はてなキーワード: 厚労省とは
あまりにも過激な人がいるのは置いといて、嫌煙者として喫煙者に分かって欲しいのは
こんな感じ。
ども、元増田です。
ブクマの数にびっくりしました。一応言っておきますが、エイプリルフールのネタじゃありません。その他ランダムに補足します。ここに書いても本文しか読まれないみたいですが。
疑似科学って言うか、別に効けばなんでもいいんでこだわっていません。ただ、低血糖症は日本ではまだ保険適用の症状になっていませんが、一応英語でhypoglycemiaをググると2,790,000件出てきますので。
このサイトの写真の女性の様子は低血糖症をよくあらわしていると思います。
あと、マクロビって言葉を出しただけでなんで信者だって思われるかな。肉食べてんのに。
低血糖症は糖尿病の人がなる低血糖とは別です。あれは本当にその時に砂糖を食べないと死んでしまいます。親族にインスリン注射をしている糖尿病患者がいてそうなったのを何度か見ました。そのせいで糖代謝系を疑ったというのもあります。
アメリカでしばらく仕事をしていた時に、アジア人は昼飯を食べると寝てしまうという共通の特徴を見つけたこともありますし、アメリカ育ちでない一時的に来ているアジア人のほうが鬱屈しているなとも思いました。それはやっぱ糖代謝の関係なのかなぁと考えています。
僕の体質の話もあるので、この通りにやればなんでもOKなんて思っていませんし、たまたま当たってつらいのがなくなったら嬉しいです。あそこに書いた通りだとビタミンやミネラルが不足するかなとも思うので、海藻系をたくさん食べるともっといいかもしれません。僕はランニングをやっていたので改善が早かったのかもしれません。医者のガイドでは3か月くらかけてとあったし、ウォーキングのような軽い運動と組み合わせるのも必須みたいです。
あの食生活は個人的には全然つらくないです。小食なのはすぐ慣れるし、足りなくてもすぐ食べれるからです。だから気軽にどうですか?のノリだったんですが、意外なところが反響を呼んでしまったみたいです。
ちなみに、朝がつらい人が簡単に試すとしたら、一度寝る前にSoyJoyか無糖のヨーグルトを食べてみたらいいかもしれません。それで朝が楽になるならずっとそれでもいいし、それから医者で調べてもいいでしょう。昼を少しだけ軽くして3時に卵かなんかを食べてみて、それで夕方が楽になるならそれでもいいでしょうし。僕は指摘されているみたいに症状が極端だったので、改善も極端なんでしょうか。いっぺん休日の朝に何も食べないでいきなり砂糖を大匙いっぱい食べてみてどうなるか試してみたい誘惑に駆られます。今日は昼食のサラダドレッシングを油断して食べてしまって、3時までふらふらでした。
繰り返しますが、普通の医者じゃ認知度がとても低いので、検査を受けるなら紹介はしませんが5時間糖負荷試験で探して行ってください。ちなみに、日本の医者は厚労省に甘やかされてまったく勉強しないから、保険適用の流れ作業しかできない人が多すぎると思います。ドラマのERを10年以上見ていますが、アメリカはあのレベルが普通なのかとうらやましいです。ドイツにいた人に聞いても同じ感想でした。
幸せのくだりはちょっと誤解を招くような表現かなと反省しています。20年来のつらさはほぼなくなったけど、他の日常のつらいことなんかがなくなるなんて思っていません。ただ、ベースが楽になったので、それなりにつらいことがあってもつぶれないくらいにはなれたかなというのがあります。何もしていない時がつらい、から、何もしていなくても楽しい、に変わったのは大きいです。
もともと十分アクティブじゃんという指摘については、むしろつらいから昔からエキセントリックな方向に行く傾向があって、それでなんとかやってきていた、というのはあります。でも常に無理をしていたのでますますつらかったです。
妻に関しては、僕の人生で一番ラッキーなことだと思っています。心理的に健康で情が深い人に出会えたのは幸運以外の何物でもありません。彼女のおかげで僕のイライラは僕の中が原因なんだとわかって調べる気になれました。本当に感謝です。
「今年も前年度割れじゃないか!」
深夜の霞ヶ関に怒号が響く。厚労省児童家庭局少子化対策企画室室長である山崎は、先ほど部下が持ってきた1枚の資料を見るや否や、ビル全体に響き渡るような声で叫んだ。
彼の手に渡った資料は、平成20年度の婚姻件数。速報値とは言え、2002年に第一次稼働が始まった住基ネットのおかげで、年度明けである4月1日には相当信頼度の高い数値がはじき出される。昨年度に引き続き、またしても80万件を切る数値だ。
「このデータを明日、大臣の下に報告しなければ成らないのは…俺なんだぞ…」
急に萎んだ風船のように勢いを無くした山崎は、力なくうつむきながら呟いた。
少子化対策室と名の付くとおり、彼らの部署は少子化対策が主である。しかしながら、子供というのは結婚ありきであり、そもそもとして婚姻件数を上げないことには、子供の数が増えるわけもなく、実質、結婚対策企画室となりつつあるのが昨今の情勢だ。
「加藤、お前が企画した例の件…そろそろ効果が見えてもいいんじゃないか」
急に矛先を向けられた加藤は「あ…いや…その…」と曖昧に答える事しかできなかった。一時でも空白を空ける事を恐れた加藤は「2006年ですから…まだ、あと1年ほどはかかるのではないかと…」続けて言った。その回答が最も、山崎が忌み嫌う言葉であることを知らずに。
「その台詞は、去年も聞いたぞ!」再度の怒号が響く。
「加藤…お前いったよな…『今の若者は小説なんて読まない。ケータイですよ』って」
