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はてなキーワード: 成就とは

2009-10-02

5分で物語を作れるにようになるコツ

典型的な設定厨アイデア厨だったおれが、

なんとか物語らしきものを作れるようになったコツ。

誰かの役に立つかもしれんのでメモがてら残しておく。

物語の最小構成は「成功するか分からない目標に向かう主人公」だ。


わかりにくい書き方ですまない。ただ、起承転結とか序破急とか専門用語いまいち何いってるのか分かんないんで、

それ系の参考書とか読みながら、たどり着いたシンプルな結論がこれなんだ。


オリジナルな考え方とかでもなく、専門書ならもっと詳しく丁寧に説明してくれてると思うんで興味があったら色々読んでみてくれ。

ざっと机にあった漫画とかDVDとかを例にあげてみる。

鋼の錬金術師禁忌を犯して身体を失った主人公達が、自分たちの身体を取り戻そうとする話(最終的に身体が取り戻せるかどうかわからない)

大正野球娘:自分たちを女だからと馬鹿にする男達に野球で勝とうとする話(最終回まで、勝てるかどうか分からない)

ワンピース:大秘宝ワンピースを手に入れて海賊王になろうとする話(海賊王になれるか以下略

その他、スポーツものなら全国優勝を目指すし(優勝できるかどうか分からない)、ラブコメなら意中の異性を振り向かせる(成就するかわからない)。


箇条書きで言い換えてみるとこうなる。

1「主人公には何か目的がある」

2「障害(強敵やら身分の差やらハンディキャップやら、とにかく主人公の目的をジャマするもの全部)を乗り越えようとする」

3「結果が出る(成功する場合もあるし、失敗で終わる場合もある)」

この3つが揃っていれば、とりあえず物語破綻してない。

重要なのが2番で、障害になるものがないと「成功することが分かりきっている」から全く盛り上がらない。

なるべく高い壁だったり強い敵だったりして、主人公が目的を達成できなさそうにしておくのがいい。


これを押さえておけば何でも物語りになるんで、

バカバカしいネタで「学校に行く」を物語にしてみる。


「朝起きて学校に行きました」じゃあ物語にならない。

でも「通学路の途中にヤンキーのたまり場があって、そこを通るといつも絡まれる」とすれば、

ヤンキーに見つかれば学校にたどり着けるかどうか分からない。

じゃあどうにかして(その道を通らないで他の道を探すでもいい)学校にたどり着こうとする主人公ってことで物語が出来る。

結末は学校に着いても着かなくてもいい。そのへん作者の個性

その他、題材は何だっていい。

スポーツにしようがバトルにしようがラブコメにしようが「成功するか分からない行動をしている主人公」がいればいい。

あとは目的に対する障害があって、主人公が成功したかどうか書けば物語は完結する。

成功したかどうか、結末がどうなったか、わざとボカしてもいいけど、おれは上手いやり方を知らないのでパスしておく。

ギャグ漫画なんかはあえて物語にしない方向もあるし、わざと物語破綻させて新しいものを目指すってんでもいい。

言うまでもないけど、物語破綻していないのと面白いかどうかはまったく別で、最低限「これを守れば家ができます」程度の設計図みたいなもん。

とりあえず物語フォーマットに乗せて、演出とかキャラとか色々つかって面白くしていく…らしい。初心者のおれにはそこが難しいわ。

でもとりあえず、うえの3つの要素が揃っていれば物語になるんだって知ってれば、いろいろ応用もきくかなって思う。


練習もかねて身近な出来事かたっぱしから物語化していくといい練習になるよ。たぶん。

2009-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20090920185534

でも成就してからのことがある程度の長さ描写されてるアニメマンガ作品って、あんまりないんじゃないの?

2009-08-04

「秒速」で鬱(最後までネタバレ)。

http://anond.hatelabo.jp/20090803105004を書いた者です。

なぜ「秒速5センチメートル」で落ち込むのかということについて(http://anond.hatelabo.jp/20090804001253からの質問)。

一言でいえば、「物語の中でくらい夢を見させてくれ」ということになる。以下、くどくどと語る。

この人(http://anond.hatelabo.jp/20090804010932)が勘所を書いていてよくまとまっている。

物語をみるって言う事は特別な状況を求めることだということ

まずこれが前提にある。ほとんどの物語というのは「桃太郎」から「インディージョーンズ」まで、「困難を乗り越えて幸せを得る様子」が描かれている。どのような「困難」を、どのように「乗り越えて」、どんな「幸せ」を得るかというところを変えていけば、ほとんどの物語カバーすることができる。ここで勘違いしてはいけないのは、「幸せを得る」という部分が肝なのではなく、「困難を乗り越える」ところが肝だということだ。

要するに、物語の中に出てくる困難は必ず乗り越えることができる。これが大前提だ。

「秒速」の話でいえば、主人公の男の子女の子小学校中学校時代によい関係にあったが、転校により遠く離れてしまう。男の子はそれでも女の子を想い続ける。この時点で物語の文法としては、「遠く離れても(=困難)」「きっと恋は成就するはずだ(=乗り越えて幸せを得る)」と予想される。ところが、最終的に大人になったその女の子は別の男性結婚する。つまり、提示された困難を乗り越えることができていない。そればかりか、高校時代にはみんなから将来を期待されていた主人公の男の子は、勤め人であることに疲れてフリーランスSEとなる。

物語の中でくらい夢を見させてくれという視聴者の期待を「秒速」は見事に裏切る。つらい現実から逃れようと思ったら、まざまざとつらい現実を見せつけられる。世の中そう簡単にうまくいくはずがないという現実は分かりきっているからこそ物語を見ているのに、「秒速」はあらためて「世の中うまくいかないよ」と語る。落ち込む。

私以外の「秒速で落ち込む人たち」も、そのような感じで落ち込んでいるんじゃないかと思う。とりわけ、青春時代恋愛環境が人並みであり、社会人になってから(あるいはその年齢になってから)社会的に苦しんでいる人はそういう見方になると思う。逆に、青春時代恋愛環境が劣悪だった人は、多分、この映画を見て「ざまあみろ」という気分になれるんじゃないかと思う。

KIDS RETURN」もだいたい同じで、「世の中うまくいかないよ」と語る。ただし、こちらの映画は確か男子校だったはずなので、恋愛トラウマのある人でも見られると思う。

ところで、「耳すま」「時かけ」を見て落ち込む人というのは、「俺の知らない間にみんなこんな楽しい世界にいたのか」と打ちのめされるのだと思う。では、この二つの作品で打ちのめされない人がどう見るのかといえば、「(前述の物語の文法に則って)主人公たちが困難を乗り越えることができてよかったなあ」と幸せな気分に浸るだけであり、そこに描かれている「最初から(あるいは中盤から)男女の仲がいい状態」については、特に気にせず、そういう話なんだと思って見るだけだったりする。

2009-08-02

初心者に安心してお勧め出来る感動の名作選】エロゲ

44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/08/02(日) 13:29:10.07 ID:GxfI26OF0

初心者に安心してお勧め出来る感動の名作選】

  • 果てしなく青い、この空の下で…

 田舎町を舞台にした穏やかな心温まるラブストーリー

 ゲーム史上にその名を刻むナイスガイ鳴海孝之の漢ぶりに注目

 特にお薦めは第三章 美人で優しいおねえさんに萌えろ!

  • 好き好き大好き!

 元祖 電車男

 女子高に赴任した新人教師と生徒が織成す感動ラブストーリー

 厨房掲示板で展開されるドタバタギャグコメディ 笑いながら抜ける傑作

 事故後遺症に苦しむ主人公と友人たちが織り成す青春ラブストーリー

 ロリコン必見!かわいい娘とのお留守番をお楽しみください

 トラック野郎人形劇を通して主人公とヒロインの恋を成就させる恋物語

 伊藤誠鳴海孝之にも劣らぬ漢ぶりも見所だがなにより桂言葉の健気さに圧倒されるゲーム

 スクールデイズに続く傑作!凄い!なんたって凄い!買え!

 雪が織り成す学園青春爽快ハートフル純愛物語

2009-07-07

THE END OF EVANGELION」の感想集 2

http://anond.hatelabo.jp/20090707100038 の続き

 弐拾六話では全ての人とあっさり和解でき、すんなり受け入れられた。
しかし世の中そんなに甘くないというか、実はそれこそが自己中心的世界
と言える。もっとリアルに描いてみよう、というのが26話ではないかと。

 何故なら「本質的に解り合うことのできない他者が存在する」というこ
と、他者を認識するとはそもそもそうしたことである筈だったから。庵野
氏の構図で言う幻想世界の内部において、シンジはどうしてもそのことを
容認できず、他者を理解できないまま、自分を理解するよう他者に縋り続
けた。補完計画が完成し、群体から単体に還元され、全てを包含レイに
抱擁された時点で、彼はやっとそのことに気付いた。
 ラストアスカを殺そうとしたのは、アスカが正に他者であることを、
彼が遂に知ってしまったから。でも結局殺せないし、前のようにエヴァの
胎内に逃げることもできない。そこは既に第弐拾六話の月面と同様に、後
戻りの聞かない場所、補完が導いた現実世界。・・・

 なんと、エヴァと融合し全てのヒトを包含した神が、人一人殺せず、孤
独に耐えかねて泣いているんです。
 私はここに最高のユーモアカタルシスを感じました。こんなに見事な
ラストは、これまで観たことも読んだことも恐らく無かったです。(^-^)
宮村優子さんのラジオ発言とか最近目にするようになった彼女の雑誌のコメント
を見ると、宮村さんは今回の劇場版をお気に召さなかったのかなとも思います。
自分でも「なかなかのモノが出来た、俺の選択って凄いぜ。フフン」と庵野監督
が思ってたのに、いざ、脚本を渡したら宮村嬢からの冷たい反応。それにショッ
クを受けてああいったラストにしたのかな(^^;?
無責任な憶測ですけど
 あのラストシーンは,シンジが選んだこの世界が決して「気持ちのいい世
界」ではないことを辛辣に描いていました。しかし同時に,そこには絶望だけ
でなく,わずかな希望もあることをも示していたと思います。


 希望アスカの手,シンジの涙。 
                  そして,『会いたい』という気持ち。
 ラストシーン絶望的。シンジはほんの少しだけ変わった。もうひとり、ほ
んの少しだけ変わったひとがいるみたい。でも、その「ほんの少し」への一歩
のなんて遠いこと。2人は、まだ変わっていないみたいに見える。だけど、絶
望は希望の裏返し。これからどうするか、それは、私たちに委ねられたのかも
しれない。
  ひとつだけ考えられるのは、シンジ物理世界に戻ろうと決意したのをアスカ
  も知っていて、そんなシンジとだったら一緒にいても良いかな、って思ったの
  かも知れない。
  でも、砂浜で再び自分の首を絞めてる彼を観て「ああ…やっぱり何も変わって
  ないんだな…」と思っちゃったとか。
 寂しいことを言ってしまえば、アスカにとって、自分のために泣いてくれた人
を身近で感じたのは初めての体験だったのかもしれません。初めてで慣れてない
から、「気持ち悪い」のかも。
庵野監督は最後までアスカの扱いに困ってしまったようですね。その苦悩がラス
トシーンにも出てしまったのでしょうか。「おまえがいるから滅茶苦茶になっち
ゃったんだ~!」ってね。でもその存在を消せない(笑)
 嫌悪も一つのコミュニケーション。心の壁は現実そのもの。
 そして、今までと同じ、自我と、人を代表とする非我との戦いがつづく。
 何度もそれを確認しながら、幸せにも不幸にもなれるラストだったと思います。

 ラストシーンアスカ。第1話のレイと同じ場所に包帯を巻き、首を絞められな
がらもシンジの頬をなでる。
 これって、つまりアスカの中の“母性”を表してるのかな、と思いました。綾波
レイは「母」のメタファーそのものと言っていいでしょう。そして、シンジの側に
横たわっているアスカレイと同じ姿であることは、彼女もやはりシンジを優しく
包み込む“母性”を内に秘めていることを意味しているように思えます。その後の、
シンジの頬に触れる行為も。

 しかし、彼女最後の言葉は「気持ち悪い」。シンジを拒絶する言葉です。これ
は“14歳の女の子”として、「私はあんたの母親になる気なんて、今のところ、
さらさら無いわよ」と言ってるんじゃないでしょうか。「あんたが何を求めてるの
か分かんないけど、受け止めてあげる気なんてないわよ。余裕もないしね」と。ま
あ、あのシンジ-自分を傷つけるかもしれない他人を殺すこともできないで、ただ
しゃくりあげている-を受け止めることなど、14歳の少女に過ぎない、もちろん
自身それなりに問題を抱えているアスカに、できるわけないでしょう。たとえ“母
性”を持っているにしても。むしろ、一方的に求める方が酷です。(さらに、相変
わらず求めるだけっていうのも、また問題だ)。

 しかし、将来的には彼らがどう成長し、変化するかは分かりません。そういう意
味では、もう多くの方が感想に書いてますが、「これから」を感じさせてくれるラ
ストシーンではありました。もう語られることのない物語の続きの中で、彼らは彼
らなりに成長していくのでしょう。
不快感(=気持ち悪い)」というのは、赤ん坊が最初に感じる感覚だということを聞いた
記憶があります(←記憶あやふや)。そうでなくとも、「気持ちがよくない」という感
覚は、まぁ、「夢」だとか「望んだ世界」ではなく、「現実」を示唆しているのかな、
とも深読みしましたが・・・深読みしすぎかな?
 シンジアスカは、それこそお互い誰でもよかったんだと思います。憎む相手も
愛する相手も。でも、自分を互いに真正面からぶつけ合った過去が、二人には出来
てしまった。互いに、相手に対する憎しみも、相手が欲しいという気持ちも、相手
を拒絶する言葉も告げてしまうほど、互いの気持ちを相手にぶつけた。そして、そ
の憎しみも欲求も、おそらく今後の彼ら自身の心を強く拘束していくでしょう。
 ラストシーンで、くびを絞め、瞳を動かし、頬をなぜ、涙を流し、気持ち悪いと
つぶやいた二人は、それこそ、愛よりも深い、憎しみもかなわない、たとえ離れて
も、ひととき忘れても、もう互いの心の一部そのものにまで結びついたように見え
ました。

 One more final:   I need you.
 
