はてなキーワード: 格差社会とは
「人材派遣協会いわく「派遣は格差社会の元凶ではない」 - GIGAZINE」
buyobuyo これはひどい, あたまがわるい わからないことにくびをつっこむな。派遣会社への規制が甘く派遣会社側に搾取したい放題のクズがいる事は否定できない事実。 2007/08/24
「ベンチャー社長で技術者で: 偽装請負のススメ」へのブクマコメント。
buyobuyo 「本当に失業者を少なくしたかったら、「解雇しやすくすること」」それはない。現時点でもバシバシ解雇しているのに何寝言いってるんだ? 2009/08/26
極めつけはやっぱりこれ。
すげーな、東大卒、東工大院中退で派遣なんて「リアルで惨たらしく死ねばいいのに」のコネ○タス社長さまともなるとこのぐらいのダブスタはじょーとー!捨身成仁!なのですね。
ついでに。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/life/update/1011/TKY200710110252.html
buyobuyo ふーん 「倭」の字がやだとか中途半端な教養ひけらかしてるやつがいるが、倭文子(しずこ)とか
参考)http://www.google.co.jp/url?sa=t&source=web&ct=res&cd=3&ved=0CA4QFjAC&url=http%3A%2F%2Fwww.jcif.or.jp%2FPubWorldDL.php%3Ffile%3D14&ei=lVHuSqjqH43k6gPJkqXsCw&usg=AFQjCNHNloSOCcKpddWEnP1efdbIM3ISuw&sig2=O8-lt-wzDd6pdxe7fRmx3A
きちんとした店で中華料理を食べると、日本とあまり変わらない。
一方で、屋台で粥を食べると一杯100円程度
日本ではどこにいっても粥一杯100円でおなかを一杯にすることはできない。
上下の差はそれほど大きくない。
中国において、多少裕福な家庭は家政婦を雇うのが一般的である。
日本において家政婦を雇うのは、相当裕福な家庭であろう。
例えば、月4万程度で家事一切を任せられるのならば、家政婦を雇うという人も少なくないのではなかろうか。
貧しい人には貧しい人の生活方法が提供されている社会と
そうでない日本。
http://d.hatena.ne.jp/strange/20091025#p1
平成20年のこれを
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa08/2-2.html
せめて平成7年のこれくらいには戻せってことじゃない?
「所得金額が世帯全体の平均額(556万2千円)より低い世帯の割合は60.9%となっている」(平成20年より)
「所得金額が世帯全体の平均額(664万2千円)より低い世帯の割合は60.9%となっている」(平成7年より)
%が一致!(一致に何の意味があるかは不明。意味なんてないかも)
http://www001.upp.so-net.ne.jp/mercysnow/LinkDiary/links09101.html#latestline
http://www001.upp.so-net.ne.jp/mercysnow/LinkDiary/hinkon.jpg
相対的貧困率って当てになるのかね?
だって、(a)より(b)のほうが平均年収が上がり、所得格差も縮まっているけれど、相対的貧困率はどちらも同じ12.5%(=1/8)だよ。
相対的貧困率は年収分布の型によって決まる。国民総中流化した先進国はどこもだいたい同じ型の分布になり、1〜2%程度のちがいは誤差の範囲内なんじゃないの。
http://www001.upp.so-net.ne.jp/mercysnow/LinkDiary/hinkon2.jpg
http://www001.upp.so-net.ne.jp/mercysnow/LinkDiary/hinkon3.jpg
貧困層に援助して底上げし、このような年収分布になると、相対的貧困率は上昇するんだぜ。そんなバカなことがあるかよ。
相対的貧困率を下げるには、貧困層を減らすだけではだめで、同時に富裕層も減らさなければならない。貧困層のみを底上げすると、平均年収も上がるため、逆に相対的貧困率が上がることもある。
この辺をみていて思ったんだけど、
今の日本の大学生って、経済的には昔よりもはるかに恵まれていて、
情報インフラが発達したおかげで精神的にはとにかくストレスフリーで、
文明人として本当に恵まれた生活をしているように思う。
情報インフラが発達したおかげで、コミュ力や人脈のないひとでも、それなりにアンテナを張っていれば、
試験前には都合のいい情報が勝手に入ってくるから、労することなく進級できる。
(メールがなかった時代の学生って、この辺で苦労したんじゃないかと思う。)
私の周りは中高一貫出身がマジョリティーなんだけど、厭味ではなく、格差社会のピラミッドのだいぶ上の方の三角形から出たことがないから、
就職活動にあたっては、今よりもさらに豊かな暮らし向きを実現してくれる働き口は、そこにあって然るべき物だと思っている。