恐ろしく安っぽいプロットに非現実的なストーリーをいれることで、恋愛をヘリウムガスの様に扱い、結果として婚姻率を上げる…という、ケータイ小説と同じくらい軽い企画だった。はっきり言って、小説というのもおこがましい、起承転結すらないような内容であった。
ここまで内容を軽くした訳として、2001年に企画した小説の失敗がある。
若くして白血病にかかった彼女をオーストラリアに連れて行こうとする内容の小説は、普段、本を読まない層に対して売り込む為に、無駄に文字を大きく、無駄に紙を厚くした。本来であれば100ページにもならないであろう内容を、無理矢理単行本サイズに仕上げ、長い小説を読み切った感動を恋愛に向かう情熱に変換することで、一気に婚姻率を上げる…という作戦だった。
しかしながら、その結果は、主人公がどこか田舎の空港で「助けてください!」のシーンのみ若者の印象に残り、学校や飲み屋で使われるだけだった。
年金や健康保険や失業保険の実務を抱え込み、莫大な人員と資産を持ち、天下り先を抱え込んでいるから、大きすぎるのである。
細かく分割しても、見た目が小さくなるだけでやっている事は変わらないとなれば、時間の無駄でしかない。そもそも、厚生省と労働省をまとめたのは、人民の生産力を高め、維持する為の施政を一元化する為であり、政府の企業に対する指導力を発揮させる為である。しかし、実際には、年金の支払い原資不足や、雇用の消滅といった問題に対し指導力どころではない状態にある。
厚労大臣を火中の栗と評するのは、政治献金の出し手である企業に対し、労働者=有権者の立場を主張していかなければならないポストだからである。年金や健康保険の問題は納税預金のような払い出し書が無ければ引き出せない口座を使って積み立て、残高を常に明示する方法によって解決可能であり、解決方法が存在する問題では火中の栗にはならない。
ハローワークにしても、年金事務所にしても、労働基準監督所にしても、個別の敷地を持ち、自前の建物を持ち、現地採用の人員を抱え込んでいる。郵政省以上に無駄が多い組織である事は自明である。
厚労省が抱え込んでいる実務を全て統合するというのは、一番ぬるい処分である。民間や地方自治体に引き渡し、実務関係の人員を減らしていくというのが本筋である。省庁の序列において、国家予算に占める割合が重要度であり、抱える人員や利権が多ければ多いほど、省庁の序列を上げられるという間違った考えが暴走した結果の一つが、今の厚労省の姿である。
他にも、国土交通省関連の陸運局や河川局や道路局土木事務所とか、輸入小麦や輸入豚肉の国内産業保護の為の価格維持制度が、関税ではないからという理由で農水省の収入となっている等、探せばいくらでも合理化のネタは出てくる。
そもそも「民主党」自体が最初から選択肢に入ってないんだよ。カレーを食おうかハンバーグを食おうかって時に犬の糞を候補に入れる奴はいないだろ?
とにかく選べる中から最初に「こいつは論外だな」というのを真っ先に消去していったら、そしたら自民しか残らなかった。特に外交・国防関係は自民一択という情けない有様だし。
残った以上はとにかく彼らが掲げてる景気対策をさっさとやってもらわないと何も先に進まない。中小企業支援策や住宅ローン減税延長や、派遣社員を正社員にすると一人当たり100万円のご祝儀が厚労省から採用企業に出たりとか、高速道路料金の値下げと限定定額化とか、今すぐにでも始めて欲しいよ。それを妨害し続けてる野党は今すぐ首括って死ねと思う。妨害すればするほど相対的に自分たちの支持が集まる事を自覚しているあたりなお一層腹が立つしな。
とにかく「出来る立場にある人間が今すぐ景気対策をやってくれ」というのが俺の自民支持のスタンス。解散総選挙を挟んだらそれが軽く2、3ヶ月は遅れるうえに、経済以外の分野が論外な政党が政権獲得までされたりしたらたまったもんじゃない。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn/20090210/20090210-00000076-nnn-pol.html
民主党・小沢代表は10日午後、日本テレビの番組「NEWS リアルタイム」に生出演し、景気について、麻生首相の言う「全治3年」ではなく、来年中に回復軌道に乗せると強調した。
いくらなんでも出来るわきゃねーだろと思うわ。震源地のアメリカじゃあ、名のある経済誌までもが「合衆国が今後10年以内に複数の国家に分裂する可能性」を割と真面目に論じている状況なのに、残り2年で軌道に乗るとは思えん。麻生の「全治3年」も結構怪しいが、それに対抗して聞えの良い言葉を並べてるだけにしか見えんよ。代償としての消費税増税に(増税は絶対にしませんとテケトーな空手形出しときゃいいのに)わざわざ言及した麻生の方がよっぽど有権者に対して真摯に見える。
↑を書いた増田だが(信じる信じないは任せる)。なんか最近になって急に取り上げられてたので2年越しの補注。
http://metalsty.seesaa.net/article/113651104.html
『いや、私は河豚の肝を食べるなとは言わない。そういう食習慣を持った地方があっても良いとは思うが、それを得意げにブログに書く神経が不見識だと思う。』
2007年頃には既に大量に「どこそこで肝喰えたぜ!」って書いてるブログがあって
「おいちょっと待て! そんなにおおっぴらになって厚労省から指示が出たりして大分県の各保健所がガチでフグの肝を取り締まりだしたらどうするんだ! っていうか合法ってのは全くのデマだし!」
