はてなキーワード: 十人十色とは
これは
http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/notepc/1201337407/
のスレで640(ID:QDXck5iVとID:nujV4pbz)の中の人が偉そうに語った割りに
用語の使い方とか間違えてて知ったか発揮しちゃったので、
もう一度出直してなるべく多くの人に正確に伝えようと努力してるだけのエントリーだから
あんまり気にしないでね(^^)ゞ
基本的には、
よっぽどXPに思い入れがあるとか、XPじゃなきゃ動かんソフト若しくは周辺機器を使ってるとか、
一時的にベンチスコアを上げたいから徹底的にチューニングしたいだとか、自分の技術的興味でOSを載せ変えたいだとか、
つまりはそういう特殊な目的以外ではこのマシンは実はXPに向いてなかったりする。
という主張。
ノートPCという、汎用性の高い機械を使って、日常生活の様々な場面で使い倒したいUMPCという使命を帯びたパソコンなので、「快適性」という言葉一つとっても十人十色なわけで、要はOSひとつ選ぶにしても人それぞれなので十把一絡げにXPを反対はしないんだけど、俺の提案するこういう用途ではもしかしたらデフォルトOSのVistaをチューンしたほうが良いのではない?っていうお話。
特に「Vista 高速化」とキーワード検索したら未だに「Aeroオフで快適に」としか書かれていないノウハウがトップに上がるくらい、VistaというOSは勘違いされてる部分も多いので、
これくらいハード構成や使う用途、それこそ個人の好みや印象による評価が分かれるOSも珍しいので、
もしかしたらVistaというOSを理解してないまま、ただ速度が向上するという目的のみでXP化してるSH、SRユーザーも多いかもしれない。
XP化の恩恵は、苦労したぶんだけ大きいかもしれないが、本当にあなたの使い方でVistaを切るのは良い選択肢ですか?
ここであえて今一度再考を促してみたい。
「基本的にPCというのは何かを目的として操作するものであって、その操作をする前段階であるOSでいろいろ工夫をするべきではない」という考え方に全面的に賛成してるので、
「慣れ」の問題もあってXPが慣れているのならば、その体感的な操作性はXPのほうが上だと思う。ここに異論は無い。
ただし、この貧弱安物ノートにこそVistaの恩恵を受けるハード構成が隠されていて、ある特定の目的で使うとかXPのほうが慣れてるからXP化するとか単純にVistaを切り捨てられないほどの「日常的な安定した使い心地」を提供できるこのマシンにおいてVistaを安易に切るのは少々勿体無い。
あなたがもしVistaとXPの特性の違いを理解したうえで、XPを選択するぶんにはそれも非常にいい選択肢だと認めるが、よくわからず何となくVistaが重くてXPは軽いからと思ってVistaを切るのであれば(つなたい不勉強もので用語の使い方などは異論の残すところですが)この記事を読んで再考する価値はあると思う。
と、ここまでが長すぎる前置きなんだが、長くなったのはご勘弁。
基本的なスタンスとしてはXP化のほうが良好なベンチスコアをたたき出したり、慣れなどの点で体感的に便利かつ有利に働く事に異論は無いが、一般に一元的に語られるほどこのマシンがVistaに向いてないことも無いよ、って事。
VistaのOS特性まで触れるわけではないが、このマシン(当方SH8)ではCPUの処理能力の低さに足を引っ張られることが多い。
デフォルトで入っているIE7なんて、一回一回のHTMLレンダリングの描画にCPUはMAX振り切るし、ここにGoogleツールバーでもインストールしていようものなら、新しくウインドウが開くたびにいちいち引っかかる。
ブラウザのHTMLレンダリングと、普段のデスクトップのウインドウのレンダリングを一緒にしてる時点で、この話しは実は間違いなんだけど、要はこのマシンが遅いと感じられる原因は、ほぼCPUの貧弱さによるものだと思ってまず間違いが無い。
ではこのマシンを体感的に快適に使おうと様々な工夫をするわけだが、その方向でXP化するのはもしかしたら間違いなのではないかとも思うという提案なのだ。
いちいちHTMLをレンダリングする程度でCPUがMAX振り切るなら、それ以外の描画処理はできるだけCPUに仕事させないほうが、結果的に良い。
極論を言わせて貰えば、このマシンはCPUが貧弱なので、CPUに処理させないと仕方ないところは置いといて、それ以外は出来るだけ他の機械に処理を分散させたほうが良い。
かといって他の機械も処理能力が高いかと言えばそうでもないのだが、全体的に処理能力の低い安物貧弱ノートの代表格ともいえるこのマシンだけに、矢張り低い処理能力なら低い処理能力なりに、処理をそれぞれの専門ハードで分散させたほうが有利ではある。
そしてこのマシンは、いちおうではあるとはいえ、画面の描画はブラフィックボードという専門の機械に任せられるだけの性能はある(にはある)ので、ウインドウなどのPCつかってて基本的に必要な画面の描写はいちいちCPUで計算させて書くよりは描画専門の機械に任せたほうがCPUの仕事は楽になる、という理屈はご理解いただけるだろうか。