ところが、この辺を見ていると
http://d.hatena.ne.jp/MATO/20091014/1255526719
http://blog.livedoor.jp/ba_ro_www/archives/51260158.html
どうも上の方の三角形から出たことのないゆとり世代も満足させる条件を提供できる会社って、
今の日本では暁天の星よりも疎らなんじゃないかと思った。
仕送り | 20万 |
web収入 | 20万 |
学生督励奨学金(給付) | 5万 |
家賃 | 10万 |
生活費 | 8万 |
書籍代 | 2万 |
交際費 | 3万 |
web費用 | 2万 |
なんだけど、手取り20万に満たない社会人1年目はどうみても今よりも暮らし向きが悪くなるから、貯金さえしている。
http://blog.goo.ne.jp/harunakamura/e/0d5a3464c5354fc1f416451b9b9e940d
クルーグマンは、アメリカの戦後の中産階級社会は、自由主義経済によって自動的に出来上がったものではなく、ルーズベルト政権の政策によって作り上げられた。
労働組合の強化、ソーシャル・セキュリティやメディケアのような再分配原資を確保する為に金持ちに高額課税をしたりすることによって、所得格差を縮小し、労働者階級を貧困から救い出し、ブームを引き起こした。
しかし、保守派ムーブメントによって保守党が政権を奪還して、金持ちを利するために、欺瞞と狂気の政策で逆転させてしまった。
金持ちへの減税、ソーシャル・プログラムの廃止、組合潰し、と言った保守的イニシャティブによって、富める者を益々豊かにし、弱者を貧困に追い詰め、深刻な格差社会を生み出した。として、
レーガン大統領の保守反動政治を皮切りに、アメリカ社会が大きく右傾化し、ブッシュ政権を経て極に達するに至った経緯を、ヨーロッパの福祉国家的な動きと対比させながら、アメリカ独自の「保守派ムーブメント」を浮き彫りにして論じている。
読売の調査で、日本人の4人に3人が経済格差を感じてるらしい。
経済格差を一撃で解消できる簡単な手がある。定額給付金だ。1人12000円なんてけちくさいことはせず、1人1200兆円くらい刷って渡せばいい。給付前の資産の格差なんて吹き飛ぶ。みんな平等になる。ハイパーインフレでみんな仲良く貧乏になるだけだが。
「差があること」に問題があるとみんな本気で思ってんのかな。
金持ちがみんな年収200万になったら、現在年収200万以下の人たちは自分の収入が変わらなくても喜ぶんだろうか?
喜ぶのかもしれないな。
http://anond.hatelabo.jp/20090920175209
「自民党も民主党も格差を拡大させるような労働規制を公約としていた」
「格差を拡大させるこの種の労働規制が、どうして議論の余地がないほど絶対正義になってしまったのだろう?」
と思い書きました(わかり難かったですね)。
http://anond.hatelabo.jp/20090920175209
机上の空論はいいから取りあえずやってみろよ。
ああすればこうなる、こうすればああなる、って色々言うけどそれ100%なのか?世の中に100%なんか滅多にないだろ?
たしかに、この種の労働規制は、格差を拡大させる可能性が高いとしか言えない。むしろ五分五分でもいい。私が疑問に思って、みなさんにお聞きしたいのは、「格差を拡大させる可能性が高い労働規制が、なぜ議論の余地がないほど絶対正義になってしまったのだろう?」です。何かご意見ありましたら、お聞かせください。
http://anond.hatelabo.jp/20090920182109
ああだめだわこの国。
結局何一つやらずにできずに全滅。
どうせ絶滅ならせめて何かやって終わりたかったな。
そんな、世紀末思想に陥らないでください。日本がこの方向で進んでも、おそらく壊滅的になることは、おそらくないでしょう。私が考える悪いシナリオでも、以下のようなものです。
失業率10%前後に達するが、失業者は生活保護で最低限の暮らしができる。
生活保護にかかる経費のため、重税を課される。
こんな閉塞感漂う格差社会ですが、おそらく、絶滅するほどのことはありません。人によっては、上記の社会のほうが、幸せかもしれません。
ただ、あなたのように世紀末思想に陥る人が増え、「"何か"やらなくてはならない」と思い、その"何か"が暴力的なもの(戦争やテロ)だった時、日本が壊滅的状況になる可能性が高くなります。だから、世紀末思想に陥らないでください。
今回の選挙では、自民党も民主党も「日払い派遣・請負の原則禁止の政策」等の労働規制を公約としていた。また、最終的にもっとも多くの国民に支持された民主党は、日払い派遣だけでなく、もっと広い範囲で派遣制度を禁止するそうだ。これは、国民の多くが、「格差対策」のために、派遣・請負制度を禁止したほうがいいと、考えているからである。しかし、派遣・請負制度の禁止は、格差を拡大させる。なぜ、多くの国民は、このような考えをもつのか?色々な人に意見をお聞きしたい。