と考えたのが件の記事を書いた動機。だから文中ソースは大分県庁HP(pref.oita.lg.jp配下)に絞って
「お前等現状はあくまで違法なのが目こぼしされてるだけって認識しろ」
と喧伝したかったわけだ。ただ、強い調子で書いちゃうと
「違法のフグ肝出す厨店舗うZeeeeeeeeeeee!! 潰そうぜこいつらwww」
「カワハギの肝と区別がつくのか?」
「まあ、ソープみたいなもんよ」
ってやや婉曲に落としたわけ。や、実際にカワハギ(乃至他の魚)の肝出してる店もあるらしいですけど。
だから
『これはいくらなんでもひどいだろう、と思って厚生労働省にメールで問い合わせたんですが、5日経っても返信が来ません。黙殺か?』
まとめると、
ということで。このへんが肝喰う客としての節度だと思うんだ。
んで、余談ですが、何で大分県の各保健所が自主的に取り締まらないかって、そのへんもソープみたいなもんさね。
自分でふぐの肝喰いに行っててその店潰すような真似、なかなか出来ませんわな。ましておおむね安全(なノウハウが確立してるのもFAQにソース示してある)で摘発しなくても実害がなく、どこでもやっていて、しかも摘発したらふぐの名店が軒並み全て廃業する羽目になるとしたら。
ていうか「ふぐ肝の提供は違法」って明記した条例の検討過程で「肝喰えなくなるの? 罰されるの? マジで?」(大意)みたいなことがおおっぴらに行政サイドで審議されてて吹いた(現実には条例とか言う以前にどのみち食品衛生法上「黒い」)。(結論は「や、条例で司法罰があるわけじゃないですが食品衛生法上の行政処分として営業停止はありますよ?」(大意))
http://www.pref.oita.jp/13900/suishin/kakuho/kengi/h17/1/giji.pdf(の11~13ページあたり)
http://anond.hatelabo.jp/20090125003432
低用量ピルが認可されなかった時代が長すぎて、ピルに対する誤解が広まっちゃってるからじゃないのかな?
「そんなの飲んでまでヤりたいの?」
「性欲強いんだね」
「風俗で働いてるの?」
こんな事を聞いてくる人が未だに存在する。
避妊目的じゃなく、生理不順やPMS改善、不妊治療目的で服用している人はいっぱいいるのにね。
心配される副作用にしても、1相性から3相性まであるピルの中から自分に合ったタイプを選択することで
ほとんどの人は軽減することができる。
まあどうしても合わない人はいるけどね。これはしょうがない。
1960年にアメリカでピルが登場し、1990年に製薬会社が認可申請してから実際に認可されるまで
日本では実に10年もの歳月が必要だった。
その間、婦人科で診察をうけた上で処方されるには副作用も大きい中用量ピルしかなかった。
世界では既にスタンダードである超低用量ピルは未だに認可されていない。
安全性が世界中で認められ、ホルモン含有量も低い超低用量ピルが認可されないのは何故?
バイアグラなんかあっという間に認可されたのに。
性感染症の蔓延を防ぐ思惑があるのかもしれないけど、それなら婦人科検診の敷居を低くするほうが有効じゃないのかな?
定期的に婦人科の検診を受けている女性は、他の先進国と比べて日本はとても低いよね。
そういえば、モーニングアフターピルも日本では正式には認められていないんだっけ。
ミフェプリストンの認可は夢のまた夢でしょうね。
非正規雇用:雇い止め、失職8万5000人 先月から2.8倍〓〓厚労省調査
http://mainichi.jp/hokkaido/seikei/news/20081227ddr001020002000c.html
「2157人が住まいを失い、5万人については住居の状況が把握できていない」
これを読んではっきりわかった。これは「災害」だ。
大地震がおきたと考えるとわかりやすい。
理不尽な力に振り回されて、真冬に寝るところもなく投げ出される人たち。
被災者が分散されていて被害が目に見えにくいだけで、これは公共施設への避難が必要な「災害」。
そう考えると、なんでいまだに募金活動が行われていないのか不思議に思えてきた。
やってたら募金するよ、俺。自分も貧乏だけど、死ぬほどではないし。
どこかでやってないのかな。
「時事ドットコム:6.6%で最低賃金違反=全国一斉監督で−厚労省」によると、1234事業所が最低賃金を守らない違反があり、女性や外国人労働者など、立場の弱い労働者が不当に低い賃金で働いていたらしい。
最低賃金の趣旨が健康で文化的な最低限度の生活を保障することにあるならば、最低賃金以下での労働は人間らしい生活を保障しない労働、つまり奴隷的労働とみなすことができるだろう。最低賃金以下での労働に従事している人は事実上人身の自由はない人、奴隷とみなすことができるだろう。
日本では、人身の自由は厳格に達成されなければならない国家原理である。それを意図的に違反する行為は国家反逆行為であり、違反者に適用されるべき法律は内乱罪(量刑は死刑又は無期懲役)であるべきだ。ゆえに、最低賃金法違反者は死刑に処すべきである。
とまあ、無茶苦茶な論理を書いてみた。というのも、最低賃金法違反の罰則が「罰金の上限額30万円」ではあんまりにも軽いのではないかと思ったから。罰則が軽いから、経営者は注意を払わなかったり、そもそも知らなかったりするんじゃないのかな。
世間を騒がせている内定取り消しですが、
実際のところ、実体としてどの程度のインパクトがあるのかよくわかりません。
これは多いの少ないの?
