はてなキーワード: みつ豆とは
有給消化で時間ができたので、平日に画商から印象派を勧められるのもいいだろうと思って上野に。
というのは口実で、はてブで以前上がった、平日しかやってない変わりだしのそばを食べて見たかったので、先に御徒町駅からゆるりと歩いてこちらへ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/articles/-/63417
とてもおいしい。どこのソバ屋とも違う個性がしっかりあって、そば屋でローテーションを組むとしたら味変の意味も込めて絶対上位に入ってくる味。
腹ごなしかねて上野まで歩いて、博物館をぐるっと見て回り、さくらアイスのみつ豆をお昼代わりにして帰宅。
いい気分転換ができました。
この点は、全くそのとおりだと思う。
もし、管理売春の業者に対する公権力側の監督責任という面が【現代的な意味での奴隷】として定義されて、責任を問われるのであれば、
売春防止法以降の、事実上の管理売春の容認から斡旋業者の放置、それらも論理的には同罪ということにならなければおかしい。
戦時の慰安婦だけの問題ではない。では、なぜ売春全般の話にならないのか。
売春防止法の制定の背景として、管理売春そのものが国際社会から悪とみなされていたがゆえに、
国際社会への早期の復帰を目指していた日本は、GHQから公娼制(管理売春)が廃止されて以降、法の制定を急ぐ必要があった。
しかし、売春そのものに対する罪悪感は日本人には微塵もなかった。むしろ吉原など貴重な観光資源だと行政も認識していた。
売春防止法施行直前の55年、新聞社が開催した「吉原を語る座談会」において、地元と議会議員らが次のようにアドバイスしている記録がある(婦人新風1955年4月号)。
みつ豆でも気軽に食べにゆける吉原でなければならないのじゃないか・・・気軽に遊びにいって、そして飲んだり食べたりしているうちに最後にお互い同志気があったときに目的を達するというふうにすればよい。
当時は、東京都も警視庁も、吉原を観光資源として積極的に活用していこうという感覚だった。
こうした過程を経て制定された同法は、風営法とセットで完全なザル法。今に至るまで。
赤線がトルコ風呂と名を変え、トルコ風呂がそーブランドへ名を変え、名前は変わっても実態は管理売春の黙認だ。
現在でも、サービス提供する施設に寝泊まりさせられているなど、一昔前だとジャパユキさんと呼ばれ、
いわば監禁同然の扱いで働いている出稼ぎ外国人女性が存在する。それは興行ビザで来日しているフィリピン人であったり、韓国であったり、中国であったりする。
個人的には、アダルトビデオについての人権問題も含めて、日本の風俗産業のあり方を行政として放置していることのほうが、我々世代の責任問題だし、よっぽど気になる問題。戦時世代の悪のついての責任よりも、だ。
ところが、同じ論理だからといって、現在の日本の管理売春の黙認を、現代の奴隷制だとして、非難されているかというと、、
実は、アメリカの国務省の人身売買報告では、かなり以前から非難されている。
技能実習生とセットでね(余談だが、技能実習生についても、結局、問題の根っこは同じで、戦時の徴用問題とパラレルだ。)
そして第一次安倍政権のとき(05年頃)にも日本政府としての対応が迫られていた。外圧に近い形で法整備が求められた。
日本政府は、国際組織犯罪防止条約の「人身取引議定書」と「密入国議定書」の批准を受けて、刑法を改正し、2005年、人身売買罪を創設した。
この制定過程において、05年6月8日の国会の法務委員会で次のような答弁がある。
○江田委員 ・・・人を支配する行為全般について、この人身取引に対して実効性のあるものに今回の法改正はなっているということでございます。
次の質問をさせていただきますけれども、この人身取引議定書の要請を満たすため、これにつきましては単に形式的に文言を対照するだけでは私は足りないと思いますが、人身取引議定書の理念を十分に取り込んだ法律やその運用になっていなければならないと考えております。
・・ 売春をさせている者が、この外国人女性は売春することに承知しているんだ、同意しているんだから人身取引とは言えないだろうというふうに開き直るケースが多いと聞いております。成人の女性が家族を貧困から救うために、親からの働きかけなしに自発的にみずから売春を希望して売られたような場合など、人身売買について被害者の同意がある場合のようにも見えます。
しかし、・・人身取引議定書が、「女性及び児童に特別の考慮を払いつつ、」と規定していることからしても、女性や児童の特性を考えて、売春をすることについて承知しているとの事情、これを過大視するというのはいかがなものかと・・、今回の法律案につきましても、売春をすることについて同意をしている場合であっても人身売買罪が成立するのかどうか、そこを法務当局にお伺いいたします。
○大林政府参考人 御指摘のような事例におきまして、表面上被害者がみずから売春をして金銭を稼ぐことに同意していたといたしましても、本来は、不特定多数の相手方と性交等を行うことなどを希望しているものではなく、家族を貧困から救うため金銭を稼ぐには売春によるほかはないと考えてやむなく売春に及ぶに至ったと見る事案がほとんどであろうというふうに思われます。このような場合には、被害者の同意は自由かつ真摯な意思に基づくものとは認めがたく、当然に犯罪の成立が否定されるものではない、このように考えております。
○江田委員 ・・今、法務省の方からは、その事情を考慮して、勘案して、売春をすることに同意している、そういうふうに見かけられる場合であっても人身売買罪は成立、適用されるということでございますので、私どもの申し入れの内容にも沿った法律案の改正になっているかと思います。実効性が上がることを期待しております。
売春行為が好きでそうした職業につくことなど、そんなに多くは考えられないだろうから、貧しい国からの移民のケースでは、多くの場合に適用がありそうだということになる。
人身売買罪の創設は、対外的なアピールとしては政府として大きな動きだったとは思う。
しかし、アピールとしはそうかもしれないが、風俗に関するさまざまなザル法は放置され続けている。
出稼ぎ外国人の母国はどう対応しているか、というのも気になるだろう。
同法の制定過程において、出稼ぎ労働者の有力な送り出し国のひとつ、フィリピン政府は、当初「就労機会を奪うな」などとごねていて、実態把握の動きが遅かったという報道はみたことがある。なるほど、そういう背景は重要だなと思う。
慰安婦問題に戻ると、私は、いつになったら、慰安婦問題が現在進行形の風俗問題に飛び火するんだろうという視点で十数年前から関心をよせていた。
しかし、そういう気配は微塵もないなかで、慰安婦というフレーミングだけがヒートアップしていったように思う。
慰安婦の問題に封じ込めたいというメカニズムがどこかに働いているんだろうとは思う。
それは社会的にも経済的にも、そして文化的にもいろいろあるんだろう。
我々の心理かもしれないし、自国もしくは相手国の政治経済的な背景かもしれない。