 もう一つの終局もすべてのおしまいではありません。英語のタイトルは『私はあ
なたが必要である』でした。
 そして、皆に等しく、同じ戦いが、始まり、続きます。
 でも生きてさえいれば、幸せになるチャンスはどこにだってあります。だって生
きてるんですから。

 愛よりも深く。
 夏の映画は誰も他人を受けいれられなかった二人が、とにかくも深く結びついて、
そこから再び、同じ戦いが始まる、終局であっても、何も解決していない、ラスト
でした。
シンジ内面に問いかける声も、もはや静かなレイの後ろ姿ではなく、アスカの
赤裸々な罵倒へと変化しました。「お願いですから、もう電話してこないで下さ
い。」「よりを戻すつもりは更々ないの。」「その、やっぱり、友達以上に思え
ないの。」「ハッキリ云って迷惑なの。」「これ以上付きまとわないで下さい。」
これらのセリフ作品の展開からは伺うことができない以上、庵野監督自身の人
生から引用してきたものと解釈されます(もちろん脚色を加えているでしょうけ
れど)。つまり、劇場版におけるアスカは、これまで庵野監督を傷つけてきた
「5人の女性」のような「他者」を象徴する役割を与えられるようになったのだ
というのが僕の理解です。
 そうすれば、ラストシンジアスカの首を絞めかけたり、アスカがその後で
「気持ち悪い」と言ったりする寒々しい展開も、すんなりと納得できるのです。
現実の他者は、お互い決して期待通りの反応をしてくれない存在ですから。
 オタク依存を打破するために作ったアニメが、逆にオタク依存の代表になっ
 てしまった苦い皮肉。昨日某アニメショップで見かけた会話。

 「これ買えば」(とシンジ君が表紙のアニメディアニュータイプを指さす少女)
 「えーいゃぁー」(と汚いものでも見るかのように嫌悪する少女B)

 彼女らの心の中にはカヲル君しかいないらしい。作品全体のテーマを見ようとせ
 ず、自分のお気に入りのパーツを使って幻想エヴァを作り上げて固執する。虚
 構からも逃げ続けている。自分以外のエヴァはいらないのだ。そして、そのこと
 を指摘されると過剰に反応し激怒する。「ぱふ」の一部読者はひどいものだ。無
 論、綾波アスカの一部ファンにも言える。
 そういう意味で、庵野さんが「気持ち悪い」と言わざるを得なかったのは良く分
 かる。だから実写を入れてこれでもかこれでもかというぐらいに観客に語りかけ
 た。でもそれは届かない。最も病んでいる人間、庵野さんが最も一言言いたい人
 間は嫌悪する現実ファンタジーに変えて消し去ってしまうのだ。
シンジくんの首締めはちょっと??な気もしましたが
アスカシンジの頬を撫でて「気持ち悪い」は、
頬を撫でるシーン拒否、否定の感情からではなかったと思ったので
集合体としての生命の海から浮上して「こ」の世界の「ここ」にいる
「こ」の自分を認識し他の存在シンジ認識し
「気持ち悪い」ことも沢山あるけど「ここ」に自分と他人が存在
することを知覚認識して噛みしめていると感じました。

いやぁすっかりアスカが主役でしたね。
ここまでアスカ映画になってくれるとは
嬉しい誤算でしたってのはアスカ者の偏見でしょうが。

      とでも思わなきゃやってらんないよなぁ。
かくして、シンちゃんはアスカちゃんのドレイとなり、
一生、幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。
                                                       <終劇>
       自分は性的嫌悪感からくる言葉だと思ってるんですけどネ。
       DEATHの新作カットの「ミサトやバカシンジの使ったお
       湯なんて~」の頃には、もうシンジ君が自分の事を性的対象
       して見てる事に気づいていたのでは?このぐらいのお年頃の
       と女性ってそういうのたまらなく嫌だと思うのですがどうで
       しょう?
シンジアスカを殺そうとするが思い止まる。アスカに優しい言葉を期待する
"ファン=シンジ"だが"虚構=アスカ"は"気持ち悪い"と突き放す。

そういうことか?ヒゲメガネよ。
それと映画アスカシンジを否定したのは
(自分の勝手解釈ですが・・)
「シンジアスカの事を、好きで求めているのではないのを、
アスカは気付いていた。なので、コーヒーメーカーに激突させ、
最後に’気持ち悪い’とまで言った」
好きで求めていない、というのは、恋愛感情のみ、でなく、
シンジは弱い自分を何とか持ちこたえさせる拠り所に「強く
見えるアスカ」にすがっていたふうに見えたからです。
アスカにしてみればそんなおかんのような役、あまり嬉しく
ない気が・・・。
 また、最後の台詞「気持チワルイ・・・」ですが、ラストシーンでのアスカ
の様子を見てみると、腕と頭部と目に包帯およびガーゼが当てられており、
これは第壱話においてストレッチャーに乗せられてシンジ君の前に初登場
した綾波レイそっくりの状態で、加えてあの目線から察するに、アスカの
中には、彼女自身の魂や人格に加えて、レイの魂が入り込んでいるのだと
私は感じました。

 いわば、アスカとしてはトラウマを刺激するモノとして忌み嫌っていた
レイの魂が自分の内面において(シンジへの想い故に)融合しつつある
ことについて現在のところ「ケンカカレー」(歳バレ?)の状態にある、
ということで「気持チワルイ・・・」という言葉に繋がったのだと私は考えた
のですが、みなさんはどう思いますか。
あのラストシーンは実はハッピーエンドである。
あの砂浜のシーンは補完直後のシーンではない。
実はその前にシンジアスカを見つけ、傷の手当をし、ミサトの墓を作ると
いう一連のシーンがあったのである。
しかしアスカは何も話さない、何も反応しない病室アスカの状態に戻ってし
まっていた。(偽りの復活)
そんなアスカを不憫におもったシンジは思い余った挙げ句、彼女の首に手を
のばす。
しかしその時、今まで何も反応しなかったアスカの腕が動き、シンジの頬を
撫ぜる。
嬉しさのあまり、涙を落とすシンジ。
更にアスカは言う。
「(あんたバカー、何泣いているのよ)気持ち悪い(わねえ)」

そうあのシーンは「クララが歩いた」パターン感動的なラストシーンなの
である。
しかし観客の期待を裏切る事ばかりを要求された監督は素直に感動的なシー
ンを作る事ができずにあのような解りにくい形にしてしまったのである。
だが安心したまえ、ビデオ・LD収録時には完全版として失われたカット台詞が収録され、誰の目にもハッピーエンドである事が解るに違いない。
(笑)
シンジ監督アスカ・観客に置き換えると、あのラストシーンは
また違った見方が出来ますね。
現実から遊離してしまっている観客を不憫に思った監督真心アスカが無反応だったら悲惨ですね。
それより、もし「気持ちいい」と言われたらどーする(笑)
 シンジ・観客、 アスカ監督ではどうでしょうか?

 シンジ「わーん。こんなEVAはいらないよぉ~。
     謎もあまり解明されてないし~
     そこで気絶してないで、もう一回EVA作り直してよ~」
 アスカ「(まだやれっての?)気持ち悪い....」
1:呼吸困難になった為の気持ち悪い
  えー、シンちゃんに首をギュッとね!(爆)された惣流ちゃんですけど意識
  の無い状態で首を思いっきり絞められては血のめぐりも悪くなり気分が悪く
  なったという、低血圧で良く立ち眩みしてる女の子意見がありました(苦笑)
2:あのセリフみやむーちゃんのアドリブ説
  庵野監督に捧げるアドリブ説(黒い説ですわねぇ(苦笑))という人若干名
3:怪我のために気分が悪い説
  右手の謎の治療跡で判ると思いますが怪我してる場合気分が悪くなるもんです
  (経験者談)
4:2日目説
  ・・・・・・(^^;)・・・・・・
5:観劇してる人へのメッセージ説
  ・・・・・・
 「きもちわるい」。
 他人の体温が気持ち悪いことって、ないですか?
 でも、その嫌悪感を、人は「愛情」で中和させる。
 けれどそれは「無理をしている」のかもしれない。
 本当は、人なんて、生まれてこない方が良かったのかもしれない。

 だけれど、生きている。
 それでも、生きている。
 生きていなければならない。
 
 決して理解できない「他人」の隣で、それでも「一人ではなく」生きている。
 エヴァみたいな「黙示録もの」のラストって、和解・融合、善悪何れかによ
る統一、純粋な荒廃、・・・みたいな一元的な世界の出現で終わるのが相場じゃ
ないですか。これは魅力的だけど、弱点があります。つまり、解り難いんです。
 具体的にどんな世界になるのかが想像できない。私達の周りにあるのは、一
元的把握が通用しない、それこそ「他者」が存在する世界です。争いの無い平
和な世界、とあっさり書くことはできるけれども、そこがどんなところなのか、
人或いは人々が何を考えて生きるのか、よく考えると理解できない。
 放映版の受け入れ難さって、ラストのそういう典型的ユートピアが、観る側
の想像力を麻痺させたせいがあると思うんですよね。

 映画版は、そうした典型から脱したところが凄いと思います。シンジとゼー
レの意思に従って、一元的な新世界を一度は成就しておきながら、シンジの成
長というモチーフを重ねて「その先」を開いてしまった。この点に限れば、黙
示録を越えちゃってますよね。そうして出来上がった「他者の居る新世界」に
は、シンジがその成長の代償として手に入れた、純粋で人間的な憎悪や悩みや
悲しみがあり、観る側として非常に素直に感応できる。これがユーモアやカタ
ルシスでなくて何であろうかと。そしてまたそうした世界を、アスカの最後の
台詞一つで完成したところがまた見事なんですよね。
インパクトのある、出来るだけ短い、どうとでもとれる演出、ということで
ああなったんではないでしょうか。鏡のように、見たいものが見える、見た
くないものが見える、うがった人にはうがった見方が見えるラストシーンだ
と感じてます。
最後にアスカが包帯をしている意味は、
「アスカ自身が女になった」
「シンジにとってアスカが女になった」
という二つの意味を同時に持っていると思います。
「気持ちわる」という言葉には、リアリティを持たす効果と、
触れあいによって「産むことが可能な存在となった」=妊娠イメージを出す効果、
それに、存在が個に分かれていることの実感(喜びも悲しみも)が
表現されていたように捉えられました。
 最後のシーンについてはアダムとイブというよりアジア系神話 洪水で生き残った
兄妹の話(日本のイザナギイザナミの話でもこういう始まりのものもあります)
の方を連想しました。

 アスカの気持ち悪いのセリフですが考えによっては色々とれるセリフですね。
私はシンジと一線を引くセリフと取りました。
(ここから他人としてスタートとして2人の関係はどうなるかという・・・)
この最後はFANが自分たちで考える宿題だと思えました
最後のアスカも女っぷりがよかった!きっと、あれがアスカのやさしさじゃないの
かな?と思った。急にわかったようなアスカになったら余計かなしいもん。
とっても、ハッピーエンドだったと思います。映画みたあと結構すがすがしかった。