平成19年度の大卒内定者は37万1千人、これに短大などなど合わせると合計で約70万人
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/05/h0516-1.html
年度が違いますが、うち300人といえばたったの0.04%です
該当者には運が悪かったね、と言い切れそうな個別案件で
わざわざ国が動かなくてはいかないレベルなのか疑問です
というわけで、客観的にデータを整理してあるところがあれば知りたい
・内定取り消し数の推移は?昨年やおととし、10年前の状態は?
だれか知りませんか?
はてな匿名ダイアリーに、「厚労省殺傷事件で人を殺す以外にこの国に政府に訴える方法は存在しないと思った。 」という一文が投稿されている。私はこれを読んで、これは書いたものでなくして、書かれたものであろう、と判ずる。その書いた、書かれたと記すのが意味するのは、その文章の筆者が、自ら物事を見て捉えたところから、自ら何かをすることを考えて、・・・その考察は同時に、自らことを為すならば、その時に自らがそこに従っているところの価値観や道徳観に枠づけられるものであり、言い換えて、自らする考察とは、そのようにして見出させるものしか、その人に見出さないものであるが、・・・さて、そうした思い巡らしの中で形成された、自らの思いを述べたものではない、ということである。
書かれたものである、という性格付けだけを特に言えば、例えばその文章の場合、佐藤優などを代表に、テロによる世直しへの期待が高まっていると騒いで、この国の《ジャーナリズム》が広めているところの、人々の思いと推定的に措定しているものに、この文書の筆者が身寄せして、あたかもその〈思い〉を有する一人であるが如くに構えてしたものであるように、自分がそう考えているのでなくして、人々がこう考えているとされているものを、独白的に記しつけることを、書かれたものであると私は言う。こういう文章の効果は、筆者が何かに就いてした観察や経験より得られるものより、その人がその人自らの意識として形成されたものを述べたものであるならば、その観察と考察の妥当性が検討されるのに対し、独白的であることで、その〈思い〉を持つ人が居るか居ないかが、まず検討の必要がなくなり、次にその表白に示された判断や意図やは、適切に導き出されものかどうかの批判を免れたところにポジションを取らせてくれる、というところにある。
この事実としての検討と、様々な見地よりされる妥当性の批判とを、あらためて喚起させない利点によって生ずるもの、あるいは、その利点そのものの別の姿であるのは、読み手は、その〈思い〉を直接に受け取るならば生ずるはずの共感か同情の反応をして、そこに言われていることに向き合わねばならなくなる。そうなると、例えば、これこれの境遇や状態であるから、また、それらに加えて、その中でこんな強い感情を自分は抱かされているから、このように自分は行動する、と述べられたとき、その彼の行動そのものの是非を検討することは、境遇や状態への同情をいくらか欠けた眼差しであり、彼が抱いている感情への同情が何かしら不十分なものである、と言われることになる。
そうして、我々は、これはしょうがないとか、已むを得ないものだとか、そうした物言いを口にする。これが了解的なもの以上に引き上げられると、人はそうしたものである、との判断や理解へと位置づけられることになる。だが、この人間理解に行き着いたところで、そこに指摘すべき欠陥は、そう行動していること自体の是非が何ら解明されていないままである、ということである。また、もっと深刻な欠落は、ある行動をして正しいものであらしめるところに従ってしか行動出来ない人間というものを、その人間理解は見出していない、ということである。我々に取って、そのように見出される人間を捉えてあることは、極めて重要であり、極めて意義深いものであり、また、極めて必要なものである。なんとなれば、そのようにして理解されている人間というものこそ、その人一人をして、自らがどんなものであるかを知らしめるものであり、その自らがその中の一員であるところの社会がどんなものであるかを見て取らせるのであり、更に、そのような人々よりなるものにとって、妥当であり、適切な、また必要な政治がどんなものであるかを見出させるからである。
もし、人はそうしたものである、との理解を、先の欠陥や欠落を見極めずして抱くならば、そこからの思い巡らしが、我々それぞれには、それぞれにとって可能なあり方、社会には可能な社会、そして政治に於いては実現させるべき政治へと進んだとして、何も得させることは無い。そして、この得させるところのなき人間理解は、数多くの《書かれた》文章によって、これまで積み重ねられ、補強され、流布させられて、その結果我々の抱くところとなって来た。そしてもし、その人間理解が薄れたならば、それを再認させるし、またもし、ことがあればそれを思い起こさせて、そのことを捉えさせる方向付けとなるよう強調されてきた。
そして、私は、先の匿名ダイアリーの文章は、今回の事件に際して、そのような働きをするように《書かれた》文章である、と思うのである。それは、その文章の筆者が望む望まないに係わらず、生じてくる働きである。上で述べて来たところより、その働きが生ずる理由、また、その働きが生じさせるものを言うならば、まず前者に向かうに、次のように問うて見よう。その筆者は自らが、今回の事件の、あの最も暴力的な行為を、自ら是するものであるかどうか、自らにどれだけしっかりと問うているであろうか。ここで問われるべきは、どんな境遇や状態ならば、という前提条件の問題ではない。この禍々しい行い自体の是非である。私は、その筆者は、それをあまり問わなかったと思う。もしきちんと自らに問うて、しかもその答えを明らかにした上で、あれを書いたというのならば、途中を飛ばして突き詰めていってみれば、彼は、人を殺すことは正しいことであり、また彼は、人を殺すなという道徳律に服していないと自分を見出している人である、ということになろう。