議論を始める前に、このエントリーで、格差の拡大とは、「階層間格差が大きくなり、階層間の移動が困難になること」と定義する。このエントリーでは、格差の拡大とは格差社会が進むことを意味しており、格差社会とは、
ある基準をもって人間社会の構成員を階層化した際に、階層間格差が大きく、階層間の遷移が不能もしくは困難である(つまり社会的地位の変化が困難、社会移動が少なく閉鎖性が強い)状態が存在する社会
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%BC%E5%B7%AE%E7%A4%BE%E4%BC%9A
だからである。後述するが、正社員・派遣社員・アルバイトなどの雇用形態を基準に階層化して議論する。
ここからが、本題だ。なぜ、「派遣・請負の原則禁止の政策」は、格差を拡大させるのか?それは、中間階層を無くし、階層間の移動が困難になるからである。この様な労働政策が、中間階層を無くし、階層間の移動が困難になることは、下記のような図を考えると理解しやすい。
上記の図は、人間社会の構成員を、雇用形態で階層化したものである。加えて、一般的に考えられている雇用形態と待遇の関係も表している。左に書かれている雇用形態のほうが、待遇がよいことを表現している(あくまでも一般論で、もちろん中小企業正社員のほうが大企業正社員より待遇がよいなどの例外はある)。
この図を見ると格差が拡大し、階層間の移動が困難なることがわかる。
例えば、派遣・請負の原則禁止の施策前と施策後を比べると、アルバイトが上位の階層に移動することが困難になっている。派遣・請負の原則禁止の施策前、アルバイトは、比較的容易に派遣社員になることができた。そして、派遣社員の階層にいれば、アルバイトの階層にいるより、その上位の中小企業正社員(もしくは請負企業正社員)の階層に移動できる可能性は高くなるだろう。しかし、施策後では、アルバイトが上位階層が移動したければ、中小企業正社員の階層に移動するしかない。上位の階層に移動が困難となり、格差が拡大している。言い換えれば、再チャレンジが難しくなる。
なぜ、多くの国民は、派遣・請負の原則禁止を望むのか?しかも、選挙時にほぼ全政党が、似たような公約を掲げるくらい、圧倒的多くの国民がそれを望んでる。この場を借りて、色々な人に意見をお聞きしたい。
自分は所謂「はてサ」とは立場が大分異なるような気がするんだけど、適当に答えてみるよー。
正直、引用されたブログ記事のこの認識にはあんまり賛同できないです。
私はそもそも、経済のグローバル化というか、ITの発達によって世界が近くなり中国の人たちなんかが、先進国に追いつけ・追い越せで一生懸命頑張った結果、日本の経済的地位が相対的に低くなり、でも日本国内には沢山人がいて就職先も必要だから、国内に製造業の工場なんかを残して、でも国際競争に勝つために賃金水準を落としたり、不況でも生き残れるように人材を流動化したいと思って製造業派遣が解禁され、それが日本企業の国際的地位を維持することに役に立ったと思っているのです。
当然ながらそれは、中国をはじめとする新興経済国との競争に勝つためであり、彼らの力が相対的についてきていることが、日本の競争力を相対的に落としてきているということであり、それが世界標準の格差社会に日本を近づけている理由でもあるのだと思うのです。
まず『国際競争力』という概念で経済を理解すること自体が不適切に思います。別に生産性で劣ることになろうとも、比較優位があれば貿易による利益は得られるわけですし(日本の製造業の国際的地位を守るために国民が存在している、と仰るなら話は別ですけど、別にそんなことないよねえ?)。もちろん生産性が劣る『企業』はそれによって打撃を受けるかもしれませんけど、それは産業構造調整によって解決すべき問題でしょう。自分達の産業が持つ競争力を守ることが、そのまま労働者の利益も守ることになる、というのは企業家らしい誤解だなと思います。そういう物の見方は、一企業家としては正しいのかもしれないけれども、経済全体を俯瞰するには向いてないんじゃないかしら。
そもそも、就職先が製造業派遣でなければならなかった理由は、マクロ経済政策の失敗によって、日本経済が長期停滞を余儀なくされたからじゃないのかなあ。でなければ別の高付加価値な産業が生まれ、それに人が集まっていたんじゃないかしら。雇用の流動性が低い状態のままであれば企業が雇用・採用を手控え、若年層の失業は一層深刻になっただろ、という主張が全くの間違いとまでは言わないけど、それは一面的な見方でしかないでしょう。確かに賃金の下方硬直性を緩めることで雇用者側のリスクを低減し、結果的に失業者の数を少なく保った(であろう)ことはある程度評価しても良いとは思う(※)。けど、それは本質的な解決策ではなかったよね。雇用を回復したいのなら、そういう構造改革よりも適切な金融政策を実施した方が効果高かったんじゃないの(それを堀江に求めるのが間違ってるのは分かってるけど。企業側に出来ることではないし。ただ、そうやって状況を所与の物として唯々諾々と受け入れさせ、現場レベルで無理矢理適応させる、というのは誠に日本的で微笑ましいよねえ?)