そこでOSの違いになるのだが、実はXPはこの「描画は描画専門機械に任せられるのであれば任せる」っていう機能に対応していなくて、XPではウインドウの描画までCPUが計算するほか無い。
ウインドウの中身を描画するのにCPUがついていってないのに、ウインドウそのものまで描画しているのがXPなのだ。
そこらへんが、このマシンでVistaを使うにあたっては、それぞれ処理は良い様に分散されている。
「グラボにまで負荷がかかっている」という言葉も間違いではないが、それと同時に「ただでさえ遅いCPUだけに負荷をかけている(多少は他の機械にも負荷をかけてCPUの処理だけは減らしているVistaとは正反対で処理を行っている)」というのも間違いではない。
つまりは設定によってはVistaはこのマシンではいろんな機械に負荷をかけつつも一つの機械(CPU)だけに頼る処理はしない、ということになる。
これを善しとするかしないかは、結局は使う人の好みでしかない。
これには色々な要素が絡むので(今まで話してきたことでさえ複雑なのに)一概には言えないが、
あえて極論で区切るとすれば
基本設計の違いに他ならない。
その他にも、広く誤解されているVistaのWDDM機能をあえて切ってしまってシンプルなユーザーインターフェースにしたつもりが、貧弱なCPUに引っ張られてかえって遅くなっているとか、逆にVistaのWDDMを過信しすぎてただでさえ貧弱な描画専用機械のリソ??スに手に負えない視覚効果もオンにしてしまっているとか、XPへの操作性やチューニングの慣れだとか、そのXPの慣れをそのままVistaに適用してしまってて間違ったチューニングをVistaに施してしまってるだとか、理由を挙げればきりが無いが、とにかく考え方の違いに他ならない。
確かにXPは(発売当時では)このUMPCでもハイスペックだと感じるほどに快適である。
この程度のマシン構成でもハイスペックだと思えるほど、軽いOSではある。そこに異論は全く無い。
逆に言うとそれくらい古いOSである事は否めないので、せっかくVistaが走るマシン構成でもあるという恩恵は
「ただXPのほうが速い」だけで捨てるのは勿体無くもある。
例えば一般的なウイルススキャンソフトがバックグラウンドでスキャンしつつ、(動画エンコードなど)よっぽどこのマシンの身の丈に余りある処理をこなしてない限り、普段のアプリの立ち上げや切り替えの操作においてはVistaのほうが軍配が上がる。
また、シャットダウンからの立ち上げにはXPのほうが速い気もするが、そのかわりXPではスリープや休止状態からの復帰に失敗することがVistaよりも多い(Vistaも完全と言うわけではない)。
このへんも好みに分かれるところではあるが、XPもVistaもスタンバイから何ヶ月も再起動なしでも運用に耐えるOSである以上、スタンバイや休止状態に多少なりとも信頼性のあるOSのほうが、サスペンドからの復帰をとってもVistaのほうが(多少だが)有利であることもなくはない。
蛇足すぎではあるが、ウイルススキャンが勝手に実行した環境下での
この貧弱ノートでVistaで毎度立ち上げてて鍛えられたSuperFetch環境下でのVistaで
PhotoShopCS3を立ち上げた時、起動時間や操作性、その他体感的な快適さはVistaのほうがよかったという個人的感想も添えておく。
具体的な数値が出せてなくて申し訳ない。
せっかくなのでこのマシンの理想的Vista設定方法などは是非機会があればお披露目してみたい。
せっかく買ったこのスーパー貧弱でも何だか頼もしく感じるアホノートで、
http://anond.hatelabo.jp/20071130211658
増田はただ出力の仕方を知らないだけじゃないかと思う。
いろんなものを見たり聞いたりしたとき、
増田の中ではいろいろな感情や考えが渦巻いているはずなのに、
自分でそれを「つまらないこと」と見過ごしてしまっているのかもしれない。
人は十人十色。
最初はうまく表現できなくて伝わらなくても、
少しずつ出力に慣れていけば大きく変わるんじゃないかな。
僕は仕事柄いろんな人にインタビューをするんだけど、話の上手い人は本当に上手い。
適確な質問を少し投げかけるだけで済んでしまう。
でもそれは、やっぱり思考と出力を繰り返してきてる人だからなんだと思うよ。
自分の考えをまとめて話すことができない人は多い。
話があっちこっちに行っちゃったりして。
でも、バラバラな話でもこちら側でまとめていくとちゃんとその人の芯が見えてくる。
ちゃんとあるんだ。
中には、ちっとも話してくれない人もいる。
たぶん人と話すのが苦手か、何か立派なことを言わないといけないって思いこんでるみたい。
だから、時間はかかるけど少しずつ緊張をほぐして、質問を具体的にして、
焦点を絞り込んでいくと、つたないながらもいろいろ話をしてくれる。
話は上手くないけれど、ちゃんと芯は見えてくるよ。
書くときに自分自身にインタビューをしてみたらどうだろう?