気持ち悪い,はよかった。絶望とそれでも幻想を構築しなくてはならないという
意志が感じられ・・・るか? 絶望だけか? 慰めてもらいたいのか?
立派に完結していたと私は感じましたし、救いもあったと思います。
ラストセリフは、生々しい接触も含めてアスカシンジを受け入れ始める、
という言葉ではないのか、と思うのですが。
少なくとも、突き放されて終わったとは感じませんでした。
私、あのシーンは本編に絡まないと思ってます。
庵野のファンに対する愚痴だと思ってます。
ファンによって傷つき首を絞められた「エヴァ」から、
おおよそ倒錯しているファンの一番多いアスカの声で、
ファンに対して文句を言ったんだと思います。 
創世記によればエデンの園では人も含めてすべての生き物は裸で(つまり自分自身
をすべて晒して)いても恥ずかしいとは考えなかった。ところがアダムエヴァが
禁断の知恵の木の実を食べた途端に裸でいることに気づいて恥ずかしくなり、身体
を覆って隠した。このことが神の怒りに触れ、2人はエデンを追放された。
・・・ラストシーンの2人はやはり楽園を追われたアダムエヴァなのですね。
自分の殻(ATフィールド?)を壊すことができなかった(あるいは自分の殻に閉じ
こもって出ることができなかった)シンジアスカだけは結局補完されることなく、
荒廃した世界に取り残された・・。それでもアスカシンジを拒絶するかもしれな
い・・と。
この映画を、人間の内面の描写をメインとして考えると、まさしく、私の好きな
ジャンルに入るんですよね。いっかい、救っておいて、最後にもう一回、落とし
ちゃうっていう。(笑)でも、最後は、あれでよかったと思います。だって、簡
単にシンジが、他人を認め、世界も、そんなシンジを喜んで、迎え入れるで終わ
ってたら(テレビの終わり方かな?これは。)、面白さ半減だと思います。そこ
で、アスカに気持ち悪いといわれて、自分の選んだ世界の厳しさというものを示
して、終わった方が、なんか、心に重ーくのこるじゃないですか!(だから、
ONE MORE FINAL なんだとおもいます。)

  補完中にシンジアスカと、ものすごい勢いで傷つけあいます。
彼は最後には彼女の首に、手をかけるのです。
そこまで他人というのは自分にとって厄介なものなんです。
理解不能ですからね。

  それでも、シンジは「融合」ではなく「他者との並存」を選びました。

  「共生」だとか「相互理解」とか美辞麗句に彩られた根拠なんて、
これっぽっちも示されないのに。
根拠があるのだとしたら、寂しさゆえの「I need you」くらいなものです。
単体になってしまったら永遠に孤独ですからね。
(この辺、あまり自信無いな。二回目を見たほうがいいかな?)

  目の覚めた彼は、隣で寝ているアスカの首を、再び絞めにかかります。
そりゃ、あたりまえです。
自らの選択とはいえ、自分を苦しめる元凶が、
現実に厳然と、そこにいるわけですから。
ほっとくと、こっちが殺されるかもしれませんし。
「他人がいる」─────本当に深刻です。この問題は。

  なぜか生きていたアスカが、そんなシンジの頬に手をやって、
彼に「他者のいいところ」をちょっち認識させます。
苦しみとともに、ヨロコビもまた確実にあるのです。
シンジの手から、力が抜けて、その後のアスカの一言で
「終わらない夏の物語」の幕が引けます。
 アスカの「キモチワルイ」発言は、相当ショックだったのですが、
彼女らしい発言だなとも思います。少なくとも、病院のベッドで
息だけしてる状態で生きている彼女より、ずっといいです。
 「詩編 The End of Evangelion」では、アスカの言葉は、
「あんたなんかに殺されてやるもんですか」が入っていますが・・。
 現実は、そうそう、都合のいいようにはならないんだという事に
通じている気もします。
私が思ったのは、アスカはショックで植物人間状態がある程度つづいており、
(目がサカナだった)シンジはいっそ楽にしてあげようとしたと見えたのです
が。包帯をきれいに巻いてあるところを見るとシンジが悩むに十分な時間はあ
ったのでしょう。(だからエントリープラグから気が付いたらあの場面、てい
う訳ではない。)そしたらもう動かないはずのアスカの手が動いたので、嬉し
くて涙が出た。ついでに「気持ち悪い」という正常なアスカがはくセリフが出
て、アスカが完全復活したという、無条件ハッピーエンドだと迷いもなく思っ
たのですが。
あの最後のアスカ首しめられシ-ンですが、そのあと
のアスカセリフが最後の最後に観客を現実に引き戻すオチ
みたいにかんじました。首しめ、まえふり?みたいな(笑)

 TVシリーズを見る限り、アスカシンジに対して14歳の少女らしい「嫌いだ
けど好き」という心理を抱いているようです(まぁ25話で助けられなかったこと
がしばらくもめる原因にはなるでしょうが)。それゆえに、シンジ腑抜けさに我
慢がならないのでしょうか。ただ、その心理とは別にエヴァパイロットとしての
ライバル意識も強烈ですから、非常に言動もわかりづらくなるのでしょう。

 シンジの方は、ミサトさんレイアスカもいいという宙ぶらりん状態ですが、
考えてみれば男ならたいていは心理的二股、三股は当たり前です。しかし、この中
で本当に可能性があるのはアスカだけなのですから(ミサトは年上過ぎ、レイは・
・・実の所は母、ユイですから)、将来的になんとか努力するでしょう。そのため
に現世に戻ったのですから。

 で、最初のコミュニケーションが首締めと「気持ちわるい」。一種ダークな感じ
もしますが、「他人とのコミュニケーションが最初からうまくいってたまるか」と
いうことであれば、先がどうなるかは・・・
 しかし、あのラスト必然とはいえ悲しい物がありましたね。
アダムにとってイブとは所詮他人であり、殺意を抱く対象であ
り、自分を傷つける存在なわけですから。
しかし、やはり最後はきついです。安易な現実礼賛はもっと嫌ですけれども
あそこにはやはり意地の悪さは感ぜずにはいられません。
少数派なのかもしれませんが、肯定否定はともかく「私の趣味としては嫌だ」
というのだけは間違いないです。こんな人もいるということで、一応、存在
を認めていただけるとありがたいです。
やはり、あれは監督からのメッセージと取るべきではないかと。
月に斜線が入っているように、もうこの「エヴァ」は終ったんだ、
もう人の作品に自分の考えに目くじら立てて攻めるのはやめてくれ、
見る側と自分は「他人」なんだ、そこまで立ち入らないでくれ、攻めないでくれ、
こっちにしたら「気持ち悪い」んだ、
エヴァ庵野の首を絞めるのはもうやめてくれ・・・
そういう事だと私は感じました。いつまでも他人に依存されると気持ち悪いって
事だと・・・そういう意味の、監督の「エヴァは終ったんだ!」という宣言
ではないだろうか。
私はあのラストシーンは
「自分に棘があることも、相手が針を持つことも、
全てを承知した上で敢えて一歩前に進む事が出来るようになった
シンジ君」に成長した、と言う風に考えています。

「気持ち悪う。」の台詞に関しては、あそこから人類の新しい
時代が始まる的な雰囲気(オーケストラが聞こえてきそうな、
とでも申しましょうか。)の中で、劇の中の世界ではこれは
現実なんだ、と言う目的で入れたのではないでしょうか。
(日常性を出したと言った方がいいかもしれません。)
まあ、いわゆるハリウッド的な大円団では無いよ。ってとこですか。
私はいい出来だったと思ってます。
 アスカは「気持ち悪い」よりもその前に差し出した手の方が重要だと思います。
敗北の象徴である同じ右手だというのがヒントでしょう。
 シンジが心象世界ラストシーンアスカを求めて首を締める
シーンはレイプメタファーじゃないかという意見がありました。
確かにそう解釈するとあのラストも非常に理解しやすくなるんで
すよね。
そしてラスト台詞ですが、私はシンジだけでなく、世界の全て(自分も)
に対して感じたメッセージだと感じました。生きていくには気持ち悪い世
界だけど、やっぱり死ぬのは嫌だ、と。そもそもアスカシンジを好きだ
とは思ってなかったのでショックではありませんでしたが、手も触れず、
目も動かさなくてあの台詞だったら、やっぱつらかったかな(^^;)。ともかく、
我が儘を貫き通した監督に拍手!
やっぱシンジアスカの首を絞めたのは、ATフィールドの象徴で
しょうな。人は生まれながらにして、他人を拒絶すると


  

2009-06-29

Ⅱ、物語の面白さについて (須江岳史)

http://anond.hatelabo.jp/20090629223650の続き

Ⅱ、物語の面白さについて

1、はじまり

 小説とは、物語を読者に伝えるために文字で書かれた文章だ。書き手が小説を書く動機はおそらく大きく分けて四種類あるだろう。物語の面白さを伝えたいという動機、物語という糖衣に包んで何らかのテーマを伝えたいという動機、物語を伝えるための表現方法の工夫を見てもらいたいという動機、小説を書くことによりカネや名誉を得たいという動機だ。テーマを伝えるためにはそれを包むための物語が必要だし、表現方法を見せるためにも、表現される物語が必要になる。そして、面白い物語でなければカネや名誉を得ることは出来ない。

 物語そのものの作り方については、特に語る必要はないだろう。これを読んでいる方の大多数は日本で生まれ育ち、テレビという媒体によって物語構造経験的に知っているはずだ。

 物語にはどのような面白さがあるかについて見ていこう。

2、生理的なものに関する面白さ 


以下の広告文を見て欲しい。これらはダ・ヴィンチ2006年5月号から採取した。

削除

これらの広告文から想像できる物語は、結構面白そうだと思えないだろうか。少なくとも、本屋でこういった文面が目に飛び込んできたら、手に取りたくはならないだろうか。むしろ、そういう小説が面白いからこそ、こういう広告文をライタ―は考えるのだ。「暴力や性などのように、人間生理的なものに根ざしているものが面白いのだ」、とキンチュという学者も1980年に言ったらしい。生理的なものに根ざしているということは、きっと「すごくトイレに行きたい!」というような話も面白い部類にはいるのだろう。それを確かめるためにもとの文献に当たろうと思った。Poeticsという雑誌の9号にその論文が載っているらしいのだが、しょっぱい図書館には7号までしか置いていなかった。だから上の括弧内の言葉は、孫引きだ。本当はやっちゃいけない。

生死や性と言うとハリウッド映画のようなバタバタと煩い小説が思い浮かぶかもしれないが、静かな小説だってこの面白さを持つ。重松清の『舞姫通信』はアクションシ―ンなんて全くない静かな小説だけれども、主人公の周りでは自殺がたくさん起こる。市川拓司作品群だって恋愛ヒロインの死が物語の主軸となっている。

3、不安の解消による面白さ 


 物語は大体、始まりに主人公にとって悪いことがあって、それが改善されることで終わる。内田の言う〈欠損―補充〉の物語構造といっても良い。こういった〈欠損―補充〉の構造を持った物語は、主人公の感情を推測しやすかったり後々に読者が内容を思い出しやすかったりするらしい。これについてはいろんな人がいろんなことを言ってる。「物語葛藤から生まれる」、「物語は欠如から生まれる」、「物語は主人公の目的意識から生まれる」等々。だからこれ以上、このことについては触れない。

4、どんでん返し


どんでん返しと言ったら、『……だと思いこんでいたにもかかわらず、実は……だったぁ!!』という、物語クライマックスで頻発する奇怪な現象だ。歴史は古く、2300年以上も前に、アリストテレースがこれについてゴチャゴチャ言ってる。

基本的には、『主人公は目的達成に関わるものが或るものだと仮定して行動する。その仮定が正しくなかったことを知るや否や、知る前にとった行動が本来の意味とは別の意味を持ってしまう』というものだ。そうじゃないのも沢山あるけど。

