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はてなキーワード: 飢饉とは

2024-04-03

anond:20240402224259

農家差別する部落民パヨチョンだいちょつ(笑)爺は二度と農作物食うなよ〜

ゴキブリでも食って餓死しとけ

弱男老害すぎて農業すら出来ないから逆恨んでるだろうな

このように国家の基礎である第一次産業崩壊しつつあるのは川勝のようなレイシストパヨク部落公務員ゴミリーマンナマポチョン老人のせいです

この調子で行けば養和の飢饉時には農家をしばいていたので復讐され米を食えず餓死した部落京都人の如くトンキンが代償を支払うことになるであろうね

2024-03-08

蟲師の話で、頻繁に飢饉に襲われる貧しい土地からたことがない人が、他の土地で「本当の豊穣」を知ったら戻ってくるはずがないって発言をするのがあるんだけど、今の日本にも通じるなぁとか思ってしまった。少なくとも平成後期以降に生まれ人達の大半は、体感できるような景気の良さとか経済成長は知らなさそうだし、機会があって今、成長している国に行ったらもう戻ってこなさそう。

2024-02-07

大塩平八郎檄文が令和6年と見紛うような内容

現世の天下の民が困窮しているようでは、この国は滅びてしまう。政治を担うには相応しい器ではない小人どもに国を治めさせておけば、災害が次々と生じてしまうと、昔の聖人は、後世の人々に強く言い残している。

徳川家康公も「善い政治とは、身寄りもない人たちに対して、もっとも深い哀れみを掛けてあげることだ」と言われた。

ところがどうか?

これまでの240~50年もの間、戦乱はなかった。しかし、社会上層部の者たちは、贅沢の限りを尽くすようになってしまった。

大事政策を担う役人たちは、公然賄賂を贈ったり、賄賂を受け取ったりしている。

そのくせ、自分たち支配している民、百姓たちからは、重い税を取り立てている。

ただでさえ、重い年貢賦役に苦しんできた多くの人々は、このような無体な強要に追いまくられ、出費がかさみ、貧困に苦しめられるようになってしまった。

民の恨みに呼応して、天も怒っている。

近年、地震火災、山崩れ、洪水等々の自然災害が頻発するようになった。

そして、ついに、食糧危機までもが発生してしまった。 これぞ、天が下している深い戒めである

ところが、上層部は、この天の戒めの意味に気付いていない。器が小さく奸計ばかりをめぐらす輩たちが政治を牛耳っている。

下々の民を彼らは悩ませ、米や金銭を取り立てることばかりに熱中している。

目の前で起こっている天災天罰を見ても畏れ入ることもなく、餓死寸前の貧民や乞食を救おうともせず、山海の珍味を食し、妾宅に入り浸たり、揚屋茶屋に高位の武家の家来たちを招待して、高価な酒を湯水のごとく飲んでいる。

多くの人々が難渋しているのに、絹の着物を着て、芝居の役者や芸子たちを引き連れて、世の中が平穏であるかのように、つまり危機状態にあることを知らぬげに、歓楽にふけっている。

なんたることか。

これでは、昔、紂王が連夜、酒宴を催していたという故事のものではないか


いま、奉行役人たちが緊急に取り組まなくてはならない事態は、自分たちならできる政治力でもって、これら不届きな輩を取締り、下々の庶民を救うべきではないのか。

彼らは、それができなくて、堂島での相場にのめり込み、録をかすめ取ることばかりしている。

このような役人商人たちの所業は、天道聖人の御心に叶うはずはなく、天は、許してくれないだろう。

いままで、じっと我慢していた私たちは、もはや我慢することに耐えられなくなった。

私たちには、湯王や武王の威勢はなく、孔孟の人徳もないが、天下のために、親類縁者に被害が及ぶことも厭わず、この度、有志で話し合って蜂起した。  

まず、下々の庶民を苦しめてきた役人たちを討つ。

さらに驕り高ぶってきた大坂金持ちたちをも討つ。

そして、彼らが隠し持っている金銀銅貨、あちこち蔵屋敷に保管されている扶持米を運び出して、人々に配る。

上記のカネや米、つまり、驕れる者たちが無用に貯め込んでいるモノを分配することによって、当面の飢饉の難儀を救いたい。

闘う力のある人たちには、一緒に無法者たちの征伐に参加していただきたい。

2024-01-11

anond:20240111161500

室町だったか平均寿命20歳ぐらいってあった気がする

疫病とか飢饉とか戦とかあるからねえ

2023-12-20

未来に期待を持てた時代が少なすぎる

明治アメリカが来たぁ!この国は終わりだ!