たとえば、料理を食べたとする。
おいしかった。
じゃあ、どこがおいしかったのか考えてみる。
なぜおいしかったのか考えてみる。
肉がやわらかかった?ごはんがサフランライスだった?あるいは懐かしい辛さだった?
ここ!
たとえばの話で申し訳ないけれど、懐かしい辛さだったとしたら、
なぜ懐かしいか考えてみて欲しい。
昔母が作ってくれたカレーの辛さに似ていたとか、とある旅先で食べたカレーの辛さに似ていたとか、好きな子とのデートで食べたカレーの辛さに似ていたとか。
表現するときに大切なのは「なぜ自分がそう感じたのか」を考えること。
それを繰り返していくと自分の趣味嗜好や考え方が客観的に見えてくるかもしれないよ。
そうすれば、表現もしやすいし、論理も組み立てやすくなると思う。
自分の感情の動きを見逃さないようにすること。
これちょっと試してみて。
増田はあなたを含めて11人いるわけですから、あなたに対して言いたいことは十人十色です
ゆえに最初から読み直してみてくださいといったのであり、まとめようとするあなたは乱暴だと言いたいのです
隣人の語ること、行うこと、考えることを気にかけないもの。アウレリウス
[権内][権外][分限自覚][エピクテートス]意志の力でどうにもならない物事
[アドラー][心理学][マズロー][欲求5段階説][反証可能性]
世の中のすべてから愛されようといった、虫のよいことは考えず、異端を恐れずに進む。
この道をいけばどうなるものか・・・迷わず行けよ 行けばわかるさ 一休さん - 名言から学ぶ幸せのヒント
この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。
踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。
迷わず行けよ。
行けばわかるさ。
どの港に入るのか分からなければ、どの風も追い風にはならない。
コミュニケーションにおける最大の問題は、それが達成されたという幻想である。
The greatest problem in communication is the illusion that it has been accomplished.