そして、このことをきちんと自らに問わずして、漠然な踏まえどころとしたのが、自分以外の人は、これこれの境遇や扱いにあれば、こんな行動をするという、皮相な人間理解であり、この無反省に抱かれている浅薄な人間像よりして言えそうなことを、あたかも独白的に、自らの思いと構え立てて書き記したことで、人間そのものはもとより、社会のありよう、政治のあるべき姿を見出さないところに、人々を向かわせる働きをすることになっているのである。そうして、その働きのもたらすものは、浅薄な人間理解に人々を留まらしめることであり、まずは包括的に言って、こうだからしょうがないとか、已むを得ないとか、そうしたところへの同情や共感によって、行為自体の是非を明らかにさせずにおくこととなり、次には、この事件、ならびにそれにつき論評されているところに即して言えば、人々が現在置かれている境遇と待遇とに抱いている不満からして、こういう行動を起こすのは已むを得ないものである、人とはそういうものである、という〈どうしようもない〉人間理解である。
このどうしようもないとは、どうしようもなく浅薄で、どうしようもなく蔑視的な人間理解というつもりである。また、このどうしようもなさは、人々の多くをして、こういう行動は已むを得ないと、その人々自らがそう行動することを、自らに了解していく筋道を与えるよりは、それよりもむしろ、多くの人々をして、人間とはこういう不満を持つと、こんな行動をしてしまうような、どうしようないものである、という眼差しを持たしめるものだ、ということを言う。すなわち、私は、あの文章は、世直しにはこんなことが必要だ、と人々が自ら考えることを促すよりは、また、そのように人々の多くが考えている事実を示しているものであるよりは、むしろ、多くの人々をして、我々の社会には、こんな不満からこんな行動をする奴らが数多く居る、という意識を持たしめるものだ、と思うのである。そして、多数の人々が、多数の人々をして、そう看做すという、この様こそ、最もどうしようもないところである。
そして、そのどうしようもなさに呆れる思いとなるところを強調すれば、こんな程度の人間理解よりして、政治の為すべきところが見出され、社会に於いて為す所のものが告げられ、そして、多くの人々が、それら政府の施策と社会での態度とを、もっとも至極なものだと了解していく、という点である。しかも、このように受け入れられていくところでは、人々をかくも浅薄に見下げて捉えていて、またそのような捉え方が正しいと人々が簡単に同意していることによって、その地位と役割を確固としたものにしているところの、この国の政府の政治的意志を決定し、その意志に基づく社会を作り出そうとする人々に、これまで通りの、またこれまでと同程度の、いやむしろ、それ以上のかもしれない、活躍の場所を用意し、活躍の意義の根拠を与え、また、活躍の必要性のロジックを強力にするであろう。
そうして、ここより言えば、匿名ダイアリーの《書かれた》文章は、よりはっきりと私の感ずるところを明記してしまえば、まさに今述べた活動を支え、裏打ちし、それを否定されなくするよう、その意義と必要性を人々に了解させるために《書かれた》ものである。筆者の真意が如何なるものかにかかわらず、このような効果しか持ちえない仕方で、《書かれた》ものである。いくらか、これを敷衍するに記せば、まずその題からして「・・・存在しないと(ボクは)思った」と読まれるようであっても、正しくは、「・・・存在しないと《人々は思っている》」と読むべきものであり、読み手がその文章より抱くものは、そう思うのも已むを得ない、であって、その主語はさしあたって、あの事件の犯人が、という形でのようであるけれども、正しくは、その文章の書き手がそう思うことは、というものですらも全然無くして、筆者以外の、また読み手以外の、どこかの誰かはそう思うであろう、というものである。つまり、多くの人々はそういうどうしようもない存在なのだ、という人間理解を抱かせる内容であり、そうした人間理解をこの文章を通じて、人々に再確認させているし、再形成させるものである。
その形成の効果あるところを、更に、細かく見るならば、文中、「・・・すれば、殺したくもなる人も出ると思う。」、「誰かを殺せば変わる・・・そう思い続けている人もいると思う。」、「・・・誰か殺そうという人も出るだろう。」という箇所よりして、これらすべてが、第三者に関して、こうであろうとするところであり、それは筆者の人間理解、いや《庶民》像を示して居る。これらの特徴から、この文章全体は、その筆者が考えるところの庶民(人々)に関する理解の地平で、(この庶民理解は、また別に、「人が死ぬということほど絶大なメッセージ表現方法を庶民は持っていない。」という記述より取り出せるものがある。)その記述が為されていると言えるものであって、またこのような記述よりして、当然に読者の持つものは、人々はそうしたものである、との理解でしかない。その人々とは、勿論、読者自身を除いた、読者自身以外の第三者のことであり、そう思っている人々がどこかに居る、居てもおかしくない、という意識を、多数の人が自分以外の多数の人に関して有するようにさせるものである。