大正第一次世界大戦だ!この国は終わりだ!

昭和初期→世界恐慌だ!戦争だ!飢饉だ!

この国は終わりだ!


いや、未来に期待を持てた時代ほんの数十年ぐらいってやばくない?

2023-11-27

anond:20231127110918

じゃあどうしろと?

全部の重要臓器を二重にすればいいの?

それ何も役に立ってない時でも栄養消費がほぼ2倍になって飢饉にめちゃくちゃ弱くなるだけじゃん

2023-11-25

計画的飢饉弱者男性を飢え死にさせる自民党

子育て支援のおかげでまともな子持ち世帯が生き残り

キチガイは淘汰される

もっとやってくれ

2023-11-19

埼玉出身実家を出てからも結局埼玉県内在住のワイからすれば、埼玉県民は知事が言うような「自己主張弱い上に寛容」なワケではない

単に「競争とか闘争とかの場面が古来より少なかったので、県民性も全体的に普段はノホホンとしてるだけ」である

埼玉は日照時間が長く、水に困らず作物はよく育つ。だから飢饉由来の社会問題が起こりにくかったのである

また、地震台風などの災害が起こっても、海が無い上に地盤安定的なので、デカ被害があまり無い。川はいっぱいあるけど、治水・灌漑がちゃんとしてる。それでも念には念を入れ、公立小中学生は、通学時に橋渡らなくて済むような学区分だったりする(めちゃくちゃ山奥は例外かも)

てなワケで、ベースとしてノホホンとしているのである。まあ近年はベッドタウンとしての機能が加速してるから都道府県から移住者移民が多く、生粋埼玉県人の割合は減ってるから、あまりそういうイメージ持たれてないかもだけどね

2023-10-21

anond:20231021110705

でも一人当たりの生産量が一人前より少ないからすぐに飢饉になるんですねわかります

2023-09-29

anond:20230929160353

行基偉人だけど、行基の慕われっぷりを政治利用して大仏建てる話は今の時代うけないと思われ

政情不安飢饉、疫病、国がやばい、どないしよう、、、そうだ国分寺国分尼寺を作って仏教をより身近に!そして総仕上げは国をあげての特大プロジェクト仏像作りだ!!

ってのが聖武天皇でしょ

いや、まじめに政治やれよって今の人思いそう

なに?人も物資も集まらいか仏像作れない?困ったな、、、そういえば困った人をどんどん助け、道を作り橋をかけ民に慕われる坊さんがいるらしいな、そいつ仏像づくりに協力してくれるならうまくいくのでは?

聖武仏像作り協力してや」

行基「それが仏の道ならば協力しましょう」

大仏完成!!!

結果、国は衰退しました

2023-08-27

中国人口

新生児が800万人なら

遠い将来、人口は6億人台くらいまで落ちるってことだよな

すごいよな

 

2017年2023年の6年くらいで半減らしい

日本だと言うて半減に40年くらいかかってる(150万→75万)

と考えるととんでもないスピード(それこそ戦争飢饉が起きたくらい)で人口構造が歪になってるんだな中国

韓国ですら20年かかってる)

 

てか中国もう人口減少し始めてるのか

人口問題とか食糧問題解決じゃん

よかったね

 

たぶん数年後くらいに一人っ子政策の逆(人口を増やす政策)をやると思うので注目したい

2023-08-21

anond:20230821234121

じゃあ戦前はよかったかというと226事件だの東北は娘を売ったりだの地獄だしその前は飢饉とか普通にあるし今はマジでヌルゲーやで

2023-07-22

「〜の変」「〜の乱」のまとめ(後編)

「〜の変」「〜の乱」のまとめ(前編)