 作り方は簡単。

ⅰ)主人公はaという存在(人でも物でも良い)を求めている。

ⅱ)aと共通項を持つαを発見し、αに対して何らかのアプロ―チを取る。

ⅲ)αは、あたかもaであるかのような反応を示す。

ⅳ)何らかの要因(約束を守るとか破るとか色々)によってαがaでないことに気づく。

ⅴ)それまでの主人公の行動が本来の意味とは別の意味を持ってしまう。


 ⅰからⅴのaとかαに好きな言葉を入れれば、即席でどんでん返しを作ることが出来る。

 市川拓司の『いま、会いにゆきます』を例にとってみよう。

ⅰ)主人公の巧は、死後の世界からもどって来る妻、澪を待っている。

ⅱ)ある日、工場跡で、巧は記憶を失った澪を見つける。彼女過去の思い出を話したり彼女と愛しあったりする。

ⅲ)澪は、生前の彼女がそうであったように巧のことを愛してくれる。

ⅳ)澪が再び消えた後、彼女が残した手紙によって、巧は澪が蘇ったのではなく過去からタイムスリップしてきたのだと知る。

ⅴ)それによって二人が愛しあったことの意味合いが少々変わってくる。


 一見とても複雑で、私のような凡夫には到底思いつくことが出来ない、と思われる人もいるかもしれないが、そんなことはない。「実はタイムスリップだった」というところを思考の出発点にして、「戻ってきたと思ったら、実はタイムスリップだった」、「妻が戻ってきたと思ったら、実はタイムスリップだった」、「死んだ妻が戻ってきたと思ったら、実はタイムスリップだった」とアイディアを広げていき、そしてそのアイディアを盛り込むのに相応しい物語の全体像を考えてやれば良い。

5、ズレ 


 読者の持っている常識または読者の予想からズレのある状況を描くことで、読者の気をひきつけることができる。シャンクの言う「スキ―マに一致する期待を破ったり逸脱する場合」の面白さになるのだろう。

期待を破るという点では、どんでん返しも同じである。どんでん返しはズレの中の一つと僕は考える。

 ズレは『……にもかかわらず……』の形で表される。『にもかかわらず』の前の言葉が、読者に或る事象や状況を想像させる。『にもかかわらず』の後の言葉が、想像した事象や状況とはズレた事象や状況を表す。

 いくつか例を挙げよう。

①、能力がないにもかかわらず、行為を行なう。

 例:武器を持っていないにもかかわらず、敵に挑む。

②、立場がふさわしくないにもかかわらず行為を行なう。

 例:医師免許を持っていないにもかかわらず、手術を行う。

③、不本意であるにもかかわらず、止むを得ない理由により或る行為を行なう。

 例:仲間を助けたいが、地球未来のために見殺しにする。

④、以前はpであったにもかかわらず、今はqである。

 例:以前は暴力団員であったにもかかわらず今は警官である。

⑤、本来はpのために存在するにもかかわらず、qとして利用する。

 例:ボブ・ディランの曲を流すラジカセをコインロッカ―の中に放置する。

 ①~③は人物の行動に関連したもの、④、⑤はものの存在に関連したものだ。飽くまで例を挙げただけで、全てのズレを網羅しているわけではない。

 ズレで注意しなければいけないのが、あまりにもズレが大きすぎると読者が小説についていけなくなったり、期待を裏切られた衝撃で読むことを止めてしまう危険があることである。読者がそのようなことを起こすことのないよう、ズレが起こる前にある程度読者にズレを予想をさせて、ズレを少なくしなければならない。

 ①・②のズレを少なくする方法の一つとして、それを行う登場人物に前もって「或る状況に陥ったとき、この行動をとる」と宣言させれば良い。そもそも我々が暮らしている現実世界においても、能力や立場が行動を実行に移す足かせになっても、動機さえあれば動き出すことがある。①・②のズレは、ズレが大きくなりすぎるようなことが少ない。

 ③のズレを無理なく(読者が拒絶することない程度に)作るには、或る目的を成し遂げるためには無理にでも何かをやらなければならない状況を主人公に与えればよいのではないだろうか。

 例えば、三谷幸喜監督の『有頂天ホテル』であれば、主人公が別れた妻に良い恰好をするために自分が受賞したわけでもない賞の受賞コメントをする。

 ④の場合は、状況が大きく変わるための理由付けをしてやれば良い。その最も簡単な方法は約束をすることである。状況が悪いほうに転じる場合には約束を破れば良いし、逆に好転する場合には、約束を守っていれば良い。

 ⑤について考える。例えば「aをbに~する」というようなズレのある状況を作りたい。そのときには、

ⅰ)aを元として含む集合Aもしくはbを元として含む集合Bを提示する。もしくは、aは集合Aに元として含まれることやbは集合Bに元として含まれることをこじつける。

ⅱ)「Aをbに~する」、「aをBに~する」、「AをBに~する」のいずれかを物語の中で提示する。但し、宣言された行為にはズレはない。

ⅰとⅱを任意の順番で行ったうえで「aをbに~する」というような行為を行えば自然ではないだろうか。

伊坂幸太郎の「アヒルと鴨のコインロッカ―」を例に採ろう。この小説では、終盤でドルジという登場人物がボブ・ディランの曲を流したままのラジカセをコインロッカ―の中に放置するという、常識的にあまり考えられない行動をする。しかしそれは「善いことも悪いことも、やったことは全部自分に戻ってくる」と言うドルジに対してドルジ恋人である琴美が「それならさ、神様には見て見ぬふりをしてもらえばいいって。緊急事態だから。神様にはどこか見えない場所に閉じこもってもらえばさ」と言い、また、別の場面ではドルジの友人の河崎がディランの歌について「あれが神様の声だ」と言ったからだ。

6、伏線とその回収

小説の序盤や中盤にあった状況や事象を小説の終盤に再び置くことで読者に一種知的発見をさせ、はっと驚かせる効果がある。これも、いくつか例を挙げよう。

⑥、約束―報い

 順境から逆境、または逆境から順境と言ったような状況の大きな変化に用いられる。報いが起こる以前に行われた約束を守っていた(破っていた)ことが原因となって、主人公の立場が大きく変わってしまう。

 例えば、綿谷りさの『インスト―ル』であれば、主人公はネット上の文字のやり取りでは「自分キャラクター化している傾向が強い」ような人は「しょっぱなからH会話をしたら憤慨してしまう」ため、そのような人とはそのような会話をしないように誓うが、結局そのような会話をしてしまい、会話の相手を憤慨させてしまい、窮地に立たされる。④のズレを作るのにも使うことが出来る。

⑦、状況→反応A―状況→反応B

 物語の序盤や中盤に立たされた状況に、物語の終盤で再び立たされる。序盤や中盤で採った行動と異なった行動を、終盤で採る。主人公の成長を表すのに使われる。

 例えば乙一の『しあわせは子猫のかたち』であれば、主人公は物語の序盤と終盤で同じ一人暮らしという状況に立たされるが、序盤では「陽の光は嫌いなのでカ―テンを閉め」たが、同居することになった雪村サキとのふれあいを通じて終盤では自発的に「カ―テンを開き、窓をあけて風を入れ」るようになる。④のズレを作るのに使うことが出来る。

⑧、意味づけ―再現

 ある現象・行為に対して意味づけをし、それが物語終盤で再現される。

 例えば伊坂幸太郎の『陽気なギャングが地球を回す』では、「人生を楽しんでいる人が寄っていくと赤ん坊が泣き止む」と、登場人物たちが冗談で言う。小説の最後で主人公達が銀行強盗に入ったとき、赤ん坊が泣き止む。⑤のタイプのズレを、⑧の伏線タイプに含むことが出来るだろう。

⑨、事象/状況―事象/状況

 物語序盤で現れた事象/状況が物語終盤でリフレインさせることにより、はっと驚かせる。

 伊坂幸太郎の『重力ピエロ』は、最初の行と最後の行が「春が二階から落ちてきた。」となっている。

 伏線は悲壮感の軽減するのとズレを少なくするために使える。

『しあわせは子猫のかたち』であれば主人公の成長により雪村サキが消えた悲壮感が軽減されるし、伊坂幸太郎の『アヒルと鴨のコインロッカー』であれば、ドルジが辛い過去を語った後でレッサーパンダ盗む子供たちが再び表れ、場面が明るい印象になる。

約束意味づけはそれ自体がズレのある状況の理由となるため、ズレた状況の蓋然性が増す。

7、仮想物語

 素晴らしい小説に出会えたとき、人はその後の展開を想像し、読み終わった後も空想の中でふわふわと浮かんでいるような感覚を味わえるものだ。もしかすると、逆をとって、そのような小説は素晴らしい小説だといえるんじゃないだろうか(『逆は必ずしも真ならず』ってのは知ってるけれども)。

想像というのは一般に、確定していないことを想像する場合と、すでに確定した状態についての反実仮想とがある。物語の中での前者の確定していないことを想像する場合は、未だ語られていないこと、たとえば登場人物の未来や知られざる過去などを想像する。後者のすでに確定した状態についての反実仮想は、過去において登場人物がとった行動をもしとらなければ物語がどう展開していたかを想像するというものである。

 物語における想像の主体は読者と登場人物である。読者が自発的に想像する場合と、登場人物がした想像を読者が受け取る場合とがある。

〈自発―未確定〉

〈自発―反実仮想〉

〈受容―未確定〉

〈受容―反実仮想〉

の四つに分けられる。本当は想像を提供するのは登場人物の他にも物語の語り手も含まれるのだが、語り手が読者に意見押し付けるような小説最近の主流ではないのでここでは無視する。

読者が自発的にが想像をするときには、ある程度の制約が必要である。たとえば舞台の上に割り箸が一膳転がっていても漠然としていて想像仕様がないが、舞台袖から現れたコメディアンがそれを拾い上げると、何か芸をするのだと想像ができる。読者が自発的に想像する場合は、制約を使う。物語世界を飛び出して現実世界想像を膨らませる場合もある。

 登場人物の想像を受け取る場合は、制約は必要ない。登場人物が発想したことを、読者が自分の考えとして取り入れたりありえないものとして棄却したりする。すでに読者にとっては確定した内容について、そうとは知らず登場人物が想像を巡らす場合もある。

⑩、〈自発―未確定〉

 このパターンの場合の制約は読者の持つ物語の鋳型である。読者の持っている物語の鋳型と今読んでいる小説の文から与えられた情報から、今後の展開を予想するのだ。想像によって複数の物語が出来上がってワクワクする。

 一般的に読者は、登場人物が道徳とか願望とか義務とか知識とかの欠損を埋めるという物語の鋳型を持つ。登場人物の悪事は罰せられ、道徳の範囲内で主人公の願望は叶えられるように物語は動き、願望を果たす範囲内で義務は遂行され、ミステリーの場合は犯人は誰であるかという知識の欠落が結末までに必ず解決されるものと予想する。

 読書経験によっても物語の鋳型は作られる。連作物の場合、最終回でないにもかかわらず最終的な目的成就されることは無いし、週刊少年ジャンプに載っている漫画の場合、恋愛成就するような展開はなかなかありえないだろうし、花とゆめで連載されている漫画の場合であれば逆に恋愛が絡まない話の方が難しいだろう。

 主人公に選択肢が与えられたときも、選択肢という制約によって想像が発生する。ただ、物語の鋳型によって実現の可能性がないものとみなされ、想像から棄却されるような選択肢はあまり有効ではない。だが、ありえないとみなされる選択肢は反実仮想としての面白さになるため、選択肢が全くないよりは実現の可能性の少ない選択肢でもあったほうが物語の面白さは高い。

⑪、〈自発―反実仮想〉

 過去において提示された選択肢について、もしあの選択肢を選んでいれば主人公は別の状況に立たされていたのに、という想像を読者は巡らす。面白さに及ぼす効果は⑬と似通っている。ただ⑬とは違い、登場人物がそれについて想像言及をしない場合である。

 O・ヘンリの『賢者の贈り物』を見てみよう。デラは髪の毛を売るか売らないかという選択に立たされる。夫が髪飾りを買ってくれるが、デラは髪を売ってしまったため、その髪飾りを使うことができない。過去における選択肢という制約により、髪の毛を切らなかった状況を読者は想像できるのだ。

⑫、〈受容―未確定〉

 登場人物が自分の計画・推測・願望を語り、それが実現するかしないかを読者が想像する。複数の人物が自分の計画・推測・願望を語る場合、それ選択肢の形になり、読者はそのうちの全部か一部を採択するか、どれも採択しないかを選ぶ。⑩の場合との違いは、⑩の場合は読者の能力によって想像の幅が決まるのに対して、⑫の場合であると登場人物の側から想像を提供することである。

 アレックスシアラーの『13ヵ月と13週と13日と満月の夜』の主人公は、友人のメレディスが祖母を虐待しているのではと想像し、読者はそれを信じたり信じなかったりする。

⑬、〈受容―反実仮想〉

 過去において提示された選択肢について、もしあの選択肢を選んでいれば登場人物は別の状況に立たされていたのに、という想像を作中の人物が巡らし、それが読者に採りいれられたり取り入れられなかったりする。