で、逆に聞いてみたいんだけど、元増田自身はこのブログの記事についてどのような見解・意見をお持ちですか。
よかったら俺の認識・意見についての反論も含めて聞かせてよー。
(※)むしろ製造業をそのような形で延命したことの方が後々重い負担となってのしかかるんじゃないかなあ。製造業派遣みたいな業態に慣れ親しんだ人間が将来「高い生産性を持った産業」に移行することって著しく困難なんじゃないかと思うし。その意味では日本の潜在成長率を大きく毀損しているのではないか、という疑念を持ってるんだけど(確証は無いけどさー)。
なんでヤングな彼らは「ポスティング」なる行為に走ったのだろうね。
だって、すんげぇ泥臭くてうざったいイメージあるじゃん。いかにも若者が「安保時代のバカサヨじゃないんだからwwww」とか言って嘲笑しそうじゃん。
ま、それはさ、ともかく。
フツーね、郵便受けン中に自分が想定していた以外のモンが入ってたら不快に思うじゃない? 思わない? や、そういう人はそういう人でいいんだけど。すいません。しかし、俺は「うわっ」、ってなっちゃうわけ。で、内容を一瞥すらせず、デリヘルの型番不明なちっこいチラシと一緒にさ、ストレートにゴミ箱に突っ込んじゃうの。そのゴミ箱ってのがさ、マンション側が用意した迷惑チラシ用のヤツなんだけど、覗いてみたらまたそういうビラで溢れかえっちゃってんのよ。選挙中ずっと。ウヨサヨ自民公明民主社民共産幸福実現生長の家その他その他問わず。
で、思ったわけね。何でこんなに揃いも揃って嫌われてんのかなー、って。思ったわけね。何で俺はこいつら、というかこういうビラが大嫌いなのだろうね、って。別に俺だって宗教も政治もいうほど嫌いじゃないし、ってか今回の選挙にあたっては、選挙権もないくせに珍しく能動的に行動しまくって、まず各党マニフェスト読破、したら「そもそも政治ってなんじゃらほい」って気分になったんで岩波書店の『政治学入門』とか、敷衍してジャンはジョンでもロックじゃないルソーとか読み出して全然わかってないのに理解した気になってちょこずいて『リヴァイアサン』(大塚原作じゃない方の)を二三ページ捲ったところで我に返った。それまで溜めた経験値もリセットされた。誰も褒めてくれなかったよ……。慰めてくれるのは不定期に届くエロい夢が詰まったAmazonのダンボールだけ……。
そう。同じ郵便受けにあってもAmazonは歓迎される。だって自分で頼んだんだもん。しかし、俺は人生を通じて一度たりとも「どこそこの勧誘ビラが欲しい!」などと願ったことはない。
通販も(一応)新聞も人からの手紙や郵送物も各種料金請求書も普通、何かしら先立つの契約や相互の信頼関係があってはじめて投函される仕組みになっている。つまり、受取人に「望まれて」おり、あらかじめ「配達されることが織り込み済み」なんだ。裏を返せば受取人に「望まれていない」郵便物は明らかに異物だ。だから俺は拒否してしまう。いかにアブトロニックの効果が素晴らしかろうと、大川先生が偉大であろうと、招かざる客である以上はほうり捨ててしまう。恐るべきは、その仕分けシステムを受取人の無意識に組み込んでしまった投函ポストの魔術。
俺らはマンションの玄関先で郵便受けを「ああ、今日は待ちに待ったアノDVDの……不在受け取り票が届いているであろう日!」などといかがわしい期待で悶々としながら開錠する。勧誘DMアジメールくさやがその中に鎮座していようなどとは想像だにしない。ダストとしてINしたものはすべてノイズであり、カスであり、ゴミであり、一律にダストとしてアウトすべき障害でしかない。普段の志向/嗜好がどうの、とかはそこでは全く関係ない。ダストに中身なんぞ存在しない。単に無意味だ。一掴みで十数の紙束を一絡げにしてダストシュートへ。なんと見事なまでに洗練された取捨選択の美しさよ。
とすれば、俺自身そこまでアジビラ勧誘メールを憎んでいるわけではないのかもしれない。
ただ、「望まれない」「配達が期待されてない」ブツを分別する手間が疎ましいだけで。
気持ち悪い、と感じてしまうのは、あるいは嫉妬しているだけかもしれない。ポストというシステムに人格を否定されながらもなおも自己主張を止めない彼らに、自分の正義を貫く彼らに。
ああそうか。わかった。最初の疑問が解けた。ワカウヨは、彼らは「真実」や「正義」を突きつければ手段やプロセス関係なく、他人を説得可能と思い込んでいるのか。
ちくしょうめ。なぜ前提としての彼らの「正義」を疑わないのか。なぜなら、教師は悪だ。やつらは束縛する。なぜなら、一党独裁社会主義国家は悪だ。やつらは束縛する。児ポ法は悪だ。俺たちを束縛する。在日は悪だ。俺らが束縛されているのに、やつらは自由だ。
してみると左翼はわかりにくい。景気が悪いのは自民のせいだという。格差社会は自民のせいだという。年金問題も派遣問題も自民のせいだという。どれも社会人生活経験の少ない若者にはピン、とこない。なんとなれば、天下り官僚は宿題を忘れた子供を怒鳴りつけたりなどはしない。それに仕事や景気の話というのはどうしても「自分」を要素として含まなければ成立しない。そうなると「自己責任」というメンドクサイ勘定までいれなくてはいけない。勘定しようにも社会人生活を営なまないことには算定方法も解らない。経済も勉強しなきゃ。数学? ケッヘイ。ならば徹底して「他者」と「エピソード」のみで構成されている右翼の敵の方が信じやすい。迷わないですむ。
俺は信じられない。迷う。彼らが「ネットにこそ真実がある」と学んだように、俺は「ネットにすら真実なんて存在しない」のを思い知らされた。だから常にニュースや情報を目の前にして、いつも迷ってしまう。信ずべきか否か。教科書に出てくるような公式や定理やシステムや歴史や定説は本当に信じていいのか? 「この時計は一日に0.000....01秒遅れます」本当に?