その多数の第三者の持つ《思い》を、筆者が決して持つものでないことは、「誰かを殺せば変わると本気で思っていた。それは政治家になって日本を変えるよりもずっと手っ取り早いと思っていた。今ではそれは危険な思想だと思うけれど、そう思い続けている人もいると思う。」とあるところで、自分はそんな考えを持つものでないと記していることに確認出来る。そして、ここよりして、この文章は、自分が決して持たないものをして、人々の思っていることとしてと記して、なおかつ、どこか自分の思いでもあるかのようにすることによって、あたかもインターネットの中にいるとされる《テロ》へ賛同者の一事例であるかのように書くことで、まるでジャーナリストが喜ぶであろうように《書かれた》、とんでもないものであると評せねばならない。また、そのような意義付けで十分である。
・・・つけたりに。文中で一度は、「危険な思想」との認識を示していながら、最後に、「絶大なメッセージ表現方法」という評価付けを与えるのは、まことに矛盾したものである。この相反する捉え方が混在している原因を、真面目に考えれば、筆者に於いてその両者が、共にそれ自体で十分に考察されていない、ということであろう。しかし、自分の取らない「危険な」ものと、自分以外の庶民には「絶大な」ものという風に、両者の帰属先が異なることからして、あまり真面目に理由を見つける必要はないであろう。で、不真面目に解すれば、自分を外したところで、人々に向かっては、絶大なメッセージになるよと勧めている訳で、まことに不真面目な提案である。しかも、それは、上に述べたような、多数の人々が自分以外の多数の人々に関して持つ意識の中で、「危険なもの」という性格付けを帯びることにもなっているのである。(id:kenkido)
「厚生労働行政の在り方に関する懇談会」の座長の、トヨタ相談役の奥田碩という人物が厚労省叩きに文句を言ったということが物議を醸しているようだ。大メーカが傲慢なのは今に始まったことではないが、トヨタが厚労省を擁護する理由が追及されてないのが不思議である。
成人病が問題なのは昔から変わらないが、メタボに関する最近の盛り上がりは異常である。「太り気味」程度を「病気」と認定することにより得する連中が煽っているのであろう。
メタボ対策組織を沢山作れば天下り先が増えるから厚労省がメタボを煽るのは理解できる。またトヨタのようなメーカにとって、病気が長引くメタボな連中の医療費を少しでも負担するのは嫌にきまっているから、1000万人のメタボ認定者をフィルタして、医療費のかからない奴だけ雇えれば嬉しいだろう。「国民健康増進法」によれば健康は国民の「義務」らしいので、不健康なメタボ人間を非国民認定して雇用対象外にするのは何も問題無いことになってしまう。
メタボの調査や対策はすべて疑うべし。叩くべきところは叩くべし!
現代の豊田商事事件が起こったと思った。
元厚労事務次官は「行政官として恨みをかったとしたら本当に気の毒なことだ。理由はわからないけど、年金絡みのテロだとしたら、正常とは思えない許し難い行為だ」と話した。
ってコメントされてるけど、この人たちは「月数万の年金くらいで、人を殺す奴は異常」というコメントに見えなくも無い気がします。庶民からすれば、長い人生の半分を費やして積み立てたカネを勝手に消されたり、天引きされたりすれば、殺したくもなる人も出ると思う。年金の額によっては、後期高齢者医療保険を天引きされたら生活できない賃貸住まいの単身世帯の老人もいると思う。
お金持ちになればなるほど、人生におけるお金の価値が小さくなり、貧乏になればなるほど、人生におけるお金の価値が絶大的に大きくなる。上記のコメントは前者の意見であり、この事件は後者の意見なのかもしれない。
お金持ちほど「世の中お金じゃない」と言い、高学歴な人ほど「学歴は大事じゃない」と言うのと同じだ。
フランスなど、革命が大好きなヨーロッパなどで、これくらいの大きなカネの問題が発生したら、暴動が起こって、もっと人が死ぬと思う。だから、ヨーロッパの福祉は充実しているという意見がある。
日本の政治家は人が死ぬと動きが早い。
豊田商事事件の後にペーパー商法から消費者を保護する法律ができた。秋葉原殺傷事件の数ヵ月後に、日雇い派遣が全面禁止された。校門圧死事件のあとから、日本の校則が次第にゆるくなり、さかきばら事件のあと「生きる力」とか「ゆとり教育」とか言い出した。東大生が「自分の性器から白い液体が出る」と遺書を残して自殺したため、日本の性教育は発達した。
高校生のとき、日本を変えるにはセンセーショナルな発言を残して、誰かを殺せば変わると本気で思っていた。それは政治家になって日本を変えるよりもずっと手っ取り早いと思っていた。今ではそれは危険な思想だと思うけれど、そう思い続けている人もいると思う。
今回の事件と年金問題とは関係ないといい続ける政府関係者の意見に「そんなわけないだろ」とつっこむ人も多いだろう。模倣犯を恐れた各社マスコミの意見にインフォメーションコントロールを感じる。
暴力で訴えることは許されないとコメントがあった。しかし、人が死ぬということほど絶大なメッセージ表現方法を庶民は持っていない。
街頭でオバさん集団がデモをしてもなにも変わらない国なら、誰か殺そうという人も出るだろう。
やっぱり「話せば分かる」「問答無用」的なやりとりはあったのかなーと例の事件を報じる記事を眺めていたら元次官の人が思い思いの表現で呼ばれていることに気付いた。
最後の2つは英語にするとカッコいいだろう!的発想を感じないでもない
もしくはプロと呼ぶに値するのはこの人くらいしかいなかったという遠回しな官僚disだろうか
「神殺し」って言ってみたら脳の中二病野がすごく活性化しました
本当に仏になっちゃったー!ってマギー審司がやってるところを連想させられてイラッ