 東野圭吾の『手紙』はこの連続だ。主人公の兄が金を盗み取るという行動を採択したために、主人公はメジャーデビューするバンドボーカルになる機会や逆玉に乗るチャンスを失ってしまう。後々になって、そのことについて主人公の周りの登場人物がそのことについて言及し、現実にならなかった状況を想像する。

⑭、登場人物による誤った想像

 登場人物が事実とは異なる想像をすることで、事実想像のズレを生み出すことが出来る。

 森絵都永遠の出口』では、主人公の母親が主人公の振る舞いについて相談する手紙の内容が、主人公の思惑と全く噛み合わず、面白さを生む。

⑮、現実世界についての想像

 登場人物が死後の世界についてとか、この世の成り立ちとか、この世界が本当はどうなっているかとかについてを説明し、読者はそれが本当かどうかと空想をめぐらせる。死んだあと人間はア―カブイ星に行くとか、この世の最強の動物はクマであるとか、この世界は三年前に一人の少女によって作られたとかの、登場人物による様々なアイディアを、読者は採択したり棄却したり別のアイディアを考えたりして楽しむ。もし現実に、物語の中の状況に自分が立たされたらと想像する読者もいる。

⑩・⑫は先を予想する面白さ、⑪、⑬、⑭、⑮は今読んでいるペ―ジの面白さと言える。

⑩・⑫は、物語の展開によっては「……と予想していたにもかかわらず、本当は……という展開だった」というズレに使える。週刊少年ジャンプギャグマンガの登場人物には普通、まともな恋人ができるわけがない。ラブレターを渡されると思ったら茶封筒に入ったただの手紙だったり、恋人になった人が広末涼子に似たとても可愛らしい女性だと思ったら実際はマウンテンゴリラだったりするのがギャグマンガの常だ。そういった鋳型を破壊したとき、読者の予想を裏切った面白さが生まれる。

森絵都小説の会話が、まさに予想を裏切りによる面白さ(例えば、愛の告白をするのかと思ったら、突然晩御飯のメニューを訊いたりする)を持っていると思うのだが、それはまた別の話。

8、まとめ

 

 以上でまとめた面白さはそれぞれ完全に独立したものではなく、複数にタイプに跨って存在している。どんでん返しはズレの範疇に入るし、反実仮想や登場人物による誤った想像もまたズレに入れられる。不安の解消による面白さは、それが成し遂げられる以前(物語の序盤や中盤)では、解消されるという予想として存在する。だが本稿では、それぞれの面白さを二、三の大きな分類に還元することよりも、思考のツールとして使いやすい程度に細分化することを目指した。

 以上で述べてきた物語の面白さに関するツールが実際に役に立つかや他にどのようなツールがあるのかを検討するべきなのだろうが、あとは知らないです。ここまで読んだ人は、本当にとてつもなくえらい。えらすぎです。

 この書きなぐりの文章を鵜呑みにせずに、否定するべきところは否定して、無視するべきところは無視して(そうすると、この文章に書いたことは何も残らないかもしれない)、自分なりのスタイル確立してください。

ここに書かれていることは正しいことではなくて、僕が話を書く上で寄りかかっている杖に過ぎません。くじいた足を引きずりながら歩いていたら、運よく見つけた棒が、ここに書かれている方法です。それが、折れやすい棒なのか頑丈な棒なのかは、僕自身にもわかっていません。

 「阿呆なことを妄想している暇があるなら原稿千枚書いて来い若造」のような感想を抱く方もいると思います。それは当然のことで、文学者でもない、文学部でもない、当時ただの経済学科生が色々な本を読みながら、自分なりのスタイルを掴むために書いたものです(今現在自分は、これとは少し違う方法で話を書いています)。

 そのような感想を抱くということは、言語化できる根拠があるはずなので、是非、それを文字にしてみんなに見せてください。それが、必ず小説未来に繋がります。

なぜ増田小説概論 (須江岳史)

ブックマーク数がとんでもないことになったため、元増田はうかれている。なので匿名ダイアリーなのに、ペンネームまで書いてしまった。タイトルに大きく、須江岳史、と。しかし、プロ小説家でもない一人のプータロウが書いた文章がこんなにもてはやされることを、すこし疑問にも思っている。ちょっと足を伸ばして図書館に行けば、小説の書き方についての本はいくらでも手に入るはずだ。何かを学び取る目的ではなく、長すぎるからブックマークしておいた、というのなら、納得する。

というかこの論は物語小説ニアリーイコール扱いしていて、小説論としてはちょっと古いというか、語りという小説の大問題がスルーされていて厳しい。

http://d.hatena.ne.jp/CloseToTheWall/20090703/p1

という指摘も当然のことで、普段、一人称小説ばかり書いている自分には、人称とか視点とかいった物語を語る上での問題について取り組む実力は無い。「小説自己表現なんだから、各々が語りたいように語ればよいと思う」のような言葉で、逃げることしか出来ない。

僕の小説の実力がどの程度かは、http://texpo.jp/texpo/disp/16732を読めばわかると思います)

Ⅰ、小説概論

まず話の筋の作り方を考え、次にそれをどのように小説として表現するかを見、最後に小説を書く上での国語的諸注意事項を述べる。

§1、小説とは?

 そもそも小説がどのような構成要素から成り立っているかを考える。


§2、物語られるもの

2.1.1話の筋

 まず、小説だけではなく物語一般の話の筋がどのように出来ているかを考える。

多くの物語は、欠損-充足の形を持つ。多くの物語は主人公に何かが足りない状態から始まり、それが満ち足りた状態で終わる場合が多いということである。

また、満ち足りた状態にたどり着くためには満ち足りた状態になるための行動が必要になる。そして行動をとるためにはその機会が与えられないとならない。

ここまでをまとめると、物語の筋は

欠損 – 機会 - 行動 - 充足

となる。

具体例としては、

少女は城で行われる舞踏会に行き、王子に会いたかった(欠損)。

少女魔女カボチャの馬車を与えられる(機会)。

少女カボチャの馬車で城に行く(行動)。

そして王子に会うことが出来た(充足)。


ただ、物語の面白みのためには、充足が起こらないほうが良いかもしれない。行動の結果が、充足の起こらない失敗に終わり、それが新たな欠損となり次の話の筋を紡ぎだすこともありうる。

よって、物語を構成する基本的な四つの要素は

欠損 - 機会 - 行動 - 結果(充足または失敗)

であるとする。この一連の流れが組み合わさることによって、物語は出来上がる。

具体例としては、

少女は城で行われる舞踏会に行き、王子に会いたかった(欠損)。

少女魔女カボチャの馬車を与えられる(機会)。

少女カボチャの馬車で城に行く(行動)。

そして王子に会うことが出来たが、十二時の鐘がなったので帰宅しなければならない(失敗に終わった結果、新たな欠損)。

王子少女の落し物の靴を持って少女を探す(機会)。

少女は名乗り出て靴をはく(行動)。

王子少女舞踏会で出会った少女であると認識して、二人は結ばれる(充足)。


後味の良し悪しの面から見て、最終的には充足で終わった方が良いように思われる。

また、欠損があって、それを解決する機会を与えられれば物語が始まることがわかる。

また、欠損を細分化したうえで見つかる欠損というのも考えられる。

たとえば、

鬼を退治するためにはお供を仲間にしなければならない。

お供を仲間にするためには黍団子を持っていなければならない。

黍団子を持つためにはおばあさんから黍団子をもらわなければならない。

おばあさんから黍団子をもらうためには黍団子の材料を買ってこなければならない。

というように。

 このようにすれば物語はいくらでも引き伸ばすことが出来る。書くべき物語の分量によって、どの程度まで細分化できる欠損なのかを慎重に選ばなければならない。

 一つの物語で充足される欠損は一つとは限らないし、主人公たちの欠損が充足されるとも限らない。『ロミオとジュリエット』では、主人公たちの恋愛成就しないが、キャピュレット家とモンタギュー家の関係が、対立から和解へと移り変わる。

2.1.2伏線

 物語は、話の筋それ自体で面白いことが最善であるけれども、それが出来ない場合には伏線によって面白さを増幅させるしかない。

 ここでは、仮に伏線には四種類あるとする。

ⅰ)質問―答え

ⅱ)ある現象/行為への意味の付加―行為/現象の再現

ⅲ)行為・現象―行為・現象のリフレイン

ⅳ)思い込み―認知

ⅴ)認知―逆転型の伏線


 それぞれ、順を追って説明する。

ⅰ)質問―答え

 物語冒頭に置かれた質問に、ラストシーンで答えることで感動を増す。

 具体例:どうしてキノはこの汚い世界を旅しているの?(冒頭の質問)

この世界が綺麗だからさ(ラストシーンの答え)

ⅱ)ある現象・行為への意味の付加―行為・現象の再現

 ある現象・行為にはある意味が隠されている、と登場人物が語り、その現象・行為が実際に現れる。

 『アヒルと鴨のコインロッカー』だと、

『「(とにかく面倒だから、神様を閉じ込めて、全部なかったことにしてもらえばいいって。そうすれば、ばれない)」』(70ページ)という免罪の方法を提案して、実際に物語の最後付近でそれを行っている。

 

ⅲ)行為・現象―行為・現象のリフレイン

物語の中で起こった行為・現象が物語の終盤で再現されることにより、面白みが増す。

アヒルと鴨のコインロッカー』だと、

『聞いてるわたしにも、どうやらこの姉弟がレッサーパンダを盗む気らしい、ということはわかった。』(216ページ)

動物園を振り返って、「さっきの子供たち、うまくやり遂げるかな?」と。』(222ページ)

というようなレッサーパンダを盗むという行為があった上で、

『「あれ、レッサーパンダだ」』

『「盗んだんだよ、あの子供たちは」』(339ページ)


ⅳ)思い込み―認知

 間違った方法を目的を得るための方法だと思い込み、それが間違いであったことに気づく。多くの場合、気づくまでに行ってきた行為が主人公に、行為の目的とは反対の結果を持って跳ね返ってくる。

物語の筋が悲劇的に終わっても、ⅰ、ⅱ、ⅲの伏線幸福を含意していると悲劇性を和らげることが出来る。

ⅴ) 認知―逆転型の伏線

 目的達成を阻むものが、あるものだと仮定して行動していたが、その仮定が正しくなかったことに気づくタイプ伏線。多くの場合、気づく前の行動が気づいた後に本来の意味とは反対の意味を持って主人公に跳ね返ってくる。

 認知は、約束―報いの伏線によって引き起こすのが最も容易である。

 主人公の目的を阻むものは四種類ある。カッコの中の左側は存在場所、右側は存在原因を意味する。

 (自己自己)例:主人公の性格の欠陥

自己,他者)例:主人公の抱えるトラウマ

(他者,自己)例:主人公に対して恨みを持っている敵

(他者,他者)例:絶対悪


 敵の仮定が4パターン真実の敵が4パターンあるので、認知型の伏線には全てで16パターンあることになる。

 これは、『あらすじ.com』の三匹のモンスター概念を内包している。

 (自己自己狼男

自己,他者)対応しない

(他者,自己フランケンシュタイン

(他者,他者)ドラキュラ


2.2登場人物
2.2.1行為項モデル

 物語には六種類の登場人物がある。

主体:物語の主人公。欠損を解決する。

送り手:主人公に、欠損を解決する動機を与える者。

援助者:主人公に、欠損を解決する能力を与える者。

受け手:欠損の解決の享受者。

敵対者:主人公の欠損解決行動を阻む者。

目的:主人公が得ようとする目的。主人公が得ていない欠損。


 それぞれ、同一人物が複数の行為項を演じても良いし、ひとつの行為項に複数人が入っても良い。たとえば、送り手と援助者が同一人物であることは大いにありうる。また、それぞれが必ずしも人間である必要もない。

 欠損ごとに行為項モデルは立てられるので、ある場面では敵対者であった存在がある場面では援助者になることもありうる。

 物語に出てくる全ての欠損について、行為項モデルの六つの登場人物を生めることが出来れば、それ以上の登場人物は物語に必要ではない。

 

2.3シチュエーション

 物語の冒頭やクライマックスを盛り上げるためにシチュエーションは使われる。

 面白いシチュエーションとは、即ちギャップである。

 それは場所と行動のギャップであるかもしれないし、それまである登場人物のそれまでの行動とはかけ離れた行動かもしれない。いずれにしろ、「~であるにもかかわらず」という言葉で表される。

 たとえば、「日ごろ温和な性格であるにもかかわらず、暴れ狂う」とか「静粛でいなければならない図書館であるにもかかわらず、暴れ狂う」とか、「たかが100円のアンパンを食べてしまっただけのことであるにもかかわらず、暴れ狂う」とか。