猜疑心と躊躇は決して同世代において、彼らより俺が賢(し)いということを意味しない。大体の場合において、俺は怠惰だ。一次ソースなんてクソ食らえで孫引きに次ぐ孫引き伝言ゲームで捻じ曲げられた捏造情報が事実として流布されるなら、それはそれでかまわないとすら考えている。半分ヤケクソに近いメンドくさがり屋だ。
そうやって踏み出すことをためらっている分、「政治」に貪欲なネトウヨたちより知識において劣るだろう。っていうか俺はそもそもサヨでもない。かといって中道を名乗るにゃ定義に確信が持てない。俺はなんでこんな話をしてるんだ。
率直に言ってさ、http://anond.hatelabo.jp/20090901001358にでてきた男の子がうらやましいと思ったよ。あいつには諭してくれる人間がいる。信念を表明したことを労ってくれる仲間がいる……
一過性だから甘い。フヒのコストが発生してカタカタの道理を理解させられない
優しいのは悪習だと思うし、弛みの時刻に着くと思います
洗濯掃除は日曜。夏に殴られた将来性。ゴルフバック届いています。
なけなしで十分だわ。なめられてるのは今時いない過労死。
散文上等。知られたい私です。失敗もスパイスかもねと取り組んで低位株私です。
失敗も知られたい。私ですら知られたい。
全てを失ってまで欲しかったのは安寧。
僕は基地外。
恨んだことはない。ありがとうと便利な言葉。今までありがとうと伝えれば。
自殺はしたくないけど早死にしたい。自殺を認める宗教観。ストイックに。
どう?やったね僕は基地外!
大路を走らば僕と一緒に僕は駆け出すナルシズム疾走
浮かんで浮かべている。他人をなめられて責め立てられせざるを得まい
回避性の高校生だった片隅。もう若くはない。孤独な子供はもういない。
光に包まれて意識を遠くにやるように子供のころのまま死にたいコピペが心の支え。
みんな辛いらしい。死にたい死にたくないと地球人。宇宙人がそんなに突飛か?太陽にだって宇宙人は住んでる。
奇を衒う僕。ばかねえと優しくほほえむ僕。僕に心惹かれる僕。ソープに行っても変わらなかった僕。僕のことしか見えてないほどぞっこんな僕。
撲殺。
悦楽を分からせられないほうが悪い。タナトス?すいませんでしたね?
また便利な言葉だ!今が最高のやめどきだ!
漏れるばかりであった。私愛されたい。約束を叶えられないのは回避性人格障害のせい。薬は別件常識人。
すいません
すいませんすいません
口の中で繰り返すすいませんモゴモゴペチャクチャは殴り殺したい。
日曜だからといって鬱にはならないんですよと僕に愛想笑い。でも本当にいつもと同じ。ここにテレビはないからサザエはいない。
死ぬか殺すかしたいと僕が思えばそんなこと言わないでと僕。
今僕は中学生だ高校生だ。だからこの感性は正常。基地外のフリとして基地外の仲間入り。でもやっぱり基地外。だから。マインドセット。ははは。
格差社会のせいにされることが怖い。政治のせいにされることが怖い。欲しいものは安寧。
以上、精神異常者っぽい書き込みをしてみました。いかがでしょーか?(´・ω・)
明日人身事故があったら僕です
熱を通して息がただ欲しかったのに何故かいつも回避性人格障害。自己診断。
とても大切なヘドロのような臭い汚い片想いが錆びてもう無臭だけど行きたいところがもう
僕のことを知らない僕が好き。
もう十分同じ場所に留まった。
人類は僕に生きろとささやくんです
本当に残酷です
もとから生きる価値はないと思ってるから死ぬ価値が、死ぬ理由がないんです
金賞をとった作品を誉められているとき、地面に叩きつけて壊してしまった
「良い奴だ、親友だ」と言われたから殴ってしまった
「上手だね」と言われたから辞めたアレコレ
誉められるのが嫌なんだ
理解してくれ。理解してください。
自分なりに考えてみた。
この場合の天下りっていうのには,部課長級の人事異動みたいに他大学から転出してくる人も含む。
つまり,どれだけ目先の事に打ち込んでいても,出世のためには,本省の役人にならないといけないのだ。
・上は自分の事しか考えない。
課長以上は原則,本省のお役人さん達だ。彼らは2年間で入れ替わる。
いろいろな所を渡ることで見識を広げ,人間として尊敬できる人もいるが,ただ,単に派手好きな人もいる。
派手好きにあたるとその人は自分ができる目立つ事しかしない。
そして,その派手は3年目には無くなるか,もっと悪ければ,継続され新たな派手がはじまっていく。
・別に専門家ではない。
多機能,細分化が進む大学事務においては,そんな人はお荷物でしかないが,その人が上役だ。