George Bernard Shaw
コミュニケーションにおける最大の問題はそれが達成されたという幻想
[アローの不可能性定理][民主主義][じゃんけん][trade-off]
イソップ物語3-「こな屋とロバ」「ウサギとカメ」「けんかした牛」「ひつじかいの少年」
何物かを選ぶことは、他の一切を捨てることである。チェスタートン
[ホトトギス][不如帰][時鳥][織田信長][豊臣秀吉][徳川家康][上司]
[権内][権外][分限自覚][エピクテートス]意志の力でどうにもならない物事
なぜ怒鳴りつけたのでしょうか? - reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定)
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「君にそんなことができるはずはないよ」とあなたに言ったのは誰ですか?その人は、あなたの限界を定める資格を持つほど、大きな成功を収めたというのでしょうか?ナポレオン
私も入ったころ「この人本当にいいひとだなぁー」っておもっていた所にしばらくして
http://www.geocities.co.jp/Bookend/9563/Aesop/reader_Aesop10.txt
粉屋とかれの息子が、となりまちのいちで、ロバを売るためにロバを曳いていった。
歩き出してからすぐ、彼らは、井戸端会議をしている女将さんたちに出合った。
「ほらみてごらん。」一人が叫んだ。
「あの人たちときたら、ロバに乗らずに、とぼとぼ歩いているよ。みんなはあんなのを見たことがあるかい?」
粉屋はこれを聞くと、すぐさま息子をロバに乗せた。そうして、自分はその脇をさも楽し気に歩き続けた。
それからまたしばらく行くと、老人たちが熱心に議論しているところへやってきた。
「あれを見なさい。」その中の一人が言った。
「ほら、わしの言うとおりじゃろう。近頃では、年寄りにどんな敬意が払われているのだ? 年老いた父親が歩いていると言うのに、怠け者の息子はロバに乗っておる。やくざな若者よ、下りるのだ! そして、年老いた父親を休ませてやりなさい。」
こうして、父親は息子をロバから下ろすと、自分がロバにまたがった。
こうして歩いていると、またすぐに、彼らは母親と子供たちの一団に出くわした。
「あんたときたら、なんて、いけずな年寄りなんだい。」数人が粉屋を非難した。
「可哀想に小さな息子は、あんたの脇を、やっとの思いでついて行っているというのに、よく自分はロバに乗って、平気でいられるね。」
気のよい粉屋は、すぐさま息子を自分の後ろに乗せた。こうして、彼らは町の入口にさしかかった。
「おお、正直な我が友よ!」ある市民が言った。「これはあなたがたのロバですか?」
「その通りですよ。」年老いた父親がこう答えた。
「本当ですか? あんたがた二人がロバに乗っているのでは、誰もそうとは思わないですよ。」男はそう言うと更に続けた。
「ロバに乗るよりも、自分たちでロバを運んだ方がよいのに、なぜそうしないんですか?」
こうして、粉屋は息子と共にロバから下りると、ロバの脚を束ねた。
そして棒を使って肩に担ぐと、町の入口の橋までロバを運んでいった。
この様子を見ようと人だかりができ、人々は笑い転げた。
ロバはうるさいのが嫌いなのに、その上、へんてこりんな扱いを受けたので、縛っている縄を破ろうと、棒を揺さぶった。そして川に落ちてしまった。
苦い思いをして、恥ずかしくなった粉屋は、家に引き返すしかなかった。
こうして粉屋が得たものは、全てを喜ばせようとすることは、結局誰も喜ばせないことであり、そのうえロバまで失うということであった。
これからは、どんなに非難されようが、ほめられようが、人があれこれ言おうが言うまいが、俺は俺の考えに従う。
ラ・フォンテーヌ
そんな言葉抱きしめながら
だけど最後の答えは一人で見つけるのね
人間は一生、他人の心などわかるはずもない。MASTERキートン
本当の幸せは内側からもたらされる。 誰もあなたを幸せにすることは
マナーは国や民族、文化、時代、宗教のさまざまな習慣によって、形式が異なる。
ある国では美徳とされている事が、他の国では不快に思われることもある。
例えば日本ではげっぷをすれば不快に思われるが、アラブ諸国では食後にげっぷをするのが礼儀とされている、など。
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう
自分自身に正直である事は何と困難な事だろう。他人に正直である方が
はてなブックマーク - My Life Between Silicon Valley and Japan - スルー力(りょく)の重要性
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どんな馬鹿でも、あらを探したり、難癖をつけたり、苦情を言ったりできる・・・
そしてたいていの馬鹿がそれをやる。
人間は考えることが少なければ少ないほど余計にしゃべる。
しつけとは、他人のことをどれほど考えていないかを隠すことである。
http://anond.hatelabo.jp/20150921000522
http://anond.hatelabo.jp/20130306084251
自分もまあ間違いなく世間一般からすればメンヘラに分類されるであろう時期があった人間だが、そんなんそれこそ十人十色だべしゃ。神経症、境界例、鬱病、統合失調症あたりをひとくくりにしても傾向なんて読めるわけねえし。とあるメンヘラAさんと、別のメンヘラBさんの違いが非メンヘラCさんとメンヘラAさんとの違いよりはるかに大きいなんて場合も腐るほどある。
神経症なんかだとうつ症状が出てる奴はけっこう多いけど、それ即ちうつ病ということではない。
自身メンヘラだというのにメンヘラを軽蔑してるような奴とかメンヘラこそ人間らしい人間だとか言う奴とか、根本的にメンヘルを理解してねーやつとか。
メンヘラのことをメンヘラ自身に語らせると、たいていその人自身のことをメンヘラに普遍的な特徴であるかのように答える。僕のメンヘラ像だって、自分自身のそれだ。