2.4実際に物語を組む

 物語を組む順番として、『欠損-伏線シチュエーション-細分化されていない欠損の話の筋-細分化されていない欠損の行為項モデル-細分化された欠損の話の筋-細分化された欠損の行為項モデル』といった順番で組んでいくのがスマートに行く。なぜならば、欠損がなければ物語は動き出さないし、伏線シチュエーションは話の筋や行為項モデルあとから考えるとそれらに縛られて上手くいかないからである。

①、主人公が向かう目的を定める。

②、主人公が見舞われる危機を定める。または、どのようなギャップがある状況に立たされるかを決める。

③、危機・ギャップが何故起こるのかを決める。(伏線の回収の仕方を決める)

④、危機がどのように回避されるのかを決める。(伏線の回収の仕方を決める)

⑤、伏線が置かれる場所を決める。(下位物語を作る)

⑥、必要ならば、下位物語にも①~⑤を施す。

⑦、物語(下位物語も含む)の適所に、ギャップによる面白みを与える。

⑧、整合性を与える。


 また、どのような魅力的な登場人物・伏線シチュエーションでも物語自然な流れを妨げるなら切り捨てるべきである。

§3、小説技法


3.1場面法

 場面では、人物、場所、時間が描かれる。人物、場所、時間のうちのいずれかが変わったとき、場面が転換されたという。また、場面は一人称であれ三人称であれ場面に登場する一人の人物の視点を通して描かれることが多い。

 場面の特徴として、行為・現象の一回性が挙げられる。場面は、一度しか起こらない行為・現象を場面に登場する人物の感覚を通じて読者に体験させる。

 場面の始まり方として、人物・場所・時間を指し示して始まる場合、登場人物の行動から始まる場合とがある(台詞から始まる場合は、登場人物の行動から始まる場合の特殊例とみなす)が、そのいずれにせよイメージすることが出来るか否かが読解の容易さを決めるので、場面の開始からまもなく人物・場所・時間を明らかにしなければならない。

3.1.1場所・時間

 小説を読む上では情景をイメージしやすいほうが読解が容易であるといわれているので、色彩や位置関係を表す語を使って場所や時間を説明するべきである。

 場所・時間の説明は描写法的だといえるが、その場所・時間におかれたものを登場人物の行動の目的語にすると、スムーズに場面を始められる。

 また、場所・時間は登場人物の心境や状況・未来を暗示する。

3.1.2人物

 何かが起こるたびに、その場面に登場している人物全員の反応を描くべきである。また、その感情は、どのような身体的動作を持って表情として表されたかを描くべきである。なぜならばイメージしやすいほうが読解が容易であるからである。

3.2要約法

 要約法は、登場人物が何度も行った行動や何度も起こった現象を記述する。場面法とは違い、複数の時間や場所をまたがる事が出来る。そのため、時間や場所の離れた場面と場面をつなぐのに要約法は用いられる。

 要約法は場面と場面とをつなぐためにしか存在しない。

3.3描写法

 場面法が動画だとすれば、描写法は静止画である。

 描写法は、場面が行われている空間にあるものを描写する。場面が行われているなか描写がはさまれると、場面の時間を止めることが出来る。

3.4台詞と地の文

 台詞音楽で言えばフォルテ、地の文は音楽で言えばピアノのような効果を持つ。多くの場合、台詞はカッコにくくられる為に強調されるが、台詞続きの中で地の文が出てくると大きな強調効果を持つことがある。たとえば強調すべき台詞をあえてカッコでくくらずに地の文で処理することで大きな強調効果を与えることができる。

 台詞台詞の間の間をつなぐために、地の文をおきたくなることがしばしばある。こういったときのために、場面の情景を刻々と変化させるとか場面の登場人物に場面開始と同時に何か動作をさせる方法がある。

§4、書記言語


 書き手の中で起こった感動が読み手の中でも起こるためには、文が書き手の意図するとおりに伝わらなければならない。誤読を少なくする方法をここでは述べる。誤読を避けるために、修飾語と被修飾語主語と述語は可能な限り近づける必要がある。

4.1主語の位置

4.1.1.ガーデンパス

 「私は走る車に飛び乗る」のような文は、読者が「私は走る」と理解した後で、走っているものは車だと改めて理解する。このような事をなくするために、「走る車に私は飛び乗る」のように主語と述語を近づける必要がある。

4.1.2複文

 主語と述語の対が二個以上あり、どちらかがどちらかの文の成分になっているような文を複文という。

 「私はリンゴを片手で握りつぶす彼はとても握力が強いと思う」というような文は読解が難解である。これも、主語と述語を出来る限り近づけ、「リンゴを片手で握りつぶす彼はとても握力が強いと私は思う」とすると読解が容易になる。また、複文を単文(主語と述語の対が一つである文)に分解し、「彼はリンゴを片手で握りつぶす。彼は握力がとても強いと私は思う」というようにすると、誤読は少なくなる。

4.2修飾の範囲

日本語は上から下に修飾が行われるため、様々な不都合な事が起こる。

4.2.1修飾語と並立

「美しい獣と女」は、美しいのが獣だけなのか、獣と女の両方が美しいのかが判然としてない。美しいのが獣だけである場合は、「女と美しい獣」のように順序を入れ替えるか、「賢い女と美しい獣」のように両方に修飾語を与えてしまう方法がある。

 

4.2.2句・節の修飾

地中海で育った少年からもらったトマト」は、トマト地中海で育ったのか少年地中海で育ったのかはっきりしない。トマト地中海で育ったのであれば、「地中海で育った、少年からもらったトマト」のように読点を打つか、「少年からもらった地中海で育ったトマト」のように順序を入れ替えればよい。ただし後者の場合、地中海少年からもらったように誤読される可能性が無くもない。

4.3誤読の少ない順序

ガーデンパス文や修飾の範囲の判然とない文を作らないために、長い修飾を伴う語を文の始めに持っていく方法がある。

「僕は地中海で育った、青白い肌をした細身の少年から貰ったトマトを食べた」よりは「青白い肌をした細身の少年から貰った、地中海で育ったトマトを僕は食べた」の方が誤読が少ないとされる。

4.4文体

4.4.1速さ

一文の中に含まれる用言形容詞形容動詞動詞)と難読語の量、読者の視線の移動距離に依存して、文章の体感時間は定まるとされている。

たとえば①、「彼が作った美しいサッカーボールを僕は強い力で蹴飛ばす」よりは②、「彼が作った美しいサッカーボール。それを僕は強い力で蹴飛ばす」の法が一文に含まれる用言が少ないために体感速度が短いとされる。③、「ええい、お前は畢竟、俺が死ぬのが怖いだけだ」の『畢竟』が難読語だと見なす人にとっては④、「ええい、お前は結局、俺が死ぬのが怖いだけだ」の方が体感速度は短いかもしれない。また、⑤、「やわらかいネコ」よりは⑥、「柔かい猫」の方が、視線の移動距離が少ないために体感時間が短いとされる。

4.5原稿の使い方

小説の場合、論説文とは違い改行は自由に行える。

 行を改めたときは一段下げる。

「しかしカギカッコで新たな行が始まるときはその限りではないというのが最近の主流である。また、主流では閉じカッコの前では句点は打たない」

 ――また、三点リーダー(…)とダッシュ(―)は二つで一つの扱いをする……。

続き http://anond.hatelabo.jp/20090629224306

2009-06-14

女勝りな少年の顛末

(少女な)少年が媚び合いに強い理由。

それは女の子が妬まれたり妬まれたりして毎日を過ごしている一方で、(少女な)少年はめったに妬まれることがないため(そして女の子男の娘を異常に好むため)、可愛い子ぶる手加減を知ることができないし、限度というものを身につけることもできないことにある。(少女な)男の娘にとってルールもなにもない無法地帯であるから、愛嬌差でそれほどないこともあり、無茶苦茶をやって勝ってしまうのだ。

(これは兄弟のいる子供がどれぐらい親に良い子ぶれば兄弟から疎まれるのか、どれぐらいなおべっかで済むのかを兄弟での関係で学べるのに対し、一人っ子で育てられたような孤独子供が疎まれることがないため誰からも愛され得る訳ではないこと知らず、媚びのルールも学べないのに似ている。)

これを男性女性の性分の違いとして解決することはとても単純でわかりやすいかもしれないが、そうとも言い切れないのは、そんなものを身に着ける経験男の子はもともとすることができない立場にいるからである。

ものの好みがはっきりする以前から「戦い最高」とのたま少年マンガを読み、親の趣味で勝負根性を叩き込まれ、気づいたころにはゲームスポーツがもっとも近くにあるような環境で、処世術や社交性というものを身に着けるのは至難の業だろう。もちろんその後、自分環境にぞっとし、別世界を知っていく男の子もいるだろうが、それにしたって恋愛葛藤成就テーマにした少女時代を生きた女の子より年を留め置いてしまっているはずだ。男の子にも洗顔に命をかける子はいるし、白馬王子(女)様を信じている子もいる。男の子なら誰もがかっこいい登場人物を見て「この人みたいに強くなりたい!敵を倒したい!」などと思うわけではなく、女の子同様「お嫁(婿)さんにして~!」と料理ファッションの道に進む男の子もとても少ないけど少なくないのだ。

「女の乙女心は男にはわからん」という言葉をよく聞くが、それは総じて「女の乙女心を理解できる男性」は自分の夢を持たず、(男女問わず)誰かに愛されていたいと願う我の強い人物であるから、女性にとってみれば近しい存在でしかなく、眼中に入っていないからである。もうそのへんは仕方がない。少女漫画ヒロインが二人いるようなものだ。(極薄の)百合だろ。ふつうに。個性がある以上、少女乙女心みたいなものを理解できるかできないかは男女差というより、個人差でしかない。

愛嬌差がないころ、(少女な)男の娘は手加減を知らずにいるため、女の子との媚び合いに勝ててしまうことがある。そうした(美少女な)少年が年を経て、媚び合いに勝てなくなっていくとき、男(女)の子が自分を練習台にしていたこと、そして自分があまりに無知で、女(男)の子に対し恥じらっていただけな男(女)の子の純情を理解できずにいたことにショックを受けることになる。

そうした自分の未熟さに打ちのめされているころ、押し寄せてくるのは男性というものに自分が当てはまりつつあるのだという事実で、彼らはそうやって第二次性徴期へ突入するのである。

http://d.hatena.ne.jp/m0612/20090514/p1

2009-05-30

親友から告白された

彼女ができました」「魔法使いになれなくなった」とな。

彼とは表ダイアリーで知り合い、近年は某橙のSNSを通じて交流を深めていた。

趣味も合い、ゲームで共闘するなどの日々を過ごし、いつしか親友と呼び合うようになった。

互いの誕生日には趣向(ネタ)を凝らしたプレゼントを贈りあうくらいだ。

で、つい先日、冒頭のメッセージ

「石を投げてくれてもかまわない」「だが親友の君にはどうしても伝えなきゃならない」と続いてた。

私は返した。

「おいおい心外だな、私はそんな狭い奴だと思われていたのか」「親友の喜びは私の喜びだぞ!」

彼はその彼女さんに前々から惚れ込んでいたようで、どうも2回は振られていたらしい。

それが今回の大願成就だ。我がことのように喜ばないわけがない。

早速私は最寄のコンビニに向かい、安いながらも酒を買い、

離れた地にいる親友とその彼女さんに対し、幸多からんことを祈って祝杯をあげた。

酔ってる? いいや、この時点じゃまだ飲んでないから素だね。

「いやあ若いってイイよねえ」と一人ごちてしまったのは、枯れてきた証拠だろうか。彼らとは同い年なのに。

まあ、彼らの関係末永く続くことを祈る。お幸せに。

2009-05-28

目があったのにすぐに視線をそらせてしまった。

彼女いるんだろうな。

それなりにもてるんだろうな。

そんな雰囲気がある。

嫌いではない、たぶん。

好きかどうかはわからない。

でもこうやって視線を自分からそらせてしまうときは成就しない

好かれることはあっても

好きになった人に振り向いてもらえない

2009-05-10

表現規制を阻止するために「児ポ法反日法案だ!!」と騒ぎ立てるべき

また、児童ポルノ法の問題が再燃しているので増田に書き込みます。

例のゲームについて騒いでいる市民団体が「サヨク団体だ!!」と言われているのを聞いて、

思ったのですが、我々反対派は、規制推進派が言う「日本児童ポルノ大国」

などという主張に対し、嘘だと反論しているわけですし、

児童ポルノ法など、表現規制をもくろむ連中は、日本を不当に貶める反日連中だ!!」と言って、

保守派右派を騒ぎ立たせるべきなのではないでしょうか?