・アイデンティティの問題
国立大学は独法化し,会計規準として,通常の独法とも違う国立大学会計規準が適用され,各大学は自立(律)性を求められ,競争状態におかれた。
そのため,各大学は必然的に旧来の帝大を頂点としたピラミッド型から,なんかよくわからない格差社会におかれている。
本省は,都合の良いときは従来通りの出先機関扱いし,都合の悪いときは各大学の判断って言う。
その中で,各大学はブランド価値を高め,自分達の大学の売りは何か必死(なふり)になっている。
自分達って何よ?みたいなことをもがいている。
もがいていて,うまくいっていないとこで,事情の知らない天下りの人が来る。
で,派手だったり,無気力でなにかを行う。
事務がうんざりする,そんな事務に付き合う先生もうんざりする。
やる気ある先生はどっかにいってしまう。
歴史ある大学も無い大学も「組織愛」が育まれる事がないので,停滞していく。
いらんな,文部科学省。
今年でゼロ年代が終わる.2000年が始まったときはミレニアム!と晴れ晴れしい気分であり,まさかゼロ年代なんてカタカナで時代が表されるだなんて思っても見なかった.そんなことを近頃思っていると「そういや,2000年とか2001年ってどんな本が平積みにされてたっけ?」と思ったので,簡単にまとめてみた.これは客観的な統計データのまとめではないし,選んだ本やその解説には恣意性だって含まれてると思うけど,はてブ等でフォローしてもらえたらと思う.
一般書では『だから,あなたも生き抜いて』がベストセラーであった.閉塞感のあった90年代において日本は経済も社会システムも崩壊が始まり,これまでのような一億層中流社会は望めなくなった.そんな時代に単なるサクセスストーリーとしてだけでなく,「生き抜く」ことを薦めるこの本がゼロ年代最初の年のベストセラーであったことは興味深い.
経済書では『経済ってそういうことだったのか会議』がよく書店に平積みされていた.お金のことは銀行や専門家にまかせておけばよい,といった価値観から自分の身は自分で守ろう,そのためには少しずつでも知識をつけようという価値観へ既に変化し始めているように思える.
また,9.11以前に文明の衝突論を展開していたという点でハンチントンが後にもてはやされた.『文明の衝突』は1998年.
また,ソーカル事件を発端とする科学論者と科学者間の間の論争である『サイエンスウォーズ』『知の欺瞞』が出版された.一連の流れにより,科学は正しいものという固定観念が崩れ始めるが,その悪影響として疑似科学が隙間に入ってくることとなる.
2001年は一般書・自己啓発本として『チーズはどこへ消えた?』や『金持ち父さん貧乏父さん』がベストセラーとなった.これらは自分探しブームの終焉でもあり,ありのままの全肯定でもある.その他の一般書では『声に出して読みたい日本語』のような日本語ブームが始まる年である.
ゼロ年代を象徴する批評家,東浩紀が『動物化するポストモダン』を出版し,アカデミズムからサブカルへの転向,遅れてやってきたエヴァ批評として有名となった.その後の現代思想,批評界は東浩紀とそのフォロワーによって進められることとなる.
また,疑似科学論争の大きなきっかけとなる『水からの伝言』がブームとなり,教育界では道徳の授業で使われたり,科学者集団がその疑似科学性を啓蒙したりする騒ぎとなった.
2002年は一般書では『生きかた上手』や『声に出して読みたい日本語』,『常識として知っておきたい日本語』がベストセラーとなった.また,『本当の学力をつける本』で陰山メソッドが有名となり,公立校の進学校化など各々が一律である必要がなく,教育にも個性や多様性を認めるような社会風潮となっている.とはいえ,これらの風潮は後の格差社会と繋がらないとは言い切れない.
格差社会といえば,玄田の『仕事のなかの曖昧な不安』は社会安定を失った日本の将来を予見する内容であり,当時の日本社会の空気を表す本としてピックアップすることができる.
不況下における人々の意識を表すかのように森永の『年収300万円時代を生き抜く経済学』がベストセラーとなった.この年を前後してエコノミストと呼ばれる人々が盛んにマスメディアに出るようになり,銀行に預けるのではなく,個人が投資する時代になったと盛んに喧伝した.
9.11以降の社会を分析するかのように,ネグリ・ハートの『<帝国>』やチョムスキーの『メディア・コントロール』などが読まれた.特に『<帝国>』は左派に大きな影響を与えたといえる.