名称概要
1531年享禄・天文の乱浄土真宗本願寺派権力闘争である享禄の錯乱管領細川晴元一向一揆を利用したら暴走してしまったので本願寺を討伐した天文錯乱
1532年北部九州天文の乱大内氏大友氏が北九州を巡って抗争を行うなかで、大内義隆大友氏の支援を受けた少弐氏を滅ぼし、豊前筑前肥前を平定した。
1533年稲村の変安房里見当主里見義豊が、叔父里見実堯を誅殺したところ、その息子の里見義堯が謀反を起こして義豊を殺し、自らが当主となった。
1536年花倉の乱駿河守護今川氏輝と弟・彦五郎が急死、その他の弟で出家していた玄広恵探栴岳承芳が後継を争った。栴岳承芳勝利今川義元を名乗った。
1537年河東の乱北条氏今川氏は長く同盟を結んでいたが、今川氏武田氏と手を結んだため、武田氏と争っていた北条氏今川領に攻め込み河東地域占領した。
1542年天文の乱伊達当主・稙宗とその息子・晴宗の内紛。婚姻外交が進んでいた奥州を二分する大乱に発展した。最終的に晴宗が当主となったが伊達氏は衰退した。
1550年二階崩れの変豊後大名大友氏において、嫡男の義鎮を支持する勢力が、当主の義鑑と三男の塩市丸を襲撃して殺害した。事件後に義鎮が当主となった。
1551年大寧寺の変周防大名大内義隆に対して、家臣の陶晴賢が謀反、義隆は自害に追い込まれた。後継は大友から迎えられ、陶晴賢が実権を握った。
1565年永禄の変畿内勢力を誇る三好氏が、将軍足利義輝を襲撃して殺害した。その後、将軍の後継争いから、三好氏の内紛へと発展していった。
1568年本庄繁長の乱越後上杉家臣・本庄繁長が上杉謙信に対して反乱を起こした。繁長がよく戦い、謙信被害も大きかったので、繁長は降伏して帰参を許された。
1569年本圀寺の変本圀寺にいた将軍足利義昭三好三人衆が襲撃した。幕府軍がよく守るあいだに畿内織田方の勢力が救援に駆けつけたため、三好三人衆は敗れた。
1569年大内輝弘の乱九州に侵攻した毛利氏の後方撹乱を狙った大友氏が、大内氏再興を目指す大内輝弘を周防挙兵させた。毛利元就九州侵攻を諦めて引き返し鎮圧した。
1570年元亀の変伊達晴宗と伊達輝宗の父子が対立するなかで、晴宗に重用されていた中野宗時が謀反の疑いをかけられ、中野一族粛清追放された。
1574年天正最上の乱出羽最上氏の当主となった最上義光と、その父・義守が対立し、伊達氏が義守に味方して内乱となった。最終的に義光有利で和睦した。
1576年三瀬の変伊勢北畠氏は織田氏に降伏し、織田信雄を養子に迎えて家督を譲っていたが、その後も叛意が残っているとされ、そのため北畠一族粛清された。
1578年御館の乱上杉謙信の死後、その甥の景勝と、北条氏から迎えた景虎という、謙信養子二人で後継争いがあり、武田氏を味方につけた景勝が勝利した。
1578年天正伊賀の乱伊勢を掌握した織田信雄が続いて伊賀に攻め込んだが敗退、数年後に織田氏はあらためて大軍で侵攻し、伊賀を平定した。
1582本能寺の変織田家臣・明智光秀が謀反を起こし、本能寺宿泊していた主君織田信長を襲撃した。信長自害した。
1582天正壬午の乱織田信長の死去により武田旧領から織田軍が撤退し、空白地帯となった武田旧領を巡って徳川北条上杉が三つ巴で争った。
1585年粟ノ巣の変伊達氏に降伏した畠山義継が、前当主伊達輝宗を拉致した。追いかけた伊達軍により、輝宗ともども義継は討ち果たされた。