というのも、実際に、児童ポルノ法に反対している保守系人間はいるのです。

例えば、保守系運動家カリスマ存在である水間政憲氏のコピペには

児童ポルノ法についても言及されています。

厳守『国益優先順位』 (水間政憲)

2009-01-04 12:17:23

ネット上に蔓延している「反日法」にたいする不安は、確かにそれぞれ国を弱体化させる由由しき問題です。

しかし、津波のように押し寄せてくる「反日国家解体法」に対して、浮き足立ってバラバラに対処していては適の思う壺です。

そこで『日本鎮護』を成就するため、皆様が「反国家解体法」対処順位を認定して、ネットの力を最大限に活かす必要があります。

その第一は、国家主権に直結する反日法阻止です。それには、国籍法外国人参政権・1000万人移民推進阻止を主要ターゲットにして、付随する偽人権擁護法案・ノービザ観光客推進・児童ポルノ法(法律の悪用の防止策)を監視・阻止するために、日常的に国会議員問題点継続して手紙FAX要請することが重要なのです。

国会で審議する前の段階で「反日法」を潰すのがベストです。

現在、緊急を要する問題は、外国人犯罪者第一・二の韓国中国へのノービザ観光推進阻止です。中国観光客の添乗員廃止など言語道断です。観光客の逃亡実態を記載して、外務委員会・国交委員会に所属している国会議員を中心にFAX要請しましょう。

ネットだけ転載フリー

ジャーナリスト水間政憲

水間氏の定義では児童ポルノ法改定は「反日法」の一つに入っています。

国民が知らない反日の実態には、児童ポルノ法改定案についても反日法として言及されています。

人権擁護法案国籍法改定案などの例を見ても、右派が騒いだ法案はかなりの確率で潰れています。

残念ながら規制推進派に議論は通用しません!! そのままでは必ず押し通されてしまいます!!

反日」「国賊」「売国」と保守派を煽ることにより、法案を潰しましょう!!

水間政憲氏を動かすのが非常に効果的です!!

規制反対派には、左派の方も多いので不快に思われる方も多いと思いますが、

右派が「売国」「反日」と騒いだ法案はかなりの確率で潰れています!!

チャーチル首相は、独ソ戦が始まった時に「もしヒトラー地獄を侵略したら、私は悪魔を支持する」と言ったそうです。

つまり、大きな敵を倒すためであれば、別の敵とでも組めということです。

ウヨクだろうとサヨクだろうと、味方になる人は味方にすべきです。

そういう心構えを持たないと、法案は阻止できないのです。

2009-05-07

http://anond.hatelabo.jp/20090507220910

自分は誰からも求められない。求められることはない。」という現実

それ、現実じゃない。実際には、人はデフォルトで他人に多少の興味は持ってる。知り合ってうまくコミュニケーションすればかなり興味を持ってくれる。

ただし、「たいていの場合、自分より自分に関心を持つ人間はいない」。これが現実

この、「そもそもたいていの人は自分自分ほどの興味を持たない」という認識から出発すればむしろ気は楽。

で、それは仕方のないことだけれど、じゃあ、どうすればそういう人たちから関心を持ってもらえるのか、承認してもらえるのかを考えて行動してくのが建設的。

自分以上に自分のことを愛してほしいと願っても、相手が聖人でもない限りまず成就しないので、これを普通の人々に対して熱望するのは破滅への道まっしぐら

2009-05-05

http://anond.hatelabo.jp/20090505202130

相性もタイミングも詳しく言えば、「二人の」相性、「二人のコミュニケーションにおける」タイミングなわけで、「男性には言ってない」なんてなんの反論にもなっていないよ。相性やタイミング恋愛成就する上で男女ともに大事な要素なの。相性が悪ければ付き合っても三日と持たず大喧嘩して別れるかもしれないし、タイミングが悪けりゃベタな話、相手が失恋して元カレ元カノのことを吹っ切れないでいるところで告白して玉砕みたいなダサい結末が待ってる。

2009-03-11

世界は感情で動く」手作り索引

知恵 256

アンカリング効果 129

確実性効果 107

願望的思考 249

基準値の誤り 65

帰属のエラー 167

後悔の理論 350

公表バイアス 330

コンコルドの誤謬 45

自己過剰 245

自己奉仕バイアス 173

集団規範 227

集団思考 213

順序効果 283

小数の法則 72

損失回避性 340

大数の法則 72

代表性 81

注意の焦点化効果 150

バーナム効果 193

ハロー効果 237

ピーク・エンドの法則 33

ヒューリスティクス 18

フォールス・コンセンサス効果 202

フレーミング効果 50

保有効果 311

予言自己成就 25

利用可能性 120

次はつけてよ。

2009-01-07

一般紙に行くであろううBL作家予想

読んでないけど『この漫画がすごい』とかによしながふみとか入ってるわけだし

羽海野チカは昔スラムダンク同人誌やってたし

オノナツメbassoの別名義でBLやってるしNARUTO同人やってたし

ねむたいのに起きていたいという微妙な状況にかまけて

今後一般紙に書きそうなBL作家をあげてみる。

どっかにすでにそんな話題があったらすんません。

あるいはすでに一般紙に書いてたらすいません。

ついでにはてな的に求められてなさそうな内容ですいません。

でもさー、ゴラクとか男性向けエロ漫画誌より漫画として漫画話題として昇んないしさー

おもしろい作品もあるのでちょっときいてくださいよ

もしかしたら「オレはBLの頃から読んでたよ」とかちょっと優位に立てるかもしれませんよおくさん

というわけで本題。

ヤマシタトモコ

スピリッツとかモーニング2の編集の人ははやくこのひとに普通漫画を描かせたらいいとおもう

すでにBLである必要性があんまない。好きにやってんなあとおもいます。

最新刊の『薔薇の瞳は爆弾』とか多芸な感じが良く出てる。

■えすとえむ

エロティクス・エフとかにすでに書いてそうな悪寒

オノナツメ系というか(内容的には真逆と言っても過言じゃないんだけど)、めいんりー外人しか出てなくて非常にスタイリッシュ

個人的には「エイジ・コールドブルー」が一番好きです。ロックっていうかコレたしかこんなバンド実在してたと記憶してんだけど誰だったっけ?

■阿仁谷ユイジ

ていうかエロティクス・エフにすでに描いてた(エロティクス・エフが一般紙かどうかは別として)

表情がエロくてとてもいい。

おすすめは『刺青の男』かなあ。

草間さかえさんとかユキムラさんとか鈴木ツタさんとか寿たらこさんはなんかBL最適化されてしまった感じがある

ユキムラさんは長州ファイブ書いてるけども、どうしても読みたいって情熱はわかないごめん

BLエロ漫画と同じで、その中のすごくおもしろい作品を探すのはちょっと大変というか費用対効果的につらいじゃんみたいな。

んで、じゃあどっから手ぇつけたらいいのよ、っていうと、amazonの評価が賛否両論なのを選んだらいいと思う。

ちょう高評価しかないのは、多分ラブあま胸キュンものなのでなにこれ状態になる可能性が高いようにおもう。

なんかほら、「ブラッドハーレーの馬車」の評価ってバラバラやん。それ思い出してもらえばわかる感じなんだけど。

たとえば蛇龍どくろエンドレスワールド」は1から5までいろいろ。

すっごいおもしろいかどうかは別として(色々と舌足らずなように思うんだ)、この話は作者にとって特別なのだろうと思わせるだけの熱量があんのね。少なくとも私はそう感じた。

ひるがえってヨネダコウ「どうしても触れたくない」

これはすごく高評価なんだけど、やっぱBLとして予定調和なんですよ。アマゾンで評価高かったなって記憶で買ってみたら、すでに買って読み終わってたぐらい記憶に残ってなかった。漫画うまいとおもうんだけど、望まれたものを望まれた感じで書いてあるというか。そういう。ひっかかりがないので、多分BL的なときめきを求めてない人はそんなピンとこないんじゃないか的。

つまり、BL好きにとっての★ってのは、BLとしてどんぐらい安心感があるかってことなんですよ。甘く切ない恋の成就。そこんとこに多くの評価が存在する。

いやまあそれが悪いわけじゃないんだけど(漫画に何を求めるかなんて人それぞれだし、結局のところ娯楽なわけだから眉間に眉寄せながら読む必要なんてないわけで)、もうオチが見えてるのは漫画読みにとっては「あー」って感じになっちゃうとおもうんだ。です。よ。

なんで、★の数がわりと割れてて、熱狂的なコメントがついてるのは読んでみたらいいんじゃないかと思います。

後、東京漫画社マーブルコミックスは昔の快楽天みたいな感じなのでおすすめ。ハズレが少ないです。

じゃあねるわおやすー。

2008-12-27

男は(ほとんどみんな)まずは男に犯されている。もしくは勝手に出てる。

だって、男はまずは自分の手でするし。

自分の初めての射精女性によって成就されたヤツなんて、超マイノリティだよな。

それか、夢精で朝、漏れて(勝手に出て)しまっているか。


そう考えると、女性の初めてよりも、ある意味残酷に男のそれは捨て去れているんだよ。

2008-12-26

http://anond.hatelabo.jp/20081226160604

なーんか、「スペック足切り」が「スペックだけで判断」に恣意的にゆがめられているように見えるんだけどなー。

その場合、「スペックだけで判断」のが条件としては緩くなるんじゃないの。スペック足切りした上で、関係性を考慮して判断、というのは、スペックだけで判断するより明らかにハードル高いよね。それに、そうやって「スペックだけで判断していない」と主張することで、「スペックを通じた恋愛対象の選別」を嫌う人達に納得してもらえるとはあんまり思えない。そもそも問題視している部分が違うように思うんだ。関係性を重視する立場の人間はまず「スペック足切り」って態度自体を嫌悪すると思う。

もちろん、足切りをしない、関係性を重視する立場の人間にも「自分の考える理想の異性像」はあるし、そういう「理想の異性」が手に入ればうれしいな、と思っているのは間違いない。けれど、そういう理想像は絶対のものではないんだよね。本人と異性の間に強い関係性が築かれれば、それに合わせて理想像を切り下げることがごく普通に出来る。

一方、スペックを重視する立場の人間の場合、本人の理想像に合わせて異性をふるい落としてから関係性を築こうとするわけだけど・・・そういう姿勢が、理想(或いは自分の欲望)に対する融通性のなさ、要求の頑なさ、相手を属性で見てから人間扱いすることの差別性、足切りでふるい落とされた人間関係性を育てようとしない偏狭さ(いや、別に恋愛ぐらい偏狭だっていいだろうに、と個人的には思うんだけど)として関係性を重視する人間に受け止められる。要は、彼らが問題視するのは「関係性に目を向けない」ということのみではない、ということ。

そこを誤解したまま「関係性を考えてないわけじゃない」と言い出せば、却って火に油を注ぐことになると思う。問題がそこだけだと思っているんだ、と受け取られれば、欲望・要求の頑なさを一層印象付けてしまいかねない。彼らがスペックで物を見る人間を叩くのには、そういう理由・背景がある、そういう側面がある、ということは意識しておいた方がいいよ。

それにしても、スペック意識せず、お互いの関係性だけを見て恋愛が出来る(あるいはそうやって恋愛成就させた)人達って幸せだな。率直に言って羨ましい。

理想としてはそうあるべきなんだろうなあ。

2008-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20081207223944

東方イベントとかでさ、マナーが悪い悪いと嘆くのは良いんだけどさ、だからって「俺たち優等生が迷惑してる」っていう理屈は変だと思うのよね。メジャーになるってそういうことじゃん。そういうライトユーザーが増えることによる聖域汚染って、税金みたいなもんで避けるのは難しい。

これはうすうす思ってた。別に同人に限らず、マイナーからの脱却を目指して黎明期から活動を続けてきた人間はいざその思いが成就した途端、

フリーライダーライトユーザー存在を予期できなかったかのように嘆く。あれってどういう精神構造しているのかずっとわからないままで居たんだけど同人世界でもあるのねそういうことが。

2008-12-09

二次元三次元の優劣

二次元三次元の優劣を議論し、吹き上がっている人々を時々見かけるが、これはいかがなものか。

古来より「我思う、ゆえに二次あり」という言葉もあるように、思考する事によって二次の良さが成立しているとも言える。また、三次三次でそれはそれはめくるめくように気持ちよかったりもする。大事な事は、二次元であろうと、三次元であろうとどうやって自分の脳を刺激し脳に快感をもたらす物質を発生させる事が出来るかという事である。そのポイントさえ抑えていれば、四次元であろうが五次元であろうが構わない。