2004年は『バカの壁』が大いにベストセラーとなり,養老孟司ブームが到来する.その続編でもある『死の壁』も同様にベストセラーとなり,これらと時期を同じくして,新書ブームが到来.多くの出版社が新書に力を入れ始める.
『仕事のなかの曖昧な不安』を受ける形で『13歳のハローワーク』が出版され,自分探し(何がやりたい?)と自己肯定(何をやっても自分らしい)が同時に薦められるような時代となった.その一方で堀江貴文『稼ぐが勝ち』が売れ,Tシャツ姿で六本木ヒルズで新進気鋭の社長となっているホリエモンが多くの若者の共感と多くの大人の反感を買った.この共感した若者は『希望格差社会』において希望が持てない若者たちであり,株取引による一発逆転という大平光代のサクセスストーリーとは別の形の逆転劇を夢想させた.
新書ブームを背景に『頭がいい人、悪い人の話し方』,『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』がベストセラーとなった.特に『さおだけ屋~』はタイトル売りという技を駆使し,その後多くのフォロワーを生んだ.また,これまで『仕事のなかの曖昧な不安』『希望格差社会』といった「労働」というジャンルのハードカバー本であった内容がついに『下流社会』と新書の形をすることで大衆化し,格差社会というゼロ年代のキーワードを体現した.
また,東一辺倒であった批評界において,『嗤う日本のナショナリズム』によって社会学の北田が登場し,2ちゃんねる批評というものが生まれた.これはゼロ年代が徹底的にサブカル批評へ偏ることを決定づけた.
相変わらずの新書ブームで『国家の品格』『人は見た目が9割』等がベストセラーとなった.『国家の品格』は養老孟司から続く理系人ブームを引き継ぐとともに,後の品格ブームを起こした.『人は~』は『さおだけ~』のフォロワーであるタイトル売りであり,『なぜ、社長のベンツは4ドアなのか?』といったフォロワーも生まれた.
また現在まで続く重要な流れとして『ウェブ進化論』『Google』『「みんなの意見」は案外正しい』といったWeb論が生まれ,Web2.0,玉石混淆,群衆の英知といった言葉がよく聞かれるようになった.これらの著書により,これまでYahooを使っていた人々がGoogleに移行したり,Wikipediaが大衆化したりするようになった.これらのWeb論はあまりにオプティミスティックであると当初から批判されたが,アーリーアダプターにしか知られていなかったWebの様子を大衆化したその社会的影響は計り知れない.また,『フラット化する世界』がベストセラーとなり,インドの台頭が認知され始めた.
品格ブームを引きずって『女性の品格』,○○力ブームを引きずって『鈍感力』などが一般書としてベストセラーとなった.また,理系人による本として『生物と無生物のあいだ』が読まれた.
データが重要となったことを示すような本として『その数字が戦略を決める』がよく書店に平積みされていた.Web時代においてGoogleが大規模DBにデータをため込むようになり,既存の専門家よりもデータが多くを語るような時代が幕開けしたことを告げた.
その一方で,「炎上」という言葉が一般用語化し,梅田らオプティミストによるWeb論に対して,Webの負の面を大衆化させるような本として『ウェブ炎上』や『フラット革命』が登場した.
また,格差社会論は「ワーキング・プア」や「ロスト・ジェネレーション」といった言葉を生み出し,ワープア論壇やロスジェネ論壇と呼ばれるものが生み出され始めた.特に「『丸山眞男』をひっぱたきたい----31歳、フリーター。希望は、戦争。」という赤木の論考は衝撃的であった.
どういう流れからか,『×型 自分の説明書』という血液型本がバカ売れした.これも疑似科学ブームの一端なのだろうか.そして,はてなー大好きの勝間本『効率が10倍アップする新・知的生産術 自分をグーグル化する方法』がついにベストセラー化した.いつの頃からかライフハックという言葉がよく聞かれるようになり,多くの自己啓発本が書店に平積みされていた.また,サブプライム問題までは外資系コンサルが重宝され『地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」』が売れた.
批評界では東にケンカを売る形で宇野『ゼロ年代の想像力』が,東のフォロワーとして濱野『アーキテクチャの生態系』が現れたが,どちらも東の影響を多分に受けており,ゼロ年代批評が東一辺倒であることを決定的にした.
ロスジェネ論壇ではその名の通り『ロスジェネ』という雑誌が創刊し,蟹工船ブームが生まれた.また,秋葉原通り魔事件が起こったことにより,多くのメディアによって事件が消費され,それらは常にロスジェネ論壇,フリーター論壇とともに語られた.
文字ばっかりでごめんなさい.