1591年九戸政実の乱南部晴政の死去に起因する後継争いか南部家臣・九戸政実が反乱を起こした。南部当主・信直は豊臣秀吉に救援を求め、諸大名軍により平定された。
1599年庄内の乱島津忠恒重臣伊集院忠棟を誅殺した。伊集院氏は籠城して徹底抗戦したが、秀吉死後に実権を握った徳川家康の調停により、最終的に降伏した。
1637年島原の乱島原天草苛政に耐えかねた領民が、旧領主に仕えていた浪人たちを中心として一揆を起こした。一揆勢は籠城して戦ったが、幕府軍鎮圧された。
1651年慶安の変軍学者由比正雪が、教え子の浪人たちと共に、幕府転覆計画をしていたが、事前に幕府側に露見して失敗した。由比正雪自決した。
1652年承応の変軍学者の別木庄左衛門が、仲間の浪人たちと共に、幕府転覆計画をしていたが、事前に幕府側に露見して失敗した。別木庄左衛門は磔にされた。
1837年大塩平八郎の乱腐敗した大坂町奉行所や、飢饉でも米を買い占める豪商失望した元・町与力大塩平八郎らが決起し、豪商などを襲撃した。半日鎮圧された。
1837年生田万の乱国学者生田万が、大塩平八郎の乱に感化され、仲間とともに越後桑名藩陣屋を襲撃したが、長岡藩によって鎮圧された。
1860年桜田門外の変攘夷派の水戸脱藩浪士たちが、安政の大獄引き起こし水戸藩を圧迫していた開国派の大老井伊直弼を襲撃し、暗殺した。
1862年坂下門外の変攘夷派の水戸脱藩浪士たちが、公武合体推し進めていた開国派の老中安藤信正を襲撃し、負傷させた。
1863年朔平門外の変破約攘夷派の公家代表格であった姉小路公知暗殺され、薩摩藩田中新兵衛逮捕されたが、新兵衛が自害したため真相不明
1863年天誅組の変尊攘派公家による倒幕計画に基づき、尊攘派の「天誅組」が大和国挙兵したが、幕府鎮圧された。同時に京では政変があり尊攘派公家が失脚した。
1863年生野の変長州支援を受けた尊攘派浪士らが、天誅組と同様に但馬国挙兵をしたが、幕府鎮圧された。
1864年天狗党の乱水戸藩内の尊攘過激派天狗党」が急進的な攘夷を求めて筑波山挙兵したが、幕府鎮圧された。この内乱により水戸藩の影響力は低下した。
1864年禁門の変前年の政変により京から追放されていた長州藩が、復権を目指して京で挙兵会津藩薩摩藩らと戦ったが敗れた。これにより長州征伐が決まった。
1874年喰違の変征韓論で失脚した不平士族たちが、征韓反対派の右大臣岩倉具視を恨みに思い襲撃、負傷させた。下手人らはすぐに逮捕され処刑された。
1874年佐賀の乱征韓論で失脚した江藤新平らが中心となって不平士族佐賀県挙兵したが、政府軍により鎮圧された。
1876年神風連の乱熊本県の不平士族が結成した「敬神党」が廃刀令への反発から挙兵したが、政府熊本鎮台軍により鎮圧された。
1876年秋月の乱神風連の乱呼応して、福岡県で不平士族挙兵したが、政府小倉鎮台軍により鎮圧された。
1876年萩の乱神風連の乱呼応して、山口県で不平士族挙兵したが、政府広島鎮台軍により鎮圧された。
1877年福岡の変西南戦争呼応して、福岡県で不平士族挙兵したが、福岡城に残っていた政府軍などに鎮圧された。
1878年紀尾井坂の変石川県の不平士族たちが、内務卿・大久保利通を襲撃、暗殺した。下手人らは自首し、処刑された。