次にどんなのがくるか考えてみる
各社の記事に一覧性を与えて面白い二つ名の存在に気づかせてくれたぐぐるニュース先生こそ黒幕
11/20 木 11:28 加筆修正
私も個人的なことでいうと、腹立っているんですよ。
テレビもそうだけど、特にネットがですね、朝から晩まで、名前言うとまずいから言わないけど、2、3の掲示板やソーシャルブックマークで、偽装派遣の話とか来年の大量解雇に関する問題についてわんわんやっている。
報復でもしてやろうか。
正直言って、ああいうサイトには出さないですよ。特に大企業は。皆さんネットを見て分かる通り、ああいうサイトに出てくるスポンサーは大きな会社じゃない。いわゆるエロとかマルチ。流れとしてはそういうのがある
asahi.com(朝日新聞社):トヨタ奥田氏「厚労省たたきは異常。マスコミに報復も」 - 社会
http://www.asahi.com/national/update/1112/TKY200811120346.html
とりあえずよく行く現場に入ってる他の派遣業者に引き取ってもらえることになった。スケジュール的には今までほど自由がきかなくなるけど、全く新しい派遣会社に登録しても、ただでさえ日雇い派遣の発注が減ってる現状、そうそう仕事が回ってくるとは思えないし。背に腹は代えられない。
日雇い派遣の現場は高齢化が進んでいる。若い子ほどパートタイム的に利用してるだけだったり、さっさと就職決めて去っていく。フルタイムで働いてるのは30代以上が多い。40~50代も普通にいる。あの人たちどうするんだろう。不思議と現場に危機感はない。「1か月の長い休みだあ」とか言って笑ってたけど、そんなに貯えあるとも思えないんだけどな。
最近フルキャストは2か月連続16日以上勤務すると、社会保険加入が義務付けられ月給制に移行するシステムを導入した。だけど、勤務日数を抑えて月給制回避って人が多い。なんでか聞いたら日払いじゃないと食ってけないからだって。あと、目の前の出費が増えるのがやだとか、今までごまかしてた税金過去にさかのぼって補足されたくないとか。一見労働者保護に見える制度が結果的に出勤日数を減らして収入減につながるという罠。複数の派遣会社に登録して自衛する人もいるけど、同じ派遣会社で働き続けるメリット手放すことになるし(内勤とコミュニケーション取れると優先的により適した仕事を回してもらいやすいとか、1か月何日以上出勤で特別手当とか)。
日雇い派遣廃止を見越して発注自体減って仕事にあぶれる事も多いし、ここ数ヶ月景気の悪い話ばっかりだ。
今回摘発された違反は1年以上前のもの。しかも(フルキャスト側の言い分を信じれば)事業停止期間中の契約に関する書類制作上のミスであって、フルキャストで働いてるワープアに不利益をもたらすものではない。いきなり1~2ヵ月失業状態に追い込まれた現場の人間からすればむしろ有難い話だったわけで。日雇い派遣禁止をアピールするための「国策捜査」みたいなもんじゃないのか。厚労省空気嫁。いくらなんでも無理筋すぎるだろ。
マスコミはずっと日雇い派遣で働いてる人はそんな就労形態望んでなくて、やむを得ずその環境に追い込まれたと報じ続けてきた。それがここ1週間ほど毎日日経等で「日雇い派遣を重宝していた人もいたのに・・・」的な報道が出始めてる。だったら最初からそう報道してくれよ。おかげで大手2トップは撤退、日雇い派遣自体一部例外を除いて違法化の流れは決定的じゃないか。その流れを加速させる報道をさんざんしておいて何を今更。
俺の周りで「日雇い派遣廃止すべき」なんて言ってる人見たことない。本業が別にある人、就活中の人、ただ流されてる人、色々だけど、「日雇い派遣っていう選択肢がなくなるのは迷惑」という点ではほぼ一致している。なのに、なにかある度に報道される現場の声は「日雇い派遣廃止歓迎」ばかり。廃止の是非そのものは議論の余地があるしそれはここでは措く。ただ、明らかに事実に反する「現場の声」が報道され続けてきたのはどういう事か。
個人的には自分が今日雇い派遣なのは国とか財界のせいではなくて自業自得だと思ってる。だから貧乏を誰かのせいにする気もない。ただ今の自分に最適な就労形態を気安く奪ってくれるなよって話。代わりの選択肢用意してくれるの?ほんとにワープア救済目的なの?秋葉原加藤の影響とか、日雇い派遣労働者の所得捕捉とかが本音じゃないのか(税金ごまかしたり失業保険もらいながらこっそり働いてるとかは結構ある)。 ピンハネ率上限設定と開示義務付けでいいじゃん。その辺不信感が強すぎる。「おまえらほっといたら将来生活保護受給者じゃん。就労形態選択する自由なんてないから。禁治産者扱いだから」って事ならそう言ってくれた方がスッキリする。とりあえず次の選挙自民党には入れない。日雇い派遣廃止の民主社民も無し。となると入れるところがない。
共産党支持の声は聞いたことないな。蟹工船って誰が読んでるんだろう。
昔フルキャストが登録スタッフの容姿をデーターベース化して問題になったけど、あれ、そんなに非難されるようなことかな。
この業界、想像を絶して薄汚いおっさんとかザラにいる。寝癖不精ヒゲで現れる、メガネのつるが折れててセロテープで補修してる、カッターシャツの下にフルキャストTシャツ(背中に社名が大書してある)着てるから文字が透けて見えてる、先方にタメ口etc。茶髪長髪禁止の現場とか、スーツ着て勤務時間中の1部上場企業のオフィスに入る仕事とかもあるんだから、そういう人を撥ねるのは業務上不可欠。この件を告発した労組の拠点になってた関連会社を閉鎖して労組潰ししたのは論外だけど、容姿データーベース化自体はそんなに問題か?