個人勘定賦課方式の導入、地方交付税を地域住民に直接配分せよ、今後30年かけて地方交付税を廃止、公的年金支給開始は男性80歳・女性85歳に、子どものいる世帯には給付付き税額控除を、などなど、不公平・非効率な再分配政策をただす。
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きのうの「アゴラ起業塾」では時節柄、選挙の話が出た。堀江さんは「自民党も民主党も、老人のための政策しか掲げていない。40歳以上が人口の半数を占め、投票率も老人のほうがずっと高いので、若者は食い物にされる運命だ」といっていた。きのう出た自民党のマニフェストも、「責任力」をうたいながら長期の政策は何もなく、消費税の引き上げすらぼかしてしまう無責任なものだ。
「格差社会」が叫ばれ、選挙では所得再分配の政策ばかり出てくるが、本書も明らかにするように、日本の最大の格差は世代間格差である。賦課方式の年金というのは「国営ネズミ講」であり、人口増加と成長が止まると破綻する。ところが政治家が好むのは、個人間格差を埋めるバラマキ福祉や地域間格差を埋める地方への補助金だ。
著者は世代間格差の最大の原因となっている年金制度について、時間をかけて個人勘定に移行すべきだと提案している。その場合、自分の親の面倒をみる「個人勘定賦課方式」もありうる。逆に地域間格差を是正する政策は見直し、地方交付税はやめて、地域に関係なく、負の所得税のような方式で所得を直接補償する政策が望ましい。
また日本の税金の捕捉率は低く、クロヨンなどの職種による不公平が大きい。これを是正するには納税者番号が不可欠だが、所得が捕捉されるのをいやがる人々が政治家を使って先送りし、「私は番号になりたくない」と叫ぶ櫻井よしこ氏や毎日新聞などがこれと合流し、先進国で唯一、税を名寄せできない日本の税制の改革を阻んできた。
究極の問題は、分配の分母となる所得をどうやって増やすのかということだ。自民党は「成長率2%」を掲げているが、それを実現する方法は「大胆かつ集中的な経済対策」。短期の景気対策と長期の成長戦略の区別もついていない。民主党に至っては、成長戦略はアジェンダにさえ入っていない。結果の平等だけを求める再分配政策は勤労意欲を奪い、成長率を低下させる。新しい企業がビジネスに参入し、労働者が自由に転職できる機会の平等を保証することが重要だ。
日本経済の最大のリスクは、経済の長期停滞を放置して目先のバラマキばかり力を入れ、若者から取り、老人に与える政治家である。与野党は子供手当や幼児教育の無償化を競っているが、その財源となる巨額の国債を増税で償還するのは、当の子供たちだ。彼らがそのしくみを理解したら、「親の犠牲になるのはいやだ」と考えるだろう。
ミュージカルを観てきた。
普段こういうのを観ない人なので、どんなモンなのかとお試し的な感覚で臨んだものの、かなり楽しめた。
で、最後にカーテンコールがあるわけだけど、お客さんの拍手が鳴り止まないこともあってか、何回も何回もカーテンコールが続くわけ。
で、で、最初は良かったんだけれど、出演者の満面の笑みを見せ付けられるウチに、何でこっちが高いカネ払って観に来てんのに、アンタらの自己実現のお手伝いをしなきゃなんないのさ、みたいな邪悪な感情が沸いてきて、さっきまでの感動がさめちゃった。
もう何か、自分の心が貧しいのが恥ずかしいやら何とやらなんですが、でも、ミュージカルなんて観る心の余裕すらない人だったら、こう感じる人も少なくないんじゃないか?、と。
幸い、多くの観客(特に女性)は精一杯のエールをステージに向けて送っていて、帰り道でも幸せそうな顔をしている人が大多数だったので、妙にホッとしてしまったが、これはみんな普段の生活でも幸せだからこそ、他人の幸せを純粋に楽しめたり、幸せのシェアリングを抵抗なく受け入れられる証なのではないか?
格差社会やら何やらで幸せを楽しむ余裕がない人が増えてしまうと、結果としてこの種のエンターテイメントが成り立ちにくくなってしまうのかもね。
昨今の「温かい血の通った政治」なる主張はよろしくありません。
裁量が入れば入るほど、そこに利権が生まれ汚職が生まれるのです。
よって我が政党では「血の通わないシステマチックな政治」を行うことをお約束します。
公共の福祉は予算を一人当たりで割り、直接現金をシステマチックに配分します。
新規の法案・組織の設立・廃止につきましては、ネット上で有権者から賛否をとりシステマチックに行います。
#これからのご時世、ネットで意思表明できない人に権力を持たせるのはナンセンスですよね?
もしも問題があった場合には、数年後の見直しにより再び賛否をとりシステマチックに行います。
既存の法案・組織の統廃合につきましても、ネット上で採決をとることによりシステマチックに行います。
#当然それにより浮いた予算につきましては国民の皆様に配分いたします
こういうと福祉の削減につながるとの批判をいただくかもしれませんが問題ありません。
不況、格差社会などといわれる昨今におきましても、難病を抱えたお子様の窮状を訴えると毎回1億円以上の寄付金が集まるほど、我が国は民度の高い国民性を誇っております。
システマチックに配分しました現金を、有権者の皆様の判断に基づきまして有意義に使われることを期待いたします。
また営利企業が新しく事業を興すことも期待いたします。
今後ともよろしくお願いします。