。死より恐ろしいものを知らないせいだ。
いじめを苦に自殺するのも、言いにくいことだけどよくわからない。学生にとって学校はその人の世界のほとんどを占めるものだろう。そこでいじめがあった場合、世界に絶望してしまうかも知れない。でも、結局のところ環境は自分が作るものだ(少なくとも日本においてはそういえると思う)。
宗教的な観点とか実体験に基づく考え方とかいろんな見方があると思うけど、知りたいのは他の人がどれくらい死を意識してるのか、死を毎日思う俺は異常じゃないのかどうか。
まあそれに尽きる.
http://anond.hatelabo.jp/20071014170318
X年 10月1日 午前7時18分。A線はベッドタウンと都心を結ぶB線と連絡するM駅で乗車率のピークを迎える。そしてそれは終着までの30分、真のプロフェッショナルが日本一を目指す戦いの火蓋が切られる瞬間でもあった。
A線は日本一の痴漢発生率の汚名を一身に背負う不名誉な路線である。数年前から女性専用車などが導入されたが解決にはなかなか至ることができないでいた。
そんな去年の10月1日。痴漢撲滅のキャンペーンの一環に冗談ながら「痴漢専用車」が導入された。もちろん、イベント用なので運行は朝ではなく夕方の1編成だけ、乗るのは広報と警察、マスコミ関係者である。このニュースは夜のお茶の間に印象的に提供され広報活動として成功を収めた。
しかし密かにある者達の興味も引いた。
『Aライン・ハーミット』。知る人ぞ知るA線痴漢常習者のコミュニティサイトである。毎日“事件”報告や対象情報、覆面捜査員に関する情報が濃密に交換されている。
このBBSで「痴漢専用車」の話題が上るとともに誰の技量が上かという話題が盛り上がった。数々の難攻不落とされた対象を攻略するもの、覆面捜査員を専門に攻略するもの、伝説中の者から成り上がりもの、果てはA線だけでなく全国から腕に自信のある者たちが我こそが日本一のグロッパー(痴漢)であると名乗り出た。
しかしBBSでは根拠の無い勝手な言い分を言い合うだけである。それを実証しろとなるのは自然なこと、そして「痴漢専用車」イベントに順じ毎月1日一番混雑する車内でお互いを“果たし合う”トーナメントが組まれる事となった。
参加者はお互いの認識用に緑と赤色のリボンをクビより上に付け10人づつのバトルロイヤル形式で闘う。もちろん殆どが男同士の戦いとなるがもはやこれは性的衝動に基づく行動などでなく問題とはならない。自尊心とアイデンティティの戦いなのだ。
トーナメントは過酷を極めた。分かっていたとはいえ負けた屈辱は想像以上のもので、男子中学生に30分の間何度も声まで上げて負かされた某上場企業部長は終着Nターミナルで汚れたオーダーメイドのスリーピースのまま投身自殺した。他の敗者の多くも自信喪失で現役を引退が相次いだ。精神を病んだものも少なくない。参加者だけでなく『Aライン・ハーミット』の住人全てが自らの行為に恐怖した。
急激な痴漢の減少は当局を喜ばせるとともに不可解な現象を訝しがったほどである。
そして1年目の今、勝ち残った5人が13号車「痴漢専用車」に乗り込む。緑赤の“ムカデ”柄のリボンを付け、通勤電車という蟲毒の覇者を目指して。