『いかにして自分の脳を快感に導けるか』という事を命題として考察した場合、「三次ファンタジーが足りない」「二次は得られる情報が限られている」などと、二次元派、三次元派の双方が揚げ足取りのように罵りあっていても、不毛でしかない。それぞれの派閥は、それぞれの派閥にあった形で、確固たる快感へのプロセスを持っていて、それが自分の脳を最も興奮させうるのである。相手に自分派閥の素晴らしさを伝えようと頭ごなしに罵倒しても、それは相手の態度を硬化させるだけだ。相手の派閥偶像を罵って貶める行為はさらに愚劣であると言える。

ならば、どうすれば良いのか。その答えはシンプルで明確だ。自分がいかにして二次元なり三次元で脳を快感に導いているかという事を訥々と語れば良いのである。まさに太陽と北風作戦だ。北風のように相手を罵倒しても相手は何も聞き入れはしない。「二次の素晴らしさはね、まずはここからこういう感じで入って行くんだよ。ここでこのキャラがこういうシチュエーションでこんな感じになっちゃったら、果たしてどうかな?」と自分快感を導くノウハウを語ってみるのである。相手が「むう。それは!」とでも言おうものならもうほとんど陥落しかかっている。二次元派の布教活動はめでたく成就するわけである。立場が変わって三次元派が二次元派を説得する場合も同様である。

相手をこのように説得できるようになれば、それまで2ch増田『二次厨』と疎まれてきた方も、たちどころに『二次の導師(グル)』とあがめられる事、請け合いである。三次元派の場合も同様である。

ただ、いかんせん向き不向きという物がある。いかに太陽と北風作戦を実行しようとしても、説得すべき相手の脳内が、すでに完成されたダイヤモンドのようにピュア二次元脳であったりすれば、三次元派の説得工作は徒労に終わる場合も多分にして存在する。もう三次元のいかなる刺激でも、一ナノグラム脳内快楽物質が分泌されないのだ。これは訓練や教育でどうなるものでもない。もちろん議論などおこなっても無駄中の無駄である。触れてはいけない世界というのも世の中にはあるものだ。これは、アマゾンの奥地に残る最後の秘境のように、そっとしておこうね。

二次元派、三次元派はそれぞれ説得が行えそうな人々に対し、有意義な説得を行うべきである。説得に応じる人が増えれば、その派閥コンテンツは繁栄していくのである。

2008-11-30

恋は悪質

俺の恋は悪質。ほんっとうにどうにもならないほどに悪質。

何で「絶対に成就しない」相手を好きになるんだろうな。

馬鹿なの?悲劇に浸りたいの?本能でそういう相手を嗅ぎ取って選んじゃってるの?ってぐらいに。

人を好きになったのは10年ぶりだよ、10年ぶり。更にこの恋は、好きとかいうパワーが自分人生をひっくり返してしまうぐらい。すげー、すげーんだよ。自分が変わり過ぎて自分じゃないみたいでむしろ気持ち悪い。まるで、自分に新たな人格が生まれたような気がする。いや、書き換わったのかな。そんくらいポジティブすぎておかしい。自分を取り巻くネガティブ環境はすべて変わっちまった。今までの俺ってなんだったんだよって、全否定してしまう。それでも過去は変わらないから自分自身が書き変わるなんて事はないんだけど、あの日からの未来は光に満ち溢れて、希望しか見えなくて、夢を描いちゃったりなんかして、それはもう恋は盲目の日々だった。

でも、ほんとのところ自分は何も変わってないんだよね。「絶対に成就しない」相手ということを知っちゃった。またかよ、って。そして堕ちた。いや、しょうがねぇんだ、愚痴愚痴

「相手が幸せになってくれる事を願う」って精神状態に 本気で 持っていけるようになるまで、どのくらい時間がかかるんだろうな。今はぜんぜんだめだ。そう思いたいけど、まだ自分勝手な気持ちしか浮かんでこないよ。少し気になる相手、ぐらいだったらすぐに忘れられるのかもしれないけど、10年何も感じてこなかっただけに、恐ろしいまでに気持ちが増幅してしまってるから。

ま、相手の顔も声も覚えてないんだけどさ。だから悪質なのよ、俺は。

2008-11-26

http://anond.hatelabo.jp/20081124003533

>美少女キャラオナニーする奴ってそのキャラ恋愛してる?

するから抜けるんだろ?

こういうのっていちいち大きな声で言うことじゃないよ。

ブクマしている奴は恥知らずというか何と言うか。とはいえ増田ユーザー数からすれば思ったより健常者が多かったようなので一安心。

これが三桁とかだったら日本も末期だ。

つーかさ、風俗とか方法はあるだろ?なんでわざわざストーリーを練って苦労してオナニーする必要があるんだ。アニメが好きってのはわかるが、

アニメキャラでわざわざ抜く理由が本気でわからん。恋愛とかますますわからん。成就することの無い愛を求めるのはアイドルに惚れる女性と似ているかもしれんけど、

アニメキャラはファンの存在認識してねーじゃん。そんなのに恋愛感情どうやって持つんよ。

2008-10-15

http://anond.hatelabo.jp/20081015184850

えーっと、まずは良かったですね。v(。・ω・。)しかもアドバイスが言い方向に効いたみたいで。(私はそのアドバイス主じゃないけど。)

唐突で申し訳ないのですが1カ所だけつっこませて下さい。(そして独りよがり的な意見でもあるのでその点も含め)お許しください。

そこだけを目指すのはおかしくありませんか?

だから、相手の条件が変わっても(ex.失業病気など)一緒にいたいなと思えるだけの

時間を共有する前に結婚という形で枷をつけようとしてくる人は怖いです。

「わたしといたい」ではなく「結婚したい」という方はお断りしています。


まずあなたのおっしゃることはとてもよく分かります。ホントその通り。

でもその上で私はあなたに断られた方(結婚前提で求愛された方)に少々同情してしまいます。ここでは彼らののパーソナリティについては(私に分かるわけもないので)除外してあります。

一般的にある程度年齢がいった男性にとって結婚は、社会や世間に対する一本立ちの宣言的な要素を持っていて、それに呪縛されている男性って少なくないと思います。そのような考え方をしてしまっている事って、責任は全て彼らにあるのでしょうか?

1世代前だと見合い結婚がまだかなりあったと思います。「恋愛」を知らないで結婚している親に育てられた方も大勢いるでしょう。友人と恋愛話をしないような人は「恋愛」に対するイメージはとても貧弱だと思います。(ソースは全部私。)

いい年した独身男性って下手をすれば何か問題があるくらいの視線を浴びせられます。土地柄や職種による差はあるでしょうが肩身が狭い思いだってします。そんな空気の中で社会的に一本立ちしたと認められたい願望ってそんなにいけないことですか。私は至極当然なもののの考え方だと思います。

(ここからは特に思いこみで書くので暴走気味になります。)

あなたに振られた方たちは「あなたといたい」という思いを持ちあわせてはいなかったのでしょうが、持ちたいんです。純粋恋愛できるに越したことはない、できたらどんなに良いかと思っているはずです。でも自分の感情より社会の中での自分の立ち位置(独身者しての自分と、既婚者としての他者・多くはライバル)意識するように刷り込まれちゃっているんです。面子を持っているんです。プライドを。

「あなたといたい」という感覚とは違いますが、「あなたとなら五十年生きていけそうな気がする」とは考えている。(ここは感覚なので理由付けは難しい。)そしてそう考えたからには、あなたとの結婚生活責任を持つ気概や覚悟はあると思います。その前段階として、覚悟を決めるため食事などでいきなり価値観のすりあわせ(自分が妥協できるかできないかの探り的な質問)をするのだと思います。ムードもへったくれもありませんよね。その通りです。

私は現在30前半の独身ですが、親にはよくプレッシャーをかけられ「女なら誰でも良いくらいの気構えでいないと相手なんて見つからない。」といわれます。妥協は大切だといわれるのです。自分の気持ちに素直に生き、自分の感情を大切に恋愛ができるのは羨ましくさえあります。

そうはいっても一方では最近恋愛をふまえないと結婚がしにくいのは事実なんだろうなと感じるようにはなっていきました。でも結婚を真剣に考えている私からすれば、恋愛なんてただのオママゴトだって思いもあります。少なくとも夫婦関係に比べたら恋愛は相手に対し責任ないですから。あと自分の両親が見合いで30年以上仲睦まじくやってきているので、恋愛が必須とも思いません。

もっというと恋愛結婚離婚することだってあります。(こんなはずじゃなかったっていうやつ。)恋愛結婚では、生活をうまく行うために要求される事柄が微妙に違うからでしょう。

繰り返しますがあなたのおっしゃることは間違いだとは思いません。当然あなたが誰と付き合うかはあなたの考えが全てです。

ただ、彼らの感覚を受け入れなくて良いですから、理解してあげて欲しい。少しだけ優しくしてあげて欲しいです。

彼らは、内在するちっちゃいプライドを大切にしたいと考えて行動してしまう、哀れな男たちです。


感情にまかせて書いたのでたぶん支離滅裂、事実誤認もあるでしょう。まとまりも説得力も欠けると思います。ただあなたがあまりにもばっさりと彼らを切り捨てていたので正直悔しかったのです。そしてあなたのように生きられている方が羨ましい。

変なこと書いちゃってすんませんでした。


追伸

あなたの恋の成就をお祈り致します。God bress you!

http://anond.hatelabo.jp/20081009143226増田より

ごめん、間違えたこっち。http://anond.hatelabo.jp/20081011231248増田より

2008-10-10

http://anond.hatelabo.jp/20081010011807

いや印象操作も何も非モテメンタリティがそのままで彼女ができちゃって暴走してるんだろうなって話ですから…

そもそも

とにかく何でもかんでも言って歩いたらしい(彼の男友達から「いやーこんな話聞いたんだけどやめてって言っといた方がいいよ」と忠告されるほど生々しい話。死ぬかと思った)。

これは「恋愛至上主義反対」を裏返しただけなんじゃないかなーたぶん。あるいは俺の彼女ビッチじゃないんだぜ自慢?いやどうなんだろう,わからないけど。まぁここまではなんとか(当事者でなければ)我慢できるし見過ごす範囲内だが。

妙な自信。俺の言うことは何でも正しいお前は間違ってる。

ここら辺の変な自信は「非モテが悪いんじゃない!世間が悪いんだ!」というのが「恋が成就する」という形で証明されてしまったが故の自信かなとか。

少しでも否定されたら「じゃぁ別れる!」そのくせわかれそうになると泣いてすがる。

これは「一瞬でも嫌だと思われたら相手に申し訳ないから/そんな関係は維持できないから求めない」という弱気非モテメンタリティ。だけど自信の源は捨てたくない。まぁ別れ話になると取り乱すのは非モテ関係ないですけどね。

とにかく女の子と接触を持ちたがる。

これはよくわからんが上の証明されたが故の自信なのか,恋愛至上主義反対というのがくるっと180度回転してしまっただけなのか微妙だがとりあえず位相が変化しただけであって根本的には非モテのまま。浮気もここら辺かな。

男性と話していると激しく怒る。

これは自信がないからだろうね。非モテ関係ないかも。

http://anond.hatelabo.jp/20081010003240

自分の周りにも彼女ができた途端に周りの女に説教するようになった人がいる。あとやたらと触ってきたりとか。

たぶんこれはどちらかというと喪男の方だと思うが一部の理屈っぽい非モテもとにかく女性を攻撃するタイプというのがいるのだが,彼女ができたことにより気になって気になってしょうがなかった恋愛世界で発言できる!と思ってしまったがために暴走して周囲の女性をばかにしつつ説教をするという行動に出ているのかなぁとか。触るのは俺が触っても許される,か,女なんか男よりも劣ってるんだから触ったって構わない(←この思考回路はよくわからない)と思っているか,あたりかな…

http://anond.hatelabo.jp/20081010002525

恋人ができた人には誰でも起こりうる症状じゃないの?

浮かれるのは誰でもするが,すべての人が上のようにはならない。久しぶりでも初めてでもちゃんと相手を見て,多少暴走したとしても相手を悲しませるようなことはしないひとはちゃんといる。たくさんいる。

もっかい言う。誰にでも起こりうる症状じゃねぇ。

http://anond.hatelabo.jp/20081010001434

まぁ本人に言えばいいのはわかってるんですけど接触を持ちたくないんですよね…男性にそれとなく言ってもらうべきなのか。でも聞かない気がするんだよなぁ。今最強モードに入ってるんだろうと思います。一回くらい彼女ケンカしたりとかしたら落ち着くかな。だといいなぁ。

追記:

うーん読み返してみたら元彼の怨嗟が残っているなぁ。すいません。偏見持ってごめんね。

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