それ、現実じゃない。実際には、人はデフォルトで他人に多少の興味は持ってる。知り合ってうまくコミュニケーションすればかなり興味を持ってくれる。
ただし、「たいていの場合、自分より自分に関心を持つ人間はいない」。これが現実。
この、「そもそもたいていの人は自分に自分ほどの興味を持たない」という認識から出発すればむしろ気は楽。
で、それは仕方のないことだけれど、じゃあ、どうすればそういう人たちから関心を持ってもらえるのか、承認してもらえるのかを考えて行動してくのが建設的。
自分以上に自分のことを愛してほしいと願っても、相手が聖人でもない限りまず成就しないので、これを普通の人々に対して熱望するのは破滅への道まっしぐら。
みんなどうやって「自分は誰からも求められない。求められることはない。」という現実を受け入れているんだ? 本当に不思議だ。一体全体どうすればそれを受け入れられるんだろうか...
「自分は誰からも求められない。求められることはない。」という現実 それ、現実じゃない。実際には、人はデフォルトで他人に多少の興味は持ってる。知り合ってうまくコミュニケ...
「何も求められない」ということは「ここから去ることを求められる」ことすらないということだ 拒絶されないならそれで構わない
それなりの経験と時間で受け入れられるようになるよ。 逆に現状打開をするならそれを受け入れられないうちにしなきゃダメ。
おそらくは、自分で自分を肯定することしかないんじゃないだろうか http://anond.hatelabo.jp/20090412165321 てっとりばやい自己肯定の方法は、なんであれなにかを為すことだ。
逆に誰かに求められることの方が面倒くさくないか? 何も求められないというのは実に気楽だと思うのだよ
誰かに必要とされるなんて鬱陶しいだけじゃないか? 仕事も趣味も自分のためだけで問題ない。 無理して何でも共有することはないよ。
人はみな、「誰からも求められない。求められることはない。」と思っている、っていう読み方は、間違いでいいんだよね。 「自分は誰からも求められない。求められることはない。」...