Wikipediaで立項されているものだけまとめた。「〜の変」「〜の乱」という別称があっても、その呼称で立項されていなければ除外している)

明確な定義は決まっていないという前提で、だいたい以下のような基準だと思う。

〜の変:大きな戦闘を伴わない政変。謀反・暗殺粛清・失脚など。権力上下関係ない。成功たか失敗したか関係ない。

〜の乱:大きな戦闘を伴う内乱。反乱・暴動後継者争いなど。国家同士の戦争を指すことはほぼ無い。成功たか失敗したか関係ない。

こういった呼称は「絶対にいずれかに統一しなければならない」というものではないので、「これって乱というより変じゃね?」と思うような事件は、だいたい「変」「乱」どちらで呼んでも通じたりする。たとえば蘇我氏物部氏の戦いである「丁未の乱」は他に「丁未の変」や「丁未の役」とも呼ばれる。将軍足利義教暗殺された事件は、その暗殺の部分だけを見れば「嘉吉の変」と呼ばれ、その後の赤松討伐戦も含めれば「嘉吉の乱」と呼ばれる。

あとついでに。

〜の役:大規模な軍役。必然的辺境への遠征対外戦争が多い(がそれに限らない)。例として前九年の役後三年の役富山の役・文禄の役慶長の役など。

〜の陣:長期間の在陣。遠征戦線の膠着・包囲戦など。例として鈎の陣・志賀の陣・天正の陣・大坂の陣など。

という感じだと思う。「役」と「陣」はなんとなく互換性があり、「小田原の役・小田原の陣」「朝鮮の役・朝鮮の陣」「大坂の役・大坂の陣」などはどちらも用いられる。

2023-07-18

anond:20230718115226

飢饉が起これば餓死にが出る時代にそんな奴生かしておけんやろ

2023-07-10

anond:20230710103028

大昔の飢餓飢饉ときはそういうふうにして生き残った言い伝えがある。

また、別に日本人に限らない。

比喩ではなく、我々は死んだひとたちの命を食べて生きて繋いで来たのだ。

それを良いとか悪いとか感情的忌避するのは愚かなことだ。

また、その時代や状況で規定された常識否定断罪するのはもっと愚かなことだ。

2023-06-08

ゴータマ・シッダールタ思想って「全ては"無い"。以上」くらいのもんだと思うけど、インド中国朝鮮日本伝言ゲームをしたらパンチパーマの巨大銅像で疫病飢饉を治める思想になるんだな

2023-06-05

こんな世の中 とかい自己憐憫

はてなで見る子供を産む産まないの話

好きなことをしたいという理由一本ならわかるんだけど

こんな世の中に産んだらかわいそうみたいな言い方を見るたびに

ホロコーストとかポグロムとか人類色々あったんじゃんよお!と

奴隷とか征服とか戦争飢饉難民と、ついこの間でもアフガンタン

飛行機から振り落とされる人の映像みて

いつだよ

理想時代とやらはいつだよってなる

2023-06-02

anond:20230602001100

人権人権うるさい奴らって未来人権チベット人権には興味がないからな。

今を生きてる女性が好き勝手自由に過ごせればそれでいいらしい

その影響で将来の世代貧乏になろうが飢饉になろうが滅亡しようが知ったこっちゃないんよ

2023-05-17

飢饉でもないのに税金と社保が高いせいで飢饉に見舞われているかのような食生活を強いられる。

2023-05-13

幕府虚構ニュース

・金銀銅価格販売価格相場より低め 貿易対象国拡大を検討

外国人出島抑留やむなし、政府見解

出島周辺に偽札か 藩札製造機は没収

鉱山を守れ、海軍予算を求めデモ

薩摩長州に不穏の恐れ、島津は連絡に応じず

薩摩など各地方言 AI通訳技術が躍進

河川整備のため測量技術大学創設へ

畜産肥料製造、推進へ 飢饉対策のため適正人口土地面積も計算

・今月の災害対策

オランダ皇帝幕府福祉問題指摘の書簡 刀狩りだけでは不足と主張

武士奉行は増員か削減か、独立調査機関被害状態犯罪調査

2023-05-01

中華料理が何でも食材にするのって実はとっても恐ろしいことなのでは 

過去人口が増えすぎて食うものが無くなったからああなったのでは?

最近人民共和国になってから飢饉があったみたいだし

2023-03-26

逆に「三度の飯が趣味よりも好き」っていう人なんて居るのか?

ラーメンブロガーで三食ラーメンみたいな人も、メシとしてラーメンが好きなんじゃなくて、ラーメンを食うという行為にメシとしての側面が付属しているという認識なんじゃないだろうか?

現代において三度の飯によって食欲を満たして胃袋を膨らませることをなによりも優先するような人間がいるとは思えない。

よっぽどの貧困層、それこそ一日三食を食べることがそもそも難しい層であって始めて成立するんじゃないだろうか?

というかそんなのがあった時代って何時だよという。

飢饉戦争でもないなら大抵の時代は最低限の食事は得ることが出来ただろうに。

強いて言うなら酒の飲み過ぎで飯代がなくなった時に、それでも酒を飲むか飯代ぐらいは取っておくかという葛藤があったぐらいか

だがその場合、飯の属性は「必要」であって「好き」とはまた違うんじゃないのか?

必要」なものと「好き」なもの比較している事自体が別の属性比較であってそもそも狂っているように思う。

「三度の飯より好き」を成立させたいならやはり「三度の飯を食って食欲を満たすことに強烈な快感を得る」というのが前提なんじゃないだろうか?

正直言って、そんな人間自体が既にレアだと思う。

「三度の飯がとにかく好きで、その上でそれよりも好きなことがある」という極めて限定的な異常者に対して使うような表現がいつの間にか一般化していった背景が知りたいところだ。

調べるほどの興味はないのでやっぱどうでもいいところだ。

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