http://japan.cnet.com/blog/mugendai/2008/08/21/entry_27013091/
雨宮:フルキャストで働く人には登録カードをつくる必要があるんですが、なんとその登録カードがサラ金(フルキャストファイナンス)のカードにもなっている(笑)。これは果たして合法なのかと思ってしまうほど、恐ろしいシステムです。しかも、フルキャストで働くと、日払いの給与明細の裏にフルキャストファイナンスの広告が入っていて、「いつでもお気軽に」みたいなコピーが踊っている(笑)。なぜこういうのが野放しになっていて規制されないのか不思議です。
まず登録カードって俺は持ってないし存在自体初めて聞いたんだけど、今ぐぐったら2005年の秋から導入されたらしい。俺はそれ以前に登録したから支給されてないんだな。
んで日払いの給与明細の裏は白紙だ。広告なんて入ってない。ただ、管理票というのがあって、手帳サイズの2枚重ねの紙に労働者の名前や勤務日、勤務先、勤務時間、遅刻早退の有無や残業時間を書いて先方のサインをもらい、一枚は先方が保管、もう一枚は労働者が給料をもらう時提出するシステムになっている。その管理票の裏に「昔は」フルキャストファイナンスの広告が載ってた。でも今は載ってない。「作業内容は事前に聞いてたのと同じだったか」「指揮命令者は事前に聞いてた人と同じだったか」「危険と思われる仕事や派遣禁止業務と思われる業務はなかったか」「その他意見等あればお聞かせ下さい」というアンケート欄になってる。いつ変わったかは覚えてないけど、数ヶ月以上前なのは確か。少なくともこの本が出版された2008年7月時点ではもうなかったはず。対談が行われた時点では微妙だが。でもこの本読んだ人は今でもそのままだと思ってるだろう。少しずつだけど、改善はされていっている。
1年前の事業停止時に指摘された港湾・建設現場への労働者派遣。労働者保護の観点から許しがたい、的な報道が多かったけど。あれってヤクザ排除のための制度の名残りだよ。今は実質的意味はない。港湾での仕事なんて特別危険なわけじゃないし。
日雇い派遣をめぐる言説には、この手の正確とは言えない情報が散見される。「フルキャストに搾取されてる」はずの俺でさえ、首を傾げることがしばしばだ。
フルキャストは基本的にろくでもない会社だ。ピンハネしすぎだし。昔は労災とか知らんぷりだったし(最近は現場でケガしたら必ず申告しろって言われる)。いまだに業務停止や日雇い派遣撤退についてろくな説明もないし。
でも「中の人」(=内勤とか営業とか)は普通の人間だし、こっちが頑張って多少無茶な要求(夜11時に電話かかってきて明日朝6時集合の現場に行ってくれとか)に応えれば、向こうも閑散期に優先的に仕事まわしてくれるとか、体調悪い時は楽な現場まわしてくれるとか、それなりに配慮してくれる。もちろん使い勝手のいい人間をキープしておきたいって打算あってのことだろうけど、それはこっちも承知で選んでる働き方であって、お上に頭ごなしに潰されるのは気に食わない。問題は「普通の人」が「問題のあるシステム」に乗っかった時、結果的にえげつない対応をしてしまう事であって、それを防ぐためにシステムを設計しなおす事が必要。それをいきなりシステムごと破棄ってどういうことだ。そのシステムにしがみついて生きてる俺みたいな人間はどうなる。間違った前提で形作られた世論に煽られてベストでない結論が導かれ、結果俺がより一層生き辛くなるのはごめんだって話。
書いてるうちにフルキャスト擁護のマスコミ批判になっちゃったのが自分で意外なんだが。政府は遠すぎるし、マスコミ報道はピント外れが多いし、フルキャストは最近少しはまともになってきたかと思ったらフルボッコだし。不毛だ。つーわけでもしこれ読んでるマスコミの人がいたら、頼むから現場の声を「幅広く」拾ってくれ。同じ人ばっか取材してない?日テレによく出てるネカフェ難民のおっさんとか。つーか4年フルキャストで働いててネカフェ難民ってひとりしか見たことないんだが。まあ言わないだけかもしれないけどさ。あの騒がれ方もピンとこないんだよな。
なんかね、「日雇い派遣は貧困ビジネスの悪の枢軸」って図式が独り歩きして、その周りで息してる人間の実情が置き去りにされてる気がしてならない。ステレオタイプじゃない日雇い派遣労働者の姿をちゃんと伝えて欲しい。じゃなきゃどんどんおかしな方に事態が進んでいっちゃう。
これもぐぐればすぐ出てくるが厚労省の全国調査によると平均年齢55歳